374.最終章の後編へ


 いま、一つの世界が消えた。

 とはいえ、それは記憶の中の世界が消えただけで、現実的には一つの回想が終わっただけだ。


 長らく『過去視』を行なったせいで、僕は自分がティアラ・フーズヤーズなのではないかという錯覚に陥ったが、洗脳や記憶喪失には慣れているので、すぐに「僕は僕だ」と持ち直していく。


 そして、状況を確認する。

 意識が千年前から現在いまに飛んだようだ。だが、ここは『相川渦波ぼくが生き返った日』でもなければ『陽滝に支配された優しい冬の世界』でもなさそうだった。


 なにせ、時間も舞台も人も何もかも消えて、真っ黒となったままだ。

 何もない真っ暗なところに意識だけがある状態となっている。簡単に言うと、死後の世界に魂だけが浮かんでいるみたいだ。


 そうアバウトに理解して心を安定させたところで、語り手だった少女――ティアラ・フーズヤーズが唐突にエピローグを進めていく。


(――はい、おーわり! で、この最後の『血の力』ってやつで私は千年後まで残って、いま師匠たちと繋がっているわけだねー。今風に言うと、鮮血魔法?)


 声だけが響く。

 途端に、真っ黒だった世界が赤く染まった。

 視界一杯に血液が溜まり、血の海の中で溺れているような感覚に陥る。


 その凄惨な変化に、驚くよりも先に僕は少しだけ懐かしい気持ちになった。

 ここに来るのは初めてではない。確か、一度あの馬鹿ラグネに殺されたとき、ここと似た真っ赤なところに辿りついたはずだ。先ほどまでの真っ黒なところは、『風の理を盗むもの』ティティーと戦った六十六層の裏に近いか?


 そう冷静に情報を整理して、もう一度周囲を確認し直す。

 本当に何もない。

 それを考える僕の身体もない。

 無だ。虚無の世界か死後の世界としか呼びようがない。


 ――おそらくだが、ここは一度身体を失って、魂だけとなった存在しか来られない。


 ただ、僕は死後の世界よりも『次元の狭間』と表現したい場所だった。

 なにせ、そこまで不自由も恐怖も感じず、ちょっとした安心感さえあるのだ。次元魔法を使うものにとっては住み易いと思える空間だった。だが、この命名をティアラは納得しないだろう。あの本狂いから言わせれば、ここは物語の――『行間・・』だ。


(いひひっ! 流っ石、師匠。わかってるぅー)


 という僕の思考を読んだように、ティアラの陽気な声が空間に反響した。

 妙に語尾が釣り上がっていて、ちょっとだけイラっとする。それに僕は答えようと、喉を動かそうとして――


「――――」


 震わせる喉がなくて困り果てる。

 これでは、まともな会話が成り立たない。

 先ほどの『過去視』の唐突な終わらせ方といい、この一方的にティアラだけが喋れる空間といい、本当に自分勝手なやつだ。


(いやあ、終わり方が勝手って言われてもねえ……。あそこから先は、本当に『異邦人』とも我が娘ラスティアラとも関係がないんだよね。例の少年、というか『地獄明かりの悪竜ファフナー・ヘルヴィルシャイン』が出張ってくるし……)


 その言い訳は無視して、僕は彼女の声そのものに集中していく。

 

 僅かだが、魔法の発動を感じる。これは無属性と次元属性の複合だろうか。どうやら、ここでは普通に魔法は使えるようだ。僕は《ディメンション》を無詠唱で発動させて、この空間に浸透させ、魔法の模倣を始める。


(何度も言うけど、大事なのは『理を盗むもの』たちじゃない。いや、個人的には私も嫌いじゃないんだけどね……。でも、いま世界で大切なのは、あの陽滝姉の『糸』。それと、師匠とヘルミナさんの本で至った『血の力』。この二つ――)


 そう言い終わったとき、トンッと紙芝居の終わりのような効果音と共に、ティアラは決め台詞を放つ。決め台詞であると、この身体のない魂の密着する場所だからこそ、わかりたくもないのにわかってしまった。


(この二つが、千年後の師匠たちを、呪ってる・・・・


 効果音なんて便利な音も出せるのかと僕は感心しながら、新魔法に命名していく。


「ぁ、ああ……、――魔法《ディ・ヴィブレーション》)


 振動させるのは空気じゃなくて魔力と考えれば、結構楽な魔法だった。声が出せるようになった僕は、ティアラの一方的な会話を止めにかかる。 


 正直、聞きたいことは一杯ある。文句だってある。謝罪だってある。本当にたくさんある言葉の中、まず僕は――


(聖人ティアラ)

(うんっ、私だよ! しーしょうっ!)


 名前を呼んだ。

 ティアラは僕が魔法を模倣したことに何の驚きもなく、人懐っこく名前を呼び返した。


 ただ、その愛くるしさが他人を騙すための手段であると知った僕は、まず『信頼関係』について話をつけていく。


(おまえ……。この前の十一番十字路、嘘しか言ってないじゃないか……。何が「ばいばい」だ。さよならする気なんて、欠片もなかったろ)


 少し前、連合国のフーズヤーズで『再誕』したティアラと再会したときのことを、冷たく責めようとする。

 だが、先ほどまでティアラの記憶を視ていたせいか、当時の僕に近い言葉遣いになってしまう。


 あの日、僕は北のヴィアイシア国でアイド・ティティーの二人と決着をつけて、『統べる王ロード』扱いだった陽滝の身体を取り戻し、急いでフーズヤーズに戻った。

 そこに待っていたのは、ラスティアラと争うライナー・ティアラの二人組。そして、まるで本に書かれた物語のように、僕とラスティアラと告白し合って、結ばれて、相思相愛となった。


(だねっ! あれは大部分が嘘! でも、本当のこともあったんだよー? 例えば、師匠の女性遍歴の大暴露とかぁ? いやー、嘘をつくときは真実を少し織り交ぜるのがいいって聞くけど、本当だったねー! いっひっひっ!)


 笑いながら、あの日は嘘だらけの茶番だったと認めた。その態度に僕は、できるだけ低い声で『信頼関係』などないと伝える。


(……これから、おまえは嘘つきだと思って話す)

(違うよ。私が嘘つきなんじゃなくて、『人』って存在が約束を守りたくても守れない生物なだけだよ)


 しかし、ティアラは僕以上に冷たくて低い声で、人が嘘をつくのは当然だと自己弁護した。


 本気で言っているのか、煙に巻こうとしているのか――長い戦いの末に多くのスキルを身につけた僕でも、全く読み取れない。

 少なくとも、いまのティアラは『詐術』1.72以上の数値は保有しているとわかるだけだった。


 その詐術士ティアラの言葉一つ一つに、僕は身構える。

 なにせ、先ほどの『過去視』で世界相手に脅しかけたティアラ・フーズヤーズが、本当に千年逃げ切ったのが、いま僕と話している聖人ティアラだ。少なく見積もっても、『理を盗むもの』たちと同じレベルの強さと厄介さを兼ね揃えている。


 警戒しつつ、僕はラスティアラと相思相愛となった日の記憶を確認していく。

 あのとき、こいつはこう言っていた。

 僕はティアラのスキル『読書』を模倣して、過去の出来事を正確に読み直していく。


〝「うん。魂をコピーして劣化させた上に、バラバラになっちゃって、ボロボロと欠落しまくってる。これを本人って言うのは、ちょっと無理があるよねー。見てて吐き気するっしょ?」〟

〝「――私は千年前の聖人ティアラの記憶がちょっとある『魔法メッセンジャー』でしかない」〟


 嘘だ。


 先ほどの千年前の彼女を視たからこそ、確信できる。

 聖人ティアラは、ちょっとバラバラになって、魂が欠落したくらいで、自分が自分であることを諦めたりしない。


 あの日、あそこにいた『人か魔法かも定かではない何か』は、間違いなくティアラそのものだった。

 そして、彼女の言葉通り、この千年後の世界にはティアラそのものと言えるコピーが大量に湧いていて――きっと、その全てが本物だ。


 さらに、その本物は「聖人ティアラは師匠が好きではない」と何度も繰り返していたが――


〝「そういうこと。もう古い物語は終わったの。師匠は新しい物語を生きて、新しい終わり方を見つけてねー」〟


 あれも大嘘だ。


 ティアラの偏執的過ぎる愛情を、僕は知ってしまった。

 たとえ、何千年経とうとも古い物語を続ける執着心が、彼女にはある。


 つまり、あの日、正しかったのはラスティアラだけだった。

 人の好いあいつは真っ直ぐな気持ちで、自分よりも他人を優先して、ティアラの人生を必死に救いあげようとしていた。あいつの言葉の真意が、いまならよくわかる。


〝「――私はそんな終わり方、許しません! ティアラ様、なんで嘘をつくんですか!? ティアラ様には資格がある! 誰よりも先に思いを伝える資格が! だからここで告白してください! みんなの見ている前で! はっきりと! あの伝説の聖人ティアラ様は誰よりもっ、カナミのことが好きだって! じゃないと、あなたの物語が終わらない! いつまでたっても終わらない!!」〟


 あのときのラスティアラが正しかった。


 まだティアラの物語は終わっていない。

 当然だ。

 ずっとティアラは死ぬ気がない。自分の納得いく最後の頁が読めるまで、何度も何度も同じ頁をめくり続ける狂気がある。

 そして、その狂気の大本となっているのは――


(――師匠・・好き・・


 また思考を読まれたようで、その続きをティアラ自身が口にした。

 それは千年経っても、未だティアラ・フーズヤーズは相川渦波を愛しているということだった。


(あー、師匠……。師匠師匠師匠っ、しーっしょう! 大大大っ、だーい好き!! はっきり言って、死ぬほど好き・・・・・・!! 殺したいほど好き・・・・・・・・!! 大好き! ひっ、ひひっ、ひひひひ――!!)


 もう憚ることはないと、ティアラは告白を響かせていく。

 血塗れの空間に、彼女の愛情だけが満ちる。ただ、その狂気的な告白の中、僕が引っかかった言葉は――


(うん! これ、言葉通りの意味だからね! 私は死んだし、師匠を殺した・・・・・・! その上で、まだまだ私の好きって気持ちは、ちっとも収まらない! これこそが、我が娘の感じた重ーい愛の正体だね!)


 僕が認識している限りでは、あのクズラグネ相川渦波ぼくを殺した。


 しかし、あの一連の出来事全てを、ティアラは自分自身の手柄のように語る。自分も『糸』を操れるような口ぶりだ。その言葉の裏を、僕は見通し切れない。このティアラの純真無垢そうな口調は偽りで、本当は思慮深い大嘘つきとわかっていても――いや、わかっているからこそ、もうどれが真実なのか判断できない。


(いやー、はっはっは。感づいた娘を言い包めて、相思相愛まで持っていくのは大変だったよー? アイド君の魔法食らったせいで、私の隠していた記憶を何度か追憶ついおくってたからね! アイド君ってば、『理を盗むもの』のくせに『糸』に反逆し過ぎー)


 ここぞとばかりにティアラは、物語の裏側を自慢するように話していく。


 色々と問い質したいところだが……まず僕は、いまのティアラの告白に返答すべきだと思った。本人は軽く流して欲しいのかもしれないが、この告白だけは軽く流してはいけないと、昔の僕と違ってよくわかっていた。


(ティアラ……。あんな僕を好いてくれて、ありがとう。……でも、僕は『ラスティアラ』を選ぶ。『ティアラ』は選ばない。たぶん、その選択は、もう二度と変わらない)


 そう言い切る。


 正直なところ、千年前の僕は、人として『異常』だった。

 いまの僕から見ても、大変近寄りがたく、気持ち悪いと思わせるに十分な狂人だった。その僕を好きになって、色々と助けてくれて、本当にありがとうと感謝する。


 そこで初めて、ティアラの陽気なお喋りが止まった。

 そして、愛の告白の次は、とても不安定な笑い声が満ちていく。


(――ッ! ……ひ、ひひっ。ひひひひひ! ひっはっはははは! あーっははははは! はは、ははは、はあ……。だろうね。うん、それでいいんだよ。それが正しいんだよ。ああ……)


 盛大に溜息を吐いた。

 そこには嫉妬が混じっていると感じて、僕は先ほどの記憶の確認も含めて聞く。


(おまえが、そう仕組んだだろ? ……僕が選んだ人は、『代償』で死ぬから)

(……うん。師匠と心が通じ合ったら、その人は大変なことになるよ。だから、私は千年後の我が娘を滅茶苦茶応援した。ぶっちゃけ、身代わり)


 ティアラは認めた。


 あのあと、逃げて逃げて逃げて、『代償』を押し付ける先を探して――最後には、自分の身代わりを作ったのだろう。

 それが『魔石人間ジュエルクルス』ラスティアラ・フーズヤーズだった。


(本当なんだな……。だとしても、僕は僕の好きな人を諦めるなんてことは絶対にないよ……。もう何も曲げたくないんだ)


 僕が生きている限り、周りの人間は不幸になる。千年前のティーダと同じ悩みが、いま僕を襲っているが――それでも、揺るがずに、自分の道を見据える。


 確かに、僕とラスティアラの相思相愛は、誰かの予定通りだったのだろう。

 しかし、裏で『糸』から操られていたとしても、それでラスティアラとの思い出が嘘になるわけではない。あいつと出会って、笑い合いながら迷宮探索して、助けられては助けて、共に心から楽しい冒険をしたことは本当だ。


 僕はラスティアラが好きだ。


 『呪い』があったからって変わるものではない。

 変えてはいけないと、きっとみんなも・・・・、そう思うはずだ……。


(もう何も曲げたくない、か……。でも、そう考える師匠は、本当に師匠なのかな? 我が娘と同じで、その気持ちすら『作りもの』なんじゃない? 陽滝姉、お手製のさ)


 そこでティアラは厭らしい質問を投げかけて、僕を揺さぶりにくる。

 それは千年前から続く『相川渦波』の命題でもあった。

 しかし、僕は即答していく。


(『作りもの』でもいい。もう僕は迷わない。たとえ、僕たち自身が作られていても、『自分ぼく自分ぼく』。たとえ、人生が『糸』で仕組まれていても、通ってきた道が自分の意思で選んだ道だ)


 同じようなことを、過去の戦いでも言った気がする。その戦いを再現するかのように、あの男パリンクロンと似た口調でティアラは僕を追いたてようとしてくる。


(へー、ふーん。じゃあ、その自分って何? 他人の『理想』を演じ続けるのが、本当の師匠ってこと? 陽滝姉に押し付けられた『僕らしい僕』になるのが、『相川渦波』らしいってことなの? 表皮かわだけで全く中身のないのが『相川渦波』だって、自分で気づいてるくせに? ねえ、どっか矛盾してない? 本当は陽滝姉が大っ嫌いなんだよねえ? それって生きてる意味ある!? ねえねえっ、ちゃんと聞いてる? しーしょうっ!)


 過去と違い、心の内は湖の水面のように穏やかなままだ。

 頭に浮かぶのは、つい最近の出来事。

 フーズヤーズ城の『頂上』で、殺し合った馬鹿あいつの最期の姿。

 生きる意味も何もかもを失って、それでも笑いながら矛盾した言葉を吐いて、死んでいったラグネ・カイクヲラは――


(ラグネは『矛盾している私』こそ、胸の張れる自分だって言った。――僕も同じだ・・・・・


 陽滝が大嫌いという言葉を、僕は否定しない。

 あの『頂上』には、ラグネだけでなくノスフィーもいた。最後まで、僕たちクズ二人を照らしてくれた彼女のおかげで、真実に向かって進むのが、もう怖くない。


(色々と無意味になっちゃったのはわかってるよ。でも人間なら、ちょっとくらい間違ったり矛盾したりもする。そのくらいで、僕は足を止めたりしない。これからの僕は前に進み続けるって……そう約束したんだ)


 その一連の淀みのない回答に、ティアラは感激した様子で唸り出す。


(おぉー……、強い! 軽く心を揺するだけで簡単に自分を見失ってた師匠が、こんなにも強くなるなんて……! 子の成長を見る親の気分だねっ、これは!)


 確かに、軽く告白されただけでトラウマが発動していた千年前の僕と比べると、かなり成長はしたとは思う。

 しかし、まだ僕は子ども扱いされていた。その意味を確認していく。


(どうせ……、この心の強さも、全部おまえらの筋書き通りなんだろ?)

(よくわかってるね、正解っ。師匠が命懸けで手に入れたと思った心の強さは、所詮私たちの手のひらの上での成長なのでした! ひっひっひ)


 ずっと薄らとは気づいていたことだ。

 そして、『頂上』でラグネに勝利した後、陽滝との会話ではっきりしていたことだ。

 あのとき陽滝は、全てが自分の計画通りだったと白状したも当然だった。


〝「嗚呼っ。そして、いま! 階下も含めて、兄さんの抱えていた【理】が全て終わりました! 兄さんは弱さを捨てて、真の強さを手に入れた……! 全て、あの『未来予知』の通りに! 嗚呼、嗚呼、嗚呼っ――!」〟


 その台詞を合図に、僕たちは二人だけの家族会議を始めた。

 それが原因で、フーズヤーズの端にいたノワールちゃんが怯えるほどの天変地異が大陸を襲ったのだろう。

 僕の次元魔法と陽滝の氷結魔法がぶつかり合ったのは、想像に難くない。


 そう。

 想像は出来る。

 だが、僕は戦いの詳細が全く思い出せない。

 陽滝と向かい合ったあとの記憶が、すっぽりと抜け落ちている。

 気づいたら、あの『冬の世界』に僕はいたのだ。


 そのことから、推測できるのは一つだけ。


(ああ。だから・・・、僕は陽滝に負けたんだな?)

(うん、負けたよ。ちゃんとノワールちゃんを通して、私が確認した。師匠は世界の『頂上』で『一番』になって、陽滝姉に挑戦する権利を得た。でも、いま言ったことと全く同じ台詞を陽滝姉に吐いて、強い心で戦って……それでも、負けた)


 戦いの結果を、ここではっきりと知る。


 どうやら、僕は敗者になって、負けた記憶さえも奪われたようだ。しかし、そういうのは慣れたことだ。僕の動揺は薄く、「そう」と軽く頷き返す。 


(そうなの! この世界で『一番』になった師匠だったけど、全ては陽滝姉の予定通り! あっさりと陽滝姉の手に落ちてしまったとさ! はいっ、何もかもおーしまいっ!)


 そのあと、目を覚ました陽滝は、この異世界で自由に振舞い出したのだろう。

 あの『冬の世界』に繋がるまでに、どのような出来事が大陸に起こったのかが少し気になるが――


(いひひっ、見たい? どんな風に負けたか、見たいよねー。見たいなら、次の私の血を回収してね。そしたら、また『過去視』で続きを――)

(いや、それはいい。そのくらいは普通に、陽滝から直接聞くよ。そんなことよりも、あれからラスティアラはどうなった? そっちのほうが知りたい)


 僕は首を振った。

 確かに、僕と陽滝の戦いは知りたい。そこには陽滝の心の内を知るための大切な情報が散らばっている可能性は高い。


 だが、いま僕が一番優先すべきは仲間のラスティアラだ。


 先の『ファニア編』を見る直前に、僕はフーズヤーズ城で『水の理を盗むもの』『血の理を盗むもの』『無の理を盗むもの』の三人と戦っていた彼女を視た。

 もし、ティアラが上手く『過去視』を誘導してくれるというのなら、フーズヤーズ城の屋上よりも大玄関に視点を向けて欲しい。


 その要望を聞いたティアラは、また笑い声をあげ出して、すぐに溜息をつく。


(――は、はははっ、そうだよね。あっはっはっはぁ……。もう、そうなんだよね……。はあ……)


 自分で仕組んだくせに、僕がラスティアラを最優先する度に一々ショックを受けるのは止めて欲しい。


 どんな言葉をかけていいかわからない。

 いや、ティアラの好む言動はわかるのだけれど、それが演技だとわかっている人に『理想』を見せても傷つけるだけなのだから、どうしても中途半端にならざるを得なくて、でも僕の魔法とスキルならば『理想』と気づかせない『理想』もやろうと思えばやれなくもないわけで――などと、僕が無駄に悩んでると、ティアラは少し拗ねた声を出す。


(知りたかったらさ、迎えに行ってあげてよ)


 それは僕の予想していた「ラスティアラのその後」とは少し違った。


(……迎えに? あの『冬の世界』に、ラスティアラはいるのか?)

(いるよ。いま陽滝姉は、凍らせた生物に『魔法の糸』をつけて、脳みそを乗っ取っているわけだけど……実は、あれの届かない場所があるんだよね。目が覚めたら、そこに向かって)

(へえ……)


 『冬の世界』では、常に幻覚が付きまとうのはわかっていた。

 ただ、その理由が、直接『魔法の糸』が脳神経に繋がっているからとわかり、僕は感心する。かなり酷い所業だが、このくらいならば相川陽滝はやりかねないという認識が僕たち二人の間にはあったので、特に問題なく次の説明に移っていく。


(いーい? 『魔法の糸』の弱点は、地下に伸びにくいこと。あの迷宮とか『最深部』とかが、特にそうだね。で、それとは別に、私とノイちゃんで用意した特殊な空間があるの。『本土』フーズヤーズ城と『連合国』フーズヤーズ大聖堂――この二つの地下。ここなら、陽滝姉の影響が少ない)


 ティアラは自分の故郷であるフーズヤーズにて、明らかに陽滝と戦うための場所を用意していた。

 僕は『血の理を盗むもの』ファフナーと戦った城の地下を思い出したが、すぐに首を振る。


(『本土』のフーズヤーズ城は遠いな。大聖堂の地下でいいのか?)


 おそらく、次に目を覚ましたら、僕は連合国にいる。

 《コネクション》はあるだろうが、『本土』に向かうよりは大聖堂が近い。

 

 あの大聖堂の内部を、僕は全く知らないわけではない。


 かつてラスティアラを攫いに行ったときに、ディアから構造を聞いている。ライナーの兄であるハインさんと一緒に侵入したときは通らなかったが、地下に続く階段は確かにあった。


(――うん。その階段の先で、我が娘ラスティアラ・フーズヤーズが、『主人公』を待ってる)


 本好きのティアラは、僕を『主人公』と呼んだ。

 その大仰で不相応な呼称は否定したかったが、甘んじて受け入れて頷く。


 ラスティアラの『主人公』であることだけは、首を横に振れない。あの日、確かに僕は彼女から『主人公』になって欲しいと懇願されて――肯定イエスと『契約』をした。


(生まれる前も死んだ後も・・・・・、そこで彼女は待ち続けてる。この世界の新たな『ヒロイン』として、異世界の『主人公』との出会いを夢見て、ずっとずっと……)


 ティアラは平気でラスティアラの死を口にした。


 その一言に、ずっと平常だった僕の心が波打つ。けれど、すぐに持ち直す。この異世界は、魔法で生き返れる世界だ。――大丈夫。そう自分に言い聞かせて、またラスティアラとは必ず会えると信じて、前を見る。


 その僕に容赦なくティアラは、ラスティアラの真実を全てを伝えていく。それは、どうしてあそこまで『ファニア編』を詳しく見せたのかの理由でもあった。



(知ってると思うけど、あの娘こそが――

 千年前から始まった『レヴァン教』の集約・・

 千年かけて二つの大陸に張り巡らされた『魔石線ライン』の終点・・

 失われた技術の結晶である『魔石人間ジュエルクルス』の傑作・・

 その存在は、まさしくロミス・ネイシャの望んだ『神の力』そのもの。

 同時に『人の力』の極み。

 彼女こそが計画の六段階目・・・・

 彼女は真の意味での『現人神あらひとがみ』なんだよ)



 自身最高の『作りもの』の価値を、僕に自慢していく。


(たった四年の物語で――いや、たった四歳の子供だったからこそ、ラスティアラ・フーズヤーズは辿りついた。誰よりも大人びて、誰よりも純粋無垢に、誰よりも『ヒロイン』らしく、物語の『主人公』と結ばれた。……私の予定通りに、ね)


 ただ、その自慢の全てが――


(これでティアラ・フーズヤーズが、本格的に動ける。……あぁ、ここまで千年もかかった)


 所詮ラスティアラは、聖人ティアラの本当の『再誕』のための生贄でしかなかったということだ。


 どれだけ神聖に表現しようとも、それは僕の嫌ったロミスと同じ所業だ。自分の『代償』を、自分の信者に押し付けただけ。それもこいつは、自分の血を引いているであろう娘に、自分の死を――


(……きっと僕は、おまえを最後まで許せない)


 それを口にする資格が僕には世界で一番ないとわかっていても、ティアラを否定するしかなかった。


(それでいいよ。いや、それがいいんだよ・・・・・・・・。――でも、師匠は私に協力するしかない。何をするにしても、私以上の協力者はいないからね。例えば、師匠の知りたがっている陽滝姉の心の内は、もう世界で私一人しか知らない)

(陽滝の……? あそこから、おまえは届いたのか? 陽滝の心の奥まで)


 千年前のティアラは、それを読みたくて死に抗っていた。

 その目標を、もう彼女は達成していると言う。


(千年前の勝者の特典だね。『最後の一人』になった私は、それを知るための時間がたくさんあった。聞きたかったら、ちゃんと私のらすちーちゃんのところまで、行ってあげるようにっ)


 嘘かもしれない。

 けれど、そう思わせるだけの貫禄が、いまのティアラ・フーズヤーズにはあった。

 敗北して千年飛ばしただけの『理を盗むもの』や使徒たちと違って、勝利して千年後に繋げたという実績が、彼女にはある。


(――さあて、そろそろ時間だね。『過去視』のし過ぎで、師匠本体の魔力切れがやばいやばい!)


 ティアラが話したいことは終わったようで、話を畳みにかかった。

 しかし、まだまだ僕には聞きたいことが残っている。


(ま、待て! まだ話は終わってない!)


 頭の中に残っている疑問を並べては、即座に取捨選択していく。

 まず『彼女』のこと――しかし、元の世界の幼馴染については、陽滝に聞かないと駄目だろう。他には『切れ目』の先にある『世界』に、『魔法の糸』の力に、いまのティアラの目的に――


(『切れ目』かー。あれは、今風に言うと『最深部』だね。行ったら、結構あっさりと正体がわかるよ。ずっとノイちゃんが隠し続けてきた世界の真実が、あそこにある。まあ、私たちには関係ないけど)


 僕が聞く前に、ティアラは口早に答えてくれた。なんだかんだで世話焼きで優しいやつだと思ったが――それに続く言葉は、我欲に塗れた邪悪そのものだった。


(うん。私は世界なんて、どうでもいい。大事なのは物語わたしたちだけ)


 身体はないというのに、少しぞっとした。

 先ほどの記憶のティアラと同じことを言っているだけだが――千年経っても、全く色褪せていない。その想いから、『理を盗むもの』たちにはない強さを彼女から感じた。


(……そうだね。私は変わらない。いつだって最後の結末が楽しみで、わくわく胸を膨らませては、期待一杯に頁をめくっていく。それのためだけに生きてる)


 内心は窺えないが、そこだけは千年前のティアラと同じだという気がした。


(たぶん、師匠が何をしても、結局は私と陽滝姉の手の平の上だろうけど……。それでも、私たちは予想を裏切られるような最後を、師匠に期待してるんだと思う。師匠だからこそ、それができるって――)


 そして、僕は委ねられていく。

 陽滝や『世界』でも書けなかった納得いく最後の頁を――


(ねえ。師匠なら、『最後の頁』はどうする? 千年過ぎて、一年生き直して、『理を盗むものたち』のおかげでちょっと強くなった師匠は、最後に何が欲しい?)


 聞かれて、知り合いの顔が脳裏に浮かんでいく。


 家族同然となった『理を盗むもの』、ノスフィーとラグネの二人。

 縁を再確認したティーダとアルティ。さらには最高の友人たちと誇れるローウェン・アイド・ティティー……一応だが、パリンクロンのやつも含まれている。


 続いて、思い浮かべたのは仲間たちだ。ディア、マリア、スノウ、リーパー、ライナー、セラさん。そこにはハインさんとハイリさんの二人もいて、エルミラードやグレンさんも並んでいる。

 そして、最後にラスティアラ。


(『最後の頁』で、『答え』を教えてね)


 ただ、答えを聞くのはいまじゃないと遮られた。

 同時に、背中を押された気がした。


 それは『糸』のように微かな力で、「気がした」だけの一押しだった。

 だが確かに、僕はティアラの手の存在を感じた。そして、その手は、もう振り返ってはいけないと言っているような気もした。


 それを最後に視界が薄暗くなり、世界が遠ざかっていく。

 目覚めの前兆であると知る僕は、抗うのは無駄だと闇を受け入れた。


 別れの間際の問答で、ティアラの目的は薄らとわかった。

 未だ彼女の全ては「『最後の頁』を読むこと」だ。


 その彼女の願いを手に、僕は戻っていく。

 背中を押されるがまま、陽滝の待つ千年後の世界へ――

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