第69話

「おっ、森さん。どうもお疲れ様です。ライブカッコ良かったですよ」


さらさの姿を見つけると、夕陽はにこやかな笑みを浮かべ、こちらにやって来た。


本来ここにいるはずのない夕陽の存在を疑うより先に、どうしても胸が甘くときめいてしまう。


「あ……りがとう。あの、どうしてここに王子が?」


よく見ると、彼の胸にはゲスト用のIDが下げられていた。


「ここへは永瀬みなみの客として来ました。あっ、先に笹島っていう派手なアフロの奴、見ませんでしたか?」


夕陽は空中に両手でアフロのモジャモジャをジェスチャーで表現する。

それを見て、さらさの脳裏に先程会ったテンション高めなアフロヘアの青年が思い浮かぶ。


「あぁ、王子はあの人のお友達なの?」


「ええ、そうです。高校からの腐れ縁ってやつで…あ、あいつ何か迷惑かけませんでしたか?」


「いいえ。大丈夫よ。とても楽しい方ね。みなみと波長が合いそうだったわ」


そう言うと、何故か夕陽は複雑な表情を浮かべた。


「?」


「おーい、藤森ー」



その時、奥の通路から巨体を揺らしながら中年の男性が、さらさを本名の姓で呼ぶ声が聞こえた。



「あっ、あの声、伊藤さんだ」



やっと伊藤がこちらに気付いてくれたのだ。しかしさらさとしてはもう少し夕陽と話したい。

どうしたらいいか迷うさらさの前に、トロピカルエースのタオルが差し出される。


「使ってください」


「えっ?」


「汗、凄いですよ。それ、さっき買ったばかりなんで綺麗ですから。勿論返す必要もないんで」


「あっ…私、やだっ…その……ありがとう」


そう言われてさらさは、自分の汗まみれの顔に気付いた。

顔が火照って、余計汗が噴き出しそうだ。


「早く行ってください。あの人、森さんの名前呼んでますよ」


「でもっ…」


タオルを受け取って、さらさは焦ったように顔を上げる。


「ほらほら、俺に構わず行ってください」


夕陽に促され、まだ後ろ髪引かれる思いのさらさは渋々歩き出す。


「わかりました。では、王子…また」


「はい」


さらさは踏ん切りをつけるように、勢いよく踵を返し、伊藤のもとへ駆け出した。



その時、みなみが陽菜を連れて戻って来た。



「あっ、夕陽さん。そこにいたんだ。陽菜さん連れてきたよ〜」



「初めまして♡みなみの彼氏さん。喜多浦陽菜です」


「こちらこそ初めまして。真鍋夕陽です。今日はこのような場に呼んで頂いて、ありがとうございました」


みなみに手を引かれてやって来たのは、みなみより華奢な体躯の女の子、喜多浦陽菜だった。

陽菜の挨拶に、夕陽は丁寧に挨拶を返す。


彼女はトロピカルエースのメンバーでまだ、夕陽が会った事のない唯一のメンバーだ。


その陽菜は明るいカラコンの瞳をグッと見開き夕陽の全身を軽くチェックすると、みなみへ囁く。


「結構顔面レベル高いね。どこで見つけて来たの?こんな上玉」


「じ…上玉」


流石に夕陽は顔を引き攣らせる。

一方、みなみは全く気にしていないようで、呑気にヘラヘラ笑っている。


「ん〜。ナンパ?」


「ちげーよ!勝手に捏造するな」


「いいね、いいね。若いって」


その受け答えが気に入ったのか、陽菜は手を叩いて喜んでいる。


「……トロピカルエースって、闇が深いな」


そう言って、夕陽が力なくため息を吐いた。


「あ、楽屋に笹島さん待たせてるんだった」


「俺も忘れてた」


楽屋にはまだ笹島がいるはずだ。


「もう他のメンバー、戻ってるかな。皆で写真撮りたいね」


「いや、森さんだったらさっき、「伊藤さん」って人に呼ばれて向こうへ行ったぞ。笹島とはもう会った様子だったけど」


「え、夕陽さん、森さんに会ったの?」


みなみがパッと顔を上げる。


「あぁ。そこで偶然な」


「ふぅん…。何、話したの?」


「別に大した事は何も。汗が目に入りそうなくらいだったから、タオルを渡したくらいだな」


陽菜は何か思い出したように手を打つ。


「あ、伊藤さんに会えたんだ。伊藤さんは音響監督なんだけど、このツアーを最後に業界から引退するんだよ」


「あっ。そうだった。確か引退してご実家の農業継ぐんだって。森さんが今回のツアーで支えのようにしていた人なんだよ」


「へぇ…。そうなのか」


「まぁ、この後の打ち上げでも顔を合わせる機会はあるんだけど、あの人真面目だからね〜」


陽菜は肩をすくめた。


「そーそー。めっちゃ律儀だよね。借りは絶対作らない感じ。例えヘアピン一本でも必ず返すよね」


それを聞いて夕陽も手を打つ。


「あぁ、それわかるな。前にあの人に傘渡した時、凄い迫力で絶対返すって言われてさ。その後もお礼に弁当まで作ってくれた」


「えー。何それ。何それー!私聞いてないぞ、そんな事っ」


するとみなみが柳眉をつり上げ、夕陽に迫ってきた。


「いや、何かスーパーで偶然会っただけだよ。別にそれ以降何もないし」


「偶然でお弁当なんて作るかなぁ」


「疑うなよ。ただの善意だろ」


「でも、イケメンがイケメンな行為をして、落ちない女の子はいないんだからね」


「変な持論だな。おい。それに俺はイケメンじゃないぞ。もしそうだとしても、こんなの一過性のもので、ずっと同じ容姿のままなはずないだろう。後、数年もすりゃ、俺だってただの色白のオヤジになる」


「色白オヤジ…」


想像したのか、みなみが微妙な顔になる。


「残念な事に老化というものはコンプレックスに思う特徴だけは変化しないものなんだよ。俺の親父も昔は色男で通ってたらいけど、今じゃただのアゴの長いオッサンだぞ」


「うわっ、夕陽さん。夢も希望もない事言わないでよ。イケメンへの夢を汚さないで!」


「はいはい。わかったよ」


すると、今まで黙ってこのやり取りを聞いていた陽菜がこちらに向き直る。


「真鍋さん、ちょっといいです?」


「ええ、何か?」


陽菜は軽く息を吐くと、急に真顔になった。


「更紗にはもう、会わない方がいいよ。もし、今後更紗の方から真鍋さんに会いに来ても断って」


「え?」


これには夕陽もみなみも言葉を失った。


「貴方は優しい人だと思う。だけど更紗の事を思うなら、断る事も優しさだよ」


「陽菜、もしかして森さんは……」


みなみの言葉に陽菜は頷く。



「心が弱い時に優しくされちゃうと誰でもダメだよね。もし、真鍋さんがこの子と付き合ってなかったら受け入れても構わない。だけど、違うでしょ?私が言いたいのはそういう事」


陽菜の言葉で夕陽はさらさの気持ちに今更ながら気付いた。

確かにこれ以上は彼女に近づくべきではないかもしれない。

夕陽は静かに頷く。


「……わかりました。もう森さんと個人的には会いません」



そう言って夕陽はみなみの手を取った。



「夕陽さん…」


「ごめんな。みなみ。心配させて」


「もう…そこで素直に謝られると、これ以上何も言えないじゃん」


手がそっと握り返される。

それを見て陽菜はようやく笑みを浮かべた。


「こらこら、ここは楽屋の外だよ。二人とも。イチャコラするなら中でどうぞ」


「あわわっ。…って、楽屋には笹島さん達いるしー」


慌てて手を離すと、みなみは吹っ切れたように楽屋へ入って行った。

夕陽も後に続こうとすると、何故か陽菜に前を遮られた。


「喜多浦さん?」


「真鍋さん、私とID交換してくれます?」


そう言って陽菜は自分のスマホを取り出して見せた。


「えー、話が全く見えないんですが」


「ふふふっ。ドキっとしました?」


「そりゃ、しますよ。この流れでくれば」



何かの冗談のつもりだろうか。

夕陽は軽く息を吐いた。



「ごめんね。残念ながらそんなに色っぽい話じゃないの。もし今後、更紗の件で困った事になったら私を頼って欲しいんです。私で良ければ力になりたいから」


「え?いいんですか。でも、もう森さんとは会いませんよ」


陽菜は首を振る。


「それはそうなったら、そうなったで全然構わないわ。だけどもしそれだけで済まなくなった時、誰か他に頼る人がいなくて困った時に連絡ちょうだいって事」


「わかりました。ありがとうございます」


夕陽は陽菜とIDを交換した。


「はい。完了。別にそれ以外で連絡しても構いませんよ」


「いや、しませんって」


夕陽は苦笑した。

喜多浦陽菜は、年齢に見合わぬ洞察力と包容力を持ったしっかりした女の子らしい。




























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