496.クウネル・クロニクルその2


 天から光が射す。


 スノウによる『流星』の如き飛翔によって、『終譚祭』の空には魔力の星屑が散りばめられていた。

 そこに負けじと、輝く比翼の鳥が飛び立った。連合国のどこからでも見つけられるほど高く、魔力の翼を羽ばたかせる二人。


 その正体が使徒シスと少女ディアブロと分かり、僕は――エルミラード・シッダルクは、笑みを浮かべた。

 すると、比翼の鳥は高貴さと優雅さを魅せるように、くるくると息を合わせた飛行を披露する。


「……ん? いま、こちらを見てくださったか?」


 自分を意識したかのような動きだった。と、いま空を見上げていた人々が揃って思ったことだろう。そう思わざるを得ないほどに、目と心を奪い、高揚感を煽ってくる光――ということは何かしらの魔法だ。


 先ほどの『舞闘大会』を始めるかのようなお知らせも含めて、精神への干渉が濃い。


 彼女らの仕事に感嘆しつつ、すぐに僕は自分の仕事を思い出す。

 視線を天から地に戻して、いま目の前にいる女性に感想を持ちかける。


「ここからだと、よく見えますね。神々しい……よりも、美しいのほうが良さそうか。クウネル姫はどう思われますか?」


 現在の場所は連合国グリアード最大の港。

 そこには『終譚祭』に訪れた大船団が停泊して並んでいた。そして、その手前には海外との貿易を管理する為の巨大倉庫が、いくつも建ち並んでいる。

 その倉庫の群れの影、港の隅には関係者以外立ち入りできない領域があった。物の貿易だけでなく、人の交通や無形の利権も含めて、あらゆる流れを管理するものの為の空間だ。


 一般人では近づけない。

 そのおかげで、完全なる静寂とまでは言えないが、『終譚祭』の喧噪は遠く、比較的静けさを感じられる。


 その連合国の裏側に広がる暗がりでは、珍しい装いの女性が一人立っていた。

 先ほど、迷宮入り口から逃げ出した『元老院』代表のクウネル・クロニクル・シュルス・レギア・イングリッドだ。


 いま僕が太陽の下に立っているのに対して、ずっと彼女は倉庫の横にある影から動かない。

 暗がりで赤い瞳を光らせるだけで、一向に出てこようとしない。


 彼女が『吸血種』という特別な獣人であることは知っている。

 その特徴はエルトラリュー学院で、歴史と獣人の二科目から学べる。

 太陽を嫌い、金銀を蒐集し、十字架を嫌い、人の血と影を操る――という話だったが、教科書通りではないだろう。なにせ、彼女は教科書を作る側なのだから。


 容易に、その暗がりに近づく気はない。

 僕は『獣化』させた腕を広げて、立ち塞がり続けることを選ぶ。

 その腕は先の大規模共鳴魔法でボロボロで、身体も病み上がりだが、決して通さない。


 僕の背中の先には、桟橋がいくつも海に伸びて、記録に残らない密輸船が複数停泊している。

 もし、どれかの船に乗せて逃がせば、この飄々としながら底知れぬ邪知を備えた少女は、必ずここまでのみんなの努力を台無しにしてくれる。


「へっへっへ……、そーやねー。あても美しいと思うでー。ただ、先ほどのお粗末なお知らせアナウンスは失笑ものやったけどね。あのくらいで、『終譚祭』が変わると思ってるんなら、子供の遊びもいいところ」

「そもそも、祭りに夢中で振動こえに気づかぬ者すら多いでしょうね……。だが、元より『終譚祭』に違和感を覚えていた者が納得するには十分だ。なにせ、こっちは少しずつで構わない。この『終譚祭』を少しずつ、ずらしていけば――」

「その少しずつの一環として、あては船に乗れないん? しっだるくきょー?」

「そういうことだね。悪いが、貴女を逃がせるほど、こちらには余裕がない。そして――」


 そして、戻らせもしないと、視線をクウネルの後方に向けた。


 そこには彼女をここまで乗せて走った『天上の七騎士セレスティアル・ナイツ』総長ペルシオナ・クエイガーが、僕と同じく『獣化』した状態で立ち塞がっている。

 そのさらに後ろでは、『元老院』の一人フェーデルト・シャルソワス。


 他に人はいない。

 立ち入り禁止というのもあるが、クウネルが追いかける僕から逃げようと連合国最速の競争レースをして、あらゆる人を置き去りにしたからだ。


 護衛ならば、クエイガー君一人で十分と思っていたのだろう。

 だが、その唯一の味方が、いま直属の上司フェーデルトと共に向こう側に回っていた。


「はぁーあ……。フェーデルトさんが裏切らなければ、もっと楽に話は進んでたんやけどな」


 挟まれたクウネルは愚痴を零した。

 流石に、四足歩行するモンスターの『魔人返り』二人相手は逃げられないと観念したようだ。

 後ろに目をやりながら、慎重に会話を選んでいく。


 彼女の視線の先にいるフェーデルトと僕はアイコンタクトを交わして、頷き合う。

 事前に、彼とは必要な会話を終えている。

 いまの絶対的な力を持った『元老院』を不安視する貴族は多い。

 四大貴族が代表して、常から彼に「状況を見て動いて欲しい」と呼びかけていた。


 謂わば、汚い寝返りの調略をして、この状況は成立しているのだが……。実際のところは、少し違うと僕は思っている。そして、その理由は、フェーデルト自身から明かされていく。


「いいえ。それは間違いですよ、クウネル様。そもそも、最初から私は優勢なほうにつくと宣言していました。それでも、カナミ様はいつも私を味方扱いしていましたが……、劣勢となってまで付き合うほどの絆は一切ありません。そもそも、私は『あれ』が嫌いです。『あれ』なしで上手くいくなら、越したことはない」


 ずっとフェーデルトは調略されて、抜け出せるタイミングを測っていた。

 それをカナミも受け入れた上で、『元老院』に任命して側近としていた。


 いま追い詰められているクウネルも、それらを全て知った上だったとすれば、この状況は何一つ楽観できない。


「……そうやったね。でも、フェーデルトさん? あてって、いま劣勢かな? で、そこのキザな貴族様が優勢? 本当に?」

「…………」

「さっき大聖堂でディアブロが暴れて、空ではスノウ・ウォーカーが吠えた。ディプラクラが暴走して、エルミラードがギルド連中を連れ出した。これから、フェーデルトさんが貴族連中を唆す……。その程度? それで劣勢って言えるような主様あいてだった?」


 ずっとクウネルの表情から情報を読み取ろうとしているが、やはりポーカーフェイスは全く崩れない。

 彼女の態度と口調から余裕しか感じられないのは、フェーデルトも同じなのだろう。小手先の余裕の張り合いは諦めて、冷静に頷き返す。


「確かに、まだ形勢は変わったとは言えないかもしれませんね……。だから、いま嫌いと言ったのです。これは個人的な好き嫌いを含んだ反逆ですよ」

「……そこを言われちゃうと、弱いかな。我らが主って、まともな人にほど嫌われやすくて――」

「あなたです。もし、あなたが真にフーズヤーズを憂うディプラクラ様を処分しようとしなければ、私は動く気はなかった」


 生温い言い訳を断ち切り、フェーデルトは敵を睨みつけた。

 ただ、その指摘にクウネルは心外そうに答える。


「処分? 今日までずっと仲良しだったディプラクラ様を、あてがどうして?」

「なぜディプラクラ様を置いて、逃げたのです? 不安定な使徒様を一人残し、わざと醜態を国民たちに見せつけたとしか思えません。まるで、『終譚祭』の後の世界に必要ないからと、危険物を処理するように……、あなたは使徒を切り捨てた」

「…………」


 今度はクウネルが静かになる。

 顔は「そんなまさか」と言いたげだが、その口から言葉が出てくることはない。


 代わりに、フェーデルトの口から続けられる。


「今日まで、ディプラクラ様には連合国復興の為によく働いて頂きました。フーズヤーズへの貢献は歴史に残ることでしょう。あの方は本当に誠実で、真面目で、人徳もあり、愛国心に満ちていました……。そのディプラクラ様を蔑ろにするということは、フーズヤーズを蔑ろにするも同然です。もし、あなたがフーズヤーズを脅かす敵だったならば、私は決して容赦しません」


 敵対した理由を語られて、クウネルは少し困った顔になった。


 まだ会話だけで打開できる自信があるのか。それとも、もっと別の理由があるのか。上手くフェーデルトの共感を誘おうと、まだ言葉を選ぶ。


「あてはフーズヤーズを愛する会長の味方……って言っても、通じない顔してるね。同類だからかな? あてたちは会長を利用して、自分の利益追求してる仲間だもんね?」

「ええ、私はフーズヤーズの利益を常に求めています。……だからこそ、ずっと気になっていました。ならば、クウネル様は何を求めているのです? たった一人で『元老院』足り得て、最も『安心』できる立場を貰いながら……、未だ余裕のなさをあなたから感じる」

「いい読みしてるね。もうかなり本性をフェーデルトさんに見せてるとはいえ、ここまでは合格点やねー。へっへっへ」


 質問には答えず、クウネルから上から目線の採点が返された。

 もちろん、その傲慢な態度にフェーデルトから厳しい目線が向けられる。だが、クウネルは涼し気に、続きを話す。


「ディプラクラを切り捨てたのは、仕方ないことなんよ。だって、平和な世界に使徒は必要ないって、本人が考えてたんやから……。つまり、あては介錯をしただけやね」

「使徒が必要ない……? そんなはずがありません、あの方は新たな時代の要となる人物です! カナミ様の『計画』でも、そうなっていた!」

「フェーデルトさんが、そう主張するのはいいけど……。間違いなく、ディプラクラ自身は深く絶望して、色々と諦めてたよ。大事に育んできたフーズヤーズも使徒じぶんも、全て切り捨てられる運命と気づき、半ば自棄になってた……。千年前の彼を知っているあてだから、この違いが分かる」

「勝手なことを! フーズヤーズもディプラクラ様も、これからです! たとえクウネル様と言えど、その侮辱は許されません!」


 語気が荒々しくなるのは、生まれ育った母国に恩があるのだろう。

 決めつけるように語るクウネルを強く否定したが、それをくだらないと言うように返され続ける。


「クウネル様だから、言えるんよ。いま、フーズヤーズは伝統ある騎士国家と立派そうに謳ってるけど……実際のところ、千年前に聖人ティアラ様によって歪に調整された邪悪な国だ。戦火と格差を定期的に生むように作られ、その仕組みはもう変えることはできないほど凝り固まっている。平和な時代になっては、これほど人類にとって有害なものはない」


 千年生きたからこそ、国の根幹にさえ上から物を言った。

 よく知っているはずのクウネルの口調が、少しずつ変わっていく。


「『元老院』に伝えられるティアラ様の遺言を、おまえも読んだはずだ。……千年前、あえて彼女は、もっと偏れ・・・・・と調整した。奴隷や『魔石人間ジュエルクルス』を増やし続けたのは、千年後に『世界の敵』アイカワヒタキと戦える人材を確保する為だったが……。しかし、もう必要ないだろう? そろそろ、役目を終えた部分を切り捨てる頃だと思わないか?」

「……いまフーズヤーズが連合国内でも偏って豊かで、奴隷や『魔石人間ジュエルクルス』が多いのは事実です。しかし、だからと言って、いま世界を牽引しているフーズヤーズを切り捨てるというのは話にならない。代わりに、クウネル様が世界を牽引すると言うのならば……、あなたが求めているのはあなたが中心の『あなたの世界』でしかない」

「あくまで、中心となるのは『神』だ。あてが求めている『奴隷も『魔石人間ジュエルクルス』も、みんなが『安心』して生きていける世界』は、『神』にしか作れない」


 いま、その心の内と目的が口に出されている……ように見える。


 どこまでが本心か分からない。

 たとえ全てが真実だったとしても、その為にフーズヤーズを切り捨てるのは受け入れられないようで、フェーデルトは眉を顰めたままだった。


 そして、ここまでは予定通りかのように、クウネルはこちらに向かって演説を始める。


「聞いていたか? フーズヤーズの偏り・・、エルミラード・シッダルク。……主の寵愛を受ける君なら、事情に通じているはずだ。真に世界を憂うのなら、邪神ティアラの手垢がついたフーズヤーズに世界の舵取りを任せ続けていいと思うか? 『新聖暦』という新しい時代には、新しい国と考え方が必要ではないか? ……未だ、ここの倉庫には貿易用の奴隷たちが詰まっている。しかし、そこのフェーデルトは一度も戦に出ることなく、戦火に呑まれる犠牲者が増えることを肯定したぞ? これから船で売られていく者たちの顔を、最前線の戦争を経て、『魔人返り』した君はよく知っているはずだ……。そして、その悪夢を止められる方法も」


 クウネルは暗がりを作ってくれている隣の倉庫に手を伸ばして、触れた。

 それを懐かしそうに、愛おしそうに撫でる。


「――『大いなる救世主マグナ・メサイア』しかない。君は直接、『血の理を盗むもの』ファフナーから教わったはず。あの言葉は、千年前の世界では神話でも夢幻ゆめまぼろしでもなく、現実のものだった……。かつて、あても奴隷以下の存在だったゆえに、よく知っている。この四肢を杭で打たれ、暗く深い場所に幽閉されていた。だが、『大いなる救世主マグナ・メサイア』が現れ、その地獄に『糸』を垂らして頂いたのだ……。あぁ、本当に懐かしい……」


 カナミが始祖と呼ばれていた時代を思い出しているのだろう。

 しかし、その郷愁を渦巻かせる赤い双眸は、先ほど話題に上がったディプラクラを思い出させる。


 過去の僕ならば、神のもたらす奇跡や『糸』など、宗教的で非現実な話と一笑に付すだろう。


 しかし、もう難しい。

 千年前のクウネルが見たように、ここ数年のカナミたちによる奇跡や『糸』を身近で感じて、現実として見てしまっている。


「千年前、いま以上に迫害されていた『魔人』たちを救ったのは、間違いなく『大いなる救世主マグナ・メサイア』だった。大陸中に張り巡らせた『糸』によって、少しずつ『魔人』たちの世界は救って頂けた。……だから、今度は奴隷や『魔石人間ジュエルクルス』にも、『糸』を垂らして救って頂く。もちろん、ただ願うだけではない……。その『大いなる救世主マグナ・メサイア』の『糸』の負担を、少しでも減らそうと働こうとしているのが、いまのあてだ……! そのあてと同じ役割を、エルミラード・シッダルクも担っているはず! 主の作る流れを、ずっと感じているだろう!? この世界の不平等の代表者である君こそ、世界の不平等を正す英雄になれる! その『神』の期待にっ、応えろ!!」


 クウネルは僕を誘い、暗がりから手を伸ばした。

 さらに勧誘の言葉は重ねられ続ける。


「エルミラード、『南北戦争』最前線の光景を思い出せ……。あのとき、君は誰よりも心を痛めていたはずだ。フーズヤーズは富と安定の為ならば、あれをいくらでも繰り返すぞ? 貴族の上澄みの君だから、思い知ってるはず。この『終譚祭』を過ぎて、『南北連合』による復興が終われば、また必ず繰り返される……! そうなる前に、世界を根元から変えるしかない! 戦火と格差を生み続けた『元老院』に代わって、あてたちで戦火も格差もない世界を作るしかない! 富も『魔の毒』も平等に分配されるようになり、もう不相応な弱い個人に集まり過ぎることはなく、不安定で危険な爆弾てんさいが生まれなくなる……。そうなって初めて、やっと『世界を救った』と言える!」


 クウネルは『世界を救う』という文句と共に、手を伸ばし続ける。


 予感があった。彼女の手を取れば、僕は『神』に選ばれたかのように英雄となれるだろう。栄光の未来が、瞼の裏に映って見える。だが、その勧誘は――


 これで二度目だ。


 かつて本土の大聖都で、似た言葉を『光の理を盗むもの』ノスフィー様と『血の理を盗むもの』ファフナーに囁かれた。

 あのとき、僕は『理を盗むもの』二人の手を取り、取り返しのつかない流れを生む一端となった。


 あの選択を間違いだとは思っていない。『後悔』もしていない。ただ学ぶことが、本当に多かったのだ。


「ああ、クウネル姫。……僕は世界を変える英雄になりたい。この手で『元老院』やフーズヤーズを変えれば、さらに世界は良くなるとも信じている。それが『素直』な気持ちだ。……だから、あのときの僕は『血の理を盗むもの』に魅入られて、呑み込まれた」


 あの本土のフーズヤーズ城では、多くの死人が出た。


 その中には、『元老院』の惨殺も含まれている。望み通り、僕の嫌った『元老院』は消えて、別の者が成り変わったが……そのあとに待っていたのは、また別の『世界の敵』だった。……よくある話だ。


 だから、次に思い出すのは、今朝に会った『血の理を盗むもの』。

 かつて僕を魅入らせたファフナーが、入院中の僕の前に現れた。

 その隣には、願いを共にして同志となったグレン・ウォーカーが、僕以上の『魔人返り』によって取り返しがつかなくなっていた。


 あのときの二人の表情と言葉を思い出す。

 それだけで、僕の心臓の鼓動は早まる。

 もしかしたら、もう二人は迷宮の『最深部』で――


 つまりだ。

 申し訳ない理由だが、単純に先約があるのだ。

 あの二人に、もう一度だけパーティーを組んで欲しいと手を伸ばされて、僕は手を取った。


 だから、迷えない。

 この先で、グレンたちが僕の到着を待っている限り、クウネルの手を取ることはない。


「クウネル姫、悪くない誘いだった……。しかし、一つだけ問題があるとすれば、それでは何も変わらないということだ。確かに、このまま『神』とやらに任せれば、奴隷も『魔石人間ジュエルクルス』も消えるかもしれない。しかし、それは代わりに『神』という最も低い差別階級に、カナミを落とすだけの話だ。戦火は消えても、彼を孤独な戦いへ永遠に放り込むことになる。……それで『世界を救った』というのは、あまり優雅な話ではない」


 クウネルの提案は、神と奴隷の立ち位置を変えるだけ。もしくは、別の言葉で上書きして、消えたように見せかけるだけ。


 そして、その新たなシステムの美味しい部分を、クウネル一人で搾取したがっているように感じるのは……、その提案が千年前のティアラの『一人勝ちによる大陸の支配』に似ているからだろうか。


 という僕の考えを彼女は察したのか、すぐにクウネルは纏う空気を変えて、勧誘のアプローチも変える。


「……そうやって、君が格好つけられるのは、千年前の悲惨な状況を知らないからだ。あの暗雲の時代では、『魔人』たちがゴミのように使い捨てられた。あの何百年も続いた地獄を変えられたのは、『糸』だけだった。ティアラ様とヒタキ様が消えたいま、主が『糸』を垂らさなくなれば……、全てが元に戻るぞ? 『魔人』の迫害がなくなったのは『糸』のおかげなのだから、当たり前の帰結だ。獣人は『魔人』に戻り、人が『人』であることすら分からずに死んでいく時代に戻る……。そうしない為には、永遠に『糸』を張って貰い続けるしかない。『魔人返り』した君を見る周囲の目を、よく思い出せ。もうすぐ近くまで、その時代が――」

「ノスフィー様の『魅了』にもかからなかったんだ。君の『魅了』も同じだよ」


 もう十分だと遮った。

 続いて、暗がりで輝く彼女の『吸血種の魔眼』を指差す。


 ファフナーからの情報ではあるが、その力は知れている。

 いまのクウネルは、もう歴史書に書かれた無力でひ弱なお姫様ではない。そして、途中から対等な話し合いを諦めて、その『吸血種』の力を使ったということは、もう対等な関係を僕に望んではいないということ。


 話の全てが出鱈目だったとは思わないが、もう素直に受け取ることは難しい。

 瞳を指差されたクウネルは、少しだけ驚いた表情かおになり、渋々と頷き出す。


「…………。……せやね。いまのは流石に、ちょっと強引でオーバーやったね。……あぁ、やっぱり今日は興奮しちゃってるんかな? いつもとなーんか違うな、いまのあてー。へっへっへ……」


 笑い出す。

 僕と共に彼女を挟み込んでいるフェーデルトは厳しい目つきのままだが、彼女の急変する態度にペルシオナ・クエイガーは追いつけず、酷く困惑していた。

 そのクエイガー君を落ち着かせる為にも、この雑談を軽く広げていく。


男子ぼく好みの小難しい話をしてくれたみたいだが、こっちは単純明快なんだ。……そんな美味い話はない。カナミ一人が頑張れば、戦火が消える? ありえない。たとえ全人類を洗脳できても、それは簡単なことではない。もし出来たとしても、近づけるまでだろう」


 貴族としての経験が浅く、若輩の自分でも分かることだ。


 耳触りがいいだけの『理想』論だと、僕はクウネルだけでなく、奥にいる二人――とさらに奥の『切れ目』にいるであろう者たちに向かって、断じた。


 奥の奥にいる者はショックを受けていそうだが、クウネルは気楽に認めていく。


「……ねー。消せる消せないの二択なわけないよね。一つの逆転アイディアであっさり解決出来るわけでもない。もっと話は複雑で……、地道な作業に無限の時間をかけて……、どうにか消えているように見える状態に近づけて……、その嘘を必死に守り続けるだけ……。結局、『誰か』が頑張るのは変わらないんよね。それは『神』でも『魔法』でも変わらない。……変わらないんよ、会長」


 僕が騙されないと分かると、すぐに方向転換して、こちらの価値観に寄り添ってくる。ただ、僕は拒否代わりに、こちらからも手を伸ばして誘い返してみる。


「ああ、だからさっきのはとてもいい作り話で……、いい演技もしていた。九十五点くらいだ。……最近、このグリアード国でシッダルク家の運営する劇団ができたのだが。入団を望むのなら歓迎しよう、クウネル姫」


 合格点だと、評価し返した。


 その意趣返しをする僕を見て、こちらが『世界を救う』という言葉に、いまは拘っていないと気づいたようだ。

 クウネルはここまでの固い空気を払うように、趣味の話で盛り上がってくれる。


「んー。へへっ、そうやね。役者じゃなくて、裏方の衣装係ならいいかな? あっ、お姫様役なら構わんでー。先に言っとくけど、悪役とか『吸血種』役だけは絶対嫌やからね」

「それは惜しい。普段の君ならともかく、いまの君は大変似合う気がするのだが」

「似合うから、やりたくないんよね。……似合うって言葉は、『生まれ持った違い』や『呪い』みたいで、あては嫌い。嫌いだったんよ」


 友人同士のような雑談の末に、僕たちは否定し合い終える。

 口調は軽いが、確かな決裂が生まれた瞬間だった。


 そして、すぐにクウネルは、次を語り出す。いま否定した悪役や『吸血種』らしく、冷酷さと孤高さを感じさせながら――


「フェーデルト、あなたのご指摘通りですよ。この『終譚祭』で会長の余裕がなくなるので、目を盗んでフーズヤーズの力を削ぐチャンスだと思っていました。正解です」


 ただ、呼びかけた名には背を向けたままだった。

 独白で堂々とカナミを軽んじ、フーズヤーズへの敵対を認め、僕に向かって歩き出す。


 空気が変わった。

 まるで倉庫裏の空気を、真っ赤な血で染めたような鉄臭さと生臭さを感じる。

 原因がクウネルの魔力であると、高レベルの魔法使いである僕とペルシオナの二人は分かった。


 明らかに、お気楽でひ弱と噂される姫が持っていていい魔力ではない。

 書物だけで知る伝説の『吸血種』を思わせる濃さと禍々しさの中、彼女の独白は続く。


「あては『魔人』が迫害される未来が怖い……。ティアラ様やヒタキ様の残り香のするフーズヤーズも怖い……。もっともっと、あてが『安心』できる世界を作りたい。もし、それを作るのに『代償』があるのなら、それは全部会長に払わせる。いまさら、それの何が悪い? みんなやっていたことだ。おまえたち・・・・・みんなが・・・・――」


 千年前の者たち特有の遠い目をしていた。

 恨むように「おまえたち」と言っているが、目の前の僕を見ていると思えない。


 ゆったりとクウネルは歩き、暗がりから出ようとする。

 瞳と魔力が、先ほどとは打って変わっている。その空気の不気味さに背中を押されるように、まずクエイガー君が駆け出した。


「シッダルク卿!!」


 本能的に、いまのクウネルから危険を感じたのだろう。

 事前の全命令を無視して、その軍用の馬アルァウナに似た四足を動かした。

 それに僕も頷いて応えて、駆け出す。


「ああっ!!」


 二人で挟み込み、強引にでも彼女を拘束する。

 先ほど迷宮前で見せた召喚術を行使される前に、迅速に。


 重傷を覚悟してもらう魔法を無詠唱で構築しながら、真っすぐ相手を睨みつける――その視線の先で歩いているクウネルの口が動く。


「連合国の誇る若き天才が二人。しかし、所詮は『魔人返り』のなりたてだ」


 零れる声を聞き終えた瞬間。

 ずっと見据えていたはずのクウネルの身体に、赤い霧が纏わりついていた。


「…………っ!?」


 そして、次の瞬間には、霧のように姿が掻き消えた。

 こちらの瞬きに合わせてだが、一瞬だった。


 魔法の発動は全く感じられず、その消えた跡の地面の石畳は穿たれ、砕けて、飛び散っている。なら、足で駆け出した? だとしたら、目ですら追えないレベルの『速さ』だ。しかも、虚の突き方と霧の魔法の利用も含めて、次元魔法を駆使するカナミを思い出させる――と考えた瞬間には、次のクウネルの声がどこかから零れて、耳に入る。


(――どちらの混じりも希少と言えず、千年前ならば見慣れた変化と力だ。上位の『魔人』には程遠い――)


 クウネルを見失ってしまった。


 しかし、向かいにいるクエイガー君の視線の動きで、どこにクウネルがいるのかはわかる。

 すぐさま僕は振り返りながら、無詠唱の《フレイムアロー》を右手から、《アイスアロー》を左手から放つ。


「そこ――、っ!?」


 が、振り返った先に期待する相手はいなかった。

 海と桟橋、それと大量の船。誰もいない。


 しかし、また聞こえてくる声。今度は背後から。


(――病み上がりの男が自惚れている。せっかく、星の魔力に手を出したというのに。その自らの強みを捨てて、一人でやって来て何ができる――)


 姿が捉えられず、僕一人では何もできないと侮辱された。

 苛立ちが募る。他の何よりも、納得いかない言葉があった。

 強みを捨てただって……?


「どっちがだ!!」


 また振り返りながら、魔法を放とうする。

 が、その先にまたクウネルの姿はなく、声だけが後ろから耳に纏わりつく。


(どっちが? 勘違いして貰っては困るが、あては君と違って一人でって来た――)

「――――ッ!?」


 姿さえ捉え切れない。なのに、両足の甲に痛みが走った。


 短くて細いが、血を固めた矢のようなものが一本ずつ、突き刺さっている。

 おそらくは、《ブラッドアロー》。僕以上の精度と速度で、無詠唱の魔法を当てられたようだ。


 そして、二度振り返ったことで、僕の目前に駆け出していたクエイガー君が見える。

 彼女も『獣化』した足の甲に《ブラッドアロー》を受けて、困惑していた。


 いま、僕とクエイガー君の視界から、完全にクウネルを見失ってしまった。

 ただ、まだ声は聞こえる。


 今度は足元からだった。いつの間にか、あちこちに地面から染み出したような血溜まりが発生して、そこからクウネルの振動こえが形成されていく。


(あては千年前から、ずっと我がイングリッド商会モットーの「必ず勝てるまで我慢する」も守っている。だから、本当に勘違いして貰っては困る。いまのあては、危険を冒してここにいるわけではない。ただただ余裕しかなく、君ら程度と勝負する気もない――)


 どこかの誰かを思い出させる言葉の途中で、背後から魔力の接近を感じた。


 クエイガー君も同じく、察知したのだろう。二人して、左右に飛び避ける――と、先ほどまで自分たちがいたところに細くて速い《ブラッドアロー》が飛来して、通り過ぎて行った。


 また背後から。

 すぐに視線を港中に彷徨わせたが、赤い霧しか残っていない。

 というよりも、その赤い霧が尋常でなく増えている。異常に濃く、視界が悪い。


 状況は、さらに悪化していく。


 先ほど増えた血溜まりの中に、戦闘に向かないフェーデルトが沈もうとしていた。

 地面は石畳のはずだが、底なし沼のように下半身が埋まっている。慌ててクエイガー君が負傷した足を無理やり動かして、救出しに向かうが――フェーデルトに意識を向けた瞬間、また背後から《ブラッドアロー》が飛来してくる――のを、また僕たちは避ける。


 この程度なら、避けられる。だが、《ブラッドアロー》を避けるだけでは足りないと、衣服の端に付着した血にこもった魔力から感じた。


 このまま、血が付着し続けるのは不味い。

 すぐに呼吸は止めたが、この赤い霧も視界を塞ぐだけとは思えない。

 さらに言えば、例の『吸血種の魔眼』の影響があってか、少しずつ身体の動きが鈍化していくのも感じる。


「…………っ!」


 大きな魔法が直撃することはないだろう。

 しかし、このまま赤い霧と血溜まりが増え続ければ、いずれは完勝される。


 下唇を噛んだ。

 明らかに戦いを得意としていないクウネル相手に、ここまで翻弄されるのは屈辱――と考えたのは、こちらだけではなかった。


(ちっ……。……お願い致します。どうか、この者たちを罰する力を――)


 赤い霧が充満した中、飾りのない苛立ちの舌打ちが響いた。

 どうやら、この圧倒的な状況でもクウネルは、短期決着できなかったことに不満を抱いているようだ。すぐに応援を頼む声が聞こえた。ただ、その祈りの先は――


(――清掃員様。我らが虐げられし『魔人』たちの王よ――)


 カナミでも『神』でもない。

 清掃員という役職名を王と讃える声が、赤い霧の中から響いた。


(あなたを虐げた貴族たちの子孫に、復讐を。いまや、あてだけが憐れな『魔人』たちの『最後の一人』。いまこそ、お譲りした『血の理を盗むもの』の魔石の代価を。――血術・・《新聖暦零年フーズヤーズ第十三魔障研究院》)


 『詠唱』のように祈りが捧げられたあと、魔法が紡がれた。

 すると、両の足に急激な重みが加わる。血溜まりたちが急激に広がり、嵩を増して、地面が血の浅瀬に変わっていっていた。

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