370.ティーダの未練



 地面や壁に泥がへばり付き、中央療養室内は井戸の底のような暗闇に包まれる。だが、その状況よりもロミスはティーダの言葉に困惑していた。


「私が、被害者……?」


 最も自分に似つかわしくない言葉だと思ったのだろう。

 離れて見守っている私も同意見だった。ファニアの全てを支配し搾取したロミスは、明らかに加害者側だ。


「ああ。君を含めたファニアの全てが、私の被害者だ。『理を盗むもの』というものはそういうものなんだよ、ロミス」

「待て……。一体、おまえは何を言っている? 全てだと? そんなことは、ありえない」

「世の理ではありえないことを実現させるから、私たちは『理を盗むもの』なんだろうな。その『奇跡』の力は、君が一番よく知っているはずだ」


 軽い口調でティーダは手のひらから闇を少しだけ噴出させ、先ほど食らったロミスの炎も噴き出させ、一緒に舞わせた。


 その一言一言に『闇の力』を乗せて、ロミスの心を蝕んでいく。


「私が『呪い』を確信したのは、助けた領民たちから疎まれ始め、ついには旧知の『第七魔障研究院』院長まで私を裏切ったときだ。はっきり言って、彼女には私を裏切る理由がなかった。いかに心が弱い彼女だろうと――いや、心が弱い人間ほど、裏切りという行為は荷が重いものだ。なのに、彼女は非常にあっさりと私を裏切った」

「それは、私の策略だ……。この私が裏から手を回し、やつを脅して、おまえを裏切らせた。あれは、断じて『呪い』なんてものではない。全てが、私の計画だった……!」

「一番の『呪い』は、それだ。そもそも、君が私を裏切ろうと計画したのは、なぜだ? 裏切る理由がなかったのは、君もだ。恥ずかしい話だが、私は君に依存しきっていたし、それを君はよく理解していた。安全で有能な駒だった私を、危険を冒してまで襲ったのはなぜだろうか。私は君の手管を熟知しているのだから、奇襲が成功する確率はとても低かった。それなのに、なぜ? 三年前、無理をしてまで、友である私を裏切った?」


 ティーダは師匠に問いかけたときと同じく、ロミスに何度も疑問を繰り返していく。

 井戸の底のような暗闇の中、ロミスは瞳を震わせて呟く。


「そ、それは……――、理由が、あった……。おまえを信じられなくなった、理由が、確かに……――」

「見つからないだろう? 当然だ。あったのは、『闇の理を盗むもの』の『呪い』だけだからな。三年前、他人を信じられなくなる『代償』を、君は私に押し付けられた」

「押し付けられた、だと……? この私がか? ――違う!! おまえを疑う理由は、あった! 私は誰よりも『代償』のことを、よく知っている! 仕組みさえわかってさえいれば、心惑わされることはない! 集めた『魔の毒』を使って、干渉に抵抗もできる!」

「そうか。惑わされず、抵抗したというのなら、いますぐ裏切りの理由を言ってくれ。かつての君は、『闇の理を盗むもの』となった私のために、誰よりも早く『代償』について研究してくれた男だった。幼馴染わたし一人救うために、ネイシャ家の総力をかけてくれた男だった。そんな友達思いの君が、急に私や『火の理を盗むもの』を裏切り、たった一人でファニアを支配しようとした――その心変わりの理由を、いま、教えてくれ」

「理由は、ある……。私一人でないと、いつか必ず復興も研究も失敗すると、思った……。だから、私は――」

「そんな兆しは全くなかった。私たちは一度も失敗していなかったし、復興も研究も順調だった。聡明な君が、そんな漠然とした不安だけを理由にして裏切ったのか? それは、どうして?」

「違うっ!! 不安だけでなく、確かな理由があった!! おまえたちは必ず失敗し、果てに裏切ると、あのときの私は感じ取っていた! だから、私は一人になる必要があった! その理由は……理由はっ! あったはずだ! なければ、おかしい!!」


 ロミスは青ざめた顔を小刻みに振って、ティーダの言葉を否定しようとする。しかし、いつまで経っても確固とした反論を見つけられず、頭を掻き毟り始めた。


 その様子を見たティーダは、とても悲しそうに頷き、次は師匠に向かって語りかけていく。


「カナミも、よく聞いてくれ。……これはつまり、三年前に『理を盗むもの』となった三人は、力の『代償』を支払い終えていないという話だ。私たちは、人生をぶち壊され、心を砕かれ、化け物に落とされても――まだそれは手付金程度で、借金は大量に残っていたんだ。ははっ、笑える話だろ?」


 ティーダは自嘲しつつ、冗談めかしてお金に喩える。ただ、暗闇の中で話を聞く私たちは、くすりとも笑えなかった。


「借金の取立ては、私たち『理を盗むもの』の意志を問わず、周囲の人間からも強引に徴収していく。その『代償』を押し付ける現象を、私は『呪い』と呼んだ」


 『呪い』という言葉の中身が、やっとわかる。


 そして、その『呪い』の最大の被害者であるロミスが、私たちの目の前で呻いている。爪を立てて頭を掻き毟り、眼球が飛び出すほどに瞼を見開き、唾液と自問を繰り返す姿から、凄惨さが伝わってくる。


 そのロミスの隣で、とても軽くティーダは説明をしていく。


「私の『闇の力』の場合、心を淀ませる『代償』が多い。いわゆる、魔が差すってやつだな。私は生きている限り、常に周囲の人間たちの心に不安を抱えさせるんだ。

 つまり、三年前――

 『闇の理を盗むもの』は、『不信』の『呪い』を。

 『火の理を盗むもの』は、『忘却』の『呪い』を。

 『風の理を盗むもの』は、『自失』の『呪い』を。

 ――それぞれ背負ったわけだ。

 ちなみに、この『呪い』は同類である『理を盗むもの』には作用しにくい。先ほどロミスが言った『魔の毒』の抵抗というやつが関係している」


 この場だと、師匠だけは安全らしい。

 だから、ティーダは『火の理を盗むもの』奪還作戦前、師匠でなく私ばかり気にかけていたのだろう。もし計画を裏切るとすれば、『呪い』にかかったティアラ・フーズヤーズ――と思っていたに違いない。実際、私はいざとなればティーダを裏切ろうと考えていた。


 そういった出来事から、この話に嘘はないと判断できる。

 なにより、使徒様たちが『呪い』でなく運命という言葉で、いまのティーダと全く同じことを話していた。


 一つだけ懸念があるとすれば、それは師匠の背負った『呪い』だ。


 確か、『異邦人』は召喚という特殊な形で『代償』を終えていると、使徒様たちは言っていた。

 ただ、つい先ほどの師匠の豹変と覚醒を見た私は、それを信じられない。


「私がファニアを救おうと頑張れば頑張るほど、闇の『呪い』が散らばって、みんなは裏切り合うというわけだな。……なあ、ロミス。そろそろわかってくれたか?」

「し、信じられるか! そんな馬鹿なこと、ありえない! あるはずがない!!」

「そう最初は私も思ったよ。しかし、この三年の間、私は確認に確認を重ねたんだ。もう間違いない。……私が『闇の理を盗むもの』になったせいで、私の父も母も、旧友も仲間たちも、誰もが私を裏切らざるを得なくなった。君の優しさも正しさも強さも、奪ったのは全て私だ。ロミス、すまない……」

「ありえん……! この私が、おまえの意志で動かされていただと……!? 違う!! 全ての原因は私だった! 私の強さがゆえだった! 奪ったのは私で、おまえではない!!」

「ああ、本当にすまない……。いかに君が世界の何も信じられなくなり、世界の誰からも信じられなくなったとしても……、私だけは君を信じ続けないといけなかったのに……。それができなかった私の弱さを許して欲しい。生まれからの友でありながら、その背中を刺すことしかできなかった私を、どうか許して……くれる、わけ、ないよな……。ははっ……」


 現実を認めないロミスは「違う」という反論を繰り返し、ティーダは勝手に一人で謝罪を繰り返していく。


 ティーダの顔は能面ながらも、ロミスに負けないほどに歪んでいた。

 三年間、ロミスという友を追い求め続けて、同時に追い詰め続けていたことを悔やむ表情が、そこにはあった。


 その表情を見たロミスは、瞳を小刻みに揺らしつつ、腰の傷に手を当てる。べっとりと血のついた手のひらを見て、この現状を少しずつ飲み込んでいく。


「う、奪われたのか……? 本当に、この私が、あのティーダに? 昔から、ティーダは弱く、私は強かったはずだ。ティーダが下で、私が上だった。ティーダが奪われる側で、私が奪う側だった。なのに、なぜ――!? 考えられない! ああっ、かつてからは考えられないことだ! そう、かつてはっ――」


 途中、ロミスは我に返ったかのように、言葉を止めた。

 そして、この暗闇の中で微かな光を見つけたような目で、回想の続きを話していく。


「か、かつて……? かつては、ティーダが下だっただと? そうだったか? そこまで私は、利己的で差別的な人間だったか? 立場や個性は違えども、自分には友はいると認めていなかったか? だから、幼馴染同士で手を取り合い、互いの短所を補い合い、共に家の責務を果たしていこうと、あの頃の私たちは誓い合って――はぁっ、はぁっ……! 信頼し合っていたはずだった!」


 徐々にロミスの呼吸が荒くなっていく。

 出血によって、身体から生気が失われていくのがわかる。だというのに、ロミスは最後の力を使って、両手で泥の池を乱暴に叩き始めた。


「ああっ、そうだ! 私は生涯で唯一人、ティーダだけは信頼していた!! なのに、どうして私はティーダを裏切った……? ――わからないっ。不安だったのは、間違いない! けれど、不安を抱いた理由がわからない……!! どうしてだ!? どうして、どうして、どうして――! どうして、いま私は、こんな暗いところで、ティーダと殺し合っている!? わけがっ、わからない! あぁっ! ぁああああっ――!!」


 激動に駆られ、腰の出血を厭わずに、叫び続ける。

 合わせて、鮮血が散った。ロミスの呼吸は乱れ切り、目の焦点は合わず、ふらついている。このままだと、失血死してしまうと、素人目でもわかった。


 そこに陥れた当の本人であるティーダが慌てて、彼に駆け寄ろうとする。


「ロミス!!」


 かつての友の命を助けようと、その黒い泥に塗れた手を伸ばしていく。

 しかし、それを友は――


「ち、近寄るな・・・・、ティーダ……! これ以上……、私の心を、汚――す、な……――」


 ロミスは全霊をもって、拒否した。

 その揺れに揺れた瞳はティーダの姿を捉え、完全に恐怖し切っていた。


 ロミスの中で、様々な感情の錯綜があったのだろう。

 果てに彼は、ティーダに助けられるよりも失血死を選んだ。ティーダから逃げるように、大量の血を失った身体を泥の池に倒れこませていった。


 血と泥が混じった池の中で、ロミスは動かなくなる。

 拒否されたティーダは、伸ばした手を下げながら、小さく呟く。


「ああ……。その一言が、私は怖かったんだ。怖くて、遅れたんだ……。本当にすまない、ロミス……」


 そう言って、ティーダはロミスの拒否を無視して、その泥に塗れた手で彼に触れた。泥で傷口を塞いで、その命を助けてしまう。


 それ以上ティーダは何も言わなかった。

 ただ、戦いの終わりは確信したようで、部屋に散布させていた闇を自分の身体に戻していく。さらには、足元に溜まっていた泥の池も全て吸い上げていく。


 まるで、ファニアにある闇を全て持ち帰ろうとしているような光景だった。事実、大量の闇と泥を身体に収めるティーダの存在感と威圧感は、明らかに増していった。


 ――こうして、中央療養室が元の姿を取り戻すと同時に、『闇の理を盗むもの』は完成し終える。


 ティーダは気絶したロミスを放置して、近くに落ちていた『炎神様の心臓』を拾う。

 そして、その泥の能面を歪ませ、笑っているとも泣いているとも取れる顔で、師匠に聞く。


「カナミ、これで終わりだ。この私からファニアを救ってくれて、本当にありがとう。礼として、この『闇の理を盗むもの』ティーダは、これから先どんな命令でも君に従うと誓おう。もし、いま首を掻き切れと言ってくれるのならば、すぐにでも掻き切るが……。どうする?」


 全ての原因が自分であると告白したあとで、ティーダは自害を口にした。

 けれど、それに頷ける師匠だったならば、このファニアは救えていない。当然のように、否定していく。


「ティーダ、一緒にフーズヤーズへ行こう。君の言う『呪い』を抑える方法を見つけるためにも、僕たちは共に『呪術』を研究する必要があると思う。もちろん、これは命令じゃなくて、仲間からのお願いだ」

「……本当に優しいな、カナミは。……了承した。私はフーズヤーズへ行く。君を信じて、使徒たちが世界を救うという話に協力しよう」

「ありがとう……。その言葉を、僕も信じるよ。ティーダを最後まで信じる」

「ふっ、ふふ、まだ信じるを繰り返すか。いいだろう。私も最後までカナミを信じると、ここで誓おう」


 信頼できる仲間と話すように、二人は約束し合った。

 正直、この二人の信頼は、非常に異常で歪だ。だが、そこには確かに『信頼関係』があった。弱者同士ならではの共感という『信頼関係』が――


 そして、その私には一生共感できない『信頼関係』のままに、二人はロミスの処遇を決めようとする。


「カナミ、私はロミスを街の外まで逃がしたい。生きてさえいれば、彼はどこでも生きていけるだろう。ここでないどこかなら、きっとロミス・ネイシャはやり直せる」

「僕は構わないよ。今回の根本の原因が、彼にあったとは思わない。もしあったとすれば、それはもっと別のところだ」


 師匠は頷き返し、ティーダの提案に賛成の意思を見せた。

 その二人を見て、ずっと一歩退いていた私は――


「急ごう。ファニアの兵士たちは、私の泥で一旦遠ざけたが……すぐにでも戻ってくるはずだ」

「――ま、待って・・・


 慌てて二人を呼び止めた。

 同時に、私はティーダよりも迅速に、「もしロミスをここで逃がした場合」の結末を推測していく。


 ロミス・ネイシャは私と同類だ。

 逃がせば、どこでも生きていけるというのは間違いないだろう。だからこそ、生かしておくのは不味いと私は思うのだ。

 

 生まれ持ったスキルを制御し切って、未来を読んでいく。


〝――ロミス・ネイシャは『理を盗むもの』たちによって、その人生と心を一度は破壊されてしまった。しかし、その類稀なる精神力によって、もう一度彼は立ち上がることだろう。此度の敗北の経験を活かし、此度以上に万全な態勢で、必ず彼は再挑戦する。『理を盗むもの』に人生を狂わされたからこそ、世界で最も『理を盗むもの』に近い人として、彼は『理を盗むもの』たちに贖罪を求めていく――〟


 私の推測を裏切って、とても楽しいことをしてくれそうだという確信がある。

 その未来を読み、私の生まれ持った性は心躍らせたが、すぐに首を振る。


 確かに、私は楽しいことが大好きだ。

 本みたいな劇的な物語を、現実の世界に望んでいる。

 けど、それ以上に【私は師匠が好き】であると、今日の戦いで学んだ。


 もう二度と、大好きな師匠を辛い目に遭わせたくないし、師匠を危険に犯すやつだけは絶対に許せない。

 

 想いとスキル、心と身体。

 その二つを一致させた私の答えは一つだった。


「――ティーダ、師匠。その男は、いま、ここで死ぬべきだよ」


 殺意を持って腰の剣を抜き、今日初めて『体術』でなく『剣術』の準備を終わらせた。


 ここで私が異論を唱えるとは思わなかったのだろう。

 ティーダは驚きながら身構え、師匠は慌てて仲裁に入ろうとする。


「ティ、ティアラ……? 少し落ち着こう。ロミス・ネイシャは『闇の理を盗むもの』の幼馴染だったから、誰よりも『代償』で心が歪んでいただけなんだ。色々と思うところはあるけど、もう彼に『火の力』は使えない。放っておいても、平気だ」 

「平気じゃない。師匠、いまこいつを逃がせば、必ず復讐に来るよ」

「なっ――」


 私が強く反論すると、師匠は驚きで言葉を失った。

 無理もない。こうもはっきりと、私が師匠の提案を拒否したのは初めてのことだった。


 しかし、これからは否定すべきところは否定させてもらう。

 もう私は、師匠の物語を遠くから楽しむだけの読者ではない。師匠のためならば、師匠さえも否定することを学んだ――同じ時間を生きている『人』だ。


 その強固な意志を、ティーダは感じたのだろう。

 私と向き合って、真剣に説得し始める。


「フーズヤーズの姫。私から離れれば、きっとロミスは『呪い』から解放され、昔のロミスに戻る。罪があったのはロミスでなく、この私なのだ」

甘い・・。何が『呪い』だよ。私から言わせると、そんなものに屈したこいつが悪い。たとえ、他人の影響があろうとなかろうと、その道を選んだのはこいつだ。こいつはこいつの意思で、ここまでやった。それだけの素養があったんだ。最初から」


 師匠とティーダは、このロミスが今回の騒動で懲りて、改心すると思っているらしいが、それは甘すぎる。

 もし私がロミスなら、必ず同じことを繰り返す。


「きっとこいつは、もう一度『理を盗むもの』の力を奪いに来る。そのとき、また私たちが勝てるとは限らない。もう私は師匠を危険に晒したくない……! 二度と、師匠が苦しんで泣いている姿なんて見たくない……!」


 『理を盗むもの』同士にあるような共感が、私とロミスの間にもあった。

 だからこそ、いま殺さないといけない。


 その私の明確な殺意を前に、ティーダは声を荒らげていく。


「ま、待て! フーズヤーズの姫! もし、死に値する罪人がいるとすれば、それは私だけだ! いや、そもそも、いまの君も『呪い』の影響下にある可能性がある! 心が淀み、冷静さを失っている可能性が――」

「影響があったら何? いま言ったけど、その上で私は、私の意志で提案してる。誰も彼も自分の支配下に置けるって思ってるなら、それは自惚れ過ぎだよ。『闇の理を盗むもの』ティーダ」


 たとえ『呪い』があったとしても、これが自分の言葉だという確信をもって話す。


 そもそも、世界の理不尽や不運なんて、全人類に共通して存在するものだ。それを言い訳に許してしまえば、全人類が罪を犯し放題になる。


 私は『呪い』に屈したロミスという悪党を断罪すべく、凶器を手に一歩前に出る。

 しかし、その私の前に、ティーダと師匠は立ち塞がる。


「フーズヤーズの姫よ、頼む。それでも、私は友を死なせたくない。愚かと言われようとも、ただ私は、ロミスに死んで欲しくないんだ……!」

「ティアラ、僕からもお願いだ……! みんなを心配してくれているのは、よくわかる。でも、ここで殺してしまえば、ロミスは終わりだ。終わってしまえば、いつか彼が『呪い』を乗り越えて、ティーダの支えになる可能性すらも奪ってしまう!」


 罅割れた弱い心の二人が、ありもしないものを掴もうとしているようにしか、私には見えなかった。


 しかし、この弱い二人は『次元の理を盗むもの』と『闇の理を盗むもの』。

 世界から盗んだ圧倒的な力を持つ二人だ。いま私が、二人の『次元の力』と『闇の力』を乗り越えて、後ろにいるロミスを殺すのは現実的に不可能だろう。


 私は剣を腰に収めるしかなかった。


「……わかったよ。大切だもんね、友達って」


 頷きつつも、納得はしていない。


 この心の弱さが、より酷い結末を招くと思っている。近い未来、このファニアでロミスと再会する日、二人は死に切れないほどの後悔をする気がしてならない。


 こうして、不満ながらも殺気を収めた私を見て、二人とも胸をなでおろし、安心する。ティーダは感謝と共に、私の気が変わらないうちに、急いで先ほどの続きを話していく。


「ありがとう、フーズヤーズの姫……。それじゃあ、すぐに動こう。ずいぶんと予定と変わってしまったが、『火の理を盗むもの』救出計画の締めだ」


 どうやら、誰かさんが裏切ったせいで消えたと思っていた計画は、まだ生きていたらしい。ティーダは手に持っていた『炎神様の心臓』を師匠に渡した。

 そして、ロミスを抱えて部屋の出入り口に向かおうとする。


「これから私はロミスを連れて、あの扉から堂々と逃げ出す。私たちの逃げる姿を見た領民たちは、悪名高き『黒吊り男ブラック・ハングド』とロミスは仲間だったと思うことだろう。同時に多くの兵士たちが、私たち二人を追いかける。その間に、君たちは彼女の心臓を持って、あの地下の部屋まで戻るんだ。あそこにいる二人を解放すれば、君たちはファニアの英雄として認められる準備が整う」


 そのティーダが頭に浮かべている未来を、私も組み立てていく。


 地下にいる二人とは、三年前に表舞台でファニア復興を主導していた『火の理を盗むもの』と、地位だけは高いと言われているネイシャ家出身の院長さんのことだろう。


 ロミスさえいなければ、この二人が強い発言権を持つのはわからなくもない。

 特に『炎神様』として活動していた『火の理を盗むもの』が解放されれば、ファニアの情勢は一変しそうだ。


 この二人がロミスの悪事を暴いたという形に話を持っていければ、領主の挿げ替えも夢ではないだろう。


「……ティーダ。もしかして、あの院長さんに、後のことは全部任せるつもり?」

「それはわからない。けど、その可能性は高いとは思っている。ロミスがいなければ、地位的には彼女が領主になる。もちろん、彼女をサポートする人物は必須だろうがね」


 ネイシャ家の現状は詳しく知らないが、そうティーダは考えているらしい。


 あの若い院長さんが次の当主候補だったと知り、三年前の騒動でネイシャ家の人間がどれだけ減ったか、薄らとわかってしまう。

 もしかしたら、あの院長さんが生き残っている理由は、フーズヤーズ王家で暗殺を免れている私と同じだったのかもしれない。


 軽く親近感を覚えた院長さんの顔を思い浮かべ、彼女がネイシャ家当主になった場合の光景を想像する。


 ティーダが言うとおり、彼女には政務を補助する有能な部下が必須だ。そして、そのポジションにティーダが期待しているのは、ロミスと同類であるティアラ・フーズヤーズであるとも読めた。


 それはフーズヤーズの使者という立場も手伝って、理想的だった。建前上の親だったフーズヤーズが、ようやく子であるファニアの面倒を見るときがきたわけだ。


 私はティーダの計画を読み取り切り、深い溜息をつく。


「はあ……。わかったよ。代わりに、これを機にフーズヤーズがファニアの主導権を取れるようにするからね」

「ああ、それを私は君に期待している。……そんなに嫌な顔はせずとも、君だけが苦労するわけではない。この三年で私は、この結末パターンに必要な人材を用意し終えている。もし、ことが起これば、ネイシャ家に追いやられた人間たちが一斉に立ち上がることだろう」

「へえ、それはそれは。そこの元領主様の教育通り、本当に用意がいいことで」


 つまり、最初からティーダは『ティーダとロミスの二人は街から排除され、ファニアはフーズヤーズと協力関係となり、新たな道を歩む』という今回の結末を狙っていたということだ。


 私は嫌味を飛ばしつつも計画に賛同し、最後に師匠が別れを告げていく。


「ティーダ。それじゃあ、一旦さよならだ」

「ああ、一時の別れだ。カナミ、待っててくれ。すぐに私は戻る――」


 師匠からは一切の愚痴も質問もなかった。

 ティーダは自分を信頼してくれる仲間に頷き返し、気絶したロミスを抱えて駆け出す。


 私たちは中央療養室の出入り口に吸い込まれていく彼の背中を見送り、その先から騒動の声が響きだしたのも確認する。


 すぐにでも、その騒動の声の主たちは、この部屋まで戻ってくることだろう。

 師匠も私も、すぐに動き出す。どちらも満身創痍だったが、ここで気を失うわけにはいかないと、身体を叱咤しつつ進んでいく。


 行く先は、先ほど私たちが逃げてきた最下層。

 アルトフェル教の炎神様が眠る部屋。


 途中、昏倒した見張りたちが転がっていたが、彼らを起こさないように階段と回廊を進み、錠と鎖の外れた重々しい石の壁もくぐって、例の部屋まで辿りつく。


 部屋は私たちが逃げたときと全く変わらない様相だった。その異様に広くて無機質な部屋の中央には、生首を膝に置いた院長さんがすすり泣いていた。


「――あ、ぁああ、ぁああああ……。ああ、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」


 延々と、目を瞑った『火の理を盗むもの』の頭部に謝罪を繰り返していた。

 その院長さんに師匠は急いで近づき、声をかける。


「もう大丈夫です」


 その一声を耳にして、院長さんは涙に濡れた顔をあげる。そして、私たちを見て、信じれないといった顔で、名前を呼ぶ。


「……え? カ、カナミ君?」

「はい、渦波です。全部なんとかなりました。色々ありましたけど、本当になんとか……」


 そう雑把に説明して、師匠は手に持った『炎神様の心臓』を院長さんに見せた。


 それでロミス・ネイシャの敗北だけは伝わったのだろう。院長さんは続きの言葉を失って、ぱくぱくと口を開け閉めする。よっぽど、私たちの勝利が信じられない様子だった。


 その間に師匠は二人に近づき、膝を突いて『炎神様の心臓』を『火の理を盗むもの』の頭部に近づけた。途端に、身体のない首の先から、炎が噴出し始める。『火の力』を取り戻したと思える力強い炎だった。


 そして、『火の理を盗むもの』は瞑っていた瞼を、ゆっくりと開き、その意識を覚醒させていく。


「え……、あれ……?」


 まず瞳を動かして、周囲を確認した。続いて、自分に『火の力』が戻ったことを理解して、その炎の両手を使って、上半身を起こす。

 『火の理を盗むもの』は師匠と数瞬ほど見つめ合い、第一声をこぼす。


「……あの、もしかして、先ほどの仮面の方ですか?」


 それを聞いた師匠は、手を自分の顔に持っていく。


 ロミスとの戦いの間に、変装用の仮面がなくなったと、いま気がついたようだ。自らの素顔を晒した師匠は、以前よりも表情に気を遣い、見る者を安心させる笑顔を作っていく。


「うん、そうだよ……。約束どおり、ロミスを倒して、心臓を取り返してきたんだ。ほらっ」


 寄せられた心臓を見て、『火の理を盗むもの』は目を見開く。しかし、すぐに顔を暗くして、何よりも先にファニアの人々を心配していく。


「でも、これは上の人たちの痛みを緩和するのに、必要で……」

「もう、その心配は要らない。これに祈ってた人たちは、みんな僕が治したから」


 自分の身を省みない『火の理を盗むもの』を前に、師匠は辛そうな顔になる。


 そして、すぐに手に持った心臓を、強引に彼女の炎の身体の中に入れた。師匠は心臓をあるべき場所に戻し、その胸に手を入れたまま、これから先のことを話していく。


「これからは、僕がファニアのみんなを治す。だから、君の心臓も、手も足も全て、もうファニアには必要ない。君自身は全て、君自身のものだ。もう君は自分の幸せを考えていい」


 師匠は先ほど『火の理を盗むもの』に話したとおり、彼女の幸せを一番に優先しようとする。


 触れ合った手と心臓から、その気持ちが伝わったのか、アルティは首を振ることなく受け入れていく。


「あなたがファニアを救ってくれるのなら……。私は……」


 それを見た師匠は、まるで自分が救われたかのように深い溜息をついて、心臓から手を離し、表情を微笑に戻す。


「さっきは手を離して、ごめん。だから、もう一度だけ言わせて欲しい」


 そして、ティーダの裏切りでご破算となった約束を、もう一度交わしていく。

 

「僕は君を助けたい。一緒に、ここから出よう」


 師匠は『火の理を盗むもの』に、手を差し伸べた。


 その焼き焦げた腕を見て、『火の理を盗むもの』は頬を赤く染めていく。取り戻した心臓を、どくんどくんと跳ねさせているのだろう。その彼女の気持ちが、私には本当によくわかってしまう。


 だから、ちょっとムカつこうとも、表情に出さずに二人を見守り続けた。

 黙って『火の理を盗むもの』にとっての一章最後の頁を、めくる。


 『火の理を盗むもの』は薄らと涙を浮かべながら、初めての笑顔を私たちに見せる。


「はい、私を助けてください……。どうか、ここから連れ出してください。私は、あなたと一緒に行きたい……」


 そして、かつての私と同じように、師匠の手を強く握り返した。

 このときだけは、『火の理を盗むもの』は自らの炎で誰かを焦がすことを厭わなかった。その信頼に師匠は全力で応えようと、『次元の力』を使って、彼女の炎の手を強く握り返していく。


「は、ははっ……。ああ、よかった。今度は、助けられた……――」


 自らの守った少女を前に安心し、呟く。

 ただ、その無駄な『次元の力』の使用によって、とうとう師匠は限界を迎えていく。


「みんな助けられた……。ティアラも一緒だ。は、ははっ、あはははっ――。やっぱり、これで僕は正しかったんだ。この僕で、いいんだ……。これからは、この僕で……、生きて、いけば……――」


 師匠は気の緩んだ意識を手放した。

 『火の理を盗むもの』の手を握ったまま、地面に倒れこんでしまう。


「や、やっぱり、熱かったですか!? すみません!」


 慌てて、アルティは炎の手を離した。


 確かに、とどめは炎の手によるダメージだったろうが、原因は他にある。

 それを近くにいた院長さんが確認していく。どうやら、医学も齧っているようで、その動きは的確で迅速だった。


「……あ、あれ? これ、気絶ですか? というか、寝てます?」 


 その疑問に私は『呪術』を使いながら、おどけて答える。


「だろうね。私たち、ファニアから入ってから、ろくに休んでなかったからねー。というわけで、私たちはこれから休憩! その間に二人は、このファニアを作り直す段取り考えててー」


 私は三人が話している間に、この部屋で使った『代償』の『術式』を記した本を見つけていた。その本を足で開き、両腕を治療中だ。


 院長さんは上階での結末を唯一知っている私に、少し怯えながら聞く。


「あ、あの……。ティアラ様、そのファニアを作り直す段取りとは? あと、上の状況の説明もしてくれたら、嬉しいなーって」

「ロミスはもういないから、次はあなたってこと。たぶん、この三年でティーダは、ロミスを裏切らせる『呪い』を街の各地に蒔いていたんだろうけど、あなたが一番頑張る必要があるのは間違いないよ」

「え、え? もうロミス様はいない? それはどういう意味でしょうか?」


 なんとか院長さんは、私の言葉を噛み砕いて飲み込もうとしているが、全てを理解してくれるにはかなりの時間がかかりそうだった。

 ちなみに、その隣では、炎の身体の少女が師匠の近くでおろおろとしている。


「――し、しっかりしてください! あぁっ、どうしましょう!?」


 具合を見たくとも、炎の身体では手を当てることもできない様子だった。

 そのいじらしい姿を愛でながら、私は『呪術』で師匠よりも先に自分の腕を治していく。別に、いまの師匠の口説き文句を聞いて、怒ってなどいない。


「っふうー。……やっと終わった」


 両腕の痛みが引いていくのに合わせて、私は天井を仰いで一息つく。



 ――いま『主人公』は意識を失い、一つの物語が最後の頁を過ぎた。



 ロミスを倒し、二人の『理を盗むもの』を救ったことで、師匠にとっての『ファニア編』は終わっただろう。まだ残っているとすれば、あとはエピローグだけだ。


 そして、そのエピローグの心配は、ほとんどない。


 これから領民たちが、この部屋までやってくるだろうが、ロミスさえいなければ私の『詐術』で言い包められる。勝者の特権を活かし、虚実を上手く交えて、いかにロミスが悪党でフーズヤーズが正義だったかを教え込むつもりだ。同類のロミスにできたことなのだから、私にもできるはずだ。


 ロミスと共犯関係にあった者たちはファニアに多く残っているだろうが、『闇の理を盗むもの』ティーダの能力を借りれば、あっさりと解決できる問題だ。


 『火の力』、『闇の力』、『次元の力』。

 この三つを好きに使っていいのだから、ファニアの作り直しは本当に簡単だ。


 心配があるとすれば、それは別のこと。

 

 ――例えば、『糸』。 


 私の視界では、未だ手の先から伸びた白い線が揺らめいている。

 その『糸』に実体はなく、天井を透けて通り、どこか遠くまで繋がっている。


 天井を見つめ、慌てふためく『火の理を盗むもの』と院長さんの声に紛れさせて、とても小さく呟く。


「確かめないと」


 師匠たちにとっての『ファニア編』は、ここで最後の頁かもしれないけれど、私の物語だけは違う。

 この『糸』を手繰り、辿りついた場所にて、続きがある。


 私は頁をめくる。

 相川渦波にとってのエピローグではなく、ティアラ・フーズヤーズの物語の続きを読み進めていく――

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