228.地下編エピローグ/地上編プロローグ
そして、あの六十六層での戦いから、二日後。
ようやく――本当にようやく、僕たちは辿りつく。
迷宮の一層と地上の世界を結ぶ、最後の回廊に――
遠目に光が見えたとき、自然に身体が動いた。
魔石で彩られた『正道』の上を駆け抜け、迷宮の出入り口をくぐる。
瞬間、視界一杯に、赤みを帯びた光が満たされた。
迷宮の仄暗い光でも、魔法の光でもない。世界の自然から生まれた光が僕を包んだ。
ただそれだけのことで全身が打ち震える。
声がこぼれる。
「つ、ついた……! やっと外に出られた……! あの夢にまで見た青い空――じゃないけどっ、赤いけど! 夕焼けだけど、日の光! ああっ、やっとやっと――!!」
夕焼けの光によって、両目が染みる。途端に涙が出そうになる。
けれど、決して目を閉じることはなく、その光を一身に浴び続けた。いま僕は、初めて異世界に迷い込んで地上へ出たときと同じ感動を覚えている。
光合成するかのように両手を広げて、世界を全身で感じようとする。その後ろから、瀕死のライナーを脇に抱えたティティーも出てきた。彼女の反応も僕と同じだった。
「お、おぉぉ……、おぉおおおぉっ! 地上!? 地上じゃな? 地上でいいのじゃな!? もう地上ということで叫ぶぞ!? 地っ上、じゃぁああああああああああ――!!」
目を焼かれ、感動し、震えて、叫んだ。
「ああ、ティティー! これが地上だっ、外だ! そして、道だ! 歩道だ! 進めば、街もあるんだ! モンスターはいない!!」
「おおっ、それは本当か! かなみん! 進めば街か! 例の国か! あの連合国じゃな!!」
ちょっと涙が出ている僕たちだった。
そして、言葉にならない感動のせいか、会話のキャッチボールが全て全力投球だ。
付近を歩く他の探索者さんたちは、出入り口で叫ぶ僕たちを蔑む目で見る。簡単に言えば、頭が可哀想なんだな……と見られちゃっている。
その視線を僕はわかっている。感じている。
けれど、止まらない。止まるわけがない。なぜなら、その他人の目さえも、いまは感動の材料となるからだ。
なにせ僕たちは、もう丸二日近く眠っていない。眠らなければ眠らないほど強いと噂の僕は、テンション最高潮で集中力は限界まで研ぎ澄まされている状態だ。おそらく、ティティーも同じ現象に陥っている。
つまり、いまの僕とティティーは、目に映る世界全てが神々しくて堪らないのだ。ちょっとやそっとのことで、この暴走は止まらない。
当然、笑顔で叫び合う僕たちを、周囲の探索者さんたちは距離を取る。
その中で近づいてくれたのは一組の少年少女だけだった。
「ほ、本当に長い間、迷宮に潜っていたんですね。お兄さんとお姉さん」
焦げ茶色の髪の少年が、ティティーの後ろから現われ、出入り口前で騒ぐ僕たちに声をかける。
ライナーより少し幼い――十二歳前後に見える少年だ。名前はアル・クインタス。装いは探索者として真っ当で、動きやすいなめした革の防具を身につけ、腰には小振りの剣を下げている。駆け出しの探索者といった風貌だが――レベルは14と異様に高い。実に将来有望な少年だ。
少年アルの目も周囲の探索者たちと変わらない。できれば、いますぐ僕たちから離れたそうに見える。けれど、それを我慢して僕たちに付き合っている。
その理由は単純。アルを僕が金で雇っているからだ。
六十六層から地上へ向かう途中、二十層を越えたあたりで人のよさそうな少年少女を捕捉したので、全力で捕まえて、金に物を言わせて食料と水を分けて貰って、ついでに地上まで同行してもらったのである。
アルに声をかけられたことで、まずティティーが振り向く。
ハイテンションの余り、いまにもアル君を胴上げしそうな勢いだ。
「うむ、
とても面倒なことになりそうな発言をしそうだったので、その背中に蹴りを入れて止める。
「余りに長いこと迷宮に潜り過ぎて、千年くらい経ってる気がするってやつだね!」
ちょっと無理のあるフォローを入れて、なんとか誤魔化そうとする。
「面白い人たちですね……。いまにも死にそうなのに、余裕があります……」
その漫才にも似た掛け合いを、運良くアル君は余裕とみなしてくれたようだ。
このまま暴走していては素性がばれてしまう。僕は少しだけ冷静さを取り戻して、彼と話をしながら迷宮の『正道』から街道へ移っていく。
「まあ、これくらいは慣れっこだからね。それに、もう地上に出れた以上、安全は確保できたようなものだし……」
「死にかけが慣れっこですか……。すごいですね。それが『二十層越え』している熟練の探索者の考え方なんですね。勉強になります」
そういう設定で通してある。
探索者というのは、別に嘘ではない。ただ、すぐ隣で、五十層あたりに出てくるはずのボスキャラが背中を蹴られて頬を膨らませているかもしれないが……嘘はついてない。
「いや、死にかけが慣れっこになるのは悪い見本だから、真似しないようにね。いついかなるときも安全を確保する。それが迷宮の基本だよ」
「はいっ。いつか俺たちもお兄さんたちのような探索者になれるように、精進します!」
「いや、僕たちの真似はしちゃ駄目だからね。僕たち、かなりアレだから。本当にアレだから」
「確かにアレですが……、実力が確かなのは間違いないですよ」
苦笑しながら、アル君は僕たちに尊敬の目を向ける。
途中から『正道』を進んだとはいえ、迷宮の中にいればモンスターと戦うのは避けられない。僕とティティーが戦闘を手伝うことは何度かあった。手加減に手加減を重ねていても、その何度かの戦闘で、アル君は僕たちの強さを理解したようだ。手放しに褒め続ける。
ただ、すぐにその褒め殺しは中断される。この脱出パーティーの最後の一人である少女の声だ。
「あの、激励はありがたいのですが……。お話よりも、早く休めるところに行ったほうが……。そちらの方が、本当に死んじゃいます……」
「あ、ああっ、そうだね。ちょっと忘れてた。ありがとう、エミリーちゃん」
アル君の連れの少女エミリーちゃんが、ティティーの脇で呻くライナーを指差す。
銀色の髪に黒目という少し特徴的な見た目の少女で、神聖魔法を使ってアル君の後ろで魔法使いをやっているらしい。
「いえ、私如きが差し出がましいことを言いました。すみません」
「そんなことないよ。本当にありがとう」
エミリーちゃんは人見知りなのか、恥ずかしそうに顔を背けた。
その横顔を僕は見つめ、彼女の『表示』を再確認する。
そこには『素体』というスキルがあった。その少しちぐはぐな雰囲気から『
ただ、そのことでアル君に探りを入れたみたところ、さほど『
この一年で、地上の状況がかなり変わったことがわかる話だった。わざわざここまで二人に同行してもらったのは、時代に一年遅れていることで問題が起きないようにするためでもあった。
「それじゃあ、アル君。地上に着いたから、報酬のほうを支払うね。と言っても、もうほとんど先払いしてるけど……」
懐から取り出す振りをして『持ち物』からお金を取り出す。
なんだか、この行動もちょっと懐かしい。迷宮連合国に帰ってきたのだと実感する。
「えっと、本当に頂けるのですか? 前払いだけでも、かなり頂きましたけど」
「遠慮はいらないよ。一応、この中に口止め料も含んでいるからね」
これでも本当はもっとあげたいところを、ぐっと堪えている。
なので、ぎりぎり常識内の金額だ。
「では、ありがたく頂戴します。あなたの名前は聞きませんし、あなたと会ったことを吹聴もしません。……あなたたちの旅路に幸あらんことを」
「うん。それじゃあ、僕たちはヴァルトのほうへ行くね。護衛、本当にありがとう。君たちも頑張って。心から応援してるよ」
報酬を手渡したあと、僕たちは別れを告げる。
アル君たちはこの臨時収入で買い物をするため、これからフーズヤーズのほうへ行くらしい。僕たちのほうは、このままヴァルトへ行く。
「
ティティーも笑顔で見送る。
僕とティティーは心からの魔力をこめて、二人に「何か加護あれ」と祈った。
「は、はい、ありがとうございます。それでは……」
「失礼します。お兄様、お姉様……」
二人は何か呪いを受けたかのように少し肩を震わせたあと、去っていく。
その見送りは姿が見えなくなるまで続き、ついでに見えなくなったあとも二人の会話を拾う。
「――それじゃあ、エミリー。フーズヤーズまで急ごう。まだやるべきことは一杯ある」
「うん。けど、あの先輩さんたちのおかげで、装備の新調までの計画が十日は縮まったよ? そんなに急がなくても……」
「これは俺たちの努力で縮まった時間じゃない。運がよかっただけだ。勘違いすると、あとで苦労するのは俺たちだぞ」
「そ、そうだね。ちょっと油断しちゃったかも」
「ここで二人で成り上がるって決めたんだ。その日が来るまで、気を抜かないでいこうぜ」
「うん。わかった……――」
う、初々しい……。
昔も僕はあんな感じだった気がする……。ただ、昔って言っても、まだ体感だと一ヶ月ちょっとしか経ってないのだけど……。
その新人探索者の初心を見習って、油断なく僕も二人に裏がないかを確認しきってから、ゆっくりと歩き出す。
その後ろをティティーはついてくる。
「うっわー、地上も大分変わっておるのー。あの変な雲も消えてるし、まるで別世界じゃー」
千年ぶりに帰ってきたティティーからすれば当然だろう。
そして、一年ぶりに帰ってきた僕も、同じ言葉を口にする。
「確かに、かなり変わってる……」
新人二人に癒され緩んだ心を引き締め、『持ち物』から大きめの外套を取り出して、できるだけ人相を隠し……この一年後らしい世界を考察する。
まず、いま歩いている『正道』からしてかなり変わっている。たった一年で、迷宮の『正道』が二十四層から三十層まで延長されていた。さらに材質も、以前より上等なものに作り変えられているのが一目でわかる。
ざっと身体に負担がかからない程度の『ディメンション』を広げたところ、僕の知っているヴァルトの街でなくなっていることもわかった。明らかに建物と道が増えて、人も増えている。建築中の家屋が異常なほど多く、行き交う人々の質も変わっている。以前よりも懐の暖かそうな人が多い気がする。
そして、一番驚くべきことは街の『
そこには箱型の車両があった。
汽車――いや、蒸気機関ではない。魔石を使った機関車であるように見える。おそらくは、『
だが、それでも車両があるのは間違いない。
前から魔石を使った船とかはあったのだから、別におかしい話ではない。車輪の技術などが追いつけば、すぐに街中へ普及できる下地はあった。
ただ、こうも突然に、そして当然のように存在しているのは気持ち悪く感じた。
どこもかしも活気に満ちて、荒事を生業にしている者たちの顔さえも明るい。
西部開拓時代か高度成長期――なんて、僕の世界の言葉が頭に浮かぶほどに世界は変わっていた。
もちろん、まだまだ文化も技術も全く追いついていないのだが……。
それでも、その激変の中へ確かに潜む『
まるで不安定な台の上にある、ちぐはぐで未完成な芸術品を見ている気分だ。
その気持ち悪さは、目に見える表の世界だけの話ではなかった。
明るい表側の世界が成長すれば、それを糧にする裏側の世界も同様に成長するのは当たり前だ。街の影に、一年の急成長の負債が溜まったかのような光景を見る。
明らかに貧民の数が倍増している。
空気は張り詰め、路地裏の血の気も倍増している。
主人に捨てられたであろう奴隷たちの姿も多い。
その中には『
先ほどのアル君とエミリーちゃんなんて二人組が生まれてしまう環境であることを、直に見て理解する。
本土で解約された元奴隷の少年アルに、国から廃棄された『魔石人間』の少女エミリー……一年前ならば絶対にありえない組み合わせだ。
迷宮の中での二人の様子を思い出す。二人とも『表示』の職業は未だに『奴隷』で、使用する魔法は見慣れないものだった。
――本当に『迷宮連合国』は変わった。
さらに神経質なことを言えば、ヴァルトの獣人の割合が減っているような気もする。そして、白銀の装いの騎士が妙に増えていて、街を彩る魔石の輝きが少し毒々しいような気もする。
感じるギャップは、一年どころの話ではない。
一つ時代を超えたかのような感覚だ。
そして、こんな世界を傾けるような真似ができる人物なんてそういない。
心当たりはある。おそらくは――
「――のう、かなみん。観光したいのはわかるけど、
僕が《ディメンション》に集中していたのを、ティティーが中断させた。
「あ、ああ、そうだね……。僕も腹の虫が収まらない。アル君たちから貰った携帯食じゃ根本的な解決になってないね。もっと胃に優しいものを食べて、ゆっくり睡眠を取らないと、じきにこのハイテンションも途切れて……僕たちも、そこのライナーみたいになる」
ティティーの脇に抱えられた無言のライナーを指差す。
僕たちよりも早く限界を迎えたライナーは、見ていられないハイテンションになったので二人で気絶させたのだ。
じきに、僕たちもああなる可能性がある。
「うむ。そうなる前に早く向かおうぞ!」
「道は僕が案内するよ。ヴァルト国の出入り口から出れたからね。それなりにヴァルトのことは知っているから、店を探しやすい」
正直、一秒後には僕もティティーも倒れているかもしれない。
すぐに《ディメンション》で何か食べられるところを集中的に検索する。
ちなみに、かつて僕の家があったところは綺麗な更地になっていた。迷宮に近いという立地の悪さのせいか、新しい家すら建っていない。
うん。立地が悪いせいだ、きっと。
色つきのロープで囲われ、僕の世界の事件現場のような扱いを受けていても、きっと立地のせいだ。
僕の家は不可……ならば、ここから一番近くで融通の利く場所は一つしかない。
それはヴァルトの迷宮に最も近い酒場。
僕が働いていた酒場だ。
「よし、見つけた。近くに知ってる酒場が残ってたから、そこへ行こう」
「うむ、了解じゃ」
しかし、不可抗力だったとはいえ、僕の立場は店長の断りなく逃げ出した店員だ。さらに、あれだけのことをフーズヤーズでしでかしていれば、店に迷惑をかけた可能性だってある。
それでも、頼りにするならばあの酒場にしたいと思った。
思い出すのは、ラウラヴィアの『舞闘会』決勝で見た店長と店員リィンさんの顔だ。あのとき、見間違えでなければ二人は僕を応援してくれていた。
だから、さらなる迷惑をかけることになるとわかっていても――それでも、もう一度訪れたかった。
もちろん、その厚かましさに、呆れられ罵られる可能性はあるだろう。そのときは、いまの僕にできる恩返しをしてから、次の場所を探せばいい。
何であれ、ヴァルトに訪れていながら、あの酒場を選択肢から外すことだけはありえない。
迷宮から酒場までの道のりは歩き慣れている。少しくらい風景が変わっても、僕たちは迷うことなく辿りつくことができた。
以前と変わらない看板と扉が僕を出迎える。
記憶にあるままの、あの酒場だ。
そろそろ日が落ちきって、夕方から夜になる。
その前に、僕たちは入り口をくぐった。
そして、入店した瞬間に響く、気持ちのいい声。
「いらっしゃいませー。ご注文はー――って、え? こ、こちらの席へどうぞーって、え? ……え?」
看板娘のリィンさんだ。
変わらず快活な声を出して、元気に走り回って働いている。
リィンさんは来客に挨拶し、僕の外套から覗く顔を見て、計三度硬直した。それでも接客のプロとして、なんとか席へ案内していく。
「お久しぶりです、リィンさん。できれば、一番隅の席までお願いします」
外套をずらして、はっきりと顔が見えるようにしてから頭を下げる。
首筋から見える火傷の痕から、僕であることを確信してくれるはずだ。
「も、もしかして、キリスト君……?」
「はい」
頷く。
すると、リィンさんは両手を口に当てて、尻尾のような後ろ髪を揺らして、可愛らしく騒ぎ出した。
「わ、わー! わー、わー、わー!! 本当にキリスト君だ! この一年でおーきくなって――はいないけど! あのキリスト君だ! 変わってないねー!!」
「あ、あの、できれば少し静かにしてもらえると……」
目立つのは避けたい……と言っても、隣のティティーのせいで最初から不可能だったかもしれない。
脇に金髪少年を抱えている長身の美人だ。それに加え、ティティーには大物特有のオーラがある。あれでも一応、元は帝王みたいなものだったせいだ。
その結果、酒場で賑わっていた探索者たちの目線が、いくつかこちらへ向いてしまった。
「あ、ごめん。ちょっと興奮しちゃってさ」
「いえ、構いません。本当に久しぶりですから……。そして、遅れてすみません。その、とても長い間、無断欠勤してしまって……」
申し訳なさそうにするリィンさんへ、まず深く頭を下げる。
「え、え? そんなこと気にしてたの? あれだけのことがあって?」
「そりゃ気にしますよ。無断欠勤はよくないことです。してはいけないことです」
「いや、そもそもさ、あのときは迷宮に行くことを店で許可してたんだから、いつ君が生死不明になっても驚かない用意をこっちはしてたわけで……」
「……そ、そういえば、そうですね」
かなり身構えて店に入ったものの、どうやら一人で要らぬ心配をしていたらしい。やっぱり、一人で考えこんでもいいことなんてない。この酒場を頼って、本当によかった。
「このどこかずれてる感じ、私の知ってるキリスト君だね……。最近は、君の偽者とかいるらしいけど、これは間違いない……」
「え、僕の偽者なんているんですか……?」
「そりゃいるよ。だって、あのキリスト君だよ?」
その「あのキリスト君」とやらの人物像を、余り知りたくないと思ってしまう。
とてもとても嫌な予感がする。
「えっと、すみませんが、世間話はあとでゆっくりしてもいいですか? いまは挨拶するどころじゃないほど、お腹が空いていまして……」
「あっ、そうだよね。ここは酒場で、いま君はお客さんだもんね」
「ここ数日、ろくなものを食べていないので、お腹に優しくて温かいスープ系のものを三つ頂けませんか? あと、すぐに泊まれるところも探しているんです。ちなみに予算はたくさんあります」
地下生活では地上のお金が使えなかったので、アル君たちへの報酬を払ってもまだ余裕はある。
「あー、やっぱりそういう感じなの? 確かに、君たち三人ともボロボロだもんね。そっちの子なんて、死にかけだし……。わかったよ。ちょっと、それも含めて店長に伝えてくるねっ」
「お願いします」
注文を受けたリィンさんは、僕たちを一番目立たない席に案内したあと、急ぎで厨房のほうへ走っていく。
ひとまず、このまま待っていればスープは貰えそうだ。
「ふう……」
「かなみん、周りから見られてるよ?」
ティティーはライナーを人形のように席に座らせてから、周りを見るように促してくる。
目を向けずとも、《ディメンション》のおかげで、その周りの目線も声もわかってしまう。その中には、僕の名前を出している探索者さんもいた。
「お、おい。あれって……」
「ああ。まじで、カナミってやつか……? 黒髪黒目だ……」
「えっと……、確か正しい名前は『アイカワカナミ・キリスト・ユーラシア・ヴァルトフーズヤーズ・フォン・ウォーカー』だっけか? もう少し長かった気もするが……」
「そういえば、国によっては様付けしないとまずかった気がするぜ……。あと、名前の頭に『
「ああ、あったあった。二つ名がすげえ一杯あった。確か――」
み、認めたくないから、これ以上聞きたくない……。
なんで
赤くなった顔を隠すため、僕は俯く。
それを、にやにや顔のティティーがからかいだす。
「ははっ、噂されておるな。かなみんってば、この
「いや、絶対に認めたくない名前で噂されてるから、僕のことじゃないと思いたいんだけど……」
「ふふーふふー、ふふふふふー。それは
元は魔王なんて痛い称号を持っていた子は、同類を見つけて嬉しそうだった。
つい最近、その不本意な称号の果てにある不幸を知ったばかりなので、本気で恐ろしい。
「なんかおまえとお揃いは、不幸になりそうで嫌だな……。割と心底からそう思う」
「いや、それは
「か、顔が不幸そう……? まじか……?」
「まじまじじゃ。放っておいたら、陰鬱な表情しかせんからの。かなみん」
僕は《ディメンション》で自分の顔を見る。
確かに、言われてみれば少し暗そうだ。
そういえば、元の世界での人相占いや手相占いをしてもらったときも、似たようなことを言われた気がする。生まれながらにして不幸を背負ってるように見えるから、この壷を買えとか何とか……――あのときは深く考えず断ったが、本当は壷を買っていたほうがよかったのだろうか……? あの壷を買ってさえいれば、異世界に呼ばれることも洗脳されることも人格否定されることも妹と身体を交換されることもなかったのか? この異世界では加護というものが確かに存在するのだから、あの壷のご利益とやらも本当にあったのかもしれない。もしそうだとしたら、僕は僕の救済の可能性を自ら潰したのだろうか? それも他人を信じ切れなかったばっかりに――
「そうやって、一人で考え込む癖ついてるのが駄目っぽいぞ。どうせ、ろくでもないことを一人で考えておるじゃろ。注意するのじゃ」
「うっ……。確かに悪い癖だ。教えてくれてありがとう、ティティー」
眠気と空腹が限界に近いせいか、いつも以上に馬鹿なことを考えている気がする。
壷って何だ、壷って……。
いや、まあ、帰ったら買うかもしれないけど……。お払いとか厄落としとかの意味をこめて、念のために……。うん、念のため念のため。
「よいことよ。
「ああ、頼りにしてる」
ティティーは胸をどんっと叩いてみせた。
本人は否定するだろうが、ティティーの上に立つものとしての器には頼もしさを覚える。将来の不安は一瞬で掻き消えてくれた。
そんな他愛無い話をしている内に、店内の一人の男が僕たちのテーブルに近づいて声をかけてくれた。
「おう。店がざわついてると思ったら、まじか。まじで、いつかの新人じゃねえか。久しぶりだな」
「クロウさん。お久しぶりです」
僕のレベルが一桁だったとき、色々と世話をしてくれた戦士さんだった。一年前、いつも彼はこの店で食事を摂っていたけれど、それはいまも変わらないようだ。
「おっ、よく覚えてくれたな。ちょっと感動だぜ」
「迷宮について教えてくれた恩は忘れていません」
席を立ち上がり、クロウさんと再会の握手をして、テーブルの余った席に座ることを促す。
それを見た周囲の人間のざわつきは増す。
店に知己のものがいたことで、疑いが確信に変わっていく。
「おい、まじみたいだぜ。『アイカワカナミ・キリスト・ユーラシア・ヴァルトフーズヤーズ・フォン・ウォーカー』様だぜ。あの『アイカワカナミ・キリスト・ユーラシア・ヴァルトフーズヤーズ・フォン・ウォーカー』様だ」
「おおっ、まじか。あれが、まじの英雄か。初めて見た」
「確か、ウォーカー家まで連行したら報奨金出るんじゃなかったかしら?」
「あの連合国『舞闘大会』の優勝者だぞ。どうやったら、予選落ちの俺らが勝てるんだ。たぶん、隣のクロウの兄貴にも勝てねえぞ……」
名前を連呼し続けてる人……、もうやめて。
そして、やっぱり首に賞金がかかってるらしい。
とはいえ、すぐ襲い掛かってくるという空気ではなく、落ち着いたものだ。
流石は迷宮直近の酒場だ。犯罪者がいても慣れた様子である。
ただ、僕だけが『アイカワカナミ・キリスト・ユーラシア・ヴァルトフーズヤーズ・フォン・ウォーカー』様という名前に慣れない。
笑うティティーの横で、顔を赤くして俯かざる得なかった。
そして、そのざわつきを切り裂くように、厨房の奥から店長が現れる。
「おまえらっ、騒ぐんじゃねえ! こいつは俺を、この店を頼ってここまで来たんだ。手出しは、この俺が一切させねえっ。……いや、よくよく考えれば、もう俺よりも新人のほうが強いのか?」
声を張り上げて、僕を守ってくれた。
懐かしい安心感だ。前に働いていたときも、こうやって助けてもらったものだ。
「いいえ、そんなことはないです。店長は、ただ強いだけでなく、大人としての威厳があります。だから、今日僕は安心してこの店に入れたんです」
「お、おお。その胡散臭い物言い。確かに、うちの新人っぽいな。本当に久しぶりだな」
胡散臭いと言われて内心ショックを受けながら、僕は頭を下げる。
「本当にお久しぶりです。えっと、色々とご迷惑かけました」
「誰にも迷惑なんてかかってねえよ。お前一人消えても、うちは問題ないって最初に伝えてただろ。自惚れんな、新人。……とまあ、色々と言いたいことはあるが、まずは食え。ざっと作ってやったぞ」
色々と僕の立場は変わっていても、店長は物怖じすることなくいつも通りだった。短い間だったが、共に仕事をしたことで僕の性格を把握しているのだろう。それは僕にとって、最も嬉しい対応だった。
そして、その両手にある皿をテーブルに置く。さらに奥からリィンさんも現れて、追加の皿を置いていく。
香辛料を少なめにしたパンスープと、しんなりと柔らかくなるまで湯がいた温野菜のサラダだ。スープはミルクをベースにしていて、サラダのドレッシングは油分の少ない柑橘系だ。僅かに降りかかっている胡椒の香りが、僕たちの胃袋を刺激し、唾液分泌を促す。
案の定、その匂いにつられ、眠っていたライナーが起きる。
「い、頂き……、ます……」
ゾンビのように動いて、少しずつスープを口に含む。
「美味しそうじゃな! 先に頂くぞっ、かなみん!」
ティティーのほうは元気よく貪りだす。
その二人を見つめる店長は、少し険しい目をしていた。やはり、店長ほどの人物になれば、二人の実力がわかるようだ。
「で、こいつらは何者だ……。また厄ネタか?」
「え、えーっと……、フーズヤーズの元騎士と旅の女芸人かな……? 迷宮探索の仲間みたいな感じです」
とりあえず、間に合わせの紹介をしてみる。
「ライナー、です……。無作法、申し訳、ありません……」
スープの皿に口をつけたままのライナーが、何とか名前を伝える。
そして、ティティーのほうは、なぜかライナーと似たような格好で文句を言い出す。
「げ、芸人ってぇ……。童は元王族なのじゃぞぉー、えらいのじゃぞぉー……」
「いや、おまえ。
「ん、ん? そういえばそうじゃな。なぜだろね。手放そうとすると、ちょっと惜しくなる心理……。あぁー、不思議じゃぁー。それはそれとして、このスープがすんごく身にしみるのじゃー」
店長の美味い料理のせいか、とても駄目になっていた。
この二日分の疲れが……いや、千年分の疲れが表に出てきているのかもしれない。
「はあ……。いいからおまえは黙ってろ。腹減りすぎて、よくわからんこと言ってるぞ」
「うぃー、いえっさーじゃー。もぐもぐ」
自分でも混乱しているとわかっているのか、素直に大人しくなった。
そして、僕は野菜サラダを貪ることに夢中となったティティーの頭を指差して、紹介を続ける。
「彼女は旅の女芸人で、名前はティティーです」
「いま、王族って言わなかったか……? いやいいか。せっかく帰ってきたんだ。細かい話はなしだ」
また厄ネタであることを店長は察して、苦笑しながら追及をやめる。
それを向かいに座っているクロウさんは笑い、リィンさんは同調する。
「そうね。私たちは何も聞かないわ。だって、私たちはキリスト君の人柄を信じてるからねっ。なんだかんだでいい子で、もし何かあってもラスティアラ様のときのように、華麗に問題を解決してくれるって信じてるわ!」
「――っ!」
――
その名前が出たとき、弱っていたはずの身体に熱が灯る。早鐘のように胸が高鳴り、頬の紅潮が色濃くなる。
わかっている。
その感情はスキル『???』がスキル『
これは間違いなく『恋心』。
だから、僕は名前を聞いただけで、落ち着かなくなるのだ。
あの白銀の髪の煌きを思い出してしまった。
朝霧のように幻想的で、白刃のように美しく、陽光のように優しい少女の姿――、その笑顔を――
「あの……、そのラスティアラ・フーズヤーズが、いまどこにいるのか知っていますか……?」
「え? そりゃ、いまは大聖堂にいらっしゃると思うわよ? えっと、でもそれってキリスト君がフーズヤーズに帰したからだよね? そういう話だって聞いてるけど……」
僕がラスティアラの居場所を知らないのは不自然だったようだ。
すぐに僕は頭を切り替えて、情報収集を行う。
「そういう話って、どんな話ですか……?」
「どんな話って……キリスト君は、余りに不自由な現人神様の生活を憂いて、大聖堂から彼女をさらってきたんでしょ? そのあと、フーズヤーズの神官たちを相手に、現人神の扱いを変えるように交渉したって聞いたよ? それで十分に外の世界を見て回って満足したラスティアラ様は、自分の役目に納得して大聖堂に戻って、いまはその仕事を自分から進んでやってるって……、そう聞いてるけど……」
「そうですか……」
まるで身に覚えのない話だった。
しかし、あのあとの落としどころとしては妥当なところと思う。
ただ、納得できないところがあるとすれば一点。
あのラスティアラがフーズヤーズに戻って、進んで協力してるということだ。
一体どうなってるんだ……?
やはり、一年の月日の経過は大きいようだ。
あの日、もしもの場合をスノウに頼んだものの、それでも不十分だったのは間違いない。
僕がいないことで、ラスティアラはどうなったのか。
別れる前、ラスティアラは弱りに弱りきっていた。
それが、この一年後にどれくらいの影響を――
「かなみんよ、だから一人で考えるでない。まずは、その者のこと、この
また悪癖を再発させる手前で、ティティーが真剣な声で止めてくれる。
本当に頼りになるやつだ。『過去』と『いま』が合わさっている彼女には、器の広さで勝てる気が全くしない。
「ラスティアラ・フーズヤーズ……。彼女は僕の仲間だったんだ」
「ん、んー? フーズヤーズ? もしかして、ノスフィーの縁者かのう?」
「いや、どちらかと言えば、彼女はティアラの縁者で……」
ティティーを頼るため、説明を始める。
しかし、そこへずっと死にかけだったライナーが割り込む。少しの睡眠と栄養補給で少しだけ回復したようだ。
「……いや、キリスト。現人神は事情は複雑だから、会いに行って話したほうが早くないか? 明日にでも、フーズヤーズへ行こう。あいつが近くにいたのは、ラッキーだ。仲間に戻ってくれれば、アイドと戦うときの戦力になる。……というか、早く食事をすませて宿に行きたい……」
いまは情報共有より休息を優先したいそうだ。
確かに、ライナーの言うとおりで、会うのが一番手っ取り早い。なにせ、僕とラスティアラは仲間なのだ。ティティーには本土へ向かう旅の中で、彼女のことを彼女の口から教えてもらえば最も無駄がない。
「そうしようか。ティティーはそれで構わない?」
「ふむ。かつてのかなみんの仲間と言うのならば、直に会えばいいというのは賛成じゃな。やはり、人づてに聞くより、目で見たほうが間違いは少ないからの」
「あとちょっとアイドのところへ向かうのが遅れるけど、それは大丈夫?」
「ん? いま元気になったから、あと百年くらいなら余裕で待てるぞ?」
あっけらかんと『理を盗むもの』特有の感覚で答える。
何も問題なさそうだった。
虚栄でも何でもなく、ティティーの気の長さは世界一だろう。何せ、あの千年を乗り越えて、ここまでやってきたのだから。
「えっと、キリスト君……?」
話し合いを見守ってくれていたリィンさんが心配そうに名前を呼ぶ。
「久しぶりに連合国へ返ってきたので、明日にでもラスティアラの様子を見に行こうと思います。彼女とは仲がいいので、簡単に会えると思います」
強がりでもなんでもなく、それは本音だ。
いまならば、あの大聖堂の警戒網も問題にならない。こっそりと会うだけなら、簡単だ。
それを聞いた店長は、少し安心した様子で答える。
「よし、話はまとまったようだな。おまえらの宿のほうは心配するな。伝手はいくらでもあるぞ、そこのクロウにな。……ああ、何なら、前みたいにここに泊まってもいいぞ?」
「ありがとうございます。ただ、ここに僕たちが泊まるのは、ちょっと危険っぽいのでやめておきます。周りがこれですし」
「それじゃあ、一旦俺は厨房に戻る。何かわからないことがあれば、それもそこのクロウに聞け。こんなのでも役に立つからな」
それを最後に、店長とリィンさんは酒場の仕事に戻っていった。
すぐに僕は遠慮なく、「おやっさん、こんなのはないぜ……」と呟くクロウさんに話を持ちかける。
ただ、眠気と体力の問題があってか、世間話をする時間は余りない。早めに安全な宿屋の話を聞いて、そこまでの道のりを教えて貰って終わらせた。
そして、全員がパンスープとサラダを食べ終えると同時に、酒場を出る。
酒場の外でクロウさんと別れの挨拶を交わしていく。
「――今日は色々とありがとうございました。クロウさん」
「気にするな。おまえは俺の自慢でもあるんだ。おまえに迷宮探索のイロハを教えたのは俺だって、死ぬまで自慢できるようにしてくれよ? それじゃあな。また会えるのを楽しみにしてるぜ」
暗くなってきたヴァルトの街へ消えていこうとするクロウさんの背中を見ながら、僕は自分が幸運であると確認する。
迷宮に挑戦し始めた頃、こんないいところで、こんなにいい人たちと出会っていたのだ。それが幸運でなければ、何だと言うのだろうか。
顔を明るくして、僕たちは教えて貰った宿屋へ向かって歩き出す。
ちなみにライナーは、また限界を迎えて電源が落ちたのでティティーの脇だ。
それなりに割高で大きな宿屋へ辿りつき、受け付け大部屋を一つ借りる。
最初は男女別にしようとしたが、寂しがりやのティティーが嫌がったので一つだけとなった。この三人ならば、間違いなんて起きようはないと思ったので許可してしまった。
「ふーむむ。これがいまどきの宿屋か。悪くはないの」
ティティーはベッドの一つにライナーを放り投げ、近くのソファーへ座って一心地つく。
その間、僕は部屋に《ディメンション》を満たす。
怪しいものはない。魔法の痕跡も、魔法道具もない。
ただ、少し気になることがある。一年前にヴァルトで泊まったときは衛生面が気になって仕方なかったのに、この部屋の清潔さは僕の許容範囲だった。割高の宿と言えばそれまでだが、値段の割に妙に質がいい。
明らかに文化そのもののレベルが上がっている。
「これっ、だから眉をひそめるでない。もう癖となっておるのう。リラックスじゃ、リラックス。この
ティティーが話しかけてきたので、安全確認を終わらせる。
確かに、余り気を張りすぎて休息できなければ意味がない。
もし、何らかの襲撃があっても、この三人ならば誰かが絶対に気づくだろう。
スキル『感応』のある僕はもちろんだが、ティティーとライナーの勘のよさも異常の域に入っている。
「んー、たぶんだけど、ティティーとラスティアラは気が合うと思うよ?」
「ほほう?
どんな人って言われても困る。
「難しいな……。ただ、一言で言えば、そうだな……」
とても私的な話になるが、この胸の内にある一番の印象は一つだけだ。
ありのままにそれを伝える。
「――とても明るい女の子だよ。そして、ラスティアラ・フーズヤーズは僕の好きな女の子でもあるね」
好き。
それが僕にとっての彼女の全てだろう。
「へー、明るいんだー。で、かなみんの好きな
僕の一言を聞いたティティーは語尾に疑問詞をつけた。
「ああ、好きなんだ……。だから、早く会いたい……。仲間のみんなにも……」
宿屋という安全な場所に着き、心のままに言葉を吐き出したことで、一気に気が緩んできた。自然とまぶたは重くなり、身体をベッドへ沈ませていく。
あんなにも気を張っていた意識が、あっさりと遠ざかっていく。
遠くからティティーの声が聞こえるような気はするけれど、もう限界だ。
安心感のせいで、もう意識を繋ぎ止めることができない。
やっと連合国のヴァルトまで帰ってきた。
この地上には仲間たちがいる。
ラスティアラ、マリア、スノウ、リーパー、セラさん。
彼女たちには謝りたいことがたくさんある。話したいことも一杯だ。
そして、助けたい人と戦うべき敵もいる。
ディアをさらった使徒シス、妹の陽滝をさらった
やるべきことは多い……けれど、いまは休もう。
目を瞑って眠って、目が覚めれば、また新たな戦いが始まる。
負けられない戦いが、また――、だからいまはゆっくりと――……
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