368.運命が書き終わったとき


 患者たちに歓待されながらロミスは歩き、その手を大きく横に振る。部屋の壁に並んだ『炎神様の御石』の炎を操って、私たちの逃げ道を塞いだ。


「くっ――!」


 私は唸る。活き活きと生き物のように動く炎は、濃く厚く、無策で触れれば焼き尽くされるだけと確信させる。


「ふふっ。皆さん、助かりました。今日も、いい祈祷ですね。ただ、昨夜からお騒がせしている賊二人の対応がありますので、預言はご容赦を」


 その声を聞いた患者たちは、ロミスの歩みを邪魔しないように移動し、私たちまで続く人垣の道を作った。

 ロミスは「ふう」とため息をついて、口調を繕い直しながら私たちに近づいてくる。


「驚いてくれたかな? この移動は疲れるから、余りしたくなかった『奇跡』なのだが……」


 これも『火の理を盗むもの』の力の応用の一つらしい。

 先ほど師匠が咄嗟に使った新しい『呪術』と似た力なのだろうが、余りに錬度が違う。


 こちらの師匠は、全身の『魔の毒』を使い果たし、息切れが止まらない状態だ。対して、ロミスは汗一つかいていない。


 その差から、準備の違いを痛感する。

 ロミスは多くの状況を想定して、院長さんのような優秀な人間に協力を得て、様々な『呪術』を用意していたのだろう。


 だから、いかなる状況でも余裕を保っている。

 ファニア内ならば必勝の自信がある。

 その自信が、そのままロミスの表情と口調に表れていく。


「だんまりか? ……しかし、二人とも、話の途中で背中を見せるのは感心しない。まだまだ君たちの用事は終わっていないだろう? もう少しゆっくりしていくといい。お仲間もいるんだ。領主の私が責任を持って、君たち二人の面倒を何年でも見てあげよう」


 そう言って、ロミスは手を上げた。

 すると患者たちは一斉に動き出し、壁際に近づいていく。そして、私たちとロミスの三人を遠巻きに見守り、燃え盛る炎を背にして手を合わせ始めた。


 儀式・行事で使うジェスチャーの一つだったようだ。

 炎の壁だけでなく、人の壁までも並んでしまい、私は舌打ちして、目の前の敵を睨む。

 その敵意をロミスは悠然と受け流して、自慢げに両手を広げる。


「くくっ、素晴らしいだろう? いまの私は領主である以上に、世界に奇跡をもたらす預言者でもある。『在りし夜』を少しずらすだけで、ファニアは朝だ。時間という世の理さえも私は操れる」


 やはり、私の体内時計は間違っていなかったようだ。


 いま世界の時間は夜。

 しかし、『在りし夜』で時間を整えられたファニアで、その常識は通用しない。このロミスの匙加減一つで変えられる。おそらく、私たちと戦闘を開始した時点で、ファニアを朝にして、『魔の毒』の補充を開始していたのだろう。


 ロミスの事前の準備によって、追い詰められていくのがわかる。

 ただ、その現実を否定しようと師匠は、周囲で手を合わせる人々に訴える。


「みなさん!! 騙されないでください! こいつは街を私物化して、自分の欲望のために利用している! 僕は見ました! この地下で、小さな女の子の切り刻まれた身体を!! 各地の研究院で、犠牲になった人たちの姿を!!」


 しかし、その言葉は届かない。


 ここの末期患者たちは「研究院には裏がある」「地下では非人道的な実験が行われている」と薄らと気づいていながらも、「それでいい」「仕方ない」と受け入れているからだ。


 なにより、炎による感情の操作も行われている。ファニアで暮らす人々は死ぬまで「このままが最善」と思わされ、決して考えを変えることはないだろう。


 ゆえに、師匠の叫びは空を切る。

 逃げ道が空くことはなく、ロミスを崇める祈祷も止めることができず、力の差は膨らむばかりだった。

 その不動過ぎる空気を前に、師匠は打開の切っ掛けを捜す。 


「誰かっ――!」


 師匠が誰を求めているのか、私にもわかった。

 昨日の《レベルアップ》で師匠に救われ、救世主と口にしていた患者たちだ。


 例えば、師匠を『大いなる救世主マグナ・メサイア』と呼んだ少年。

 誰か一人でも、ロミスでなく師匠を信じる人がいてくれたら、この包囲にも光明が見える――という希望を絶つように、ロミスは嗤う。


「無駄だ。先も言ったが、宗教とは数と結束こそが重要だ。全員が一つになり、一つだけ信じて、一つの目的を目指すのが原則ルール。……ゆえに申し訳ないが、昨晩に君が生んだ新たな宗教の芽は、丁寧に摘ませてもらったよ。根こそぎね」

「つ、摘んだ……?」


 私たちが足を止めて話している間に、私たちがやってきた扉から炎の巨人たちも現れ、ゆっくりと私たちを包囲していく。

 部屋の温度が急激に上がったが、周囲の患者たちの祈りに乱れはなく、止まらない。


 私は必要とあらば、無抵抗のアルトフェル教の信徒たちを殺していく必要があると覚悟し終えつつ――その覚悟を私よりも先に終えていたであろう『闇の理を盗むもの』ティーダの居場所を探る。


 ロミスの影から移動したのはわかるが、どこに潜んでいるのかはわからない。

 また背中を刺しに来る可能性が高いので、師匠から離れずに短刀を構える。


 その間も、余裕を持ってロミスは語り続ける。


「君の光を浴びた患者たちは全員、身体に異常が見られた。総じて、人離れした膂力を得ていた為、『魔人』の可能性ありとして地下に送ったよ。よく研究し、実験するようにと、研究員たちに念を押してね」

「おまえ……! せっかく元気になったみんなを! あの地下に送ったのか!?」


 ロミスは柔らかい言葉を使っていたが、ここまでの彼の言動・性格から「師匠の《レベルアップ》を受けた患者たちは、残らず口封じで殺した」ということが読み取れる。

 それも常人ならば見るに耐えない悲惨な死を迎えたということも――


 ゆえに、師匠の呼吸が大きく乱れ始める。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」


 昨夜に見た研究院地下の魔人たちの扱いを思い出したのだろう。

 『大いなる救世主マグナ・メサイア』と呼んで慕ってくれた少年が、もうこの世にいないことを理解し、絶望しかけている。


 その感情のままに、師匠は周囲に訴える。


「聞いただろ!? みんな!! こいつは、必要とあれば患者を実験に使うようなやつだ!! いつみんなも同じ目に遭うか、わからない!!」


 しかし、無駄だった。

 患者たちは微動だにしない。

 この部屋の信仰は『アルトフェル教』を通して、一糸乱れずに領主ロミス・ネイシャに向けられていることが確認できただけだった。


「聞こえてないのか!? どうして!?」

「私は三年、このファニアで誠心誠意、領主として尽くした。君は昨日今日現れ、ただ喚き散らすだけの怪しい賊だ。その差が、わかるか? そして、その差が三年前、私に『奇跡』の力を与えてくれた。このようにな」


 そこでロミスは会話をやめて、また横に手を振った。


 すると、彼の背中に燃え盛っていた炎が、管のように伸びて、蛇のようにうねり始める。そして、叫ぶ師匠を食らおうと、放たれた矢のように宙を泳いだ。


 すぐに私は代わりに戦おうと地を蹴るが、距離を保っていた炎の巨人たちが数体、私に向かって突進してきて断念させられる。


「師匠! 危ない!」

「ぐぅうっ――!!」


 私は炎の巨人に突進を受けて、助けに向かう足を止めて声だけあげた。

 師匠は炎蛇の大きなあぎとは避けたものの、その大きな尾に身体を打ち付けられ、部屋の隅まで吹き飛ばされた。


 私は炎の巨人たちの相手をしながら、状況を確認していく。

 私も師匠も、致命傷はない。しかし、断続的に火傷を負いながら、じわじわと体力を削られていっている。

 いま私たちが立っているのは、ひとえにロミスの慎重さゆえだろう。


 師匠は立ち上がりながら、周囲の患者たちに声をかける。


「誰かっ! 誰か……いや、あのときのみんなは、もう――」


 いない。

 すでにみんな死んでいる。


 私たちを助けてくれるような人は全員、この中央療養室から除外されている。

 その事実を師匠はようやく受け入れて、歯を食いしばって嘆く。


「ぼ、僕のせいだ……。僕が軽い気持ちで助けたせいで……、みんな……。ティアラだって止めてくれたのに……!」


 師匠は後悔していく。


 そして、悪あがきのように、身体から昨日と同じく《レベルアップ》の光を放とうとするが、その光は周囲の『炎神様の御石』の明かりによって、塗り潰されていく。

 なにより、周囲の患者たちのロミスへの信仰心が、部屋の『魔の毒』に干渉し、師匠の《レベルアップ》を邪魔していた。


 この空間はロミスの味方であると理解し、師匠は《レベルアップ》を諦め、別の『呪術』を構築していく。


 吹き飛ばされた師匠を追いかけるように、炎蛇が宙を泳いでいた。

 その追撃の動きをずらそう・・・・と、もう一度地下で使った『呪術』を師匠は叫ぶ。


「曲がれ――!!」

「それには驚いたよ。しかし、もう脅威ではない。押さえ込むだけの力が、この部屋にはある」


 また部屋が時計回りに、ずれようとする――が、その変化を読みきっていたロミスは、部屋の『魔の毒』を操り、そのずれを固定した。

 手で掴むかのように、とてもあっさりとした対応だった。だが、『魔の毒』に詳しいものならば、それが神業であるとわかる。


 術者の判断力とコントロールに差がありすぎた。

 さらに言えば、術者の『魔の毒』の量と質、空間の優位性にも大きな差がある。


「くそっ! 場の『魔の毒』が全て、あいつに流れ込む……!」

「そういうことだ。地下から中央療養室までの移動を見逃したのは、このためでもある。くくっ、光神様は非常に辛そうだな? 逆に、こちらは疲れが取れてきたところだ。もういつでも逃げだしても構わないぞ? 街のどこだろうと、その先に私は『奇跡』で跳ぼう」


 私たちの逃げ場は何重にも閉ざされていると伝えられる。

 あの炎から炎への移動がある限り、どれだけの『速さ』で私たちが移動しようとも無駄だろう。


 その圧倒的な実力差に、師匠の身体は震え始める。

 身体以上に心が弱っていた。目に見えて、身体から漏れ出る『次元の力』の量は減少していく中――それでも、師匠は『呪術』を使って戦おうとする。


「――呪術《フレイム》!」

「それも理解している。脅威ではない」


 それは人を呑みこむほどの炎だったが、炎蛇と比べると余りに小さすぎた。ぶつかり合った瞬間に、一方的に師匠の炎だけが掻き消える。


 師匠の『呪術』と『次元の力』、両方が全く通用していない。

 もちろん、剣はリーチが短すぎて論外だ。原始的過ぎて、辿りつく前に燃やし尽くされる。


 師匠の劣勢を感じ取った私は、強引にでも応援に駆けつけたかったが、炎の巨人たちが立ち塞がる。その巨体と数を頼りに、四方隙間なく壁を作り、私を何重にも包囲していく。


 ロミスは私の『速さ』を警戒して、慎重に追い詰めようとしていた。


「見た目に騙されて、油断するなよ。そこの素早い姫様は、『魔人』をも上回る化け物だ。巨人に匹敵する膂力と高熱に怯まぬ精神力、どちらも異常だ」


 よくわかっている。

 だからこそ、先ほどから彼の自慢の炎の巨人たちは、私から片時も離れないのだろう。


 ――完璧だ。こうも隙のない戦い方をされては、逆転の展開が見えてこない。


 致命的だったのは力の量でなく、力の質の差だろう。

 師匠の開発した『呪術』と『次元の力』は、どれも戦いに向いていない。

 同じ炎を扱うにしても、師匠は『人の生活を助けるための炎』で、ロミスは『化け物を倒すための炎』だ。

 向かい合って競い合えば、こうなるのは目に見えていた。


 やはり、このファニア編は最初から詰みチェックメイトだったと私は確認し直し、それをロミスも口にしていく。


「そうだ。その姫様は、ゆっくりと包囲を狭めて、慎重に押さえつけていけ。手足は動かなくなる程度に焼け。それで、詰みチェックメイトだ」


 口ぶりから、有効利用するために捕縛しようとする意思が垣間見えた。


 命までは取られないとわかったとき、私は抗戦を諦めて、体から力を抜いた。あらゆる方向から近づいてくる巨人たちの無数の手を、受け入れていく。


 もう今章の最後の頁は、スキルで大体わかっていた。


〝ティアラ・フーズヤーズの奮戦は虚しく、ロミス・ネイシャの炎の物量に膝を屈する。手足を焼かれ、動けなくなった彼女は捕縛され、『第一魔障研究院』の地下にて幽閉される。想い人の師匠と共に、彼女は待つ。フーズヤーズにいる『使徒』様たち。そして、『異邦人』相川陽滝の助けを――〟


 十分に次章に期待にできる結末だろう。

 逆に言えば、ロミスの予期せぬ抵抗をして、「捕まえられないのならば殺したほうがいい」となることだけは避けないといけない。


 そう判断した私は、四肢を掴まれて、地面に押さえつけられながら焼かれていく。


「くぅっ――!!」


 痛みを無視することなく、きっちりと呻き声を口にした。

 その声を聞いた師匠は、私を心配して隙を晒す。


「ティ、ティアラ――!!」

「動揺が出たな。炎が緩んだぞ」


 期待通り、その師匠の隙をロミスは見逃さなかった。

 炎蛇を操って、そのあぎとを師匠の胴体に食らいつかせる。その勢いのまま、身体を地面に叩きつけて、押さえ込んだ。


 私と違って痛みに耐性のない師匠は、悲鳴をあげていく。


「くっ、あぁっ、ぁあああぁああ゛あ゛――!!」

「これで終わりだ。あとは油断なく、君たち二人が疲弊するのを待とう。ああ、苦しければ気絶してくれても構わないぞ? そのほうが楽だ」


 私たちが熱と痛みに耐え切れなくなるまで、炎を緩める気はないようだ。


 ロミスは完璧だ。

 これで私たちは気絶し、捕縛され、敗北。


「あぁああっ……、ぁあああ、ぁあぁ……――」


 そのとき、師匠は炎蛇に食らいつかれたことで、例の仮面を落としていた。いまにも涙を零しそうな顔を露にして、私と同じく敗北を認めていた。

 その師匠が、何よりも先に口にしたのは――


「ぁあぁぁ……、ごめん……。ティアラ……。僕なんかについてきたから……、ティアラまで……」


 謝罪だった。


 師匠は最後までロミスに怒り、恨み言を吐き続けると思っていた。しかし、師匠が怒っていたのは、師匠自身に対してだった。まるで、ここまでのロミスへの怒りは、いま落とした仮面の如く、偽りだったかのように――


 そのとき、ぐらりと。

 師匠の予想と違う反応に、私の心と身体が揺れた気がした。


「本当にごめん……。きっと陽滝なら、こんなことにはならなかった。陽滝じゃなくて僕だから、こんなことになった……! ああ、全部全部全部っ、僕のせいだ……!!」


 師匠は異常なまでに自分の責任を感じていた。

 下手をすれば、このファニアの出来事さえも全て自分のせいだと思っていそうな表情だった。


「あの日、君は僕と出会わないほうがよかった……。あの塔から連れ出さなかったら、君までこんな目に遭うことはなかったんだ……」

「し、しょう……?」


 それは違う。

 こんな目に遭えると期待したからこそ、私は師匠と一緒に旅に出たのだ。


 この結末に責任があるとすれば、師匠でなく私だ。

 なのに、出会わないほうがよかったなんて――


 言わないで欲しい。

 あの出会いは運命だって、いまも私は信じてる。

 師匠こそ、私の『理想』の『主人公』。

 なのに――


「あの少年も、僕なんかを案内したばっかりに、死んだ。ティアラに負けないくらいに、いい子だったのに……。僕に出会ったせいで……」


 涙を滲ませた顔で、師匠は自らの全てを後悔していく。


「僕が身の程を知らずに、陽滝の真似をしようとしたからだ……。やっぱり、僕は間違ってたんだ。この異世界に来てからずっと、最初から最後まで、僕は間違ってた……」


 ついには、私の大好きな『主人公』自身が、『主人公』であったことを否定しようとしていた。


 ――ぐらりと揺れた心が、高熱を発する。


 どんな本の種類ジャンルでも傾向スタイルでも結末エンドでも、私は楽しめる自信があった。

 しかし、私の世界から『主人公』がいなくなることだけは、受け入れられるものではなかった。


 炎に焼かれる以上の熱を胸に感じて、それを口からこぼす。


「違う……」


 胸が熱い。


 熱くて堪らないから、私はファニア編の本を閉じる手を止める。

 いま、私の胸の中には読後の満足感がある。しかし、それを大きく上回る熱いものが、重石のように胸の奥に置かれて、苦しい。


 本だと〝焦燥感と寂寥感に襲われ、ティアラ・フーズヤーズは胸が張り裂けそうになった〟だろうが、実際には、熱くて熱くて・・・・・・熱くて熱くて・・・・・・熱くて・・・と、一単語が重複していくだけだった。


 その初めての感情に私が混乱する中、ロミスは師匠を追い詰めていく。


「――光神様、そう悲しむことはない。まだ君はやり直せる。そこの姫様と違って、あなたは何があっても私が死なせませんよ。そう、死なないんだ。くくっ、すぐに私が、その頭の中を空っぽにして差し上げますよ。そういうことが、ファニアの街は得意なのです」

「や、やり直す? 僕だけは死なない……?」

「私に尽くすことが幸せと感じる新たな君に、これから君は生まれ変わるのです。フーズヤーズでなくファニアの英雄に、君はなる。どうです? 楽しみでしょう?」

「あ、あぁあぁぁ……。また僕だけだ。みんなが不幸にした僕だけが、また残るのか? この一番弱くて情けない僕が、のうのうと一人……! 何もかも、忘れて・・・……!!」

「ええ、あなたは多くの記憶を失うことでしょう。しかし、何も心配も要りません。君の光の力は、この私が責任を持って研究しつくし、神聖なる本当の『魔法』へと昇華してあげます! このロミス・ネイシャが、必ず!」


 その展開も、私のスキルなら読める。


 いま負ければ、師匠は『火の理を盗むもの』と同じように管理されるだろう。

 その過程で、ロミスの都合のいいように人格を弄られることもあるはずだ。


 本ならば〝相川渦波は敗れ、囚われる。これから、彼は絶望という絶望を味わされ、自ら記憶を閉ざすことになる。そして、共に旅したティアラ・フーズヤーズのことも忘れ――〟となる。


 そのスキルが教えてくれる未来に、とうとう私の熱は、身体を焦がす炎を上回る。


 師匠は敗れ、囚われる。これから、彼は絶望という絶望を味わい、自ら記憶を閉ざすことになる。そして、共に旅した私のことを忘れるなんて――どうしても、許せない・・・・絶対に許せない・・・・・・・!!


 〝冷たい文字〟でなく、熱い感情・・・・が溢れ出し、私は叫ぶ。


「違うよ! 師匠!!」


 火傷の痛みを全て無視して、身を捩じらせながら、全力で師匠に伝えていく。


「師匠のやってきたことは間違ってない! 私は助けてもらって、嬉しかった!! 師匠と会えて、一緒に遊んで笑って苦しんで、旅ができて、本当に楽しかった! 死ぬほど楽しかった!! そりゃ何度も失敗することもあったけど、そんな師匠のことが私は大大大っ、大好きなんだよ!!」 


 私は全身を振るわせて、炎の巨人の腕を振り解こうとする。

 その抵抗を見て、ロミスは眉をひそめて、炎の巨人たちに命令する。


「ちっ。やはり、まだ力を隠していたか――」


 瞬間、掴まれていた左右の腕が、小枝のように折れた。

 脳天に雷鳴が轟いたかのような音が響き、火傷を上回る熱と激痛が全身を走る。けれど、私は一切怯まずに叫び続ける。


「だから、大丈夫!! 私は絶対に、大好きな師匠の前からいなくなったりしないよ! これも、ぜんっぜん痛くない! 楽しい!!」


 自分でも何を伝えたいのかわかっていない。

 正直、せっかく残していた余力を使って、無駄なことをしていると思う。


「きっと昨日案内してくれた少年は、まだ生きてる! あそこにいたみんなっ、どこかでまだ生きてる! あの師匠の優しさが間違ってたなんて、絶対に私は思わない! まだだよ! これから先、いつか『みんな一緒』のハッピーエンドに届く可能性は残ってる! だから――!!」


 だけど、これこそが私の求めていた生の感情だと思った。

 ずっと自分自身の中にあったことを気づけなかったのは、他ならぬ自分の生まれ持った違い・・・・・・・・――『読書スキル』が原因だったのだろう。


 しかし、いま私は自らのスキルを生まれて初めて振り払い、「本で読むのと実際に味わうのでは大違い」という言葉の真の意味を、理解していっている。


 ――愛する師匠の命さえ守れたら、あとはどんな結末エンドでも構わない?


 違う! そんなことを言えたのは、まだ現実というものを一度も味わったことがなかったからだ!

 『理想』の『主人公』と出会って、馬鹿みたいに浮かれるだけで、まだ本気で好きになっていなかったからだ! 

 本当に好きなら、好きな人の笑顔を見たかったはずだ! 

 本当に好きなら、好きな人を幸せにしてあげたいはずだ!

 師匠の『みんな一緒』って願いを、何が何でも叶えたいあげたくなるはずだ!!

 好きな人には片時も自分を忘れて欲しくなくて! ずっとずっと笑い合っていたくて! 死ぬまで一緒にいたいって、そう思うのが! 何が何でもハッピーエンドを求めるのが! 本当に好きってことじゃないのか!?


 なら、〝ティアラ・フーズヤーズは相川渦波を愛してる〟じゃなくて!!

 【私は師匠が大大大っ、大好き】こそが、私の本当の気持ちだ!!



「だから、泣かないでよ……! 師匠っ!」



 その全ての想いを纏めて、私は口から吐き出した。

 

 止められなかった。

 本の世界から現実の世界に飛び出して――大切な人を失いそうになって、やっと初めて気づけた――本当の意味での生の感情、私の『恋心』。


 それは炎蛇によって地面に押さえつけられていた師匠まで、確かに届く。


「ティアラ……」


 師匠は潤んだ瞳で、遠くで倒れる私の姿を映した。


 その瞳に映った自分の姿を、私も私の瞳で確認した。

 初恋の衝動のままに暴れ、その想いをぶちまけた私が見える。


 状況は最悪だが、ちょっとした達成感があった。

 師匠と心が結びついた実感があった。

 この最悪の状況で、余力を全て捨ててでも伝えた甲斐があったと、そう私が心から思えたとき――


そんなはず・・・・・ない・・――」


 急に、師匠の表情が変わった。


 いま確かに私たちは互いの姿を映し合っていた。

 私は人生をかけた告白をして、それを師匠は受け止めきった。

 けれど、その告白の返答の中には――


「どうして……。ティアラが、『彼女・・』と同じことを?」


 私ではない別の少女が混じっていた。


 私の動悸が止まりかける。

 あれだけ熱かった心臓が、急に冷え込んでいき、酷く困惑する。


 しかし、その私以上に師匠は困惑していた。

 いま自分の見た光景、聞いた言葉、口にした名前――全てに驚いて、青ざめては、泣きそうな顔のまま、私から視線を外していく。


「か、『彼女』……? って、誰だ? 誰、なんだろう? いや、わかってはいるんだ……」


 師匠は自問自答しては、呼吸を細く浅くして、息苦しそうになっていく。


 それは自分の知らない自分と話をしているかのようで、傍から見ると狂気的だった。ついに師匠は顔を俯けて、この場にいるロミスでも私でもなく、自らの胸に向かって叫んでいく。


「わかってる。だって、僕が願ったんだ。こうなるようにって……! あ、ああっ……!! あぁっ、ああぁああぁあアアアァアアア゛ア゛ア――!!」


 告白の失敗を悲しんでいる場合ではないと気づく。

 いま師匠は、私以上の失敗の最中にいると、見ただけでわかった。なにせ、その歪みに歪んだ顔は、「心が崩れていく」と表現するに相応しかった。


 このままだと、師匠が取り返しのつかないところまで壊れてしまう。


「師匠……!」


 倒れながらも、折れた右腕を伸ばそうとした。

 しかし、骨は砕け、炎の巨人に腕を掴まれ、ぴくりとも動いてくれない。

 私は歯噛みし、険しい目つきで、掴んでいる炎の巨人を睨もうとして――


 折れた右腕の先端に、ゆらりと揺れる線を見つけた。

 自らの指先に一本、いままでなかったはずのものがあった。


「え? い、『糸』――」


 細くて白い『糸』が、指先に引っかかっていた。

 それは『魔の毒』で構成されていて、普通ならば見ることのできない『糸』だった。


 それが、なぜか。

 いま、このタイミングで見えた。


 そして、スキルのせいか、不思議な感覚にも襲われる。

 この展開、この本、この結末――私と師匠の成長物語は、最初から誰かに執筆されていて、登場人物『主人公』『ヒロイン』『敵役』は全員、ただ『執筆者』に操られていただけのような――


 そんな感覚の中、ずっと限界だった師匠の心が崩れ落ちる。

 私の目の前で『理を盗むもの』の条件が、より深まっていく。



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