504.本当の『魔法』


 僕に突き飛ばされたライナーは、奇襲に驚きながらも姿勢を整えて、すぐに立ち上がっていた。

 ただ、その手は双剣の柄に当てられている。


 彼を止める為にも、続きの声をかける。


「ノイ……。やっぱり、納得いかない?」


 この結末の感想を、まず率直に求めた。

 聞かれたノイは、喉から溢れる不満を堰き止められない。


「いかない。だって、おかしい」


 彼女もまた率直に答えていく。


 その気持ちが僕には、よく分かった。なにせ、つい先ほどまで、僕も全く同じだったから。


「ごめん……。でも、聞いたとおり、『世界の主』はライナーたちに引き継がれる。君との『契約』も、ちゃんとみんなが果たしてくれる」

「だから、おかしいんだ。……だって、神様はあなただ。そこの子供たちじゃない。ボクやみんなの願いを叶えられるのは、神様だけなんだよ?」


 承服できないと、ノイは首を振る。

 理由は単純で、ライナーたちでは『安心』できないからだろう。


 ずっと彼女は『安心』を求めていた。


 だから、何千年も辛抱強く待って、表舞台には一切出なかった。

 ティアラやヒタキが現れたときは逃げに逃げて、危険を避けた。


 その苦労の果て、ようやく自分と同じ『次元の理を盗むもの』である僕を見つけた。

 本当に『安心』したことだろう。

 自分と同じ能力を持っているならば、きっと自分と同じことをしてくれるという保証があったからだ。


 そのノイの推測は正しかった。

 間違いなく、僕はノイと同じことをする。――だからこそ、僕は首を振り返す。


 それはつまり、いつか必ず僕もノイと同じ姿になるということだからだ。

 ずっと追い求めていたものを得られずに、こうして立ち上がることすらできなくなる。


 ライナーたちから先んじて教えられたことを、僕はノイに説明し直す。


「いや、みんなの願いを叶えられるのは、僕だけじゃない。なにより、僕に神様は向いてなかったんだ」

「向いてる。だって、ボクたちは『未来視』で、あなたが世界平和を作れるのをしっかり確認した。これ以上、向いている神様ひとなんているものか……! あなたなら全人類を『幸せ』にして、まるで稲を刈るような穏やかな毎日を作れる! そこの子供たちは、むしろ逆! 激動の挑戦と成長の毎日を作る気なんだよ……? ボ、ボクは、そんなの嫌だ。そんな本、読みたくない。老後は静かに……、嫌なこと一つない『幸せ』だけを感じて……、『夢』心地のまま……、死にたい」

「僕も同じ気持ちだ。だから、僕たちは『親和』できた。ただ、それでも――」


 ノイの気持ちも願いも分かっている。


 ただ、もう僕はスキル『夢祝いの湖面ペルソナ・アニマムス』を解除していて、彼女の『理想』通りの受け答えはできない。


「それでも、僕に神様はできない。……いや、やりたくない」

「でも、ボクはやった。やりたくなかったけど、やったんだ」


 ノイは即答した。


 そして、僕を見る目が徐々に変わっていく。

 いままでの『半身』を見るような好意的な眼差しが、「ずるいぞ」という恨みと妬みで塗りたくられていく。


「ノイ、いまの自分ぼくたちの姿を見れば、分かるはずだ。たった一人に頼り切るやり方じゃあ、いつか潰れるだけだ。倒れて、折れて、二度と起き上がれなくなる」

「いつか倒れるとしても、倒れるまでは平和が約束されてるんだよ!? ボクと同じ『次元の理を盗むもの』になれる『月の理を盗むもの』のきみならっ、ボクがもたらした平和と同じものを用意できる……! 『安心』で完璧な未来が視えてるのに……、に、逃げるの……?」

「僕たちの『未来視』が絶対じゃないのは、もう散々思い知ったはずだ。だから、ここにいる『次元の理を盗むもの』に勝利した二人を……いや、みんなの力を信じよう。もっといい未来を引き寄せるって、信じて……」

「信じる? 信じられるわけない。だって、こんな齢千も超えてない若造共がいくら集まろうと、数には入らない。――一人にさえ・・・・・満たない・・・・。ボクにとっての一人は、ボクの認めた一人だけだ。『月の理を盗むもの』であるカナミ君だけが、『安心』で世界を満たせる……。あの『鏡の力』さえ……。あれさえあれば、いいんだ……。なのに、君は……」


 僕の説得は聞きたくないと遮って、縋るようにノイは見つめてきた。


 ただ、その先にもう『鏡』はない。

 どれだけ僕から「そうだね」「分かるよ」という言葉を引き出そうとしても、もう二度と頷き返すことはできない。


 それに彼女は、もう薄らと気づいているのだろう。


 『鏡の力』について話しながらも、徐々に語気が弱まっていた。

 僕を「神様」ではなく、「カナミ君」や「きみ」と呼んでしまっていた。


 ノイはスキル解除を自ら実証して、その妬みと恨みが塗られた眼差しに、今度は失望と悲しみを混ぜていく。


「う、裏切るんだ……、カナミ君も……。ボクは君が神様をやってくれるって言ったから、ここまで協力したのに……」

「それは何度でも謝る。本当にごめん。でも、全部放り出すわけじゃない。僕もみんなの一人として協力する。ノイも協力してくれたら、僕たちは心強いし嬉しい」


 首を振り続けるノイを、どうにか落ち着かせようと説得していく――が、すでに僕も口にしながら気づいていた。


 無駄だ。

 もうノイの僕を見る目が、いままでと違う。

 もはや、対等な『理を盗むもの』だった僕さえも、もう――


「が、がっかりだよ……。がっかりだ、がっかりだ、がっかりだ! それと悔しい……。悔しい、悔しい、悔しい! こんな悔しいのは嫌いだ。こんな展開っ、大嫌いだ……!!」


 先ほどの話を借りれば、もう僕も「一人にさえ満たない」のだろう。


 『夢祝いの湖面ペルソナ・アニマムス』を被らない僕は、大嫌いなその他大勢と同じだという目つきをしていた。


 だから、ノイは這い蹲ったまま、その手を持ち上げた。


 途端に、纏っていた魔力が全て焦げるように黒で染まる。

 その暗闇さえも塗り潰す墨汁のような黒が、さらに周囲を塗りたくっていく。


「こんなに悔しい思いものなら、要らない。『なかったことになれ』。――《ブラックシフト》」


 人一人は容易に飲み込む黒い靄が、■■■と、ノイを中心に溢れ出した。

 さらに、それは群生行動する飛蝗や蚊のように、僕を食らい尽くそうと蠢き出す。


 『理想』の仮面を被ってくれない僕を、この得意魔法で塗り潰すつもりだ。


 その都合の悪いものは『なかったこと』にする行為は、先ほどまでの僕と全く同じ。

 だから、僕も同じ『なかったこと』にする力を持っている――が、同じ魔法を使い返そうとは思わなかった。

 それだけの魔力と体力がないのもあるが、もうそれに頼る必要がない。


 僕が選んだのは、後退。

 膝を突いたまま、少し後ろに下がること。

 それだけ。


 たったそれだけで、黒い靄は僕を覆い尽くす直前で、縦に真っ二つとなった。

 その斬るものを選ばない『剣術』で掻き消したのは、いまや誰よりも頼りになる『本当の騎士』。


「主がやられるのを、僕が黙って見てると思うか?」


 ライナーが、僕の前に立つ。

 それにノワールも渋々といった様子だが続いてくれて、ノイと向かい合った。


 ずっと二人は臨戦態勢で見守ってくれていた。

 こうして、先にノイが手を出そうとも、すぐに割り込めるように。


 その騎士ライナーの邪魔が、ノイは心底不快そうだった。

 ただ、ライナーが抜いた双剣の先端を突きつけると、すぐに表情が変わって、心底怯え出す。


 色々な感情の混ざった瞳に、恐怖と悲しみまでも足されて、その声を震えさせる。


「へ、へぇ……。ボ、ボクに向かって、剣を……、魔法を……、向けるんだ。守るんじゃなくて、このボクを、こ、こここ殺そうと……」


 ノイが本来の調子と本領を取り戻そうとしていた。


 はっきり言って、先ほどまでの頭に血が昇ったノイは、まだ御しやすかった。

 一筋縄ではいかない彼女に戻る前に、僕は会話に引き戻そうとするが――


「違う、ノイ。ただ、ライナーは僕たちを守ろうと――」

「ああ、まただ。ただ、ボクは『契約』違反者を怒ってるだけなのに……、またボクが恨まれてる。どうして? いつもボクが正しくて、頑張って……、こんなにも争いを嫌ってるというのに……、どうしてボクが恨まれる? ……こ、怖い。ボクは世界平和の敵が、みんな怖い。怖い怖い怖い……」


 だが、僕の声は届かない。


 もう一人の人として、僕を見ていないのだろう。

 一人にさえ満たない僕を無視して、ノイは自分の願いと遠くにある未来だけ視ては、ぶつぶつと独り言を呟き続ける。


「辛い本なんて、嫌だ。もうありきたりで『幸せ』な物語だけでいいって言ってるのに……。なのに、どうしてこうなるんだ。なんで、ボクには王子様が現れないんだ。ああ、嫌だ……。辛いのは嫌だ。これ以上疲れるのが嫌だ。嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……!」


 その末に、一人で癇癪を起こしていく。


 もう誰が何を言おうと声は届かず、怯えた彼女を落ち着かせることはできない。

 そう確信できるのは、これもまた僕も同じだったからだ。


 怯えに怯えたノイは、不出来な愛想笑いを浮かべてから、最も平和で安全な未来を選び取る。


「……や、やり直そう・・・・・。今日という日は、『なかったこと』にしよう。それがいい。うん、それが一番いい。だ、だから……――《ブラックシフト・フィールド》」


 さらに黒い靄が■■■と溢れ出す。


 100層の赤光も浅瀬も全て、のっぺりとした黒色で乱雑に塗り潰していく。


 それは空間だけでなく、概念的な時間さえも含んでいた。今日の『終譚祭』という日を塗り潰して、『なかったこと』にしようとしていく。


 黒いペンキの入ったバケツをひっくり返したかのように、■■■の拡大は急速だった。

 その上で、キャンバスの裏側まで染みこむように濃く、湿度も高い。


 このまま、地上の端から端まで■■■で塗られていく未来が、容易に想像できた。なにせ、その為に必要な力が、いま100層に十分すぎるほどある。


 ――ノイの周囲が渦巻き始める。


 浅瀬と空気。続いて、僕が魔石を奪われたことで吐き出した大量の魔力も含めて、全てをノイは深呼吸するように吸い込み始めていた。


 同時に、彼女の存在感が急激に増す。


 元『世界の主』に相応しく、神にも見紛う存在感を持って、100層を中心に展開していた『魔法陣』に干渉していく。


 先ほどまでノワールを中心にして渦巻いていたものを、それ以上の大きな渦巻きで横から強引に奪い取っている。

 魔法《レヴァン》や儀式の横取りであるとライナーも気づいたようで、すぐに隣の仲間に声をかける。


「ノワール! こっちに魔石を渡して、おまえは《レヴァン》ってのに集中しろ!!」

「――――っ!」


 その指示にノワールは従い、すぐさま手に持った魔石を前衛のライナーに渡そうと駆け出した。


 その『速さ』は、『魔人化』の恩恵もあって大陸一だ。

 一呼吸で10メートル以上の距離を潰し――しかし、なぜか1メートルも離れていなかったはずの隣のライナーのところまで辿り着けなかった。


 どれだけ走っても走っても、二人の間の1メートルが縮まらない。

 その現象の理由は、ノイの口から説明される。


「――《ディフォルト・ウォール》」


 距離という概念を弄る《ディフォルト》の応用魔法を、黒い靄の影に隠して発動させていた。


「そう簡単に、君たちは『星の理』に届かないと思うけど……。でも一応、もう永遠に、君たち二人は出会えない。その次元の壁を超えられるのは、ボクだけだよ」


 自分がやったと、その魔法の詳細まで白状した。

 それと、敵意なんてないよと。

 さらに作り笑いを不出来にしながら、必死に伝えていく。


「でも、心配は何も要らないよ。だって、ボクに戦う気はない。君たち二人が、とても怖いからね。け、剣を向けられるなんて……、怖過ぎて身体の震えが止まらないんだ。だから、ボクは失敗した今日は塗り潰して、暖かいお布団をかぶって、もっと奥に引っ込むだけ……。だ、だから、そんな顔はしないで? に、睨まないでよぉ……」

「ふざけたことを! こっちは、ここまでみんなで積み重ねたものを壊されそうになってるんだ!!」


 ノイは「自分こそ被害者だ」と主張して、それに相応しい弱々しさと姿勢の低さで泣きそうな言葉を続けた。


 だが、それをライナーは受け入れられず、激昂して《ディフォルト・ウォール》を破ろうと駆け抜ける。


 けれど、それは無駄だと、ノイは一聴すると降伏宣言めいていながら実は上から目線の発言を続けていく。


「だ、だから……、これはただの《ディフォルト》だよ? 次元魔法には攻撃手段がないんだ。だから、何も壊れることはない。誰も害することはない。だから……、あ、『安心』しようよ。もっとさぁ……」

「…………っ!!」


 激昂したライナーは無言で駆ける方角を変えた。

 術者もとを絶とうと、真っ直ぐノイに向かっていく。が、辿り着けない。


 距離は先ほどノイが転がった分しかないはずだが、どれだけライナーが駆け抜けても全く変わらない。

 進めば進むほど、空間そのものが柔らかな餅のように引き伸ばされていた。


 まるで、騙し絵の中に囚われたかのような光景で、ライナーは現在位置から一歩も移動できない。

 だというのに、ノイ側から溢れ寄ってくる黒い靄だけは一方的に近づいてくる。


「くそっ――」


 慌ててライナーは双剣で靄を斬り裂いた。

 だが、先ほどよりも剣閃は鈍く、全て真っ二つとまではいかない。


 分かっていたことだが、先ほどの戦いでライナーは体力も魔力も使い果たしている。

 連続の本当の『魔法』の使用によって、魂の芯まで疲労困憊だ。


 そして、それはライナーだけでなく、僕とノワールも。

 こちらの三人は、もうまともに戦えない。だから、臆病者のはずのノイは現れたのだろう。


 そして、こちらの弱々しい抵抗に、さらにノイは『安心』して、ライナーに目すらくれなくなる。

 叫ばれた文句に聞く耳は一切持たず、自分とだけ話していく。


「ま、また駄目だった……? またみんなのせいで、失敗した……。もうボクは限界なのに……、どうしてみんなは分かってくれないんだ……」


 明らかにノイは反則的な攻撃を一方的にしている。だが、そこに疑問や罪悪感は全くない。


 僕と同じく、あえて自ら都合よく、『狭窄』しているのだ。

 ずっとノイは自分を被害者だと思っていて、自分のやること全てを正当防衛だと思っている。

 だから、その誰も見ていない瞳を宙に向けては、いくらでも自分勝手に反則的な魔法を使い続けられる。


「なら、もう……、相川陽滝あれと同じことする? ま、また『安心』できる神様になるまで……。カナミ君、今日の……――『世界あなたをなかったことにしたい』」


 その果てに、『詠唱』が紡がれた。


 初めて聞くノイのまともな『詠唱』だった。

 その本当の『魔法』に繋がると思わせることばによって、彼女の身体から噴出する黒い靄は激増して、しっかりと攻撃対象が僕に定められる。


 そして、今日という物語が書かれた本を、太めのペンで真っ黒に塗り潰していくように。

 100層の気に入らないもの全てが、■■■に変わっていく。


 赤光の空が、■■の空に。

 透き通るように輝く浅瀬が、■■■■ように■■浅瀬に。

 ■■■と染められていっては、その黒全てがノイの精神と連動しているかのように、ずれては、不安定に伸び縮んでいく。


 周囲全ての■■■が歪んでいた。

 全て同じ色のはずだが、その黒は多様で漆黒に墨色、鉛色、紫黒色と入り混ざって、複雑な模様を描いている。


 かつて僕が『頂上』でラグネと戦ったときは、光り輝く万華鏡の中に閉じ込められたかのようだったが、これはその逆だ。

 闇溢れる万華鏡の中に閉じ込められたかのようだった。


 圧倒的な次元属性の魔力だ。


 これがノイが先代の『次元の理を盗むもの』である証明――という表現は、いまとなっては適切ではない。彼女を表すならば、これこそ――本当の・・・『次元の理を盗むもの』の証明。


 月属性の『作り物』である僕とは、その純度が違う。

 練度が違う。

 経験が違う。


 もちろん、僕は『作り物』が劣るとは思っていない。

 だからと言って、『本物』が劣るということも決してない。


 しかし、いまの『詠唱』一節による■■■だけで、ノイは僕以上の次元の歪みを生んだ。

 そして、その完全な安全圏で、続きの『詠唱』を口に――することはなかった。

 僕たちに目を向けることなく、いまの『詠唱』を持ちかけた相手に文句をつける。


「……ねえ。なんだか、ボクとの取引が緩くないかな? ……本当に相変わらずだね、世界あなたもさ」


 先ほどのライナーと同じく、『世界』を話に混ぜた。

 そして、ライナーと違って、責め立てる。


「でも、見ての通り、また世界あなたは読み違えたんだよ。ちょっと読んだだけの新しい流れに惑わされて、新しい取引に失敗したんだ。……ねえ、もっとよく考えて、観ようよ? あそこの子供二人が、本当にボクたちよりも強いと思う? 神様のような力が持てると思う? ……ありえない。その場の勢いだけだ。何の保証もなければ、安全性はゼロ。あんな書き損じを読んで喜ぶなんて、まだまだ世界あなたが未熟な証明だね」


 話せば話すほど、周囲の魔力がノイに集まっていく。


 『詠唱』の続きはされていない。

 しかし、その会話で『世界』を脅して、強請っているように見えた。


「未熟な子供だから、すぐに騙されて、利用される。世界あなたは一人で到底生きていけなくて……いつまでもボクは『安心』できない。……だから、早くこんな変な流れは捨ててね? こういう危険なものは、読んじゃ駄目。どんな悪影響が出るか分からない。世界あなたの死は人類の死なんだから……、もっと読むものは慎重に選ぼう? もっと『安心』と『幸せ』が一杯の流れを作ろう? ねえ、ボクは間違ったこと言ってる? ボク以上に、あなたを心配してる人はいないよ?」


 何から何まで僕と同じで、そろそろ少し嫌になる。


 ノイは『世界』を全く信用していないし、見下していた。

 先ほどの「信じられるわけがない」「一人にさえ満たない」というのは、自分が生きている『世界』さえも含んでいた。


 そして、その姿から、別の人も少し思い出す。

 ラグネや僕の母親にも、似たところがあった。

 子を巣立ちさせず、支配し続けようとする。

 血の繋がった相手だろうと容赦なく脅して、欺して、不当な取引を押し付け続ける。

 それに良心の抵抗が全くない。


 すぐに僕は溢れる■の濃霧に向かって、さらに突き抜けて奥にいる世界あなたまで届けと、叫ぶ。


「ノイ、それは違う! この二か月、僕は『世界せかい』と……いや、世界かのじょと交流してきた!」


 思い出しつつ、便宜上、呼び方を分けた。

 僕にとっての『元の世界』を、かれ

 この『異世界』を、彼女かのじょとした。


「気まぐれで世界かのじょに話しかけたとき、どこか少しだけ……、友達のように思えるときがあった。千年前には一度もなかった感覚だ。ライナーの言うとおり、少しずつだけど、世界かのじょも成長してるんだ」

「せ、成長ぉ……? 本気で言ってる? 『人』じゃあないんだよ? 『世界』そのものなんだよ? この上の次元の存在が、普通の人みたいに成長するわけないよね?」

「ノイ、おまえこそ本当に上の次元の存在って思ってるのか? ……おまえの世界を救いたい気持ちは本物かもしれない。けれど、間違いなく僕と同じで、どこかずれてる・・・・。『理を盗むもの』として、最初の願いから遠ざかってるって自分で感じないか? おまえが救いたい『ノイの世界』は、そのやり方で本当に救われるのか?」


 このまま一人で『狭窄』し続けて、ノイの望む未来が訪れるとは到底思えなかった。

 だが、その忠告は彼女にとって地雷だったようで、その狼狽が加速していく。


「ボ、ボクが、ボクの願いから遠ざかってる……? ど、どどどどこが? これ以上、不安にさせるようなこと言わないでよ……! 二ヶ月前、ボクたちは『安心』と『幸せ』が望みだって、頷き合ったじゃないか!? ずっと憧れていた『夢』の続きを見るのが、ボクたちの願いで間違いない! だから、ボクは『安心』して、静かに永遠に……、もう休む! お休みに入るんだから、呼ぶな! 何度も何度も、ボクの名を呼ばないでよ! カナミ君、もうノイって呼ばない契約だったろぉぉ……!」


 ノイは震えて、激昂して、悲壮にくれて、泣くように、僕の名前を呼んだ。

 さらに決別の証明のように、大嫌いになった僕に向かって本気で魔法を放つ。


「あぁっ、あの契約もだ。あれも何もかも、もう全部……。全部全部全部っ、『なかったことになれ』『なかったことになれ』『なかったことになれ』ぇっ! ――《ブラックシフト》ォ!!」


 ノイの言葉がそのまま形になったかのように暗く歪んだ靄が、流れる雲のように僕たちへ向かってくる。


 それは万物を■■■■■■と塗り潰す自棄と台無しの魔法。

 絶対に食らうわけにはいかない。


 しかし、こちらは100層の激戦を終えたばかりで、対抗するための余力は全く残っていない。

 対して、ノイはベストコンディション。元々余力を持ちたがる性格もあってか、まだまだ体力も魔力も底が見えない。


 差は歴然だった。

 どうしようもなかった。

 動けない僕一人では間違いなく、これから圧倒されて負ける。

 だから、僕は完全に諦めて――


 自分ぼくが戦うことを、完全に放棄した。


「ライナー! 無理に動かなくていい! アイドだ! アイドだけに集中して、頼れ!」


 前にいるライナーに向かって、「頼れ」と頼った。

 それは唐突で根拠のない指示だったが、ライナーは騎士として頷いてくれる。


「ああっ! 頼む、先生! ――魔法《王■落土ロスト・ヴィ・アイシア》!」


 薄い白翠色の結界がライナーを中心に、展開され直す。


 本来、空間全てを固定する本当の『魔法』ならば、この100層を容易に満たす。

 だが、いまは術者ライナーの魔力量や相性によって、範囲は本当に狭かった。

 円状の結界は、たった半径十メートルほど。


 しかし、僕たち三人は含んでいた。

 小さくも、しっかりと守るべき故郷が構築されたのを確認して、ノワールにも叫ぶ。


「ノワール! 君はルージュを頼って、足下に集中して流れを取り戻してくれ!」


 足下の■■■の靄に覆われた先で、浅瀬が急変しているのを僕は感じ取っていた。

 その流れをそのままにしてはおけず、ノワールにも「頼れ」と頼った。


「…………っ! ルージュちゃん、聞こえる!? ――共鳴魔法《ウォーター・ヴォルテックス》!!」


 ノワールは僕の指示に少しだけ不満を覚えた。

 ただ、横目に立ち上がれない僕の姿を見て――命令でなく懇願ならばと、少しだけ気分を良くした顔で、指示通りに自身の家族を頼ってくれた。


 そして、その水を操る魔法《ウォーター・ヴォルテックス》によって、ノイに向かっていた浅瀬の流れが少し変わる。


 もちろん、ただ物質的な水を操作するだけでは、この100層の概念的な流れは変えられない。

 しかし、流れの操作と水属性魔法の関わりは深く、そのイメージを補助してくれるのは間違いなかった。


 だから、真っ黒な靄の奥、ノイの纏う魔力が少しだけ薄くなったのを感じた。

 ノワールに少し魔力が補充されていくのを見て、まだまだ打開策はあると確信できる。


 いま、僕は『未来視』もなければ、『紫の糸』もない。

 ただ、みんなの後ろから言葉を投げるだけしかできない。

 けれど――


「二人とも、そのまま一歩下がって……! この黒い靄には対抗しなくていい。別に魔石を合流させる必要もない。『本当の糸』で繋がってる限り、大丈夫なんだ。――ノイは僕たちの敵じゃない」


 遠回しにだが。

 必ず勝てると、言い切った。


 その僕らしからぬ断言に、後ろを横目に見ていたライナーとノワールは少し驚いていた。


 いつだって僕は不安そうにしていて、ことあるごとに慎重に「油断するな」「気を抜くな」と繰り返していたのだから当然だろう。


 だが、本当に自信があるのだ。

 これも最初から分かっていたことだった。

 『舞闘大会』の時点で、すでに僕は教えて貰っていた。


 愛するラスティアラから、「次元魔法に頼らず、余計なことを考えず、目で見て・・・・戦う方が強い」と。

 親友ローウェンから、「戦いで大事なのは魔力でなく、心身の一致・・・・・だ」と。


 だから、不思議と絶望しない。

 負ける気もしない。


 いま僕は、二年かけて集めた魔石たちを失って、魔力もレベルも一気に削られてしまっている。


 二ヶ月かけた『計画』は崩れ去り、今日ずっと集中していた儀式も奪われた。

 身体は『魔法生命体』でなくなり、『半死体』の強みも斬り飛ばされた。


 さらに言えば、気力と体力の限界も超えた。


 コンディションは最悪で、魔法どころか剣すら持てず、両手足を地面に突き続けている。


 ――残っているのは、自らの『月の理を盗むもの』の力だけ。


 そのおかげで・・・・・・、もう余計なものが視えない。


 余計な力がないから、余計なことを考えることもない。

 みんなを頼るしかないという道だけとなって、本当に歩きやすくて仕方ない。


 ああ、そうだ……。

 これが歩きやすいんだ……。

 孤独な神様よりも、こっちのほうが向いているって分かる……。


 元々僕は、性格的に前衛で戦うタイプではない。

 一人で孤軍奮闘するよりも、しっかりと前衛の仲間たちがいたほうがいい。

 戦いの中心で落ち着いて、周囲を見回しながらパーティーに指示を出せるような状況こそ、最も力を発揮する

 その本当の適正は、あの『舞闘大会』の前、ギルドマスター時代で確認し終えていた。


 指揮官・・・


 自分の人生を思い返したからこそ、自分に向いているものを確信できていく。

 本当に当たり前のことだった。


 だって、僕が子供の頃から好きだったのは――

 ファンタジーなキャラクターたちの映るディスプレイの前で、動かずにコントローラーを持って指示して戦うロールプレイングゲームだった。

 このいまの状況をりたくて、ずっと僕と妹は暗い部屋で肩を並べていた。

 何度「GAMEOVER」になっても、挫けずにやり直した。

 この純度と練度と経験だけは、誰にも負けない。

 ――と、僕の自信の正体が分かったとき、勝利の流れも見えた気がした。


 それを黒い靄に包まれたボスノイも感じたのかもしれない。

 僕と視線が合って、この自信に満ち溢れた顔を見て、どこか慌てたように言い足していく。


「…………っ! ふ、ふーん……。もうボクの完全勝利だけど、アレ使おっかなぁ? ブ、《ブラックシフト》の……、《上書きオーバーライト》だっけ? カナミ君が安全確認してくれたやつ。あれも攻撃じゃなくて、より良いやつに上書きするだけだし……」


 攻撃しないという言葉を誤魔化しながら、ノイは次の攻撃を準備していく。


 ただ、その勝利宣言とは裏腹に、彼女の身体は遠ざかっていく。

 無意識かもしれないが、《ディフォルト》を強めることで僕たち三人から離れて、さらなる安全圏に閉じこもろうとしていた。


 さらに怯えるように黒い靄を増やしては、ライナーの《王■落土ロスト・ヴィ・アイシア》の浸食と攻略を早める。

 平行して、ノワールから《レヴァン》を奪い取るために、足下の浅瀬の流れも取り戻そうとする。


 僕の前で大切な仲間二人が、苦しげに呻く。


「くそっ――」

「き、きつい……!」


 だが、僕は二人を信じる。

 さらに、もっと頼む。


「ライナー、ノワール。苦しいだろうけど、僕を信じて、もう少しだけ耐えて……。これから僕は、僕の本当の――本当の・・・魔法・・』を完成させる。ここまでのみんなの本当の『魔法』に、僕も続く・・・・


 はっきり言って、もう『終譚祭』の儀式は滅茶苦茶だ。


 『魔法生命体』の構築も破綻して、身体はボロボロ。

 大陸の《レヴァン》の主導権もなければ、まともな魔法一つ使えない。


 しかし、だからこそ。

 この僕に最も向いている状況のいまこそ、『魔法』は完成に至ると思った。


 いや、正確には完成ではないかもしれない。

 あれは失敗でもなければ、未完成でもなかった。

 だって、湖凪ちゃんは絶望じゃなく希望で……、ちゃんと全ての答えを僕に教えてくれていた……。

 そして、その『魔法』は、ずっと続いていたんだ……。


 だから、死後も続く魔法があるように、無意識に続く魔法もある。

 あの日からずっと、あの『夢』のような魔法は継続していた。


 ――その『魔法』の発動を、いま、ここに締めくくる。


 それが正確な表現だと思ったとき、前の二人が返答していく。


「ああ、了解だ。続けよ、主。そればっかりは、僕よりもあんたのほうが向いてる。あんたの力を使いこなせるのはみんなかもしれないが、みんなの力を使いこなせるのはあんたしかいない……!!」

「だから、向き不向きの話って、ずっと私たちは言ってます!! ああいう面倒くさい女をなんとかするのが、あなた唯一の得意分野でしょう!? 早くっ!!」


 嬉しかった。


 不安ばかりのノイには悪いが、この道で間違いないと過去最高に『安心』できた。


 この道は歩きやすく、ライナーもノワールも一緒。

 もちろん、この二人だけじゃない。

 みんなだけでもない。

 いまの僕ならば、大嫌いな自分あいてだろうと――


「――ラグネ、協力してくれ。『星』じゃなくて、『月』を完成させる」


 その為にはおまえが必要だと、迷いなく、ここにはいない名を出して頼った。


 それは先ほどの戦いで、ライナーに味方しなかった最後の『理を盗むもの』。

 僕よりも先んじて行ってしまった『月』のプロフェッショナルに助言を求めた。


 もう魔法《生きとし生きたヘル・ヴィルミリオン赤光の歌・ローレライ》は、ノイの《ブラックシフト》に遮断されて、完全に途絶えている。


 繋がっていた術者ライナーの魔力と体力が限界を迎えたからだろう。身体の『黒い糸』も、僕が敗北を認めてから震えてくれない。


 しかし、彼女だけは特別だった。


(――……まっ。勝手に使われてるっすからねー、私の顔)


 幻聴こえた。

 もちろん、それは幻聴。


 僕が勝手に「ラグネならば、どう答えるか」を推測して、信じ込んでいるだけ。

 最期のファフナーと同じ。


 その彼に出来て、僕に出来ないわけがない。


 ラグネ・カイクヲラは僕と同じ『月』であり、本当の半身だ。

 だから、僕が何を言えば何を返すのかを完璧に映すのは、容易も容易だった。


 跪いた僕の隣に立つラグネまで、幻視えた。

 向こうにいる騎士服を着た大人のラグネノイと違って、こちらは享年時の年齢に懐かしい侍従服を着た姿だった。


「僕たちらしく『鏡』の前で、『詠唱』を作り直そう。あそこにいるノイも救えるように、新しく」


 ラグネも僕の積み重ねてきた絆の一つだと認めて、その上で頼った。

 すると、聞き慣れた罵倒が返ってくる。


(――あー、胡散臭い。いまさら、まだ敵を救う? ほんと相変わらずっす)


 分かっている。

 彼女とは生前に、これ以上ないくらい分かり合っているから、同意しかない。


「ああ、すごく胡散臭いよな……。だって、僕とおまえだけは『みんな一緒』って言葉を信じてなかった。みんなの絆さえあれば勝利できるって未来も信じてなかった。……信じる信じる信じるって繰り返すのが、本当は胡散臭くて……、嫌いだ」


 あの過去とき、まだ死んだことのなかった僕たちは、全てを疑い、恨み、呪っていた。

 しかし、現在いま、死した僕たちは――


「それでも、救わないと『後悔』するだろ? だって、ノイは僕たちの可能性の一つだ。おまえがノスフィーにこだわった理由と同じだよ」

(――…………。あぁー……、ほんと最悪っす。……けど、そういうのが嫌いだけど好きだって、もう白状しちゃったっすからねー。はぁ……)


 ラグネは死の間際、呪詛きらいだけど、祝福すきとも言った。


 それと、これは同じだ。

 いま幻聴こえているのが、本物か偽物かも含めて。

 好きも嫌いも、決めるのは自分自身アイカワ・カナミであり、自分自身ラグネ・カイクヲラ


 ラグネの『反転』も、本当は『祝福』だったと信じて――

 僕は彼女の死に際の続きを、幻聴く。


(――カナミのお兄さん。私たちの『詠唱』は間違いなく、『世界あなたにさえ存在できない』っす。けど、そんな世界を恨むだけの古い『詠唱』は新しい時代に相応しくないんで、いま流行りの『みんな一緒』に乗っかりましょーっす)


 そのどこか適当で、けれど核心を突いている声は、とても懐かしかった。

 その上でラグネも、ここにいない名を持ち出す。


(――なにより、お嬢に・・・合わせて欲しいっす。たとえ『矛盾』してでも、最後くらいはお嬢のように「信じる」って言葉を好きになりたくないっすか?)


 ラグネは「騎士ファフナーの主」だったかもしれない。

 けれど、それ以前に自分は「主ラスティアラの騎士」でもあるんだと主張してから、僕に頼み込んでいく。


(――それは私たちの『夢』みたいに、心のどこかで届かないと諦めている魔法ものじゃない。『理を盗むもの』たちの『未練』らしく、死んでも諦めきれない魔法ものを果たすように。――最後に、私たちは自分の『魔法じんせい』を信じる)


 『魔法』の神髄を聞いたような気がした。

 ずっと引っかかっていた自分の足りない部分が埋まった気もした。


 その大嫌いな自分ラグネからの助言を聞き入れて、この100層に満ちた闇に向かって、僕は呟く。


「――『僕も・・世界あなたが愛おしい』――」


 ノイと同じく、一節目だけ。


 しかし、ノイとは『反転』するように。

 世界あなたへの呪詛ではなく祝福とした。


 もちろん、これは闇の先にいる世界あなたへだけじゃない。

 その世界あなたと一緒に観ているラスティアラにも。

 そのラスティアラの信じるみんなとも。


 『みんな一緒』に共鳴させてやろうと、韻律を合わせて。

 相川渦波ぼくの最後の頁を捲っていく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る