367.ティーダという青年
迫りくる兵士たちの動きは素早く、剣は鋭い。
鎧や小手に炎が点いていることもあって、懐に入って『体術』を振るうことができない。
「くっ――!」
《レベルアップ》した兵士たちは一呼吸で制圧することができず、手間取る。
その間に、私に遅れて兵士二人を気絶させた師匠が、ロミスに近づきつつ叫ぶ。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ――!! ロミス・ネイシャ! その炎の素となる『魔の毒』を、どこから持ってきてる!」
「なんだ、気づいていなかったのか? 地上のファニアからに決まっているだろう? なにせ私は領主だ。この領民から、税収として頂く権利がある」
師匠は答えに気づいていながら、ロミスを問いただした。
推測と違った答えを聞きたかったのだろうが、その期待に敵が応えることはなかった。
「民たちが治療を受ける限り、各所にばらまいた炎神の右腕を左腕を右脚を左脚を通って、いくらでも『魔の毒』は供給される。つまり、いま私は何の心配もなく、贅沢に炎を操れるわけだな」
「おまえ……!! 助けられる人を助けず!! 女の子の身体を切り刻んで、みんなを騙して、祈らせ続けて!! それがみんなを守るべき領主のやっていいことか!?」
「そんなに私は悪いだろうか? 領主として、きっちりと仕事をこなし、有事の際に必要な力を蓄えていただけだろう? 現に、いま私は蓄えた力で、ファニアを豊かにできる光神様を確保できようとしている。全て、前もって準備をしてきたおかげだ。ファニアの繁栄を考えれば、私の判断は全て正解じゃないか?」
その返答を聞いた師匠は足を止めて、すぐ近くで兵士たちに囲まれて眠る『火の理を盗むもの』を見ながら反論していく。
「あそこまで彼女を追い詰めておいて!! 正解だって!? 本当の正解は彼女と協力して、このファニアで苦しむ人全員を、一人でも多く治して回ることだったろうが!! それをしなかったのは、おまえの欲深さだ! 彼女の奇跡の力を、独り占めしたかったからだ!」
「ああ、それも正解だ。否定はしない。……光神様、この炎の力は本当に素晴らしいんだ。領主でありながら、集団の力を頼らなくてすむ。これで、もう私は誰も信じなくてよくなった。誰に頼らずとも、一人で全て解決できる。私だけなら、二度と失敗はしない――」
ロミスは余裕を持って、師匠の言い分を全て受け入れた。
その態度を前に、師匠は怒りに震えて、駆け出す。そして、立ち塞がる兵士たちを前にして、全力の『呪術』を練っていく。
「いますぐっ、彼女に全てを返せ! 『熾れ断炎』!! ――呪術《フレイム》!!」
ロミスと同じく、師匠は炎を全身から生み出し、それを目前の兵士たちに襲わせた。
その蛇のような動きで這い寄ってくる炎を、兵士たちは避け切れない。しかし、師匠の生み出した《フレイム》が、敵を焼き殺すことはなかった。
《フレイム》が標的としていたのは、人の肉ではなくロミスの炎だった。
炎が炎に絡みつき、干渉し合い、食らい尽くそうとしていく。
――その果て、炎と炎は相殺し合って消えた。
強化と炎の加護を剥がされた兵士たちに、師匠は肉薄して接近戦を挑む。
その光景を見た私は驚きつつも、師匠に遅れるわけにはいかないと戦術を切り替えていく。
確か、『呪術』の炎は、記憶を『代償』にしていたはずだ。このままだと、師匠は際限なく自分の記憶を捨てていく。それだけは許すまいと、私も消耗を許容していく。
心に〝肉を焼かれる痛みなど軽い。ないも同然〟と記したあと、炎を纏った敵の腕を取る。
そして、陽滝姉から教わった技で、その腕を捻り上げて、折る。
兵士たちは纏った炎を過信していた。結果、私の肉が焼け焦げていく代わりに、向かい合った兵士たちの手足は、次々と折られていく。
兵士たちは骨折の痛みで倒れこみ、声にならない悲鳴をあげる。
その頭を飛び越えて、私はロミスに向かっていく。私の反対側では師匠も、兵士たちを無力化しながら近づいているところだった。
このままいけば、私と師匠の二人で、憎きロミスを挟み撃ちにできる。
そう思ったとき、ロミスは表情を変えて呟く。
「炎も使うか。嬉しいことに光神様は中々に器用なようだ。今後の戦いの為にも、消耗なく勝利したかったが……これは仕方ない。消耗を許容した戦術に切り替え、確実な勝利を手にしよう」
ロミスは手に持った心臓を掲げた。
瞬間、部屋の中の『魔の毒』が嵐のように奔流する。まるで津波に呑まれたかのような錯覚のあと、後方で炎の燃え上がる音が聞こえた。
尋常でない『魔の毒』と熱量を感じて、私は振り返る。
「なっ――!?」
いましがた倒したはずの兵士たちが、燃え上がっていた。
先ほどまでの武具に灯すだけの生易しい炎ではない。
炎の出火箇所は彼らの血肉だった。人の焼ける臭いが、勢いよく部屋中に充満していき、次々と兵士たちは燃え盛る。そして、それは健常な兵士たちも例外ではなかった。
「ネイシャ様!?」
まだ戦える兵士たちは、自分が燃やされる理由がわからず、上司の名を呼んだ。
「ああ。悪いが、これの材料は部外秘でね。口封じの必要がある」
「そ、そんな――」
だが、言葉の途中で、あっさりと兵士は炎に呑みこまれ切り、声を失った。
次々と兵士たちの生命を薪木にして、新たな炎が生まれる。
端っこで頭を抱える院長さん一人を残して、兵士たち全員が炎に変わった。その炎は人の二倍ほどの体積があり――その上で、人の形を保っていた。
炎の巨人と呼ぶべきモンスターたちが産まれ落ち、師匠は震えながら呟く。
「この炎の勢い……。『代償』……? それも、人一人の身体を使って……?」
その単語を聞き、ロミスは表情を明るくしながら答える。
「ああ、その仕組みも光神様は知っているんだな。……なら、なぜ光神様も『代償』を利用しない? さっきから自分で『代償』を払っているのは、私への手加減か? もしそうならば、そこの炎神様と同じでなっていないな……。ああ、まるでなってないぞ、光神様ぁ! なぜ『代償』を他人に押し付けない!? 子供でも『生贄』という言葉の意味くらいは知っている! 損させるなら、自分よりも他人だろう!? それが世の中を生きるってことだ!」
「ネイシャアアアア――!!」
相容れぬ思想を前に、師匠は叫び、剣を手にして斬りかかった。
しかし、途中で実体をもった炎に阻まれてしまう。先ほどモンスターとなった炎の巨人たちだ。
モンスターたちを盾にして、ロミスは話し続ける。
「だから、そう怒るなよ。そもそも、アルトフェル教はこのためにあるんだ。凄いと思わないか? 『魔の毒』と『代償』を領民たちに支払わせ、変換作業は『炎神様』に任せて、『奇跡』の力だけを領主の私が振るう! くくっ、この街の自慢を私は、ずっと誰かにしたかったのだ! 光神様ぁ、もっともっと聞いてくれるかあ!?」
「みんな、祈ってるんだぞ!? 領主であるおまえを信じて、毎日祈ってる! いつか治ると希望をもって、毎日毎日!! その祈りを『代償』にするのか、おまえは!!」
「ああ、全て祈りのおかげだな。そして、あの無垢なる祈りたちが、いま、君を倒す力になっているわけだ」
ロミスは手を横に振るう。
すると、近くにいた炎の巨人たちが一斉に、師匠へ向かって飛び掛かった。私の後方で生まれた炎の巨人も同様に、身の丈に合わない敏捷さで突進してくる。
堪らず、私と師匠は飛び退き、ロミスから距離を取る。
炎の巨人たちの迎撃に集中せざるを得なかった。
私は『体術』で身をか儂、師匠は『呪術』で炎を相殺していく。だが、敵の物量によってじりじりと押されていき、憎きロミスまでの距離は遠ざかるばかりだった。
その状況に師匠は心の底から悔しがり、呪うような声を出す。
「おまえのせいで……! 助かるはずなのに助からない子がいた……! おまえの勝手で、おまえの悪意で! 何の罪もない子が、理不尽に死ぬ……!!」
しかし、どれだけ言葉を重ねようとも、状況には反映されない。
私たちは炎の巨人たちに圧倒され続ける。
その様子を見てロミスは、いままでの人を食ったような物言いをやめて、独り言をこぼす。
「……ここまでか? 少し残念だ。この戦いの如何によって、君たちの待遇の変更もあったが、所詮は子供だな。言い包められては泣き喚き、借り物の力を振り回しては秩序を歪ませる。私に力を吸い上げられるしか、世のためにならん存在だ」
薄らと気づいていたが、ロミスが煽るような口調だったのは、師匠の実力・価値観・思想・目的を計るためだったようだ。
そして、いま私たちの値踏みが終わり、ロミスは戦いを終わらせようとする。
軽くロミスが手を振っただけで、相対している炎の巨人たちの熱が増す。
その動きの速さや技量も共に上がったことから、ずっと手加減されていたことを悟る。
私は徐々に相対する炎の巨人たちを捌けなくなってきて、師匠も剣と『呪術』だけでは限界が近づいていた。
このままだと、私たちは敗北し、敵に捕縛されてしまう。
その
――別に悪くないと、私は思っている。
師匠の命を守ることを最優先するならば、このあたりで負けるのが最善だ。師匠は光神様として延命処置を受けるし、私も利用価値のある駒として生かされる。――そして、陽滝姉が自由だ。
ここまでのロミスの言動を含めて、私は「負けるに値する敵だった」と、いま納得しかけていた。
それなりに辛い目に遭うだろうが、そこまでではない。
読んだことのあるバッドエンドな本の中では、温いほうだ。
ファニア編は中々に楽しかったと、笑顔を浮かべて、私が本を閉じかけたとき――師匠の方角から、津波のような『魔の毒』のうねりを感じ取る。
「――っ!?」
そのうねりは、心臓の鼓動のように、大きくドクンと世界を震わせた。
咄嗟に視線を向けると、そこには炎の巨人の腕と剣で鍔迫り合いする師匠がいて、真っ直ぐにロミスだけを見据えて、呪詛を吐き続けていた。
「負けるかッ……! おまえのような酷いやつにだけは負けない……! そうだ。僕はおまえのような酷いやつが、一番許せないんじゃなかったか? ああ、許せなかったんだ! 何を『代償』にしてでも、あいつに僕は負けてはいけない……! 絶対に絶対に絶対に――!!」
また師匠は、正体不明の強迫観念に襲われて、人助けをしようとしていた。
同時に、師匠の周囲の空気が、曲げた絵画のように歪んでいく。
炎の熱が原因ではない。師匠の呪詛に合わせて、『次元の力』が発動しているのだ。師匠の体内から『魔の毒』が漏れ出て、徐々に薄紫色に変わっていき、周囲の全てを、
昨日、広範囲の《レベルアップ》をしたときと同じ――あのやばいやつだ。
あの
しかし、その未知の力だけが、ロミスに対抗できるのは確かだった。
現に、私と同じく師匠の異変を感じ取ったロミスは、一度も見せていない表情となっている。
「なんだ、これは……? 彼は光の使い手じゃないのか……?」
ロミスは慎重に観察し、値踏みを再開していた。
私も同様に、未来の結末の予測を大幅に修正していく。
大逆転の道筋が頭に浮かんでいく。ここから私も手段を選ばずに戦えば、ロミスのところまで届く可能性は十分にある。
そう思考している間も、師匠の力は膨れ上がり続けていく。そして、新しい結末への道筋が、希望の光に照らされた瞬間――
「まだ僕は終わってないぞ、ロミス・ネイシャ! まだ――」
「それは駄目だ、カナミ」
『闇の理を盗むもの』による闇が、全てを閉ざす。
ティーダの声が聞こえたと同時に、師匠の腹部から短刀の切っ先が飛び出ていた。その短刀の持ち主は、湖から出るかのように、師匠の影から上半身だけ覗かせていた。
闇に潜んだティーダが、背後から師匠を短刀で刺したのだ。
その唐突過ぎる致命傷に、師匠は声もなく、膝を突くしかなかった。
「――っ!? くっ、ぁあっ……」
「し、師匠!?」
私は名前を叫ぶ。
見たところ、即死するような傷ではない。
『呪術』の治癒さえあれば、臓器が損傷していても大丈夫だ。
ただ、問題は『闇の理を盗むもの』の泥だ。明らかに短刀に塗りたくられ、体内に入れられた。
師匠の顔を見たところ、私が味わった痛みの倍増ではなさそうだ。
むしろ、逆。
痛みと関連する感情の数々を抑えつけられているように見える。だから、師匠は致命傷で膝を突きながらも、とても冷静に疑問を投げかけることができる。
「な、なんで……? ティーダ……」
「カナミ、それでは意味がないんだ」
影から出てきたティーダは、さらに『闇の力』を増幅させながら、師匠の影から完全に姿を現す。
そのときにはもう、師匠の世界を揺らすかのような激動の感情は全て収まっていた。世界を侵食するかのような『次元の力』も、全て霧散してしまっている。
『理を盗むもの』の力は、感情と密接な関係にあることが証明された光景だ。
そして、『理を盗むもの』同士の戦いにおいて、『闇の力』は無類の強さを発揮することも証明された。
急いで私は、ティーダの目的を推察する。
彼は「『理を盗むもの』が圧倒的な力で、敵を打ち倒すだけの展開」を嫌って、仕方なく出てきたように見えた。
ロミスも私たちと同じく驚き、ぽかんと口を開き、『闇の理を盗むもの』のフルネームを喉奥から搾り出す。
「……ティーダ? もしかして、ティーダ・ランズなのか?」
その呼びかけにティーダは振り返る。
しかし、答えはしない。
怪物となった闇の能面を向けたまま、ロミスを見つめ続ける。
それを前にロミスは、顔を明るくした。
いままでの印象とは真逆の無邪気な喜びようで、『闇の理を盗むもの』を『ティーダ・ランズ』と断定する。
「ティーダ!! やっぱり、ティーダじゃないか!! ははははっ、探したぞ!! 我が友!! ティーダ・ランズ!!」
「まだ私が私だとわかるんだな……。ロミス……」
観念した様子でティーダは、その呼びかけに答えていく。
二人が旧友で、それをティーダが隠してたのは間違いない。
しかし、ここまで堂々と裏切りながらも、ティーダの声は――震えていた。
気になることは多い。
しかし、師匠の命が最優先の私は、二人を置いて駆ける。
重症の師匠の隣で膝を突き、容態を確認する。
すでに師匠は傷口を手で押さえつけ、『呪術』による治療を試みていた。
しかし、術者自身が痛みで集中できておらず、その効果は芳しくない。私は懐に防具代わりに忍ばせていた分厚い本を取り出す。ファニア到着前の野宿で師匠が譲り受けた『代償』の『術式』を記した本だ。いまならば、それを利用して治療に集中できる時間がある。
なにせ、ティーダとロミスは私たちを置いて、二人だけで話を始めた。
「ははっ、わかるかだって? もちろんだ。私たちは無二の友じゃないか」
ロミスにとって私たちの優先順位はティーダよりも低いのか、炎の巨人も逃げ道を塞ぐだけで襲ってこない。
私は聞き耳を立てつつ、師匠の傷を塞いでいく。
「ティーダ、本当に心配していたんだぞ。噂では、街で殺人鬼のような扱いを受けているらしいじゃないか? 私の下にいれば、決してそんな真似はさせないというのに……」
「それは、君が……」
「しかし、これでもう安心だな! また昔みたいに、私の隣に立ってくれれば、全ては解決だ! いまや、君は闇の神を名乗るに相応しい存在――私たち二人が揃えば、きっと無敵だぞ! ……ああ、もちろん、君は特別だよ。なにせ、私の友だからな。そこの炎神様や光神様のような扱いは、絶対にさせない」
ロミスはティーダに反論の間を与えずに、いかに自分が心配していたかを語っていく。
それを聞くティーダの身体は、震え続けている。
彼自身が言っていたことだ。元々、ファニアの領主は『火の理を盗むもの』を囮にして、『闇の理を盗むもの』を手に入れるために待ち構えていた。
間違いなく、ロミスは嘘をついている。
耳障りのいい言葉ばかり並べて、本心である「ティーダの全てを自分のものにしたい」という欲望を隠している。
私はロミスと同類だからこそわかる。街に『
「なあ、ティーダ。君は私と同じで大人だ……。そこにいる神とは名ばかりの子供たちとは違う。私の言っている意味がわかるよな?」
黙り続けるティーダに向かって、ロミスは友人らしく思い出を共有しつつ、手を伸ばしていく。
「三年前、私はネイシャ家当主の父を廃し、万の民を預かる領主となった。そして、君はそのネイシャ家を影で支えるランズ家の一員だ。……なにより、私たちの間には、幼少の頃より温め続けた友情がある。それは血の繋がりに勝るも劣らない絆だ。なあ、そうだろ?」
「ああ、私と君は生まれからの腐れ縁で、友人だ。間違いない」
会話から、ティーダの生まれたランズ家そのものが、ネイシャ家に仕える存在だったとわかる。
単純に、ネイシャ家の血を分けた『分家』だった可能性もあるだろう。その場合、二人は遠い親戚ということになる。
その関係性を踏まえて、私はティーダとロミスの思い出話を見守る。
「ならば、何を迷う必要がある、我が友よ!! 昔から、ずっとそうだったろう!? 君は私の言うことだけを聞いていればいいんだ。それが間違いだったことは一度もない」
「ああ、ロミスにはとても感謝してる。戦いの勝ち方というものを、君からはたくさん教えてもらった。いかにして戦いの準備を行い、どのようにして敵を裏切ればいいか……その手管を学んだおかげで、今日まで私は生き残れたと言っていい」
「ああ、その通りだ! 真面目に剣を鍛え、決闘に向かうなど、馬鹿な貴族たちのやることだったろう!? ティーダ・ランズだけはわかっていた! 戦いとは、剣でなく口を動かすものと、誰よりも先に気づいていた! より強い者に取り入り、ときには敵同士で結託し、少数を陥れる。隙あらば決闘相手の人質を取って、脅迫や懐柔を行い、無意味な血は流さない。それがスマートな勝ち方というものだ!」
「そうだな……。裏切って裏切られての繰り返しこそが、人の本質……。君の教えは、一つも間違っていなかった」
「そうだ! 流石は私の最大の理解者、ティーダだ! よくわかっている! 私は君という理解者がいて、本当に嬉しいぞ!!」
師匠と違って、ティーダは『詐術』で簡単に懐柔されていく。
ただ、見たところ、ティーダ自身が『詐術』に抗おうとする意思を持っていない。
この友という言葉を投げ合う二人は、もう色々と手遅れに見えた。
「では、ティーダ。三年前の誤解とわだかまりを、いま解こうか。親友の私は、かつて私を裏切ろうとした君を許そう。だから、君も――その顔を私が焼いたこと、許してくれるよな?」
ロミスは言外に「より強いものに取り入れ」と、かつての教えを繰り返した。
その真っ黒な嘘に
「……ああ。許すも何も、私は気にしてない。あれは何かの手違いだったのだろう?」
「は、はははっ! 信じていたよ、ティーダ! 親友だものなあっ、私たちは!! たった一度の誤解くらいで、我々の絆は変わりはしないさ! 何一つ!!」
「ああ、私も親友を信じていたよ」
ティーダとロミスの共闘が決まった。
――その瞬間に私は、ティーダという人間を整理していく。
まず、出発前のティーダの自分語りの穴が、いまの情報で綺麗に埋まった。
おかげで、いつもの
〝五年前、ファニアの少女と青年は、『使徒』によって『火の理を盗むもの』と『闇の理を盗むもの』として生まれ変わった――
そして、新生した二人は、周囲で苦しむ人々を助けようと、その新たな力を振るった。
結果、一年ほどかけて、ファニアを再興した。
しかし、その再興の手柄は、ロミス・ネイシャという男に掠め取られる。
ロミスは旧友である『闇の理を盗むもの』ティーダを
その後、『火の力』を得たロミスは、用済みとなったティーダも捕縛しようとした。
親友に裏切られたティーダは命からがらで逃げ切り、『
細部では、『第七魔障研究院』の院長さんの裏切りなどといった
この推測には自信がある。
だからこそ、思う。
顔を焼かれ、全てを奪われたはずのティーダの反抗が、余りに
ただ、いまの彼のロミスへの態度を見れば、その理由は薄らとわかってしまう。
――経歴の次は、『闇の理を盗むもの』の心を読む。
彼の心は酷く脆く、弱い。
先ほど私たちを裏切った際の「裏切られるのが怖い」「助けて欲しい」という言葉は真実だろう。
おそらくだが、ティーダは本当の『信頼関係』という
だが、その異常な臆病さゆえに、信じられるものが見つけられないばかりか、誰かに信じられることにも怯えている。
これがティーダの『理を盗むもの』に選ばれた条件。
例の心の皹ってやつだ。
その皹のせいでティーダは、過去の親友との間にあった『信頼関係』に儚い夢を見てしまっている。
それは幻で、いつか裏切られるとわかっていても――いや、最初から裏切られるとわかっているからこそ、逆に彼は安心できてしまうのかもしれない。
――つまり、こいつは裏切られるのが怖いくせに、裏切ってくれる人じゃないと信用できないという厄介な男なのだ。
そして、そんな厄介な『闇の理を盗むもの』を本当に仲間として信じられるのかと、いまティーダは師匠を試しているわけで――
「ああ、もう……」
面倒臭過ぎる
が、全く共感できない。
師匠を裏切って危険にさらしたことは、許す気にならない。
叱責の意味をこめて、私は確認を取る。
「ねえ。外からで悪いけど、本当にそれでいいの?」
聞かれ、ティーダは少し迷いつつも答えていく。
「私とロミスは友達なんだ……。ずっと友達だったし、これからも友達でありたい」
しかし、その友達とやらに焼かれた泥の能面は、醜く歪んでいた。
助けを求めているかのようにも見える。もちろん、そんな顔をされる筋合いのない私は、冷たく確認を続ける。
「ふうん。だから、私たちを騙して、ここまで連れてきて、売ったってこと? その友達って立場に戻りたいから?」
「……ああ。そう思ってくれても、構わない」
色々と言い返したいことはあったが、全て無駄だとわかった私は口にしない。
「くくっ! 残念だったな、フーズヤーズの姫! さあ、ティーダ! 私たちの友情の証明をしてくれ!!」
ロミスは新たに得た駒を使おうと、声を張り上げた。
その声に押され、ティーダは両手に短刀を握りつつ、こちらに向かって歩き出す。
それに呼応するのは、私の隣にいる師匠だった。
左手で傷口を押さえ、右手で剣を握りつつ、立ち向かおうと動き出す。
師匠の命を守ることを第一とする私は、すぐに制止する。
「師匠、駄目っ! あいつが裏切った以上、もう諦めるしかないよ!!」
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……! まだ……! ティーダが向こうに立っていようと、僕のやることは変わらない!!」
明らかに『火の理を盗むもの』の救出は無理だというのに、師匠は頑なに意見を曲げようとしなかった。
「もう最初の計画通りにいくわけがない! 誰かを助けるどころじゃない!!」
「それでも、僕は彼女に助けるって約束した! それをいまさらっ、このくらいのことで変えるわけにはいかない!」
「いつ助けるかは約束してないでしょ! 来年あたりでいい! 今度はシス姉と陽滝姉を連れて来て、本気で挑戦しよう!! ねっ、師匠!!」
師匠の外套の裾を握って、引き止める。
そこで、ようやく師匠は立ち止まり、振り返って一言だけ繰り返す。
「――
「うん! 陽滝姉を呼びに、フーズヤーズまで戻ろう! 陽滝姉なら、この状況でも何とかしてくれる!」
陽滝姉の名前を繰り返すと、撃ち放たれた矢のようだった師匠の勢いが、急減した。
全身からを力を抜き、かつてないほどに悔しそうな顔で、私に聞き返す。
「ティアラ……。陽滝じゃないと、駄目なのか? 僕じゃ、駄目なのか?」
「……師匠は陽滝姉じゃないよ。師匠には師匠のいいところがあって、師匠にしかできないことがある。ここに陽滝姉がいたら、絶対に同じことを言うと思うよ」
「僕の、いいところ……? 陽滝にできなくて、僕にできること……? そんなの……――」
師匠の声が震える。
ようやく立ち止まってくれたのはいいが、今度は完全に戦意を喪失してしまったように見える。その顔の歪んだ師匠に、ティーダは優しく声をかける。
「カナミ、まだやれるのか?」
律儀にも彼は、距離を置いて、師匠の決断を待ってくれていた。
そして、『理を盗むもの』同士にしかわからない言葉を、また交し合っていく。
「ティーダ、まだ僕は君を仲間だって信じてる! いまの君の気持ちは、僕にもよくわかる……!
完全に見捨てている私と違って、まだ師匠はティーダを助けようとしていた。
私にはない
しかし、それをティーダ自身が首を振って、否定する。
「それでは駄目だ。この状況でないと、意味がない。私は、いまのカナミの咄嗟の選択を知りたい……!」
そう言って、ティーダは駆け出した。
対する師匠は、僅かな逡巡の後、身体から『次元の力』を大量に搾り出す。
暴走したときほどの濃度はないが、師匠にとって最大出力であることは表情から伝わってくる。
「ティアラ!! さっきの力を、『呪術』のように使う!!」
「う、うん!」
私は指示されるがままに身構え、その力を見届ける。
「捻じっ、曲がれぇえええええ――!!」
部屋に満ちようとしていた師匠の『次元の力』が、視界一杯に作用する。
まず、熱で柔らかくなった鉄細工を曲げるように、ぐにゃりと部屋が歪んだ。
それは師匠が暴走時に見せた
暴走時と違って、部屋の歪み方には規則性があった。
師匠は新たな『次元の力』の使い方を、このファニアで過ごした短い時間で習得しかけていた。
その
つまり、いまティーダの後方にいるロミスは、右に曲線を描きながら移動する。逆に、いまティーダの正面にいる私と師匠は、左に曲線を描きながら移動する。
二つの位置を、師匠は『次元の力』で強引に取り替えた。
こうして、私たちは炎の巨人たちという壁を越えて、部屋の出入り口前という優位な位置を手に入れる。
その理性的に
ロミスとティーダが『次元の力』に驚く中、師匠の手を引き、出入り口の扉を開けて、逃走を開始する。
脇目も振らずに回廊を走り抜ける途中、後詰めの兵士たちが何人か立ちふさがったが、膂力と速さに物を言わせて、払い除けては置き去りにしていく。
その地上に続く階段を上がっていく途中、師匠は腹部の傷を庇いながら、忌々しそうに呟く。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……! くそっ、まただ……! また僕は、誰も助けられずに……。全てを妹に押し付けようとしてる……」
ここから逃げ出し、問題を丸ごと持ち帰ろうとしている自分を恥じていた。
私は師匠の手を強く握り、走る速度を緩めずに反論する。
「今回は仕方ないって! それに、フーズヤーズには陽滝姉だけじゃなくて、シス姉とかもいる! 次は、みんな一緒に戦えばいい! それなら、陽滝姉の負担も軽いはずだよ!!」
「み、『みんな一緒』に?」
「そう! 今度は、あの裏切り野郎どもを、こっちのホームで迎え撃って、ボッコボコにしてやろうよ!!」
「……ああっ」
そう私が説得すると、やっと師匠は険しい顔を緩めた。自らの弱さを後悔しながらも、前を向いて、駆ける速度を上げてくれる。
暗く長い階段を登り終えて、私たちは地上まで出てくる。
私は時間を短縮するために、昨日に逃亡した道と同じルートを選択する。そして、中央療養室に入るべく扉を乱暴に開け放つ。
同時に、燦々と広がる光が視界を埋め尽くす。
思わず私は驚きと共に、足を止めてしまった。
「なっ――!?」
全ての『炎神様の御石』が、尋常ではない勢いで燃え盛っていた。
その強い明かりが、暗がりに慣れていた私たちの目を焼いていく。
「あ、明るい?」
続いて入室した師匠も、同じく驚き、目を焼かれ、疑問の声をあげた。
先に目が慣れてきた私は、中央療養室の状況を確認していく。
「しかも、もう――みんなの目が覚めてる?」
まだ夜の侵入から大した時間は経っていないはずだ。なのに、昨日に見たときと、ほぼ同じ光景が広がっていた。
眠っていたはずの患者たちが全員、膝を突いて、中央にある巨大像に向かって手を合わせていた。
明かりの中、誰もが口々に感謝の言葉を呟いている。
その行為の一つ一つが余すことなく、『代償』となっていくのを、私は肌で感じる。
直感的にわかった。
いま患者たちは『詠唱』していてる。
その結果、中央の巨大像の前で、何もない地面から炎の柱が立ち昇った。
燃え盛る火炎の中から、『炎神様の心臓』を持ったロミスが、霧を裂くように現れる。その彼の影は異様に色濃く、『闇の理を盗むもの』ティーダが潜んでいるのが窺える。
それは御伽噺に出てくる『魔法』のようだった。
まさしく、患者であり信徒である民たちにとっては『奇跡』そのものだろう。
「ああっ! 目覚めの朝の祈祷に、領主様が現れてくれたぞ!!」
「おはようございます、領主様!!」
「どうか、炎神様の預言を私たちに! この暗い世界に、救いの炎を!!」
患者たちが預言者様の登場に沸き立つ中、『ファニアは化け物の捕縛に特化した街』という意味を、私は正しく理解していく。
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