372.破れる頁



 ――それが二十五日前の出来事。


 私が『理を盗むもの』たちの未来を見捨てたことを、はっきりと思い出せた。


 ただ、これだけ記憶が明瞭でありながらも、元院長さん改め領主さんの名前が思い出せない。

 師匠に注意された手前、なんとか私は記憶を掘り起こそうとする。


 その間に、領主さんと師匠は、一つの調査結果を共有していく。

 

「ああ、それとカナミ君。頼まれていた例の人たちの件についてなんですが……」

「――っ! どうでしたか!? 誰か残っていましたか!?」


 おそらく、私と師匠が初日に、ここの中央療養室で治療レベルアップを施した人たちのことだろう。


 彼らは師匠を崇め始めたという理由だけで、ロミスに処分された。

 確か、地下室に送って、実験の材料にしたという話だったが……。


「地下には、彼らの成れの果てが放置されていました。一夜で強引な魔人化実験を――いえ、実験とも呼べない非道な処理がされたようです。そのほとんどが死亡していました」

「……そうですか」


 わかっていたことだが、全員が悲惨な最期を遂げていたようだ。

 しかし、それだけで話は終わらず、院長さんは続きを話す。


「ただ、その成れの果ての一人一人を、私が患者名簿と照らし合わせていったのですが……数名だけ名前が埋まりませんでした。あの騒動の日、実験に耐えていた何人かが、地下から逃げ出していたようです」

「……それは、もしかしたら生き残りがいるかもしれないってことでしょうか?」

「そういうことですね。その中には、カナミ君を案内したという少年も入っていましたよ。……傾向としては、若く才能溢れる子は、魔人化に耐えられるように感じましたね」

「あ、あの子が……!? そうですか! 確かに、あの子は本当に賢くて、才能に満ち溢れていました! は、ははっ!」


 生存者は僅かだったが、そこにお気に入りの少年が混ざっていたおかげで、師匠の顔が少し明るくなる。


 あの少年も新領主さんと同じく名前が思い出せないけれど、ずっと経典を脇に抱えていたことだけは覚えている。

 なにより、師匠に救われたとき、『大いなる救世主マグナ・メサイア』という言葉を使って、誰よりも目を輝かせていたのが印象的だった。


 その朗報を聞いた私は、丁度いいと声を張り上げる。


「ほらっ、師匠! 私の言ったとおりじゃん!」


 少し気にしていたことがあった。

 ロミスの戦いのとき、無責任に私は「師匠が救った人たちはみんな生きてる」と叫んだ。その言葉が少しでも真実となった幸運に、私は感謝する。


「楽観はよくないけど、悲観もよくないってことだよ! こうやって、なんだかんだで良かったことも、ちょいちょい出てくる! 何もかも責任を感じることはないからね、師匠!」

「ああ……。よかった、本当に。ははは……」


 これで師匠の朝の習慣である無差別《レベルアップ》が治ればいいなと思いつつ、朗報を強調していく。

 その私の考えを察してくれたのか、領主さんも師匠の功績を讃えていってくれる。


「カナミ君、君は間違いなくファニアの『救世主』でしたよ……。君のおかげで、近い将来に病で死ぬ人たちが、本当にたくさん救われました。その助けた人々を無視して、助けられなかった人だけを数えるのは、君の悪い癖です」

「……そうですね。僕は僕に出来ることを全力でやりました。そこに後悔はありません」

「ええ、それでいいんです。君のもたらした光は、本当に御伽噺の『魔法』のように神聖で、とても美しく煌いていました……。あの光を、ファニアの人々は死ぬまで忘れないことでしょう」


 領主さんは師匠を見つめて、心の底からの評価を口にする。

 私と違って飾りのない彼女の言葉は、師匠の心に強く響いたようで「はい」と素直に頷かせた。


 その二人を見守る私は、一つの言葉を繰り返す。


神聖・・――」


 いい言葉だ。

 まさしく、最も師匠に相応しいと思い、気に入った。


「では最後に、カナミ君。頂いた『術式』の本のお返しに、私の本です。妹さんの治療の足しになるといいのですが……」


 そして、領主さんは一つの分厚い本を手渡す。

 受け取った師匠は、その場で頁をめくって内容を確認していく。

 それを私も隣から覗きこんだ。


 本には、ファニアで見てきた技術の詳細が書き込まれていた。

 軽く目で追っただけでも、街の機密が惜しみなく記されているとわかった。


 おそらく、この本には領主さんの研究員人生の全てが詰まっている。最大の信頼の証であると理解した師匠は、厳粛に感謝の言葉を返していく。


「こんなにも詳しく……。ありがとうございます。決して、無駄にはしません」

「感謝しているのは、こちらです。君と出会って、私は確信できました。この世界に渦巻いているのは、決して毒ではない。あれは使い方次第で、薬となる。――これからファニアとフーズヤーズが協力していけば、それを大陸中に証明できるはずです」


 領主さんは空を覆う暗雲を見上げつつ、『魔の毒』に対する考えを述べていく。

 それに師匠も同意しつつ、同じく暗い空を見る。


「そうですね……。世界は悪いことばっかりじゃない。いいことだってある。いまは無理でも、いつかは――」

「いつか、空の雲を全て晴らしてやりましょう。君の言っていた『青い空』が、私も見たいです」

「ええ、『青い空』は綺麗ですよ。どうか楽しみにしててください」


 二人は約束をしていく。

 その姿は、二十五日前の『理を盗むもの』たちを私に思い出させた。


 だからだろうか。

 いま、領主さんも『理を盗むもの』たちと同じだけの縁を、私たちと結んだような気して――唐突に、私の頭に一つの文章が浮かんだ。


〝――その約束は果たされない。ついぞ、ヘルミナ・・・・ネイシャ・・・・は『青い空』に届かなかった。真っ赤に染まった『血の空』の下、彼女は死者たちの怨嗟の声に掴まれ続ける――〟 


 とても絶望的な結末が見えたと同時に、領主さんの名前を思い出す。


「え――」


 それが私のスキル『読書』の力だとはわかった。彼女の純粋さと不安定さから、破滅の未来を読み取ったのだろう。


 ただ、ヘルミナ・ネイシャの結末がわかったとしても、私にはどうにもできないことだ。『理を盗むもの』たちを見捨て、『異邦人』に集中すると決めたところなのだ。だから、私は少しの罪悪感と共に、別れを告げるしかなかった。


「――そ、それじゃあ、ヘルミナさん! またね!」


 初めて私に名前を呼ばれたヘルミナさんは、とても感激した様子で答える。


「はい、ティアラ様! また会いましょう!」

「ティアラ……。ヘルミナさんの名前、また忘れてるって思ってたけど、ちゃんと覚えてたんだな」


 その別れの挨拶を聞き、師匠は少し安心した声を出しつつ、近くで待機させていたアルァウナに跨っていく。それに私も《レベルアップ》で得た跳躍力で、もう一頭の背中に続いた。


「しっつれいな! 私は一度だって、領主さんの名前を忘れたことないよ!」

「いや、それは嘘だろ」


 冗談を飛ばし合う私たちを見て、くすくすとヘルミナさんは笑う。そして、ティーダやアルティのときと同じく、未来に明るい希望を見出しながら手を振ってくれる。


「カナミ君、また来てくださいね。いつでもファニアは、あなたを待っています」

「はい……。また来ます!」


 それを最後に、私と師匠はアルァウナを走り出させた。


 噂に聞いたとおり、ファニア特有のアルァウナは乗用動物として非常に優秀だった。技術を必要とせず、子供でも楽に操ることが出来る。きっと、この二頭はファニアの中でも、特に優秀なのだろう。


 ヘルミナさんと侍従さんに見送られ、街道を駆け抜けていく。

 ファニアの街並みはアルティが去ったことで、私たちがやってきたよりも少し暗くなっていた。なんとか領民たちが火を絶やさぬようにしているが、『炎神様の御石』の明かりと比べてしまうと、どうしても見劣りしてしまう。


 しかし、それが『異常』でなく『正常』であると、いまならば確信できる。

 一人の女の子を『代償』に成り立っていた明かりなんて、普通ではない。だからこそ、この少し暗めの町並みが、私は以前よりもずっと明るく見えた。ティーダではないが、視覚でなく精神こころが眩しいと感じた。


 そのファニアの街並みを通り抜けて、門まで辿りつく。

 そこには師匠が《レベルアップ》して治した領民たちが集っていた。私たちは彼らに別れを告げながら、壁の外に出ていく。


 門の先に広がっていたのは、どこまでも続く平原に、蓋を閉じるかのような巨大な暗雲だった。

 ファニアでの明かりのある生活に慣れてしまったせいか、その暗さが一層と際立つ。しかし、その平原を駆けながら、師匠は空気中の『魔の毒』に触れつつ、先ほどのヘルミナさんの話を反芻する。


「毒じゃない、か……」

「……ずっと私たちは『魔の毒』って呼んでたけど、そう師匠も思うの?」

「そうだね。正直、僕は『魔の毒』に助けられてばかりで、一度も病気にはかかってないから……」

 

 考えてみれば、そうである。

 毒の実感のない師匠には、もっと別の単語が頭に浮かんでいるようだ。


「なら、言い方変える? いつものノリでさっ」


 私は明るい話題を続けようと、造語の作成を促してみる。

 それを聞いた師匠は、軽く目を見開いてから、少し不安げに提案していく。


「じゃあ……、『魔の毒』の代わりに『魔力まりょく』って呼ぼうと思ってるんだけど。ティアラは、どう思う?」

「ま、りょ、く! へー、魔のちからかー。いいね! 正直、私たちにとっての『魔の毒』って、もう緊急時のエネルギー扱いだもん!」


 もっと変な造語が出てくるかと身構えていた私だったが、思ったよりも大人しい言葉が翻訳されて安心する。


 というより、これは師匠お手製のものではなく、異世界からの引用のようだ。最近は師匠の言葉選びの傾向がわかってきたので、そのくらいの判断はできる。


「よかった……。こっちの人でも、『魔力』は違和感のない言葉なんだね。なら、もうこれでいこう。いや、最初からこれしかなかったんだ。この世界に満ちているのは『魔力』……! 『魔の毒』じゃない!」


 師匠は駆けながら、その『魔力』を全身で浴びていく。

 ファニアでは自虐の多かった師匠が、いま本調子に戻っているのを感じる。


「おおっ。ノッてきたね、師匠!」


 それを私は喜び、フーズヤーズへの帰路を進む。


 その途中、私たちは移動の時間を惜しんで、『呪術』の開発にも手を出していく。

 アルァウナが怯えないように抑え目だが、師匠は空気中の『魔力』を捏ねては、笑みをこぼす。


「『魔力』……。いま、僕は『魔力』を扱ってるのか……。ふ、ふふ――」


 妙に嬉しそうだった。

 師匠にとって、その単語は特別だったとわかる。


 その師匠の真似をして、私も『魔の毒』改め『魔力』を全身で感じていく。

 ただ、アルァウナの速度のせいか、急な肌寒さを感じて、慌てて私は鼻を押さえた。


「へ、へっくし!」

「……ティアラ。もしかして、寒いの?」


 私のくしゃみを聞いた師匠は、私の身を案じる。

 そこまで気温は低くないので、何かしらの病気を危惧しているようだ。


「んー、なんか風邪っぽいんだよね。師匠の《レベルアップ》を受けてから、一度もこんなことなかったんだけど……。ここ最近、妙な寒気があってさ……」

「確かに、ティアラは普通よりも濃い目の《レベルアップ》をしたけど……だからって、病気知らずの身体になったわけじゃないんだ。身体には気をつけて」

「りょーかい! ……あっ、そうだ。ヘルミナさんの本、私にも見せてよ。医者もやってたらしいから、風邪について書いてるかも」


 私は自分の体調に余り興味はなかったので、上手く師匠の持っている本をふんだくりにかかる。


「いや、そういうのは……書いてても、別におかしくないのか? けど、ティアラ。馬を走らせながらでも、読めるのか?」

「これでも本を読むことに関しては右に出るものはいないって自負してるよ。ながら読書は得意中の得意! というか、もうアルァウナこいつを走らせるのにも慣れてきた! こいつ、ほんと楽だねー! 絶対フーズヤーズに輸入してやろう!」

「もう慣れた? は、早いな、ティアラ……。いや、ものすごく賢い馬なのは、僕もわかってるけど……」


 私は宣言どおりに上手くアルァウナを操り、師匠に近づく。


 短い時間で、私は完全に操作を習得できていた。その確かな操作を見たことで、師匠は私の言葉を信じて、ヘルミナさんの本を手渡してくれる。

 私は大好きな本を手に入れて、少しだけ浮かれ、師匠に雑用を押し付けていく。


「ありがとっ、師匠! じゃあ、走らせながら読んでるから、周囲の警戒は師匠がお願いねー」

「はいはい、了解了解。こうなるのは最初から決まってたな……」


 役割分担が綺麗に決まる。

 移動中は師匠が索敵し、私が研究を進める。

 時間を無駄にしないのならば、これが理想なのは間違いなかった。


 先導を師匠に任せ、その追従すらもアルァウナに頼り切り、私は視線を手に持った本に落としていく。その分厚さは、以前に読んだ師匠の本に負けておらず、片手でめくるのは少し難儀だった。

 もう片方の手で手綱を握ったまま、私は本を読み進める。


「ふむふむ……。これがヘルミナさんの本……」


 その内容を一つずつ、追いかけていく。

 まず一頁目には、『魔人』について記されていた。


 ――『魔人』とは、身体にモンスターの特徴を持った人間のことを指す。


 大陸の人々は、自分たちと違うという理由だけで、その『魔人』たちを差別し、排斥するようになった。

 病が大陸に蔓延する中、未だ戦火の絶えない最大の理由でもある。


 当初ファニアは、その差別意識を抑えるために『魔人』治療の研究をしていたようだ。

 どうにかして、『魔人』が生まれる原因を突き止めて、それを抑制しようとした記録がある。


 そのときにヘルミナさんは、『魔人』が生まれる原因は『魔の毒』であると突き止めている。同時に、世界そのものが限界を迎えていることにも気づき、その世界に意思があることも発見した。

 天才を自称するだけのことはある。


 そして、このあたりからロミス・ネイシャが介入していたようだ。


 『魔人』の上位互換である『炎神』と『闇神』の研究結果が、ずらりと本に並び始める。

 これも最初は『魔人』と同じく、『火の力』と『闇の力』の抑制を目標としていたようだが、例の『呪い』で研究の方向性は狂っていった。


 特に『火の力』の再現をしようとして、『世界との取引』を繰り返す記録は、文字で読むだけでも凄惨なものだった。

 人扱いされない『魔人』たちが犠牲になっては、死ぬよりも恐ろしい状態になっている。


 その実験の最中に、ヘルミナさんは血の重要性に気づいている。

 『魔の毒』は血を通って全身をめぐることや、血の中に多くの情報が詰まっていることなど、多くの習性が本に記録されていた。

 発見の切っ掛けは、実験を繰り返した『魔人』の死体から流れ出た血が、それ単体で超常現象を起こしたかららしい。


 そして、それをヘルミナさんは暫定的に『血の力』と呼称して、重点的に研究し始める。

 血は力を持ちながら、そこに人の意思や世界の意思はなく、加工・操作がしやすかったようで――あっさりとヘルミナさんは、『奇跡』に似た現象を『血の力』で起こせるようになっていた。


 ヘルミナさんは『魔人』や『炎神』の血を抜いては、鉱石に閉じ込めていき、領民の生活の足しにしていった。それが建物に引かれた赤黒い線や『炎神様の御石』にあたる。


「ふうむ、『血の力』かあ……」


 読んだところ、『血の力』は特別でない人間用のものに感じる。


 これならば、私でも師匠たちと同じように反則的な力を使えるかもしれない。

 もちろん、その『代償』として、多くの犠牲者は必要だろうが……。


「おっ」


 さらに頁をめくっていくと、とある研究の計画表があった。

 そこには大きな文字で『五段千ヵ年計画』と書かれていた。

 『血の力』の今後について記されていると思い、その頁を私は重点的に読んでいく。


 五段と呼称される以上、計画は大きく五つに分けられていた。


 ――第一段階目は、『アルトフェル教』計画。


 その内容は、『世界との取引』を利用して、人々に『代償』を少しずつ払わせていくことで――それをヘルミナさんは、そのまま『アルトフェル教』と名づけたようだ。

 命名センスが師匠よりも私に近くて、少しだけ安心する。


 ロミスの力の源となった計画だ。

 過去にあった宗教を再利用して、偶像となる神様を用意し、それに祈らせることを『代償』として、発生した力を一箇所に集める。

 加えてロミスは、その神様役の炎神様を手中に収めて、莫大な『火の力』を思うがままにしていた。


 欄の最後には「一年で完了」と書かれていた。


 ――第二段階目は、『魔石ませき』計画。


 その内容は、ファニアの特殊な鉱石に『魔人』の血を入れて、超常現象を起こす『魔石』を量産すること。


 これもわかりやすい。

 その果てに、アルティの血を入れた『炎神様の御石』が産まれたのだろう。

 アルトフェル教と同じく、これも「一年で完了」と書かれてある。


 ――第三段階目は『魔石線ませきせん』計画。


 その内容は、量産した『魔石』を線のように引いて、それで『魔の毒』の運搬を行なうこと。


 資料によると、この線は既にファニア全体に引かれていたらしい。

 これのおかげで、淀みなく『魔の毒』がロミスの身体に集まっていたのだろうか。少し自信はないが、『第一魔障研究院』の建物に使われていた赤黒い線も、これに含まれる気がする。あとは、ヘルミナさんにしか解けなかった錠あたりもか。


 これは上記二つと違い、「十年予定」と書かれていて、未完了扱いだった。

 この『魔石線』の最終目的は、領の『魔の毒』を全て、大地という名の巨大な鉱石に吸い込ませることだったようだ。


 ――第四段階目は、『魔石人間ませきにんげん』計画。

 

 その内容は、安全に『魔の毒』を浄化できる『魔人』を人工的に生むこと。


 補足資料として、大量の『魔人』たちの死体が描かれていた。死者の臓器を『血の力』で再活性させて、血管を『魔石線』で代替させ、擬似的な生命活動を行なうと書いてある。どうやら、試行錯誤の結果、一から造るのが最も効率的という結論に至ったようだ。


 これには「百年予定」と、ヘルミナさんの寿命を軽く超えた期日が書かれていた。そのことから、彼女は『魔石人間』に乗り気でなかったことがわかる。


 この計画は、もう破棄だろう。

 リスクを許容して、《レベルアップ》で『魔の毒』を変換していくと、ファニアでは決まった。


 ――第五段階目は、『魔法』計画。


 これは上記四つの計画の総括のようだ。

 ざっくりと千年後には、全人類が『魔法』を使いこなし、『魔法』に生活を助けられ、『魔法』で世界を救うと、大雑把な未来予想図が記されていた。


 ここまで来ると、ちょっと幻想的過ぎると私は苦笑する。


 おそらく、ここはヘルミナさんの個人的な願いだろう。私は五段階目を飛ばし読んで、本を読み終えた。


 そして、また読み返す。

 全体を把握した後は、重要な部分の抽出だ。

 いまのところ、私が模倣したいと思ったのは第三段階目の『魔石線』だけだ。第四段階目の『魔石人間』からは、余りに現実味がない。


 ヘルミナさんは医者の真似事をした際に、人体解剖図の複写などを作ったようだが、これで生命が複製できるとは、到底思えな――


「ん?」


 ぱらぱらと医学関連の頁を見ていたとき、私は一つの絵に目を引かれた。


 それは人の皮膚の下に引かれた白い『糸』のような線の絵だった。

 神経・・の頁で、私は手を止める。


「……似てる?」


 指先に伸びる白い『糸』と見比べて、そう私は呟いた。


 子供の頃、城の専属医から聞いたことがある。

 人の身体には神経という線が張巡らされていて、「手を動かす」「足を動かす」といった脳からの伝令を運搬しているらしい。


 ヘルミナさんの本には、神経のさらに詳しい情報が羅列していた。


 神経は血の次に『魔の毒』と関わりが深いこと。

 僅かながらも『魔の毒』の運搬をしていること。

 その運搬作業が神経を刺激し、『魔の毒』の病の異常な苦しみに繋がっていること。


 それらの情報を読んだとき、ふと私は一つの知識を思い出す。


 ――それは師匠から教えてもらった呪術《レベルアップ》の仕組みについてだった。

 

 《レベルアップ》は『魔の毒』を『人の生きる力』に変換するというイメージだが、その工程の中には、細胞の類似品・・・・・・を作る・・・というものがある。


 それも『物質としての質量を持たない細胞』で、人の器官を複製してしまうらしい。

 まだ私は全てを理解できていないが、《レベルアップ》は免疫力・瞬発力・神経・・の伝達速度・脳領域の拡大なども可能であると、師匠からは聞いた。


 神経……。

 つまり、例えばだが……。

 十分な『魔の毒』があれば、神経とやらは無限に増やせるのだろうか……?

 延々と複製し続けば、いつかは人体に収まり切らなくなるほどに、見えない神経は増えていって――


 憶測が憶測を呼び、連鎖的に私は、陽滝姉の苦しそうな顔も思い出した。

 そして、手元の本にある神経の注釈と照らし合わせていく。


〝――神経は非常に敏感で、デリケートな器官だ。痛覚も司っている以上、とても摘出できるものではない。空気に触れるだけで、大の大人が悲鳴をあげる。『魔石線』の代替になりえるが、剥ごうとすれば被験者は痛みで発狂してしまう。まず『魔の毒』のある空間での手術行為は不可能だろう〟


 確か、陽滝姉の身体は、他人よりも『魔の毒』の出入りが激しいとの話だった。


「いや……、そんなこと……」


 しかし、〝相川陽滝は特別の中の特別〟と、誰よりもわかっているつもりだ。


 特別な思考力で、馬鹿力の私を赤子のように扱っていた。


 ただ、特別だとしても、そんなことが本当にありえるのか?


 本能的な恐怖が、じわじわと胸の内に広がっていく。

 その膨らんだ不安は、いまにも爆発しかけて――


「――ティアラ!! 前っ、前を見ろ!!」


 身体を震わせかけたとき、唐突な叫び声によって、私は思考の坩堝から抜け出す。

 隣を走る師匠が、前方を指差していた。


「前に人がいる!!」

「え、え? あ、うん!」


 私は目線を本からあげて、手綱に意識を集中させる。

 いま私たちは、とある森林の外周を沿って伸びた道を進んでいたところだった。その道の真ん中に、一人の子供がお腹を抱えるように蹲っていた。

 

 物盗りを警戒して、私たちはアルァウナを止めて、遠くから注意深く観察する。

 そして、その蹲った子供の横顔を見て、私は声を漏らす。


「え? あのときの……?」


 顔だけでなく、その病人服にも見覚えがあった。


 三十日前の『第一魔障研究院』病棟で見かけた少女だ。

 私が人の闇を探して回っていたときに出会った子で、病で死に掛けていながらも「大丈夫だよ」と両親に笑いかけた強い心の持ち主でもあった。


 彼女も師匠の《レベルアップ》を浴びたせいで、ロミスに処分されたと思っていたが……。


 もしかして、ヘルミナさんの言っていた脱走者の中に、彼女も入っていたのだろうか。

 それならば、少しだけ嬉しい。

 師匠はあの少年を気に入っていたかもしれないが、私はこの少女を気に入っていたのだ。


「もしかして、ティアラの知り合い?」


 私が目を輝かせたのを見て、師匠は不思議がった。

 その質問に私は頷き返す。


「うん。知り合いと言えば、知り合いかな? たぶん、ヘルミナさんの言っていた名簿に埋まらなかった子だよ」

「――っ! 本当に!?」

「ファニアから逃げて、ここの森に隠れてたのかな……? 早く安心させてあげないと」


 すぐにアルァウナから降りて、師匠に本を預け、小走りで少女に近づいていく。


 私は笑みを浮かべていた。

 少女は一度私のスキル『読書』の予想を裏切り、私に負けないほどの強い心を持っていた。彼女ならば、いまの胸の不安を払う手助けをしてくれるかもしれない。そんな少しばかりの期待をもって駆け寄り、優しく声をかけていく。


「ねえ、私のこと覚えてる? 前に病院で会ったよね? いま、フーズヤーズに帰ってる途中なんだけど……」


 怯えさせないように、まず自分がファニアの人間でないことを伝えた。

 ただ、ぴくりとも少女は動かない。慌てて逃げ出すかと思ったが、そんなこともなかった。心配になった私は、蹲った少女の肩に触れて、その身体を見ようとする。

 

「お腹が痛いの? 大丈夫?」


 膝を突き、彼女の顔を覗き込もうとして――



「――大丈夫じゃない・・・・・・・



 殺意に塗れた双眸と共に、少女の手元で光が煌いた。

 彼女の持った短刀が、とても滑らかに、私の腹部に突き刺さる。


「――っ!」


 何よりも驚きがまさった。

 余りにも少女が以前と違ったからだ。


 頭部は変わらないが、それ以外の部分が人間のものではなかった。凶器を握った手の指は三本で、びっしりと腕には羽毛が生え揃っている。

 例の魔人の特徴が出ている。ただ、その変化は事前にヘルミナさんから聞かされていたので、そこまでの驚きはなかった。


 最も驚いたのは、少女の双眸。

 かつて世界の全てを受け入れた優しい瞳が、完全に澱み切っていた。

 世界の全てを呪うかのような――『人の闇』が渦巻いている。


 それを確認したとき、腹部に突き立てられた短刀が動き出す。


 ――不味い。

 

 このまま短刀を捻じられたら、『呪術』でも回復不可能なほどに臓器が損傷する。

 気を抜き過ぎだ。どうしてこんなにも私は、不用意に――


「こ、このォッ――!!」


 私は叫び、短剣から逃げるように身を退いた。

 しかし、それを予測していた少女は、前に身を乗り出して、短刀を前に突き出そうとする。


 ――その命の危機に・・・・・・・、私のスキル『読書』が発動する。


 そして、とても乱雑に、頭の中に浮かんでいく文章の羅列。


〝――咄嗟にティアラ・フーズヤーズは、腰に佩いた剣を抜いた。そして、その勢いのままに、魔人となった少女の胴体を真横に斬る。その動きに迷いはなく、魔人に成りたての少女では、その一閃を避けることは叶わなかった〟


「――あ」


 我に返ったときには、もう全てが終わっていた。


 私は短剣から逃れて、致命傷を避け切った。

 代わりに、道の上には上半身と下半身に分断された少女が倒れていた。


 目の前で、血の池が溜まっている。

 喉奥に吐き気があって、異様に目と鼻が沁みて、返り血で視界が赤い。


 剣を使ってしまった。

 ずっと『体術』だけを使って、結局は一度も手を汚さなかった私が、とうとう人を斬ってしまった。


 しかし、まさか――このとき、この相手に、この剣を使うとは思わず、私は手に握った剣を落とす。

 そして、その混乱のまま、手にかけた少女に駆け寄る。

 

「……だ、大丈夫!? ねえ! 大丈夫っ!?」


 奇跡的に「大丈夫だよ」という言葉が返ってくるのを望んで、何度も私は聞いた。

 しかし、その問いかけに少女は、口から血を吐きながら、全く別のことを話し出す。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ――ぁ、あぁ……。わ、私たちは、幸せだった……。騙されている間、とても幸せだった……」


 魔人の生命力のおかげか、身体が両断されても少女は生きていた。

 ただ、その最期の言葉は、私の望んだものとは逆だった。


「領主様は、聖人のように優しくて……、怖い人は一人もいなくて、優しい人だけの世界で……」


 その領主様が、ヘルミナさんでなくロミスであるともわかる。

 少女の言う世界が、私と師匠の来る前のファニアであるともわかる。


あの人・・・……、どうして、止めなかったの――?」


 少女は視線を師匠に向けたけれど、私だけに囁き続けた。

 ロミスと同じく少女は、誰が一番の悪人だったのか、よくわかっているのだろう。あの日、どうして師匠の背中を押したのかと、私は責められる。


「ねえ、お願いだから――、私たちをみんな、あそこに帰して……。こんなところで、私は死にたくない……。こんな暗い真実せかいの中でなんか――、消えたく、ない……、まだ――」


 声が絶え絶えになっていく中、少女は『魔法』が解ける直前まで時間を戻して欲しいと願い、涙を流した。そして、そのまま――


「私は、死ぬ瞬間まで……、幸せな私を――信じて、いたかっ――」


 止まった。

 少女は目は開いたまま、暗雲を見つめ続け、静止している。

 動くのは、流れる血液だけだった。


「死ん、だ……?」


 私の馬鹿力の一閃で胴体を切り離されたのだ。

 死んだに決まっている。

 ただ、その事実を私は、まだ信じられなかった。


「あ、そんなつもりなくて……、でも、いまのは……」


 混乱する頭の中、確かにわかることがあった。

 少女は『アルトフェル教』を信じている間、幸せだった。


 それを取り上げたのは、私たちだった。だから、その私たちを少女は恨み、呪って、死んでいった。


「――ティアラ!! 深呼吸しろ! 落ち着いて、僕の声を聞くんだ!」


 私が少女の前で震え続けていると、師匠が私の耳元で叫んだ。

 そして、私の腹部の傷口に手を当て、『呪術』による治療を行いながら呟く。


「いまのは仕方ない。やらないと、ティアラが殺されてた」

「仕方ない……?」


 仕方ないわけがない。

 師匠は少女の遺言を――最期の恨み言を聞いていない。だから、そんなことが言えるのだ。もし聞いていれば、きっと殺されるべきは私だったと思うに、決まって――


「――っ!? 血が止まらない!?」


 その私の考えを反映するかのように、腹部から出血し続ける。

 ロミスとの戦いによる骨折や火傷を完治させた『呪術』が、少女の刺し傷だけは癒してくれなかった。


 その原因を師匠は突き止めようと、少女の死体に近づく。


「ナイフに毒が塗られてたわけじゃない。錆びてもいない。『魔力』だって、十分にある……! なんで……!」


 何も見つからず、師匠は呻く。

 師匠の顔を歪んでいるのを見て、本能的に私は強がって動こうとする。

 しかし、その身体に全く力が入らず、私は膝を突いた。


「あ、れ……」


 ずっと感じていた寒気が、ここにきて急に倍増してきた。

 体温が低くなっていくのに合わせて、心も冷え込んでいくような気がした。

 心身共に弱って、視界が大きく揺れる。


「ティアラ! しっかりし――」

「――――――――――――――ッッ!!!!」


 その私の身体を師匠は支えて励まそうとしたが、途中で遮られた。

 獣の咆哮が森林から、何重にもなって鳴り響いたのだ。

 いや、正確には獣よりも歪な泣き声――怪物モンスターたちの咆哮だ。

 

「モ、モンスター!? くそっ、こんなときに!!」


 重量のある動物の独特な足音が聞こえてくる。四方八方からモンスターが近づいていると、意識が朦朧としている私にもわかった。


「ティアラ、ここから離れる! 少しの間だけ我慢してくれ!!」


 師匠は私の身体を抱えて、急いで自分のアルァウナに乗り、走り出させた。

 咄嗟の二人乗りだったが、私の身体の小ささのおかげか、賢いアルァウナは対応してみせた。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ――」


 息が荒れる。ここのところ体調が悪かったのが、辛さに拍車がかける。

 ただ辛いのには慣れている私は、運ばれながら状況を確認していく。


 ――おかしい・・・・


 何かがおかしい。

 本で動揺していたところに少女が待ち構えていて、私は短刀で刺された。そして、偶々私の身体は不調気味で、かつてないほどに心が弱り、『呪術』による治療は失敗して、そうそう出会わないモンスターたちが、いま大量に近づいてきている。血の臭いに引き寄せられたにしても、余りに多過ぎる。速過ぎる。


 ――悪い方向に出来過ぎている・・・・・・・。 


 自らの腹部に目を向ける。

 そこには塞がらないだけでなく、恐ろしい速度で化膿していく傷口があった。

 何かしらの特殊な力――ファニアの『血の力』が関わっているのかもしれない。


 ――都合の悪いことが、連鎖し過ぎだ。


 その不運の理由を考えたとき、私は突然――『糸』に引っ張られた・・・・・・気がした。


「――ッ!?」


 気がしただけだが、私の視線が移るには十分だった。

 私は『糸』の先にあるものを、私は見てしまう。


 『糸』は道中の平原――その空中に入った切れ目・・・の中に続いていた。


 自然と私は、『糸』はフーズヤーズまで繋がっていると思っていた。

 しかし、それは違った。何もないはずのところに、人一人が通れるほどの切れ目ができていて、その奥にある広大な『世界』まで、『糸』は続いていた。


 そして、私の視線は『糸』の先を追ってしまい――


 目が合う・・・・

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