503.『祝福』


 こうして、僕は――『相川渦波』は、敗北した。


 ただ、『後悔』がないのは、ずっと『矛盾』し続けていたからだろう。


 僕は勝利者のようでいて、いつだって敗北者だった。

 神を騙りながら、作り物の弱い人だった。 

 万能な魔法使いとして振る舞いながら、誰よりも不自由な奴隷だった。


 だから、心のどこかで「早く、この『矛盾』を誰かに終らせて欲しい」と願っていて――


 いま、全て剥ぎ取られた解放感すらあった。

 これで、もう僕は――


 本を最後から読むことはできない。

 別々の本を同時に読むこともできない。

 前の頁も先の頁も読むことはなく、この手が捲っている頁だけに集中していい。


 ――それはまるで、長い『夢』から醒めるような感覚だった。


 『夢』という言葉が、僕の人生には相応しいと思う。

 それほどまでに、不可思議なことばかりだった。

 断続的でもあった。

 とても虚ろで、霞み続ける幻のようでもあった。


 その長い『夢』が始まったのは、いつからだろうか。

 妹の陽滝が産まれたときから?

 あいつに負けるようになったとき、僕の人生が色褪せ始めたのは間違いない。

 ただ、あれが一番の転換点かと言われると、少しだけ違うと思う。


 あれはまだ兄妹喧嘩の延長上だった。

 『元の世界』の現実的な範疇で、親からの愛情を奪い合っていただけだ。


 だから、本当に『夢』のような人生が始まったのは、もう少し後。

 相川兄妹ふたり魔法・・に手を出したときだろう。


 あのとき、僕は両親から見捨てられた人生に絶望していた。

 陽滝は対等な存在のいない孤独な人生に絶望していた。


 兄妹二人でディスプレイの点滅する明かりしかない部屋に座り、虚ろな目で幻想の世界に逃げ込み続けていた。


 その記憶は懐かしい……というよりも、忘れられない。

 暗い部屋でゲームをしていた時間は、脳髄にこびり付いて取れてくれない。


 本当に、僕たち兄妹はゲームが好きだった。

 『主人公』がいて、『ヒロイン』がいて、『冒険』の果てには『最後の敵』が待っていて、「たとえ世界を敵に回しても、ヒロインは救う!」なんて台詞が聞けるものばかりを選んでは、遊んでいた。


 ずっと僕たち兄妹は「誰もが平等な王道」で「役割を演じて遊ぶ為ロールプレイングゲームの世界」に憧れていたのだ。


 いつも剣と魔法の世界を『夢』見て、望み続けて。

 果てには、あの暗い部屋で本当に、――魔法を始めた・・・・・・


 必死に頑張った覚えがある。

 ただ、現実は厳しいもので、そう簡単に僕は魔法を使うことができなかった。

 その現実に僕も妹も落胆して、より絶望は深まっていき、――僕は願ってしまう。


 もし自分に魔法の才能がないならば、せめてと。


「少しでいい……。ほんの少しでいいから、『この先に、希望が欲しい』」


 そう望んだのが、全ての始まり。

 皮肉にも、その願いだけは『元の世界』の『切れ目』の奥まで届いてしまい、初めての不完全な本当の『魔法』が成立してしまった。


 ――『夢』のような人生が始まった。


 ゲームに出てくるような普通の魔法を最初に持ちかけたのは、陽滝だったかもしれない。しかし、本当の・・・魔法・・』を最初に始めたのは、兄である僕だった。


 そして、最初に失敗したのも、僕。


 その名前すらない本当の『魔法』の出来損ないは、「欲しいと願ったものを得られる代わりに、本当に欲しかったものを失う」という効果で、僕に『水瀬みなせ湖凪こなぎ』という『夢』をもたらした。


 ただ、その『魔法』の効果の通り、すぐに湖凪さんは失われてしまった。

 彼女の死をもって丁寧に、また人生を絶望で塗り潰されたのだ。


 湖凪さんの葬儀は、思い返すだけで目の奥が熱くなった。

 やっと明るい部屋の外に出れたと思ったら、またすぐに僕たちはあの暗いゲーム部屋に戻されてしまったのだ。

 そして、失敗魔法に巻き込んでしまった陽滝と一緒に、僕は何度もディスプレイに映った「GAMEOVER」の文字を読み続けた。


 苦しくて、眠れない毎日だった。


 僕以上に陽滝は苦しんでいたと、もう知っている。

 けれど、だからと言って僕の苦しみが全くなかったわけではない。


 眠れなくて、夜は暗い自室の窓から外を眺めていた。 

 なぜだろうか、いつ見ても雨が窓を打ち付けていたような気がする。

 その天候の悪い高層ビルの建ち並ぶ都会の光景を眺めては、いつも飛び降りる想像をしていた。


 その想像の暗さを振り払うように、夜空の月の光に目を向けたこともあった。

 すると目の奥の熱が、眼球の表面まで滲み出す。


 悲しくて、堪らなくて……。

 どうして、こんなことになってしまったのか……と、何度も悔やんでは泣いた。


 ただ、その「どうして」という疑問の答えは既に出ている。


 ――僕だ。


 本当の『魔法』も、この『夢』のような人生も、始めたのは僕なのだから、とても単純な話。


 ――そもそも、僕は生まれるべきじゃなかった。


 と『異世界』のラグネ・カイクヲラと同じ答えを、幼少期の僕は出していた。


 だから、そのあとの流れもラグネと同じ。

 恥知らずにも、僕は人生から飛び降りようとする。

 しかも、ビルの窓から飛び降りる勇気はないから、妹の陽滝に『忘却』を頼み込むのだ。

 全ての責任を妹に押し付けて、自らの人生をリセットして――


 ――『夢』のような舞台を、『異世界』に移す。


 ここから先は記憶が新しく、思い出し易いほうだ。


 その先でも失敗を積み重ねたのは、鮮明に覚えている。

 反省することなく逃げ出したのだから当たり前だが、また僕は湖凪さんのときと同じ失敗を繰り返して、またリセットする。

 気軽に押してはいけないスイッチを二度も押してしまい、千年後の迷宮に召喚されて――


 ――『ラスティアラ』と出会う。


 けど、ずっと僕は同じことを繰り返しているだけだから……。

 結局、陽滝もティアラも『ラスティアラ』も、みんな……。

 また、いなくなってしまった……。


 思い出せば思いだすほど、本当に……。

 失敗に失敗を重ねた人生だったと思う……。


 妹の死を『代償』にして、ようやく僕は自分の人生という本の頁を捲って、反省していく。

 その最初の頁と最後の頁を、何度も行き来しては……。

 何度も何度も何度も、思うのだ……。


 ――なおしたい。


 全ての始まりは、あの最初の本当の『魔法』だ。


 本当の『魔法』は、人生そのものと言っていい。

 ならば、あの失敗した『魔法』を、どうにか直せれば……。

 僕の失敗した人生も、きっと直る……。

 みんなを『幸せ』にできる……、本当の『魔法じんせい』になるはずだから……。


 ――だから、僕は『魔法』の完成を求めた。


 それだけが愛する『ラスティアラ』に辿りつき、僕のせいで苦しんだみんなも救える唯一の道だと……、信じた。

 いつか、こんな僕さえも救ってくれる『魔法』だと……、信じていたはずだった・・・・・・・・・・


 もし、その『魔法』が完成するならば、僕自身が『代償』でも構わない。

 自分も救いたいのに自分を犠牲にするのは『矛盾』しているが、そんなのはいつものこと。


 このとき、既に僕は「ラスティアラを求めているのに、ラスティアラから目を離す」という『矛盾』を、『狭窄』で成立させていた。

 昔から、現実から目を逸らすのは得意だった。


 だから、自分の本当の『魔法』の修繕は、本当に上手くいっていたと思う。

 陽滝から貰った心の強さが、それを可能にしてくれた。

 いや、拍車をかけていた。

 いまや僕の魔法の手の届く距離は、世界の果てどころか、その先まで。

 全ての『理を盗むもの』の力が、僕という器に纏まった。

 100層で『世界の主』を継承して、次元を超えた存在にもなった。

 これからは『魔法』そのものとなって、誰もが『神』と見紛うところまで、あと少し――


 やっと僕は殺せる。

 大嫌いな僕を殺せる。

 そう、心のどこかで暗い喜びを感じていた、けれど――


「……駄目だったな。……また僕は負けた」


 僕は震えながら、その瞼を開ける。


 涙で滲んだ視界には、おどろおどろしい赤黒い光が満ちていた。

 両目の表面に酸化した血液が流れ続けているかのようで、生理的嫌悪が湧き立つ。


 さらに、耳から入り込むのは地獄の果てから届く怨嗟の呼び声。

 崩れかけのトンネルを通る風のように恐ろしくて、不安になる振動こえが100層に反響し続けている。


 ふと自分の身体を見下ろすと、『半魔法』は崩れ去っていた。

 そのほとんどが『半死体』で構成されていて、あちこちに獣や鳥や魚といったモンスターの特徴が現れている。

 合成獣キメラの力で増やした腕は全て斬られて、ただただ不安定で脆い部分だけが残っている状態だ。


 その姿は弱々しく、神とは程遠い。


 その満身創痍の僕の目の前に、二人。

 ライナーとノワール。

 正確には、ノワールの肩にシアちゃんも。

 さらに言えば、ライナーの後ろに兄のハインさんやパリンクロンたちも。


 ――二人たち・・・・に、僕は負けた。


 はっきり言って、負ける要因は、一つもなかった。


 僕は『理を盗むもの』たちの魔石を集め切り、物語を終えた『主人公』として、『神』と呼ばれるに相応しい域に至って、『未来視』によって勝利も約束されていた。


 ――だというのに、敗北した。


 いまならば、理由は分かる。

 いま挙げた通り。

 僕は『理を盗むもの』たちの魔石を集め切り、物語を終えた『主人公』として、『神』と呼ばれるに相応しい域に至り、『未来視』によって勝利も約束されている――という不相応な力が、敗因だ。


 つまり、これまで出会った『理を盗むもの』たちと同じ。

 不相応な力に振り回されて、敗北に繋がる失敗を認識できず、自分の最初の願いすら見失ってしまっていた。それだけ。


 そう。

 ずっと僕は勘違いしていたのだ。

 僕が最初に願ったのは、「少しでいい」だった。

 ささやかな幸福を求めて、「ほんの少しでいいから、『この先に、希望が欲しい』」と願っていただけ、なのに……。


 なのに、どうしてか……。

 いつの間にか、その願いは膨らみ続けて……。


 万能な『魔法』を作って、全人類を『幸せ』にして、世界も救う……って。

 さらに、その先まで……、どこまでも行く……?


 と、抱え切れないほどに途方もなく、大きくなってしまっていた。


「あぁ……。は、ははっ」


 他の『理を盗むものみんな』と同じ過ぎて、呆れを通り越して笑ってしまう。


 『理を盗むものみんな』と何度も戦って、教えて貰ったはずなのに……。

 ときには、僕から『理を盗むものみんな』に教えて、分かり合ってきたはずなのに……。


 僕も同じだった。

 忘れてしまっては、裏切って。

 届かなくなっては、帰れなくなって。

 見栄を張っては、悪ぶって。

 狂っては、自殺を図り。

 最後には、妹と同じ失敗をしてまで――


 ――自ら、本当の『魔法じんせい』から遠ざかった。


 いまならば、本当に分かることが多い。

 千年前の研究者ヘルミナさんが言っていた通り、魔法はみんなを『幸せ』にするものだ。

 ただ、その魔法は決して、一人では成立しない。

 魔法とは、僕たちの世界でいうところの科学と同じだ。

 たくさんの先人たちが、次代の人たちへと託していって、積み上げていくものだ。


 なのに、僕は自分の本当の『魔法』一つに、「全人類を『幸せ』にする魔法」という『理想』を求めてしまった。


 出来る訳がない。

 する必要もない。

 本当は、ほんの少しずつで、良かったんだ。

 石畳の道に使われる敷石の一つのような『魔法』でも十分。

 なぜなら、『魔法』とは――


「いつか、『みんな一緒』に、合わせる……。それがヘルミナさんの考える『魔法』の真価だった……」


 なのに、僕は勝手に一人で焦って、畏れて、暴走した。


 心のどこかにトラウマがあったからだろう。

 かつて自分の本当の『魔法』が、湖凪さんを殺して、相川家を壊した。

 だから、いつか『魔法』が救ってくれるなんて、本当は……、信じられる・・・・・わけがない・・・・・


「『魔法』なんて……、ゲームの話だ。そんな都合のいいものは、どこにもない。僕にはなかった……。だから……――」


 だから、ずっと僕は魔法を信用していなかった。

 『魔法』が人生そのものだとして――しかし、僕にとって、自分の人生ほど信じられないものはない。


 つまり、またラグネあいつと一緒だ。


 大好きだけど、大嫌い。

 心から信じているけど、ちっとも信じていない。

 最初から、嘘と演技と『矛盾』ばかり。


 だから、きっと僕も『終譚祭』の儀式が終わったとしても、自らの人生の三節目から逃げていただろう。

 人生の『頂上』に至るのを怖がって、ビルの窓から飛び降りるように、また自殺リセットしようとしたに違いない。


 だから、みんなは『終譚祭』に集まった。

 全ての原因である失敗した『魔法』を、さらに失敗させようと自棄になった僕を見て――


「そんな僕を止めようとしてくれた……。僕一人に出来るわけないって、みんなは分かってたから……。もし出来るとすれば、それは少しずつ積み重ねて、『みんな一緒』にやるしかないって……。最初から、みんな分かっていたから……、あ、あぁ……、そうだっ。最初から分かってたんだ……、――湖凪さんは・・・・・


 いま、やっと自らの『魔法じんせい』の答えを得ていく。

 ただ、それは自分で解いたのではなく、最初から教えて貰っていたのだと気づく。


 思い出すのは『元の世界』の幼少期。小学校の放課後。

 窓から夕焼けが射し込む教室で、いまと全く同じ話を僕たちはしていた。

 その記憶の自分と同じくらいの涙を零して、また僕は謝る。


「最初から全部、湖凪さんが教えてくれてたことだった……。なのに、なんでだろう。ごめん、本当にごめん……。湖凪さんの『みんな一緒』を、僕は最後まで信じ切れなかった……! 大切な幼馴染の名前だけじゃなくて、遺してくれたものさえも! 僕は『なかったこと』にしようとしていた……!!」


 他でもない僕が失敗した『魔法まほう』による希望が――いや、僕の大切な幼馴染である湖凪さんとの『本物の糸』が、大切な『魔法じんせい』の答えを最初に教えてくれていた。


 その最大の間違いを認めたとき、ずっと頭の中にかかっていた暗雲が晴れた気がした。

 体内に這入はいり込んでいた黒い泥も、一緒に消えていく気がした。

 そして、『黒い糸』を通して、安堵の振動こえが――


(――ああ、そういうことだったんだ。……『影は自分さえ信じない』、『宵闇に身を沈めてしまったからだ』。だが、繋がっていた。『人は裏切らない誰かを探すのではない、心から信じられる自分を見つける』だけ。『魂を信じ合える絆』が消えぬ限り、私たちの夜は明ける……)


 『闇の理を盗むもの』ティーダ・ランズの『詠唱』が、最後の幻聴となって届いた。


 同時に、全てのくさびから解放されて、急速に視野が開けていくのを感じる。

 《地迷いの霧ミストラスト・と夜の終わりスプリットランズ》の消失に合わせて、僕の『呪い』が解けていく。


 ずっと頼っていた『狭窄』が、いま完全に消えた。

 さらには『不信』も役目を終えて、ずっと見えなかったものが見え始める。


 まず、見る人の心によって姿を変える100層が変わった。

 禍々しい赤黒い光も、深淵まで続く夜の海も。


 全てが反転していた。

 透き通るように綺麗な赤光の下、銀箔を散りばめたような美しい浅瀬が広がっていた。


 そして、目の前に立つ二人も、また変わる。


 僕を邪魔する敵たち――ではなく、敬愛する主を止めに来てくれた『本当の騎士』ライナー。

 それとラスティアラの為に危険を顧みず戦ってくれた『本当の聖人』ノワール。


 ライナーは泣き崩れた僕を、まだ少し心配そうに案じていた。

 ノワールは敗北を噛み締める僕を、心底楽しそうに眺めていた。


 この二人だけではない。


 ノワールの魂からは、地上うえのルージュちゃんとの絆を強く感じる。

 もちろん、シアちゃんやハイリたちともだ。

 当然、隣にいるライナーとも繋がっていて、そこからさらにハインさんたちに届いて――その繋がりは途絶えることなく、目の前の僕にまで――まるで、『糸』のように繋がっていた。


 やっと見えた。


 これが前に『ラスティアラ』が言っていた『本物の糸』。

 そんなものあるはずないと、ずっと僕は信じられなかった。


 けれど、やっと、いま。

 『不信』のおかげで、信じられた。


 このみんなならば、きっと僕よりももっといい流れを作ってくれる。

 僕では届かない『みんな一緒』の未来だって見つけてくれる。

 そう信じて、僕は左腕を前に伸ばしていく。


「ライナー……」


 ただ、もう身体は弱り切っていて、まるで骨が入っていないかのように力が入らなかった。

 まだ立ち上がることすらできず、その動きは病人のように鈍い。

 だが、はっきりと声だけは震わせる。


「手を……」


 膝を突いたまま、伸ばした左の手のひらには、戦いの際に付着した血が垂れていた。

 その僕の意図を、すぐにライナーは汲み取って、こちらに歩み寄りながら答える。


「…………っ! ああ、任せてくれ。あんたに使いこなせなかった魔法ものも……、みんなとなら大丈夫だ。いや、僕たちで、もっといい魔法ものにして見せる」


 僕に合わせて膝を突いてくれたあと、伸ばした左手を掴んでくれた。


 瞬間、流れ込む。

 血と傷口を介して、僕の持つ大量の術式がライナーの魂に刻まれ始めた。


 魔法の継承だ。


 その血には《レヴァン》や《ライン》だけでなく、『半魔法』の身体を得る儀式の術式もしっかりと記されている。

 本来ならば、そう簡単に複写できるものではない。手順も、血か魔石を口から飲むのが正式な方法だ。

 しかし、この特殊な状況ならば、握手だけでも十分だと――いや、この握手こそが、いまの僕たちに最も相応しい方法だと信じた。


「…………、…………っ!」


 ただ、大量の術式が流れ込むことで、ライナーは顔を顰める。


 まず第一に、量が尋常ではない。

 ノーリスクとは決して言えない行為だろう。


 それでも僕は、ライナーの持つ『地獄明かりヘルヴィルシャイン』を信じて、容赦なく無言で託し続ける。


「…………」


 急遽行われた新たな儀式は、とても静かだった。


 もう地の底から振動こえは聞こえてくれない。

 僕の敗北によって、100層の本当の『魔法』たちの力が急速に弱まっている。

 身体に張り付いていた『黒い糸』の振動も、先ほどのティーダの『詠唱』が最後だった。


 あれほど僕の魂を揺さぶり続けていた大音量が、いまや夜の海辺のような静けさだが……。


 こちらからならば、まだ届くはずだ。

 みんなも『祝福』の振動こえを選んでくれると信じて、僕は祈りを捧げる。

 御墓の前で、手を合わせるように。


「みんなも……、ライナーを助けてやって欲しい。もう僕は、大丈夫だから……」


 伝える。

 止めに来てくれたみんなにお礼を言いつつ、笑いかけた。


「いままで、こんな僕を見守ってくれて、ありがとう……。でも、もう僕は戦わない。頑張らない……」


 もう作り笑いではない。

 演技するだけの余裕も力もない。


 みんなが全力で削ってくれたおかげで、やっと僕は言える。


「だって……、向いてない・・・・・。僕の人助けは、いつだって僕自身の為だった。誰かの為じゃない。みんなを助けたのも、本当は……、ただの偽善。いつも僕は、打算ばっかりだった」


 その告白に、正面のライナーは苦笑いを浮かべていた。

 この静かな儀式に合わせて、祝詞のりとを足すように言い返す。


「そうか? 僕は偽善とは思わないけどな。どっちにしても、助けられたみんなは、いまどんな顔をしてる?」


 分かっている。

 いま僕の身体は弱りに弱り切って、鈍くて重い。

 ただ、頭のほうは違う。すっきりと軽く、冴え渡って、しっかりと『現在いま』を認識できている。


 『未来視』や『過去視』どころか、もう《ディメンション》で周囲を警戒する必要もない。

 『並列思考』で何か別のことに気を払うこともなければ、誰かの『糸』に怯えることもない。

 『現在いま』、自分と自分の目の前にいる人たちを見るだけでいいから、全てが鮮明で明快だった。


 だから、100層にいる『理を盗むもの』たちの魂と同じように、僕も苦笑いを浮かべられる。


「ああ。偽善だとしても、その人助けは『本物』だったんだ。生まれが『作り物』だからって、やってきた行為ことまで偽物になるわけじゃない」


 僕は間違いだけじゃなくて、自分で自分を誇りに思える行為こともたくさんやってきた。

 その全てを『なかったこと』にしようとしたから、こうして『理を盗むものみんな』から怒られてしまった。


 僕は自嘲しながら、泣きすぎて掠れた声で話し続ける。


「ただ、偽善者は偽善者だから。近しい人を救うのは、ともかく……。世界を救うなんて……、本当は、流石にもう……、――やる気がしない・・・・・・・


 そう言い締めて、笑い終えた。


 偽善を誇りに思ってはいる。

 けれど、追い立てられるように人助けを永遠に続けるのは嫌だと、はっきりと否定した。


 そのとき、視界に大事な『表示』が映る。



【スキル『???』が解除されました】

 作成した自分を元の魔力に換えて『払い戻し』されます。



 そのメッセージは、ラグネに殺されて死んだとき以来だった。

 『最深部の誓約者ディ・カヴェナンター』とは別にあった二つ目のスキル『???』を、いま解除できた。


 自分の意思で解除出来たことが嬉しくて、お祝いのように『表示』をスキル欄に移していく。



【スキル】

 固有スキル:最深部の誓約者ディ・カヴェナンター

 ???:???



 全ての締めくくりを知らせるスキル名なのに、『???』のままなのが少し味気なく感じた。

 思えば、ここ最近の僕は《ブラックシフト・オーバーライト》《トルシオン・フィールド》と、せっかくの強い魔法たちにシンプルな名前ばかり付けていた。


 だから、このスキルだけは少し凝った名前を付けたいと思った。


 先ほどライナーが提案したように、名前とは大事なものだ。

 かつて僕が教えたことを教わった通りに、まずイメージを一杯広げていく。

 それから、これまでの物語を詰め込んで、ルビも付けて、楽しく、大仰に――


「――スキル『夢祝いの湖面ペルソナ・アニマムス』。いままで、ありがとう。けど、もう『理想』はいいんだ。おまえの生みの陽滝おやには、ちゃんと相手ティアラが見つかったから……。もう、いいんだ」


 『夢祝いの湖面ペルソナ・アニマムス』は僕が湖凪さんを失ったあと、陽滝に被された概念的な仮面だ。


 記憶が戻った僕にとっては、妹に何度も脳を弄られて、魂を変質させられたトラウマの象徴だが……。

 陽滝とお別れしたあとも、ずっと被り続けていた理由は一つ。


 ――僕は誰にも本性じぶんを見せたくなかった。


 こんな最低な僕でも好いてくれる人がいるのは、このスキルで「まるで『主人公』のような」という枕詞まくらことばがあるからだと思っていた。


 だから、『ラスティアラ』の前では絶対に脱げなくて……。

 生きている限り、永遠に仮面を脱げないと追い詰められ続けていた。


 でも、この『終譚祭』を通じて、その気持ちが少しだけ変わった。


 僕は殺したいくらいに僕が嫌いだ。

 けれど、今日僕を止めに来てくれたみんなの分は、自分を好きになっていい気がした。

 今日までみんなと積み重ねてきた分だけならば、自信を持っていい気がした。


「だから……、もう休んでいい……。もちろん、もうおまえも僕の一部だ。『最深部の誓約者ディ・カヴェナンター』みたいに、また頼るときもあると思う。そのときまで、どうか休んでてくれ……」


 そのスキルについて話せば話すほど、身体から力が抜けていく。


 それは『契約』が途切れていくのに少し似ていた。

 ここにいる世界あなたに仮面の力を明かすということは、ずっと自分を支えてきた「まるで『主人公』のような」という枕詞による贔屓を捨てるということだった。

 その確認の為にも、僕は自らの名前欄を『表示』させる。



零守護者ゼロガーディアン】月の理を盗むもの



 はっきりと見える『月』という言葉。

 もう『星』ではなかった。


 全人類の『幸せ』を一身に背負う姿は、僕自身の思い描く『理想』でしかなく、本質でなかったからだ。


 さらに言えば、もう『次元』でもない。

 あの永遠さえも克服する姿は、妹陽滝が望んだ『理想』でしかなく、本質ではなかったからだ。


 ――だから、残ったのは、『月』のみ。


 周りから届く光を反射させて、やっと世界あなたに存在できるのが、僕の本質。


 それを認めて、最後のスキルを解除し終えた。

 そして、もう『次元』でも『星』でもなくなった瞬間とき――



ボクは・・・見たくない・・・・・。そんな神様なんて。――《ディスタンスミュート》」



 そのスキル解除は、彼女・・の『理想』を裏切るということでもあった。


 ただ、彼女の悲しみながら恨む声が聞こえたとき、すでに僕は動き終えていた。

 身体は鈍く、もう前までの『速さ』はない。

 しかし、視野だけは過去最高に広かった。


 『夢祝いの湖面ペルソナ・アニマムス』を解除して、顔を覆っていた分が開けたからだろうか。

 『狭窄』を含めて、あらゆる枷から解放されたからだろうか。

 僕から「やる気がしない」と聞かされた彼女の気持ちと行動を読めて、先んじて気づくことができた。


 戦いが決着して、術式の継承をする僕――の背後。


 突如現れたのはおそらく、《コネクション》の応用による瞬間移動だろう。

 比喩なく瞬く間に現れた彼女は、さらに全身を跳ねさせるように《ディフォルト》で距離を縮めて、その《ディスタンスミュート》で纏った腕を伸ばす。

 それは次元魔法使いの反則的な魔法による完璧な不意打ちと言ってよかった。


 ――だが、僕は避けた。


 ゆったりとした動きでも、守るためにライナーを突き飛ばす余裕すらあった。

 その未来を読んだかのような僕の動きに彼女が驚いていると、顔を見なくても伝わってくる。


「…………っ!!」


 そして彼女は魔法に任せた急速な跳躍によって、僕とライナーの間を通り過ぎていく。

 五メートル先ほどの浅瀬に足を付けて着地――することはなく、胴から倒れこんで転がった。


 十分過ぎるほど水に濡れたあと、伏せたままで、こちらに向かって顔をあげる。

 その動きは僕以上にゆったりとして、弱々しく、疲れていた・・・・・

 なので、彼女は着地に失敗したわけではなく、ただ着地を頑張る気がしなかっただけだ。


 彼女のことなら、本当によく分かる。

 まるで、鏡で自分を見ている感覚だった。


「おかえり……、ノイ」


 だから、できるだけ優しく迎えてやりたいと、彼女に――元『世界の主』であるノイ・エル・リーベルールに柔らかな挨拶をかけた。


 その間も、鏡の前に立つ感覚は止まらない。

 なにせノイは、かつて殺し殺されたラグネ・カイクヲラの大人の姿を借りて、使っている。


 その彼女が浅瀬の上で全身を水に濡らして、凍えるように身を震わせていた。

 唇を噛みながら涙を浮かべて、じっと僕を睨んでもいる。


 あらゆる前任者であるノイは、僕の『未来』の姿と言っていい。


 そのノイと僕が向き合う。

 一度、『世界の主』に至った同士。

 この100層の絶対的支配者同士だった――はずなのに。


 もうどちらも、100層に立つことすらままならなかった。

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