198.64層から

 六十四層は、先の二層と比べると比較的まともだった。

 天井が異様に高いものの、普通に石造りの回廊が続いている。そのいつもの迷路に感激を覚えながら、僕たちは息を整えつつ歩く。

 少し気になるとすれば、風通しが良すぎるところだろうか。先ほどから、肌寒く感じるほど涼しい風が吹き続けている。


「やっといつもの回廊になったけど、視界が悪いから《ディメンション》は必須だね。ちなみに近くにいるふわふわした気体みたいなやつ、たぶん、これ剣が効かない系な気がする」


 六十四層には薄緑色に発光する気体のモンスターが徘徊していた。地に足をつけておらず、亡霊のように空中を飛んでいるものがほとんどだ。



【モンスター】グリーンハイエレメント:ランク65



「学院で習ったことがあるな。精霊エレメント系ってやつか。僕が知ってるのは十五層あたりの炎のエレメントだけだ。キリストは他のエレメントと戦ったことはあるのか?」

「ないね。探せばいたんだろうけど、さくさくと進めてきたせいか、余り多くの種類のモンスターとは戦ってないんだ」


 マリアとディアのせいで戦う前にご臨終なさったモンスターが多い――という理由もある。戦闘経験が偏っているのは間違いないだろう。

 おそらく過去の僕は、少しずつ色んなモンスターに対応できるようになって欲しかったはずだ。だが、全ては仲間の尖った能力のせいで台無しになっている。


 ディアの狙撃とか、ラスティアラの無双とか、マリアの守護炎イージスとか、そこらへんが大体悪い。


「なら、手探りで戦うしかないか。できれば、無視したいんだけどな。キリスト、ここのモンスターは寄ってきてるのか」

「いや、さっきのやつとは違うみたいだ」


 エレメントはふわふわと飛ぶだけで、こっちへ近づこうとはしていない。単純に感知能力がないのかもしれない。

 だから、僕たちは安心して六十四層を歩き続ける。

 しかし、その楽観はすぐに後悔することになる。《ディメンション》でモンスターの位置を確認しながら歩いていると、一匹のエレメントがパッと消えたのだ。


 そして、何の予兆もなく――僕たちの隣へと現れる。


 すぐ隣から蠢く薄翠色の霧が、腕を伸ばすかのように僕たちへ近づいてきていた。


「な、んで――!? ――魔法《ディフォルト》!!」


 ライナーより先に反応した僕は、その異常事態に切り札の一つを切る。

 空間を操ることで、敵と僕たちの間の距離を加算する。

 そして、何が起きたのかわからないライナーの首筋を掴んで、すぐに走って逃げようとする。


 しかし、またエレメントはパッと消え、パッと目の前に現れる。

 かつてのリーパーのような瞬間移動で、僕たちを逃がそうとはしない。


「こ、こいつ! ワープするのか!?」

「キリスト! 僕が迎撃する!!」


 ようやく状況を理解したライナーが風魔法を構築する。


「ラ、ライナー! ちょっと待――」


 咄嗟に僕はライナーの魔法を止めようとするが、間に合わない。


「――《イェーガー・ワインド》!」


 矢のような突風がエレメントに襲いかかる。

 しかし、その風をエレメントは余すことなく吸い込む。ダメージどころか、二種の風と風が混ざり合い、モンスターは巨大化してしまった。


「なっ、吸い込んだ!?」


 渾身の新魔法を吸収されてしまったことにライナーは驚愕する。

 ライナーと違い、僕は薄々と予感していた。

 こうも属性を前面に見せるモンスターの場合、特定の属性に対する耐性がある――というゲームのセオリーに反することはなかった。


 ライナーの風を吸収したことで、エレメントはその身体を肥大化させた。どう見ても、パワーアップしたとしか思えない。


 だが、その形態変化に僕は希望を見出す。

 魔法を吸収されて驚いているライナーに指示を出す。


「ライナー! それでいい! そのまま続けてくれ!」

「――えっ!? わ、わかった!」


 できれば退避したかった。だが、魔法に特化しているであろうモンスターに背中は見せたくなかった。


「――《イェーガー・ワインド》!」


 再度ライナーは魔法の風を放つが、エレメントはその全てを吸収していく。

 そして、さらに肥大化していく身体。芳醇な風をたっぷり吸い込んだエレメントは、その身体を十倍近くまで膨らませていく。

 このまま時間を置けば、どんな魔法を返されるかわからない。すぐに僕は巨大なモンスターに自身の持つ最強魔法を使用する。


「――魔法《ディスタンスミュート》!」


 魔法吸収に集中していたエレメントの身体へと手を伸ばす。風船のように身体が大きくなっていたので、接触するのは容易だった。

 そして、すぐにグリーンハイエレメントという存在の領域を理解するため、魔法感覚のピントを合わせていく。

 ここで助かったのは、少し前にランクの高いエルフェンリーズ相手に《ディスタンスミュート》を成功させていたこと。それとエルフェンリーズとエレメントの内部が似通っていたこと。この二つ。

 どちらも高ランクの風属性のモンスターだ。その似通った内部を理解するのにかかった時間は数瞬だけだった。


 だが、その短い時間でエレメントは反撃に出る。流石はランク六十台のモンスターだ。反射速度が低階層のモンスターの比ではない。

 その非実体の身体から身を裂く風の刃が噴出する。


「――っ! けど、これでおまえは終わりだ!!」


 右腕の肉を裂かれ、赤い血が散りながらも、敵の『魔石たましい』を掴み――抜く。

 その瞬間、エレメントは弾ける。腹の中に溜まっていたライナーの風魔法が消化される前に解放されたのだろう。さながら弾ける風船のごとき爆発を見せたあと、光の粒子となって消えていった。


「はぁっ、はぁっ、やった……」


 《ディスタンスミュート》は以前の《過密次元の真冬ディ・オーバーウィンター》にあたる大技だ。まだ慣れていないのもあってか、咄嗟に使うと頭痛に襲われる。

 脳みそを握り潰されるような痛みに耐えながら、ライナーの無事を確認する。


「ライナー、無事か……?」

「こっちは大丈夫だ……。け、けど、キリストの腕がっ、くそっ! ――《キュアフール》!」


 よく見ると右腕が直視に耐えられない状態となっていた。深い傷はないが、表面の皮膚のほとんどが裏返ってしまい、赤黒くなっている。

 あの一瞬でここまでダメージを与えられたことに、あのモンスターの魔力の高さが窺える。


 ライナーの神聖魔法で右腕が修復されていく。

 見た目は酷かったが治るのは速かった。


「表面を裂かれただけみたいだね。……よかった」

「よくない……! そういうのは僕の役目だから、キリストは無茶しないでくれ……!」


 治療しながら歪ませている顔から、心底からライナーが僕のことを心配しているとわかる。しかし、僕はその心配を拒否する。


「またそういうことを言う。こんなのがライナーの役目なわけないだろ……」

「優先順位の問題だ……! キリストよりも僕が犠牲になるべきなんだ、みんなのためにも……!」

「それは違うよ、ライナー」


 そのライナーの主張は見過ごせず、低い声で返す。

 優先順位ならばライナーのほうが上だ――と言い返したいのを堪える。単純に「年上だから」「兄貴分だから」なんて理由で僕がライナーを守ると言っても無駄だろう。

 その道はマリアを妹扱いしたのと同じだ。ろくなことになる気がしない。

 だから、僕は新しい道を口にする。


「どっちが犠牲になるとかならないとか、そういうのはもうやめよう。二人で助け合って、二人が助かる道を探せばいいんだよ、ライナー。おまえの気持ちはよくわかる。自己犠牲は楽な道だよな――ああ、僕だって大好きだ。けど、迷宮探索する上ではやめよう。それが難しいのはわかってるけど、それでも、二人で生き抜く道を探そう。どんなときでも、どんなことがあっても、どんなに難しくても、その道を最後まで諦めちゃ駄目だって、最近僕は学んだ」


 ライナーの目を見て、一切の冗談なく伝える。

 学びたてほやほやの理論だが、年上として兄貴分として、いまの僕が言えるのはこれくらいしかなかった。


「二人で――?」

「ああ、兄ってのは弟や妹たちのために命を捧げるべきかと思っていたが、どうやらそれだけじゃ駄目らしい……。というか駄目だった。危うくマリアに燃やされかけた」

「いや、逆じゃないか? 弟こそ姉や兄のために命を捧げるべきじゃないのか?」

「よく考えてみろ。そんなこと、ハインさんやフランリューレが望むわけないだろ。僕だって嫌だ。ロードも違うって間違いなく言う。なにより、お前の中のハイリはどう言ってる?」

「それは……」


 ライナーは顔を俯けた。頭の中で自問自答しているのが、外からでもわかった。

 そして数秒後、全く納得いかない不機嫌そうな顔をあげる。その顔からライナーの至った答えの察しはついた。


「僕もこれに気づいたのは、つい数日前だ。丁度いいから、二人で少しずつ直していこう」

「ちっ……、ちょっと納得いかないけど仕方ないか……」


 じっくり反芻したあと、渋々とライナー頷いた。

 それは頑固で頑固でしょうがなかった彼が、やっと折れた瞬間だった。

 一時期は殺し合いまでしていた関係のためか、軽い感動を覚える。緩やかな速度だが、少しずつ前へ進んでいる実感があった。


 しかし、その感動にひたってばかりはいられない。

 いまは迷宮の中だ。迷宮という特異な状況だからこそ、僕の声がライナーに届いたのは嬉しいことだが、死の危険はつきまとっているままだ。


「さあ、そろそろ迷宮探索再開だ。ライナーと話している間に、大体この層の仕組みもわかってきた」

「この層の仕組み……?」


 喋りながらも《ディメンション》での周囲の警戒は怠っていなかった。

 その情報収集の成果をライナーに話す。


「さっきのモンスターの名前は、グリーンハイエレメント。風属性に特化した精霊系のモンスターなのかな。移動手段は身体を分解して、風と同化しての移動。元々の速さもあいまってか、まるで瞬間移動しているみたいに見える。で、一番重要なのが、グリーンハイエレメントの知覚範囲だね」


 たった一戦だけの邂逅だったが、大体のことはわかった。《ディスタンスミュート》で内部に侵入したせいだろうか、ある種の確信すらある。


 おそらく、グリーンハイエレメントは回廊に流れる風を利用して侵入してきた探索者の位置を把握しているのだろう。そして、反射速度の高いグリーンハイエレメントは、知覚したと同時に僕たちのところへ移動してきたはずだ。つまり、最初にグリーンハイエレメントが消えた位置と現れた位置の間の距離が、やつの知覚範囲だ。僕と同じタイプならば、円状に知覚範囲が広がっていることだろう。意識すればアメーバ状に範囲を変更することは出来るだろうが、それは異常事態が起こったときだけのはずだ。

 それは先ほど会話している間、近くのグリーンハイエレメントに襲撃されなかったことからわかる。先ほど算出された距離を保っている限り、発見されることはなさそうだ。

 幸い、薄く広げていればグリーンハイエレメントに《ディメンション》は気づかれない。気を抜きさえしなければ、見つかることはないだろう。


「もう、その範囲のあたりはついてる。少し遠回りになるけど、グリーンハイエレメントに見つからず進む道も見つけた。もちろん、想定外はあると思うから警戒は解かずに行こう」

「いまの間で……? 流石だな、キリスト……」


 頭の中に六十四層のマップは完成し終えている。

 腕の回復を終えたのを確認して、すぐに僕は歩き出す。襲われないとわかっていても、同じところに留まりつけるのはよくない。


 気を取り直した僕たちは六十四層の回廊をさくさくと進んでいく。

 グリーンハイエレメントの索敵範囲に入らないよう気をつけて道を選んでいるためか、敵襲一つなく静かなものだ。自然と話す余裕が生まれる。

 ライナーは全く襲撃されない迷宮攻略に感心していた。

 

「このまま行けば、六十四層はクリアっぽいな。思ったよりも順調だ。というよりも、キリストの状況判断のおかげだな。僕一人だと、間違いなく敵の初見能力にやられてる」

「いや、状況判断のおかげじゃないと思うよ。この迷宮を作ったのは僕らしいからね。なんとなく、配置されてるモンスターの目的と傾向がわかるおかげだよ……」


 次元魔法使いとしての観察能力も関わっているかもしれないが、それ以上に元の世界での経験が大きい。見た目や名前から、能力をある程度推測ができてしまう。そして、いままでの迷宮探索でそれが裏切られたことはない。


「ああ、そういえばそうか。次元魔法使いだから読みが鋭いんじゃなくて、関係者だから読みが当たりやすいのか」

「そういうことだね。……あとライナーがいてくれるおかげで、戦術の幅が広いおかげでもあるかな。そういえば、さっき新しい風魔法使ってたけど、あれはロードから教わった魔法? 《イェーガー・ワインド》だっけ?」

「ああ、あいつから教わった。まだ完全じゃないけど、咄嗟に使えるいい魔法だ。……そうだ。『始祖』のキリストから見て、何か助言はないか? あれ、本来はもっと威力のある魔法らしいんだ」

「じょ、助言?」

「ロードが言ってたぞ。『始祖カナミ』は全ての魔法に精通しているって」

「そう言われても、その頃の記憶はないからね……」


 ずっと独学だったので、その期待には応えられそうにない。しかし、ライナーが目を輝かせているので、仕方なく、その独学を披露し始める。


「強いて言えば、ライナーの魔法って、なんというか地味だよね?」

「え、じ、地味?」

「いや、地味というか基本通り過ぎるって言うべきかな? 教科書のまま魔法を使わなくてもいいと思うよ。もうライナーは学生レベルじゃないんだからさ」


 ハイリとの同化により、ライナーの素質と魔力は跳ね上がっている。なのに、いつまでも才能がなかった頃の手法を使っていては更なる成長ができないだろう。


「確かにそうか。なら、どうすればいいんだ?」


 なので、僕は僕なりの答えを教える。


「えっと、かっこいい魔法をイメージして、かっこいい魔法名を叫ぶ?」

「…………」


 しかし、その答えを聞いたライナーの反応は冷ややかなものだった。一瞬で目の輝きが消えてしまった。

 僕は焦りながら、その答えの正当性を主張する。


「い、いや、ほんとだって! 僕はこれでここまで強くなってきたんだって!」

「……た、例えば?」

「そうだね。例えば……、ライナーは風を使って剣先を伸ばしてるよね? あれを使うとき、叫んでみない?」

「別に叫ばなくても使えるのに?」

「一種の『詠唱』みたいなものだよ。あえて叫ぶこと自体が『代償』になってるんだ。たぶん。おそらく、きっと」

「本当なのか? けど、キリストがそういうのの専門家だってロードは言っていたからな……。しかし、叫ぶって、あれをなんて叫べばいいんだ?」

「実は、あれのことを『魔力まりょく風刃化ふうじんか』って、僕は勝手に呼んでる」

「自分の魔法だけじゃなく、他人の技まで勝手に……」


 輝きの失せた目から、失望の闇すら見えてきた。先ほどの「二人で助け合おう」といういい話で得た好感度が、急速に削れていっている気がする。

 しかし、それでもライナーなら理解してくれると信じて、僕は僕の独学を主張し続ける。


「だ、だからさっ、さらにルビもつけて……、とりあえず魔剣《魔力風刃化エアファルシオン》っていうのは――いや、お揃いで魔法《風刃剣ワインドフランベルジュ》なんてどうかな?」

「ル、ルビ? 本とかで使われるルビのことか?」

「そうそう、それそれ」

「つまり、叫ぶ度に文字を思い浮かべるってことか?」

「たぶん、それがイメージの補助になってると思うんだ。魔法に最も重要なのはイメージだからね。きっと、これをするだけで魔法効果が随分と変わると思う。ちなみに僕はこの方法で様々な魔法を開発した実績もある。つまり、これはレヴァン教の『始祖』による由緒正しい魔法運用なんだよ!」


 真面目な顔で布教する僕だった。

 そろそろ自分でも何を言っているのかわからなくなってきた。


「う、うーん。そんな勝手にぽんぽん名前をつけ変えていい気がしないんだが……」

「いや、むしろ自分のための名前を用意しておくべきと僕は思うよ。確かに、学院で学ぶときは、名前を揃えてたほうが全体の効率はよかったかもしれない。けど、いつまでも堅苦しい様式に捕らわれてちゃ駄目だよ、ライナー。正直、もう僕たちは学生の範囲内にいないんだから」

「言われてみればその通りか。『始祖』のキリストが言っているんだ。教科書や聖書よりも、こっちのほうが正しい――んだよな?」

「そう! 『始祖』の僕が言ってるんだから、間違いなし!」


 ライナーが納得しかけているのを見て、僕は強気に出る。

 真の意味での仲間を増やすならば、いましかない――そう思った。


 しかし、なぜだろうか。既視感デジャブを覚える。

 いまやっていることと同じことを千年前でもやっていたような気がする。その結果が、ティーダやアルティたちの魔法名に関わっているような気がする。

 ま、まあ、気のせいだろ……! たぶん……!


「わかった。少しずつ試してみるよ。そのくらいのことで強くなれるなら安いものだしな」

「うん、試すだけでいいよ。これで少しでも生存力が上がればいいけど……」


 そう。

 別に自分の趣味だけでライナーにお勧めしているわけではない。これは生命に関わることなのだ。

 迷宮のモンスターに後れを取ってから、これを伝えておけばよかった後悔しても遅い。少しでも身の安全が増す可能性があるのならば、どんな情報でも仲間内で共有するのは当然だ。

 ゆえに、僕が内心でガッツポーズを取っているのは、決して私利私欲からではない。

 全ては生きるため――、ライナーのためだ――!


 こうして、僕の魔法理論をライナーに伝授しているうちに、僕たちは六十四層を踏破する。この層は《ディメンション》との相性がよかったためか、運がよかったためか、戦闘は一回だけだった。


 そして、探索は六十三層へと続いていく。



◆◆◆◆◆



 すぐに《ディメンション》を展開し、六十三層の全体を把握しにいく。

 しかし、また天井が高めなだけで、大きな特色はなかった。強いて言うならば、回廊の地面がいつもより強く発光しているくらいだ。迷宮の中だと言うのに、昼のように明るく感じる。

 そして、次の層までの道はわかりやすく、特別おかしなエリアに入る必要もなさそうだった。

 

 だが、またモンスターに奇襲されるのは嫌だったので、あえて六十五層のときのようにモンスター一体だけと戦って情報収集を行うことにする。

 六十三層を徘徊するメインのモンスターの名前は『ペイルグリフォン』。上半身は鳥で、下半身は獣の形を持っている。周囲を警戒する複眼に、鋭い嘴。自由に羽ばたく翼に、丸太のように太い四つの脚と爪。僕の知っている空想上の生物グリフォンにとても近しかった。


 いつも通り、僕とライナーで挟み込んで戦闘を始める。

 そして、当然のように僕たちの奇襲を事前に察して迎撃を行うペイルグリフォン。さらに息をするかのように風魔法で反撃してくる。どうやら六十層台では、察知能力と魔法は標準装備のようだった。


 だが、いままでの敵と違って、やれないことはなかった。

 確かに動きは速いが絶望的ではない。確かに力強いが受け流せないことはない。魔法も多種多様に使ってくるが突出しているものはない。バランスのいい強さだと思ったが、それだけだった。

 上層へと戻っていくことで、少しずつ敵が弱くなっているのは間違いないようだ。


 僕とライナーが使っているのは補助魔法のみだ。あとは剣を使って、コンビネーションを駆使して相手をじりじりと削っていく。その途中、ライナーが先ほどの教えを実践するほど余裕があった。


「――ま、魔法っ、――《ワインドフランベルジュ》!」


 ライナー……、ほんといい子だ……。

 僕の考えた魔法名を律儀に使ってくれていた。

 空想上のモンスターであるかっこいいグリフォン相手に、僕の作ったかっこいい服を着て、僕の考えたかっこいい魔法名を叫んでくれるライナーは、間違いなく僕の親友だ。


「まだ甘いぞ、ライナー! イメージが足りてない! 風の刃であることをもっと意識するんだ! そして、言葉の裏に秘めたイメージを全て重ねてぶつけるんだ!!」

「――ま、魔法《風刃剣ワインドフランベルジュ》ゥウウ!!」

「おぉっ! いいっ、すごくいい!」


 開き直ったライナーが叫ぶ。

 本当に魔法の鋭さが上がっているのでびっくりする僕だった。


 そして、その新しい魔法戦法のおかげか、あと少しでグリフォンを倒せるところまで追い詰める。


 しかし、とどめの直前でペイルグリフォンは空高く飛び上がり、力の限り吼え始める。

 それを見て僕は敵の能力を察し、落胆する。


「あ、やっぱり……。ちょっと弱めだなぁって思ったんだよね……」


 《ディメンション》で見なくともわかる。

 いつものやつである。

 危険になると逃げつつ、仲間を呼び寄せるタイプだ。


「キリスト、追撃しないのか!?」

「追撃はしないよ。一回、六十四層に戻ろう」


 この手のタイプの追撃は、層をまたぐことで逃げ切れることが多い。六十三層に上がったばかりのところで戦っていたため、戻るのは簡単だった。


 予想通りグリフォンの追撃は層をまたぐことで打ち切られる。集結していたモンスターの群れも元の位置へと戻っていく。


「あいつの能力はわかったから、全部無視して進もう。たぶん、あいつらを倒すのは無理だ」

「了解だ」

 

 結局、いつも通りである。

 勝負になっていたとはいえペイルグリフォン一体の強さはボスクラスだ。決して、楽に戦える相手ではない。おそらく、二体揃うだけで僕たちでは手も足も出なくなるだろう。

 おそらく通用するのは《ディスタンスミュート》のみ。しかし、この切り札はMPの消費が多いため乱発できない。なのに、おそらくペイルグリフォンは断末魔の雄たけびで階層中のモンスターを呼ぶことだろう。その中にはペイルグリフォン以外の種も含まれている。

 つまり、ペイルグリフォンとの戦闘は現実的でないということだ。

 比較的安全な狩場になるかと戦闘中は期待していたが、結果的には最も割に合わない狩場であることがわかる。


 いつかのリオイーグルと一緒だ。

 傷ついたら逃げる系のモンスターは滅びてしまえ。


 発光する回廊を僕とライナーは歩いていく。

 ペイルグリフォンを避けるのは楽だ。他のモンスターたちも先のグリーンハイエレメントのような広範囲の索敵能力は持っていない。

 だが、ここまで来ると、別の問題が発生していた。


「はぁ、はぁ、はぁっ」

「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」


 息切れが激しくなってきた。

 ステータスの体力の低いライナーのほうが顕著に症状が出ている。

 もう四時間近くも休みなく歩き続けだ。その上、死と隣り合わせの戦闘も続いている。HPMPの損耗は防げても、体力的な問題が追いつかない。まだ表には出てきていないが、精神のほうも削れてきていることだろう。


 モンスターを避け続けることで、無事、六十三層を抜けることはできたものの、何の代償も払わなかったわけではなかった。

 そして、層と層の間で息を整えたあと、六十二層へと入る。


 ただ一つだけ除いて、層の特色はほかと変わらない。しかし、その一つの特色が濃すぎた。

 地面の発光がより強くなってたのだ。さらに地面だけでなく、壁や天井までも光り輝いている。

 広々とした空のようなイメージから、眩しい太陽のようなイメージに変わった。


 四方八方からの光により、視界が大幅に制限される。全く見えないということはないが、目を細めることで何とか周囲の情報を拾える状況だ。

 《ディメンション》を使える僕は大丈夫だが、隣のライナーが危ない。


「ライナー、ここで戦えるか?」

「常に《ワインド》を使っていれば、大体の物の位置はわかると思う。もちろん、戦いにくいし、MPの消費も馬鹿にならない」

「なら、移動は僕が手を引く。戦闘のときだけ《ワインド》を使ってくれ」

「悪い。それで頼む」

「気にするな」


 こればっかりは習得している魔法の相性だろう。

 浮遊するモンスターのグリフォンに対してはライナーの力が有効だった。今度は僕の力のほうが有効というだけのことだ。


 ライナーを連れて歩きつつ、《ディメンション》で情報を集める。輝く回廊のいたるところにモンスターがうろついていた。太陽の層に相応しい鳥型のモンスターだ。

 早々に孤立しているモンスターを見つけて戦おうとする僕たちだったが――襲いかかる直前で、明らかな異常に気づく。

 モンスターまで、あと数メートルの距離。

 目の前に、真っ白に染まった鳥モンスターが歩いている――のに、



【モンスター】ピアスピジョン:ランク60



 ピアスピジョンは悠々と歩くだけだった。水族館の魚のように、僕たちを見ても自分のスタイルを全く崩すことなく歩き続けるだけだ。


「こいつら、僕たちを見ても襲いかかってこない……?」

「みたいだな、キリスト……」


 近づきすぎて、目と目が合った。それでもモンスターは敵意の欠片も見せない。優雅に嘴で毛づくろいしているだけだ。

 僕とライナーは顔を見合わせたあと、無駄に戦闘をして消耗することはないと思い、別のモンスターを探す。次に見つけたのは真っ白に染まった巨大な角馬ユニコーンだった。



【モンスター】カラレスユニコーン:ランク59



 身体が白いのは、このダンジョンの迷彩色だからだろう。魔法を使わなければ見つけることさえ難しい。この身体で突進されたら脅威に違いない。


 しかし、カラレスユニコーンも動かない。こちらを見てはいるものの、隙を窺っているのとは違うように見える。ただ僕を見ているだけだ。戦闘に入る予兆すらない。


「ん、んー。攻撃しないと反応しないモンスターなのかな……? もしくは、この視界の悪さで、こいつらと運悪く身体がぶつかったら戦闘開始――という層なのかも……」

「なら、無理して挑戦することはないな。キリストの《ディメンション》があれば、全部避けることができる」

「ああ、もちろんそうするつもりだけど……」


 それにしても、妙だ。

 他の層と比べて、異様に楽すぎる。直前の風の層と比べれば雲泥の差だ。何か別の理由があるとしか思えない。

 この白いモンスターたちは僕だけをじっと見ている。ライナーではなく、僕だけをだ。

 僕を見て安心しているかのようにさえ感じる。まるで懐かしい顔に出会ったかのような反応だ。


「考えても仕方ないか。行こう、ライナー。楽に突破できそうだ」


 ライナーの手を引いて白いモンスターたちから距離を取る。

 あとは簡単だ。《ディメンション》で道を選んで、黙々と歩き続けるだけ。もちろん、敵襲の警戒は解いていない。しかし、迷宮とは思えないほどの静寂が、僕たちを包み続けた。

 一時間もかからぬ内に、僕たちは六十一層へと辿りつく。何の問題も起きなかった。


 そのまま迷いなく、階段を上る。

 そして、予想通りの光が僕たちを照らす。

 特色はさらに濃くなり、眩い光が回廊を満たしていた。

 もはや天井は太陽と化している。目を開けていることができず、ぎゅっと瞼を閉じるしかない。それでも光が眼球を焼き、黒い視界が赤く染まっていく。


 ライナーの手を引いて、最低限の説明だけする。


「……さっきの層とあまり変わらないみたいだ。方針は変えずに進もう」

「ああ、痛いほど明るいな」

 

 ただ長居はしたくない。このまま光を浴び続ければ、何らかの異常を抱えそうだ。そう思わせるほど、この光は目に優しくなかった。


「この明るさ、光……。おそらく、六十層の守護者ガーディアンは『光の理を盗むもの』っぽいな……」

「ああ、そういえば『木の理を盗むもの』だったアイドの近くの層は自然が一杯だったな。やっぱり、周囲の層に合った守護者ガーディアンが現れるのか」

守護者ガーディアンの力が周囲の層に影響を与えるんだろうね。それにしても、『光の理を盗むもの』か。神聖魔法の専門家スペシャリストってことかな?」

「それは違うと思う。神聖魔法と光魔法は別だからな」


 神聖魔法に詳しいレヴァン教の騎士であるライナーがそう言う以上、次の守護者ガーディアンは神聖魔法に特化しているのではないのだろう。

 マイナー属性の一つ、光魔法の使い手である可能性が高い。


 頭の中にある光魔法の情報は少ない。

 魔法の傾向が少しわかるくらいだ。

 闇魔法と対になっている光魔法も精神に作用する魔法は多い。ただ、異常をきたす闇魔法と違い、光魔法は正常に戻すものばかりだ。こういった回復魔法も含んでいるため、神聖魔法と混同してしまった。


 戦闘向けではないのは確かだ。

 だが、ローウェンやティーダのように、守護者ガーディアンは魔法など関係なく強い場合がある。できれば、万全の状態で相対したいところだ。


 そう思いつつ、《ディメンション》で敵を避けていく。

 六十一層のモンスターは先ほどと変わらず、敵意が全くない。ふわふわと浮かぶ白いもやを見つけたので『注視』したが、異常さが際立つだけだった。



【モンスター】ホーリーエレメント:ランク62



 高ランクだというのに、徘徊する霊のようなモンスターはこちらに興味を示さない。

 楽すぎて不安になるほどだ。

 その不安に従って一旦下がろうかと思った。しかし、僕たちの身体に別段異常があるわけでもない。HPもMPも余裕が出てきた。いつかは絶対に通らないといけない層である以上、後回しはできない。

 

 間違いなく、ホーリーエレメントは僕たちの存在に気づいている。その無数の霊たちが見つめられ続ける中、僕たちは六十一層を踏破していく。


 そして、階段の手前まで辿りつく。

 二層続けて戦闘がなかったため、体調は悪くない。念のため、『次元』の指輪を壊して魔力の補充も行うことでMPを回復させる。

 さらに六十層の手前で《コネクション》を置くことにも成功する。この光の中では不可能かと思ったが、予想以上に楽だった。目に悪い光だが、特に魔力がこもっているわけではない。


 六十層に挑戦しない理由がなかった。

 まるで光の層たち――六十一層と六十二層が、僕を呼び込んでいるかのように感じるほどだ。


「キリスト、行かないのか……?」

「行くよ。挑戦して守護者ガーディアンを呼び起こす。けど、少しだけ嫌な予感がするんだ……」

「だが、ここで挑戦しないと、いつまで経っても地上へ行けないぞ」

「わかってる……」


 ライナーの言うとおりだ。

 僕たちには時間がない。この万全の状態で二の足を踏むことは許されない。 

 彼の後押しもあってか、とうとう僕は意を決する。


「よし、二手に分かれよう。ライナーは《コネクション》の前で待ち伏せしていてくれ。僕だけ六十層に入って、まず守護者ガーディアンと話してみる。話がこじれると思ったら、すぐに《コネクション》まで撤退するから、それをライナーはフォローしてくれ」

「……わかった」


 最悪を想定した作戦だった。

 ライナーは文句があるようだったが、素直に頷いた。本当は自分が六十層に入りたいのだろう。しかし、《ディフォルト》という離脱手段を持っている僕が話し合いにつくのが一番安全だと理性でわかっている。だから反論はなかった。

 少し前の説教が、それなりに効いているのがわかる。


「そう心配しなくていい。守護者ガーディアンだって元は人間だ。話せばわかってくれる」

「ロードみたいに『始祖カナミ』と友好的なやつならいいけど……」


 それ以外の場合は戦闘になるだろう。

 その覚悟はしておかないといけない。


「行ってくる」


 こうして、僕は進む。

 迷宮の六十層。

 『光の理を盗むもの』の待つ階層へと。


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