494.シスとディプラクラ



 私は風を切って、鳥のように。

 『終譚祭』で賑わう連合国の空を、魔の翼で飛翔していく。


 地上に、見上げて手を振っている人たちがいる。やっとお祭りの高揚感を共にできた気がする私は、笑みを浮かべながら真っすぐ飛び続けた。


 使徒ディプラクラが暴れているという報告を聞いて、すぐに私は神殿の窓から飛び立った。


 私の背中に、竜人ドラゴニュートたちのような翼はない。しかし、魔力を集めることで、魔法で飛べる翼を構築できる。ただ、その飛行は大量の魔力を消費して、疲労も激しい、はずだったのだが――


「……身体が軽い?」


 先ほど、ディアと魔力を通わせたからだろうか。

 心身を一致させて、迷いがなくなったからだろうか。

 調子が良かった。空を飛ぶのに、全く不自由がない。


 本当に、ディアには感謝してもし切れない。

 それと非常に迷惑で癪だったが、ヘルヴィルシャインの小娘も。

 彼女たちが大聖堂に現れたことで、私の『終譚祭』の流れは大きく変わった。


 後方で聳え立つフーズヤーズ大聖堂を、一瞬だけ視界に入れる。

 先ほどの諍いの収拾は、フェンリル・アレイスに任せた。

 負傷しているが、人望ある彼なら安心だろう。あの威勢のいい老剣聖は、その為に来てくれたような節があった。


 そして、神殿が落ち着けば、ディアとフランリューレ・ヘルヴィルシャインも、あの獣人セラ・レイディアントの背中に乗り、地上を走って追いかけて来る。


 しかし、その前に。

 私は先んじたい。


 なぜなら、この先にいる相手は――


「ディプラクラは同じ使徒……。ううん、私の家族だったから……」


 連合国の『青い空』を飛翔しながら思い出すのは、千年前の暗雲時代。

 『最深部』にいる元主ノイ様の力で、肉体からだを頂いたときの記憶だった。


 小国フーズヤーズを足場として、「世界を救う」という使命を与えられた私たち使徒は三人一緒に生まれた。

 いま思えば、これを三つ子の家族と呼ばずに何と呼べばいいのか。


 成人の姿を与えられた私。

 子供の姿を与えられたレガシィ。

 老人の姿を与えられたディプラクラ。


 異なる肉体と属性を与えられたのは、ノイ様からすれば色々な視点からアイディアを出して欲しかったのだろうが……。致命的な失敗だったと、いまなら否定できる。


 なにせ、生まれたばかりの私たちは、我だけは強いのに性格はバラバラ。

 表では協力していたが、裏ではいがみ合っていた。


 ああ、本当に嫌いだった。

 ディプラクラもレガシィも大嫌いだ。

 せっかくの「世界を救う」という素晴らしい役目を、どうしてこんなやつらと一緒に果たさないといけないのかと私は思っていた。使命ゆえに、ひた隠しにしてきたが――いまなら、「あなたたちが嫌いで良かった」と、隠さずに堂々と言える気がする。


 結局、嫌いな人なんて、いくらでも他にいた。

 むしろ、全く嫌いになれない人こそ、本当に危険な存在だった。あの『異邦人』の兄妹のおかげで、色々と私は学んだ。


 嫌いでも構わないのだ。

 嫌いな相手が家族でも、何もおかしくない。

 嫌いで合わない相手こそ、自分に足りないものを持ってくれていて、補え合えることもある。


 千年前、使徒わたしたち三人は互いに嫌いと認め合って、その上で協力して進むべきだったのだ。


 悔やみつつ――しかし、まだ遅くないと、前を向く。

 間に合わないとも思わない。

 千年後だろうと、あの『理を盗むもの』たちが救われて、生き抜いたのを私は見てきた。

 千年前の約束通りに、カナミたちが奇跡みたいな『魔法』を、たくさん私に見せてくれたから――


「…………っ!」


 見つけた。

 見知った魔力を感じ取った私は、飛翔から滞空に変えて、街を見下ろす。


 視線の先は、連合国の北にあるフーズヤーズ国の高級街。

 レイディアントは「フーズヤーズの街中で暴れている」と言っていたが、さほど大聖堂からは離れていない。番地を区切っている街道は広く長く、その左右には頑丈な家屋が建ち並んでいる。


 そのたくさんの建物の屋根を足場に、飛び跳ね回りながら争っている面々がいた。

 まるで『舞闘大会』のように、中距離での魔法を主軸にした集団戦だった。


 その争いの中心に、赤黒い長髪を垂らした歪な長身の男がいる。

 手足が異様に長く、肩に枝葉が伸び、頭の上には魔力の光輪が浮かんでいる。その男から感じる魔力が、使徒の私と酷似しているので間違いない。神聖魔法で光輪を飛ばすという戦術も、私と一緒だ。


「ディプラクラ……!」


 姿が私と同じく、非常に若々しい。

 元主から頂いた『表皮かわ』を、ついにディプラクラは脱ぎ捨ててしまっていた。


 さらに言えば、捨てているのは『表皮かわ』だけじゃない。

 クウネルと一緒に出たときに率いていた部隊が、周囲に一人もいない。

 待ち伏せした迷宮入り口に置いてきたのか。それとも、使徒の暴走には付いていけないと見捨てられたのか。どちらにせよ、いまディプラクラは、独り。


 その孤立した使徒を、探索者と思われるパーティー二つが挟み込んでいる。

 片方のパーティーには、見知った顔が揃っていた。

 カナミがマスターをしているギルド『エピックシーカー』のサブマスターたちだ。剣士ヴォルザーク、魔法使いテイリ・リンカー、闘士レイル・センクスの三人。


 もう一方はギルド『スプリーム』だったか。私にもカナミにも関わらないギルドなので自信はなかったが、こちらも三人組だ。


 空の視点のおかげで、状況が把握し易い。

 三人と三人が使徒を挟み込み、中距離からの魔法で足止めを徹底している。

 さらに、その七人の戦いを、負傷したらしきギルドメンバーたちが回復魔法を掛け合って、遠巻きに見守っている。そのさらに外側では、『終譚祭』の一般参加者を避難誘導している騎士や『魔石人間ジュエルクルス』たちがいる。


 流れが、少しだけ見える。

 おそらく、自分たちの大事な街を護りたいギルドの人たちが、交代でディプラクラを抑えようとしている。


 もっと状況確認したいところだが、これ以上は放っておけない。

 ざっくりと避難を確認し終えたあと、すぐに私は空から飛び落ち近づきながら、名前を呼ぶ。


「――ディプラクラッ!! 私よっ!!」


 鳥が飛ぶ高さから表情かおを視認できる距離まで縮めたところで、向こうも私に気が付いたようだ。

 空に向かって、仲間を歓迎する声を返す。


「シス!? こちらに来たのか!? しかし、大聖堂にエルミラード・シッダルクとセラ・レイディアントが逃げ込んだはずじゃ! あの二人は、主をおおやけで侮辱した! 儀式を脅かす可能性があるゆえ、すぐにおぬしは戻り、あの狼藉者たちを捕まえて――」

「――《インビラブル・フィールド・奉還陣リターン》!!」


 これ以上被害が拡がらないように、まずフィールド魔法を構築した。

 『舞闘大会』を思い出させる規模の戦いだったので、あの劇場船で使用された結界が適切と判断して、選んだ。いまの私にできる最大のアレンジも、結界には加えておく。


「な、何をしておる?」


 私の突然の魔法にディプラクラは驚き、硬直した。

 それは周囲で戦っていたギルドの面々もだった。


 これ幸いと私は、六人の猛者たちに向かって叫び、命令する。


「ディプラクラは同じ使徒であるシスが静める!! この結界は中から出られるから、すぐにあなたたちは離れなさい! 長居してたら、溶ける・・・わよ!!」


 魔法《インビラブル・フィールド・奉還陣リターン》は空にいる私を中心として、球体状の特殊な輝く決闘場を作り上げている。

 遠目から見ると、地上に落ちた太陽と見紛うだろう。


 もし猛者六人が、このフィールド内に留まろうとすれば、色々と困ることになる。

 それゆえに攻撃的なアレンジを加えたが……。


 その私の心配は、すぐ杞憂に終わる。

 レイル・センクスが私に頷き返して、周囲に指示を飛ばし始めたのだ。「目的は果たした!」と口にしながら、迅速に他五人を離散させて、結界の外に出て行った。


 どうやら、私はカナミだけでなく、他の誰かの計画にも組み込まれていたらしい。

 ただ、その誰かを考えるよりも先に、まずは目の前に集中する。


 残された私とディプラクラが、空と屋根上で向かい合う。


 いままで戦っていた相手が逃げたのをディプラクラは気に留めず、私が構築したフィールドを見渡していた。

 そして、すぐに街中で輝く『魔石線ライン』を利用して広がっていると気づき、古い名前を口にする。


「この結界は、もしや……。溶ける・・・ということは、千年前の『世界奉還陣』か?」

「ええ、あれを改良したものよ。……決闘場程度の広さで『魔石線ライン』があるならば、もう準備は要らないわ。結界は使徒以外を全て拒絶する」


 思えば、千年前の私はティアラと共に色々なものを作ったものだ。

 その中の『魔法陣』は、カナミから悪意ある罠だったと教えられたが――あえて、同じものを構築して、ディプラクラと向き合う。


「使徒以外を拒絶……ということは、儂と一対一で話したいことがあるのか? それとも、この機に乗じて、また千年前のように儂を消そうと考えておるのか?」

「どちらも、違うわ。……それと、千年前のあなたの封印は、私が未熟ゆえの大失敗よ。ごめんなさい」


 私の言葉と魔法をディプラクラは怪しんでいた。

 ただ、その疑いは尤もで、私は謝る他ない。

 使徒だけ害さない結界にしたのは、こちらからの敵意はないからだ。どうか信じて欲しい。


 ただ、その続いた言葉が殊勝過ぎる私を、彼は不思議がる。


「シス……? 本当にどうした? どちらも違うならば、この中で何を……」

「いまから、私は『最深部』に戻るわ。……もう一度、ちゃんとカナミと話をする。そのとき、少しでも苦しそうな顔をしたら、『世界の主』から引き摺り下ろすつもりよ」


 混乱するディプラクラに向かって、目的を端的に伝えた。

 時間を惜しんだゆえだったが、むしろ理解に時間のかかる説明だったようで、目に見えて混乱は増していく。


「……は? 待て。どうして、そうなる? ……ありえんっ、シスよ!!」


 意味を呑み込んだ瞬間、その声は膨らんだ。

 荒々しい追及が私に向けられる。


「共に、あの『最深部』で誓ったじゃろう!? 『神』となった主を、地上から支え続けると!」

「いいえ。私が新しく誓ったのは、カナミを護ることよ。『世界の主』でも『神』でもない。……私は『私の世界』から、カナミを『なかったこと』にしない」

「『なかったこと』になったとしても! 主は『神』として、この『世界』を生き続けるという話じゃろう!? それに、もし主を引き摺り下ろせば、誰が『魔の毒』の調整をすると言うのだ!? おぬしは「世界を救う」という使徒の使命を忘れたか!?」

「使徒である前に、私たちは『人』だったのよ……。他のみんなと変わらない『人』だから、こうして悩んで、後悔して、間違えも――」

「間違えはせぬ! 『神』の道標がある限り、そのしもべである我らが間違いを犯すことは二度とない! 主となった『神』の力は、『最深部』で見たじゃろう!?」


 自分たちは間違っていないと、ディプラクラは力強く否定し続ける。

 私も負けじと力強く、自分の考えを訴えるが――


「ええ、見たわ! でも、カナミも私たちと変わらない! ただ、『生まれ持った違い』を押し付けられて、呪われてしまった・・・・・・・・』――」

「――――ッ!! 二度とっ、それを口にするでない! 祝福されし『神』を侮辱するようなことを! ――《ディヴァインサークル》!!」


 心をぶつけ合う話し合いで、私は逆鱗に触れた。


 あの温厚なディプラクラに仲間への攻撃魔法を即決させるほどに、その失言は使徒の根幹を揺るがすものだった。


 ディプラクラは訂正させようと、その長い腕の先から、輝く魔力を固めた円輪を十近く生成して、矢のように鋭く放つ。


「…………っ!!」


 ディプラクラの先制攻撃を、私は全て回避し切れなかった。

 なんとか身を捻って、胴体への直撃だけは避けたが、手足と翼に被弾してしまう。


 まず左腕と右足が綺麗に切断された。

 次に翼も切り裂かれてしまい、いかに特殊な飛行方法と言えども、滞空を保てなくなる。


 ディプラクラがいる屋根上に向かって、私は落下していく。

 もう片手片足しか使えなかったが、傾斜の少ない屋根のおかげでなんとか着地に成功する。

 『魔法生命体』のおかげで、まだ致命傷には遠い。

 だが、地に落とされた私を見て、ディプラクラは身の魔力をうねらせて、容赦なく叫ぶ。


「見よ! この力を! 我らの身体を! この『魔の毒』に祝福されし姿の――どこが『人』じゃ!!」


 あのディプラクラが力を誇示している。その「我らの身体」とは、私とカナミの『魔法生命体』も含んでいるのだろう。


 自らの主と『使徒』が特別であることを、心の頼りにしていた。

 その様は、かつての私と同じ。

 だからこそ、私が膝を突いて、身を起こして、話を続ける。


「私たちは魔力と素質に少し恵まれた『人』よ。どこも特別じゃない」

「シス、それは千年前の儂の言葉じゃ。その優しいだけの言葉では何も変えられぬと、もう学んだはず……。優しさや支え合いが、何の役に立った!? いつだって、物事を決めたのは理不尽な強き力のみ! この使徒として生まれ持った理不尽な力だけが、唯一儂らの世界に対抗できる方法じゃったろう!?」

「けど、その特別で強い使徒が千年前に出来たことなんて、大してなかったわ……。結局、私たちは他のみんなと変わらなかった……」


 それどころか、ティアラや陽滝に利用されただけ。

 その事実を突きつけると、ディプラクラは口ごもった。


 そして、表情を何度も塗り替えたあとに、自嘲し始める。


「…………。……ふ、ふははっ。そうじゃな。この使徒の理不尽な力さえも、『神』と比べれば矮小。大したことはない。千年前の「世界を救う方法」を探す戦いが、全て茶番じゃったことも認めよう。ふ、ふはははっ、ふふははっ……」


 認めて、視つめる先は、何もない宙。

 例の『切れ目』の奥にあるものに、盲信の瞳を向けて、話し続ける。


「しかし、茶番だったのは最初からじゃぞ? 儂らは地上で何十年も必死に、元主ノイ様のお役に立とうと、「世界を救う方法」を探したな? ……しかし、一度もノイ様から経過を聞かれることはなかった。いまならば、それがどういう意味か分かるはずじゃ」


 ここに来て、ノイ様への不満を口にするのは私だけじゃなかった。


 先日、『世界の主』が交代したことで、ディプラクラも生みの親を否定できるようになっていた。


「儂らは生まれたつくられたときから失敗で、全く期待されていなかったのじゃ! おぬしも『最深部』で、ノイ様の表情かおは見たな? 使徒など一度も信じていなかった表情かおをしておったろう!? ノイ様が信じていたのは、新たな主となった『神』のみじゃ! ふははっ!!」


 使徒たちは誰にも必要とされていなかった。

 使徒の力を振りかざしながら、ディプラクラは恨むように訴え続ける。


「そして、その『神』さえもっ! 儂らが呼んだかと思いきや、全く関係なかった! 放っておけば、妹ヒタキの力によって必ず現れると決まっておった! それを儂らは使徒じぶんたちの手柄と勘違いして……、ははっ、滑稽じゃったな? ああ、とても儂らは滑稽じゃった!! ふ、ふふははっ! ふははははは、はははハハハハハッ!!」


 腹を抱えるような大笑い。

 老人の姿ならば許されなかった下品な行為だが、もうディプラクラは解放されている。


 ――本当は、この本音がずっと心の奥底に溜まっていたのだろう。


 千年前に噂されたディプラクラは、使徒の中で最も優秀で、常に穏やかで思慮深く、人に優しく、人望があった。

 それが私は疎ましくて大嫌いだったが、一皮剥けばこんなにも千年前の私そっくりなのだ。

 まるで、家族のように。


「しかし、よい! それで、何もかもよい! 『使徒』の全てが無駄でも、『神』は現れたのじゃからな! その『神』は、この『使徒』たちさえもお救い下さる!! ならば儂らがやるべきことは、カナミを『神』として崇めること! 崇めること崇めること崇めることっ!! それのみじゃろう!? シスッ、すぐに『神』の軽視を撤回せよ!!」


 その自棄になった姿は、『理を盗むもの』と似ている気がした。


 いま思えば、ノイ様の作った『使徒』は全て、『理を盗むもの』の試作だったのだろう。ゆえに同じく、『呪い』に弱い。


 この二か月、ディプラクラの傍で干渉した『理を盗むもの』は、血と無と次元の三人。その中でも特に、『次元の理を盗むもの』カナミと相性が良く、『狭窄』の影響を強く感じる。

 いや、もしかしたら、ディプラクラ自身が『狭窄』を望んだのかもしれない。

 カナミと同じように、もう自分の見たいものしか見たくなくて――


 私が小さく首を振ると、ディプラクラは悲しそうに笑い訴え続ける。


「もう『神』のみを見ようぞ……!? ただ『神』だけを信じていれば、それで『儂たちの世界』は救われるのじゃ! もう『神』の他に必要なものなど、この世にない……! ああっ、儂もノイ様と同じ考えじゃ! この『世界』に『使徒』は、もう必要ない!!」


 前を見ているようで見ていないディプラクラが、前に歩き出した。


 『狭窄』によって自分を見失った使徒が近づいて、腕を伸ばしてくる。

 その手はゆったりと優しく、善意からで――そして、大いにずれて・・・いる。


 悪寒が走った。

 咄嗟に私は、膝を突いたまま、ディプラクラの手を払おうと左腕を振る。


 先ほどから、ディプラクラが周囲の生物から『魔の毒』を奪い、吸収しているのは分かっていた。

 私の結界と同じく、『世界奉還陣』に近い術式を、その身に施しているのだろう。


 しかし、振り払った手は、あっさりと掴まれてしまった。

 直接触れられて、私の腕は魔力の粒子にほつれ始める。


「ははっ、シスよ! やっと儂らは『使徒』の永き旅を終えて、最後の答えに辿りついたな! それは『神』に逆らえば、存在する価値はないという真理こたえ! ふはははは!!」


 もう目どころか、完全に会話が合っていなかった・・・・・・・・

 引き戻そうと、とにかく私は言葉を投げかけ続ける。


「ディプラクラ……、ちゃんと私たちを見て……! 『使徒』や『神』なんて役割じゃなくて、私たちのことを、しっかりと――!」

「しっかりと、『使徒』というくだらない玩具を片付けるときが来たな! 『神』が見守る世界では、無駄に力だけある『使徒』は必ず邪魔となる! ――ゆえに、早くっ! これ以上、滑稽な姿を晒す前に早く! 『使徒』の伝説を汚す前に早くっ! この愚かな使徒たちが、『神』や民に見捨てられる前に早くっ!! 先んじて消えることが、「『儂らの世界』を救う」という使命の締めじゃろう!! ははっ、ふははは!!」

「くっ、ぅ……!!」


 私の身体は、魔力で構成された『魔法生命体』だ。

 他の生物よりも身体の『魔の毒』はほつれ易く、吸収される速度が早い。


 その私の身体を心配するように、ディプラクラは目の前で囁く。


「シスよ、大丈夫じゃ……。すぐに儂も、おぬしに続く……! この『終譚祭』を境に、世界を救った『使徒』たちは全員、人知れずに消え去るのじゃ……! それで大陸には、『使徒』による平和と偉業だけが遺される。綺麗じゃろう? 千年前の・・・・……、あの千年前の綺麗で素晴らしき日々だけを残して……。儂たちは消えることができる! ああ、そうじゃった! あの千年前さえ残っていれば、もうよい! 儂に悔いなどない――!!」


 ディプラクラは自嘲しつつ、安心しながら、使徒に死を求める。


 『矛盾』していると思った。

 絶対的な『神』が見守ってくれているから完璧と言いつつ、使徒じぶんが『幸せ』に生きる未来を諦めてしまっているのだから――


「ディプラクラ……、あなたは……」


 『神』と口にするとき、ディプラクラの表情かおに絶望が滲んでいるように見えた。

 逆に、いま「千年前の・・・・」と口にしたときだけは、若返る前の好々爺のような穏やかな表情かおをしていた。


 共に生きた私だから、共感できる。

 だって、私もよく覚えている。

 千年前に使徒として――いや、カナミとヒタキとティアラの友達として一緒に過ごした日々は、本当にかけがえのない宝物だった。


 そして、その宝物は私一人だけのものではない。

 私の場合、特にヒタキと仲が良かった。だが、ディプラクラの場合――


 ――いつもカナミと一緒だった。

 気の合う二人は『呪術』開発から始まり、一緒に行動することが多かった。

 子供のように造語をたくさん作っては、はしゃぎ、互いに楽しく使い合っていたのを覚えている。『レベル』や『ステータス』の概念システムを構築したのも、この二人だった。

 千年前、カナミの部屋に行けば、いつもディプラクラはいた。

 そして、二人で何かを作っていた。基本的に、『呪術』に関わるアイテムの作成が多かった。だが、他にも衣服の作成をしているのも見たことがある。『裁縫』『編み物』の他には、『料理』『菓子作り』なども――


 カナミの持つ生活系のスキルのほとんどが、ディプラクラと共に育んだものだ。

 私やレガシィと違って、家庭的な二人の趣味は合っていたのだ。


 そう。

 千年前のカナミとディプラクラは、本当に合っていた。

 いつだって仲良く笑い合っていた。

 だから、いまディプラクラが『狭窄』して、見つめている焦点の先にあるのは、きっと『神』じゃない。


 私はディプラクラに向かって、言葉を叩きつける。

 心をぶつけ合うように。


「ディプラクラ!! あなたが本当に守りたいものは何!? 完璧な『神』の存在!? 崇高な『使徒』の使命!? 違うわ! そんなものよりも、あなたは『千年前の・・・・――!!」

「それ以上何も言うなっ、シスッ!! 儂ら『使徒』の誇りの為にも!!」


 叫び返されて、さらに吸収を強められる。

 私の身体の分解が進み、魔力の粒子が周囲に噴出した。


 私にとって魔力は、魂や血と同等に大切なもの。

 それを急速に失うのは、心臓を潰されるのに似ていた。

 激痛が襲い、続きを叫ぶことができなくなる。私の喉から漏れるのは、不安定な嗚咽のみ。


「かっ、ぁっ――!」


 言葉で決着を付けたかった。

 だが、これでは話すことすらできない。


 そして、ここまでの無抵抗によって、もう『魔法生命体』の身体も限界に近い。

 私の身体は目に見えて薄くなっていき、人の形を失い始めていた。


 その私を見て、ディプラクラは勝利を確信して、別れを告げる。


「先に待っておれ……。『世界』から見捨てられたのは、儂も同じじゃ」


 どうやら、ここまでのようだ。


 私もみんなの真似をして、使徒じゃなくて英雄になりたかった。

 家族のことは家族だけで解決できるのが理想だった。

 しかし、すぐに上手くいくほど、現実は甘くはないようで――でも、それで構わない。


 さっき教えて貰ったところだ。

 あとは、一心同体の友に頼ろう。

 『人』も『使徒』も、一人で出来ることはたかが知れているのだ。

 だから、みんなで力を合わせて、行くと決めた。

 自分一人でも誰か一人でもなく、みんなで――


「――《アレイスワインズ・守護剣イージス》」


 後ろから、声が響いた。

 そして、また風が吹く。

 私の全身を包み込む『逆風――いや、追い風の魔法』だ。


 その使用者はフェンリル・アレイスでなく、ディア・アレイス。

 彼女が得意な神聖魔法とは属性が違う。けれど、『剣聖』の指導によって、騎士の剣のように研ぎ澄まされていた。

 間に割り込んできた風が私を護り、攻撃しているディプラクラを吹き離そうとする。


 風は形を得て、百近い刃の群れにもなっていった。

 そのいくつかの切っ先が、ディプラクラの四肢に突き刺さる――が、魔法は護ることに特化している。ゆえに、風の剣はディプラクラの四肢を貫いたように見えるだけで、傷は一つも作らない。

 剣状の風が対象を掴まえ、固定し、強引に押し離そうとする魔法だった。


 だが、それでもまだディプラクラは掴んだ手を離さない。

 ただ、驚愕と疑問の声が漏れる。


「なっ!? だ、誰じゃ……!? いま、ここには使徒だけしか、入れぬはず――」


 先ほど私が張ったフィールド魔法に偽りはないと、肌で感じているのだろう。この戦いに使徒以外は侵入できないと確信していたようだ。


 だが、それこそ千年前からの間違いだ。

 私の物語で、「使徒だけ」だったことなど一度もない。

 世界の運命は使徒だけに託されたと思い込んでは、何度その予定を崩されたものか。


 私は振り向く。

 一つ隣の建物の屋根上に、その崩してくれた一人が立ち、魔法を放っているのを見る。


「シス、勝手に先走るな! おまえの身体は、本当に脆いんだぞ!?」


 思ったよりも近い場所で叫んでいた。

 私のフィールド魔法の意図に気づき、こっそりと近づいて来ていたが、吸収が加速して慌てて姿を現したようだ。


 やはり、嬉しい。

 あなたなら、必ず来てくれると信じていた。

 あなたが私と戦っているとき、あなたの友達を待っていたように、私も――


「あなたが助けに来てくれるのを待ってたの! ディア、いますぐ私の魔法に合わせて! ディプラクラから『使徒』の力を削ぐわっ!!」

「…………っ! ああっ、『ディアブロ・シス』の本気の魔法! 初見せだ!!」


 ディアとは先ほど、十分すぎるほどに心をぶつけ合った。

 多くの言葉は必要とせず、合わせる。

 それだけでいい。


「「――『全ては新たな門出の祝福の為に』。そして、『未来よ光よ巡り合う魂よ愛しさよ』! ――共鳴神聖魔法《シオン》!!」」


 本来ならば、それは光の泡の形状をした魔法。

 だが、吹き抜ける風を道にして、光は通り奔り、巨大な『光の風』と化した。


 魔法《シオン》の効果は「魔力の阻害」だ。

 一言にすれば単純だが、その言葉には「『魔法相殺カウンターマジック』の発動」「強化魔法の解除」「『状態異常』の回復」「『魔の毒』による変質の抑制」なども含まれている。


 神聖魔法の究極の一つと言っていい。


 さらに言えば、『魔の毒』に頼り切り、不相応な力を得た『使徒』や『理を盗むもの』には特効も特効。


 それを、成長した『ディアブロ・シス』で使った。

 この瞬間の為に魔法《シオン》は作られていたかのように、活き活きと輝く。

 私を癒し、ディプラクラを抑え、この街の流れを変えていく光の風。


 すぐに私は、ディプラクラに掴まれた腕で、掴み返した。

 捕まえたのはそっちじゃない。私たちだ。


「そんなに『千年前の思い出・・・・・・・』が大事ならっ、ディプラクラ!! また同じ思い出を、『現在いま』から作ればいいだけでしょう!? そんな簡単なことも分からないのだから、本当に『使徒』はもう! 私たちは、もうっ!! とりあえず、さっさと回復しなさい!! ――《インビラブル・フィールド・奉還陣リターン》!!」


 ここで、さらにフィールド魔法を強めた。

 フーズヤーズの街に浮かんだ球体の結界が、美しく整った『魔法陣』を描きながら、大発光し始める。


 そこに編み込まれた術式は、まず《魔力浄化レベルダウン》。

 それと巷で流行り出した《血脈希釈チェンジロック》。

 その千年前の『世界奉還陣』を思い出させる力に、ディプラクラは呻きながら、呪う。


「くっ、が――ぁっ! ま、またこれを、おぬしは繰り返す気か……!!」

「またじゃないわ! 同じじゃないし、繰り返さない!!」


 私と同じように、ディプラクラの身体も解れ始めていた。

 しかし、それはレヴァン教の定めた『人』の形以外の部分だけ。 

 まず、その長すぎてアンバランスな手足の半分。次に肩の枝葉に、頭上の仰々しくて恥ずかしい余計な光輪。


 ディプラクラの異形が宙に溶けていく。

 しかし、綺麗に消えてなくなるわけではない。


 『終譚祭』の空に、ディプラクラの吐き出した『魔の毒』が溜まり始める。

 放っておけば、それは千年前の暗雲の元となるだろう。その前に、私は連合国のみんなで分け合って貰おうと、広がる『魔の毒』を制御しようとした。


 ただ、その量は余りに多い。作り立ての魔法では、制御が難しく――しかし、私の至らないところはディアが補ってくれる。

 私のしたいことを汲み取ってくれた彼女が、制御を後ろから手伝う。


 その息を合わせた『ディアブロ・シス』の魔法によって、球体のフィールド内は一瞬で光の魔力で満ちて、地上の太陽のように輝いた。


 もはや、街どころか連合国を包み込むほどの大発光だ。

 この迷宮連合国そものが一時的にだが、大陸を照らす太陽と化して――


 それから、どれほど時間は経っただろうか。全力の魔法は何秒ほど保った?

 十秒か二十秒か。それとも、一分を超えたか。

 魔法に集中し過ぎて認識できない時間が過ぎていった。そして――


「ぁ……」


 倒れそうになる。

 気が付けば、魔法は全て消えて、綺麗な『青い空』だけが残っていた。


 『魔法生命体』の私にとって、魔法を放出し続けるのは息を止めるも同然だったようだ。

 だが、魔力の酸欠で倒れる前に、背中は支えられた。いつの間にか、ディアが駆け寄ってくれていた。

 背中から魔力が注ぎ込まれる。私の薄くなった体に感覚が戻り、『魔力四肢化』のように切断された手足も修復されていく。


 おかげで、まだ立てた。

 倒れることなく、まだ相手と向き合い続けることができる。


「ぁ、が……」


 私の目の前で、ディプラクラは膝を突き、呻いていた。


 私と違い、一時的に過剰な魔力を削がれても、身体は健在だ。

 むしろ、余計な光輪やアンバランスさがなくなり、いまの状態こそ健常と言えるだろう。


 ただの青年となったディプラクラが、『青い空』の下で腕を持ち上げる。


「ぐ、ぅ……」


 しかし、そこまでだった。


 何か魔法を撃ち放とうにも、身体から力が湧かないのだろう。

 ゆっくりと、持ち上げた腕を下ろしていく。


 その動きは非常に鈍い。

 かつてのディプラクラよりも老いを感じる動きが、私たちに決着を教えてくれた。



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