369.初めての裏切り


 敗北の間際、私の告白を聞いて、師匠は取り乱す。

 それをロミスは安全圏で見守っていたが、途中で表情を変えていく。


 叫ぶ師匠の身体から光の粒子が漏れては、周囲の空気が歪んでいた。先ほどはティーダに止められた暴走が、今度こそ見物できると――興味深そうに、まじまじと検分する。


「これは、『魔の毒』を掻き集めているのか? 炎神と同じ現象ならば、私でも経路が見えないのは、どういうことだ?」


 ロミスが注目していたのは、師匠の『魔の毒』の増大だった。

 人の力こそが最も重要と考える彼らしい着目だ。

 対して、人の心こそが最も重要と考える私は、師匠の表情と言葉の変化に注目する。


 悲痛に染まっていた瞳を揺らめかせ、自問自答の続きを吐いていく師匠は、余りに痛々しかった。


「――もう泣かないって決めたのに……。他の全ては忘れさせられても、それだけは忘れないって誓ってたのに……――」


 いま師匠は、はっきり「忘れさせられても」と言った。

 その意味が、私にはわかってしまう。


 ずっと私が見たがっていた『異邦人』の闇が、いま全て露出していっている。


 意味だけでなく、その原因も私はわかっている。

 このファニアの旅全てが、師匠を追い詰めた。ロミスに、『闇の理を盗むもの』に、『火の理を盗むもの』に――なによりも、この私の告白によって、師匠は追い詰められて追い詰められて追い詰められて、とうとう全ての余裕を奪われた。


「――僕は誓ったんだ……。『みんな一緒』って、『彼女』に。父さん母さんの前でも、僕は陽滝の兄として立派になるって約束した。ああ、それが新しい『相川渦波』だったのに!」


 師匠の抱えたものが、否応なくわかっていく。


 『彼女』『忘れさせれて』『誓った』『新しい相川渦波』――つまり、その『彼女』とやらの記憶を師匠は奪われて、過去の『相川渦波じぶん』を改変されているのだろう。


 師匠が人助けをするときに苦しそうなのは、本当の自分を見失い、やりたくないことをやらされているからだ。


 ――ならば、誰に奪われ、誰にやらされている?


 私は指先から伸びる白い『糸』を、もう一度見る。

 それは操り糸のように、私にかかっていて外れない。

 『呪術』に身につけた私でも仕組みがわからず、この場にいる『魔の毒』の専門家ロミスや『理を盗むもの』たちの目からも逃れている『糸』。


 そんなものを操れるのは、一人しかいない。

 そして、悲しいことに、その一人ほど師匠の頭を弄るのに適した人物はいない。


「ぁあああぁあア゛アアアアア――!! ――呪術《フレイム》ッッ!!」


 私が答えを出したとき、師匠は叫びのまま、『呪術』によって全身から炎を噴出させた。

 身体に食らいついた炎蛇に匹敵するほどの熱量に、ロミスは驚きの声をあげる。


「なっ――!?」


 兵士たちが纏っていた炎を消したときと同じように、炎と炎は食らい合い、どちらも掻き消えた。

 見事な《フレイム》による相殺だ。


 しかし、その異常な火力の源は、どこから来ている?

 《フレイム》は焚き火ほどの炎をおこすだけで、記憶が失われると言っていた『呪術』だ。一体何を捨てれば、ロミスの炎蛇に匹敵するほどの炎になる?


 底知れぬ不安を私が感じる間に、師匠は立ち上がる。

 いくつもの残火が揺らめき、歪む光の粒子が舞う中、彼の黒い双眸は際立っていた。色は純黒で一色。暗闇も黒く、恐ろしいほどに静かで、どこまでも深く沈み込んでいる瞳が二つ。


「ああ、僕は絶対にティアラを助ける。もう助けられない・・・・・・・・は許されない・・・・・・


 師匠の口から、禍々しい『魔の毒』と共に、強迫観念そのものの言葉が漏れ出る。


 その姿、その瞳から、その台詞から、確信する。

 『理を盗むもの』に選ばれる条件――心の皹というものが、いま広がっている。


 心が器として成り立たなくなるくらいに、亀裂が入っていって。

 壊れていっている。砕けていっている。死んでいっている。


 ――だから、先ほどから『理を盗むもの』としての力が増して、止まらない。


 使徒による『魔の毒に適応できる器』の説明の一つを思い出す。それは「――基本的に、その者は死ぬ・・・・・・。人としての機能をいくつも失い、さらにはその者の最も大切なものをも犠牲にする。それだけではない。その人を外れた力を使うたびに、それに見合った『代償』を世界から求められる」という話。


 様々な憶測が私の頭の中で飛び交い、とうとう不安が頂点に達し、喉奥から嗚咽が出そうになる。その震え出した私を見て、師匠は静かで黒い双眸を向けて、優しく語りかけくれる。


「大丈夫だよ、ティアラ。いま、僕が助ける。あの日、塔から出られてよかったって、君が思えるように、必ずする。しないと、いけない――」

「――っ!!」


 私の冷め切っていた心臓が再び動き出し、総毛立つ。


 見惚れ、聞き惚れ、思考が吹き飛びかけた。


 なにせ、いまの師匠は、私の『理想』の『主人公』だ。とてもドラマチックな逆境の中、私の予想を上回る人の闇を溢れ出させて、私だけを真っ直ぐ見て、必死に救い出そうとしてくれている『主人公』。


 当然、『恋心』で胸が高鳴り続ける。

 ただ、それに負けないくらいの不安も膨らみ続けている。


 興奮と不安。

 増大する二つの感情に挟まれて、頭の中がぐちゃぐちゃだ。


 いま『魔の毒』が増大して止まらない師匠は、本当に大丈夫なのだろうか?

 先ほど私は『恋心』のままに叫んで、本当に正解だったのか?

 私たちはロミスに負けて、捕まって、拷問されて、洗脳されて、利用されていたほうが、まだ正解しあわせだったような気がする。私は不正解ふこうに向かって、誰かに誘導されたのかもしれない――と、私は指先にかかった『糸』を見る。


「――呪術《レベルアップ》」


 私の思考が纏まらない中、師匠は自身の最高の『呪術』を口にした。


 途端に、膨大な量の淡い光が広がっていく。

 昨日と同じく、無色透明の何にも染まっていない光だ。そして、この《レベルアップ》の光も、《フレイム》の炎と同じように、ロミスの発する炎の光を食らおうと、侵食していく。


 それにロミスは真っ向から対抗しようと、炎の熱を増させるべく叫ぶ。


「炎と光、同時に使えるのか!? だが、その程度!!」


 私は戦いに目を奪われることなく、師匠自身の『魔の毒』に注目し続ける。


 ぱっと見たところ、『魔の毒』は無色透明だったが、水のように透き通っているわけではなかった。鏡のように周囲の明かりを反射して、常に発光している。


 その『魔の毒』には、じっと心配そうに見つめる私の姿が映っていた。

 湖の静かな水面を覗き込んだかのように、逆さまの私の顔があって、その背後には星空のような光景が瞬いている。そこに映るティアラ・フーズヤーズは、本の物語に出てくるヒロインのように幻想的で、劇的で――私の望む『理想』の世界が、『魔の毒』に広がっていた。


「ロミス! おまえが領主として、このファニアの全てを奪っているというのなら……ずらして、元に戻してやる! あるべきものはあるべき姿に、全て戻す!!」


 そう師匠が宣言した瞬間、ぐにゃりと大きく師匠の『魔の毒』が歪む。


 私の見ていた静かな水面が、ゆっくりと波打ち始め、水流を生んでいく。それは時計回りに動き出し、次第に渦となって、溜まっていた水を掻き混ぜていく。


 無色透明だった湖に、色がつき始める。

 湖の底に沈んでいた不純物が渦で舞い上がり、上澄みと混ざっていくかのように、湖の色は――師匠の『魔の毒』は、薄紫に染まった。


 その一連の変化を見て、ロミスは返答する。


「ずらして、だと……? その『魔の毒』の歪み――光でも炎でもなく、それがおまえの本質か!?」


 違う。

 そのロミスの分析は間違っていると、戦いを無視して師匠だけを見ていた私にはわかった。


 本質は、光でもずれでもない。

 さっきまで見えていた鏡のような水面だ。


 ――そう、鏡。


 おそらくだが、師匠は周囲の人間によって、世界の『救世主』のような『光の力』にも異世界の『主人公』のような『次元の力』にも、何にでも変われるという性質がある。


 はっきり言って、何でもありの性質だ。

 その時々で最も理想的な力を振るえると言っているようなものだ。


「――『汝、刮目し省みよ』『その命の輝きを識れ』、『我に在り、汝に在る』――」


 そして、『師匠』は『詠唱』する。

 その理想的な力が、ロミスの放つ炎の光を全て、ずらし――まるで『反転』させたかのように、この世から消していく。


 世界に存在する『炎の理ルール』を捻じ曲げるかのように、とても不思議な光景だった。


 いま中央療養室の全ての炎は高温を撒き散らし、激しく燃え盛っているというのに、視覚的な明るさがない。

 炎が暗がりを放ち、師匠だけが唯一の明かりとなっていた。


 その余りにも非常識的な光景に、周囲の人たちの頭は混乱し、強い動揺が走っていく。


「え、炎神様の光がなくなった……?」

「ちゃんと炎は燃えて、熱くて、そこにあるのに……。どうして……」

「光が……。あれ、なんで……、涙が出て……」


 あれだけ一心不乱に祈祷していた信者の壁に、乱れが出る。


 その様子から、師匠がずらしたのは視覚的な明かりだけではないとわかる。

 おそらく、ロミスが炎に含んでいた民衆の心を一つに纏めるための『呪術』も、ずらして、効果を『反転』している。


 あの炎の明かりは、ずっと患者たちの心に作用し、偽りの希望の光を与え、思考を停止させていたことだろう。師匠のように造語するならば、それは呪術《ライト》あたりか。


 その光の効果が、ずれにずれて、「もう領主さえ信じていればいい」という安心から「本当に領主を信じてもいいだろうのか」という不安に変わった。


 中央療養室の宗教的信仰の行き先が、徐々に狂っていく。

 その上で、いまファニアの患者たちが浴びているのは、師匠の光だけだ。その状況を著しく危険と判断した様子のロミスは叫び、迅速に動く。


「もういい!! 出番だ、ティーダ!! その男を止めろ!! いますぐだ!!」


 まず協力者であるティーダを呼んだが、この部屋の中のどこかに潜んでいるであろう『闇の理を盗むもの』は――反応しなかった。


「ちっ、やはり大事なときほど使えない男だ! ――だが、わかっていたこと。信頼できるのは自分のみ。私には自身の力のみで、全てを終わらせる準備がある。光はなくとも、私には炎による制圧力がある! まずは――!」


 ロミスは忌々しげに舌打ちしながらも、その怠慢を受け入れた。上司としてティーダを扱うならば、このくらいは許容する覚悟だったようだ。


 そして、まず最初に、視線を私に向ける。

 その険しい表情から、私の確保から始末に切り替えたのがわかる。


 私の上に乗っかっている炎の巨人たちの体積と温度が急激に増えた。

 ロミスも余裕がなくなり、その本心が引き出されている。優秀なことに彼の咄嗟の判断は、不確定要素は全て始末するという答えだった。


 彼の心境の変化に師匠も気づいたようで、全速力で駆け出す。

 その『速さ』は私や炎の巨人たちに匹敵していた。


「ティアラ――!! 『輝け炎剣』!!」


 その手に持った剣に炎を纏わせる。

 先ほどの戦いで、ロミスが最初に兵士たちの武具を強化したやつと同じだった。それを師匠は一見で盗み、自分の『呪術』に変えていた。


「――呪術《フレイムフランベルジュ》!! 敵の炎を斬り裂け!!」


 名を与えるという『代償』を経て、その力はさらに増す。


 師匠の剣は炎によって丈を何倍にも伸ばし、その切っ先が私の上に乗っかっていた炎の巨人まで届く。


 《フレイムフランベルジュ》の剣の動きは素人だったが、その『速さ』は尋常ではない。炎の巨人たちが身構える前に、薙ぎ払う。その上、触れただけで、その炎の体積を削り、激減させていった。


 あれだけ苦労していた敵が、師匠の剣で次々と削がれていく。

 私の上にいたやつも、あっさりと師匠に斬り払われ、吹き飛ばされた。


 身体が自由になった私は、痛みに耐えながら急いで立ち上がる。そこに感極まった様子の師匠が、勢いよく抱きついてくる。


「ティアラッ!! ああ、よかった……。本当によかった。今度は守れた……。守れたんだ。ああ、ティアラ……。ティアラ、ティアラティアラティアラティアラティアラ――」


 未だ戦場の中だというのに、師匠は私の頭部を力一杯に抱きしめて、病的なまでに延々と私の名前を繰り返す。


 胸の中の収まった私は、視界が師匠だけとなり、にやけかける。

 嬉しいに決まっている。ただ、この暖かさに呑みこまれて、戦いに敗れては元も子もない。両腕の折れている私は、頭を左右に動かして、抱擁を拒否する。


「し、師匠。そういうのはあと……! というか、背中が熱いっ!」


 ついでに、背中に回されている《フレイムフランベルジュ》が、私の後ろ髪を少し燃やしているのも咎める。


「あ、ああっ。ごめん」

「ああ、うん。もう私は大丈夫だよ……」


 私の状態を理解してくれた師匠は、パッと身体を離してくれる。


 そして、目と鼻の先で私たち二人の顔が向かい合う。

 途端に、私の胸の鼓動は急加速する。全身が熱いのは、先ほどの告白から変わっていない。いまは特に頬が上気して、視界が湯気の中にあるような気がする。


 間違いなく、私は生の感情である『恋心』を得て、興奮している。


 その上で、いま目の前にいる師匠の内心も、本をめくるかのようにわかってしまって、「もしかして、私と師匠は相思相愛?」という推測が頭に浮かぶ。


 頭の中はぐちゃぐちゃの上に、茹る。『ロミスの狙い』、『ティーダの裏切り』、『自分の生の感情』、『白い糸の正体』、『師匠の記憶の欠落』など、大切な情報は一杯あったが、ちっとも纏まる気がしなかった。


「下がってて、ティアラ」


 その混乱する私を守るように、師匠は一歩前に出る。

 いくらか師匠が斬り払ったとはいえ、まだ炎の巨人たちは残っている。まだロミスも健在だ。


「師匠、ここは一度、フーズヤーズに戻ったほうがいいよ。だって、いま師匠の使ってる炎、絶対に何かまずいもん。あいつと戦うにしても、陽滝姉がいたほうが、ずっとずっと安全に勝てる。正直、ここで無茶する理由なんて一つもない」


 せっかく拘束から逃れたのだから、ここは確実な逃走を選びたかった。


 なにより、私は一旦、散らばった情報たちを整理し直す時間が欲しかった。

 しかし、師匠は私と逆で、清々しそうな顔で、非常にシンプルに答えていく。


「わかってる。それでも、もう僕は逃げたくないんだ。ティアラのおかげで、やっとわかった。僕は陽滝になれない。だって、僕に陽滝のような完璧さを求めてた人は、もう――どこにもいない・・・・・・・


 優秀過ぎる妹への劣等感コンプレックスがあったことを認めて、それに負けないと師匠は誓っていく。

 その声色は明るく、口調は前向きで、師匠の成長を表しているかのように力強かった。


 ――ただ、その言葉と共に、師匠の『魔の毒』は膨らみ続けていく。


 『魔の毒』が増える条件を私は、一つしか知らない。


 いま師匠は明るく笑っている。けれど、私には、何か大切なものを捨てて捨てて捨てて、中身が空っぽになるほど捨てて――『次元の理を盗むもの』として完成していっているようにしか見えなかった。


「だから、これから僕は僕らしくやる!! 自分らしくあることが、『次元の理を盗むもの』としての力に繋がってるってことも、いま、はっきりとわかった!!」


 師匠の願いが間違っていくような気がした。

 けれど、それを止める言葉が私には浮かばない。


「みんなを助けられる『理想』の自分を目指す! そんなものは作り話の本の中にしかいないってわかってても、そこに向かって僕は目指し続ける! 決して届かない場所だってわかっていても、意味なんてないってわかっていても! そこまで目指し続けることが、僕の『夢』だったんだ!! ああっ、ずっとずっとそうだった! みんなの瞳の向こう側っ、あのガラスの向こうっ、あのページの向こうにあるような! あの『理想』の世界だけが、僕の最後の安らぎだったんだ!!」


 私は頬を上気させたまま、見惚れて動けない。

 いまの師匠は本の中の『主人公』そのもの過ぎて、ずっと見ていたいと思わせるのだ。


「まだわからないことは、たくさんある! けど、もう迷いだけはなくなった! 僕は絶対にティアラは守る! そして、ロミスに勝つ! ここから先は、もうっ、それだけでいい・・・・・・・――! それが僕っ、『次元の理を盗むもの』相川渦波だ!!」


 そして、その名乗りを最後に、師匠とロミスの戦いが再開される。


「この私に勝つだと!? 何の準備も覚悟もなく、降って湧いた力に甘えた子供が! その力で、何でも思い通りにいくと思うな!!」


 炎の巨人たちでは手に負えないと判断したのだろう。

 とうとうロミスは、自ら前に出ようと動き出す。

 それに呼応して、師匠も前に出る。


「降って湧いた力だからこそ! ここでおまえに負けて奪われるものか! この僕の力は、ティアラや仲間たちっ、そして――このファニアのみんなを助けるためにある!!」


 師匠は《フレイム・フランベルジュ》を構え、ロミスも同じく炎による巨大な剣を生成する。


 決着をつけるべく、二人は同時に駆け出し、炎剣を打ち合わせた。

 二種の焔が迸り、炎の火力比べが行われる。


「このファニアで! 『炎神の預言者』である私に、炎で敵うと思うな! この私の炎は、人々の積み重ねの結晶だ! 貴様ら化け物の呪われた力に負ける道理はない!」


 ロミスの自信通り、徐々に彼の炎が押し始める。


「ああっ! そんなこと、わかってる! おまえに勝てないのは当たり前だ! だって、僕の『呪術』はおまえを倒すために作ったんじゃない! この『呪術』は、誰かを助けたいと思って作ったんだ!!」


 炎剣を打ち合わせたまま、師匠は次の『呪術』に取り掛かるべく、叫ぶ。


「――『汝、刮目し省みよ』『その命の輝きを識れ』、『我に在り、汝に在る』! ――呪術《レベルアップ》!!」

「また光か! そう何度も、自由にやらせるものか――!」


 もう一度《レベルアップ》の光が広がろうとする。

 それをロミスは炎を薄く広げて押さえ込もうとしたが、師匠の光はロミスの炎を突き破り、中央療養室全てに満たされていく。


「炎でおまえに劣っていても、これだけは劣るか! 陽滝を治すために開発した《レベルアップ》は、僕の全てだ!!」


 その光は昨日と全く同じ光景を、同じ場所で繰り返していく。


 周囲の患者たちに溜まった『魔の毒』が生きる力に変換され、余すことなく痛みから解放されていく。

 病に伏せる前よりも健康になったことで、まるで夢を見ているかのような感想を誰もが口にしていく。


「身体の痛みが消えて、軽く……。なにこれ……」

「え、え? 痛く、ない……? 身体が痛くない!」

「ひ、光……? 炎よりも明るい光が一杯……」


 師匠はロミス以上の『奇跡』を起こし、さらに戦いの勢いに任せた咆哮をあげる。


「治したいと!! 治したい治したい治したいと願って、僕はファニアまで来た!! もう二度と僕は、病で苦しむ人の姿だけは見たくない! この願いだけは、おまえの炎だろうと呑みこまれはしない!!」


 昨日と違って、師匠は完成していた。

 顔を歪ませることなく、私や患者たちの『理想』の姿を、こなすことができた。


 『次元の理を盗むもの』相川渦波は、世界の『魔の毒』を払うべく、異世界からやってきた『救世主』であると、見事に演じ――戦いを見守っていた患者たちは、自分たちの本当の味方は誰なのかを迷い始める。

 

「いま、あそこで領主様と戦っている少年が、この光を……?」

「あの光で救ってくれた? 私たちを?」

「そんな馬鹿な。なら、領主様は、なぜあの少年と戦う――」


 ロミスの力の源は、ファニアという街そのものが『代償』になっていることだ。それが成立するには、領民たちが『アルトフェル教』を信じ、預言者である領主が敬われている必要がある。


 その力に、いま穴が空く。


 ファニアの中央にて、ぽっかりと――『アルトフェル教』でなく、『相川渦波の光』を信じる人間たちが出てきた。

 その変化は、如実にロミスの炎に影響を与える。

 

「くっ、炎が揺らぐ……!」

「まだだ――!!」


 師匠の《レベルアップ》は止まらない。

 次は患者たちでなく、炎の巨人たちにも適応されていく。


 変換に特化した『呪術』である《レベルアップ》ならではの応用だ。

 ロミスが人を炎に変換したのを、師匠は逆方向に戻し始める。

 とはいえ、通常の《レベルアップ》と比べて、その完成度は低く、とても強引だ。師匠が潤沢な『魔の毒』を消費しても、全員が綺麗に元通りとはならない。


 並んでいた十数体の炎の巨人の内、半分ほどは焼死体に変わり、残りは全身火傷を負った兵士に戻った。


 元に戻った兵士たちは炎の巨人だった頃の記憶があるようで、口々に生還を喜びつつも、裏切った上司に恨みを叫ぶ。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ――、助かったのか? あの少年の光のおかげか……?」

「か、身体が動かん……! くそっ、あそこにやつがいるというのに……!」

「あの野郎、よくも! ロミス・ネイシャアア――!!」


 戻った兵士たちの中で、最も火傷の少ない男が、ふらつきながらも前に歩いて、元上司を弾劾していく。


「ロミス!! おまえは『魔人』たちだけでは飽き足らず、今日まで仕えてきた自分の兵たちまでも!! そこまでして、おまえは全てを支配したいのか!?」


 その声は、中央療養室全体に響き渡った。

 兵士の血相を変えた訴えは、周囲の患者たちの動揺を加速させるには十分だった。

 このままいけば、先ほどの炎の巨人の材料が人間だったことは、周知されるだろう。


 そうなってしまえば、この中央療養室に限ってだが、信仰という『代償』は全て師匠のものになる。


 そうロミスも考えたのだろう。

 炎剣の押し合いを諦めて、目の前の師匠を蹴り飛ばして大きく距離を取る。そして、全てを終わらせるための炎を、『炎神様の心臓』を持ったほうとは逆の手に集め始める。


 部屋中の炎という炎が集まっていき、球体状に凝縮されていく。

 その温度の上昇を肌で感じる。

 焼けた空気を喉が吸い込み、肺が焼け付きそうになる。


 なによりも、凝縮される炎の色が異常だった。

 赤から青、青から白へと――炎が昇華していく。

 その焼却に特化した炎の球体は、近づくだけで死が待っていると見るものに思わせる。


「ガキめっ。たったこの程度で、逆転した気になっているのか? 代えの研究院は、いくらでもある。いますぐ、この『第一魔障研究院』を消すだけで、口封じは済むぞ。見せてやろう、この私の真の炎を――」


 その言葉をロミスが吐いたとき、周囲の兵士たちの怒りは頂点に達し、元患者たちのざわめきが大きくなる。しかし、その圧倒的な熱量を前に、誰も近づけない。肺も焼け付く空気に、人々は本能的に危機を感じ、遠ざかっていくしかなかった。


 その中、切り札の炎を完成させまいと、師匠だけが前に歩みを進める。


「させるか……!!」


 そのとき、私のスキルは一つの終わりを感じ取る。


 ――おそらく、これで決着だ。


 だからこそ、私は視線を二人から逸らし、ここにいない敵を探す。

 もし私があいつならば、このタイミングで動く。


 すぐに私は師匠の背中に向かって、全力で駆け出す。

 そして、両腕が折れて使えない私は、師匠の影から出てくる『闇の理を盗むもの』ティーダに突進した。


「ティーダ・ランズッ!!」


 予想通り、またティーダは師匠の死角から、襲い掛かろうとしていた。

 そのワンパターン過ぎる奇襲のおかげで、私はティーダの死角から体当たりすることに成功する。


「――っ!?」


 ティーダの身体をずらすことで、師匠の背中に届きかけていた泥に塗れた短剣が、空を切る。


 すぐに私は体勢を立て直し、ティーダと師匠の間に立ち塞がる。

 身を呈してでも師匠の邪魔はさせまいと、決死の覚悟で眼前の敵を睨みつけるが――その判断を師匠が否定する。


「ティアラ! 必要ない! ティーダは仲間だ! 止めなくていい!!」


 敵でなく仲間だと叫んで、私を制止した。

 その発言に、目の前の敵であるティーダは、能面ながらも強い動揺を私に見せる。もちろん、私も「はあ!?」と大口を開けて、後ろに振り返る。


 そこにはロミスだけを見据えて、私たち二人を信頼している師匠がいた。


「まだ僕はティーダを仲間だって信じてる。だから、いまティーダに何か伝えたい大切なことがあるって言うのなら、僕は聞く。――聞かないと、いけない」


 裏切られて刺されて、また刺されかけたというのに、師匠は決して振り向かなかった。

 それどころか、完全に立ち止まった。


「バ、バカ師匠……!!」

「――ッ!?」


 私とティーダの困惑は何倍にも膨らむ。


 いまも目の前のロミスは、切り札の炎を完成させようと、部屋中どころかファニア中の熱を集めている。これまでの炎とは比較にならない太陽のような熱量だ。完成すれば、全員が死ぬ。


 その一瞬一秒を争う殺し合いの中、仲間の意見を聞くならばまだしも、裏切り者の話を聞く?


 ――ありえない。狂ってる。


 しかし、その異常が『次元の理を盗むもの』相川渦波だった。

 その姿を前に、ティーダも混迷を極め、堪らず叫ぶ。


「う、嘘をつけ……! 嘘を、つけぇっ!!」

 

 誰よりも信頼を疑っている『闇の理を盗むもの』は、同類である『次元の理を盗むもの』の信頼を問いただしていく。


「信じられるものか! 私のような卑怯者を信じられるやつなど、この世にいない! おまえの信じてるという言葉っ、本音のはずがない! 私にはわかるぞ、カナミ! おまえには、まるで中身がない! 口にする綺麗事は、全て借りものばかり! その胡散臭い表皮かわの下で何を考えている!! まず、それを私に聞かせろ!!」


 ロミスと違って、ティーダは師匠の本質を見抜いていた。

 その心の奥底を見せなければ、決して『信頼関係』はありえないと宣言する。


 その要望を聞き、師匠は即座に返答していく。


「ティーダ……。たぶん、僕も君と同じなんだ。僕も生きるのが怖くて堪らない」


 話を聞くと言ったものの、時間は惜しいのだろう。

 ロミスが太陽を生む前で、師匠は飾った言葉を考えることなく、ありのままの本心を吐く。まさしく、それはティーダが最初に求めていた咄嗟の答えだった。


「この闇の中は何も見えなくて……暗くて暗くて暗くて、どこに行けばいいか、ずっと僕はわからない……。だから、僕は自分の中にある『理想』ってやつを、信じるしかないんだ。そこに向かう以外、僕にはもう……、何もないから……」


 私には、よくわからない返答だった。

 だが、ティーダは酷く共感していた。その能面に空いた空洞の奥で「あ、ぁあ、ぁああぁ……」と唸らせ、全身を震わせていた。


「君がロミスとどうなりたいのか、僕にはわからない。けど、君は誰かに信じて欲しがってるし、誰かを信じたがってるってことだけはわかる。その君の願いを、僕は叶えたい……! だから、これからどんなことがあっても、僕は最後まで君を信じる!」


 こうして、師匠は鏡のように、ティーダの最も欲した言葉を答え終わる。


 その姿は本当に『理想』的だったのだろう。ティーダは私のときと同じく、それが間違っているとわかっていながら、見惚れて聞き惚れて、止められなかった。


「カナミ……。君は他人の『理想』でしか生きられない。それが君の心の底――いや、心の皹で、いいか?」


 そのティーダの小さな確認が、師匠まで届いたのかはわからない。

 けれど、それを肯定するように師匠は駆け出した。


 師匠の背中を目で追って、ティーダは前方の男二人を見比べていく。


 『ロミス』と『渦波』

 『ファニアの領主』と『次元の理を盗むもの』。

 『生まれからの付き合いである友』と『昨日出会ったばかりの仲間』。

 『他人を利用することしか考えていない友』と『何度裏切っても信頼し続けてくれる仲間』。


 私がティーダの立場ならば、迷いなく師匠を信じる。

 けれど、彼は両手で自らの頭を強く掴み、その能面と口の空洞を限界まで歪ませて、声にならない唸り声を吐いて、迷った。


 その果てに、ティーダは自らの影に手と膝をつく。

 沼に沈むかのように、闇の中に溶けて消えながら、隣の私にしか聞こえない小さい声で呟く。


「ああ、カナミは弱いな……。私と同じで、本当に弱い……。だからこそ、その皹だけは信じられる……。望んでいたものとは違ったが、それが『闇の理を盗むもの』の答えか……」


 ティーダが裏切る前に言っていた『試す』が終わったと、私にはわかった。

 もうティーダは脅威ではないと判断し、構えを解いて、視線を師匠とロミスに向ける。


 そこでは全ての準備を終えて、純白の炎の球体を掲げたロミスが高笑いしていた。ティーダとの会話で出遅れた師匠が、飛び掛ろうとしている。


「くはっ、ははははは! いい足止めだ、我が友よ! よくぞ、注意を引いてくれた! おかげで私の最高の炎は、十分以上に完成した! この太陽で、全て終わりにしよう!!」

「間に合え!」


 その最後の頁を私は、安心して見送る。

 二人の戦いから距離を取っている私には、はっきりと見えていた。


 私の後ろで闇に溶けて消えていったティーダの行き先を――


「――ああ、終わりだ。ロミス」


 掲げた太陽のおかげで、ロミスの影は色濃かった。

 その影の闇からティーダは現れて、背後から短剣を腹部に突き刺す。


 前方の師匠だけに集中していたロミスは、その凶刃を避けることができなかった。


「――っ!? ティ、ティーダ?」


 ロミスは瞳だけ背後に向けて、凶行に及んだ男の姿を見て、名前を呼ぶ。


 そして、自分が刺されたことに気づいたロミスは、すぐさま手に持った『炎神様の心臓』を捨て、傷口に手を当てて、出血を止めようとする。


 ロミスの意識が保身に向いた瞬間、ティーダは容赦なく呪術《ダーク》を発動させる。その溢れる闇は、宙に浮いた太陽を包み込みこんだ。


 そして、そのまま胃袋で消化するように、あっさりと炎を全て吸収して闇に変換した。

 ティーダは闇を増幅させながら、痛みで膝を突くロミスに向かって語りかける。


「剣を振るうのに鍛錬は一切要らない。教え通りだ、友よ。……ああ、本当に君は、全てにおいて正しかった。すごいよ、ロミス。私と違って、君はすごいやつで……ずっとずっと私の憧れだった」


 ティーダは「だった」と、もう終わったこととして話す。

 友を裏切り終えて、見捨てるつもりであるとロミスもわかり、新たな炎を生み出そうと叫ぶ。


「貴様……! ティーダ! ティーダアアアアアアァアアア――!!」


 しかし、炎が燃え上がろうとした瞬間、ロミスは腹部に当てた手を強く握り締めて、蹲る。


「グッ、ガアァ――!!」


 ティーダが傷口に混入させた泥を使って、ロミスの痛覚を倍増させたのだろう。

 その激痛が、ロミスの炎の使用を許さない。


 もうロミスがティーダの許しなく『炎の力』を使うことは不可能だ。

 それを認めると同時に、ティーダの『闇の力』の反則具合も理解する。『呪術』や『奇跡』といった最先端の技は、安定した感情と集中力を必要とされる。だというのに、その前提を軽く『闇の力』は崩す。


 痛みで崩れたロミスの前にいた師匠も、もう勝負は終わったと判断して、剣を腰の鞘に収めていく。


「ティーダ、助かったよ……」

「ああ……。ギリギリだったな、私のせいで……」

 

 『理を盗むもの』二人は視線を合わせて、共闘の成功を頷き合った。

 それに挟まれたロミスは、小刻みに身体を震わせつつ、叫喚をティーダに叩きつける。


「ティーダ!! 私たちは生まれたときからの友だろう!? なのに、そのような怪しい男を信用するのか!? この私よりも、昨日今日知り合ったやつを!!」


 ここからロミスが逆転できる道はティーダしかない。

 彼は痛みに耐えながらも、『詐術』による説得をしていく。


「考え直せ! さっきの言葉を忘れたのか!? おまえは私の言うことを聞いているだけでいいんだ! おまえのことは、この私が誰よりも理解している! それだけがおまえに幸福になれる道だ!!」


 その一言一言に、ティーダは全て頷き返しながら、ロミスに近づいていく。

 そして、その泥に塗れた両手を彼の顔に近づける。 


「友よ! わかってくれたか!?」


 ティーダの柔らかな動きにロミスは希望を見出した。

 だが、頬に触れる間際でティーダは両手を止めて、話を始める。


「ロミス。いま、懺悔する。聞いてくれ」


 全く戦いとは関係のない言葉に、ロミスは眉をひそめる。


「は? ざ、懺悔、だと……?」


 二人が話をしている間、ずっとティーダの足元から泥が溢れて止まらない。さらに二人の周囲の空気は闇に染まり、どこまでも暗く、黒くなっていく。


 色や性質は違えど、先ほどの師匠と全く同じ光景だった。


 ティーダは友を見捨てることで、その泥と闇が膨らんでいく。

 彼もまた言葉一つ一つを『代償』として、いま『闇の理を盗むもの』が完成していっているように見えた。


 そして、ついに泥は中央療養室を埋め尽くし、真っ黒な池を作った。

 ロミスの太陽で遠ざかっていた人々は、その泥の池の禍々しさを前に、部屋から出て行くしかなかった。怒りに染まった兵士たちも、負傷した仲間を背負い、離脱していく。

 領主ロミスの危機だったが、駆けつける領民は一人もいなかった。


 真っ黒な池の中央に私たちだけが残され、その懺悔は行われていく。


「ロミス、この街の全ての悪夢は、『闇の理を盗むもの』である私を起因としている。そして、私の幼馴染だった君は、誰よりも色濃く私の『呪い』を受けた最大の被害者だ」


 ティーダは何よりも最初に、友だった男に罪がないと首を振った。

 そのとき、隣の師匠の顔色が歪んだ気がした。


 ――幼馴染が・・・・、『呪い・・最大の被害者・・・・・・


 一歩だけ私は後ろに下がる。


 いま二人の男の物語が、結末に向かっているのは間違いない。けれど、あえて私はロミスとティーダだけでなく、師匠も視界に含めて、その最後の頁をめくっていく。

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