446.本当の研究者


 特殊兵たちの背後にセルドラの影を感じたところで、情報整理を終える。

 同時に、ラスティアラからの助言が入る。


(――カナミ、横!)


 視界の端にいる一人が銃器を構えて、指先を動かそうとしていた。

 既に対策を終えている僕は、魔法名を口にする。


「――魔法《過密次元の真冬ディ・オーバーウィンター》」


 陽滝の魔石が戻ったことで使用可能となった魔法を、部分的に強める。

 かつては切り札だった魔法が、消費魔力の問題を解決して、さらなる力を発揮する。


 任意の場所を凍らせる魔法が、一人の特殊兵を襲った。

 銃器を凍らせて機能不全にすると、暴発が怖い。

 なので、狙ったのは特殊兵の関節だった。引き金を引く指の動きを限界まで鈍らせたあとに、魔法を追加する。


「――魔法《ディフォルト・武装破壊アーマーブレイク》」


 新しい応用魔法だ。

 魔力の濃い相手には効きにくいが、相手の装備品を歪ませて壊す。


 さらに、僕の『持ち物』と合わせれば、こちらの世界の拘束服と入れ替えることさえ可能だった。

 用意した拘束服は、魔力持ちの罪人を封じる為の特殊なアイテムで、鼻以外は呪布でぐるぐる巻きにする。人類最高クラスであるレベル20台の『筋力』でも引き千切れない代物なので、『元の世界』の住人では脱出不可能だろう。


 魔法は成立した。

 同時に、全てが終わる。


「――――っ!? ――――、―――――・・・―!!」


 拘束服を着せられた四人が、部屋の床に転がる。


 何が起きたのかわからない特殊兵たちは、すぐに声をあげようとした。

 だが、ほぼ猿轡をされているような状態のため、上手く言葉にならない。


 一瞬だった。

 銃口を向けてから一秒もかからずに、侵入者たち全員が戦闘不能となった。


 そして、思いがけず、戦利品も手に入った。

 『持ち物』の中に、『ヘルメット』と『突入服アサルトスーツ』と『防弾チョッキ』といった文字が並ぶ。

 『元の世界』の無線機に魔法を使えば、できることが広がるだろう。


「ァ――」


 これからの段取りを頭の中で決めているときだった。

 苦痛の混じった呻き声が、足元から聞こえる。


 視線を向けると、一人の特殊兵がゴクリと喉を動かしているのが確認できた。

 何かを飲み込んだとわかり、慌てて四人を『注視』する。



【ステータス】

 状態:毒1.79――



 一人の特殊兵に『状態異常』が出ていた。

 嚥下したのが即効性の高い何らかの薬品であるとわかり、僕は銃口を向けられるよりも動揺して、最上位の次元魔法を使わされることになる。


「――魔法《ディスタンスミュート》!」


 すぐさま、一人の胴体に紫色の腕を突き刺して、まさぐる。

 こういった魔法による手術の経験はある。

 ただ、致死量などはわからないので、胃の内容物をごっそりと抜き取って、部屋の床に捨てた。


 その内容物や男自身をよく『注視』したが、『状態:毒』であることしかわからない。

 僕が迷宮で『毒』にかかったときにも思ったことだが、陽滝の作った翻訳の『呪術』は意外と雑で、その細かな種類がわからない。

 診断している暇はないので、僕は自分の使える回復系の魔法を順番に試すという力技で『毒』を治して、最後に神聖魔法を使っていく。


「――神聖魔法《インフェイト》」


 弱った相手の意識を失わせる魔法を四人にかけて、一息つく。


 治療は終わったが、体内を詳しく見たほうがいいかもしれない。

 爆弾を詰められた特攻兵なんて、ゲームや漫画の話だろう。しかし、いま現代日本の常識では考えにくい映画のような自決を見せられたところだ――


 そもそも、僕たち兄妹は『元の世界』にとって、普通じゃない『化け物』なのだ。

 だから、向こうも普通じゃない覚悟を決めている。


「ははは。『化け物・・・』、か……」


 かつて僕がアルティやティーダといった『理を盗むもの』たちを見ていた目と、全く同じ視線を向けられていた。


 先ほどの『注視』だと、この特殊兵たちの中に同郷の名前もあった。

 もっと穏やかな状況で、日本名の人とは対面したかった。


 だが、明らかに彼らは僕の強さを知っていて、『あの相川陽滝の兄である相川渦波』という『化け物』として見ていた。


 間違いではない。

 僕は『魔の毒』という四肢を変容させる瘴気を纏い、平気な顔をしている。

 通常の銃器では凶器に足りえず、たったの一瞥で四名を行動不能にする。

 運よく不意を討てても、即死のダメージすら瞬時に回復する。

 本当に理不尽過ぎる『化け物』だと、自分でも思う。


(――カナミ! ちゃんと《ディメンション》を使って!)


 ただ、その思考は途中で断ち切られた。

 ラスティアラの『声』によって、僕は次に意識を向けられる。


(みんなを見て! 酷いことはされていないけど、制圧されてってる!)


 ここで生活している人についての話だと察したとき、《ディメンション》を地下空間全体に展開し終えていた。

 頭の中に魔法の感覚が足されて、瞬時に情報が詰め込まれていく。


 大聖堂の地下は基本的に、不規則に点在する大量の部屋を繋げるように階段や通路が張り巡らされていて、入り組んだ迷路となっている。


 その各部屋に、地上では働きにくい『魔石人間ジュエルクルス』や獣人たちが働いていたり寝ていたりするのだが、そこに先ほどの黒づくめ特殊兵たちが侵入していた。


「狙いは僕だけじゃないのか……? ラスティアラの妹たちを早く助けないと……!」

(ううん、カナミ! みんなは、そんなに柔じゃない! 一人一人助けに行くより、この状況の元を断つべき!)


 しかし、まだ焦る段階ではないとラスティアラは主張する。


 確かに、侵入されているのは、まだ地下の下層のみだ。

 下層職員たちには、侵入者が現れても無抵抗で捕まったほうがいいと言い含めているので、特殊兵たちも対応が優しい。

 僕相手のときとは違って、一人一人を手錠で束縛していっているのみ。

 しかし、それでも楽観はできないと思った。


「…………。間を取ろう。直接は向かわないけど、遠隔魔法で時間稼ぎする。それができる魔法が、僕にはある」

(で、でも……、いまカナミは……)


 万が一のことを考えて、折衷案を取った。


 かつて迷宮探索を二人でしたときと、同じ解決方法だ。

 だから、ラスティアラは即座に言い返すことができず、その間に魔法は構築し終わる。


「大聖堂の造りを変えろ。――魔法《ウッドクエイク・創造クラフト》」


 それはフェーデルトと共に連合国復興を目指して、開発されていた地形構築の魔法。

 体内の『理を盗むもの』の魔石を利用した複合魔法でもあった。


 地上では真価を発揮できなかった魔法が、地下空間で猛威を振るう。

 元々、この大聖堂の地下は、《ディメンション》をするまでもなくマップが頭に入っている。さらに僕が毎日生活することで、その過剰な次元属性の魔力が土に浸み込み、一種のフィールド系の魔法がかかっている状態だ。


 新たな魔力を浸透させるまでもなく、その魔法は流麗に奔る。


 ――現在、侵入者の数は十四人。


 その内、下層職員と隣接しているのは六人。

 すぐさま、地下の部屋を魔法で変形させて、下層職員と特殊兵の間に仕切りとなる壁を作った。

 ただ、出入り口を閉じて、密封はしない。

 窒息させたいわけではないし、過度に追い詰めるのも避けたい。この大聖堂地下のマップを頭に広げて、上手く『魔石人間ジュエルクルス』たちと出会うことのない出口のない迷路を作り上げていく。


 逃げ道さえあれば、彼らは調査で無駄な時間を使ってくれることだろう。


「はぁ、はぁ……。――っ!」


 簡易的な『迷宮』を作成したとき、息が切れる。

 さらに手足の先が震え始めて、ぐらりと視界が揺れた。


 久しぶりに魔法を連続使用して、とどめに『迷宮』作成という大技を使い、魔力が枯渇した――からではない。


 まだまだ魔力も体力も余裕はある。

 技術面が追いついていないというわけでもない。


 それは少し懐かしい感覚だった。

 ちょっとした精神的外傷トラウマが、僕に吐き気を催させていた。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」


 あの最後の戦いから、僕は魔法の使用に対して、僅かだが恐れを抱くようになっていた。

 意識せずに、ちょっと使うくらいなら平気だ。

 だが、体内の魔石を利用して、本気で・・・魔法を使えば、色々な記憶がフラッシュバックする。


 脊髄のあたりに、腐ってぶよぶよになった木の杭を打ったかのような気持ち悪さ。

 正直、そこまで辛くはない。

 こういうのに僕は慣れているし、適応しようと思えば、すぐにでも適応できる。


 ただ、それは身体の中にある『理を盗むもの』たちの魔石が馴染むということでもある。『相川渦波』という罅の入った器が、さらに完成へと近づく――


 ――その事実に、もう少しだけ目を逸らしたかった。


 裏切りたいわけではない。

 忘れたいわけではない。

 進むべき道がわからなくなったわけではない。


 ただ、あの『半身』だった少女と同じ轍を、踏みはしない……。


(カ、カナミ。本当に大丈夫? もう私は黙ったほうがいい? この『並列思考』の応用も、負担が大きいし……)


 魔法《ウッドクエイク・創造クラフト》を使ったあと、頭を抑えた僕を見て、ラスティアラは心配そうな声を出した。


 いま僕は、妹の陽滝の模倣で、『質量を持たない脳』を一つ作っている状態だ。

 実験段階だが、そのおかげで僕は意識することなく、自然に『声』と会話を交わせるようになった。

 その『質量を持たない脳』の停止を、ラスティアラは僕の状態を誰よりも把握してるからこそ提案した。だが、僕は首を振る。


「いや、このままでいこう。奇襲があったら、僕に教えて欲しい。おまえの『声』は、絶対に必要だ」

(……わかった)


 そんな『不安』そうなラスティアラの顔は見たくなかった。

 だが、そう簡単に、気持ち悪さは消えてくれない。


 まだ魔石を利用した複合魔法は使うべきではなかったかもしれない。

 魔石が馴染むことで強くはなれても、心の強さは自分次第。

 それを誰よりもわかっているからこそ、僕は力強く前を向く。


「それよりも、まずは動こう。時間稼ぎしている間に、この事件の元を解決しないと。――魔法《ディスタンスミュート》」


 行き先は、最下層。

 全身を透過させることで、部屋の床をすり抜けて、落ちる。


 真下にあった回廊に出た瞬間に、また一瞬だけ実体化して、固い床を蹴る。

 跳躍によって方角を調整しつつ、亡霊のように大聖堂の地下空間をすり抜け落ちていきながら、移動していく。


 数回の跳躍と飛び降りのあと、短時間で最下層の『遺体保管室』の天井を越えて、冷たい地面に着地した。

 部屋には誰もいなかった。

 花束が踏み荒らされているのを見たあと、僕は冷静に例の《リプレイス・コネクション》の魔法陣を見る。


 最後に見たときと、まるで違った。

 かなり不安定だが、壁の向こう側は確実に『元の世界』と繋がっている。


「完成してる。通った痕跡もある。これが事件の元だ……」

(……やっぱり、セルドラ?)

「迷宮の守護者ガーディアン、『無の理を盗むもの』セルドラ・クイーンフィリオンの仕業に間違いない。たぶん、誘ってるんだ。向こうで、存分にろうって」


 出入り口が占拠されていない理由が、他に考えられない。


 ある種の信頼を感じる。

 それは、言葉にせずとも伝わるだろうという友人同士ならではの信頼だった。


 セルドラは始めたいのだろう。

 この流れに沿って、『試練』を。


(これ、カナミが「百パーセント安全だって確信できるまで、生き物はくぐらせない」って言ったからじゃないの? いつまで経っても異世界に遊びに行けないから、痺れを切らした感じに見えるけど)

「いや、それは違うよ。セルドラは旅行前の段取りを楽しんでた。異世界に思いを馳せながらの《リプレイス・コネクション》研究を、僕以上に楽しんでた。……まるで、生まれて初めて、海外旅行に連れてって貰える子供のように」


 その楽しいという感情を読めていたから、まだ時間はあると僕は考えていた。


 飽きるのが早いとはいえ、目新しい楽しみがある間は安全のはずだった。

 しかし、そうはならなかった。


(……なんでかわからないなら、本人に聞こっか! で、二人でクリアしよう! 私たちなら、いつものことだよ。ノスフィーのときと比べると、楽ちん楽ちん)


 ラスティアラも『試練』の兆しは感じているようで、この先が迷宮の八十層も同然であるとわかっているのだろう。


 ボス層を前に、いつものごとく彼女は、好戦的な提案をした。

 それは消極的な僕と真逆の選択肢――にはならない。


「うん。いまなら、その彼女ノスフィーもついてる」


 大前提として、『元の世界』と『異世界』の間に、これ以上の余計な火種を生みたくない。

 目の前の魔法陣を潰しても、別口から兵を送り込まれる可能性は高い。

 単純に、セルドラは一秒たりとも放っておけない存在となってしまっている。


「行こう。僕たちなら、絶対に大丈夫だ」


 そう言い切って、僕は魔法陣の書かれた壁に向かって、歩き出した。

 躊躇いも迷いもなく、進む。


 そして、その歩みが壁に突き当たることはない。

 《コネクション》を通ったときと同じ感触だった。

 魔法の門をくぐり、世界という厚い壁を越えて、別次元へと移動していく。


 ――『元の世界』への帰還。


 それは迷宮一層に迷い込んだときからの念願だった。

 だが、念願の達成を祝福してくれる陽光は、空にない。


 門をくぐった先は、薄暗い『遺体保管室』よりも、さらに暗かった。

 しかし、開けた空間であると、吹き抜ける潮風と波の音が教えてくれる。

 足裏には、柔らかい砂を踏む感触。

 満天の星空による微かな光が、黒い海原を微かに照らす。


 屋外だ。

 場所は、当初の設定どおりに無人島の浜辺。


 時刻は『異世界』と変わらず、深夜。

 故郷に帰ったという感慨にふける間もなく、僕は情報収集を始めて――


「――魔法《ディメンショ――、――――っ!」


 島全体に《ディメンション》を展開しようとして、途中で飛来してくる物体を感じ取る。

 細長く尖ったシリンダー形状の弾丸が、三連発。


 麻酔薬か何かの薬品を注入して、僕を捕獲するつもりなのだろうか。

 魔法を使うまでもない。

 その温い攻撃を訝しみながら、最小限の動きで身体の体勢を動かして、かわす。


 その際、僕は一歩だけ移動した。

 砂浜の下に、固いものが埋まっている感触があった。反射的に、僕は凍らせる。


「――魔法《フリーズ》」


 おそらく、僕が出てくるところに、地雷のようなものを埋めておいたのだろう。

 先の魔法《ディフォルト・武装破壊アーマーブレイク》の応用で、即座に足元の触れた物体を『持ち物』に放り込む。


 そして、その僕の魔法の隙を突いて、更なる追撃の銃弾が遠方から飛来してくる。

 しかし、一度弾速を確認して、足場を確保した僕にとって、それは魔法の矢が飛んでくるのと変わらない攻撃だった。

 足に力をこめて、砂浜を穿つつもりで蹴り、跳ぶ。


「――魔法《グロース》《イクスワインド》《ディフォルト》」


 魔法で身体強化して、風を纏い、距離を歪ませての跳躍だ。


 狙撃の発生源は、約一キロ先の岩場。

 そこまで、一歩で近づき、二歩目で通り過ぎて、三歩目で方向転換と共に勢いを殺しつつ――岩場に潜んでいた四人の黒尽くめの特殊兵たちの背後を取った。


 そこから先は、一呼吸もかからない。


 魔力に耐性のない相手ならば、無力化させる方法は無限にある。

 とはいえ、先ほどの拘束具は無限ではないので、今回は背後から魔法《ディスタンスミュート》によって軽く魂をなぞり、昏倒させた。


 操り糸を切られた人形のように、全員が一斉に倒れ伏していく。

 それを見届けたあと、周囲を警戒して、《ディメンション》を島全体に覆い、半径十キロメートルの海域を見張る。


「…………」


 静かな海だ。

 気持ちが良い。


 夜の砂浜に、昆虫の鳴き声とさざなみの音だけが鳴り響く。

 少なくとも、現在の《ディメンション》内に敵らしい敵はいない。


(あ、あれ……? これだけ?)


 ラスティアラに僕も同感だった。

 待ち伏せが、余りに温い。


 僕が世界移動した瞬間に、核やガス兵器――いわゆる、ABC兵器の一つや二つくらいは撃ち込まれると思っていた。


 僕相手に条約を守る理由なんてないのにと思っていると、足元から呻き声があがった。


「くっ、ぁ、ぁあ……」


 気を失いながらも、苦しげな吐息を漏らしている兵士が一人だけいた。

 非常に息が荒く、体温は高く、発汗は激しい。

 顔色が異常なまでに、黒く変色している。


 その状態の悪さを不思議に思い、『表示』を確かめると、そこには毒という文字があった。何かを嚥下した様子はなかったので、これは自然発生だ。


「また状態異常……」


 『元の世界』の住民相手は、魔法での無力化が楽だ。

 だが、魔力への耐性がなさすぎるのも問題だと思った。


 普通の人間は『魔の毒』によって、身体が変質する。

 先ほどの《ディスタンスミュート》による魂のなぞりが、未知の症状を引き起こしたのかもしれない。


 いまも男の『表示』のHPは減り続けている。

 このままだと、彼は気絶したまま、緩やかに死ぬ。


(んー? 毒って書いてるね……。でも、まずは『撫でる陽光に謡え』『梳く水は幻に、還らずの血』『天と地を翳せ』っと)

「うん。――魔法《キュアフール》」


 相談なく、僕はラスティアラと共同で回復魔法を使った。


 手の平をかざして、淡い光で包み、HPを最大値まで増幅させた。

 すぐに彼の顔色は良くなり、息は整い、体温は抑えられ、発汗も緩やかになっていく。

 そして、なぜかHP回復の段階で、『毒』の文字が消えて、代わりに――


「え?」


 次は僕の指先が、先ほどの彼の顔のように黒く染まった。

 慌てて、僕は自分にも回復魔法を使う。


「キュ、《キュアフール》――」


 しかし、彼と違って、僕は回復しなかった。


 正体不明の症状が、身体に広がる。

 もし身体に害があるならば、それは体内にいるノスフィーの魔石が代わりに背負ってしまう。

 だが、その現象は起こることなく、指先あたりの魔力が『凝固』していく。


 『凝固』? 初めて見る魔法……?

 いや、本当に魔法でいいのだろうか……。


 すぐさま、逆の手で《ディスタンスミュート》を纏い、その症状そのものを強引に掴もうとする――が、掴めない。


「くっ……」


 正体不明だが、複雑な症状ではない。

 簡素に単純に、ただ『凝固』するだけ。

 だが、それを『術式』として、上手く読み取れない。

 この症状に込められている意味は『凝固』の二文字くらいで収まるはずなのに、なぜか解析・解読できない。


「そんなこと……」


 ありえないと口に出す前に、その正体不明の『術式』のような『何か』は増殖し始めた。

 『凝固』『凝固』『凝固』『凝固』『凝固』『凝固』『凝固』『凝固』『凝固』『凝固』と、その簡素過ぎる『何か』が延々と、コピーアンドペーストされていく。


 恐ろしいのは、その魔法の動力源となる魔力が、全て僕から捻出されていることだった。

 僕の指先に侵食して、巣食い、まるでコンピュータウィルスのように拡がっている。


 魔力の『凝固』が止まらない。

 指先から手の甲まで広がったところで、どこか心配するような声が空から降ってくる。


「――くははっ、戦時中の基本だ、カナミ。井戸に、毛布に、人に、触れるな。何を入れられているかわからない」


 いつの間にか、十メートルほど上空にセルドラが星空を背にして、滞空していた。


 背中に擬態色の黒い翼を広げて、揺れる黒髪の下に覗く黒目で見下ろしながら、ゆっくりと降りてくる。


 潮風に紛れて、『竜の風』が吹いている。

 ただ、その『竜の風』に攻撃の意志はない。いま侵食している腕の『凝固』と違って、その『竜の風』に乗った『術式』は明確に分析できた。

 《ディメンション》といった次元魔法を相殺するために、かつてノスフィーが作っていたものと似た『術式』が組み込まれている。

 さらに『糸』や『未来視』も警戒して、複雑で柔軟な『術式』も含んでいる。


 あるのは、防御の意志のみ。

 あらゆる全てに『適応』した風の被膜と共に、セルドラは姿を現した。


「セルドラ……」


 ほっと一息つく。

 その僕の反応を見て、セルドラは顔をしかめる。


「余裕そうだな、カナミ。『未来視』せずに来たな? もし視ていれば、それが条件を満たすと『理』に干渉するタイプと気づけたはずだ。さらに、こっちの世界の知識を利用していることも」


 鵜呑みにするつもりはないが、その「『理』に干渉するタイプ」というのは僕の中で、しっくりときた。


 そもそも、これを『術式』として解析するのは、ずれているという感覚が先ほどからあったのだ。


 おそらく、『術式』に似ているだけで、異世界の魔法とは全く別ルールの力だ。

 例えば、それは超能力・怪異・都市伝説といった別次元べつジャンルの違い。


 ならば、そこまで次元をずらして、合わせればいい。

 その作業は『並列思考』で行ないつつ、僕はセルドラに集中して、話を聞く。


「もしかして、そこにいる想い人が許してくれないのか? 物語の先読みすらも」


 僕の隣の何もない宙に、セルドラは視線を向けた。

 そこにラスティアラがいると信じて、話してくれているようだ。


「いや、『未来さき』を視ることは、いいことばっかりじゃないからだよ。逆に不利に働くこともあるって、僕は陽滝との戦いで教わった。実際、セルドラは『未来視』対策を色々してたんでしょ?」

「ん、まあな。そこの撒き餌にカナミが引っかからなければ、『未来視』をしているとして、また別の罠を考えてたんだが……。ただ、それでも――」


 対策されているならば、『未来視』をする分の魔力と体力を別のことに回したほうがいい。

 その考えをセルドラは読み取ったようで、僕の足元の特殊兵さんを見つめながら、僕の戦い方を不思議がる。


「……本当に何も視ていないのか。向こうで確保した異世界人を一人、魔法で尋問すれば、こっちの思惑は一発だったろうに」

「魔法じゃなくて、セルドラから直接話を聞きたいと思ったんだ。それが『理を盗むもの』にとって大事なことだって、痛感してるから」

「ははっ、まさにその通りだ。俺も・・そう思ってる・・・・・・。……しかし、まるで『主人公』みたいなことを言う。そりゃ、そうか。いまも、その『ヒロイン』様に見張られてるんだ。下手なことは言えないか」


 僕は真剣に話し合いをしているつもりだったが、セルドラは笑ってまともに取り合おうとしない。

 僕じゃなくて、ラスティアラがいるであろう宙を睨み続ける。


「セルドラはどうやって、こっちの兵隊さんたちを動かしたの? まだこっちの世界は、陽滝の《冬の異世界ウィントリ・ディメンション》で混乱しているはずなのに」

「混乱してるからこそ、接触さえすれば、動かすのは簡単だ。……昔から、俺は権力者に甘い汁を吸わせるのが得意なんだよ。新たな権益を目の前にぶら下げてやったり、理不尽な暴力で脅してやったり、重要な情報に一つだけ嘘を混ぜたりして……とりあえず、対ヒタキ部隊を俺の都合で誘導させてもらった」


 セルドラは自分の手腕を自慢するように、こちらでの悪行を明かす。


 かなり本格的に『元の世界』の上部に関わったとわかり、敵の武器は多いと判断する。

 他の最新技術も警戒して、僕は短く結界系の魔法を軽く唱える。


「――魔法《ディフォルト・フィールド》」


 とりあえず、次元を屈折させる魔法を半径一キロメートルほど張って、光や音が外に漏れないようにする。これで衛星カメラあたりは防げるだろう。


 『元の世界』には、まだ魔法といった情報を広めたくない。

 混乱と危険を助長するだけだ。


「そんなに気にするなよ、カナミ。俺たちのことを知りすぎたやつは、殺しちまえばいい。こっちは個人の魂が圧倒的に弱いから、消すのは簡単だ」

「殺して、それで終わりなわけないだろ。死んだ人の遺族たちが、きっと報復に来る。それが世界間の話となれば、問題は僕たちだけじゃ済まされない」


 下手をすれば、『異世界』と『元の世界』で戦争が起きる。


 そこまで話が進んだところで、セルドラは微かに笑みを零しつつ、首を振る。

 ここからが彼にとっての本題とわかる表情だった。


「もし戦争になったとしても、俺は困らないな。……やけにカナミは褒めるが、こっちの世界は陽滝の『静止』のせいで千年遅れだぜ? なにより、『魔の毒』が薄いせいで、こっちは本当に温い。絶滅の憂き目に、まだ碌に遭ってないらしいな? レベル1が何十億人いたって、俺やカナミをどうこう出来やしないさ」

「レベルなんて……、あんなものはゲーム好きの僕が考えた飾りファッションだよ。そもそも、この世界の強みはレベルや魔法じゃなくて、科学技術だ」

「科学技術、か。こっちの科学は、本当に面白いな。ただ、それも温いんだ。頭ン中がお花畑にも程がある。誰にでも再現可能な技術を伸ばしたって、世界を守る力になるものかよ。――科学で一番愉しいのは、他人の研究成果の上澄みを頂いたときだろうに」


 それを証明するかのように、セルドラは懐から一つの拳銃を取り出した。


 遠い昔に、液晶画面の向こうで見たことがある。

 日本での入手は難しくとも、海外ならば特別なものではないはずだ。


 その拳銃をセルドラは、角砂糖のように握り潰した。

 そして、砕け落ちる残骸の中から、一つの弾丸だけを指先で摘み持つ。


 身に纏う『竜の風』が一吹きした。

 竜人ドラゴニュートの完璧な制御によって、風がカリカリと弾丸の表面を浅く削り、文字を入れていく。それは『術式』の書き込みであり、魔力の詰め込みでもあった。


「頂いた技術を、好きにいじくるのは愉しいよなあ……。千年前、おまえの話から核兵器やレールガンは試したが、次は何を試そうか? 気になる技術ものは一杯ある」


 言い終えると同時に、魔法の弾丸が完成する。

 瞬間に風が信管を叩き、銃という筒がない状態で、物理と魔法の複合によりそれは発射された。


 『風の理を盗むもの』ティティーの使っていた《魔弾フライシューツ》と仕組みがよく似ている。

 僕は発射パスされた弾丸を、右手で取って、その完成品を眺める。


「科学を勝手に弄くるのが、愉しい……。実験したいのが、今回の理由?」 

「いや、それは単純に……、順番だから・・・・・だと思っている。もちろん、愉しいから、どんどん試したいって気持ちもある。立派な志を持っていたヘルミナやアイドと違って俺は、兎に角この先どうなるかわからねえことを試したい試したい試したいって、下劣な欲望だけは止まらないからな……。ああ、そうだ。だから、俺は――」


 本心が交わされる。


 これを魔法でなく、セルドラの口から直接聞けたことは間違いじゃないだろう。

 ただ、その要望は、易々と受け入れられるものではなく――


「俺はこっちの『世界の主』になる。カナミは向こうの『世界の主』になってくれ。いま俺が一番試してみたいのは、世界間の戦争だ」


 セルドラは指先で僕を『異世界』に促しながら、そう願った。

 ここまで来ると、もう魔法やスキルなどなく、彼の思惑は理解できてきた。


「かつての北と南による切磋琢磨とは、まるで規模が違う話になるだろう。また違った人類の適応能力と進化が起きて、とても『新鮮』な生存競争が見られるはずだ。まだまだ人は強くなれる可能性を秘めていると、俺は信じてる……。魂の成長に限界はないとも……」


 セルドラから悪意は感じない。


 あるのは欲望だけ。

 『新鮮』な実験と研究がしたい。

 そして、新しい結果が見たい。

 ついでに斬新な戦いも味わいたい。


 だから、二つの『世界』を掻き混ぜたい。

 他のことは、もう本当に、飽きてしまったから……。


 ――悪意はなくとも、悪だろう。


 それは物語に出てくる長命種に多い『悪役ボス』。

 大多数の人にとっては、止めなくてはならない敵。

 当然、その大多数の中に『主人公ぼく』も入っていると、セルドラはよくわかっている。


「もちろん、カナミが嫌がることくらいはわかってるし、これから俺を止めてくれる・・・・・・ってこともわかってる。いまのは、もし万が一にでも俺が勝ったら、そうなっちまうという話だな。ただのお膳立てだ」


 戦争は真の目的ではないと、ここまでの話をひっくり返した。

 叶わない『夢』のように、セルドラは世界間の戦争を語る。


 ああ、ただ戦争がしたいだけなら、いまセルドラは姿を現していない。

 彼の真の目的は、いま、ここにある。


「ただ、そう簡単に俺は止められないだろうな。腐っても、俺は『最強』の生物。俺は二つの世界を繋げて、火種を生むだけでいいが……そっちは俺に圧勝できないと、色々と困るんじゃないのか? 大事な大事な復興作業の途中だからなぁ」


 僕を見て、セルドラは笑みを深めていく。


 戦争も研究も、二の次。

 セルドラの一番の愉しみは、視線の先にあると証明していた。


「その圧勝の為に、これからカナミはどうするんだろうな? まだ魔石が馴染んでないのは明らかだ。戦えば戦うほど、カナミの心に負担は出る。苦戦すれば、『詠唱』も必要になるか? しかし、こっちの『世界』とも取引って、本当に出来るのか? カナミの複雑な魂は、いま、どっち生まれ扱いなんだ? もし『代償』の二重取りができるなら、その『呪い』は単純に二倍になるのか? さらに『狭窄』が悪化すれば、どこまでカナミは落ちる? ――他にも、試したいことはたくさんある。あぁ、ははっ、ちょっとどれも予測がつかねえ。予測がつかねえから、新鮮で、愉しみで、本当にわくわくする!」


 彼が本当に、研究して戦争して試したいのは、『ラスティアラ・フーズヤーズを視ているアイカワカナミ』。この個人のみ。


 僕を前に、興味が尽きなくて堪らなくて魅入られ始めていて、セルドラの早口は止まらなくなっていく。


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