第77話
「それで、貴方たちは結婚するつもりなの?」
「……ぶはっ!?」
無事に両親に彼女を紹介するという一大ミッションを達成し、緊張から解放された夕陽は、ようやく出されたコーヒーを口にしようとしたところで、母からド直球の攻撃を食らった。
思わず吹き出す夕陽。
完全に油断していた。
「大丈夫?夕陽さん」
唇の端からコーヒーがボタボタ滴る。
みなみがハンカチを渡して来たが、夕陽はそれを断り、隣に置いてあるティッシュで拭った。
「やだ、夕陽ったら。何こぼしてるのよ」
母も呆れた様子で手拭いを寄越してきた。
「いや…大丈夫だから。電話でも言ったけどさ、今回は本当にそういう類の挨拶じゃないから。……そりゃぁ将来的にはそうなれたらってのはある。だけど今はまだ時期じゃないんだ」
「あら、本当にそうなの?だって秘密主義のあんたが家に彼女連れてくるなんて、余程の事だと思うじゃない」
「……………デスヨネ〜」
それは最初からわかっていた。
だから連れて行きたくなかったのだが、こうなったら仕方ない。
「すみません。今回私がどうしてもお会いしたいと彼に我儘言ったんです。結婚の事は私の所属事務所との折り合いが付くまではっきりとは言えませんが、その意思はあります」
「みなみ…?」
今日のみなみはどうかしてるとしか思えないくらい、とてもしっかりしている。
何となく記者会見の受け答えのように感じるが。
「所属事務所?お嬢さんはタレントか何かなのかな?」
その時、今までずっと口を挟む事なく黙ってコーヒーを啜っいた、存在感ゼロの男、父がやっと口を開いた。
「げっ……いや、それは…あの、素人劇団の……」
話をややこしくしないよう、夕陽が額に汗を浮かべながら何とか誤魔化そうとする横で、みなみが動いた。
「はい。ご報告が遅れましたが、私、「six moon」所属のアイドルグループ、トロピカルエースの永瀬みなみです」
「がっ!」
空気が凍りつくとはこの事ではないだろうか。
母は両手を頬に当て、昭和の乙女ポーズに入り、父は膝にモーターでも入ってるのかと思うくらい超高速貧乏ゆすりをしている。
夕陽は口をパクパクさせながら彼女を見ている。
「どうかしたの?夕陽さん」
「いや…まだ言うなって言ったよな?家に来る前」
「でもそんなのすぐにバレるよ」
「……いやバレてなかったと思うが」
小声でやり取りする二人に、母がようやく昭和乙女ポーズから回復し、口を開いた。
「貴方、あの毎週ゲテモノ食べてる「みなみん」なの?」
「……あははは。ええ。その「みなみん」です」
「ゲテモノ……」
父はそのパワーワードの前に絶句している。
ゲテモノ食いのみなみんは、昼の情報番組で毎週みなみが珍しい食用の生き物を試食する事で人気と顰蹙を博している。
一般的にはそちらの顔の方が有名になっているのが何とも悲しい事実だ。
コンセプトは可愛いアイドルが可愛くゲテモノをモグる…らしい。
母はすぐにテーブルの上のリモコンを手に取り、電源を入れる。
「これよ。今、カエルを食べてる子、貴方よね?」
画面には、アイドル衣装を纏った永瀬みなみがカエルのステーキを美味しそうに食べている姿が映っている。
それは確かにこの目の前にいる女の子に間違いない。
その時、テレビ画面を見ながら父が何か解せないと首を傾げた。
「いや、おかしいよ。どうして今、テレビにいるお嬢さんが、ここにいるんだい?」
「…すみません、収録済みの録画なんです」
みなみが恐縮しながら答えた。
「父さん……昔は生放送だった時代の生まれじゃないだろに」
彼女の前でとても恥ずかしい思いをした。
夕陽は疲れた顔でため息を吐いた。
「本当にみなみんなのねぇ〜。後でサイン貰った方がいいかしら。夕陽、あんた一体どこで知り合いになったのよ」
「まぁ、たまたま…偶然だよ」
「えー、夕陽さん。私達の出会いはそんな10文字じゃ説明出来ないくらい濃密だったよ?」
「あらあらそうなの?お母さん是非知りたいわぁ♡」
母が手を叩いて喜んでいる。
完全に純愛モノの韓流ドラマを見る目になっている。
「俺らの恋愛は韓流ドラマじゃねぇんだぞ」
☆☆☆
そして、みなみがメロドラマ調に盛った話を時折。夕陽が捕捉しながら馴れ初めを話した後、皆で母の作った料理を食べた。
「あ、そうだ。私、夕陽さんの部屋が見たいな」
母特製のちらし寿司を食べながら、みなみが突然そんな提案をしてきた。
やはり油断しきっていた夕陽は、またもやお茶を吐き出しそうになる。
「はぁ?俺の部屋なんてもう使ってないから、大した物は置いてないぞ」
「何、その焦り方。私に見られたらマズいものでもあるの?」
「いやない。あってたまるか」
すると父がにこやかな笑顔で口を開いた。
「えぇ、どうぞ見てやってください。ベッドこそ運び出したものの、息子の部屋はあの朝、出ていったままにしてあるので」
「父さんやめて〜、その何かあったみたいな言い方」
☆☆☆
「ふぅん…ここが夕陽さんのお部屋かぁ」
「何もないだろう?」
夕陽の部屋は三階にある。
三階は二部屋だけで、その内の一部屋は父の書斎になっている。
その書斎で父が建具のデザインを考える際、ずっと引きこもれるよう、ユニットバスやミニキッチン等が備え付けられているので、階下に降りる事なく生活が成り立つのだ。
「でも、夕陽さんの家ってお金持ちだよね。お家も立派だし、兄妹二人とも大学へ進学してるよね」
「普通だよ。普通。それに学校もずっと公立だし、大学もそんないいとこでもないぞ」
「そうかな〜。でもかなり私的にはお金持ちだと思うんだけどなぁ」
夕陽の部屋は正月に帰省した時と変わらなかった。
ベッドの代わりに使った布団はも仕舞われていたが。
「じゃあエッチな本はないの?私の写真集は?」
「ねーよ。今時紙媒体のモンなんて置いとかねーし」
するとみなみは机の上のノートパソコンに目を向ける。
「なるほど〜。じゃあ証拠品はあっちの中か」
「いやいや。あれはもう使ってないヤツだから何も入ってないぞ」
やましいものは何も入ってはいないのはわかっているが、何故か焦ってしまうのはどうしてだろう。
夕陽はみなみの手が触れるより先にノートパソコンを取り上げた。
「えー、怪しいなぁ」
「怪しくない」
するとみなみは伸び上がって手を伸ばして来た。
「甘いっ…?」
夕陽は取られまいと更に腕を上げようとした瞬間、みなみは素早く夕陽の唇にキスをしてきた。
「なっ……」
「スキあり♡」
「…………」
その突然のキスに何かのスイッチが入ったかのように、夕陽は黙ってみなみを抱き寄せると、更に深く求めてきた。
………コンコン。
「お二人さん、もうそろそろ良いかしら?」
母の声で冷水を浴びたように夕陽は我に返り、みなみの身体を離した。
「……あぁ、もう行くよ」
赤くなった顔を誤魔化すように、夕陽は部屋を足早に出て行った。
母はそんな夕陽をニヤニヤしながら見ている。
「な…何?」
「ふふっ。何でもないわよ。あ、夕陽。ヨダレがついてるわよ?」
「へはっ?」
慌てて乱暴に唇を拭う夕陽。
母とみなみは大笑いした。
「嘘よ。馬鹿ねぇ」
「くっ…。我が親ながら性格悪ぃな」
芸能人の恋人を親に紹介した一般人はこんな思いをするものだろうか。
夕陽はまだヒリヒリする唇を歪ませた。
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