417.異世界の休暇


 結局のところ、『第七十の試練』と『第八十の試練』が終わったのは、ゲーム的に言えば「攻略する順番」を間違えたからだろう。


 最後に待っているはずだった『第百の試練』を先に終わらせてしまい、相川渦波はイベントの推奨レベルを大きく上回った。

 そして、それが『血の理を盗むもの』『無の理を盗むもの』のイベントに対する僕の姿勢を変えた。


 それを伝えられたクウネルは、明らかな不満顔を作って、渋々と頷く。


「もう好きにしたら、ええですよー。……ふーんだ。どーせ、『理を盗むもの』同士にしかわからない絆とやらがあるんですよねー? いまのは、ただのあての確認ですー」

「ありがとう。……グレンさんには色々と恩があるんだよ」


 やろうと思えば、クウネルは僕たちを言い負かすこともできただろう。

 それでも、引いてくれたことに感謝する。


「ただ、その我が侭に、あては付き合いませんからねー。吸血種の力で『血陸』に道は作りますが……、気分悪くなったら、すぐ帰りますから! あてがやるのは、出来る範囲までです!」

「うん、わかってる。自分の出来る範囲で頑張るのが、今回の計画の一番大事なところだからね」


 クウネル同行の一番の目的は、その種族特性だ。


 『樹人ドリアード』が木々を操れるように、『吸血種』は血を操れる。

 それは魔法や術式ではなく、種族としての『生まれ持った違い』の力にあたる。


 それと単純に、クウネルは千年の自堕落ブルジョワ生活の中、趣味の旅行を繰り返しているおかげで、あらゆる時代のあらゆる地理に詳しい。

 とことん彼女は『血陸』攻略に向いている人材なのだ。


「じゃあ、グレンさんと接触してから、真っ直ぐ最終目標に向かって進むということで……。そのあと、最終目標での『血の理を盗むもの』との戦いでは、まず『ヘルミナさんの心臓』を奪って、その魂に魔法《シス》は説得を。内容は、以前に伝えたとおり、『五段千カ年計画』を中心に、『血の力』の積み重ねが世界を変えたことを教えてあげて欲しい。ヘルミナさんと知り合いだったクウネルとセルドラは、そのシスの補助を」


 そこで僕はシスに目を向けたが、まだ彼女は腕を組んだままで「くーくー」と寝息をたてていた。


 なので、クウネルとセルドラの二人とだけ頷き合って、話を進める。


「その間、僕は心臓を失ったファフナー君を――いや、第一魔障研究院の『霊人』ファフナーを、完全に抑えつける。一応、こっちでも色々と説得するつもりだけど、あんまり期待しないで。『未練』を解消できるのは、たぶんヘルミナさんだけだから……」


 もうわかっていることだが、ファフナーという青年は『血の理を盗むもの』の代理でしかない。


 ゆえに、彼に心の罅はなく、『未練』だってない。

 『呪い』もなければ、ずっと正気。

 その上で、ファフナーはああ・・なのだ。


 だからこそ、彼は僕が担当する。

 その責任がある。


「予定通りに進めば、ヘルミナさんは『未練』の解消によって『魔石』に。ファフナーは『血の理を盗むもの』の代役から、ただの『魔人』に戻る。『血陸』から解放された地域は、フェーデルトさんたちの指揮する軍隊で占領。……ただ、もしも作戦が失敗しそうになったら、そのときは無理をせずに撤退して、また作戦会議からやり直そう」


 そこまで話したところで、じっと聞いていたセルドラが頷き、一つだけ付け足す。


「ああ、オーケーだ。ただ、そうなったときは、次はスノウたちが『血海』へ行くことになるな。作戦失敗した俺たちには、もう止めることも、偉そうなことを言える権利もない」

「……そのときは、『二次討伐隊・・・』に――ディア・マリア・スノウ・ライナーたちに交代だね」


 そこで、最後まで話を清聴していた護衛の騎士に目を向ける。

 ライナーは「そこだけは譲れない」という風に、無言で頷き返した。


「もちろん、そうならない為に僕たちは準備してきた。一度目の『一次攻略隊』で、絶対に成功させよう。ここにいるみんなの力なら出来るって、僕は信じてる」


 そう言い締め括った。

 すでに細かい部分は決め終えていたので、思ったよりも短く済んだ。


 『元老院合議室』に静けさが満ちていく。

 『元老院』の機能の大半を担っていたクウネルとセルドラの二人が黙ったことで、新しい意見が全く出てこなくなった。


 僕は周囲の顔を見回して、この話し合いで一度も発言しなかった人に声をかける。


「……えっと、ディプラクラさんは何かあります? 質問とか提案とか」


 ずっと厳しい顔の前で両手を組んでいた使徒は、ゆっくりと息を吐きながら答える。


「儂の望みは、おぬしが全ての『理を盗むもの』の魔石を集めること。その後、元主もとあるじを交えて、今後の世界の話し合いをすること。それだけだ。逆に言えば、元主と接触するまで、儂から言うことは一切ない」

「……なら、本当は、いますぐ『最深部』に向かって欲しいんじゃないんですか?」

「お、おぬしなあ……! そうじゃ! わかっておるのならば、早く行けい! だんだんとティアラ・陽滝の二人に似てきておるぞ、カナミよ! わかっておきながら泳がせるなど……昔は、そんな子じゃなかったじゃろうに!? くぅっ……!!」


 冷静に努めているようだったが、僕が彼の本心を突くと、すぐに崩壊してしまった。


「優先順位があるので、すみません。ファフナーは千年前から、本気で僕に助けを求めてるので……。というか、その順番の話し合いを、いましてるんですって。不満があるなら意見として言ってくださいよ」


 できるだけ軽い空気を演出して、忌憚のない議論ができるようにしているのは、こういった不満を溜めないためでもある。

 だが、その演出と気遣いを、ディプラクラさんは笑う。


「ふっ、ふっふっふ……、ふう……。儂はもう、おぬしの逃げ道を塞ぐことだけに集中する……。必ずおぬしには、この世界の『救世主』になってもらう。世界復興が終わり、セルドラとファフナーが終われば、あとは元主のノイ様しかいないのじゃからな――」


 そう溜息と共に意見して、口を閉じた。

 それに僕は頷き返して、ディプラクラさんが今回の計画に興味がないことを受け止める。


「えー、じゃあ、ディプラクラさんは計画に全面的賛成ということで」


 そう勝手に決めて、さらに僕は席を見回した。

 もう反対意見が出そうにないのをセルドラも見て取り、大きな溜息をつきながら終わりを宣言していく。


「これで、話し合いは終わりだな……。大事な最終確認とはいえ、今回の話し合いは必要なかったかもな。で、終わりなら、いまから『ファフナー・ヘルミナ確保計画』前の休暇期間に入るわけだが――」


 話し合いは終わった。


 そして、前々から決まっていた時間に入っていく。

 先ほどディアと話していた例の休暇期間だ。


 これから、僕たちは各々で三日間の自由時間を過ごす。

 それはボス戦前のセーブ+宿屋での完全回復に近いと思っている。

 すなわち、ゲーム的に言えば、必須事項。だが、それをセルドラは――


「カナミ。休暇期間なんて、本当にいるのか? 復興作業で使った魔力なら、一晩で回復する。ベストコンディションを作るという話とはいえ、三日は時間を取りすぎだろう?」

「決まった日に『血陸』を解決するって、かなり前から『南北連合』所属の各国のみなさんに伝えてあるからね。向こうの準備とかもあるんだよ」

「……ああ。いきなり『血陸』がなくなっても、取り合いで困るってことか。それは確かに、そうか」


 もちろん、この悠長な休憩で、『血陸』による犠牲者が増えないとは言わない。


 しかし、誰一人犠牲を出さないというのは……、現実的ではない。

 陽滝戦を思い出せば、いつだって犠牲となった大切な人の笑顔が浮かぶ。


 だから、「まだ難しい」と諦めて、いまできる万全を僕は尽くすつもりだ。


「それにMPは回復しても、気力とか体力とかは別の話だからね。気持ちの余裕を作っておくのは、大事なことだよ。僕は『理を盗むもの』戦のプロだから、信じて信じて」


 嘘は、ない。

 セルドラは少しだけ悩みつつ、納得した様子で答える。


「む……。いわゆる、TP・SPってやつか? いや、行動ポイントか? 確かに、大事ではある」

「うん。それそれ。それの回復をしないと」


 何気なくセルドラに返事をしつつ、僕は――心の中で、密かにガッツポーズをとる。


 ……TP・SP!!


 いまセルドラは、とても自然にテクニカルポイント・スタミナポイントという意味で、TP・SPというゲーム用語を使った。

 それは僕の全スキルをフル稼働させた布教が成功して、セルドラが僕の世界の文化を理解し始めた証明だった。


 セルドラがサイエンスフィクションに興味を持って、異世界の書物を欲しがったときに――SF要素の混じったファンタジーラノベやTRPGのルールブックをさりげなく紛れ込ませた甲斐があった(まだセルドラはエンターテイメント慣れしていないので、気づきようがない)。

 このまま、ファンタジー系のライトノベルに少しずつ抵抗感をなくさせて、おすすめ王道RPGを彼にもプレイさせて――いや、まだ焦ってはいけない。


 重要なのは、自然にセルドラ自身が望むことだろう。

 そして、受動でなく能動であること。

 物事を押し付けられることで発生するブーメラン効果的な『無意識の反作用』『精神の適応』は、決して侮れない。


 なにより、自分の力でお宝を発見したからこその特別感・運命感というものもある。

 ゆえに、これからセルドラは僕の入念な刷り込みの結果、偶々ファンタジー系を目につけて、偶々ハマってしまい、偶々僕と趣味が同じになる――それが肝要なのだ。


 そういう運命を作るためならば、僕は鍛錬に鍛錬を重ねた『紫の糸』をフル活用するつもりだ。


 セルドラは必ず、僕と同じファンタジー好きにする。

 彼はファンタジー生まれのファンタジー好き第一号……!

 正直、こっちの世界だと、ゲームや漫画の話ができなくて、ちょっと寂しい! ゲーム的なジョークが通じないときもあるし……!!


 ――と、僕が『セルドラ攻略』に燃えていると、解散の空気を感じ取ったフェーデルトが額の汗を拭いつつ、僕に提案する。


「……ふふっ、カナミ様。休暇中に、連合国をご覧になるのをおすすめしますよ。その黒き仮面の力を強めれば、一市民として体験できることでしょう。自分のなした政策で豊かとなった街を歩き、市民の笑顔を見て回るというのは……裏方冥利に尽きます」

「それは……、いいね。すごくいい。たぶん、それがこの二ヶ月の一番の報酬になると思う。楽しみにしてるよ」

「ええ。かの女傑たちと共に、存分に平和という報酬をお楽しみくださいませ」


 なんだかんだで僕は、陽滝との戦いを終えたあとも、ずっと働きづめだった。


 それだけの被害を『異邦人』は、この『異世界』にもたらしていた。

 なので、平和を噛み締めるという作業は、この休暇期間が初めてとなる――のだが、その報酬という言葉が出た瞬間に、円卓から大声があがる。


「報酬!! 報酬と言えば、会長! ちゃんと覚えていますか!? いまから休暇という話ですが、それは私への報酬を支払う絶好のタイミングでもあるとも、思いませんかねぇー! ねー!?」

「……うん。覚えてるよ、一応」


 僕に残業を求めるクウネルの声だった。


 それは死ぬ前の僕が「ヴィアイシア国を守って欲しい」と彼女に頼み、それに「これは大きな貸しですからね」と了承した契約。

 報酬を彼女に支払う義務が、クウネルの雇い主の僕にはあった。


 できれば、もう少し後回しにしたい。

 だが、何度も「ねー! ねー!」と跳ねるクウネル相手に、誤魔化しは効きそうになかった。


「これは雇用契約ですよ、契約ー! 忘れられる前に、果たしてもらいます! いま、一応とか言って、そこはかとなく踏み倒しの香りを感じましたし! 今日っ、いますぐ!」

「……うん。わかってるわかってる。えーっと、お願いは、僕と一緒に『元の世界』で買い物だっけ?」

「確認させて頂きますが、これはヴィアイシア国を守った分ですから。一つ目のお願いに過ぎません。つまり、『南北連合から陽滝さんとの戦いを援護した分』と『いま南北連合国を管理している分』は別にありますからね!」

「ちっ。……うん。それも、ちゃんとわかってるよ。これでも僕は『契約』や『取引』には煩いんだ。これもプロと言っていい。その僕を信じて」

「わーい、やったー! なんか頷く前に、舌打ち聞こえたような気がするけど、やったー! 約束を守れないプロの会長に、約束を守らせてやったでー! 見たかー! あて、素直にすげー! というか、千年振りに会長と買い物! しかも、念願の『元の世界』で! 無駄に歴史的ー!」


 その気が抜ける声を聞いて、本格的に休日が始まったことを実感する。


 これも復興計画の延長……いわば残業だが、半分プライベートのようなものだ。

 僕は今日まで保っていた仕事モードを解除して、身体から力を抜いていく。


 それは僕以外の面子も同じだったようで、それぞれが肩の荷を降ろした表情で自由に動き出す。そのとき、席に座ったままのディプラクラさんが、すぐ近くのフェーデルトに世間話の体で話しかける。


「おお、そうじゃ。フェーデルトよ、儂は『渦祝カホウリの日』なるものを作ろうと思っておるのじゃが、どう思う? 渦波の奇跡に感謝する日じゃ。決して悪い案ではないと思うぞ」

「ふーむ……。そうですね、ティアラ様への信仰上、ずっと暦には手をつけることは出来ませんでしたが、いまならば可能でしょう。苦しい転換期に、国が祭日を増やすのは、むしろ常套手段。タイミングも、大変よろしいかと。なにより、私個人として推しているカナミ様の地位向上は望むところです」

「うむ。やはり、現役のおぬしが居てくれると助かるな。話が早い」

「ただ……、いま現在、そこで我々を睨んでいるお方の了承が必要な気も……」


 じっと二人を見つめている僕を見て、フェーデルトさんは言葉を濁らせた。


 対してディプラクラさんは涼しい顔で、「構わぬ、構わぬ」と話を進めようとする。

 明らかに、さっきの『ファフナー・ヘルミナ確保計画』よりも、こっちの世間話の振りをした『新暦の改編計画』がメインで、ディプラクラさんは話し合いに出席している。


「そういう話は、僕の居ないところでしてください……。というか、普通に止めてください」

「しかし、どこで何を企んでおっても、おぬしは見抜くじゃろうて。あの陽滝やティアラと同じくな。ならば、どこで話しても変わるまい」

「だからって、目の前で話されたら……。もし、ここで僕が止めなかったら、僕公認ってことにする気でしょう?」

「うむ。そうするつもりじゃな」

「うむって……、ディプラクラさん……」


 千年前に大敗北を喫したディプラクラさんだが、現代いまだと少し自棄やけになっているような気がする。


 どれだけ地道に「世界を救う」という使命を頑張っても、陽滝・ティアラといった規格外の気分次第で計画が崩れるとわかってしまったからだろう。

 以前の慎重さと入念さが、全く感じられないのが色々と物悲しい。


「カナミよ……。どうせ、いま儂が何を考えているのか、おぬしには『糸』とやらでわかっておるのじゃろう?」

「『糸』は危ないから使わないって、ずっと言ってるじゃないですか。ラスティアラとノスフィーの二人に誓って、【使徒ディプラクラのプライベートは一切視ていません】。……それに、もし心を読んでいたとしても、わかった気になるのが一番危ないことなんです」


 確かに、陽滝のように「他人の思考を読む」のは、いまの僕ならば可能だ。

 だが、それは《ディメンション》と同じで、容易に他人へ向けて使っていいものではないだろう。

 なにより、いくらでも穴がある。


「殺人鬼ラグネ・カイクヲラのように、自分で自分を騙せる人もいます。『理を盗むもの』のように、自分のことをわかっていない人の思考を読んでも、逆効果となるでしょう。そこのクウネルのように、読まれる前提で僕を利用してくる人だっています」


 あとは事情を知らない子供を送り込んだり、洗脳を上手く利用したり、自分自身で勘違いしてみたり……というか、過去の僕が常にそういう状態だったから、兄の心を完全に読めていると信じ込んでいた陽滝は、ティアラに負けたのだ。


「ふっ……。それはつまり、おぬしに油断は無い。もう隙は一切ないということじゃろう?」

「えぇ……」


 僕は他人の読心をしない理由を『世界の理』を交えて並べたつもりだったが、ディプラクラさんは逆の意味で捉えてしまっていた。


 個人的にだが、シスの精神こころが真っ当に成長した分、ディプラクラさんは変に拗らせてしまった気がする。

 陽滝・ティアラのせいで、完全に疑心暗鬼の沼に沈んでいる。


 それと、千年前の僕とディプラクラさんの友情の希薄さに、ちょっと泣けてくる。

 昔は、もうちょっと仲良くて、心通じ合ってたと思うんだけどなあ……。

 操り人形同士だったとしても、かなり気が合ってたし……。


「……はあ。もうディプラクラさんの好きにしてください。僕は知りません」

「ああ、儂は好きにする。好きで、渦波を主とさせてもらうぞ。かつての主ではなく、おぬしをな。儂はおぬしの為ならば、命を尽くせる……」


 そう言って、ディプラクラさんはフェーデルトと共に、堂々と相談の続きをしつつ『元老院合議室』を退出していった。


 最後の台詞から、いまディプラクラさんは僕と壁を作っていても、誰よりも僕を狂信しているとわかる。

 あの陽滝との戦いを終えて、誰よりも先に会いに来た彼は、何があっても相川渦波の味方であり続けるだろう。――『約束の日』が来るときまで。


 その生真面目すぎる使徒の背中を見送ったあと、僕は部屋の護衛者であり僕に仕える少年騎士に問いかける。


「ライナーはどうする? もう仕事はないけど……」

「確認する。これから、キリストは休みなんだな? 期間中、自宅で休むのか?」

「いや、大体は外にいると思う。みんなと約束してるからね。買い物をしたり、遊びに行ったりとかするよ」

「……なら、このまま、あんたの傍についておこう。復興した街を炎上させない為にもな」


 逡巡なく、ライナーは答えた。


 前から思っていたが、彼は「騎士というものは、公私共に尽くすべきだ」と思っている節がある。

 最近は僕の影に隠れているが、彼も僕に負けないほど仕事中毒ワーカーホリックだ。でないと、僕と全く同じ業務を平気な顔でこなせはしない。


 しかし、今回だけは休んだほうがいいと、僕の代わりにクウネルが返答していく。


「い、いやあ……、止めたほうがいいよぉ。ライナーちゃんよーい」

「……なんでだ?」

「君と違って、マリア様とかは会長と久しぶりに会うんやぞ? そこに君が交じってたら、かなり不機嫌になるのは間違いないぞぉ……。最近のマリア様やディア様は大人しめだから、あんまり突っついて欲しくないというか……。君らの仲がいいのは知ってるけど、街が炎上するとしたら、それは君が原因になる可能性のほうが高いでぇ……」


 セルドラ相手には強気だったクウネルが、ライナー相手には下手に懇願する。

 その意味を彼は理解して、今度は逡巡の後に頷く。


「そうだな……。余り、褒められたことじゃない……。休みの間くらいは、キリストから離れることにしよう。僕にとっても、久しぶりの休みだ。実家に顔を出して、姉様の様子でも見ることにするか」


 渋ると思ったライナーだったが、「ふうっ」と一息ついて、あっさりと引いた。


 自分がいない間は、クウネルやマリアが騎士の代役を勤めるとわかったからか。

 それとも、男女の邪魔は褒められたことじゃないと、本気で思っているからか。

 後者であるとわかったが、僕は何も言わないでおく。


 それよりも、ヘルヴィルシャイン家への里帰りのほうが、僕は気になった。

 思えば、まだ一度も僕はライナーの家に行ったことがない。

 ライナーだけでなく、あの亡きハインさんとも、これから会うファフナーとも縁のある家だ。


 ライナーの雇い主として、一度ご挨拶に伺うのもいいかもしれない。

 これから僕は、ライナーの時間の大半を貰い受ける可能性が高い。彼ほど僕の騎士に相応しい人物はいないので、早めに権力を振るって、外堀を埋めておきたい。


「――キリスト。うちに来るなよ。絶対に来るなよ」


 ただ、その案に対するライナーの声は、非常に低く、冷たかった。

 表情から考えていることを読まれた僕は、目を逸らしながら敬語でとぼける。


「ま、まだ一言も行くとは言ってませんけど……」

「悪寒が――いや、『悪感』がしたんだ。絶対に来るな」

「いや、本当にちょっとした挨拶のつもりだよ? それでも?」

「それでもだ……。最近のあんたは、姉様を見る目が優し過ぎる。優し過ぎて、困るから……。絶対に来るな」


 ライナーは理由を口にした。


 その姉様とは、かつてのスノウのパーティーリーダーであり、『火の理を盗むもの』アルティの友人であり、ティアラが『再誕』する際に重症を負って、最近では《冬の異世界ウィントリ・ディメンション》と同じようにディアの親友となってくれていて――この時代の最初期の知り合いでありながら、ずっと僕が避け続けていた女の子フランリューレ・ヘルヴィルシャインのことだ。


 僕が彼女を特別扱いする理由はわかっている。

 喋り方だ。

 無意識ながらも、ずっと僕はフランリューレという女の子から『元の世界』の幼馴染である『水瀬湖凪』を感じ取っていたのだろう。


 だが、僕は陽滝との戦いを終えて、幼馴染の死の真実を手に入れた。

 何も問題はないと、自分自身では感じているが――


「そんなに態度が違うかな……?」

「ああ。違い過ぎて、姉様が勘違いする……。いや、ずっと勘違いしてるんだけどな。勘違いに勘違いが重なって、濃縮した勘違いが大事故を起こす。それでもいいなら、来たらいい。ただ、そのときは、まず門で僕と決闘だ」


 ライナーは真正面から拒否した。


 決闘してまで、訪問するつもりはない。

 なにより、彼の判断を僕は信頼している。


「なら、ライナーが大丈夫って思うまで、やめておくよ。まだ僕は自分でわかってないだけで、陽滝や湖凪ちゃんのことを整理し切れてないんだろうね……」

「そうしてくれると助かる。まだあんたにも姉様にも、時間が必要だ。ゆっくりと休む時間がな……」


 それを最後に、ライナーも『元老院合議室』から退出し始めた。


 ただ、その途中で動きを止めて、少しだけ思案してから、まだ席に座ったままの使徒に「終わったぞ」と声をかけた。

 すぐにシスは「眠ってないわよ!」という大声をあげつつ立ち上がり、きょろきょろと周囲の様子を見て、話し合いの終わりを察する。


 そして、ライナーとシスは、やってきたときと同じように些細な口喧嘩をかわしながら一緒に退出していく。


 何かと隙の多いシスに気を遣ってくれるから、ライナーは本当に優秀な騎士だ。


 こうして、大部分の出席者がいなくなり、また部屋は静まり返る。

 本来の神聖な空気が漂い始める前に、まずクウネルが開口する。


「あ、あのー……、セルドラ総司令代役代理殿? 聞いてました? あて、これから会長と一緒に、『元の世界』へ買い物に行くんやけど……」

「ああ、同行させてもらう。『元の世界』には俺も興味があるからな」


 それにセルドラが即答し、クウネルには珍しく青筋を浮かべた笑顔で怒りの声を発する。


「はあ? クソトカゲさん? あなた、空気読めないって言われへん?」

「言われたことは……あるな。だが、心配するな。すぐに俺は別行動を取る。一人で歩くのには、もう慣れてるからな。――古代魔法《フライ・ロスソフィア》」


 唐突な魔法発動に、クウネルは身構える。


 しかし、その効果は攻撃でなく、術者の身体の変異のみだった。

 徐々にセルドラの尾が縮み、竜人ドラゴニュートとしての特徴が全て消えていく。さらに目と髪の色が、墨汁を垂らすかのように染まった。顔の傷跡も綺麗に治っていき、これから向かう場所の環境に『適応』した日本人となった。

 そのセルドラに向かって、僕は『持ち物』から、彼用の大きめの服を投げる。


「はい、セルドラ」

「助かる」

「やっぱり、似合うね。かっこいい」


 受け取ったセルドラは、慣れた動きで日本製品の衣服に袖を通して、長身の日本人男性に化け切った。


 その体格の良さから目立つのは避けられないだろうが、彼を見て頭に浮かぶのは「格闘技者」か「スポーツ選手」くらいだ。

 異世界人どころか外人と思われることもないだろう。


「――んなぁっ!?」


 その変身にクウネルは驚きの声を上げた。

 彼女が注目したのは初見の古代魔法《フライ・ロスソフィア》の擬態能力――ではなく、いま僕から手渡されたものだった。


「ふ、服! それ、服やん! えっ、会長、あてにはないんです!? 異界の服!!」

「えっ? クウネルの服は……ないかな?」

「くゎぁああいちょぉおおううう!? むっさいトカゲ男に服をプレゼントしておいて、女の子にはないとかあ! ほんま、そういうとこやでえええええ!!」

「いや、なくはない。なくはないんだよ。ほ、ほらっ、クウネル」


 『演技』ではなく、本気でクウネルが怒っていることに驚き、僕は慌てて答えた。

 そして、僕は被っていた仮面を外して、彼女の頭の上に乗せる。


「って、えぇえ? ……二重の意味で驚きです。これ、『闇の理を盗むもの』ティーダ・ランズさんの魔石ですよね?」

「僕は自前の服があるから、クウネルが向こうの服を手に入るまで、それで誤魔化してて。ティーダも僕の仲間なら大丈夫って言ってくれる。――魔法《シフト》」


 僕は次元魔法の応用で、『持ち物』の中にある異世界に迷い込んだときの『異界の服』と『闇の衣』を一瞬で入れ替えた。

 これで『次元の理を盗むもの』カナミでなく、日本生まれ日本育ちの相川渦波だ。


「会長、ありがとうございます……。これで私は、いつもの会長と同じように――」

「うん。これでクウネルは『元の世界』の街を歩いてても、『異邦人』とも『吸血鬼』とも疑われることは絶対になく、必ず『可愛いコスプレ少女』として扱われる。あっ、あの子すごいー、かわいいーって感じに」

「いや、そこは一般市民として紛れ込みません!? 『闇の理を盗むもの』の魔石なんだから、そのくらいできるって、あては知ってるんやでぇー!!」

「知ってたか……。確かに、仮面にお願いしたら、ちゃんと応えてくれるよ。でも、想いが届かないと反応してくれないから、そこは気をつけて」

「はぁっ、はぁっ……、ツッコミに疲れてきました……。最近の会長は、魔王様に……いや、ティティーお姉さんにも似始めて、少し困ります……」

「ははは」


 似ている。


 嬉しい言葉を聞いて、僕は頬を緩ませた。

 もっとティティーらしくクウネルを弄ってやろうかと、やる気が湧いてきたけれど、それはセルドラに止められる。


「カナミ、遊ぶなら向こうでもできる。さっさと移動しよう」


 明らかに『元の世界』を楽しみにしている表情で、僕を急かした。


 そして、すぐ隣でクウネルが「ぬぬぬ……! あては吸血種じゃなく一般少女、一般少女……。魔法なんてない日本生まれ日本育ちのどこにでもいるクウネルちゃんに、へーんしーんー!」と魔法少女変身シーンの逆バージョンを行なっているのを見ながら、魔法を唱える。


「うん、わかった。行こう。――魔法《リプレイス・コネクション》」


 それは最上級の次元魔法であり、陽滝から受け継いだ魔法。

 《コネクション》《ディスタンスミュート》といった燃費の悪い魔法よりも、さらに凶悪な魔力消費と共に、ずれる・・・


 空間に次元の魔力が満ちた瞬間、大きな魔法の『切れ目』が生まれ――瞬きの間に呑み込まれて、視界の色が反転した。


 『元老院合議室』にいる僕たち三人は、別の次元にある別の部屋まで、跳ぶ。

 クウネルとセルドラにとっては『異世界』で、僕にとっては『元の世界』と呼べる場所へと――


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