119.決勝戦



 暗闇の中、耳元から声が聞こえてくる。

 身体を揺らされ、頬を冷たい何かで叩かれる。


 とても心地よい暗闇でくつろいでいた僕だったが、外的接触に堪えかねて意識を覚醒させる。

 沼のような眠気を振り払い、瞼を開く。


 天から差し込む太陽の光。

 無骨な訓練場、その中央の地面に僕は寝そべっていた。

 いつの間にかかけられた毛布を横に払いのけて、僕は起床する。


 清々しい目覚めだ。

 爽快を越えた解放感が、脳内に広がっていく。

 思考に泥も重しもない。

 どこまでも続くクリアな感覚。

 澄み切った思考が現状を認識していく。


 殺人的な眠気は霧散し、不快な悪寒と発汗も止まっていた。

 木杭を打たれたかのように動きづらかった手足が、羽のように軽い。

 脳の発した信号の通り身体が動くことに、感動すら覚える。


 絶好調とまでは言えないが、昨日までの体調と比べれば雲泥の差だ。

 HPとMPは完全回復し、状態異常も回復。

 『腕輪』はなく、思考制限もない。


 僕は完全復活だと内心で喜ぶ。


 それをみんなに伝えようと、周囲を確認する。

 すぐ隣にリーパーがいた。


「おはよ、お兄ちゃん。もうお昼だけどね」

「おはよう、リーパー」


 どうやら、僕を起こしてくれたのはリーパーだったようだ。


「もう試合か?」

「うん、あとちょっとでお兄ちゃんとローウェンの決勝戦だね」


 もう太陽は真上に昇っている。正午のようだ。確か、試合は午後からすぐだ。早めに行動しないといけない。


 急いで立ち上がる。

 そして、リーパー以外の状況も把握していく。


 …………。


 奇妙なことになっていた。


 ここにはラスティアラ、ディア、マリア、スノウ、セラさんの五人がいる。だが、その全員が全員を目で牽制し合い、異様な空気を纏って黙り込んでいる。


「何か、一晩で妙な空気になってるな……。リーパー、何かあったのか……?」

「ん、んー。アタシも寝てたからよくわかんない……」


 リーパーも僕と同じように慄いている。

 その中、ラスティアラだけが何とか声を出して、僕に退出を促す。


「い、いやぁー、ちょっとディアとマリアちゃんがギスギスしてて……。けど、大事じゃないから気にしないでいいよ。まずカナミは『舞闘大会』を終わらして来てよ……」

「え、え? そうなのか?」


 僕は予想外の二人の不和に驚く。

 しかし、名指しされた二人は笑顔で僕に答える。


「いえ、そんなことありません。私は至って普通です。いつも通りです」

「ああ、俺も普通だ。別にそこの半守護者ハーフガーディアンなんて、なんとも思ってない。気にしなくていい」


 全然普通じゃなかった。

 お互いに目を合わせようともしない。

 何らかの一悶着があったのは間違いなかった。


 昨日、マリアとラスティアラの間に確執がないのを確認したせいか、少しばかり油断していた。

 ラスティアラは半笑いで、僕とリーパーに促す。


「とりあえず先行っててよ。選手は早めに待機してたほうがいいから。私たちもすぐに追いかけるから」

「い、いや、こんな状態で行くのは無理だ……。絶対無理。『舞闘大会』が終わったあと、どうなってるか怖くてたまらない……」


 こういう状態を放置して、ろくなことになったことはない。

 トラウマで身体が震え始める。

 睡眠で体調は回復してきたはずなのに、冷や汗が背中から滲み出る。不快な悪寒が全身を襲い、手足が木杭を打たれたかのように動きづらくなる。


 それを見たマリアとディアは慌てる。


「――い、いえっ! 本当に大丈夫なんです。ちょっと、ディアさんと喧嘩したというか……。喧嘩って言っても、本当に子どもの喧嘩みたいなもので……!」

「マ、マリアの言うとおりだ! ちょっとお互いに意地を張ってただけさ。なあ、マリア!」

「ええ、ディアさん!」


 マリアとディアは笑顔を作って手を取り合った。

 少しばかり無理はあるが、殺し合いに発展しそうなほど険悪でないことはわかった。


 ……いやしかし、以前だってそう油断して失敗した。


 試合から帰ってきたら、二人のせいで火の海になっている可能性は高い。おそらく、高確率だ。ほぼそうなると言っても過言ではないはずだ。


 僕はこれからの決勝戦のプランを変更しようかと本気で悩む。

 そこにラスティアラのはたきが、僕の頭に当たる。


「悩みすぎ。……カナミ、悩まないでさっさと行って。もし何かあっても、私とスノウとセラちゃんがいる。カナミは私を信頼してるんでしょ?」


 怯える僕に、ラスティアラは呆れていた。

 そして、真剣な眼差しで、以前とは状況が違うことを説明して、自分に任せろと言う。


 その頼もしさに負け、僕は頷く。


「わ、わかった……。そうする……」

「行ってらっしゃい。こっちはマリアちゃんとディアを宥めてから、観客席まで行くから。選手の二人は早めに向こうで待機してて」


 ラスティアラはそう言って、僕たちを訓練場の外に促し、マリアとディアに叱りつけ始める。

 その光景を見て安心し、リーパーを誘う。


「ほら、リーパー行くぞ」

「うん、行く行く。けど、この氷のせいでちょっと歩きにくいんだよねっ。もう手の感覚とか全然ないし……。あとちょいで決勝戦なんだから、いい加減外さないかな?」

「それは駄目だ。いいから、大人しくついてこい」

「ちぇ」


 リーパーは口を尖らせ、炭化した右腕と凍った左腕をぶらぶらさせながら僕の後ろをついてくる。

 足のほうは一日で修復し切ったようだ。ほぼ全快のように見える。反抗されると厄介だが、僕だって全快している。


 リーパーもスキル『感応』を手に入れた僕には勝てないと、冷静に理解しているのだろう。大人しく歩いて、ついてくる。


 リーパーの両腕に布をかけ、僕たちは『エピックシーカー』本拠を出て、『ヴアルフウラ』へ向かう。


 道を進み、川を渡り、船団に乗り込む。

 その途中、道行く人の噂話が聞こえてきた。


 誰もが『舞闘大会』について話していた。向かう先が決勝戦会場なのだから、それも当然だろう。僕は顔がばれないようにマフラーへ顔を埋め、噂話を拾う。

 隣を歩くリーパーも聞き耳を立てていた。


 年若い冒険者の二人組みが話す。


「――いよいよ『舞闘大会』も決勝戦だな。……いやぁ、今年の『舞闘大会』は番狂わせが多くて盛り上がったぜ。特に南エリア」

「ああ、ローウェンってやつの戦いは凄まじかったな。ほとんどの優勝候補チームが、あいつ一人にやられてるんだぜ? しかも、ほぼ無傷でだ」

「あの『最強』グレン・ウォーカーも、『剣聖』フェンリル・アレイスも敗北。いまや、あのローウェンってやつが連合国『最強』『剣聖』って扱いらしいぜ」


 二人は決勝戦に出場するローウェンについて話していた。

 やはり、今回の『舞闘大会』で一番目立っていたのはローウェンらしい。僕たちと違って、有名どころと連戦し、見事連勝したのが大きい。


 それを聞いたリーパーは隣で、ふふんと鼻を鳴らしていた。

 自分のことでもないのに得意げだ。

 しかし、僕も同じ表情をしているかもしれない。


「――けど、ローウェンは試合で自分をモンスターだと宣言したらしいな。それも、迷宮の守護者ガーディアンだってさ」

「ああ。俺は南エリアを観戦してたから、この耳で聞いたぜ。はっきりと自分で言ってた。ただ、遠目だったから、あれのどこがどうモンスターなのか俺にはわからなかったが……」

「ふうん、自称なのかねえ……」

「いや、大会管理者たちが焦った様子で取り囲んでいたから、マジだと思うぜ。噂でもローウェンがモンスターだというのは本当だって声のほうが多い」

「マジならすげえことだな……。まさかモンスターが優勝するのか?」

「いや、だからこそ、北の『英雄』にすげえ期待がかかってるんだ。確か、名前はカナミだっけか?」


 隣のリーパーが僕の横腹をつんつんと突く。

 冷たいからやめてほしい。


「例の天然英雄だな。確か、フルネームはアイカワ・カナミだ。北エリアの試合は見てないが、珍しい名前だから覚えてるぜ」

「で、大抵の観客は、新しき『英雄』カナミが最強のモンスターを打破するのを期待してるってわけだ。公平を期さないといけない大会側も、今回ばっかりはそれを望んでいるだろうな」

「まあ、そうなるよな。もし、本当にモンスターなら……、優勝されても困る」

「応援は偏るだろうな……。ローウェンがモンスターって言われると、素直に応援できねえ。連合国は迷宮中心の国だ。モンスターに仲間や家族を殺されたやつらは多い。その中で、モンスターを応援するのは……ちと勇気がいる」


 話を聞くにつれ、浮かれていたリーパーが大人しくなっていく。

 モンスターという立場のせいでローウェンが不当な扱いをされているのが不満らしい。


 男たち二人は遠ざかっていく。

 しかし、代わる代わる『舞闘大会』を楽しみにする声は、僕たちの耳に入り続けてくる。


「北のカナミが勝つに決まってるさ。俺たちラウラヴィアの『英雄』だぜ?」

「あっさりと『竜殺し』を果たした『英雄』らしいからな。南のローウェンにも引けはとらないはずだ」

「流石に『英雄』と『モンスター』なら、『英雄』を応援しちゃうかな。どっちも若くてかっこいいんだけどね……」

「南の剣士も凄いが、北の英雄も試合内容は負けていない。私は北の試合を観戦していたが、彼は歴代の優勝者よりも間違いなく強いよ」


 すれ違う全員が、決勝の行方を気にしていた。

 今回の『舞闘大会』の人気の高さ、盛り上がり具合がよくわかる。ほぼ無名の二選手のみの決勝なんて、前代未聞らしい。


 ただ、その会話のほとんどで、ローウェンは『敵』役として語られていた。

 そして、僕は都合のいい『英雄』役だ。


「……お兄ちゃんのほうが応援多そうだね」

「そうみたいだな」

「やっぱり、モンスターだから全部台無しなのかな?」

「いや、そうでもないと思う。モンスターモンスターって騒がれてるけど、『最強』と『剣聖』を破った剣士への敬意は、ちゃんと残ってるように聞こえるよ」

「うん……。そうだよね……」


 僕は聞こえてくる情報を冷静に分析する。

 それをリーパーは悲しそうに聞く。


 とうとう僕たちは、最大の大きさを誇る『ヴアルフウラ』の中央船に足を踏み入れる。

 特殊な形の船だ。まるで城の入り口のような門があり、周囲には塔のような建築物が数十ほどくっついている。他の船とは違い、軍艦を改造したのではなく、根っからの劇場船であることがわかる。


 僕たちは巨大劇場船『ヴアルフウラ』の中へ入る。

 中はまるで大貴族の屋敷のような造りだった。玄関に何千人もの人が収容できるほどの大ホールがあり、豪華なシャンデリアが無数にぶらさがっている。それはいつかの舞踏会を思い出させる。


 不快な感情が芽生えるのを無視して、僕は歩き進む。

 係りの人に声をかけ、選手の控え室へ向かう。


 その途中もローウェンを噂する声は消えない。

 豪華な回廊に、貴族たちが並ぶ。彼らは勝手な言い分でローウェンや僕を評価する。

 

 誰もが僕たちの力を認めていた。

 それはローウェンの言っていた『栄光』にとても近い。

 近いが……、決して気分の良いものではない。


 そして、僕たちは控え室で時間を過ごし、最後になるであろう闘技場へ続く回廊を歩き出す。

 リーパーの手を引き、僕は戦う前の最後の言葉を投げかける。


 ここまで様々な声を聞いた。

 けれど――


「――けど、リーパー。ローウェンがモンスターかどうかも。『英雄』とか『最強』とかも。僕たちには関係ないよ」

「……え?」

「この戦いは誰かのための戦いじゃない。ローウェンとリーパー、そして僕。僕たち三人だけのものだから」

「……うん、そうだね」

「伝えにいこう。僕とリーパーの答えを」


 リーパーは沈みこむように頷き、僕と一緒に歩く。

 ローウェンの待つ――最後のフィールドまで。


 暗い回廊を抜け、僕たちは闘技場内へ入る。

 瞬間、太陽の光が僕たちを灼いた。

 同時に豪雨のような歓声に晒される。


 広い闘技場だ。

 いままでの三倍ほどのフィールドに、堅牢そうな結界が張られている。

 観客席も同じく三倍以上の面積はある。そして、通常の席だけでなく、塔の様な観客席も作られているのが特徴的だ。限界まで多くの人が見られるように工夫されているのがわかる。


 数えきれないほどの観客全てが、僕たちの戦いを心待ちにしていた。

 そして、その視線の先、闘技場の中、彼は待っていた。


 ――武装した警備兵に囲まれ、空を見上げる青年が一人。


 僕たちの入場と共に、彼はこちらを向く。

 赤銅色の髪が揺れ、深い隈の上にある優しげな瞳が僕たちを捉える。

 瞳孔がきゅっと大きくなり、そして、その口の端を緩めた。


 彼は『ヴアルフウラの頂点』で、一人待っていた。



 ――ずっと待っていた・・・・・・・・



 それはいつからか。

 『舞闘大会』が始まってからか。それとも僕と出会ったときからか。

 いや、もっと以前――


 千年をも越える遥か過去。

 彼が最強の剣士となったときからか。


 しかし、そのどれも違うと僕は思った。

 ローウェンが待っていたのは、きっと――


 きっと――


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