373.欲望
「し、師匠……。見えてる……?」
震えながら、確認を取る。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ――、何がだ!?」
全力でアルァウナを走らせる師匠は、息を荒らげながら周囲を見回した。その途中で、明らかに私が見ている『切れ目』にも視線を向けた。だが、何もないかのような反応を見せる。
すぐに私は無駄だと理解し、前言撤回していく。
「いや、ごめん……。ちょっと、目が霞んできて……」
「霞んで……? くそっ、血が出過ぎてるのか! 早く、どこかで治療に集中しないと!」
見えているのは私だけのようだ。
そして、『切れ目』にいる視線の主が見ているのも私だけだと、交錯した視線からわかった。
その主とやらが誰なのかと聞かれると、私には『世界』としか答えようがない。
あの『切れ目』の先には生物なんて一切存在せず、ただただ広大さしかない。なのに、その視線から意思を感じるのだ。
――「死ね」と。
いま私は『世界』に、死を求められていた。
弱った私は、その要求に怯え、咄嗟に目を逸らす。
しかし、また
「え――」
指先から伸びた『糸』が「あの『切れ目』を見ろ」と私にせっついた気がした。
物理的な干渉はない。
あくまで、「気がする」という範囲で引っ張られているだけだ。
なにせ、私と師匠は同じアルァウナに乗って、走り続けている。もし、本当に身体が引っ張られてしまえば、私だけ地面に落ちることになる。そう論理的にわかってはいるのだが……なぜか、『切れ目』は確実に、私に近づいていた。
高速でアルァウナを走らせる私たちに、じわじわと近づいてきている。
「……っ!!」
理に適っていない。
その普通ではない現象から、これが『呪術』や『奇跡』に相当することだと理解する。
それも、その術者は人でなく『世界』。
まるで『世界』から死を取立てられているような感覚に襲われ、私はティーダの言っていた『呪い』という話を思い出す。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
失血や痛みとは別に、恐怖で息が乱れ始める。
しかし、本能的に生き残るために思考だけは止めてはならないと感じ、『呪い』についての知識を頭の中に広げた。
――その中で一つだけ、いまの状況を説明できるものがあった。
それは、あるはずなのにないと言われた師匠の『呪い』だ。
使徒様たちから特別扱いされ、他の『理を盗むもの』たちを救っていく『次元の理を盗むもの』に、『呪い』が全くないのはおかしい――と、そう私は少し前に危惧していた。その予感が的中している。
『闇の理を盗むもの』の幼馴染だったばかりに、ロミス・ネイシャは心が壊れた。
『火の理を盗むもの』の家族たちも残らず不幸に陥り、母親は記憶を失った。
なら、『次元の理を盗むもの』を師匠と慕う私の運命は……?
「ティ、ティアラ……!? 大丈夫か!? まだ僕の声は聞こえてるか!?」
私の顔が青ざめていくのを見て、師匠は私を抱きしめながら声をかける。
「え、あぁ……。う……ん」
私は曖昧に答えるしかなかった。
その力のない声に師匠は、私以上に顔を青ざめさせていく。そして、いつもの追い詰められたような表情で、私が気を失わないように叫ぶ。
「しっかりしろ! 目を閉じるな! お願いだっ、死ぬな!!」
重病患者に付き添うかのように、私の手を強く握る。
すると現金なもので、私の青ざめた顔は血が通い始め、この最悪過ぎる状況でさえも胸が高鳴りだす。
「僕はおまえがいないと駄目なんだ! ロミスとの戦いで、気づいた! おまえにずっと傍にいて欲しいって! おまえがいてくれたから、僕は僕の新しい人生を歩め出した! そのお礼を、まだ僕はしていない!!」
この逸る胸の鼓動は、私の「師匠が
そして、いま私の手を握っている師匠からも、同じような鼓動が伝わってくる。それは師匠の「私が
「おまえの明るさが、旅の間ずっと僕を助けてくれた! どんなときもおまえは明るくて、笑顔で、元気で……、だから――!!」
「し、師匠……?」
「そんなおまえが、僕は好きなんだ!! だから、死なせない! 絶対に!!」
間違いなく、相思相愛であると確信できる瞬間だった。しかし、私たちが好き合えば好き合うほど、『切れ目』からの視線が強まっていくのも感じる。
「
『次元の理を盗むもの』の『呪い』の正体に、私は気づく。
いま『代償』として『世界』から取り立てられているのは――私の命だ。
正確には、『死』か。
それも、ただの『死』ではいけないのだろう。
条件もわかってきた。
確認方法は、とても簡単だ。
「――
そう答える。
瞬間、『切れ目』からの視線が、尋常でないほどに強まった。
ならば、寄越せと。
愛し合う二人こそが『代償』なのだから、いますぐ払えと。
そんな声が聞こえるかのように、『切れ目』が私を呑みこもうと近づいてくる。
「――っ! なら、絶対に目を閉じるな、ティアラ! 生き残ろう、二人で!!」
「うん……」
私は深く頷いた。
死の間際、やっと色々な答えがわかってきた。謎が一つ紐解けたことで、連鎖的に他の謎も明かされていく――
例えば、それは旅の出発前の陽滝姉との会話。
〝「――ありがとうございます、ティアラ。このフーズヤーズが兄さんの『代わり』の故郷になってくれたら嬉しいです。そして、あなたには私の『代わり』を――」〟
ずっと陽滝姉は、自分の『代わり』に師匠を好いてくれる人を探していたのだ。
そして、どうにか『代わり』に死んで貰おうと画策していたのだろう。
それに私は『契約』でもって、気軽に「やる」と答えてしまった。それを、あの陽滝姉が了承した。
この二人旅が
旅を進めるうちに互いを意識し合って、一日ごとに心は近づいていって、強敵との戦いの末に告白をし合う?
――間違いなく全てが、陽滝姉の
まず出発前の会話が関わっているのは間違いない。
あの日、陽滝姉自身が口にしていたスキル『並列思考』『収束思考』には、その力がある。おそらくだが、この旅で私が命がけで手に入れたスキル『読書』――それと似たものを、陽滝姉は複数所持している。
もちろん、言葉だけの誘導ではない。
陽滝姉が『呪術』を開発し、最初に手を出したのは『翻訳』だった。
それは、この『ファニア編』の会話全てに、陽滝姉の手が加えられているということだ。私の言葉は正しく師匠に伝わっていなかった可能性が非常に高い。例えばだが、街を歩き回っていたときに聞いた『
何より、一緒に旅をした師匠――『相川渦波』その人こそが、陽滝姉の一番の仕込だ。
ファニアに出発する前、兄妹二人だけの時間があった。あの『理想』を映し出す心の皹を広げるのには十分な時間だ。あの皹が、今回の相思相愛の決め手となったのは間違いない。
さらには、この指先の『糸』という保険もある。
まだ『糸』の力は定かではないが、もし予定からずれてしまえば、何かしらの修正が待っていたはずだ。今回は陽滝姉の前準備だけで事足りてしまったため、その出番はなかったが、いざとなれば――
「あぁ……」
いま私が認識できるだけで、これだけの陽滝姉の関与がある。
私の力不足で気づけないものも含めると……考えるだけで、気が遠くなる。
全てが陽滝姉の手のひらの上だったと痛感し、唸り、一つの自分の言葉を思い出す。
〝「――『代わり』になれって言うなら、『代わり』になる。死ねっていうなら、死ぬのもいい。何だってやる。もし私が本なら、それが絶対に最後の頁」〟
そう簡単に『契約』してしまったのを覚えている。
いや、もうそれを自分で言ったのかも言わされたのかもわからない。
全てが陽滝姉の手のひらの上のような気がして、自信というものが一切なくなっていく。もはや、私が死ぬのは陽滝姉の中で決まっていて、それは絶対であるような気がして――
「あぁっ……!!」
私は初めての敗北感を味わっていく。
気分よくスキル『読書』なんて反則技で物語を進めていたら、それ以上の反則技に打ちのめされてしまった。
ついこの間のロミスと全く同じ状況だ。
性格が似ていれば、負け方もよく似ている私たちだった。
――そう。
私はロミスと同類。
だからこそ、続きの言葉も、当然のように同じだった。
「み、
無様にも敗北を受け入れない。
私は『切れ目』に向かって、『代償』の取立てを拒否していく。
「死ぬものかっ……! だって、私は読み終えてない! まだ一つも読み終えていない……!!」
瀕死ながらも、ぎゅっと力強く師匠の服の裾を握り締めた。
読み終えていないとは、『相川渦波』と『相川陽滝』の物語のことだ。
この二つは、『理を盗むもの』たちの物語を後回しにしてでも読みたかった本だ。
それを読みきる前に死んでしまう?
ありえない。そんなこと、本好きとして、絶対に許せない。だって、まだ頁は途中も途中だ。フーズヤーズに帰れてすらいなくて、出発前の約束も全く果たせていない。なにより、出発前の陽滝姉と私は、
「こんな『最後の頁』、私は認めない……!!」
『切れ目』に向かって、そう不満を訴えた。
対して、『世界』は首を振るように――また私のスキル『読書』を勝手に働かせて、この逃亡劇の『結末』を先んじて、頭に浮かばせる。
これがおまえの最期だと、あやしつけるように見せられていく。
〝――モンスターたちから逃げていく半ば、鬱蒼とした森の奥深くにてティアラ・フーズヤーズは動けなくなる。
『呪術』の治療は虚しく、その腹部の傷は治らない。腹部の傷は広がり切り、体中の血液が流れ出て、もはや死が迎えに来るのを待つのみとなった。結局、立て続けに行なわれる『代償』の取立てに、彼女の身体は耐え切れなかったのだ。
しかし、死の間際だからこそ、気づけた世界の理がティアラ・フーズヤーズにはあった。森の巨木を背にして、想い人である相川渦波に向かって、彼女は最後の報告をしていく。
「師匠、やっと私はわかったよ……」
逃亡の果て、ティアラ・フーズヤーズが気づいたこと。それは姉のように慕う相川陽滝の
「ああ、だから……。
しかし、気づけども、もう間に合わない。その光景を前に相川渦波は、想い人の死を繋ぎとめようと『呪術』を行使し、叫ぶ。
「ティアラ! 喋るな! それよりも、早く治療を!」
その『呪術』には、かつてないほどに相川渦波の想いが乗っていた。だからこそ、決して血液は止まらない。この『血の力』の傷は、相川渦波では治せないと、世界の理からして決まっていた。ゆえに、そのティアラ・フーズヤーズの言葉は、遺言となっていく。
「師匠、陽滝姉を……――、お願、いね……――」
もう一人の『異邦人』のことを頼み、その命は途絶えた。
相川渦波は震えつつ、血で塗れた両手を見つめて、動かなくなったティアラ・フーズヤーズの身体を揺する。
「あ、あぁ……! あぁああっ! ぁあああぁああああああ――!!」
慟哭し、全てを後悔をしていく。
「み、『みんな一緒』に生き残るって、言った……。言ったのに……! ああ、それなのに、また――!!」
――これが相川渦波とティアラ・フーズヤーズの二人旅の結末。
これこそが異世界で初めて出会ったときから決まっていた運命であり、『異邦人』たちの物語の
ティアラ・フーズヤーズの死によって、相川渦波の物語は大きく転換し始める。この先、彼は想い人だったティアラ・フーズヤーズを永遠に思い続け、この異世界での本当の戦いを始めていく――〟
と『世界』の言いたいことは伝わってくる。
これでおまえは本望だろう? と、そう言われている。
本好きのおまえが『ヒロイン』として、『主人公』の腕の中で死ねる。
『異邦人』たちの物語の鍵となって、永遠に二人の記憶に残り続けられる。『代償』としての死だとしても、おまえの人生の願いは叶う。だから、もう諦めて『契約』通りに、大人しく命を支払えと――
「〝納得いくかっ……!〟」
子供をあやしているかのような優しい『世界』を睨みつけて、私は首を振った。
さらには、逆に視線を『切れ目』に向けて、力の要求をしていく。
「〝納得いく『最後の頁』まで、絶対に私は死なない……!!〟」
陽滝姉の心の内を知れるのならば、そこからが本番だ。
『主人公』の腕の中で死ねるにしても、まだまだ積み重ねが足りない。
いや、そもそも先に結末だけ知らされるというのが最悪なのだ。それだけで、最後の頁の魅力がほとんど消え失せている。もし私を殺したいならば、さっき死んだ娘のように、ちゃんと私の推測を裏切るようなものを用意しろ。でなければ私は、この物語に命を一つたりとも支払う気はない……!!
「ティ、ティアラ……?」
突然『詠唱』し始めた私に驚いて、師匠が名前を呼ぶ。そのとき、『切れ目』の向こう側にいるやつも、少しだけだが困惑したような気がした。
「あ、ああっ!! おまえは死なない! 僕が絶対に死なせない!」
師匠は私が失血で弱り、生を懇願したように聞こえたようだ。私の冷えた身体を抱きしめて、救って見せると誓っていく。
せっかくなので私は、弱った演技をして師匠の胸に埋めていく。
「うん……。ありがとう、師匠……」
いま私は師匠のせいで死に掛けていたが、涙ぐんだ振りをして、お礼を言った。
涙は嘘だが、感謝の言葉は本心からだった。
この師匠の『呪い』を恨むつもりはない。
以前に私がティーダに言っていたことだ。
『呪い』に侵されようとも、大切なのは自分の意思。理不尽なんて、世界のどこにだってある。『糸』があろうとなかろうと、それに引っ張られてしまう自分が――
スキル『読書』も同じだ。
私の何倍ものスキルを所持していそうな陽滝姉が、暴走に振り回されていた様子はなかった。確かに「スキルが勝手に選択肢を解析し、理想の結末を教えてくれる」とは言っていたが、その上で自分の目指す道を進めている。ならば、「スキル『読書』が勝手に動く」という弱音は、私の甘えでしかない。
「はぁっ――! はぁっ、はぁっ、はぁっ……!!」
血の匂いのする息を吐きながら、指の中にある『糸』に意識を傾けていく。
仕組みはわかっている。外ではなく内の『糸』が重要だ。
きっと陽滝姉と同じように、《レベルアップ》で私の神経は増えているのだろう。その神経が私の与り知らぬところで情報を集めていって、勝手に色々なことを考えて、私の脳ってところに報告をしている。
それを許すな。
『魔力』と『代償』を使って、言い聞かせろ。
ティアラ・フーズヤーズは生まれを理由に、
ティアラ・フーズヤーズは自分の意思で、
勝手に読むとしても、順番だ。絶対に頁を飛ばすな。そんな興醒めな真似、本好きの私の前では許さない。
次に先読みをしたら、その神経を全部、引き千切ってやる。
「はぁっ、はぁっ……、――ッ!!」
そう身体の内に向かって脅したとき、スキル『読書』が私の意思で働き出すのを感じた。
いま私の持っている情報の整理が、自動的に素早く、的確に行なわれていき――
〝――モンスターたちから逃げていく半ば、ティアラ・フーズヤーズの腹部の傷は『代償』の取立てによって癒えず、出血は止まらない。
しかし、死の間際に、彼女は気づく。いま腕に抱えたヘルミナ・ネイシャの魔導書にこそ、死した少女の『血の力』の秘密が詰まっていることに。それこそ唯一、ただの人であるティアラ・フーズヤーズに操れる『奇跡』でもあるということに。すぐに彼女は魔導書を開き、この状況を切り拓く術を導き出していく――〟
それは結末ありきで用意されていた頁ではない。
いまを生きる私のために書かれた頁だと、やっと心から信頼できた。
私は師匠の腕の中、めくられていく頁を血走った目で追いかける。
特に、先ほど死んだ少女の『魔人』としての力が重要だ。まず、この治癒できない傷口を塞ぐ方法を見つけないと話にならない。
私は〝死なない〟〝死なない〟〝死なない〟と、心の中で唱え続けて意識を保つ。
やっと『糸』が見えて、『世界』に怯むこともなく、『スキル』が完成してきたのだ。
あの陽滝姉と肩を並べられてきた実感が出てきたのに、ここで終わりなんて絶対に嫌だ。
出発前に私は「陽滝姉を
あの人の心を暴いてやって、読んで、触れて、噛み締めて、舌で転がすまで――何をしてでも、誰を犠牲にしてでも、私は生き残る。
「くっ、モンスターが道を塞いで……! ティアラ、少し動く! 耐えてくれ!」
「……大丈夫、師匠。――《ブラッド》」
私は仮の呪術名を口にして、手を腹部に当てた。
ヘルミナ・ネイシャと師匠から学んだ知識を合わせて、私の持つ『魔力』を全て注ぎ込み、流れ出ていく血を操りにかかる。
しかし、傷口に入り込んだであろう死した少女の血は頑固で、そう簡単に制御はできなかった。もう術者は死んだというのに延々と怨敵である私を殺そうと、治癒の邪魔をし続けている。
死しても動き続ける血――いや、死してからこそ、なお盛んとなる血――これが『血の力』の最大の特性のようだ。
生きている私の血では分が悪いとわかった私は、
「――『私は全てを懸けて誓う』。『この世の終わりになろうとも必ず』、『この本を読み続ける』――」
『詠唱』をして、出力を補う。
『代償』にするのは、私の未来。ついでに、この『世界』の未来も勝手に懸ける。
どうせ、いま払うんじゃないからと、とにかく価値の高そうなものを選んでは次々と担保にしていく。
もちろん、この借金を支払う気なんて、私には全くない。隙あらば踏み倒してやるし、最悪でも他人に押し付ける。それこそが最も賢い『呪い』であると、私は理解していた。
その私の悪意に『世界』が気づいているのかはわからない。
だが、取引だけは誠実に成立していった。
『詠唱』で力を得た私は、体内の血全てを操ることに成功する。それは、ずっと傷口で悪さを働いていた死した少女の血も含んでいた。
私は血を凝固させて、応急処置で出血を止める。
そして、手のひらには私の自由になる血液が、小さな器一杯分。『血の力』によって、死しても動く赤い球体を一つ確保した。
――これで、やっと意識を周囲に向けられる。
私は顔をあげて、師匠の言っていたモンスターたちとやらを視認していく。
未だ私たちは森林沿いの道を走っていた。
その横にある茂みでは、禍々しい『魔力』を持つ獣が数匹走っていた。形状は狼に似ているが、その速さと賢さは完全に獣の枠から外れていた。確か、フーズヤーズではバウンドドッグという名前で恐れられているモンスターで、その口は師匠でも丸呑みにできそうなほどに大きい。
他には、空に八目の巨大怪鳥が飛び、後方からは眼光を光らせる霧のお化けが追いかけてきている。どれも厄介なモンスターばかりだ。そして、その全てが私だけを狙っている。
私を殺したいという本気具合が、ひしひしと伝わってくる。
すぐさま私は師匠の胸の中から抜け出して、ヘルミナさんの本を懐に納めつつ、器用に師匠の背中側に回った。
師匠は急に元気になって動き出した私に驚く。
「ティ、ティアラ!? ……血が、固まってる? どうやって……!?」
腹部の異様な状態を見て、説明を求めた。私は回した手が持つ血の球体を主張させつつ、新たな力の出所を師匠に教えていく。
「……お待たせ、師匠。ヘルミナさんの本、ほんと凄いよ。これのおかげで、なんとかなりそう」
「ヘルミナさんの……!? そ、そうか! ファニアの石には、血が入ってるって言っていた! 血を操る術があったのか!? は、ははっ――、よし! それなら!!」
私が一人で傷の問題を解決したことで、師匠は活路を見出したのだろう。
手綱を強く握り直して、アルァウナの横腹を足で蹴る。それは拙い操作だったが、高度な訓練を受けていたアルァウナは、師匠の意思を読み取って最高速に達していく。
「ティアラ! しっかり掴まってろ! 全力でフーズヤーズまで戻る!!」
私への負担の心配がなくなったことで、師匠は疾走に集中していく。
それに合わせて、私は師匠の腰を左手で掴んだまま、右手に持った血の球体を手放す。
「うん……。師匠、絶対に二人で戻ろう。後ろは任せて。――呪術《ブラッドアロー》」
宙に放り出された血の球体は、呪術によって形状を矢に変える。
そして、空から襲い掛かってくるモンスターに向かって射出された。
怪鳥のモンスターが羽を射抜かれ、墜落していく。それを見届けたあと、すぐさま腹部の傷に手を当てて、次の血を右手に集めていく。はっきり言って、命を削る呪術だが、死ぬよりはマシだ。
私は死と隣合せの中、血の矢を作り、口元を歪ませていく。
そのとき、視線はモンスターたちでなく、『切れ目』に向かっていた。
「ひ、ひひっ――」
笑いかける。
どれだけ『代償』が私に圧し掛かろうとも、支払う気なんて一切ない。
これから私は逃げ続ける。
それが最強の技の一つだと、陽滝姉から教えてもらったのだ。いつか私が
「――そう簡単に、私を殺せると思うな」
いつか仕返すと、そう脅すように宣言し、さらなる血の矢を私は放った。
それは後方の霧のモンスターを貫き、そのさらに奥にある『切れ目』の中に、吸い込まれていって――
(――
――そこで本は閉じられた。
続きの頁が途切れて、師匠も私も、アルァウナもモンスターたちも、森林も暗い空も、全てが真っ黒に染まった。千年前という時間も、ファニアという舞台も、主人公もヒロインも失われて、全ての物語が止まる。
一つの世界が、急速に消失していく。
その現象は、まさしく『奇跡』そのものだ。
そして、それこそが千年後にて『魔法』と呼ばれるもの。
『過去視』の魔法《
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