247.魔人返り


(――渦波様ですか?)


 ぽつりと……アイドは僕の名前を呼んだ。

 故郷の名でもなく、姉の名でもなく、僕の名前を口にした。


 その瞬間、僕は自分の予感が当たっていることを確信する。


 やはり、そう上手くはいかない。

 いまここにティティーがいる――それはいいだろう。

 アイド説得の必須条件だろう。


 けど、その傍に僕がいるということが間違っていたようだ。

 前に会ったとき、口では僕を恨んでいないと言っていたアイドだが、そんなことはありえない。おそらく、ティティーの新たな決意の中に僕という存在が交じっていることが、アイドにとって、何よりも――


(『統べる王ロード』……。渦波様に諭され、そう決めたのですか……?)

「ああ、そうじゃ! かなみんのやつが相談に乗ってくれたのじゃ。それで童は全ての重荷を降ろすことができ、とても身体が軽くなった」


 直感で状況を察するスキルのないティティーは、アイドの疑問に明るい声で答えていく。自分の訴えは弟に届いたはずだと思って、嬉しそうに今日までのことを話し始める。


「かなみんのおかげで、ようやく童は『統べる王ロード』でなくティティーとして生きておる。道中、色々なものをティティーとして見てきたぞ。かつて、おぬしと共に旅をした頃を思い出して、心が躍ったものじゃ。連合国では色んな店を冷やかして回って、工房では童専用の武器を自作し、見たことないほどどでかい船に乗ったのじゃ。海では巨大な魚モンスターと戦い、陸では巨大な虫モンスターと戦い、この時代のお姫様を二人も救ったりしたぞ。あとは――」

(渦波様ぁああああああ!!)


 しかし、それは途中でアイドの咆哮に――いや、絶叫に遮られた。


「ど、どうしたのじゃ……? アイド……!」


 その唐突な声に、ティティーは怯え惑う。

 だが、それでもアイドの叫びは止まらない。


 アイドの声を届ける『白桜ピエリス・アイシア』が震え、その葉と白い花弁を散らしていく。そして、血の交じりそうなほど大きな声が『第二迷宮都市ダリル』を満たす。


(渦波様、渦波様渦波様渦波様ぁああアアア――ッ!!!!)


 やっと再会できた姉のティティーではなく、その少し後方に立つ僕の名前を連呼し続ける。

 その果てに、アイドは喉が張り裂けてしまったかと思えるほど掠れた声を搾り出す。


(渦波様――いや、憎き始祖! 始祖渦波!!)


 アイドは年下相手だろうと敬称を付けて呼んでいた。

 その彼が、いま僕を指して、『憎き始祖』と吐き捨てた。


(『統べる王ロード』になんてことを――! また唆しましたね! 誑かしましたね! 『統べる王ロード』は北にとって、太陽にも勝る至宝でした! 生きる者全てにとっての希望でした! それをあなたは奪い去る!! 千年前、あなたのせいで北の民は無残にも死んでいった! それを省みずっ、あなたはまた繰り返すつもりか!)


 アイドから憎しみの詰まった言葉を叩きつけられ、圧倒されかける。


 しかし、僕は一歩も引かない。恐れず、むしろ前に出る。

 ティティーはアイドと会えば、必ず説得できると思っていたのかもしれないが、僕は違った。こうなる可能性は最初から考えていた。

 だから、ずっと用意していた言葉を、冷静に返すことができる。


「ああ、そう思われるのは仕方ないって思ってる。けど、信じて欲しい。僕はティティーから本心を聞いただけだ。……おまえの姉は、いつだっておまえという弟を待っている。決して、『統べる王ロード』として『宰相』を待ってなんかいない」

(本心を聞いただけ!? 子供でもわかる嘘を! この男は――!!)」


 しかし、裏切り者でしかない僕の言葉が届くはずなどなく、すぐに否定される。

 アイドは僕をなじったあと、呆然とするティティーに懇願する。


(『統べる王ロード』、思い出してください! 千年前っ、あなたは世界の平和を願った! その貴き意思で、みなを助けたいと言った! 北を救うと誓った! あの素晴らしき誓いを、どうか思い出してください!!)

「……ア、アイドよ! それは違う! 童が願ったのは、そんなことではない! 童はおぬしを助けたかっただけなのじゃ! 他の者まで助けられるほどっ、童は強くなどない! 童は弱いのじゃ、おぬしの思う以上に!」


 このまま呆然としていては駄目だと気づいたティティーは、もう一度偽りなく自らの本当の姿をさらけ出していく。


(あなたが弱い!? 何を言っているのですか!? あなたほど強い人など、この世にはいません! ああっ、あぁああああっっ、始祖渦波!! あなたが『統べる王ロード』の心を惑わす! あの強く賢くっ、誰よりも気高かった王の心を――!)

「違うと言っておるじゃろう! そのおぬしの期待に、童は無理をしながら応えていただけじゃ! 強く賢い『統べる王ロード』の振りをしていただけで、本当の童は強くも賢くもない! どこにでもいる弱く愚かな子供だったのじゃ!!」


 だが、それは届かない。

 アイドの言葉を伝える木から、息を呑む音と歯軋りの音が聞こえたあと、静かで冷たい声が返ってくる。


(くっ……! ――いま、自分の忠誠が問われていると判断します)


 アイドはティティーの言葉を受け取ることを放棄し、自分の中で答えを完結させようとしていた。

 その反応に焦りを覚えたティティーが弟の名を叫ぶ。


「アイド――!!!!」

(……ああ。いまならば、ノワールとルージュが近いですね。丁度、『第二迷宮都市ダリル』で密偵――いや、挑戦中だったようです。この二人ならば、すぐにでもいけますね……)


 しかし、ティティーの叫びは届かない。会話が成立していない。

 その光景は迷宮で狂乱していたティティーとノスフィーを思い出す。

『未練』に暴走している守護者ガーディアンの特徴だ。声と声は交差していても、思いが全く交差しないのだ。

 

(ノワールとルージュは『魔石人間ジュエルクルス』から『魔人返り』を経て、新たなステージに辿りつきかけている二人です。いまの始祖渦波の力を測るには、丁度いい相手でしょう)


 淡々とアイドは自分一人で語り続ける。

 当然だが、最愛の弟に無視され続けるティティーは顔をしかめ、目の前の木に――『白桜ピエリス・アイシア』に近づいて、名前を呼ぶ。


「待て、アイドよ……! そんなことをしてどうするつもりじゃ……!!」


 問いながら、震える木に触れる。

 そこまでして、ようやくアイドは答える。


(ご心配は要りません、『統べる王ロード』。必ず、自分が始祖渦波を倒して見せます。始祖渦波より自分が相応しいことを証明して見せます。本来のあなたを取り戻して見せます。この自分が必ず……!!)


 ただ、返ってくるのは見当違いの言葉のみ。


「アイド! 童を『統べる王ロード』と呼ぶでない! 姉とっ、ティティー姉様とっ、昔のように呼んでくれ!!」

(始祖渦波……。我らの『統べる王ロード』は返してもらいます……)


 もはや、アイドはティティーと会話をしようとしない。


 憎しみの感情だけを乗せて、僕にだけ語りかけてくる。

 心狂わされた王を救うため、臣が全てを賭けて、逆賊を討とうとしていると理解する。


「アイドォオ――!!」


 ティティーは名前を呼びながら木を叩いた。

 そこで僕は話し合いの芽が完全になくなったと判断して、後方に呼びかける。


「スノウはクウネルを頼む! ――魔法《ディメンション》!!」


 そして、戦うための次元魔法を広げる。


「いまさっき逃げたよ! 話してる間に、今生の別れを祈ってから全力疾走していった!!」

「今回はありがたい!」


 厄介ごとに巻き込まれるのには慣れてるようだ。その迅速な逃走に感心する。

 僕に気取られずに去るなんて、地味に凄いことだ。


 感心しながら《ディメンション》を『第二迷宮都市』に満たしていき、まず走り逃げているクウネルちゃんを捉える。さらに、その反対方向から走ってくる一つのパーティーも見つける。


 子供たちで構成された五人パーティーで、一見すると『第二迷宮』を目当てにやってきた探索者のように見える。

 だが、その中に見知った顔がいるのを見つけて、すぐに僕は『持ち物』から『アレイス家の宝剣ローウェン』を抜いて、そのパーティーがやってくる方角を向く。


 顔を向けたと同時に、『第二迷宮都市』の暗がりの中、黒を基調とした探索者の装いの『魔石人間ジュエルクルス』が、先んじて姿を現した。

 その黒の『魔石人間ジュエルクルス』は口角を吊り上げながら、僕との再会を喜ぶ。


「――お久しぶりですね、ラウラヴィアの見た目のいい英雄様。……この私を覚えてますか? もちろん、覚えていませんよね。こんな私のことなんて、そこらの石ころ程度にしか思っていなかったですよね。……けど、いまに忘れられなくしてさしあげます。ええ、あのときの敗北をなかったことにするには、あとは英雄様だけ。英雄様だけなのです」


 僕に近づきながら、その身体を変化させていく。

 まず、ぐにょりと芽吹くように背中から羽が生えた。ただ、それは鳥類の柔らかい羽毛ではなく、蝙蝠の角ばった羽に近い。その羽の色は黒と紫――蝙蝠に似てはいるが腕と手に繋がっておらず、奇妙な羽だ。

 そして、耳がエルフのように尖っていき、半月に歪んだ口からは鋭い犬歯が覗き出す。


 丁度、先ほどまで隣にいた吸血鬼クウネルちゃんに似ている特徴だ。

 警戒を強めながら、僕は『注視』する。



【ステータス】

 名前:プロトエス HP156/156 MP712/712 クラス:聖人

 レベル29

 筋力4.45 体力4.11 技量5.78 速さ3.89 賢さ6.22 魔力49.12 素質2.70

 先天スキル:星魔法3.44 属性魔法2.23  血術1.21

 後天スキル:素体0.35 神聖魔法1.01



 レベルは二倍以上に跳ね上がり、クラスがおかしなことになっているが、間違いなく以前に見たことのある『魔石人間ジュエルクルス』の『表示』だ。


「いや、覚えてるよ。一年前に『コルク』の街で戦ったノワールちゃんだろ……」


 その名前を呼び、様子を窺う。


 確か、アイドと共に行動し、シアちゃんのパーティーの一員で、ハイリやライナーと仲が良かった子だ。

 だが、その姿が記憶と余りに違う。

 どれだけ凄い魔法を放とうとも、こうも人間離れしていくことはなかった。ここまで不安定な笑顔を見せる子ではなかった。


「ええ、ノワールです。もうノワールは誰にも負けませんよ。あのお方たちのおかげで、私は完成しました……。至ったのです! 虐げられる弱きものから、虐げる強きものに――! くふっ、くふふふ――!!」


 そして、自分の身体を変化させながら笑うノワールちゃんの後ろに、相棒である赤の『魔石人間ジュエルクルス』の少女が追いつく。

 彼女もノワールちゃんと全く同じ顔だが、赤を基調とした装いのおかげで判別がしやすい。赤いほうの『魔石人間ジュエルクルス』――ルージュちゃんだ。

 ルージュちゃんは遅れてやってきた残り三人のパーティーに指示を出して、一歩前に出る。


「みんなはここで動かないで! 『魔人返り』してるレベルじゃないと、きっと相手にならないから……!」


 残り三人の少年少女も『魔石人間ジュエルクルス』のようだが、そこまで顔は似ておらず、ルージュちゃんたちは別口・・であるとわかる。


 三人とも年若く、レベルも一桁だったので、ルージュちゃんが待機を命じてくれたのはありがたい。下手に手を出されると、大怪我をさせてしまう可能性があった。

 一人だけで前に出てくるルージュちゃんのステータスだけ、詳しく確認する。



【ステータス】

 名前:イレブンエス HP88/88 MP312/345 クラス:魔法使い

 レベル23

 筋力2.78 体力2.56 技量3.49 速さ2.38 賢さ4.71 魔力34.34 素質2.11

 先天スキル:星魔法2.05 属性魔法1.12 血術1.02

 後天スキル:素体0.44 体術1.56 木魔法1.67



 『注視』を終えて、ルージュちゃんはノワールちゃんと違って大きく変化していないことがわかる。その結果、以前は大きくリードしていたステータスが、全てノワールちゃんに追い抜かれてしまっている。


 一人だけレベルが抜きん出ているノワールちゃんは、後方の仲間たちに目もくれず、一人だけで戦おうとしていた。


「さあ、英雄様。私と踊りましょう。くふっ、今度は私がリードしますよ。英雄のあなたさえも、いまの私なら先を行けます……!」


 きゅっとノワールちゃんの瞳孔が小さくなり、瞳の色が血のように赤く染まった。

 身体をめぐる血の濃さを表しているかのように、鮮やかな赤だ。それは獰猛な動物が見せる殺意の瞳に似ていた。


 いまにも飛び掛かってくる――そう思ったとき、一人で飛び出そうとする親友をルージュちゃんが止めようとする。


「待って、ノワールちゃん! 『魔人化』を解いて! 戦う前に事情を聞いたほうがいいよ。アイカワカナミさんは弱者を虐げるような人たちじゃないと思う。きっと南の人たちとも関係ない! さっきの先生は何かおかしかった!!」


 どうやら、このノワールちゃんの変化が、アイドの言っていた『魔人返り』みたいだ。

 獣人たちの『獣化』と違うことはすぐにわかった。どちらかと言えば、守護者ガーディアンたちが死に瀕したときに現れる症状、『半死体ハーフモンスター』に近い。


 間違いなく、獣なんて生易しいものではない。取り返しのつかない領域に足を踏み込んでいると、その赤い目から僕は感じ取った。


 ノワールちゃんは赤い目を揺らしながら、後方の親友に答える。


「……ルージュちゃん。いま、そういうのはいいです。関係ないです。いま重要なのは英雄様を見返すこと。あの日の屈辱を晴らすこと。それだけ。ええ、もうノワールは誰にも負けない。……誰にも負けないっ。負けないことを、私を馬鹿にしたみんなに証明するんです――!」


 『魔人化』と思われる現象が、さらに進む。

 ノワールちゃんの黒い羽は薄く大きく広がっていき、腕は細く鋭くなっていく。

 そして、その手の先から、刃物に似た黒く長い爪が伸びた。


 彼女の変身が終わったところで、ルージュちゃんが唇を噛んでから叫ぶ。


「ああ、もう! ノワールちゃん、頭に血が登ってる――!? 悪いところが全部出てる!!」


 その反応から敵意はないと判断して、僕は声をかける。


「ルージュちゃん! せめて君は下がってくれ!」

「……わかった! ただ、できれば一年前のときのように優しくお願い! ラウラヴィアの英雄さん!!」


 そう返事をすると共に、ルージュちゃんの目も赤くなる。

 さらに、その右腕を赤い軟体の触手に変身させて、後方の仲間たち全員を掴んで大きく後退した。おそらく、これも『魔人返り』とやらの力だろう。


 ただ、ノワールちゃんと違って、こちらは独特な変身だ。

 こちらは蝙蝠じゃなくて蛸だろうか?

 赤い軟体生物……? どこかでみたような気がする……。


 いや、そんなことを考えている場合ではない。

 すぐに僕は思考を打ち切って、近くの木を叩きながら「アイド!」と叫び続けるティティーの肩に触れる。


「おい、ティティー! もうそっちはいい!」

「あやつ! 返事をせん!!」

「わかってる! わかってるけど、まず向こうの黒い子を抑えるのが先だ!」


 こちらを見て笑っているノワールちゃんを指差す。

 好戦的な表情だが、まだ襲ってこない。どうやら、僕たちの話が終わるまで待ってくれるようだ。

 本当に僕を真っ向から打ち負かして見返すのが目的みたいだ。


「くっ、仕方あるまい。こうなれば、まずはあやつの尖兵を打ち倒して、居場所を聞こう――!」


 ティティーも好戦的に前へ出ようとする。

 それを僕は、首を振って止める。


「ただ、できるだけおまえは攻撃するな! 僕とスノウに任せて、防御に集中してろ!」

「は、はあ!? なぜじゃ!?」

「迷宮で僕を殺しかけたのを忘れたのか!? 僕と違って、あの子は普通なんだ! おまえの力じゃ、もしもがありえる!」

「……くっ、逃すではないぞ! かなみんよ!」


 ここまでの道中で、ティティーは魔力のコントロールが不十分になっていることを理解している。万が一にも殺すのを避けるべく、僕に全てを任せてくれた。


 話はついたところで、僕はノワールちゃんに向き直る。

 ただ、正面の彼女の顔は歪みに歪みきっていた。いまの僕たち二人の会話が癇に障ったらしい。


「ふ、普通……? 使徒様に選ばれ、聖人となる私が普通? さ、ささ流石は英雄様! い、言うことが違いますねええ……!!」


 一年前も傲慢なところがあった彼女だが、この一年でさらに自尊心は肥大化しているようだ。

 歯軋りしながら、ゆっくりとこちらに近づき、魔法を構築する。


「――《グロース》!! 《キュアリジェネレーション》!!」


 身体強化が行われたと同時に、ノワールちゃんは地を蹴った。

 その低く滑空する燕のような動きに、僕は驚く。

 予想をはるかに超えた動きだったからだ。


 ステータスの『速さ』は3.89だった。

 ただ、実際の速さは『速さ』の数値を遥かに上回っている。

 僕と同じほどの速度の上、背中の羽のせいか妙に鋭く感じる。


 突進と共にノワールちゃんの爪が振るわれた。それに剣を合わすことすら出来ず、僕は後退してしまう。


「前は星属性の魔法使いだったのに――!」


 文句を言いながら、僕の横を通り過ぎたノワールちゃんに向けて剣を構えなおす。

 一合で勝負を決めるつもりだったが、その甘い計算を最初からやり直す。

 『魔人化』を『獣化』の強化版くらいに考えていては駄目だ。もっと本質的な何かが変わり、ステータスという概念を覆す『反則技』くらいに考えないと遅れを取る――!


「星の魔法ですか!? くふっ、もちろんあれも使えますよ! 今度は一人で! 一年前とは違うというところをお見せしますよっ、英雄様ぁあ! ――《グラヴィティ・グリード》!!」


 『魔人化』したノワールちゃんの強さは身体能力だけではない。

 その身の魔力も段違いだった。

 一年前と同じ星属性の魔法を使おうとしているが、その構築速度が異様に速い。以前は後ろのルージュちゃんと共鳴させ、『詠唱』を行った上に使っていた魔法が、一呼吸のうちに展開される。


 効果は変わらず――いや、前以上の『重力』で、僕の身体を地面に抑えつけようとする。


「くっ、――《ディメンション・決戦演算グラディエイト》!」


 敵の重力の結界に対して、次元魔法の領域を展開する。

 この状態で、もう一度襲いかかられると困る――そう思ったとき、僕の横からスノウが駆け出した。


「黒い子! 私を忘れてるよ!」


 ティティーから受け継いだ剣を振り上げ、ノワールちゃんに迫る。


「いいえ、忘れてませんよ! この《グラヴィティ・グリード》はあなたへの魔法です!」


 その台詞の終わりに合わせて、轟音が響く。

 そして、ノワールちゃんの目の前に、何もかもを潰さんとする『重力』の球体が発生した。この魔法の効果も以前と同じだ。それは人一人を簡単に飲み込むほどの大きさで、そう簡単に横を避けて通れるものではなかった。


「こ、この――!!」


 地面を抉りながら移動する『重力』の球体に、スノウは少し迷ったあとに剣を振り下ろした。

 そう簡単に『重力』の球体を掻き消すことはできない。ただ、代わりにスノウの大剣が一方的に破損することもなかった。結果、その球体との押し合いになり、スノウは後方に向かって勢いよく運ばれていく。


「くふふ、硬すぎる竜人ドラゴニュートスノウ・ウォーカーは魔法で除外するのが一番です」


 いかに竜人ドラゴニュートの膂力といえど、『重力』の魔法相手に力勝負は不利だったようだ。

 球体は周囲に土砂を撒き散らしながら、スノウごと一気に十メートルほど直進した。ノワールちゃんの言葉通り、スノウは戦場から一時的に除外される。


 撒き散らされる土砂は散弾のような凶器と化していたが、周囲への被害はルージュちゃんとティティーが魔法で弾いていた。

 ティティーは風で近くのテントと建物を守り、ルージュちゃんは近くの木々を操って仲間を守っていた。


 味方にも被害が及んでいる状況を見ながらも、まだノワールちゃんは止まらない。


「さあ、いまのうちにリベンジを終わらせます! ラウラヴィアの英雄!」


 いまの魔法で、あと数秒間は誰の邪魔も入らないと判断したのだろう。両手から伸びる爪を煌かせながら、再度低く突進してくる。

 先ほどと同じ速度の上、今度は重力の結界まで張られてある――が、こちらも《ディメンション・決戦演算グラディエイト》を濃く展開したところだ。同じ動きならば僕には通じない。


 どれだけ身体が重くなっていようとも、剣を最小限の動きで振るい、常に最短距離を奔らせていれば、ノワールちゃんの速度に対抗できる。

 左右から襲い掛かる黒い爪を剣で弾き、彼女の腕に剣先を刺そうとする。

 

「……っ! この期に及んで、急所を狙っていませんね!」


 その部位狙いをノワールちゃんは屈辱と感じたようだ。険しい顔つきで赤い目を動かし、異常な動体視力でかわしていく。


 続いて、僕はローウェンから習った足運びで、ノワールちゃんの側面に身体をすべりこませる。はっきり言って、彼女の身体捌きのレベルは低く、隙だらけだ。

 躊躇なく、死角から剣を振って、その背中の羽を切り落としにいく。

 けれど、ノワールちゃんは振り返りもせず、その剣を避けてみせた。


「だから、舐めないでください!!」

 

 《ディメンション・決戦演算グラディエイト》は彼女から魔法の発動を感じ取ってはいない。どうやら、ノワールちゃんは目に頼ることなく、普通の人間にはない感覚器官で僕の動きを把握できるようだ。

 その判断と同時に、彼女の声に答えてあげることにする。

 もう十分に情報は揃ってきた。


「……別に手加減していたわけじゃない。長引けば長引くほど、確実になるから時間をかけただけだ。だが、もう様子見は終わりだ」


 戦闘時間は数秒だったが、もう僕の勝ちは確定したと言っていいだろう。

 ノワールちゃんの身体能力や特徴はわかったし、展開している重力の魔法も解析し終わった。

 たとえ、どんな切り札があろうと潰せる自信もある。


 ゆえに、一瞬だけ。

 ほんの僅かな時間、《ディメンション・決戦演算グラディエイト》を別のバージョンに切り替えて、勝負を終わらせにいく。


「――魔法《ディメンション・千算相殺カウンティング》」


 解析し終えた展開中の《グラヴィティ・グリード》の術式をずらし、『魔法相殺カウンターマジック』を行い、まず重力という枷を外す。

 それと同時に、これまで速度を抑えていた剣閃を、本来の力で振るう。

《ディメンション・決戦演算グラディエイト》の補助はないけれども、スキル『感応』がある限り、手元が狂うことは絶対にない。


 結果――『アレイス家の宝剣ローウェン』がノワールちゃんのお腹に、臓器を避けて縫うように突き刺さる。

 それをすぐ抜いて、距離を取ってから勝利宣言をする。


「僕の勝ちだ。……それ以上動けば、死ぬぞ」

「……くっ、うぅっ!」


 ノワールちゃんは刺されたお腹を両手で押さえ、溢れ出る血を止めようとする。

 彼女なりの知識でお腹の負傷が致命的であることを知っているのだろう。顔面を蒼白にして、傷口を押さえている。

 

 わざと僕は、冷酷に勝利宣言をした。当然、彼女の臓器を一切傷つけていないと知っているからこその宣言だ。

 無理に動いても、そう簡単には死なないであろうと、次元魔法使いである僕だけがわかっている。

 これで彼女が怖気ついてくれればいいのだが――


「……こ、この状態での回復力と生命力を舐めないで欲しいですね! 伊達に人間性を犠牲にはしてません!」


 ノワールちゃんは傷口を押さえるのを止めて、戦意を失うことなく立ち上がった。


「この、馬鹿……!!」


 悪態をつきながら、その傷口から溢れ出る血の量を量る。すぐに失血死することはないだろうが、僕の知識では気絶と死亡の正確な時間まではわからない。


 ただ、無策に再度突進してくるノワールちゃんを見て、もう僕が敗北することだけはないと確信できる。

 長時間、各種《ディメンション》で同じ場所の情報を得すぎたせいか、いま展開されている《ディメンション》が、一つ上の次元の魔法《次元決戦演算ディメンション・グラディエイト先譚リアライズ』》に至りかけている。


 その未来視の魔法が――ノワールちゃんの勝利の可能性はなくなったと伝えてくれる。


 その勝利の道に沿うだけで僕は勝てる。 

 ノワールちゃんの猛攻を悠々とかわしながら、穏便な勝利方法を探っていく。その余裕の様子を見た彼女はムキになって、何度も爪を振るう。


「あ、当たらない! 当たらない当たらない当たらない!? なんでです!? 動きが読まれてる? そんなはずは――!」

「悪く思うな!!」


 間違いなく、彼女は失血死するまで戦い続けるだろう。

 仕方なく、当初の予定通りに剣先で腕を貫き――横に振るって、右腕の靭帯を切断した。


「がああアアッ! 腕がっ! 私の腕がぁああ!!」


 これで、もう戦えはしないだろう――という期待は、すぐに裏切られる。

 ノワールちゃんは血を撒き散らしながら、力の入らない右腕を動かして爪を僕に向ける。


「ハァッ、ハァッ! まだです! 私の『聖人』の腕ならば、この程度!」


 ノワールちゃんは息を切らしながら、僕に勝つべく戦いを続けようとする。

 その攻撃を後退しつつしのぎながら、彼女の身体を《ディメンション》で調べていく。


 余りに様子がおかしい。

 ここまで力の差を演出しても、まだノワールちゃんの闘志は膨れ上がるばかりだ。

 何か原因があるはずだ。


 彼女は『代償』で何を失っているんだ?

 これが『魔人返り』ってやつの影響なのか?

 それとも、もっと別の――


「――くっ! みんなも手伝ってください! 何をぼうっとしてるんですかぁ!? 早く!!」


 いつまで経っても届かない展開に、業を煮やしたノワールちゃんは後方に呼びかけた。

 遠くへ押し出されていたスノウが近くまで戻ってきているのを見て、少し焦っているようにも見える。


「この人たちはアイド先生の敵! みんなも聞いたでしょう!? この人たちを放っておけば、みんなの先生が死んじゃいますよ! 先生がいなくなります! それで構わないのですか!?」


 僕たちはアイドを殺すのではなく救いに来たつもりだ。

 その言いがかりに反論しようかと思ったが、救えば消失してしまうのは確かなので、何も言い返せなかった。

 僕が言いよどんでいると、後方で見ていたレベル一桁の『魔石人間ジュエルクルス』三人が呟きながら前に出てくる。


「せ、先生が死ぬの……?」

「それだけは駄目……」

「ノワールちゃん、待ってて」


 近くにいたルージュちゃんが抑えようとしたものの、アイドの死というワードを聞いた彼女たちの足を止めることはできなかった。

 そのことから、アイドも大聖堂のラスティアラと同じように『魔石人間ジュエルクルス』たちの信頼を得ていることがわかる。


「先生の敵は、私たちの敵――!!」


 『魔石人間ジュエルクルス』三人は同時に魔法構築を始めた。

 そして、ステータスを見る限りではありえない量の魔力が溢れ出す。


 《ディメンション》が彼女たちの魔力――いや、血の動きを正確に把握する。例の生まれながらにして血に『詠唱』が刻み込まれているというやつだろう。その血が熱をともなって全身を駆け抜け、恐ろしい量の魔力を生産しているのがわかる。


「私たちの力が及ばないのはわかってます! けれどっ、及ばないなら及ばないなりの戦い方があります! 『永遠にたゆたえ』! 『万象賛歌の夢見を』『無限に広がる魂の中で』! ――《ディーヴァプレイズ・アロー》!」


 『魔石人間ジュエルクルス』たちの『詠唱』は、それだけで終わらなかった。

 その血に刻まれた自動の『詠唱』の上に、さらに音声で『詠唱』を足して神聖魔法を放つ。


 三人の共鳴魔法が、二重の『代償』によって魔力を底上げされ、極太の光の矢となって僕に向かって飛来する。

 当然だが、それを成功させまいと僕は邪魔をしようとする。とはいえ、始めて見る魔法に『魔法相殺カウンターマジック』はできない。遅延と減衰させるだけで手一杯だ。


「ずらせ! ――魔法《ディメンション・千算相殺カウンティング》!!」

「吹き飛ばせ! ――《ドラグーン・アーダー》!!」


 そこへ丁度戦場に戻ったスノウも迎撃に加わる。

 振動の詰まった球体を放つ魔法だ。

 減衰した光の矢と振動の塊のぶつかり合い――当然だが、スノウに軍配があがる。

 そのまま光の矢は消えかけ――


「ま、まだぁあ――! 『万象賛歌の夢見を』! 『無限に広がる魂の中で』ぇえ――!!」


 『魔石人間ジュエルクルス』たちが更に『詠唱』を足し、光の矢は力強さを取り戻した。


「お、おい、待て! それ以上は――」


 この魔法の競り合いで僕たちが負ける――それくらいならばいい。

 だが、この三重目にあたる『詠唱』の『代償』が見過ごせない。一時的にだが、スノウにも負けぬほどの魔力を放出している代わりに、『魔石人間ジュエルクルス』三人の大切なものが削れている。


「もう限界じゃっ、かなみん!! 見てはおれん!!」


 見過ごせなかったのは、後ろで待機していたティティーも同じだったようだ。

 僕の背中から、膨大な風を感じ取る。その風に続き、彼女の本気を示す声も聞こえてくる。


「【自由の風】よ! あやつらの『詠唱』を解けい!!」


 『風の理を盗むもの』が戦場に解き放たれる。

 ただそれだけで、全ての力関係が無に帰る。これまでの戦いを嘲笑うかのような凶悪すぎる魔法の風が吹き荒れ出す。


「――全て終わらせよ! 《ワインド》!!」


 まず、最も近くにいたノワールちゃんに、風が四方八方から鎖のようにまとわりつき、その動きを封じる。その風は悲鳴の声も許さないほど速く重く、さらに身動きできなくなった彼女に、突風が頭上から吹く。攻撃する箇所を選んでいた僕と違って、ティティーは遠慮なく敵の頭部を地面に打ちつけて気絶させた。


 続いてティティー特有の【自由の風】が戦場に満たされ、『魔石人間ジュエルクルス』三人が命を賭けて放った光の矢が、あっさりと消失する。

 追い討ちのように『魔石人間ジュエルクルス』たちの周囲を、風が鳥篭のように囲んだ。小型の嵐に囲まれた少女たちは息苦しそうに首を抑え、数秒もたたない内に意識を失う。


 五人パーティーの内、残ったのは戦意を見せなかったルージュちゃんだけ。

 一瞬だ。

 基礎魔法一つで敵は全滅した。とはいえ、強引な魔法構築だったのは間違いないようで、少し息をきらしながらティティーは叫ぶ。


「アイドよ! なぜ、いま彼女らを止めなかった!? 自分で言ったことを忘れたのか!?」


 場に満たされた《ワインド》は、まだ消失していない。

 まだやるべきこと――言いたいことがあると主張するように、風は戦場を吹く。


 その風が周囲の全樹木をノックするかのように叩き、その向こうにいるであろう人物に話しかける。


「いま、ぬしのやっていることは千年前の南のやつらと同じじゃ! 自分の利益のために、平気で弱きものを利用する!」


 ティティーにとって『魔石人間ジュエルクルス』は眼中になく、まだアイドとの対話が続いていると思っているようだ。先ほどの話の続きを叫び続ける。


「それがおぬしの目指すヴィアイシアなのか!? この者らを捨て石にして、本当におぬしは構わぬのか!?」


 少しだけ息苦しそうだ。

 いま目の前に広がる光景から、ティティーは昔の自分を思い出しているのかもしれない。それでも、はっきりと最後まで言い切る。

 問いをかける――


「答えよ! アイド!!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る