375.冬の異世界

 魔法の『過去視』が遠ざかっていき、徐々に本来の自分の感覚が戻っていく。

 そして、まず最初に感じるのは、いつもの冷気。


 ――冷たい。


 その一言が目覚めの合図であると、繰り返してきた僕にはわかっていた。


 肉体が凍り切っている感覚。

 肉の代わりに氷塊が詰まっていて、血の代わりに冷水が巡っていく。

 これ以上の寒さはないと思うのだけれど、氷より冷たいものが頬に当たって、すぐに考え直させられる。


 とても冷たくて――でも、とても柔らかいものに、いま僕は触れられた。


 反応して、ゆっくりと瞼を開ける。

 眼球に広がる眩しい光。色のついた視界。

 心配そうに覗き込む妹の顔が、目の前にあった。


「陽滝……? ああ……」


 さらに手を伸ばし、右手の指先で僕の頬に触れていた。

 それが目覚めのとどめであったと理解して、僕は一呼吸つく。


「おはようございます、兄さん。少しうなされていたので、慌てて起こしちゃいました。外から帰ってきたばかりなので、指……冷たいでしょう?」

「うん、びっくりしたよ……。冷たすぎて、本当に」


 くすりと笑いながら陽滝は手を離し、僕は身を起こす。


 そして、周囲の状況を確認する。

 まず自分がベッドに寝ていたとわかる。周囲にはソファーなどといった最低限の家具のみ。見知らぬ部屋――ではない。見慣れない部屋だったのは確かだが、ここがどこなのかはわかる。かつて僕が購入した貸家で、いまはマリアとスノウが住んでいる家。おそらく、ここはスノウが使っていた部屋だ。


 この家での最後の記憶は、『過去視』の魔法をキッチンで使ったところまでだ。

 そこで僕はMPを限界まで使い果たし、そのまま倒れてしまったのだろうか。

 軽く『表示』で確認する。



【ステータス】

 名前:相川渦波 HP――/―― MP3567/3567 クラス:



 MPは回復している。

 そのことから、最低一晩は経っている。


 僕は重く冷たい頭に手を当てながら、挨拶を返していく。


「おはよう、陽滝」

「……はあ。はっきりと話せるほど回復してよかったです。とはいえ、まだ本調子じゃないようですね。限界まで『過去視』をして何日も寝込んでたので、無理もありませんが……」


 とても心配そうに僕を見ながら、少し説明口調で状況を教えてくれる。

 どうやら、今度はそういうことになっているらしい。


「それで兄さん、アルティの記憶はどうでしたか?」


 そして、やっと話せるようになった――ことになったらしい僕に、陽滝は『過去視』の感想を聞く。

 その少し的の外れた問いに、僕は同じ言葉を繰り返す。


「アルティの、記憶……」


 そんなもの僕は視ていない。

 僕が『過去視』で視たのは、ティアラの記憶だ。


 確かに、僕は陽滝と少し前に、アルティの記憶を追うという話をしていた。

 だから、そう勘違いをするのは無理もない。


 ただ、その合理的な見解とは別に、あの完璧な陽滝が・・・・・・・・勘違いしている・・・・・・・ということに、激しい違和感を覚える。


 さらに、もう一つの違和感にも気づく。

 綺麗に・・・記憶が継続している・・・・・・・・・


 この『冬の世界』に戻ってきて、寝て起きたというのに、記憶がはっきりしている。

 本当ならば、もっと僕は色々なものを欠落させられて、ありもしない記憶を付け足されて、陽滝にとって都合のいい状態になっているはずだ。


 ――その違和感を、すぐに僕は頭の隅に追いやる。


 不思議と冷静だった。

 半自動的に、いままでの戦いの全てが総動員されていた。


 今回と似たケースは、過去にラウラヴィアの『舞闘大会』準決勝のあとにリーパーと戦ったときだろう。

 いま僕の身体のどこに、どれだけの、どんな『繋がり』があったとしても、決して相手に伝わらないように、自分をコントロールする。


 もちろん、心拍も体温も平常のままだ。

 目線も呼吸も、いつも通り。

 仕草も癖も含めて、何もかもフラットに保つ。

 変わらない微笑を浮かべて、ゆっくりと答えていく。


「うん……。視たよ。アルティの記憶は、本当に凄まじかった……。まさに、あれは『煉獄』だったと思う。血と肉を薪木にされて、燃え尽きていくばかりの人生。特に、ロミスのやつに裏切られて、暗い地下室で一人苦しみ続けたときは、本当に絶望的で……とても悲しかった」

「アルティは生まれからして、少し詰んでいる部分がありましたからね。スキル『炯眼』を持った彼女は、どこに居ても何かしらの災厄に巻き込まれていたでしょう。そして、最悪だったのは、死に際に使徒たちと出会ってしまったこと。あの悪魔のような取引を跳ね除けるのに、あの日のアルティは余りに幼すぎました」


 …………。

 アルティが『火の理を盗むもの』となる瞬間を、僕は視ていない。


 けど、話を合わせる。

 『ティアラ』という外伝小説を読んだだけだが、僕は『アルティ』の物語の中身を――知ったかぶる。


「そうだね。あのときのアルティは、激痛で意識が朦朧としていた。あの致命傷で、まともな判断なんて普通できやしない……。そんな当然のことをディプラクラたちが、理解さえしてくれていれば……」

「あの頃の使徒たちは、本当に未熟でした。状況によって、人の意思や信念なんて簡単に揺れ動くことを知らなかったのでしょう。……仕方ありません」

「仕方ない、か……。そうかもしれないけど、どうしても思うよ。あのとき、あと少しだけ、世界がアルティに優しかったら……。彼女は不運なことが多すぎる。あのとき、ティーダが近くにいたことも含んで」

「確かに、あの男さえいなければ、ロミス・ネイシャの暴走もありませんでしたからね……。でも、兄さん。アルティの人生は不運だけではありませんよ。――だって、兄さんが来てくれましたから」

「ああ……。僕が来て、彼女は地下から抜け出した……」

「ふふっ。そのときのアルティの感動は計り知れませんね。絶望の最中、物語の『英雄』のように現れた兄さんに、どれだけ彼女が救われたか……。その話を彼女から聞いたとき、興奮しすぎて何を言っているのかわかりませんでしたよ」

「僕がロミスを倒して、ファニアが『呪い』から解放されて、アルティは救われた……」

「ええ、全て兄さんのおかげで」


 千年前、僕はアルティを救った。


 あのファニアでの物語は、アルティ視点だと何の引っ掛かりもない王道で、『行間』を疑うことすらない完璧な英雄譚だったことだろう。

 アルティは僕を『英雄』のように見ていたし、あそこから僕の『救世主』や始祖としての伝説が始まるのも、間違いない。


 ――けれど、実際は違うと知っている。


 ティアラの視点だと、僕の姿は本当に歪だった。

 姿は人だったとしても、心は恐ろしく不安定で、本当に気持ちの悪い『化けもの』だった。


 あそこから僕は、他人の『理想』を写すだけの存在となり、『次元の理を盗むもの』としての新たな道を歩み出していくのだろう。


「そのあとも、色々とアルティは不幸に見舞われましたが……それでも、千年後に彼女は辿りつきました。『忘却』していた本当の自分を見つけ、その身を縛っていた『未練』を果たし切った」

「千年後に守護者ガーディアンとして呼ばれて、僕やマリアと出会って……。アルティは見つけた……」

「『理を盗むもの』たちの『呪い』が解かれた千年後では、『忘却』したはずの記憶が少しずつ返ってきて、大いに混乱したでしょうね。しかし、彼女は乗り越えた。確かに、『火の理を盗むもの』は最期の最後に見つけたのです。――『マリア・・・という・・・真実・・


 いま陽滝は、とても重要なことを口にした。

 言葉の端々から意味を読み取り、『真実』の推測はできる。


 しかし、いまの僕は一言も間違えられない。

 口数を少なく、感想だけに留めていくしかなかった。


「ああ、本当に良かった……。アルティも、マリアも……」

「確かに、マリアさんもですね。いわば、いまの彼女は、永遠に別たれることのない真の理解者を得た状態です。ちょっと羨ましいです。どちらも、生まれ持った違い――『スキル』を乗り越えて、幸せを手にした。……はあ」


 最後に陽滝は大きな溜息を一つつき、話に一区切りつけた。

 その隙を突いて、すぐさま僕は話題を移す。


「それで、そのマリアは……? スノウも……」


 僕は軽く目を彷徨わせて、他の仲間たちの居場所を問いかける。

 それを聞いた陽滝は、少しだけ身体を硬直させたあと、僕と同じようにいつもの微笑で答えていく。


「――もういませんよ」


 そのとき、少しだけ部屋の冷気が強まった気がした。

 そして、陽滝は部屋のテーブルに近づき、その上にあった手紙を手に取り、ベッドにいる僕に手渡す。


 読まなくても、内容はわかる。

 けれど、手紙に向けて目を彷徨わせて、要点だけはきっちりと纏めていく。


〝――だから、これからは本土でスノウさんと二人、頑張っていきたいと思います。少し日程は早まりましたが、ウォーカー家代表の仕事はとてもやりがいがあります。もう不安はありません。カナミさんに手を握ってもらえて、あの日に言えなかったこともちゃんと言えましたから。……スノウさんのほうも、私と同じで、とても調子が良さそうです。カナミさんの前だと甘えん坊ですが、みんなの前だとカリスマ溢れる大英雄スノウ様です。次に帰ってくるときには、カナミさんの隣に立てる立派な女性になると、ずっと私の隣で息巻いています。カナミさんは心配性なので、色々と不安かもしれませんが……安心してください。本土にはディアさんもいるようなので、色々と助け合いたいと思います――〟


 という風に、手紙には去る理由が書かれていた。

 それを僕が確認したあと、陽滝は懐から一つの鍵を取り出す。それはかつて、この家で僕が使っていたものと全く同じものだった。


「去り際に、家の鍵を貸してもらいました。人が使ってないと、すぐ埃が溜まって掃除が大変になるって言ってましたから。……もしかして、これも寝込んでて、覚えてません?」

「ああ……、そうだった。そんなことを言われたような気がする」


 僕は寂しそうな顔を作りつつ、はっきりと頷いた。

 『去っていく仲間たち』に関しては、ディアがいなくなったときから陽滝とは利害が一致している。

 無理に話の流れに逆らって、いつもの僕と違うと気づかれたくないというのもあった。


「兄さん、二人がいなくなって寂しいのはわかりますが……。そんな顔をしないでください。見てください。ほらっ」


 僕の表情を見た陽滝は、近くの窓まで近づく。

 そして、勢いよく窓を開け放ち、微笑と共に教えてくれる。


「――聖誕祭です」


 この『冬の世界』の時刻を。


「聖誕祭……?」

「ええ。それも過去最高のお祭りになると噂ですよ。……毎年、過去最高って言っているような気はしますが」


 その言葉を聞き、僕は目を窓の外に向ける。


 ぱらぱらと雪の舞い落ちる銀世界の中、少し遠くに仮面を被った子供がかけているのを見つけた。

 この家は街外れに建っているので、それ以上の情報は《ディメンション》を使わないと得られない。けれど、魔法を使うまでもなく、僕の肌まで伝わってくる。銀世界の奥から伝わってくる鈴の音。それを超える人々の喧騒の振動。お祭り特有の不思議な匂い。活気と熱気の迸り。


 間違いない。

 僕は二度目の連合国聖誕祭を迎えている。


「もうそんな時期なんだね……」

「兄さんが眠っている間に、色々と過ぎましたから」


 僕と一緒に陽滝は窓の外を見て、感慨深そうに微笑を続ける。

 その表情を見て、このときを待っていたのは他でもない陽滝のような気がした。


 妹の心の内を少しでも探ろうと、じっと顔を見つめる。すると、陽滝は表情を苦笑に変えて、宣言していく。


「さて、もう兄さんは平気そうですから……。そろそろ私は行きますね」


 部屋の椅子にかけてあった上着を羽織り、外出の準備を始めた。

 それに僕は純粋な疑問を浮かべたが、


「行くって……どこに?」

「それは秘密です」


 教えてはくれなかった。

 妹を知りたいという僕の気持ちとは裏腹に、一歩距離を置かれる。


「どうしても、やらないといけないことができたんです……。兄さんが眠っている間に、本当に色々とありましたから……」


 決して外せない用事であることはわかった。


 その用事を僕は推測する。

 以前にディアが連合国から去ったとき、現実の氷河の街で陽滝はディアと戦っていた。

 あれと同じことを、いましがた去ったマリアとスノウと繰り返す必要があるのかもしれない。


「それとも、兄さんは私が看病してくれないと寂しいですか? 兄さんってば、結構そういうところありますからね」


 もしくは、この聖誕祭という時間に、何か特別な理由があるのかもしれない。

 どうしても、陽滝一人でやらないといけないことがあるとき――その瞬間を見計らって、あのティアラは僕と接触し始めた可能性がある。


 そこまで思考を巡らせ、ティアラの顔を頭に思い浮かべたとき、彼女の一言が頭の中で反響していく。


 ――『生まれる前も死んだ後も・・・・・、そこで彼女は待ち続けてる』。


 その言葉に引っ張られ、僕は妹の優先順位を一つ――下げる。


「そんなわけない。……おまえにも色々と付き合いとかあるんだろ? 安心して行って来たらいい」

「……む。そうはっきり言われると、なんだか少し悔しい気がしますね」

「最近、僕のシスコン疑惑がいたるところで蔓延してるからね。こういうところで、少しずつでも名誉を挽回していかないと」


 普段どおりの口調で、他愛のない話をするだけで終わらせる。

 そして、陽滝は苦笑を保ったまま、部屋の扉まで近づき、そのドアノブを握った。


「……なら、遠慮なく。行ってきますね、兄さん」

「行ってらっしゃい、陽滝」


 僕はベッドの上に座ったまま、陽滝を見送る。

 そして、妹が部屋の外の廊下を歩き、家から出て、丘から街まで紛れていく足音を、魔法でなく耳で聞き取る。


 さらにベッドの上で十分に待ったあと、僕も出かける準備を始める。


「…………。僕も行こう……」


 とはいえ、陽滝のように上着を羽織るだけで、出かける準備は終わりではない。


 まず僕は、この『冬の世界』の仕組みを、完全に理解する必要がある。


 できる自信があった。

 いつもの目覚めと違って、時間感覚がまともだ。そのおかげで、自分がいつどこで何をしているか、はっきりとわかる。


 それがティアラの『血』のおかげであると、僕は薄らとわかっていた。

 『過去視』をしたときに混じった彼女の血が、この状況を作ってくれたのだろう。


 僕が視たティアラの記憶。

 その経験を活かして、僕は目を凝らす。

 視力が悪いわけではないが、きゅっと目を細めて、物理的にも魔法的にも焦点を合わしていく。


 すると、それはとてもあっさりと見えた。


「……ははは」


 目を凝らしているのに、逆に目の前がぼやけていく。


 正しく焦点を合わせようとすると、視界に無数の線が刻まれ始めた。

 それは不規則に縦横無尽に伸びる白い『糸』。

 まるで蜘蛛の巣のように、部屋中に張られていて、ゆらゆらと宙を漂うように動く。


 手を伸ばしても、触れることは出来ない。

 通常の物理法則に囚われていないと、すぐにわかった。地面や床といった障害物を無視して突き抜けている。そのたゆたう奇妙な動きから、重力からも逃れているとわかる。


 視界一杯に『糸』が埋め尽くしているというのに、手で払えないというのは、まるで眼球そのものに亀裂が――いや、認識している脳そのものに亀裂が入っているようで、かなり気持ちが悪い。


 けれど、この状態は予期していたことだ。

 僕はティアラの記憶から得た情報を元に、冷静に『糸』を分析していく。


「…………」


 『糸』に触れない理由は明白だ。


 千年前の僕が《レベルアップ》の『術式』を編んだときに、答えは出ている。

 あのとき、僕は――『肉』『細胞』『コピー』『非物質』『浸透』『補助』『筋力』――というイメージを組み込んだ。あれと同じく、これは『物質としての質量を持たない細胞』なのだろう。


 じっくりと『糸』を見ていると、きらきらとした多彩な光が、その内部を走っているのがわかった。

 これが神経細胞の複製ならば、電気信号が走っているのかと思ったが、すぐに違うとわかる。『糸』の内部には、複数の属性の潤沢な魔力が循環していた。


 血管を伝う血液に近い。

 おそらくだが、この『糸』は神経だけでなく血管の役割も果たしている。もちろん、魔力を伝達する通り道でもある。そのことから、この『糸』は僕の元の世界の常識にある神経細胞を超えて、科学では解析し切れない域に至っているとわかった。


「ああ、これが……」


 これが、『魔法の糸』。


 やっと見えるようになった――というよりも、ティアラの『血』によって、見えるようにしてもらったのほうが正しそうだ。


 僕は部屋の中の『魔法の糸』が蠢くのを、全身で感じ取る。

 それは触手のように動いて、絡みつき、僕の体内に入り込み、神経や血管と重なる。ときには、ずっと僕の頬を優しく撫で続けることもある。そこに害意は全く感じない。


 僕も『魔法の糸』に対して、害意はなかった。


 いま強引に『魔法の糸』を切って回れば、間違いなく『冬の世界』は終わってしまう。僕を待っている『彼女』のところに行くまでは、まだことを荒立てたくなかった。


 僕は『魔法の糸』を無視して、他の情報に意識を傾ける。

 目を凝らしたことで見えたものは他にもあったからだ。


 それは『冬の世界』という幻覚の先にある『現実』。

 さっきまで見ていた温かな光景は一変し、氷柱と雪だらけの部屋が露になっていた。ベッドや家具はあるが、完全に凍り付いてしまっている。


 そこで眠っていた僕の身体も、見事に凍ってしまっている。


 どうりで寒かったわけだ。

 体内を冷水が巡っているのではなく、実際に冷え切った血液が巡っていた。

 体内に氷塊が詰まっているのではなく、実際に凍る寸前の肉だった。

 はっきり言って、生物的には動けない状態だろう。


 ――けれど、僕の身体は動く。


 動けてしまう。

 ぎしぎしと軋む音をたてながら、凍りついた身体を動かしていく。

 いつのまにか背中まで伸びていた髪が、パリパリと奇妙な音を立てる。


 レベルアップのおかげで、生物的に動けない程度の寒さでは大したダメージにはなってないようだ。

 氷点下何度だろうと氷像になるなんて人間らしさは、もう僕にはない。いま僕に残っているのは、相川渦波らしさ・・・・・・・だけだと、『過去視』でわかってしまっている。


「ははは」


 二度目の苦笑いを浮かべつつ動き、僕は窓に近づく。

 そして、目を凝らしたまま、家の外を見つめる。


 猛吹雪の中だというのに、遠くで炎の柱が昇っていた。

 ついでに、光り輝く魔力も、水しぶきのように空で散り舞っている。


 おそらく、マリアが戦っている。ディアと共鳴魔法を使っている可能性が高い。きっとスノウも前衛として、そこにいるだろう。


 僕は三人の顔を思い出して、同時にそれぞれの別れる前の言葉も思い出していく。


〝やっと帰れる……。本当の意味で、私は故郷に置いてきた『私』を迎えにいける。両親や弟とも、今度こそ向き合える……〟

〝いいに決まってるよ。むしろ、こっちが私の一番の目的だからね。私は心身共に立派になって、カナミのパートナーになる。その夢は、ずっと変わってないよ〟

〝カナミさんは心配性なので、色々と不安かもしれませんが……安心してください。本土にはディアさんもいるようなので、色々と助け合いたいと思います〟


 ――どれも力強く、前向きで、それぞれの自立を感じさせる言葉だ。


 そして、その全てが間違いなく、彼女たちの本心だとわかっている。


 本心だと証明するのは簡単だ。

 凍った身体に慣れた僕は、窓をくぐって、外に出る。

 そして、氷河期のような世界を歩いて、雪に埋もれた氷像を一つ見つける。


 氷像の中には、目を瞑った子供が入っていた。

 さらに『魔法の糸』が、氷像を繭のように包み、渦巻いている。その内の一本が、僕の皮膚に触れて、体内の神経と重なる。


 そのとき、僕は目を凝らすのをやめて、世界のピントを緩める。


 すると、ぱらぱらと雪の降る丘の上で――いつの間にか、狐のような獣の仮面をかぶった少年と僕は話をしていた。


「――へへっ、お兄さん! これいいでしょ!」


 ヴァルト国民の少年が、自慢げに自分のお面を指差して笑っている。

 それに僕は微笑のまま、答えていく。


「……うん。珍しくて、目立つお面だね。それ、どこで売ってたの?」

「わかるっ!? このお面は一味違うんだよねー! 南のグリアードで、お母さんに買って貰ったんだ! 海の向こうの国で作られたお面だって!」

「へー。海の向こうかー。そりゃすごい」

「お兄さんも珍しいお面が欲しかったら、南の港あたりの出店に行くといいよ! それじゃあね!」


 そう少年は言い残して、忙しない様子で北のフーズヤーズ国に向かって、ぱたぱたと駆け出していった。


 それを見送りながら、また僕は目を凝らして、世界のピントを合わせ直す。

 『冬の世界』から『現実』に戻る。


 丁度、少年の氷像から伸びていた『魔法の糸』が、僕の体内を通り抜けて、離れていっていた。

 風に乗った種子のように、『魔法の糸』は遠く北に向かって、空を飛んでいく。


 猛吹雪の空の奥に、『魔法の糸』で編まれた極彩色のカーテンが、逆さまにかかっているのが見えた。

 磁力ではなく魔力で発光するオーロラが、地から空に向かって――そよいでいる。


 これが『冬の世界』の実態。


 生物を氷像にして保存し、それらを神経という『魔法の糸』で結ぶ。

 糸は脳神経の役割も果たしているから、誰もが同じ世界の幻覚を共有する。

 僕の世界で言うところのネットワーク――その魔法版だ。あの空に編まれたオーロラが、いわば仮想サーバー。

 映画か漫画でよくあるディストピアというやつだ。


 つまり、陽滝は無駄な死者を出す気はない。

 幻覚の中に生きる人たちには、確かに魂がある。

 だから、ここは嘘のようで嘘ではない。


 それを確信したところで、遠くに昇る火の柱を見る。

 同時に、例の力強い言葉たちも反芻する。


 今日までの戦いを経て、強くなったのは僕だけじゃない。

 仲間たちの精神こころも、現実にて確かに強くなっている。


 もう僕を必要としないほどに、本当に強く……。


 陽滝の方針も鑑みて、また僕は優先順位を一つ――下げる。


 ――(その階段の先で、我が娘■■■■■■・フーズヤーズは『主人公』を待ってる)


 頭の奥に引っかかっている言葉が、僕の優先順位をはっきりとさせる。


「行こう……」


 『彼女』を助けることに仲間たちが反対することはないだろう。その信頼もあるからこそ、僕の歩みは速かった。


 ただ、『魔法の糸』と猛吹雪で視界が悪いので、目を凝らすのはめる。

 快適な『冬の世界』のほうで、僕は目的地に向かっていく。


 ヴァルトの家から、北のフーズヤーズまで真っ直ぐ歩く。


 フーズヤーズに入る頃には、お祭りを楽しむ人々で道は一杯となっていた。

 そして、とても懐かしい出店の数々が僕を迎える。見たことのある食べ物屋の前を通り過ぎていく途中、以前のお祭りの記憶を少し思い出した。


 『彼女』と一緒にお祭りを楽しんだ記憶だ。

 あの頃、僕は自分の感情に蓋をしていたけれど、本当は『彼女』ともっと一緒にいたいと思っていた。もっともっと話をしたいと思っていた。


 けど、それはできなかった。

 僕たちは二人とも、執筆者たちの『作りもの』だったからだろう。

 物語と関係のないことを話せるようには――できていなかった。


「…………」


 雪の降るお祭りの中を、一人だけで歩く。

 シャンシャンと鈴の鳴る騒がしい道を、猛吹雪の中で自分の足音しか聞こえない道を、ゆっくりと――


 過去を思い出しながらの歩みは、僕に一つの『詠唱』を思い出させる。


「……『冬の世界は、迷い人の全てを奪う』」


 いまの状況に相応しい『詠唱』だと思った。

 そして、気づく。


「ああ、これ……。《冬の異世界ウィントリ・ディメンション》か……」


 『冬の世界』の正確な魔法名がわかり、同時に陽滝の力も知る。


 かつて僕は『舞闘大会』の闘技場という密閉空間で、それを成立させた。だが、いま彼女は大陸という途方もなく広い空間で成立させている。


 わざわざ陽滝は、僕の考えた魔法を昇華させて使っているようだ。

 陽滝ならば、僕の思いつかないような効率的な魔法を編み出せるだろうに……わざわざ僕の魔法だ。


 そのことから、いつか陽滝は、この『冬の世界』の支配を僕に任せようとしていると思った。

 凍った生命いのち全てから力を吸い上げるなんて、物語のラスボスじみた魔法こそ「兄さんの好みですよね?」と言われているような気がした。


「……ああ」


 好みなのは間違いない。


 ただ、その好みが、本当に僕の好みか怪しい。そもそも、その《冬の異世界ウィントリ・ディメンション》自体、本当に僕が思いついたものかも怪しい。『詠唱』なんて僕の異世界生活そのもので、皮肉にしか聞こえない。


「だから、あんなに強い魔法だったのかな……」


 初めて迷宮に迷い込んだときのように、何度も独り言を呟く。

 そして、過去を懐かしんでいる内に、とうとう僕は連合国フーズヤーズの大聖堂前まで辿りつく。


 建物を囲むように流れている川は、凍りついていた。

 川に架かった大橋には警備の騎士たちが何人も並んでいて、一般人は入れないようになっている。僕は《ディフォルト》で川と柵を乗り越えようとして――別に真正面から入っても構わないかと思い直す。


 僕は堂々と橋に近づき、聖域を守護する騎士たちに声をかける。

 このフーズヤーズの最奥で待っている『彼女』のところまで案内してもらおうと、僕は『始祖カナミ』を名乗った。

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