371.本を読む

 

 結局のところ、ファニアの領主挿げ替えは三十日で完了した。


 ロミスを倒し、『火の理を盗むもの』を解放したあと、私はスキルを使って全力で未来を読み、計画を立てた。

 そして、その計画通りの出来事が起きていって、用意した対策が全て成功していって、一切の不慮の事故はなく――大変あっさりと、院長さんは領主さんとなった。


 もちろん、その全てが私の力というわけではないだろう。


 力を取り戻した『火の理を盗むもの』は、各研究院の炎神様の巨大像を回り、寝る間も惜しんで演説をした。

 決意を固めた元院長さんは、勇気を振り絞ってネイシャ家の次期当主としての権力を使い出した。


 それらを、この三年でティーダが根回ししていた人たちが全力で支援した。

 ランズ家を含むファニアの貴族・名士たちも、このときを待っていたと言わんばかりに、溜まっていたロミスへ恨みを爆発させた。


 ほとんどは『呪い』のせいだろうが、とにかくロミスには多くの負債が溜まっていたのだ。あとは『火の理を盗むもの』がアルトフェル教の信者たちを崩すだけで、民意の誘導は容易に成功した。


 それでも、一切のミスなく、一日のずれもなく、きっかり予定通りの三十日で領主を挿げ替えたのは、私の功績だろう。

 フーズヤーズからの使者であり王家の一人という立場だったことを差し引いても、私には統治の才能があるのかもしれない。


 三十一日目の朝、私はファニア一の客室のベッドから身を起こしながら、自らの両手を見つめながら、にやける。


「へっへっへ」


 隣に師匠がいないので、とても気の抜けた変な笑い声になった。

 そのまま、拳を握り締めて、この成功体験を自信に変えていく。


「ひへへ、ひひひ、見たかぁ……! 相手が変人たちじゃなきゃ、私はすごいんだぞお……!」


 ここ最近、陽滝姉・師匠・ティーダと、全く先の読めない変人ばかりを相手にして自信喪失気味だったので、自分自身で鼓舞してみる。


 ティアラ・フーズヤーズは、常人相手ならば本来このくらいは出来る女なのである。伊達に魔のフーズヤーズ王家で、今日まで生き残っていないのである。


 ちなみに、こういった傲慢なところは周囲に見せられないので、いま私は部屋に一人だ。

 一人で「ばんざーい、私すごーい」を十回ほど繰り返すことで、溜まった興奮を発散させていく。そして、最後に冷えた頭で、この成功の『異常』を読み取る。


「……はあ。……やっぱり、ちょっと変だよね。これだけの人数がいて、一つも予定外のことが起きなくて、何もかも私の手のひらの上って」


 『異常』の第一候補は、いま見つめた手の先にある白い『糸』。

 ただ、これは三十日間調べても、何の効果も力も感じられなかった。どこかと繋がっているだけで、害は一切ない。そして、その『糸』は、師匠たち『理を盗むもの』を含んだ誰一人も見えていなかった。


「んー、フーズヤーズに行くまで、保留。この『糸』、何か悪いことがあるわけじゃないんだよね。原因が『糸』じゃないとしたら、次は――」


 第二候補は、私の『生まれ持ったスキル』?


 三十日の計画を立てるとき、例の〝世界を本のように読み取る力〟を私は常時発動させていた。


 ただ、それが原因だとしたら、スキルの力が余りに進化し過ぎている。

 一度頭の中でスキル『読書』と名づけたせいで、何らかの『代償』が発生したのかもしれない。もしくは、濃い『魔の毒』の中で生活をしているせいで、特殊な《レベルアップ》を経たか。それとも、ロミスとの戦いで、単純に私が急成長しただけか。他には――


「やっぱり、これかな……。でも、どうしてだろ」


 未だ進化の原因は特定しきれない。

 けれど、ありがたいのは確かだった。この力が伸びるのは、これから陽滝姉と付き合う上で非常に助かるからだ。

 

「……とりあえず、起きよっか。今日は帰省の日だし」


 私は答えの出ないことは後回しにして、思考をフーズヤーズに向けていく。

 計画では、この三十一日目で、私と師匠はファニアから出発することになっている。


 一秒も無駄にはできないと、私は急いで身支度をして、この豪華な客室の外に出て行く。


 目に映るのは、少し見覚えのある廊下だった。

 壁と床の境に、黒い線が引かれている。


 私は『第一魔障研究院』改め『フーズヤーズ国ファニア領第一役場』の廊下を、堂々と歩いていく。


 あの戦いのあと、ファニアに多くあった研究院は統合されて、『第七魔障研究院』のみとなった。ちなみに、他の研究院は『総合病院』『鍛冶ギルド』『冒険者ギルド』などに改装された。師匠がよくわからない名称(おそらくは、異世界の単語だろう)を強気に提案してきたので、耳に慣れない名前の建物が少し増えた気がする。この三十日間で唯一不満があるとすれば、それくらいだ。


 こうして、相変わらず私が頭の中を師匠で一杯にしていると、ばったりと身の整った侍従と出会う。

 このファニアに入ったときに助けてもらい、街の案内をしくれた侍従さんだ。彼はネイシャ家に仕える男だったが、ティーダの尋問・・による安全確認を経て、この三十日間は私の付き人として働いて貰っていた。


「おはようございます、ティアラ様」

「うん。おっはよ」


 なんだかんだで、この侍従さんがファニアで一番親しくなった人かもしれない。

 私たちは主従の関係でありながら、かなり気さくに会話を弾ませていく。


「ティアラ様、目の下の隈が大変なことに……。お化粧の用意は今日もできてますが、本当に必要ございませんか?」

「やっぱり? 今日も三十分仮眠からの起床で、瞼がすごい重いっ。でも、お化粧はいらないよっ。このまま、出るからね」


 正直なところ、瞼だけでなく身体も重く、体調は悪い。

 病床の頃、不眠は何度も体験したが、今回は別種の辛さがあった。この妙な気だるさは初めての経験だ。

 だが、その弱みを表に出すことなく、私は彼と話し続ける。


「フーズヤーズの使者として、外見に気を遣って頂けると助かるのですが……。民衆からの印象も変わります」

「私もそうすべきだと思うよ。でも、師匠が化粧で飾った人が苦手っぽいからね。やーらない」

「ふふっ。相変わらず、民衆よりもカナミ様を優先ですか。本当にあなたは、最後まであなたらしさを見失いませんでしたね」

「自分らしさは大事だからね! 例えば……」


 話しながら、廊下の対面から急いで駆け寄ってくる男に目を向ける。

 ファニアで影響力のある名士の一人だ。以前のロミスほどではないが、貴族のような装飾を身に着けて、豊満な体つきをしている。


 その男は深い礼をしながら、私に話しかけてくる。


「ティアラ様、先日の件なのですが――」

「そういうのは昨日まで! もう私は一切っ、お仕事しないよ! そろそろフーズヤーズから代わりの人が来ると思うから、後のことはその人にお願いねー!」


 しかし、最後まで言わせることなく、私は私らしく拒否した。

 それを見る隣の侍従さんは苦笑し、目の前の男は唸る。


「い、一切ですか……!? くっ……。元々そういうお約束だったとはいえ、それはとても残念です。ずっとお二人がファニアにいてくだされば、間違いなくファニアは生まれ変われるというのに……!」

「おだてても、駄目です。というか、いつまでもここに留まってるわけにはいかないんだよ。はっきり言って、このファニアは他の街と比べて、かなり裕福! だから、この街の改善は、君たち自身がやるように!」

「……はい。もうティアラ様のお邪魔はいたしません」


 今回、ここに三十日も留まったのは、『火の理を盗むもの』と師匠が交わした約束のせいである。「ファニアを『理を盗むもの』がいなくても生活圏を維持できるようにする」なんて条件さえなければ、何もかも元院長さんに押し付けて逃げて、数日でおさらばできていたはずなのだ。


 しかし、頑張ってしまったものは、もう仕方ない……。

 これも冒険の一環だったと思おう……。


 ということで、私は私の趣味に繋がる前準備を、ここを去る前に残していく。


「……それに、私と師匠は、これから世界を救うって仕事もあるからね」


 会話の終わり際に、ぼそりと私は呟いた。

 その大言を聞いた男は、少しだけ眉をひそめながらも聞き返してくれる。


「せ、世界を救う、ですか?」

「……信じられない?」

「いいえ、心の底から信じておりますとも。お二人には、この世界を救うだけの器があります。もし、そのときがくれば、お二人の手助けを、ファニアは全力をもって行なうことでしょう」


 私の読みどおり、男は首を振って答えてくれた。


 しかし、世界を救うだけの器か……。

 こういうの、物語っぽくていいよねっ! 気分がいいよ、私はっ!

 

 という内心の浮かれ具合は決して表に出さず、私は厳粛に話し続ける。


「ふふっ、ありがとうね。いつか、この世界を救うときが来たら、色々と手助けしてもらうよ。――『契約』だからね」

「『契約』……? ええ、『契約』です。我が家の誇りにかけて、誓いましょう。きっと我らが新しき領主様も、私と同じことを言うことでしょう」

「ふ、ふふっ、ひひひ――」


 口約束を私たちは交わしていく。この男は契約書に名前を書くわけでないと、とても気軽に頷いてくれたが――これが『呪術』の一つであると知っている私は、ほくそ笑む。

 

「それでは失礼致します。他の者たちにも、ティアラ様のご意思は伝えておきましょう」


 そして、いま一種の『呪い』を受けたと知らない男は、一礼してから離れていく。

 その背中を追うと、廊下の曲がり角には他の名士たちも揃っていた。その順番待ちをしていた全員に、私の仕事拒否が伝わり、微かな落胆と共に解散されていく。


 その足取りは、誰もがせわしなかった。

 領主挿げ替えによって、ファニアの形態が大きく変わろうとしている中、変化に乗り遅れまいとしているのだろう。


 彼らの活力ある姿を見ているだけで、私のスキル『読書』が、ファニアの未来は崩壊でなく繁栄であると読み取っていく。

 なにせ、繁栄を邪魔する病が、この大陸の中でファニアにだけはないのだから。


「ねねっ。それで、師匠は?」


 私は隣に立つ侍従さんに、その病を取り払った人物の居場所を聞く。


「カナミ様ですね。先ほど、わたくしが部屋に訪れましたが空でした。しかし、おそらくは……」


 本当に落ち着きのない師匠だ。

 またどこかで何かしらの大事を起こしているのだろう。


 同じことを考えているであろう侍従さんは、視線を廊下の窓に向けることで、師匠は早朝から『フーズヤーズ国ファニア領第一役場』から出ていることを私に伝える。


 その視線に釣られて、私も窓の外に向け――しかし、そのとき、回廊の奥から、ざわついた声が響いてきた。


「おや? 玄関口が慌しいですね。どうやら、丁度ご帰還のようですよ」

「はー。あの師匠は、もー」


 私は侍従さんに促され、早歩きで元待合室である玄関に向かっていく。


 その途中、横手には扉のない小部屋が大量にあったが、そこにいたはずの病人たちは一人もいなくなっていた。地下室に送られて処分されたのではなく、全員が《レベルアップ》で快復し、街の生活に戻ったのだ。


 一度目に通ったときとは別物の光景を、最後に目に焼き付けながら、回廊を通り抜けていく。


 そして、受付机が撤去されたことで大広間に変貌した玄関で、私は目的の人物を見つける。というか、周囲の声が否応なく、私に聞かせてくれる。


「ああっ、カナミ様……! なんと神々しい……!」

「光神様のご帰還だ! みな、祈祷の型を取れ!」

「作業は中断だ! 慣れぬ者は、アルトフェル教の礼拝でもよい!!」


 ティーダから貰った仮面と外套を着た師匠が、こっそりと大広間の隅っこを移動していた。だが、大広間にいた全員が、その隠密行動を見破り、拝み倒していた。


 あの仮面には『闇の力』によって、精神さえも騙す「人相隠しの『術式』」が施されていたはずだが……精神に強く作用するからこそ、彼らの信仰心の前には無力だったようだ。

 師匠は「また改良しないと……」と言いながら、その仮面を脱ぎ、苦い顔を見せつつ挨拶を投げる。


「た、ただいま帰りました……」

「カナミ様……。本日も寝る間を惜しんで、市井の人々にまで『奇跡』を施して回ってくれたのですね……。ああ、本当にあなたという人は……! あぁっ……!」


 大広間には十数人ほど、ファニア変革のために朝から働く人々がいた。その中でも、最も位の高い男が、師匠の前で祈りの型のままで話す。


 男の言葉を、師匠は否定しない。

 ロミスとの戦いを経て、師匠は広範囲の《レベルアップ》ができるようになった。それから、目を離す度にファニアの街に出かけては、へとへとになって帰ってくるようになったのだ。その奉仕活動は、この三十日間でファニアでは大変有名な話となっている(せっかくなので、私が街中に誇張宣伝した)。


 師匠は《レベルアップ》をかけて回ってきたのを否定するのは諦めて、別の部分に反論をしていく。


「あの『奇跡』とかそういうの、本当にやめてください……。何度も説明しましたよね? 僕は『呪術』という新しい技術でみなさんを治療をしているだけで、『奇跡』を起こしているわけではありません。当然、光神なわけがありません。一般人として、普通に接してください」

「……それは難しい話です、カナミ様。長年、例の病に苦しんできた我らにとって、もはやあなたは神も同然の存在なのです」


 すぐさま男は首を振った。

 さらに、今度は神職に関わってそうな他の男が続く。


「そして、私たちには神を敬う長年の習慣があります。どうか、あなたを前にして頭を垂れること、許して頂きたい。はっきり申し上げると、神を信じることは、我らに根付いた伝統なのです」

「で、伝統ですか……。ん、んー……」


 また師匠は否定できなくなる。


 その習慣の対象だったアルトフェル教を壊した責任が、師匠にはある。だから、「代わりにおまえを光神様扱いさせろ」という話に、師匠は強気に出れない。


「なにより、ティアラ姫様から聞けば、光神様は伝説の使徒たちによって異界から呼び出されたとのこと。まさしく、あなたはファニアから旧くから伝わる神。あなたの起こした『奇跡』は、まるで千年前の御伽噺に出てくる『魔法』そのものでしょう」

「千年前の『魔法』……?」

「ええ。もしかして、カナミ様は翼人種・・・の伝説を、ご存知ないのですか?」


 神職特有の全然有難くない長話が始まろうとしているのを、私は感じ取った。


 こういう無駄話が師匠は結構好きなので、下手をすれば一日過ぎてしまう危険がある。

 慌てて私は話に割り込む。


「師匠っ! まーた、朝から無理して! 今日出発って、ちゃんと覚えてる!?」


 その私の声を聞いた師匠は驚きつつも、何度も聞いた言い訳を繰り返していく。


「ティアラ……!? ごめん、少しでもファニアの人たちの治療をしておきたかったんだ。まだ全員治せてないって、《ディメンション》でわかるから……」

「そういうのは、また今度! 《レベルアップ》の『術式』自体は、きちんと本にして残せたんでしょ? なら、もう師匠は十分にやれることをやったよ。いま無理して、師匠が寝込んだりしたほうが、未来のみんなのためにならないよ?」

「それは……――」


 師匠は口ごもった。

 長期的に見れば、『呪術』を開発できる『理を盗むもの』は、施術よりも研究に時間を費やしたほうが多くの人を救える。


 それを師匠はわかっているのだろう。 

 ただ、師匠はわかっていながらも間違え続けるときがあるので、油断なく私は、じぃーっと見つめ続ける。最近は「自分らしさ」とやらを理由にして、暴走しかけることが多いので注意が必要なのだ。


「そうだね。もう僕がファニアでやれることはやったと思う……。きっと彼女・・なら、すぐに読み解いてくれる」


 なんとか折れてくれた。

 ただ、折れた理由は私でなく、別の女性だった。


 その彼女・・に対して、深い信頼があると見て取れる。

 同類の『理を盗むもの』たち相手なら我慢できるが、さほど特別でない女の人に心許してる師匠を見るのは……中々にムカッとくるので、私は《レベルアップ》からフーズヤーズ帰省に話を移していく。


「それじゃあ、もうフーズヤーズに帰るよ。まだファニアは患者さんたちは残っているだろうけど、妥協してね。いい? 途中で、やっぱり戻るとか言っちゃ駄目だよ?」

「ああ、言わない。大仕事だったとはいえ、ここで時間をかけ過ぎたのはわかってる。急いでフーズヤーズに戻ろう。向こうで、みんなが待ってるはずだ」

「ちゃんとわかってるならいいよ。それじゃあ、そのままついてきて。出発の準備は、昨日の内に終わってるから」


 私は師匠の手を引いて、いま入ってきた門まで連れて行こうとする。

 着の身着のままだが、『呪術』の使える私たちには、これで十分だ。


 こうして、私たちは後方から「いってらっしゃいませ、光神様」と拝まれる中、玄関を通り過ぎていった。


 『フーズヤーズ国ファニア領第一役場』の外に出る。

 その目の前にある街の大通りには、四足歩行動物が二頭並んでいた。

 大人の二倍ほどの大きさで、薄茶色の毛並みに、真っ黒な鬣と蹄を持っている。このファニアにしか生息しない特有の動物で……確か、種別名はアルァウナだった気がする。


 それを見た師匠は、なぜか興奮し始める。


「――っ!? もしかして、馬? 馬に似た生き物は結構いたけど、ここまでそっくりなのは初めてだ……! あっ、あとであぶみを作らないと!」


 手綱と鞍のついたアルァウナを、嘗め回すように観察していく。陽滝姉の翻訳魔法のおかげで、師匠の世界にも生息していた動物だったことがわかる。ちなみに、鐙は鞍の裏に収まっているので、作る必要はない。


 相変わらず、師匠は変なところに琴線があると思いながら、私は冷静にアルァウナの隣にいる女性に目を向けていく。


 師匠から深い信頼を得ている彼女――元院長さんが、ロミスと同じ装いで待ってくれていた。とはいえ、戦闘に使っていたと思われる貴金属の装飾品は少なめだ。おそらく、これがネイシャ家の正装なのだろう。かつての血まみれの白衣と比べると、本当に立派なものだった。

 

「あれれっ、あなたがお見送りしてくれるの?」

「はい。ファニアの領主として、フーズヤーズ国からの客人様に非礼があってはいけませんから」


 元院長さんは優雅に一礼をして、私たちの出発の手助けをする意思を示す。

 その会話で、ようやく師匠はアルァウナ以外の存在に気づいたようで、軽く咳払いをしてから感謝の言葉を述べていく。


「ありがとうございます。……僕はこっちの文化に疎いけど、とても領主っぽくなったと思いますよ。初めて会ったときとは大違いです」


 ただ、その賞賛を元院長さん本人が、嫌な顔をして受け取らない。


「いや、振りだけですよ……。今日はカナミ君から貰った『術式』の本を読もうと思ってたのに、みんなが見送れ見送れってうるさくて、仕方なく……」

「ああ、やっぱり……?」


 師匠は苦笑しつつ、同じ趣味趣向を持つものとして頷いた。

 二人だけの空気を形成し始めたので、また私はムカムカッとくる――が、すぐに、その和やかな空気は、後ろで控えていた侍従さんが低い声で否定してくれる。


「領主様。仕方なく、ではありません。これでも、あなたのために形式を最大限まで簡略化しているんですよ?」

「……その当たり前の形式というのが、私には納得できないんです。別に見送りとかなくても、私とカナミ君たちの信頼は確かですよ」

「それはわかっています。しかし、この三人の繋がりを、周知させることも大切なのです。今後のファニアのためにも、どうかしっかりとお願いします」

「私が《レベルアップ》を使えるようになるのも、今後のファニアのためになると思うんですけど……」


 相変わらず、元院長さんは自分の研究に対する欲求が強い。その明け透けな態度は領主向きではないと思いながらも、私は二人を仲裁する。


「はい、そこまで。色々大変だろうけど、どっちも頑張ってね。私からすると、どっちも同じくらい大切だよ。よーく尊重し合うように」


 フーズヤーズの使者である私が間に入ったことで、二人とも大人しくなる。そして、元院長さんは忠告を聞き入れ、少しでも形式ばろうと固い言葉を使っていく。


「はい。正直、まだ自信はありませんが、私は私なりに全力でやっていきたいと思います。これからのファニアは、この私にお任せを」

「……やっぱり、初めて会ったときと比べると、ちょっと変わったよ。院長さんじゃなくて、ちゃんと領主さんになってる」

「留守を預かると、あの日に、ランズ様たちと約束しましたから……。研究も大事ですが、ファニアも守る義務も必ず果たします」


 元院長さんは目を細めて、私ではなく遠くを見る。

 ランズ様――つまり、ティーダのやつと別れたときのことを思い出しているのだろう。


 それは日にちで数えれば、二十五日前のことだ。『呪い』の蔓延を危惧した『理を盗むもの』たちが、先んじてフーズヤーズに出発した日に、私たちは多くのことを約束した。


 元院長さんに釣られて、私と同じく、その日に思いを馳せていく。

 このファニアにあった『異常』の原因が去った日のことを――



◆◆◆◆◆



 その日、騒動の沈静化に一区切りついた私たちは、ファニアの壁の外にある平原に集まっていた。


 街から離れているのは、一般人には見せられない作業だったからだ。地面に切断された人間の四肢がばら撒かれている光景は、見る人が誤解しかねない。


 その四肢の一つをティーダは手に持ち、ふわりと近くで浮いている『火の理を盗むもの』に近づける。その隣で師匠が、回復用の『呪術』に集中して、ぶつぶつと『詠唱』していた。


 ちなみに、『火の理を盗むもの』は首だけで、ティーダは能面で、師匠は例の黒尽くめの装いだ。


 怪し過ぎてやばい。

 事情を知らない者が見れば、誤解を超えてトラウマになるかもしれない。


 そんな光景の中、かなりの時間をかけて、あらゆる手段を試したあと、ティーダは首を振る。


「――駄目だ。これは一朝一夕で治せるものじゃないな。私の顔と同じで、変化が固定化されている」


 協力していた師匠も、同じく不可能であると判断して唸り出す。


「くっ、駄目か……」

「カ、カナミ様! そこまで気落ちせずとも、私は大丈夫です! ほらっ」


 心の底から悔しがる師匠を見て、『火の理を盗むもの』は両の拳を握り締めて元気であることをアピールした。さらに、その炎の身体に、例の文字が刻まれた包帯を巻きつけて、服の代わりとしていく。


「大丈夫だとしても……。女の子の体が、こんな状態で……。くそっ……!」

「カナミ、残念だが諦めよう……」


 ティーダは冷静に断念し、手に持った大きな袋に『火の理を盗むもの』の四肢を入れていく。そして、そのまま、近くに用意していた馬車へ乗り込もうと動き出した。


「しかし、これで私たちがファニアでやれることは全て終わったな。あとは街に『呪い』が広まらないように、早急に離れるだけだ。大事なのは一箇所に留まり過ぎないことだと、私は考えている」


 その途中、ティーダは視線を仲間の一人に向ける。


「ただ、それに彼女が納得してくれるどうかだが……」


 確認を取られ、『火の理を盗むもの』は声色を変えて答えていく。


「……行くと言っているでしょう。そう何度も確認の必要はありません。どこかの誰かと違って、私は嘘が嫌いなのです」

「ああ、それは知っている。だからこそ、かつて君に嘘をついて裏切った私は不安なんだ。本当に行動を共にしてくれるのかい?」

「『闇の理を盗むもの』ティーダ……。かつての裏切りに避けられぬ理由があったとわかった以上、もう三年前のことを私は掘り返すつもりはありません。実のところ、あなたが案じている『呪い』は、薄々と私も感じていたこと。……なにより、あなたは私に命をかけて謝罪してくれました」


 あの後、ティーダは師匠を相手にしたときと同じように、『火の理を盗むもの』に対しても「首を差し出してもいい」と提案した。それがあって、いま、ぎりぎりのことろで二人は会話が成り立っている。


 その綱渡りの状況の中、ティーダは乾いた笑いで話を茶化す。


「助かるよ。しかし、これは……死ぬまで、君には頭が上がりそうにないな。ははっ」

「いいえ。別に、そこまで気にする必要はありませんよ。ただ、私は一生涯あなたを信用しないだけのことですから」

「い、一生涯もか? 同類の君に、そう言われるのが私にとって一番辛いことだと、わかって欲しいのだが……」

「私に信用されたい気持ちはわかりますが、信用できない私の気持ちもわかって欲しいですね」

「……確かに、その通りだ。ならば、もう私は君のためにやれることを、黙々とやり続けるしかないな。信頼とは、地道な行動の積み重ねだ」

「いい心がけです。ただ、いくら積み重ねられても、『火の力』の『代償』とやらで、それを私は忘れるかも知れませんね。そのときは、すみませんと先に謝っておきます」


 棘だらけの会話は一向に柔らかくならず、とうとうティーダは弱音を吐き出す。


「……ふうむ。やっぱり、君は私に冷たいな。カナミへの態度と違いすぎないか?」

「自分のやったことを、その手に持った袋の中身を見ながら、よくよく考え直してください。消し炭にされないだけありがたいと思って欲しいところです」

「んー、これも確かに。君の言う通りだ」


 『火の理を盗むもの』から濃い殺意が飛び、ティーダは殺されても仕方ないなと軽く受け入れて、談笑は終わった。


 闇と火。

 能力的に相性の悪い二人だが、当然のように二人は特有の共感で「わかっている」という言葉を使い合う。その上で、ティーダは師匠と話しているときよりも、『火の理を盗むもの』と話しているときのほうが自然体に見える。


 ……『信用し合えないと最初からわかっている関係』のほうが、ティーダは向いている・・・・・のではないだろうか。


 そう私が分析する中、ティーダは近くの馬車に御者台に近づき、そこに横たわった妙齢の女性の頬に手を当てる。


「しかし、君にいくら冷たくされようとも、私は私の仕事をこなそう。まずは、このフーズヤーズまでの道中、ディストラス嬢の心と身体の安全は私が保証する」


 ディストラス嬢と呼ばれた女性は、くすんだ赤毛を肩まで垂らし、寝息をたてていた。その素性は『火の理を盗むもの』の口から、すぐに明かされる。


「お母さん……」


 愛おしそうに『火の理を盗むもの』は、母と呼んだ人の手を握る。すると、ゆっくりと女性は目を開けて、身を起こした。


「こ、ここは……?」


 周囲を見回し、いまの状況を確認しようとする。ちなみにティーダは、すぐさま女性の影に潜り込んで、その寝起きに見るには恐ろしい顔を隠した。


 女性は私と師匠と『火の理を盗むもの』の三人の顔を見て、一人だけ見知っていると表情を明るくしていく。


「あぁっ」


 女性は笑顔で、『火の理を盗むもの』の手を握り返した。

 ただ、『火の理を盗むもの』の顔は冴えず、拙い作り笑いを浮かべ続ける。


「あなた、もしかして……お隣のアルティちゃん? 大きくなったわね。あなたのお母さんは、いまも元気にしてるかしら?」


 『火の理を盗むもの』は母と呼んだ人に、他人のような対応をされた。


 その様子を師匠と私は、静かに見守る。

 『闇の理を盗むもの』の幼馴染であるロミスの顛末を、私たちはよく知っている。

 だからこそ、『火の理を盗むもの』の母である彼女が、いまどのような状態にあるかも、よくわかっていた。


 いま彼女は『忘却』している。

 ロミスを倒したあと、『火の理を盗むもの』の家族は解放された。しかし、生き残っていたのは母親だけ――それも、この三年間は不幸の記憶しかなく、精神に大きな損傷を負っている状態だった。


 ゆえに、三人の『理を盗むもの』たちは、あえて『呪い』を強めることで、彼女の精神を安定させた。『火の理を盗むもの』は『忘却』のままに、女性の話に合わせていく。


「うん。久しぶりだね、おばさん。アルティだよ……」


 私たちは『火の理を盗むもの』の本当の名前を聞いている。

 だから、これが偽名うそであるとわかるが、何も言わない。


「ふふっ、寝起きでごめんなさいね。なんだか、妙に頭が重いのよ……。とても長い悪夢を見ていたような気がするわ……」

「そうだね。私も、本当に長い悪夢を見てたんだ……」


 これから『火の理を盗むもの』は、母の精神の安定のために、その偽名を使い続けるだろう。嘘が嫌いと自称する彼女が、そうせざるを得ないほど、彼女たち一家の顛末は悲劇的過ぎた。


「アルティちゃん、ここはファニアかしら? 悪いけれど、場所を教えてもらえたら――」


 女性は知己の子供と話しているつもりなのだろう。

 とても落ち着いていた。

 だが、その途中で視界にファニアの外壁が目に入り、途端に皹が入っていく。


「あ、あの壁……、え? あ、ぁああ……、あぁああ、あぁっ――!!」

「お母さん……!?」


 『忘却』と言えど、切っ掛けがあれば思い出すようだ。

 ただ、辛すぎる記憶を取り戻しても、いいことは一つもない。


「そうよ……。あの日、私たちの村は、ファニアの兵士たちに襲われて、それで……それでっ!! みんなはっ、あのも――!!」


 このままだと、また廃人状態に戻りかねないと思い、私は慌てて女性を気絶させようと動き出す。


「――呪術《心異・心整ヴァリアブル・リレイ》」


 しかし、その前に女性の影から伸びた泥に塗れた手が、その両目を覆った。

 途端に彼女は静かになり、また御者台の上に横たわって眠りだした。

 

「ここまでだ。主治医というわけではないが、彼女の安全を管理するものとして、これ以上は許可しない」


 ティーダが『闇の力』を使って、女性の精神を弄ったようだ。

 師匠から『呪術』を教わったティーダは、誰よりも早く仕組みを飲み込み――何よりもまず先に、精神安定に活かせる方法を身につけた。


 その才能に私は嫉妬している。

 師匠の妙なセンスまでも綺麗に吸収していたので、本当に羨ましい。

 私は造語とルビとやらの扱いが、二人ほど上手くない。


 こうして、女性の心は、ティーダの新『呪術』によって守られた。

 ただ、その様子を見ていた『火の理を盗むもの』の心は別だった。


「お、お母さん……! ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……! 私が――この『目』が……! 『使徒』に見初められたから……! 私が『火の理を盗むもの』になったせいで、全部――」


 よろめきながら後退り、両手で頭を抱えては、包帯の隙間から炎を漏れ出させていく。

 明らかに『火の理を盗むもの』としての力が増していっていた。

 代わりに心の皹も広がっているとわかる。


「村も、家族も、何もかもが燃え尽きて……忘れられて・・・・・、消えてしまう……!!」


 ティーダは女性に新『呪術』を使うのに手一杯だったので、すぐに仲間に助けを求める。


「カナミ!」

「わかってる!」


 そして、師匠はティーダに負けずと、この数日で開発した新たな力を試していく。後悔を呟き続ける『火の理を盗むもの』の横で、師匠は初めて聞く『詠唱』を使う。


「私だ。私のせいだ。全部私だ。私が、私が、私が――」

「『夢幻蹌踉とせんまにまに』――」


 その『詠唱』の意味が、なんとなくだが読み取れる。


 おそらく、ファニアでの五年を、夢を見ていたかのように忘れさせようとしているのだろう。その『代償』は、『呪い』と同じく『忘却』。さらに師匠は、ロミスに言われたように『代償』を強引に押し付けていくことで、『火の理を盗むもの』のトラウマを少しずつ燃やして、消していく。


「ごめん、いまは『呪い』を強める……! ――『熾れ断炎』『夢幻蹌踉と繊の随に』『私を飲み込め』――!!」


 師匠は抱きつき、耳元で叫ぶ。

 足された『詠唱』の言葉一つ一つが、彼女のために用意した『詠唱』であるとわかる。


 それを『火の理を盗むもの』も感じ取り、焦がされながらも抱きしめてくれる師匠のために、冷静さを取り戻していく。


「カ、カナミ様……」

「落ち着いて……。ゆっくりでいいから、僕の『詠唱』を繰り返して……」

「お、『熾れ断炎』……、『夢幻蹌踉と繊の随に』『私を飲み込め』……」

「……これからは『代償』を、上手く制御していこう。きっと、『呪い』の削減にも繋がると思う。この『詠唱』で、君は新しい人生を歩むんだ」


 前向きに生きるための『詠唱』であると理解した『火の理を盗むもの』は、顔を師匠の胸に埋めながら頷いていく。


「……はい。私は新しい人生を歩みます。あの村にいた炎の巫女は、もういません。ここにいるのは、新しい私。『火の理を盗むもの』アルティです」


 その様子を横で見ていたティーダは、『火の理を盗むもの』の――いや、アルティの言葉を優しげに繰り返す。


「新しい自分、か」


 ティーダも同じ気持ちなのだろう。

 『闇の理を盗むもの』として新たな人生を歩みだした男は、少しだけ晴れやかな顔で師匠に語りかける。


「なんとかなりそうだな。記憶はカナミ・・・が、感情は私が担当すれば、いつか二人は平和な生活に戻れるだろう」

「そうだね。きっと二人は幸せになれる。いや、ならないと駄目だ」


 アルティの将来に希望を見出し――しかし、すぐに翳りが一つ見え始める。

 

「カ、カナミ・・・……?」


 師匠の目の前にいたアルティが、その名前を不思議そうに呟いた。

 まるで、師匠の名前を忘れていたような顔と声だった。それには楽観的だったティーダも、慌てて叫ぶ。


「お、おいっ。私は忘れてもいいが、カナミの名前だけは忘れるなよ……!?」

「すみません……! カナミ様、カナミ様カナミ様カナミ様! もう忘れません……!」


 師匠の名前だと気づいたアルティは、何度も繰り返して頭に刻みつけようとする。その様子を見守るティーダは険しい顔になり、師匠と状況を相談していく。


「前々から思っていたが、『火の理を盗むもの』の『呪い』は、大切な人の記憶ほど優先して燃やしていくな。そして、記憶はないのに、感情だけが残る」

「みたいだね……。たぶんだけど、世界は何も考えずにざっくりと、大きいもの・・・・・を求めてるんだと思う。でも、世界は優しいから、ちゃんと『詠唱』にして要望を口にすれば、その優先順位を変えてくれるはずだよ」

「それは本当か? もし本当ならば、さっきみたいな『詠唱』を繰り返すことで、いまある借金を返し切る方法もあるな。定期的に口にすれば、致命的な『呪い』が他人に及ぶのも避けられる」

「長期的な分割払いってやつだね。……うん、いまはそれを狙うしかないと思う」

「カナミ。すまないが、君の妹の治療用『呪術』が開発できたら、次はそれを頼む」

「いや、平行して進めよう。僕たちは協力関係にある仲間なんだから」

「……本当に助かる」


 二人は状況に合わせて、これからの『呪術』開発計画を立てていく。その後ろではアルティが、師匠の名前を繰り返しつつ、自らのトラウマを消していっていた。


「――『熾れ断炎』『夢幻蹌踉と繊の随に』『私を飲み込め』――、でも、カナミ様は忘れちゃ駄目。カナミ様は大事。カナミ様は大事。カナミ様カナミ様カナミ様、カナミカナミカナミカナミ――」


 身の炎の熱を、どこまでも高めていく。

 次第に、師匠とお揃いだった漆黒の髪が、炎のように赤く染まっていった。その何もかもを薪木にしていく姿に、ティーダは苦々しい声を出す。


「新天地への移動は、一刻を争うな。ここは、ディストラス一家の精神によくない」


 そして、ティーダはアルティに、馬車へ乗るように促す。

 お別れが近いとわかった彼女は、慌てて師匠の手をまた握る。


 ……さっきから二人は接触し過ぎではないだろうか。

 少しだけ苛立ちはじめた私の前で、アルティは必死に訴えかけていく。


「あのっ、カナミ様、いつか・・・……! 私もいつか、必ずカナミ様のお役に立ちます……! お母さんが新しい家族を見つけたあとになりますが、そこのティーダと同じように私も、『呪術』開発の手助けをします……!」

「君も……? それはいいよ。君はお母さんに新しい家族を見つけてあげるんじゃなくて、二人一緒に暮らせる方法を探してくれたらいい」

「ど、どうしてですか? カナミ様は『呪術』開発の協力者を、ここまで探しに来たはずです!」

「どうしてって……。ティーダと違って、まだ小さいから……?」

「小さい……? いえっ、もう私は大人です! 立派な!!」


 アルティは私と対して変わらない背丈で、どんっと胸を叩いた。その反応に師匠は驚きつつ、ティーダに確認を取っていく。


「え、アルティって、もう大人なの?」

「ファニアの基準だと成人に達している。一応だが」

「いや、でもなんと言うか見た目が……。君に頼るのは、ちょっと違う気がして……」


 私の価値観だと、大人だろうが子供だろうが関係ない。

 一人一人の意思を尊重すべきだと思う。


 しかし、師匠は子供であることを理由にして、アルティを安全圏に送ろうとしていた。

 少し強引だと思った。妹である陽滝姉と少し似てるからだろうか? 出会ってからずっと、彼女を守る対象として見ている気がする。


「背の高さが問題なら! そこのティアラ様と、そう変わりません!」

「えぇっ、ここで私?」


 急に話を振られて、私は戸惑った。

 しかし、私よりも先に、師匠が即答していく。


「ティアラは小さいけど、強いからね。たぶん、この中で一番強い」

「――っ!!」


 アルティは絶句する。

 そして、私の顔を見て、否定の言葉を一切吐かなかった。


 なぜか、『理を盗むもの』たちの私に対する評価は異様に高い。


 確かに、この中なら誰にも負けないとは思うが、ここまで恐れられるほどの活躍を私はファニアでしただろうか……。


「わかり、ました……。つまり、私の力が足りないんですね……。なら、すぐに強くなります……。この『火の力』を使いこなせるようになってみせます! 二度と、ロミスのような相手には負けないように!」

「いや、アルティ。それは違う。僕が君に望むことは、君の幸せだけなんだ。わかってくれ。じゃないと、助けた甲斐がない……」

「で、でも……」

「いいんだ。あとのことは、僕たちに任せてくれたらいい」

「カナミ様……。それでも、私は――」


 アルティは食い下がり、その赤く染まり始めた『目』で、師匠を見つめて訴え続けようとする。しかし、言葉を途中で止めて、別の話に移っていく。


「カナミ様、また会えますか?」

「それは……もちろん。また会えるよ。約束する」

「はい。それでは、またいつか……」


 いま、アルティは本当に伝えたいことを呑みこんだように見えた。

 そして、本心を呑みこんだまま、別れの言葉を述べていく。


「いつか、また会いましょう。それまで、私はカナミ様のことを、絶対に忘れません。たとえ『呪い』があろうとも、そのお顔と名前は絶対に。絶対の絶対の絶対にっ。死ぬまで――いや、死んでも忘れません!」


 少し変だ。

 いまアルティは、私のスキル『読書』と同じく、特別な何かを感じているのだろうか?

 確か、ティーダの話では、『千里先を見通す』スキルを彼女は持っているとのことだった。そのスキルが、師匠の態度から何かしらの未来を感じ取った?


「うん、ありがとう。……それじゃあね」

「はい。では、またいつか、必ず……」


 アルティは「いつか・・・」と繰り返し、約束し終えた。


 その必死な姿から、私のスキル『読書』が読み取ったのは――


〝――いつか・・・遠い未来、唯一人の『理を盗むもの』となったアルティ・ディストラス。無事、彼女は新しい人生を歩み切った。しかし、その終わりの間際に、かつて呑みこんだ言葉を吐こうとして、気づく。自分の伝えたかった本心が全て、炎に換わっていたことに――〟


 思考と身体が硬直した。

 ここまで頁が飛ばされて、最後だけ頭に入ってきたのは初めての経験だった。当然ながら、途中がすっぽりと抜けてるので、その結末が正しいかどうかの判断はつかず、彼女には何も言えない。


 その間に、アルティは御者台の母親の隣に座り、師匠はティーダに声をかけていく。


「あ、ティーダ。最後に、使徒たちのことだけど……」

「わかっている。あいつらは、未だ五歳の子供ガキ。そう思って対応する。聞けば、特にシスって女は、赤ん坊レベルだ」

「悪人じゃあないんだ。ただ、僕たちとは色々と違うってだけで……」

「ディプラクラという使徒は、治療に長けているらしいからな。そいつと協力するのは、悪くないと思っている。とりあえず、そいつと組んで、私は治療用の『呪術』開発に専念する」


 フーズヤーズで待つ使徒たちも仲間であることを師匠は主張し、それにティーダは同調していく。自らの能面の顔に手を当てて、かつてとは逆の優しい声を出す。


「その結果、もし私の顔を治せたら、全て許してやってもいいとも思っている」

「ティーダ……!!」


 師匠から使徒たちの境遇を聞いてしまったからだろうか、もうティーダに使徒への恨みはないように見えた。

 その進展を師匠は喜び、ティーダは未来に希望を繋いでいく。


「……私は向こうで、全てやり直すつもりだ。アルティと同じように、ランズ家のティーダでなく『闇の理を盗むもの』ティーダとして生き直す。……今度は、騎士なんていいかもしれないな。フーズヤーズの騎士として、今度こそ最後まで誰も裏切らない人生を生き抜けば、私は私を許せる気がする」


 正々堂々と戦う騎士。

 正直、最もティーダから遠い存在だと私は思った。


 人々の信頼を必要とする騎士は、きっと彼には無理だろう。

 現実的に考えると、〝ティーダは信頼というものを人生から捨てるしか道はない〟。


 唯一ありうるとすれば、『信用し合えないと最初からわかっている関係』だ。

 ただ、そのような特殊な『信頼関係』を、同類の『理を盗むもの』たち以外と築ける気は全くしない。


「騎士……! 応援してるよ、ティーダ!」


 けれど、師匠は一切顔色を変えることなく、それを薦めた。それを最後に、ティーダも御者台に乗り込む。そして、手綱を握って、馬車を走り出させた。


 御者台の横から顔を覗かせて、師匠と限界まで会話を紡いでいく。

 

「カナミ、あとのことは任せた! 彼女にも伝えてくれ! 私は信じている! 君なら我が故郷を任せられると!」

「それでは、カナミ様! さようなら! またいつか――!!」


 私と師匠は馬車から見えなくなるまで、手を振り返した。

 その間、ずっと私だけは眉間に皺を寄せていた。それを見送り終えた師匠が気づいたようで、心配げに理由を聞いてくる。


「ティアラ、どうしたの? 二人が心配?」

「……うん、ちょっと不安なんだよ。あの馬車、大丈夫かなあって」


 嘘だ。

 確かに、二人の将来を不安には思っている。

 けれど、それ以上に不安に思っているのは、自分自身のことだった。


「二人の能力なら、僕たちと違って馬車でも安心だよ。『闇の力』は逃亡に長けていて、危険なときは『火の力』で多数相手でも相手取れる」

「そうだね……」


〝二人が無事フーズヤーズまで辿りつく〟のは、スキルで読めている。

 そして、その読める感覚こそに、先ほどから私は戸惑っている。

 スキル『読書』の急速な進化を感じる。だが、先を読めても理由がわからないというのは、非常に扱い難かった。


「よっし、大丈夫! それじゃあ、街の中に戻ろっかー。院長さんが待ってるからね」

「はあ……。ティアラ、いい加減名前を覚えたほうがいい。それに、もう彼女は領主さんで院長さんじゃない」

「そうだった、そうだった。いやあ、私って人の名前を覚えるのが結構苦手でさあ――」


 私と師匠と共に、ファニアに戻っていく。


 色々と思うところはあったけれど、私は優先すべきことを間違える気はない。

 はっきり言って、『理を盗むもの』たちの物語は私にとって――さして重要なことではなかった。これから行なうファニアの作り直しも、正直どうでもいい。


 いまの私にとって大切なのは、『異邦人』だけだ。

 『理を盗むもの』でなく、『異邦人』二人こそが、私の物語の本筋メイン

 

 それを確認し直しながら、私は歩く。

 この進化したスキルを使って、どうやって師匠を守り、陽滝姉を理解すればいいか。ティーダとアルティから読み取った暗い未来を置きざりにして、一人考え続けていく。

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