365.英雄の約束


 その後、『闇の理を盗むもの』との情報共有は休むことなく続いた。


 師匠は奪還計画の全容を聞いたあとも、迷いはなかった。決行日時を、準備が出来次第や明日などといった悠長なものでなく、「いますぐ」と決めた。

 単純に遅れれば遅れるほどに敵の力が増し、不利になるというのもあったが、師匠は『火の理を盗むもの』の現状を知り、「一刻たりとも伸ばせない」と判断したからだ。


 反対する者は一人もいなかった。

 すぐに協力者である院長さんは屋外に出て、計画の段取りを進める。

 計画のほとんどは敵の施設に内通している彼女にかかっている。

 残された私たち三人は、成功を願いつつ彼女の帰還を待ち続け――地下室で待機すること数時間、その時は訪れる。


「――ランズ様。準備ができました」


 帰ってきた院長さんが、地下室に入りながら報告する。

 それを聞き、部屋の中で『魔の毒』を弄っていた『次元の理を盗むもの』と『闇の理を盗むもの』の二人は、その力を霧散させていく。


 院長さんを待っている間、全く疲れのなかった彼らは休息でなく『呪術』の鍛錬をしていた。

 中断した二人の顔には、十分な手応えを証明する汗が垂れていた。時間を無駄にしないために、軽い気持ちで行ったものだったが、結果は上々だったようだ。

 ティーダは手の平にできた濃い闇を握り潰して、答える。


「もう十分だ、カナミ。大体の『呪術』の感覚は掴んだ」

「やっぱり、ティーダは筋がいい。たった一晩で覚えられるなんて」


 それを近くで見る私は、ちょっと泣きそうだった。

 私が一つ『呪術』を覚えるのに、どれだけの時間を使ったかを考えると、『理を盗むもの』は本当に特別であるとわかる。


「いや、覚えたというより、無意識に私はいくつかの『呪術』を使ってたみたいだな。その手順が、より明確化され、使いやすくなったという印象だ」

「やっぱり、そういう感じか。できた経緯を考えると、それも当然かな。……それで、どう? 結構自信のある『詠唱』と『呪術名』だったんだけど」

「ああ。慣れない言葉ばかりだったが、ずっと揺らいでいた私のイメージが固まった。《ダーク》と《ヴァリアブル》、どちらも私らしい力だ」

「言葉のイメージは《ダーク》と《心異ヴァリアブル》。応用技のほうも、しっかりと言葉に乗ったイメージを意識して、『魔の毒』を変換してね」

「言葉のイメージか。その感覚は慣れないが、必ず使いこなしてみせよう」


 過去最高にニコニコした師匠が、『呪術』の説明をしていく。


 自分の力が受け継がれる以上に、自分のセンスの名称が受け入れられることが嬉しそうだった。

 ときおり、ぶつぶつと独り言で「《心 異・闇 洗ヴァリアブル・カーズ》」と、自分では使えない『呪術』を壁に向かって放つ振りをする。口にした語感を確かめているようだ。


 その師匠を見るティーダも、口元が緩んでいた。

 カナミに深く感謝し、心を許しているのが、顔が人のものでなくとも、はっきりとわかる。


 そして、その感謝を彼は言葉に換えていく。


「カナミ、お礼だ。最後に、それを貸してくれ」


 ティーダは無造作にテーブルに置かれた仮面を指差した。

 私たちが逃亡中に出店で買ったものだ。


 それを手にして、いま教わった『呪術』の集大成を構築していく。


「――《心 異・無 貌ヴァリアブル・フェイスレス》」


 彼の体内の『魔の毒』が、この地下室の暗い『魔の毒』と混ざり、濃い闇の力に変換させていく。

 その粘度の高そうな黒い魔力は、仮面に纏わりつき、徐々に一体化していった。


 完璧だ。

 翻訳の魔法のおかげか、言葉の裏に乗るイメージは私にも伝わった。


「ついでに、こちらにも」


 続いて、ティーダは師匠の着る外套にも、同じ『呪術』をかけていく。

 どこまでも黒く染まっていき、明かりのない世界を進むには最高の一品に仕上がった。


 これから師匠に必要とされる隠密の力を、ティーダは闇の力で強化してみせた。

 その『呪術』の出来を、先生である師匠と共に確認していく。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ。正体を隠すなら、この私の力はうってつけだ。どうだい?」

「凄い……。これ、闇に紛れる『術式』? しかも、視覚的にだけじゃなくて、精神的にも訴える闇になってる……!」


 単純に私は闇に紛れやすいだけの代物かと思ったが、専門家である師匠から見ると少し違うらしい。目だけでなく心も欺く闇となると、もはや本に出てくる魔法のローブだ。


 師匠は仮面を手にして、その効果を口にしていく。


「いいねっ。でも、ちょっと強引過ぎる部分もあるかな? 普通の人は騙せても、『魔の毒』に敏感な人だと、逆に見破られやすいかも。もっと自然に誤魔化す『術式』にしないと……」

「なるほど。濃すぎると、逆に自然でなくなるのか。力をこめればいいというものではないのだな。中々、『呪術』は奥が深い」

「ちょっと僕の次元の力で弄ってもいい? まず、この『呪術』の効果を、きっちり固定したいってのもあるし」

「ああ、もちろん。それがどう変わっていくのか、私も興味がある。例の『術式』の文字を、仮面の裏にでも書くのか?」

「そうだね。それと、せっかくだから造形も変えたいかな」


 二人は新たな『呪術』の考察をしていき、さらに呼びに来たはずの院長さんも嬉々と加わっていく。


「あぁっ、あぁっ! ずるいです! とても面白そうなことを、私抜きでしないでください……! カナミ君、私にも教えてください! その『術式』の文字というものを、一から、じっくりとわかりやすく!! 私、天才ですから、教えてもらったものよりもよいものを絶対作りますよ!」

「ええ、もちろん。構いませんよ」


 放っておけば、本来の目的を忘れて『呪術』談義を延々と続けそうである。

 薄らと気づいていたが、三人とも現実逃避をしがちな癖がある。


 むっと眉をひそめた私は、最年少ながらもリーダーシップを取り、大声を張り上げていく。


「だーかーらー、そういうのはあと! いいから、外に出るよ! 院長さんが戻ったら、そこからは計画はノンストップなんでしょ!?」


 私は渦中の仮面をひったくって、無理やり師匠に被せ、三人の背中を押して、部屋の外まで促していく。

 無駄話をしていたせいで、時間に間に合わなかったなんて馬鹿な失敗だけはしたくない。


 それは師匠たちも同じようで、一言「ごめんなさい」と謝ってから、急いで動き出してくれる。その途中、院長さんだけは諦め悪く、師匠に食い下がっていた。


「カナミ君、どうかあとで詳しく……。どうかどうか……」

「はい、約束します。全部終わらせたあと、二人で色々と試しましょう」

「……はい!」


 院長さんは満面の笑みで喜んだ。

 その笑顔は純粋な子供のように可愛らしく、かつ大人の女性の魅力も溢れていて、向かい合う師匠の頬を赤く染めさせた。


 ただ、少し遠くから見ている私からすると、院長さんの顔から下にある血染めの衣装のせいで台無しである。新しい拷問器具を手に入れた研究者マッドサイエンティストにしか見えない。


 こうして、私たちは地下から出て、『第七魔障研究院』の廊下を抜けて、『在りし夜』に包まれた街の中に紛れていく。

 ティーダと師匠の二人は本当の意味で闇に紛れ、同化し、視界では確認できない状態だ。


 残された院長と私は、計画通りに演技をこなしていく。


「では、ここからはティアラ様……」

「任せて。その振りは、私ほど上手い人はいないよ。ほらっ」


 私は頭の中に、本の一文を思い浮かべる。〝ティアラ・フーズヤーズは『魔の毒』の病に冒され、死の間際にあった。血の一滴もないかのように肌は青白くなり、四肢に力が全く入らない。その呪われた身体が倒れれば、二度と起き上がれないだろう〟と信じたあと、私は街の地面に倒れこもうとする。


 慌てて院長さんは私の身体を支え、その演技を褒めていく。


「わ、わわっと。……か、完璧です! モルモットたちと、全くそっくりです……! 体温といった生理的なものまで!」


 近くの暗闇からも感心の反応が聞こえてくる。


「へえ。大した姫様だ」

「――っ!」


 師匠だけは声を失うほどに驚いていた。被った仮面は顔全体を覆うほどの大きさはないので、ぽかんと開いた口の部分は見える。


 病床の頃の自分を再現しただけだが、少しやりすぎたかもしれない。


 私たちは前準備を終えたあと、暗闇の街の中を歩き進む。

 向かう先は『第一魔障研究院』まで一直線だ。


 途中、何度か街の人たちや警邏中の兵士とすれ違ったが、そこまで怪しまれることはなかった。予定通り、街で有名な『第七魔障研究院』の院長さんが重症の患者に肩を貸して、移動していると思われているのだろう。


 厄介だったのは、街中で火の消えた『炎神様の御石』に祈っていた信徒たちだ。

 心配そうに駆け寄ってきては、私の運搬を手伝おうとしてくれた。その全ての申し出を院長さんは断って、ゆっくりと慎重に歩き続ける。私たちに注目が集まっているおかげで、近くの闇に紛れているティーダや師匠が見つかることはなかった。


 そして、私たちは『第一魔障研究院』まで辿りつき、街に詳しい人しかわからないであろう裏口までやってくる。


 そこには見張りの兵士が一人、警戒した様子で立っていた。

 しかし、院長さんは見知った顔のようで、慣れた様子で声をかける。


「あのー、定期報告です。それと施設の調整メンテナンスも、いまから行います」


 空いた手で懐から書類を取り出し、見張りの兵士に手渡しつつ、通ろうとする。


「……先生? こんな夜遅くにですか? ……あー、すみませんが、明日に移せません? 現在、院内は他国からの間者を捜索中なんです」


 職務に忠実な兵士は顔をしかめて、立ち塞がった。

 対して、院長さんは強気に押し通ろうとする。


「『第七魔障研究院』で、研究に大きな進歩がありました。その搬送がメインです」


 私の身体が持ち上げられ、兵士の目に晒される。


 すぐに私は死人のような顔色を保ちつつ、一目でわかる濃い『魔の毒』を身体に纏わせる。さらに末期患者特有の浅い呼吸と手足の痙攣も、きっちり加える。一刻も早く、何かしらの処置をしなければならないと、目の前の兵士に思わせていく。


「ああ、その研究の成果・・を……いえ、患者さんをこちらに移したいというわけですか。確かにそれは夜間の内に、それも早急に行う必要がありますね」


 私を見た兵士さんは少し物騒な単語を口にしてから、態度を軟化させた。

 その隙を突いて、院長さんは畳み掛けていく。


「それと、あなたを含めた見張りの者を、何人か『第七魔障研究院』に移動させろとも言われました。その書類を見てくれたらわかりますが、向こうの人手が足りないようです」


 兵士さんは確認のために、手渡された書類に目を落とす。

 この暗がりでは読みにくく、重要そうな部分を一行だけ見るので精一杯だろう。

 そこには迅速な移動を兵士に促す文章が書かれているはずだ。無論、これは一夜限りしか通用しない偽造の書類だ。


「……私を向こうに? もしかして、向こうで何かあったのですか?」

「詳しくは知りません。研究以外に口を挟むなと、常々私は言われていますので」

「確かに、あなたはそう言われているでしょうね……。わかりました。色々と緊急なのは伝わりました。もしかしたら、例の間者二人組がそちらに現れたのかもしれません。すぐに交代の人員を呼んできます」


 研究職である院長さんと話すのは時間の無駄だと判断したのだろう。兵士は迅速に動き出す。建物内に入り、すぐ近くの兵士用の宿直室に向かっていく。


 おかげで、出入り口が数秒ほど、完全にフリーになった。


「――いまです」


 院長さんの一言で、暗闇で微かな物音が鳴った。

 これでティーダと師匠が侵入成功だ。


 その数秒のあと、先ほどの男が数人の兵士を引き連れて現れる。


「では、私たちは『第七魔障研究院』に向かいます。先生は、どうぞ中へ」

「ご苦労様です」


 予定通りに私たちは兵士たちを見送り、『第一魔障研究院』が少し手薄になったのを確認してから、建物の中に入っていく。


 その長く暗い廊下を歩いて行きながら、院長さんは周囲の様子を真剣に確かめていく。

 特に、一定間隔ごとに取り付けられた『炎神様の御石』を気にしている。


「先行したランズ様とカナミ君が、上手く建物内の明かりを闇で閉じていっていますね。では、私は建物内の血の結界を停止させます」


 院長さんは廊下の端にまで近寄り、明らかに材質の違う部分に手を当てた。床と壁の狭間にある黒い石の細長い線だ。


 さらに何か『詠唱』らしきものを口にしながら、懐から短刀を取り出し、腕に切り傷を作る。

 血の水溜りが出来るほどの量を出血させ、地面に染み込ませ、一分ほど呟き続ける。


 その『詠唱』のようなものは、師匠と比べると長過ぎると思った。

 『詠唱』とは別物なのか、私たちフーズヤーズ組が短過ぎるのか――判断はつかなかったが、確かに『魔の毒』が別の力に変換されるのを見る。


 そして、黒色の線が、徐々に赤色に変わっていく。

 私が建物の枠組みだと思っていたものは、何か重要な意味を持っていたようだ。


「ねえ。よくわかんないけど、これって本当に必要だったの?」

「これを作ったのは私なので自慢になりますが……。これを停止させなければ、私たちの侵入は必ず露見し、一瞬で全ての『炎神様の御石』に火が点きます」

「一瞬かあ……。そりゃすごい」


 詳しい話を聞く時間はないが、『呪術』に似た技術なのは間違いないだろう。「いつか必ず頂く」と心に誓いながら、私は無言で院長さんの後ろをついていく。


 その途中、見張りの兵士が何人か倒れていた。

 おそらく、ティーダと師匠が、ことのついでに無力化していってくれたのだろう。おかげで、後続である私たちは中央療養室まで楽に辿りつく。


 例の巨大像『炎神様の心臓』に見守られながらも、眠りにつけない重症患者たちの呻き声が響いている。その中、私たちは部屋の隅にある階段まで向かい、こっそりと降りていく。

 その石造りの狭い階段は異様に長かった。

 一度も立ち止まることなく進むこと数分、やっと私たちは『第一魔障研究院』の最下層まで辿りつく。


 一本道の回廊だ。その両端の壁には大量の『炎神様の御石』が設置されていたが――その全てが不自然に濃い闇に纏わりつかれ、明かりの役目を果たせていない。


 薄暗く、じめじめとして、空気の薄い回廊だ。目を凝らすと、道の先には錠と鎖のかかった石の扉があった。


 そこには先行したティーダと師匠が待っていて、見張りと思われる男たちが数人倒れこんでいた。


 予定では、この最後の見張りは私と院長さんの二人が演技しつつ近づいて、奇襲をかけるはずだったが……。

 先行した二人と合流すると、師匠が私たちに説明をしていく。


「時間が余ったから、先に無力化したんだ。でも、僕たちじゃ扉は開けられないから、お願いします」


 表情を見なくとも、嘘だとわかった。

 私たちの危険を少しでも減らそうと、師匠が道を急いだのだろう。最近、私への過保護が強まってきている気がする。


 その理由を考えていると、隣の院長さんが一番前まで出てきて、大量の錠と鎖をかけられた扉に手を当てる。

 先ほどと同じように血を垂らすことで、その全てが赤色に発光していく。錠は鍵もなくカチリと開けられ、鎖は不自然に繋ぎ目が脆くなり崩れ落ちた。


 この街で最も重要な部屋なので、最も堅牢な扉があると聞いていたが、内通者のおかげであっさりだ。

 何者も通さないと主張していた分厚い扉は、簡単に開かれ、私たち侵入者を招き入れる。


 師匠も私と同じ感想だったのか、ぼそりと呟く。


「……思っていたよりも、簡単だったね」

「ああ。前から準備は完全だったんだ。準備だけは、ずっと前から……」


 それにティーダは同意し、私たちの先頭に立ち、ファニアの核となる場所に入っていく。


 妙に広い部屋だった。

 だが、上にある中央療養室と似ていて、飾り気は全くない。石畳の地面があって、壁に『炎神様の御石』が並び、中央に祈りの対象が鎮座しているだけだ。


 ティーダは歩きながら、周囲の明かり全てを暗闇で覆い、中央まで歩く。

 上にあった炎神様の巨大像と同じものが、そびえ立っている。そこに長い黒髪を垂らした少女が鎖で繋がれ、顔を伏せていた。

 ぱっと見、私と同年齢ほどに見えるが、本来あるはずの肩の先と腿の先がないので正確なところはわからない。胴体には、衣服でなく妙な文字の書き込まれた包帯が巻かれている。


 鎖で繋がれ、ほぼ吊り下げられている状態だ。

 人間扱いされていないのはすぐにわかった。

 その不遇の少女に、院長さんは血塗れの手をかざす。 


「では、炎神様の拘束を解除します」


 先ほどの分厚い扉と同じように、また鎖が外れていく。

 同時に胴体の包帯も全て、腐り落ちるかのように解け、落ちていった。私は少女の裸体が晒されると危惧したが、その心配はなかった。


 解かれた包帯の中に、人の肉なんてものはなかった。

 少女の首から下は、炎だけが燃え盛っていた。拘束から解かれた瞬間、急に炎の四肢が伸びて、人の肉の代わりに地面に膝と手を突いた。


 これが『火の理を盗むもの』。

 隣にいる『闇の理を盗むもの』に負けず劣らない化け物の姿をしている。


 私が少女の姿に胸をときめかせている中、ティーダは迅速に次の行動に移っていく。


「……よし。あとはカナミだな」


 少女に近づくように、師匠を促した。

 それに師匠は頷き返し、ティーダ以上に迅速に動こうとする。


「うん。予定通り、彼女は僕が抱えるから、ティーダは《ダーク》に集中してて。逃げるだけなら、全力で《ディメンション》を使ってもいいし、あとは楽――」

「違う。これから、カナミは説得を行わなければならない」


 が、その師匠の動きと発言は否定された。

 その唐突な話に、私を除いた二人は目を丸くして驚く。


「せ、説得? ティーダ、何言ってるんだ?」

「ランズ様……? そんなものは計画になかったはずですが……」


 ティーダは戸惑う二人を置いて、一人だけで動いていく。


「説得は必須だ。なぜなら、彼女自身が助けられることを望んでいない。――おい」


 跪き頭を垂れる少女に近づき、声をかけていく。

 同時に《ダーク》と思われる暗闇を放ち、彼女の身体の炎を揺すった。『魔の毒』に精通しているからできる起こし方だ。


「おいっ。起きろ。迎えが来たぞ」


 闇に襲われ、ずっと無言だった少女が声を漏らし始める。


「……う、ぅぁあ、はッ――! あ、あぁぁあああっ……!」


 悪夢から覚める様に伏せていた顔をあげて、真っ暗な天井に向かって慟哭し始める。

 さらに、贖罪の言葉を何度も繰り返す。 


「ぁあああぁあああっ……! ご、ごめんなさい……! みんな、ごめんなさい。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい――」


 それは上にいた信徒たちと変わらない姿で、祈祷そのものだった。

 口にすればするほど、身体の炎は燃え盛り、巻き上がっていく。


「私のせいだ。全部、私のせいで私のせいで私のせいでっ、何もかも私がいたせいで……!」


 少女の瞳から炎の涙がこぼれていき、部屋の空気を焦がしていく。

 その異様な光景に、師匠と院長さんは絶句していた。


 まだ少女は泣き続ける。


「私の村が、家族が、全てが……! この『目』が、あの『使徒』たちに見初められたから……! 全部燃えて燃えて燃えて、燃えて……! 燃えて、消えた!! ごめんなさい……。みんな、ごめんなさいごめんなさごめんなさい……――」


 そして、後悔もし続けていた。


 少女は拘束がなくなっても、逃げることはなかった。生きることを放棄しているかのように動かない少女に、ティーダは話しかける。


「ぼうっとしていてもいいのか? ここに私がいるぞ」


 旧友に語りかけるような声だった。

 その声を少女は知っていたようで、慟哭を中断して、顔を天井から横に向ける。


「…………? あ、あなたはランズ家の決闘代行? ああ……。もしかして、私を始末しに来たのですか?」


 ティーダを見て、少女は笑みを浮かべながら、死を望んでいるかのような言葉を吐いた。


 その姿が少し前の師匠と重なる。多くの患者たちを《レベルアップ》で助けながらも、苦しそうに笑みを浮かべていたときと同じだ。


 だからだろうか。

 状況はわからずとも、自分のやるべきことだけは理解した様子の師匠が、会話に割り込んでいく。


「違うっ。僕たちは君を助けに来たんだ」


 そう言い切り、ティーダよりも前に出る。

 ただ、その言葉の意味が少女は理解できないようだった。


「私を助けに……?」

「うん。一緒に、ここを出よう。こんなところで、君がこんな目に遭い続ける理由はない」


 師匠は少女の火と化した手を握ろうとした。

 そこで少女は「助け」という言葉の意味を理解したようで、逃げるように手を引く。


「ありがとうございます、仮面の人。でも、私は行けません」

「行けない……? どうして?」

「この部屋から私が出れば、この街から明かりが失われます。それだけで、私がここにいる理由は十分です」

「それは……」


 私が予期していたものと同じ言葉が、少女の口から吐かれた。


 ――さあ、本題だ。


 これ・・をここで話したくて、ティーダは計画の説得の部分を隠していたのだろう。

 私は動かずに静観する。緩む口元も、きちんと引き締める。


 そして、たじろぎ黙ってしまった師匠に向かって、ティーダは話を補足していく。


「カナミ。この街の全ての幸せは、こいつの炎で成り立っている。そして、いかに『火の理を盗むもの』といえども、街から離れすぎれば、その炎は維持できない」


 師匠にとっては、あえて考えないようにしていた部分だろう。

 それが容赦なく伝えられていく。


「もしファニアが明かりを失えば、間違いなく周辺の街と同じように廃れていく。明かりだけでなく、鉄の加工手段と街の防衛手段を失うからだ。その結末を、『火の理を盗むもの』は望んでいない」


 周辺の街という言葉を聞いて、師匠は身体を震わせた。


「…………っ!」


 旅の途中に見てきた悲惨な有様の街を思い出しているのだろう。

 その心の内をティーダも読み取り、補足を続けていく。


「そうか。見て来たのなら、話が早い。いまファニアで過ごす大半の人々は、皆あの惨状から逃げてきた。逃げて逃げて逃げて、やっと見つけた場所がここ――彼女の犠牲によって、生存圏が維持されたファニアだ。カナミ、手を伸ばす前に、よく想像してくれ。やっとの思いで救われた一万を超える人々が、また絶望の底に落とされる様子を。いま『火の理を盗むもの』を連れ出せば、ファニアの生活形態は崩れ、法治は意味を失い、誰もが飢えに苦しみだし、弱者は陵辱され、死を待つだけの――あの街に戻る」


 言葉だけではない。


 ティーダは《ダーク》を広がせ、師匠の周囲を暗黒が包んでいっていた。さらには、その身体から泥を流れ出させ、師匠の足元をぬかるみで囲んでいく。

 例の《ヴァリアブル》が、いま師匠の心に干渉している。


「何より、『魔の毒』の病を緩和する手段が失われるのが、最大の不幸だろうな。あの病の苦しみは、そこにいる姫様がよくわかっているはずだ。痛みを緩和するだけでも、どれだけの人の心が救われていったか……よく考えて欲しい。痛みというのは、人の心を弱らせる最大の恐怖だ」


 私が会話にあがったけれど、師匠は視線を逸らさない。

 陽滝姉という家族がいるおかげで、『魔の毒』の病の苦しみは誰よりも深く想像したことがあるのだろう。


「しかしだ。同時に、『火の理を盗むもの』が酷く不幸なのも間違いない。なにせ、このような薄暗い地下で、炎を生み続けさせられ――もう三年近い。その間、彼女はパン一欠けらの食事すら与えられていない。実験を繰り返した末、『理を盗むもの』が生きるのに必要なエネルギーは、絶望であるとわかったからだ。彼女は延命措置という名の悪夢を、食事代わりに見せられ続けている。毎晩、自分の家族の死体を見せられ、狂うほどに後悔させられ、死ぬこともできず、喉奥から炎を吐き続ける。当然、こちらもよく考えて欲しい。そして――」


 ティーダは全力で、『火の理を盗むもの』を助けることを迷わせていく。


 その選択で本当にいいのか? と、師匠の心を振り回すように、乱雑な未来を語り切ってから、退路を断つ。


もう時間がないぞ・・・・・・・・、カナミ。いま、ここで、『答え』を出してくれ。これから、どうする?」


 私たちは敵地のど真ん中にいる。

 身の安全を考えれば、一秒たりとも無駄には出来ない状況だ。


 これがティーダの計画。


 師匠の咄嗟の本音が聞きたくて、保身を計算させる時間を取り上げたのだ。

 『闇の理を盗むもの』はよくわかっている。人の闇を引き出すのに、余裕を奪うことほど大切なことはない。


 ――そして、私とティーダが見守る中、ゆっくりと師匠は動き出す。


 師匠の反応は早かった。

 答えるまでもないといった様子で『火の理を盗むもの』に近づいて、その炎の手を今度こそ触れた。手の平が焼かれようとも、強く強く握り締める。


「な、何を――!?」


 驚く『火の理を盗むもの』を前に、師匠は『闇の理を盗むもの』の《ダーク》と《ヴァリアブル》を引きずりながら、先ほどの続きを話していく。

 

「聞いて。この街のみんなの生活は大事だけど、だからって、君が大事じゃないって話にはならないよ」


 ティーダも私も耳を澄ませて、師匠の心の底からの言葉を聞いていく。


「僕は君にこそ、この街で一番幸せになって欲しいって思ってる」


 対面の少女も、私たちと同じように師匠が本心を語っているとわかったのだろう。

 冗談でも口説きでもないと気づき、頬を染めつつも、ゆっくりと首を振る。


「駄目です……。そんな資格、私にはありません。幸せなんて、私には……」

「うん、わかってる。以前に君がやったことを僕は知らないけど、本当に資格がない・・・・・ってのは薄らとわかる。君を見てると……なんというか、すごく共感できるんだ。そこのティーダと同じで、僕たちは同じだから……」

「私たちが同じ?」


 同じ。

 第三者の私から見ても、二人が重なる時は多い。

 まるで『鏡』に映っているかのような錯覚さえする。


 いま少女も、『理を盗むもの』特有の共感を覚えているのだろう。


「でも、資格がないからって、幸せになりたいって気持ちが消えたわけじゃない……。その気持ちは何度潰したって、そうそうなくなりはしない……! 僕は、なくならなかった!!」


 その共感とやらで、師匠は『火の理を盗むもの』が自分の気持ちに嘘をついていると判断した。

 それが図星だったのか、少女は感情を表に出して、忌々しそうに反論する。


「――っ! そ、そこまでわかってくれるなら、どうして放っておいてくれないんですか……? もう私はどうしようもないんです……! 色んな人を不幸にしてきたから、たくさんの人を助ける義務がある。この強大な力を得た責任もある。だから、幸せになりたいなんて我がままは、ずっと潰し続ける必要がある。ずっとここで……!!」

「その義務と責任ってやつなら僕にもあるよ。だから、僕もいまから君を助ける。君が何と言おうと、絶対に」

「そんな、勝手な……!」


 話し合いをする気のない師匠の意見を聞き、『火の理を盗むもの』は激昂し、また手を引こうとする。

 しかし、その手は掴まれたまま、ぴくりとも動かせない。


「――っ!?」


 師匠は実体がないであろう炎の手を、掴んで離さない。


 これには私も驚きだ。

 どうやってるのだろうか。

 例の次元の力の応用だとは思うが……。


 『火の理を盗むもの』は手を払いのけたくとも、それをする力がない。

 仕方なく、言葉による反論を『次元の理を盗むもの』相手に再度試みるしかなかった。


「……もしかして、英雄気取りですか? それなら、大迷惑です。英雄ぶって、取り返しのつかない馬鹿なことをして、たくさんの人を不幸にして……いつか、いまの私みたいになるだけです! 私にはわかります!」

「かもしれない。だとしても、この手は絶対離さないよ。――僕は君を助けたい。だって、君を助けないと、上にいる人たちを助けられないんだ。助けたくても、君を知ったときから助けられない。だから、いまから、僕に君を助けさせて欲しい。お願いだ……」

「お、お願い……?」


 口論でも『火の理を盗むもの』は押し負け始める。


 そろそろ終わりだろう。

 いつかの自分と全く同じで、いま彼女の顔は真っ赤だ。

 長年牢に閉じ込められ、希望をなくし、「そういう運命だ」と自分に言い聞かせていたところで、ずっと心の底では待ち望んでいた英雄様ヒーローが助けに来てくれたのだ。その誘惑に抗えるわけはない。


 ……しかし、「助ける」でも「助けたい」でもなくて、「助けさせて欲しい」か。


 師匠が言っていることは単純だ。いま上で暮らす街の人たちを気分よく助けるには、この街で一番苦しんでいる人を先に助けないと駄目――という感情的な優先順位の話だ。


 ただ、そこには問題点が一つあると思う。

 人の顔色を読むのが得意な私から見ると、この街で一番苦しんでいるのは、師匠だ。

 間違いなく、師匠は『火の理を盗むもの』以上に、自分の気持ちに嘘をついている。いま口にした全てが、言わされていること・・・・・・・・・。それを師匠は自分で理解しているから、まだ人助けの最中だというのに、少し苦しげな顔をしている。


 私は『火の理を盗むもの』と同じく顔を赤くする。

 そして、心の中で「ああ。やっぱり、大好きだ」と呟いているうちに、『次元の理を盗むもの』と『火の理を盗むもの』の戦いは決着がついていく。


「冷たい手ですね。だとしても、離さない、ですか……。本当にあなたは、私と同じなんですね」

「そうだよ。僕たちは同じで、仲間だ」

「仲間。だから、さっきから嘘が……」


 『火の理を盗むもの』は目を伏せて、師匠が特別であることを痛感していた。

 とはいえ、まだ素直に「助けてください」とは言えないようで、可愛らしく遠ま儂に降参を認めていく。


「私は決して、幸せになりたいなんて思ってません……。けど、上にいる人たちを助ける手段が、もし他にあるのなら……。それなら、私は……」

「大丈夫、みんな一緒に助ける。まだ僕の力は完全じゃないけど、君がここを出てもよかったって思えるようにする。約束する」


 師匠は軽く請け負った。


 確かに、あの《レベルアップ》ならば、鉄の加工や明かりは無理だとしても、最低限の救済はできる。いや、もしかしたら例の異世界の知識で、鉄の加工などの問題も解決できる自信もあるのかもしれない。間違いなく、何か代案があるからこその軽さだ。


 その師匠の姿を見て、『火の理を盗むもの』は続きの言葉を止めて、「はい」と頷くしかなかった。


 これで説得は成功だ。師匠は安堵の笑みを浮かべて、顔を赤くして照れる『火の理を盗むもの』と笑い合う。


「…………」

 

 その成功の瞬間を見る最中、私は妙に心がざわついていた。手足に『魔の毒』が絡み付いているような感覚があって、不安が溢れて止まらない。

 なぜか、この約束が守れられる気が全くしなかった。この二人は、そういう運命にあって、永遠に本音が交じり合うことはないような、そんな……。



「――おめでとう、カナミ」



 拍手が鳴った。


 ティーダも笑顔で、この短時間での説得の成功を誰よりも喜んでいた。

 ただ、その表情のままで彼は、闇の魔法を――


「ここまでは、大方計画通り。だが、まだだ。ここから先が、私にとっては重要なんだ。――《ダーク》」


 解除する。

 この広い地下室に取り付けられた全ての《炎神様の御石》が闇から開放され、炎の明かりを灯していく。さらに、壁と地面の狭間にあった石の線の色も、赤から黒に変色していく。


 隠密中に決してやってはいけないことが行われ、私は殺意の目をティーダに向けた。

 それを彼は笑顔で受け止めて、明かりで生まれた新しい影に身体を溶かし、消えていった。

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