459.第百十の試練『恋』


 今度の《ミドガルズフリーズ》は、《フリーズ》とは違う。

 咄嗟の防衛反応でなく、しっかりと目的をもって構築をした。


 ゆえに先ほどと違い、一瞬で相殺されることはなかった。

 そのおかげで、やっと熱風に煽られながらの浮遊感は終わり、12層の地面に足をつけられる。


 同時に、ぼたりぼたりと大粒の雨のような溶岩が、上から降り注いだ。

 12層の変哲もない石造りの回廊に赤黒い川が流れ始めて、噴火した山の麓を歩いているかのような光景となる。

 危険な状況だが、急ぎ視線を上空に向ける。


 11層があったはずの空間で、激しく泳ぐ二属性の大蛇。

 どちらも野生の生物のように動き、食らいつき合っている。

 《ミドガルズフリーズ》は時間稼ぎの目的を達成してくれていた。


 しかし、天井が異様に遠い。

 10層と11層の地面がなくなり、三つの層が吹き抜けで繋がったからだ。


 その眼球から得た情報と魔法《ディメンション》の感覚。どちらにも齟齬はなかった。

 ならば、向こうに《ディメンション》の対策はないのかと思ったが、僕と同じく前方に着地したマリアの周囲は、まるで話が違った。


 両足の触れた地面が溶ける。

 熱による陽炎が立ち昇り、光が何重にも屈折している。

 蜃気楼が発生しているようで、マリアの姿が異様に見え辛い。


 なによりも、熱によって《ディメンション》が通りにくいのが、一番の問題だった。

 駆け出しの探索者だったとき、20層付近の溶岩に《ディメンション》が通らなかったときがあったが、それに近い。


 そのマリアが、さらなる炎を生成しようとしていた。

 僕は『糸』を伸ばそうとして、引っ込める。

 『繋がり』による説得・洗脳は諦めて――


「――《ディフォルト》」


 足をつけた地面を、目一杯蹴った。

 大きく後退しながら、空間も歪ませる。


 マリアが、こうして止めに来るとはわかっていたこと。

 ならば、当初の『計画』に沿うように物語を『調整』するだけ。


 そのためにも、一旦距離を取る。

 長引けば長引くほど、情報分析によって次元魔法使いの僕は強くなる。いまとなっては『執筆』によって流れ・・を操ることも可能――という狙い以上に、マリアの熱の特殊性によって、距離は必須だった。


 僕の身体が異様なまでに汗を滴らせている。


 暑さにやられたわけではない。

 おそらく、いま迷宮内は本来の20℃前後から二倍に跳ね上がって、40℃前後。

 現実的な真夏の暑さ程度――なのに、《魔力変換レベルアップ》の『質量を持たない細胞』で保護され過ぎて、1000℃を超える火炎を歩いても問題はない僕の身体が、発汗していた。


 つまり、マリアが魔法の炎で熱しているのは、常識の中にある温度ではない。

 魔法の温度――もしくは、魂の温度とでもいうべきものが、激しく加熱されている。


「それに……」


 僕は逃亡の二歩目を蹴り、方向転換して、12層の回廊の一つに紛れ込みながら呟く。

 広がる熱が特殊ならば、その熱源はさらに特殊。


「――《フリーズ》」


 呟けども、直接マリアの炎と触れ合った《フリーズ》は、もう発動しない。


 『火の理を盗むもの』による魔法の『忘却』だ。

 『血陸』出発前夜に、『代償』を支払い切ったからだろうか、マリアは『呪い』を見事にコントロールしていた。


 本当に理不尽だ。

 ゲーム好きからすると、魔法を忘れさせるのは禁じ手の一つ。

 いや、先ほどの反応から、マリアがゲームをよく知らないのはわかっているが――何にせよ、僕には解決策があるので、まだ致命傷とはならない。


「――《フリーズ》」


 滑空するような大きな三歩目を踏みつつ、二度目の呟き。

 ひんやりと冷気を、僕の身体に纏わせていった。


 確かに、魔法《フリーズ》を僕は、一度『忘却』した。

 だから、いま魔法《フリーズ》を、一から覚え直した。


 一朝一夕どころか一瞬一秒で、それができるから僕は『世界の主』となれる。

 それでも、長時間炙られ続けての『忘却』は避けないといけないだろう。


 マリアの一番の狙いは、魔法でなく『ラスティアラ』の思い出の『忘却』。

 続いて、『計画』や『終譚祭』などの『忘却』。


 ――これから僕が作る『魔法カナミ』に影響が出る『忘却ダメージ』は絶対に許されない。


 だから、基本的に次元魔法でなく、覚え直せる汎用の属性魔法で戦うべき――と三歩目と共に、方針を決めたところで、魔法の感覚が一つ消えた。


「…………」


 いまの三歩の間で、僕の渾身の《ミドガルズフリーズ》は敗北したようだ。

 大陸を凍らせるほどの冷気が、問答無用で食われたのがわかる。


 さらに後ろから吹き付ける熱風から、氷蛇を食い終わった炎蛇が僕の追跡にやって来ているのもわかる。


 炎蛇に追いつかれはしない。

 頭に迷宮の地図マップは入っている。

 とはいえ、一度でも道を間違えたり、足を止めれば――


「――――っ!?」


 足を止める。

 四歩目の先にて、火の玉が浮いていた。

 鬼火や狐火かのように見えるものが、数十個。


 見たことがあった。

 これはマリアが失った目の代わりに使っている『炎の目』。


 まだ『第百十の試練』開始から数秒なのに、この数だ。

 事前に、僕が逃げるであろう先に準備されていたのだ。


 よく見れば、球体だけではない。

 ひし形に四角形に立方形に、様々な形状の炎が浮いている。


 これも見たことがある。

 あの反射レフばんのような炎は確か、ディアと一緒に共鳴魔法を使っていたときに浮かばせていたもの。

 その役割の答えは、ひし形の炎が人の口のように動き、発声される。


(――《フレイムアロー・守護炎イージス》)


 回廊の奥で、闇を埋め尽くす光が膨らんだ。

 慣れ親しんだ魔法の光線レーザーが、曲がり角の先から現れ、いま見ていた反射板に当たり、進行方向を変えた。


 ディアの《フレイムアロー》かと思ったが、その光線レーザーの色は白でなく赤く、魔力の質も違う。

 マリア一人で再現している。

 僕は限界まで身体を反らし、捻らせて、その光線レーザーを胴体に掠めさせた。

 すぐさま、次の攻撃に備えようとするが――照射は続いていた。


 ディアと違い、この光線レーザーは途絶えない。

 雑に放って終わりでなく、正確に同じ威力で維持し続けて、魔法を細く収束させて、熱く、強く、まるで糸のように光線レーザーが空間に一本張られた。


(――《熾天の繊炎アグニブレイズ》)


 スッと、反射板が動き。

 光線レーザーが糸鋸のように、空間を僕の身体ごと切断しようと動き出す。


 乱雑に何度も、五回ほど往復したが、それも全て避け切る。


 もうそろそろ十秒ほど経過する。

 戦闘の勘も少し戻ってきて、やっと十層からの急展開に一息つけそうなときだった。


(そこですか。――《フレイムフランベルジュ》)

「――――っ!」


 息を呑む。

 マリアの姿は見えないが、いまので完全に場所を捕捉・確認されたのだろう


 ただ、聞こえたのは、炎の剣の魔法名。

 いま浮いている火の玉たちのどれかが、剣の形になるのか?


 常に答えは、炎となって返ってくる。


「…………?」


 背中から急激な温度の上昇を感じた。

 特殊な魔法や魂の温度でなく、今度はしっかりと通常の温度も上がっている。


 バーナーで炙られて、肌が焦げ出す感覚。

 灼熱と呼ぶべきものが誕生する熱波を、僕は感じ取っていた。


 冷や汗と共に、振り返る。

 同時に、地震。

 縦横に大きく迷宮が揺らがされ、限界を超えて温度は上昇していく。


 なんとなく、次に何が起きるのかがわかった。


 ――これは、マリアの『冒険』の総決算だ。


 流れ・・を作る側になってから、色んな世界のルールや意味を僕は理解できるようになった。

 だから、いま例の視線・・が、僕でなくマリアを見ているのは、一種の儀式となっているからだとわかっている。

 『第百十層の試練』と彼女が言ったのは、ただの冗談ではない。

 自分の人生を『代償』として放つという前口上だったから、マリアには魔力的支援がある。


 そのマリアに相応しい魔法。

 最初に掘り起こされる記憶は一年前。『世界奉還陣』の中心でパリンクロンと戦ったとき、大陸を削いだ炎剣。

 あの天を貫き、雲を蒸発させて、大陸を溶かして、地図を変えた一振り。

 いや、あのとき以上だと、マリアは宣言している。


 ――あ、あれを、こんな密閉空間でやる気なのか? 


 と脳裏に、常識的過ぎる意見がよぎった。

 マリアはやる。

 やるに決まっているから、マリアだ。


「――ア、《零度の衣アブソリュート・ローブ》!!」


 こちらも目一杯の魔力を注ぎこみ、氷を生成する。

 氷のイメージは、防護服。

 それも、マグマ内といった過酷な探索をする際に使われる隙間のない代物。


 分厚い氷によって、全身を完全に覆われたとき。

 もう立っていられないほどの地震となっていた。

 さらに、四方八方から泡の立つ音が聞こえ出す。


 空間を形成する石材たちが、見るからに沸騰していた。

 続いて、あちこちの天井がどろりと溶け出して、その中から勢いよく火炎が噴出する。その火炎が《フレイムフランベルジュ》の刃先だと理解すると同時に、地面も壁も、いま僕が見ている全てが、柔らかいチョコクリームを押し退けるように溶けていった。


 もはや、マリアの《フレイムフランベルジュ》に物質的な障害かべなど関係ない。


「…………っ!!」


 最終的に、視界全てが真っ赤な火炎に呑み込まれた。


 浮遊感に襲われる。

 僕の身体は《零度の衣アブソリュート・ローブ》が守っている。だが、守られていない足場は斬られて溶けて、なくなってしまう。


 炎の海に呑み込まれるというのが、比喩でなく実際に起こった。

 ただ、海の中を泳いでいる感覚はない――が幸いなことに、炎の勢いが少しずつ通り過ぎていくのを感じる。


 ――おそらく、この炎剣が巨大すぎて、こちらの状況を向こうは細かく把握できていない。


 そう信じて、僕は《零度の衣アブソリュート・ローブ》を『忘却』する覚悟で、魔力を込めて、防御し続けた。


 そして、炎の海に揉まれること、数十秒。

 終わりは訪れる。


 炎剣を振り抜かれ終えたとき、僕の身体は地面に打ち付けられた。

 かなり高いところから落ちたようで、弱っていた《零度の衣アブソリュート・ローブ》は衝撃で砕ける。

 生の手足で地面をつき、その泥のような感触に状況を察していく。


 顔を上げると、迷宮に似つかわしくない空間が広がっていた。

 広い。

 とにかく、広い。

 というよりも、もう外にいるのではないかと思えるほどに、僕の周囲には何もなくなっていた。


 蒸気や煙だけが立ち昇り、奇妙な形の雲が上空に発生している。

 さらには、見渡す限りに赤黒い溶岩が、雨上がりのあとのように広がっては、ぶくぶくと泡立っている。

 迷宮の材質に魔石が多く使われているためか、地面の表面が硝子のように煌いているところが多い。


 僕は無事だが、地獄に送られたのかと錯覚しそうになる。

 しかし、よく目を凝らして、しっかり現実を確認していく。


 遠くに、奇妙な縞模様の絶壁を見つけた。

 その積み重なった地層は、迷宮の層。

 炎剣の切断面が見えたおかげで、まだここは迷宮内であると確信できる。


 だが、ごっそりと。

 大体20層分近く、炎剣の一振りで焼き削がれたようだ。


 積み重なった地層を数える限り、現在地は30層を超えたくらいだろうか。

 あの七色に輝く鉱石のエリアに入っているかどうかもわからない。


 という状況を考える暇もなく、続く魔法名。


(――《焦熱世界の骸炎イン・ラヴォスブレイズ》)


 もはや、口となりえる炎はどこにでもある。

 魔法名の宣言と共に、上空で蒸気と煙の雲の中に、巨大な炎の球体が発生した。


 燦々と輝く白い炎。魔法の太陽。

 網膜を焼かれながらも直視すると、その太陽の中心部に術者のマリアが浮かんでいるのが見えた。


 自在に高熱をコントロールしていく結果、あっさりと飛行能力を獲得している。

 とはいえ、高速移動はできないようで、綿毛のようにゆったりと下へ落ちようとしていた。


 その太陽は僕の網膜だけでなく、息切れする肺も焼いて、臓器さえ超えて魂まで焦げ付かせようとする。


 この太陽の炎は、やりすぎだ。

 そして、落ち過ぎだ。

 遠くにある絶壁――つまり、迷宮の切断面から、蠢く黒点が複数見えた。


 深部にいる飛行能力を持つモンスターたちが生息エリアを破壊され、怒り、動き出していた。

 他にも、様々なモンスターたちの恨みをマリアは買ってしまったようだ。


 あらゆる層から、熱に刺激されたモンスターたちが、白い太陽に押し寄せそうとする。

 だが、未だ維持されていた《ミドガルズブレイズ》が、マリアの傍に控えている。

 太陽の紅炎プロミネンスのように跳ねて、その巨大なあぎとで近づくモンスターたちを食らった。


 そして、そのモンスターたちを燃料にして、その炎蛇は太る。

 食らって、大きくなったのだ。さらに、分裂もする。八つ首の蛇となり、四方からやってくるモンスターたちを美味しそうに平らげていく。


 これは、狩り……? いや、食事か。

 とにかく、迷宮のモンスターたちが、効率よく狩られている。


 これはマリアの『魔の毒』の回収作業と理解したときには、魔法の太陽は一回り大きくなり、落ちてくる速度が増していた。


 まだまだモンスターは残っている。

 火属性に耐性を持つモンスターは特に生き残り、《ミドガルズブレイズ》の先にいる術者に襲い掛かろうとしていた。


 右からは、浮遊する炎のエレメント系のボスモンスター。

 左からは、黒い馬車の手綱を引く首なしの黒騎士デュラハン



【モンスター】フレイムスコール:ランク26

【モンスター】ディープデュラハン:ランク45



 このモンスターたちならばと、一縷の希望を持って見守ったが、


「――《フレイム》」


 八つ首の蛇の内の二頭が、形を変えて人の腕となった。


 太陽から生えた巨人の腕のような光景。

 その腕はマリアの意志のままに動き、火属性に耐性を持つモンスターを掴んだ。


 炎の手に包み切ったが、火属性の耐性のせいで燃やすことはできないようだ。

 ただ、迷いなく腕は、ゆったりとこちらに向かって動き――投げつけてくる。


「――――っ!!」


 遥か上空の出来事だったので、投げるモーションはゆったりとしていた。

 しかし、その見た通りの速度ではない。

 圧倒的な上位の存在によって投げ飛ばされたボスモンスター二匹が、恐ろしい精度で僕の身体に向かってくる。


 ボスモンスターたちのランクは、さほど高くはない。だが、その質量は僕を簡単に包み込めるほど大きい上に、マリアの特殊な炎を纏い、速度がついている。

 まともにぶつかれば、常人ならば四散。

 僕でも、ダメージがありえる。


「――ローウェン!」


 剣に『魔力物質化』を加えて長さを増して、到達前に両断した。

 しかし、続けざまに、追加のボスモンスターたちが投げつけられてくる。


 燃えなくて丈夫な丁度いいボール程度に、マリアは思っているのだろう。

 次々と、下にいる僕に向かって放る。


 その間も、太陽の肥大化は続いている。

 向かってくる飛行型モンスターを食らいつくし終えたあとは、貪欲にも《ミドガルズブレイズ》たちが迷宮の切断面に向かい、中へと侵入していった。

 そして、獲物の巣を食い荒らすかのように隅々まで、各層にいるモンスターを焼いては、『魔の毒』を集めては吸収していくのを《ディメンション》で感じ取る。


 広範囲魔法の乱獲により、マリアの太陽は大きさだけでなく、熱も増す。


 そして、遠くにいるはずの僕の足場が、また地面がチョコレートのように溶けて、身体が宙に放り出される。

 どろどろとした溶岩と共に落ちていき、下の層に足をつけたと思えば、またすぐに足場は柔らかくなる。僕は下へ。


 ――溶けて溶けて溶けて、下へ下へ下へ。


 ずっと太陽は肥大化しながら落ちてきている。

 けれど、これではいつまで経っても、僕には届かない。

 近づけば近づくほど、足場が保たずに僕が下へ遠ざかるからだ。


 どこまでもどこまでも炎だけが大きくなっていくだけ。

 途中、何もない階層に足をつけて、底が抜けた。

 おそらくは、いまのは『木の理を盗むもの』アイドの40層。

 『風の理を盗むもの』ティティーの50層まで辿りつくのは、時間の問題だろう。


 冷や汗が増す。

 この際限のない加熱に、僕の身体は耐えられるだろう。

 それだけのレベルと魔力がある。


 ――だが、迷宮が保たない。


 ペースが速過ぎる。

 10層で始まって、もう50層に到達する。


 このまま、縦に進み続けるのは不味い。

 マリアの太陽を『最深部』まで連れて行けば、全てが台無しとなる。

 千年前から始めた『迷宮』も『理を盗むもの』も含めて、何もかもの『計画』が燃えて、『忘却』して、終わってしまう。


「…………っ!」


 間違いなく、この落ちてくる太陽の終着点は、迷宮の終わりにある『最深部』を見据えている。

 僕ごと燃やし尽くすのを狙われている。

 マリアの「それがなかったら、話は全部終わりじゃないですか?」という気軽な提案が聞こえてくるような気がした。


 そんなわけあるかと、僕は上空の太陽を再度睨みつける。


 ――瞳のような太陽に、しっかりとスキル『炯眼』が乗っている気がした。


 僕の負傷も『忘却』もしたくないという考えが、確実に見抜かれている。


 だから、剣を持つ手でなく、本を持つ手に力が入った。

 『計画あと』のことを考える余りに、いま僕はジリ貧になっている。


 覚悟しろ。

 勇気を出せ。

 前だけ見ろ。

 もう『忘却』とか『計画』とか『魔法』とか、後先のことを考えている場合ではないだろう。


 逃げるな。太陽に向かえ。

 『炯眼マリア』を超えろ。

 『最深部』に到達する前に――


 と僕が決心したとき、近くの小さな焔が声を漏らす。


(――やっと見ましたか、カナミさん。本当に、余裕なんですから)


 そのマリアの嬉しそうで優しい声色に、僕は不満げに上空の太陽を見つめながら答える。


「……見てるよ。ずっと見てるし、余裕もない」


 一ヶ月前の『第八十の試練』のセルドラと同じことを、マリアも言う。

 しかし、いつだって僕はみんなと向き合っていると、言い返した。


(そうでしょうか? ずっと見てたのは、たぶん……、ふふっ)


 軽い調子で話す。


 ここまでの全てが戦いではなく、ちょっとしたじゃれあいに過ぎないかのように、笑う。

 いまの僕たちの立ち位置が、太陽と奈落であっても、いつものマリアだった。


(カナミさん。この『第百十の試練』は、あなたの四肢を燃やして、私のものにしたいなんて馬鹿な願いじゃありません。一年前とは状況が違いますからね。……だから、一言だけで構いません。『最深部』も『計画』も、『ラスティアラ』さんも『世界』も、いまだけは関係ない。もし本当に目が見えて、耳が聞こえて、わかっていらっしゃるのならば、今度こそ誘ってあげて欲しい。それだけで、『試練』は終わります)


 『計画』を止めるのではなく、誘って欲しい……?

 何が、今度こそだ……?


 この一言は、絶対に間違えてはいけないと思った。

 だから、僕は考えた。

 『並列思考』『分割思考』『収束思考』だけではない。最悪、陽滝の『逆行思考』も駆使して、最後の頁にある『答え』だけでも得ようとする。


 しかし、その一考するという僕の行動に対して、マリアは――


(――『人は肉体に・・・・・生きるのではない・・・・・・・・』――)


 『詠唱』し始めた。


「…………っ!?」


 迷いがなさ過ぎる。


 即答できなかったら、詠むと決めていたのだろう。

 おそらく、僕が一考したということは思い当たりがなく、反則的な方法で『答え』を作り出そうとしている――と、事前にマリアは決め付けていた。


 正解だ。

 いつもマリアは、その『炯眼』で真実を見抜く。

 そして、自分の信じる道だけを、焔と共に突き進むのは、いつ見ても――


 悔しい。

 羨ましい。


 優柔不断で、考え過ぎで、臆病な僕と比べて、余りに格好良すぎる。

 これだから『ラスティアラ』だって、マリアばっかり見る。


「――『心に灯った炎・・・・・・に生きる・・・・』――」


 その『詠唱』も、ここまでの見たことのある魔法と同じく、聞いたことがあった。


 一年前、マリアと一緒に聞いた。

 しかし、それが魔法を補助する『詠唱』として使われたのは、未だ一度もない。


 ――先に覚悟を決めたのは、マリア。


 逆に僕は覚悟が遅いと、そう年下のマリアに叱られているような感覚と共に、見上げた太陽が変色していく。


 赤い太陽の温度が爆発的に上昇して、青く染まる。

 ただの青一色じゃない。

 『詠唱』と共に、青く蒼く碧く、多様な青が混ざっては燃え盛る。


 温度による変色ではないだろう。

 『魔の毒』を吸収しているから、これは魔法の変色だ。


 ただ、それさえも正確じゃないと思った。


 想いの色。

 なにより、ここまで歩んできたマリアの人生の色。

 次第に青から白へと、色が透き通っていく。

 白い太陽が燦々と、詩を詠んでいく。


「――『私は世界あなたから忘れられた』――」


 来る。

 これから、『火の理を盗むもの』アルティの本当の・・・魔法・・』が放たれる。

 いや、違う。

 これは、マリアとアルティの二人分。

 『マリア・・・の本当の・・・・魔法・・』。


 ――この『第百十の試練』は、これを受け止めなければ終わらない。


 10層で対峙したときから、ずっと予感していた。

 いつだって、『試練』では相手の人生をぶつけられてきた。

 本当の『魔法』を受け止めなければ、真に想いを受け継いだと言えるだろうか? いや、言えない。


「――『火を点けては嘘をいてきた』『誰かを私は愛している』――」


 もはや、太陽は肥大化しすぎて、ただの真っ白な天井となっていた。


 汚れのない純白の炎壁が、少しずつ迫ってくる。

 迷宮全体を燃やしながら、削りながら、落ちてくる。


 ただ、魔法の対象としている僕の足場も、溶けて、抜けて、落ちていく。

 だから、なかなか距離は縮まらない。


 炎が強過ぎて、近づけば近づくほど、対象の僕は遠ざかる。

 その僕を追いかけて、熱は無限に増していく。


 何もかも燃やして『忘却』させて、自分さえも燃やして『忘却』させて。

 遠ざかって、遠ざかって。

 いつか誰も名前の知らない空の太陽ほのおとなる。


 そんな魔法の名が響く。



「――魔法・・灰かぶりの失くし炎アルティメイト・ライアー》」



 迷宮の底が抜けていき、ついにはティティーの50層も超えて、すぐ隣に風のエレメント系モンスターが飛んでいるのが見えた。しかし、白い炎壁からの光を浴びて、熱されて、モンスターは燃える――のではなく、光の粒子となって消えていった。

 そして、魔石となって、僕と一緒に下へ落ちていく。


 たくさんのモンスターが消えて、たくさんの魔石が降り注ぐ。

 それは地上の『終譚祭』の魔力の雪ティアーレイのようで、まるで別物。


 魔石の純度の高さと美しさに、僕は目を奪われる。

 ただ、迷宮のモンスターを『想起収束ドロップ』させる術式の構築を崩して、魔石としただけではない。

 ティアラと僕の《ディスタンスミュート》よりも無駄なく、余分なものを削ぎ落とし、魔石たましいだけとしていた。


 決して魂まで溶かさないのは、その『魔石化』は『忘却』を主軸としているからだ。

 この炎は、魂以外の全てを薪とする。


 だから、あの太陽に囚われれば、永遠に『忘却』し続けるだろう。

 もう何も思い出すこともない。

 もう新たに思い出となることもない。

 最後は灰でなく、あるがままの自分だけを残す。

 純粋で無垢な魂だけとされる。


 ――浄化の炎。


 これが『火の理を盗むもの』の本当の・・・魔法・・』。


 攻撃魔法ではない気がした。

 もし、この炎がほんの少しの光と熱ならば、きっと回復魔法と呼べるからだ。

 焚き火程度ならば、身体と心を一緒に暖めてくれて、嫌な記憶を薄めてくれるだけ。

 辛い人生を乗り越えるための応援が、『忘却』の本質だったとしても――


 もはや、上空を埋め尽くすのは、純白の炎壁。

 本来は優しいものだとしても、余りに強くなり過ぎて、遠ざけるしかない太陽となってしまっている。


 ――《灰かぶりの失くし炎アルティメイト・ライアー》が、僕に向かって落ちてくる。


 受けるわけにはいかない。

 しかし、この落ちて落ちて落ちて行く太陽が『答え』だから、受け止めろと言われている気がした。


 僕は積年の感情ほのおという『答え』を、少しずつ教えられていく。



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