495.シスとディプラクラと


 決着をディプラクラも感じているのだろう。

 力が抜けた身体から、さらに力を抜いて、再び自嘲し始める。


「ふっ、ふははは……」


 戦意が消えていく。というよりも、異形と魔力が失われたことで、その瞳が定まっていっていた。

 もう宙を見つめることはなく、焦点を私に合わせて、ゆっくりと呼びかける。


「……シスよ。おぬしは何も得られなかった儂と違い、新しき信頼し合える友ができていたようじゃな」


 『神』でなく、私を見て褒めた。

 ようやく、『狭窄』が解けたように見える。

 しかし、私の予想が当たっていれば、最初からディプラクラは自ら解くことができて、あえて縋り続けていただけ。


「あなたもよ。信頼し合える友達なら、あなたにもいたはず」

「信頼し合える? ふ、ふふっははっ、はははっ」

「ディプラクラ、あなたが本当に護りたいのは、千年前の『共に世界を救おうと頑張ったカナミ』でしょう? 決して、たった一人で都合よく世界を救ってくれる『神』なんかじゃない」

「…………。……ああ、その通りじゃ。分かっておる。ははっ、信頼し合っているかどうかは別にすればな」


 ディプラクラは観念して、私の言葉を認め、笑い続ける。

 そして、どこか自慢するように続ける。


「おぬしの言う通り、カナミは儂の初めての友達じゃった……。しかし、そんなことはおぬしと違って千年前の時点で、とうに理解しておる。他の使徒たちよりも先に、儂が友を見つけていたのじゃ。誰よりも最初に、儂がな……」


 どこか千年前の私を見下して、ディプラクラは誇る。

 彼らしい謙虚な言葉選びが、もうそこにはなかった。


 しかし、それは老賢者の使徒という『表皮かわ』を破り捨てて、本音を話している証だと思いたい。


「……そうね。あなたとカナミは、最初からとても仲が良かったわ。私はヒタキやティアラと一緒にいることが多かったけど、そっちは男二人でつるんでばっかりだった」

「あぁ、そうじゃ……。本当に懐かしい。あのときの儂にとって、カナミは孫のようで……同時に、兄のようであり、弟のようでもあり……。父のようでもあり、息子のようでもあり……。間違いなく、儂にとってカナミは大切な家族じゃったよ」


 遠い目をしながら、ぽつぽつと思い返していく。

 先ほどまでの私とそっくりだ。

 その郷愁には深く共感できる。


 ディプラクラは静かに聞き入る私を見て、昔話を続けていく。


「千年前、儂には世界を救うという使命があった。だが、その使命と同じくらいに、カナミも大事になっておった。……ゆえに、そのカナミを『神』にして世界を救うという未来は、儂にとって『理想』の結末と言えた。『理想』的過ぎて、これ以上考えることを放棄してしまうほどにな。ふははははっ」


 ただ、昔話だけでは終われない。

 その先にある『現在いま』のディプラクラも、いま語られていく。


「千年前の大敗もあるじゃろうな。ヒタキに利用され、ティアラに騙され、儂は圧倒的強者の作る流れに逆らう気力が、もう完全になくなったのじゃ……。使徒でありながら、なんとも情けない話じゃな……。ははっ、はははは……」

「あの二人は仕方ないわ。ノイ様でも、会うことすら怖がった相手だもの」


 私たちには共通の綺麗な思い出がある。

 しかし、それを覆い尽くすほどの苦難もあった。

 ヒタキとティアラの二人に振り回された記憶は、使徒にとって本当に苦い。


「何にせよ、儂は流れに抗うことを完全に諦めてしまった……。なにせ、後生大事に『千年前のカナミとの思い出』を抱えて、『神』を盲信するだけで儂は『幸せ』になれるのじゃからな。……だが、いま、はっきりした。このように無様な敗北をしている時点で、儂は……――」


 そこでディプラクラは涙を滲ませて、言葉に詰まらせる。

 私と同じ答えに到達したのだろう。


 ただ、それを私よりも冷たく表現する。



「――儂は、ノイ様だけではない。カナミにも・・・・・見捨てられておる・・・・・・・・



 そう断言して、滲ませた涙を零してしまった。


 千年前、誰よりも我慢強く、大人だったディプラクラが、私の前で泣いている。

 自棄やけになって暴れた末に、子供のように悔しがっている。


「ヒタキとティアラの二人と決別した瞬間ときから、カナミは一度も儂を見ておらん……。千年前、あれほど儂と仲良く……、共に生きたカナミの……、目が、もう……。は、ははっ、滑稽じゃろう? いくらでも笑ってくれてよいぞ?」


 一緒に笑おうと促された。

 すぐに私は首を振ったが、その否定をディプラクラは受け入れず、自虐し続ける。


「千年前、ノイ様に見捨てられ、おぬしに見捨てられ、見捨てられ見捨てられ見捨てられ――見捨てられ続けた憐れな使徒が、このディプラクラじゃ。いや、もう使徒ですらない。もはや、偽りの『神』を信じる他に道がなくなってしまった、ただの『弱い人』じゃ」


 そして、ディプラクラが見つめる先は宙。


 だが、もう『切れ目』を意識しているとは思わない。『千年前のカナミとの思い出』のみを思い返し、懐かしみ、泣いていると、同じ時間を過ごした私だから分かった。


「ディプラクラ……」


 いまの彼は「『神』を信じる」と言いつつ、その『神』を軽視しているように感じた。

 自棄やけになった末に、さらに自棄やけになっているのかと思ったが……もしかしたら、ディプラクラは『神』に見捨てられるのは平気なのかもしれない。

 悲しいことだが、使徒にとって『神』同然だったノイ様に見捨てられて、慣れてしまったのだ。


 ――しかし、身近で仲の良かった『友達』に見捨てられるのは、慣れていない。心底、恐れている。


 だから、彼はカナミを『神』として扱い続けた。千年後に再会した『友達のカナミ』が、もう自分を見てすらいないという事実と直面しない為に。


 ――『友達のカナミ』に見捨てられるくらいなら、『神のカナミ』に見捨てられたほうがマシだと、願ってしまった。


 綺麗な『千年前のカナミとの思い出』に、自ら『神』という蓋をして、大事に隠したのだ。


 いま、やっと同じ生まれの家族の心を、少しだけ理解できた気がする。

 そして、その心は『神』よりも『友達』を大事にしていると思う。


 私は自嘲し続けるディプラクラに近づく。

 その曝け出された心に、全力で応えたかった。


「確かに、いまカナミは使徒わたしたちの戦いを放置してる。でも、それは理由あってのことよ。……カナミが見捨てるような性格じゃないのは、あなたもよく知ってるはず」

「ああ、よく知っているとも。ゆえに見捨てられた儂の無能さが、より際立つのじゃ」

「違うわ。もうカナミは……、ただ限界なのよ。誰かを見ているだけの余裕がない」

「…………」


 決して、嫌われたからではない。

 それを伝えるが、ディプラクラの自嘲は強まる。


「……カナミに余裕がないとして。ははっ、それを奪ったのも、儂らじゃろうて。カナミの背中に『儂らの世界』を乗せて、押し潰した。無能な働き者とは、まさに儂らのことじゃ」

「そうね。私たちは千年前に間違いを犯した。その責任が私たちにはあるわ」

「責任……? あやつを召喚した責任か? いや、それよりも――」

「『友達・・の責任よ・・・・。こういうとき、友達ってのは損得関係なく、全力で止めに来てくれるものよ。……こうしてね」

「…………っ!」


 ディプラクラに近づいて、その屋根上に突いた腕に手を伸ばした。

 私が膝を突かせた相手だが、私の手を貸して立ち上がらせようとする。


 ここまで積み重ねた言葉たちよりも、その手が最も私らしくなかったのだろうか。

 ディプラクラは目を見開いて驚いていたが、構わず話し続ける。


「『神』とか『世界』とかも大事だけど、まずは『友達』として確かめに行くのよ。いま、カナミの力は地上まで届いていない。見捨てられているかどうかは、いまから会って、今度こそ目を合わせて話して……、それから決めましょう? お願い、ディプラクラ。私と一緒に来て」


 私がディアに誘われたように、私もディプラクラを誘った。


 それをディプラクラは聞き、噛み締めて――見開いた目を細めて、千年前を思い出させる柔和な笑顔を浮かべる。


「ははっ……。『友達』『友達』と、さっきから儂らは、まるで子供のようじゃ。このような大きな姿なりをしながら、本当に幼稚なことで悩んでおる……」

「仕方ないわ。私たちはレガシィと違って、子供の時間を飛ばしてるのだから……。だから、子供みたいに喧嘩して、絶交して……でも、簡単に仲直りできて、また一緒に手を取り合える」

「手を取り合う……。そう言って、また直前で儂を裏切るのではないのか? そういうところが、おぬしにはある」

「う、裏切らないわよ! 千年前のあれはごめんなさい! もう二度としないわ!!」


 まだ完全に信用されてはいない様子だった。

 そう簡単に、嫌いな相手を全面的に受け入れることはできないだろう。


「冗談じゃ。分かっておる。そんな顔を見せられたら、もう分かるしかなかろう……」


 それでも、いまディプラクラは確かに、私の手を取る。

 私の手を借りて、立ち上がっていく。


 良かった。

 まだ互いに譲れない部分はあれども、まず「一緒にカナミと会いに行き、もう一度話す」の部分までは承諾は取れた。少なくとも、ずっとディプラクラの心を蓋していた『神』が外れたのが、握った手から伝わってきた。

 それが嬉しくて、私は笑顔を浮かべ返す。


「おぬしは本当に変わったのう。……いや、それは儂もか。そして、カナミもならば、確かめねばな。それが『友達』の責任と言われれば、もう儂は逃げられぬよ」


 まだカナミのことしか考えていなさそうな発言だったが、もう盲目的とは思わない。

 その定まった瞳の奥に、別の決意の炎が小さくも灯り始めたのが垣間見えた。


 それに私は安心した。続いて、私の後ろのディアも安心して、「ふう」と軽いため息をつく。


 いまの一部始終を、ディアは一歩退いて見守っていた。

 そして、私たちが手を取り合ったのを確認してから、その『魔力四肢化』の義手で屋根上に手を突いて、触れる。


「仲直りできて良かったな、シス。それと、ディプラクラさん。……ただ、悪いが時間は余りないんだ。そろそろ俺は、俺の役目を果たさないと」


 断りを入れてから、その義手の形を失わせていく。

 溶けた水が染みるように、自らの魔力を屋根に侵入させ始めた。


 その意味が、ティアラから『魔法陣』を習い、精通した私だから理解できる。

 ディアは高級街の建物を通して、連合国の地に張り巡らされた『魔石線ライン』に侵入して、浸透させていた。


 使徒相手に二戦終えたディアだが、未だに魔力は膨大だ。

 むしろ、戦いを通じて、さらに活き活きと膨らんでいると感じるほどだ。


 その膨大な魔力を一気に流し込まれて、連合国の『魔石線ライン』が大発光して、震える。

 地震というほどではない。微震にも足り得ない。ただ、確かに振動していた。その独特な振動ふるえは、『舞闘大会』の拡声する魔法道具を私に思い浮かばせる。


(……ふう)


 ディアの呼吸音が、屋根上の四方から響いた。

 風のない暴風が吹き抜けたかのような音だった。

 まるで大地を喉にしたかのような振動こえから、私は確信する。


 スノウ・ウォーカーの得意な《ヴィブレーション》のように、あの拡声する魔法道具スピーカーを再現したのだ。


 今日はディアに驚かされてばかりだ。

 元々魔法が得意なのは、私が誰よりも知っている。

 ただ、そこからさらに器用にもなった。


 他人の魔法を模倣するなんて、私が中にいた頃では考えられないことだ。

 しかし、この数年で、あのマリアから魔法の丁寧さを学んだのだろう。

 カナミの背中からは剣だけでなく、模倣の仕方も学んだのだろう。


 ただ、そのディアの拡声魔法が発揮される前に、ディプラクラは問いかける。


「現代のシスの器……いや、我が友の友ディアブロよ。これから、おぬしは『終譚祭』を終わらせるつもりか?」

「へ、変な呼び方するなあ。……いや、ディプラクラさん。俺に『終譚祭』を終わらせるつもりはない。マリアに言われてるんだ。逆に盛り上げたほうがいいってな」

「盛り上げる? しかし、そのようなことをすれば儀式が進み、カナミに『魔の毒』が集まるぞ」


 その行為はカナミを手助けをすることになり、「会いに行く」という新しい目的の達成が遠のくと指摘された。


 私もディプラクラと同意見だった。

 だが、ディアは笑ったまま頷く。


「それでいいんだ。『魔の毒』で強くなっただけのカナミなら、どうとでもできる。だから勝負とは関係なく、もっと別のものを『最深部』に集めておきたい……って、マリアが言ってたんだ」


 どうやら、ディアの意思ではないようだ。

 あの『終譚祭』前に単騎特攻してきた少女の案らしい。


「おぬしはスノウ・ウォーカーに導かれて動いていたかと思ったが、あの少女が中心じゃったか……。ならば、悪い話を一つ知らせねばならん。いま、そのおぬしらのリーダーはカナミの手によって『忘却』させられ、『最深部』で眠っておる」

「いや、別にマリアはリーダーじゃないぞ? あと、あいつなら忘れさせられるそういうのには慣れてるから大丈夫だろ。むしろ、しっかり『最深部』にいるってのは、いい知らせだ」

「な、慣れてる? いや、そういうことではなく『呪い』によって、記憶が――」

「だから、マリアは『呪いそれ』に慣れてるんだ。ただ、眠る系の魔法には弱そうだから、早く『最深部』に行って起こしてやらないとな。寝起き悪いんだ、あいつ」


 ディアにとって衝撃的な情報が知らされたはずだった。

 だが、さほど驚いていなければ、不安にも思っていない反応が返ってくる。


 あのマリアという少女を、ディアは心から信頼しているようだ。

 ……少しだけ嫉妬しそうになる。

 だが、これから取り返せばいいだけだろう。

 この先、私は何があってもディアと一緒にいようと誓ったところで、その魔法名は響く。


「――《ヴィブレーション・聖声ゴスペル》」


 無属性の振動魔法に、神聖属性のアレンジが加えられていた。

 元々あった拡声する魔法道具スピーカーの術式を、使徒の出鱈目な魔力用に改良しているようだ。


 すると先ほどと同じく、大地を喉にして、もう一度。

 屋根上を中心に、振動こえが広がっていく。


(――あー。聞こえてるか、大聖堂のみんな)


 『終譚祭』の打ち上げ花火や喧噪の音にも負けず――むしろ、合わせるように楽しげに、ディアからのお知らせが連合国中に響き渡り始めた。魔法の拡声が、史上最大の範囲で伝搬している。


 それはまるで天上の神からのお告げのようだった。しかし、あえてディアは俗っぽく、軽い口調を選ぶ。


(ディプラクラは止まったから、もう心配しなくていい。お祭りの空気にあてられて、カナミへの想いがちょっと爆発したみたいだ。……まあ、いつものやつだな。一年前のマリアやスノウと比べたら、楽勝も楽勝だったから安心してくれ)


 振動こえが響く。


 不思議な音色だと思った。

 間違いなく、人の喉の肉声ではない。ただ、綺麗に通るだけの声でもない。

 振動魔法に神聖な魔力を乗せて、丁寧に作られたリラックスできる振動ゆらぎだと、私の身体は感じた。


 ディアは器用になっただけでなく、こういう気遣いもできるようになったようだ。

 ディプラクラの暴走など大したことなかったかのように、身内の笑い話が添えられて語られていく。


 ただ、一つだけ私は指摘したい。

 そのマリアやスノウといった身内たちに負けない暴走をディアもしたことがあると、彼女の中にいた私は知っている。この彼女らしい棚上げを連合国が聞いていると思うと、少しだけ笑みが零れた。


(で、これから俺は使徒たちと一緒に、迷宮の『最深部』まで飛翔くつもりだ。マリアとスノウの穿った道を、無駄にするつもりはない。あの道に、俺たちも続く)


 ディアは声を『魔石線ライン』に通しながら、並行して別の魔法も構築する。

 それは私が先ほど構築した魔力の翼と同じものだった。


 魔力の翼を、天高くまで生え伸ばしていく。

 いま《ヴィブレーション・聖声ゴスペル》を聞いている人々に、その存在を主張するように大きく、光り輝かせた。


 堪らず、私は声をかける。


「ディア、その声……。翼も……」


 私と同じ翼だが、まるで完成度が違った。

 外面的な光の美しさだけではなく、精度が違った。密度が違った。練度が違った。

 生まれてから使徒の力に頼っていたばかりの私と違い、ディアの『魔の毒』の扱いは別次元に研ぎ澄まされ切っていた。


 ――これが、いまのディアの本気の魔法?


 圧倒的な力を前にして、私は身体の底から震えが湧いた。

 同時に、疑問も湧く。

 この声と翼があれば、先ほどの私との戦いでもっと有利だったはずだ。 

 なぜ、神殿内で剣だけだったのか。あのとき、私よりも神々しい声と翼を披露すれば、周囲の騎士や神官をいくらか味方に付けることができたはずだ。


 その私の疑問を、ディアは言葉なくとも視線だけで受け取っていた。一時的に《ヴィブレーション・聖声ゴスペル》を止めて、これもまた軽く答えていく。


「……剣の勝負に、こういう魔法はナシだろ? なんか卑怯だし」


 ディアらしかった。

 手段を選ばず、何が何でも勝ちたがる私とは逆。

 しかし、だからこそ補い合える。私は相棒を応援するように、その肩に触れて、その軽口に答える。


「……ふふっ。あなた、そういうところあるわよね。でも、ここからは遠慮なしでいいわよ。次の相手は誰よりも卑怯で反則的なカナミなんだから」


 いつ何があっても大丈夫なように、私はディアと魔力と魔法を共有し合った。

 それにディアは「ああ」と頷いて、万全の状態で《ヴィブレーション・聖声ゴスペル》は続けられていく。


(ちょっとあちこちで騒ぎがあったみたいだが……、本当に心配は要らない。連合国のみんなは、お祭りを楽しんでてくれ。――だって、『終譚祭』は何も変わらない。みんなで連合国を頑張って復興させたのは変わらないし、それをカナミが手伝ってくれたのも変わらない。誰かが『糸』を引いていたとしても、そのくらいのことでみんながやってきたことは変わらないんだ。……連合国を復興できたのは間違いなく、みんなが頑張ったおかげだ。だから、心から楽しんでくれ。今日だけは騒いでもいいし、無茶してもいい)


 その言葉は、いま連合国で楽しんでいる人々に投げかけられている。

 ただ、同時に『最深部』のカナミにも語りかけている。


(ただ、一つだけ。もし神に祈るなら、一方的に頼るんじゃなくて……、その先にいる『誰か』も見て欲しい。そこには、任せたら何でも叶えてくれる都合のいい神様はいない。人知れず頑張る『誰か』がいるだけなんだ。『呪い』のように頼り切ってたら、いつか、その『誰か』は潰れる)


 ここからが本題なのだろう。

 カナミを護るように、ディアは連合国に頼み込んでいく。


(もちろん、俺の言うことを信じられないって人もいると思う。だが、そういう人たちにこそ『最深部』を目指して、そこにいる『誰か』がどんなやつかをじかに見て欲しい。……自分の目で見て、判断するのが一番だからな。そのとき、『最深部』の真実に不満があったら、奇跡を横から奪ってもいい。全部、『最深部』到達者の自由だ。だって、ここは迷宮連合国で……、最初からそういうルールだ)


 そして、誘った。

 連合国中の探索者たちに、チャンスは残っているぞと促した。


 ただ、迷宮の『最深部』に向かうライバルを募ったディアに、隣のディプラクラは驚愕していた。

 顔からして「いや、何でも自由なわけではない。条件がある」「そもそも簡単に到達出来れば苦労はない」などと、言いたいことはたくさんあるだろう。


 しかし、その常識的な意見全てを呑み込んで、ゆっくりと千年前の『未練』を零していく。


「……儂には後悔がある。それは千年前、カナミがヒタキを失い、自暴自棄となっていたとき、何もせんかったことじゃ。思えば、あやつを先に見捨てたのは儂じゃったかもしれん。だからこそ、繰り返しはせぬ」


 ディアの誘った相手は、連合国の探索者たちだけではなかったようだ。

 いまの言葉にディプラクラは背中を押されて、意を決した様子で歩き出す。


 そして、誘われるがままに、手を伸ばした。空いているディアの肩に手を置いて、拡声魔法に協力していく。


 それをディアは受け入れる。

 隣のディプラクラに合わせて、大地は震え出す。


(……そう。ディアの言う通り、『終譚祭』も迷宮のルールも、何も変わらぬ。そのままじゃ。『最深部』到達者は複数人・・・いて困るものではない。その奇跡に触れる者も、それが世界を救う英雄ならば、我ら使徒は何人でも歓迎しよう)


 ディアの唐突な提案に、使徒の名からお墨付きが出される。


 色々な前提を覆す発言だった。

 迷宮の伝説である「『最深部』に到達したものは願いが叶う」を信じていた人たちは、その条件は最初の到達者一人目のみの話だと思っていたことだろう。


 しかし、実際は二人目以降も募集されていたと知らされる。


 その知らせの振動こえがディプラクラだと、知っている人は知っているはずだ。『元老院』から正式に新ルールが付け足されて、連合国に大きな動揺が走ったのを、空気の振動から感じ取れる。


 ディプラクラも感じ取ったのだろう。

 畳みかけるように全力で、魔法《ヴィブレーション・聖声ゴスペル》で宣言していく。


(――これより使徒ディプラクラとシスの名において、迷宮の入口を全て開門する! ギルド『スプリーム』『エピックシーカー』からの要請もあり、この全てを締めくくる祭りに迷宮探索できぬなど無粋と判断した。無論、ギルド以外の者でも、最後の探索は自由じゃ。参加資格は……そうじゃな、『舞闘大会』と同じとしよう。お尋ね者でも、連合国に加盟しておらぬ国の者でも、『この世界に生まれた人・・・・・・・・・・』ならば誰でも構わぬ。さらに言えば、『最深部』で何を選び取るかも問わぬ。カナミの起こす奇跡を一番近くで授かるも良し。見物するだけでも良し。カナミに決闘を挑み、『世界の主』の座を奪うも良し。奇跡を横取りしても良し。スノウ・ウォーカーやディア・アレイスの言うように、都合のいい『誰か』に頼り切るのではなく、カナミの手助けとなるのも良し。……繰り返すが、ここは迷宮連合国。長き迷宮の歴史の結末は、神でなく探索者たちに選んで貰おう。それが一番じゃ)


 その新たな公表に連合国がどよめいたのが、この住宅街の屋根上からでも分かった。

 いまの『舞闘大会』を思い出させるルールは、一発逆転・一攫千金という言葉を多くの人に思い浮かばせただろう。


 何より、主催者と思われるあの真面目で慎重なディプラクラが、横取りでもオーケーと言っているのだ。

 間違いなく、本当に良からぬ者たちも多く混ざる。


 ディプラクラらしからぬリスキーな発言だった。だが、それをディアは有り難そうに笑う。

 魔法を維持したまま、感謝を言葉にしていく。


(ははっ。ありがとう、ディプラクラさん。……聞いての通り、あとは競争だ。ただ、迷宮探索はパーティーが基本だから注意してくれよな。何度も俺は迷宮に挑戦してきたが、やっぱりあれは一人で入るもんじゃない……。せっかくのお祭りの締めくくりに、レベル1の田舎者を仲間外れとかはやめてくれよ? 最後は、みんなで楽しみながら行こうぜ? ……それじゃあな!)


 その少し飾った挨拶を最後に、《ヴィブレーション・聖声ゴスペル》は打ち切られた。

 同時に、連合国中の『魔石線ライン』の大発光も止まる。


 代わりに、お祭りの打ち上げ花火が、急にいくつも空で爆発して輝いた。

 宝石の欠片が落ちるように、さらなる魔力の雪ティアーレイが降り注ぎ始める。


 お祭りの空気にあてられたのはディプラクラだけではないようだ。いまの公表に合わせて、準備していたであろう花火を多めに吐き出したノリのいい国民がいたようだ。


 その降り注ぐ魔力の雪ティアーレイを懐かしそうに浴びる相棒に向かって、私は少し不安を零す。


「これ……。結局、どうなるのかしら?」

「……たぶん、マリアの狙いは物量作戦ってやつだろ。誰か一人でもカナミを止めれたら、こっちの勝ちだからな」


 始めた張本人が余り理解できていないのが、さらに不安を煽る。

 ただ、そのディアの至らないところを補うように、ディプラクラが自らの意見を纏めて説明する。


「狙いは、『終譚祭』の質を変えることじゃろうな。それはつまり、集まる『魔の毒』の質を変えて、儀式をずらすことに繋がる。……間違いなく、カナミは混乱するはずじゃ」


 ディプラクラは下を見て、苦笑していた。


 その視線は『狭窄』ではなく、しっかりと『最深部』にいるであろうカナミを捉えている。いま連合国に混乱が伝搬しているが、最も困っているのは彼だと思っているのだろう。


 そして、その説明をしてくれたディプラクラは一人、私たちから離れていく。


「『ディアブロ・シス』は先に迷宮へ行っておれ。いまや儂も探索者の一人ゆえに、あとで必ず追おう……。だが、儂にはまだ地上でやることがある。まず先の失態で、周りが儂の指示に従ってくれるかどうか……、それと大きな問題も一つ。あやつを止めねば、いま宣言した話は簡単に潰される」


 いまのディプラクラが同行してくれると安心できるのだが、足を揃えて迷宮に入ってはくれないらしい。


 ただ、私も同じ『元老院』所属だったからこそ、ディプラクラの言う大きな問題が分かる。

 『終譚祭』の前、カナミと共に『元老院合議室』で『計画』をしたメンバーは、まだ他にも残っている。


 フェーデルト・シャルソワスとクウネル・クロニクル・シュルス・レギア・イングリッド。

 特にクウネルならば、いまの詰めが甘い宣言を、稚拙な宣伝と笑うだろう。

 より上手い大人の宣伝プロパガンダで「さっきの知らせは、声を似せただけの偽物です」とされる可能性がある。


 その未来を思い描いた私に、ディプラクラは頷き返す。


「そう。一番の問題は、ただ一人で『元老院』足り得るクウネルじゃ。事前の話では、危なくなれば港から海に逃げて、別拠点から『終譚祭』を広げ直すという話じゃったが……、む?」


 そのディプラクラの説明の途中だった。屋根上に四人目が現れる。

 下の街道から一跳びで上がってきた獣人騎士は、その説明に補足していく。


「ええ、ディプラクラ様。だからこそ、いま港にはエルミラード・シッダルクが先回りしております」


 セラ・レイディアントだった。


 ここまでディアを連れてきたが、使徒以外を溶かす結界を前に待機していたのだろう。

 先の《ヴィブレーション・聖声ゴスペル》で決着がついたことを察して、ここまで迎えに来てくれたようだ。


 その彼女に向かって、ディプラクラは一度大きく頷いたあと、深く頭を下げる。


「そうか。あの男は本当に優秀じゃな……。そして、本当にすまぬ、セラ・レイディアントよ。おぬしが身を挺してくれたおかげで、儂は先ほどの戦いで取り返しのつかぬ過ちを冒しておらぬ。おぬしは、ただ強いだけではない。間違いなく、連合国一の騎士と呼ぶに相応しい英雄じゃ」


 私は優秀な『天上の七騎士セレスティアル・ナイツ』の一人くらいに思っていたが、直に戦ったディプラクラからは最上の評価がくだされる。


 それにレイディアントは恭しく頭を下げ返して答えたが、すぐに『獣化』しながら移動を促していく。


「畏れ多いお言葉です。しかし、いまは急ぎましょう。港までは、この私がお送りしますので――」

「ああ、頼もう。……そして、言葉だけでなく、行動で示そうぞ」


 巨大な蒼き狼となったレイディアントの背中に、迷いなくディプラクラは乗った。


 ここからは二対二で別れるようだ。それをディアも了承したあと、私の服の裾を引っ張る。


「シスは俺と二人だな。……早く行こう。でないと、絶対先に行ってるフランが、迷宮で何かやらかしそうだ」


 もうディアの輝く巨大な翼は完成し切り、いつでも飛べる状態にあった。

 そして、まだ現れない友達の行動を予測して、一緒に迷宮探索する私を急かす。


 ただ、悪いが私はディアほど、あのヘルヴィルシャインに対抗意識はない。

 むしろ、ディアを助けて貰ったお礼がしたいほどなので、あえて彼女に先陣を譲りたいと思っているほどだ。私も輝く翼を構築しながら、別の提案を出す。


「いえ、ディア。……ここは慌てないで、ゆっくり飛びましょう? 祭事のように優雅に美しく魅せるのが一番だわ。盛り上げたら盛り上げた分カナミに届くなら、ここはもっと――」


 特殊な『魔法生命体』である私は、信仰を集めるほど強くなる。

 注目を集めて、さっきの戦いで減った魔力を回復したいというのもあった。


 この先の『最深部』で待つ別の大きな戦いを予期して、焦らずにじっくり行こうと提案した。


「そうだな。……もっと俺らもスノウの真似するか。それじゃあな、ディプラクラさん、セラさん!」


 そのディアの挨拶に合わせて、私も「『最深部』で待ってるわ」と二人に告げて、別れる。


 私とディアは翼を羽ばたかせた。と言っても、普通の動物の飛行と違い、魔法によって浮力を得る形だ。綿毛が空に舞うように、ふわりふわりと、私たちは浮かび上がっていく。


 あとは連合国中央にある迷宮に向かって、目立つように飛んでいくだけ。

 魔力の粒子を散らしながら、天高く舞い飛ぶ。

 同時に、また『終譚祭』の花火が打ち上がって、広げた白く輝く翼を彩った。


 私はディアと一緒に、眩しい太陽の陽射しを浴びる。

 そして、千年前の誰もが求め続けた『青い空』の中を飛んで行く。


 ……思えば、いつも私は一人で飛んでいた気がする。

 それも目的地の見えない暗雲の中を、ずっとだ。


 けれど、いまは違う。

 晴れ渡った『青い空』から、目的地の様子を見る。


 迷宮の上に聳え立っているはずの『世界樹』は消えていた。新しい時代の幕開けに必要ないかのように、綺麗になくなって――代わりに見えるのは、巨木を抜いたあとの大きな空洞と真っ赤な血の蠢き。


 ――あれが、マリアとスノウ・ウォーカーの穿った道。


 さらに、遠目にだが巨大な空洞の周囲に人だかりが出来ているのが見えた。

 先ほど見た『スプリーム』『エピックシーカー』たちを中心に、探索者たちが集まっていた。

 そして、先行したフランリューレ・ヘルヴィルシャインが、元々迷宮入り口を封鎖する為に集まっていた騎士たちに指示を出している。

 先行した友達を見つけて、隣のディアは安心して笑っていた。


 私も安心して、少しだけ視線を外す。

 いま見ているのとは、逆方向へ。

 ディプラクラたちが向かっている連合国南西を確認する。


 海洋国家グリアード。

 そこには他国からの大量の船が停泊している港がある。

 昨日、そこに私たちはカナミたちと一緒に『血陸』から凱旋した。


 クウネルが逃げるのならば、このあたりからだろう。

 そこにエルミラード・シッダルクが立ち塞がってくれているらしい。

 そして、その二人の下に、いま急ぎ向かっているのが私の家族の一人で――


「…………っ!?」


 ディプラクラを家族と認めたとき、空を飛ぶ風切り音以外の振動こえが、耳を通り抜けたような気がした。

 それは《ヴィブレーション・聖声ゴスペル》の残滓か。

 もっと別の本当の『魔法』か。

 それとも、使徒同士の・・・・・繋がり・・・』か。


 ディプラクラの移動しながら呟く声が、空高く舞う私まで聞こえてくる。


「――……カナミ、聞いておるか? 全ては、使徒たちの未熟さが招いた過ちじゃ。おぬしは決して、何も悪くはない。何の責任もない。あるはずがない。……だから、もう一度だけ会って、話がしたい。千年前のように、また夜が明けるまで語り合おうぞ。儂が言えた口ではないが、決して自暴自棄になるでない。……頼む、カナミ。やはり、儂は――いや、儂たちはおぬしを『なかったこと』になどできぬ」


 視線を感じるままに、『切れ目』に向かって話しているのだろう。

 ただ、それはもう『狭窄』ゆえではなく、千年来の友達ゆえ。


 同じ日に生まれ落ちた家族が、やっと本当の意味で同じ目的と気持ちを抱いているのを感じた。

 それが私は嬉しくて、満たされて――だからこそ、今日という記念すべき日にあと一人・・・・。私たちよりも先に子供の時間を得た『彼』が足りないのを、少し切なく感じて――


 私は迷宮に向かい直す。

 過去を悔やむことなく、前を見ようとしたとき――

 その道の先で、そのあと一人・・・・の使徒が待っているような予感がした。


「…………っ!? ……ふふっ」


 その不思議な予感に引っ張られるように。

 ディプラクラの声に背中を押されるように。

 二つの道を繋げるように、さらに私は高く飛翔んだ。

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