第140話
「あらら、道明寺さん。随分とゲッソリしてますね。昨日あれから社長さんとなんかあったんですか?」
二日酔い真っ只中の頭に一際甲高い少女の声が響き渡る。
顔を上げると、やはり予想通りの顔がこちらを窺うように見ていた。
「なんだ、あんたなの?あんたこそ勝手に乙女の聖域に入って来ないでちょうだいな。まぁ、昨日はちょっと飲み過ぎただけよ」
限竜はシッシッと、犬を追い払うようなマネをして片手を振った。
今はまともにこの元気娘の相手をするような体調ではない。
「失礼だな。それにこの控室のどこが聖域なの…ってホントだ。うっ、酒くさっ」
するとゆらりと動いた限竜の身体から、ムワッと立ち上るアルコールの臭気を感じ、みなみは思わず鼻を摘んで後退りする。
翌朝、早朝。
朝の撮影でメイクを終えたみなみは、何やら青白い顔で控室へ戻っていく限竜に気付き、後を追いかけた。
控室には限竜の他にマネージャーがいたが、彼はすぐにスマホを持って出て行った。
限竜はその中央にある机に突っ伏す形でぐったりしている。
みなみが入って来ても反応すらしない。
だが、無造作に腕を投げ出しているように見えて、衣装がシワにならないような配慮をしている辺りは流石プロといえる。
限竜は目の前で少し心配そうに自分を見下ろしているみなみに気付き、ようやく頭を上げた。
そして昨日の事を思い出す。
あれから円堂との対話を終えた後、一本仕事をこなし、深夜に帰宅して部屋でビールの缶を開けた辺りから記憶がない。
気が付いた時には辺りはすっかり明るくなっていた。
眩しさに薄く瞼を開くと、強烈な陽の光が網膜を焼いた。
備え付けの家具以外には殆ど私物らしきもののない殺風景な部屋にある唯一のテーブルには大量のビールの空き缶が転がり、その端の方には吐瀉物の残滓がこびりついていて、それが自己嫌悪を誘う。
怠さの残る身体を何とか起こして、軽く後始末をし、シャワーを浴びるとそのまま現場に直行した。
当然アルコールは抜けておらず、頭は痛いし、やたらと喉は渇くし、胃はキリキリ滲みるように痛む。
最悪なコンディションだ。
そんな限竜の前に青色のスポーツドリンクの缶が置かれる。
「あら、助かるわぁ…」
「もう。しっかりしなさいよね。これ飲んでシャキッとしなさい」
「はいはい。でもホント気持ち悪いわぁ」
「もう年なんだからそんな飲んじゃダメじゃない」
すると限竜は心外だとでもいうように顔を上げる。
「ちょっと、アタシはまだ二十代なんだからね。ギリだけど」
「えー、35くらいじゃないの?」
「まぁ、まぁ、まぁ!よくも言ったわね。乙女に対して無礼極まる発言!」
「どこに乙女がいるの?だって道明寺さん、実年齢公表してないじゃん。年齢のとこよく見たら「推定」って書いてあったし」
みなみは以前、彼の所属事務所の公式サイトを調べた際にそれはチェック済だった。
道明寺限竜推定三十代と。
「あぁ、あれはね。ちょっとデビューする際に身バレしたくないってゴネたらそうなったのよ。演歌やるならもっと落ち着いた年齢の方が都合がいいって作詞の先生からも言われたし」
「へぇ…そうなんだ。でもこの時代、そういうプロフィールを隠せる事ってほぼ不可能じゃない?だって学校の同級生とか友達が名乗り出てきたら即アウトじゃん」
「まぁね。それでも個人情報や経歴をイジって活動している芸能人は多いわ。皆が都合のいいクリーンな経歴の人間というわけにはいかないじゃない」
「へぇ。それじゃ道明寺さんはクリーンじゃない経歴の人なんだ」
みなみの言葉に限竜は少し居住まいを感じたようで、やや顔を顰めた。
「あんたも言うようになったわね」
「ふふふ。まぁ私も色々鍛えられてますから」
そうして二人で笑った。
気付くと限竜の顔色はかなり改善されていた。
「さて、あんたのおかげで午後からも頑張れそうだわ。ありがとう」
「はいはい。それは何よりで」
限竜は思う。
この娘は何があっても守ろうと。
例え自分のものにはならないとしても「彼」から守ってあげようと、そっと心に誓いを立てた。
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