211.50層

「いいえ、わたくしです。渦波様」


 栗色の髪を垂らした黒服の少女が振り返りながら、僕の名前を呼んだ。

 その顔は間違えようがない。つい先日、同じ光景を見たところだ。


 五十層に現れたのは六十層でも現れたはずのノスフィーだった。


 その登場に僕とライナーは驚く。その僕たちを置いて、ノスフィーは周囲を見回しながら一人だけで状況に納得する。


「……ふふっ。久しぶりだったので不安でしたが、上手く成功しましたね。かなり制限はかかっていますが、本来のわたくしの魔法は問題なく運用できるようです」


 自らの両手を見つめ、くつくつとノスフィーは笑っている。

 

「なんで、ノスフィーがここに……?」

「ああ、いまの渦波様は知りませんでしたか? 守護者ガーディアンの層に初めて人間が入ったとき、『異邦人召喚』の術式が発動して『理を盗むもの』が呼ばれるのです」

「『異邦人召喚』だって……? いや、守護者ガーディアンたちが『召喚』されるのは知ってる。けど、それならロードが出るんじゃないのか?」

「ええ、本来はロードが五十層に呼ばれる予定でした。しかし、つい先ほど、その術式よ『話し合い』をして、対象をロードからわたくしに変更したのです。術者のいない魔法みたいなものだったので、とても楽でした」


 何でもないように、ノスフィーは迷宮の根底に関わる術式の改竄を口にしていく。


「そんなこともできるのか……。けど、どうしてそんなことを……」


 ノスフィーの光魔法の底の深さに驚き、そして戸惑う。

 『召喚』の対象を代えた理由がわからない。目の前の少女の考えていることがわからない。


 だから、知人を前にしていると言うのに、足が前に進んでくれなかった。

 スキル『感応』が、五十層に現れた六十層守護者シックスティガーディアンに近づくことに警鐘を鳴らしていた。後方のライナーも僕と似たような表情をしている。


 そんな僕たちを見て、ノスフィーは笑い続ける。

 くつくつと、くつくつと、笑みを絶やさない。そして――、


「……さて、ここから先は通しません。――《ライトロッド》、続いて《光の御旗ノスフィーフラグ》」


 魔法で光輝く旗を右手に生成し、通行止めの意思を見せた。


「――っ!」


 その言葉と共に、嵐の中に緊張が走る。

 談笑の場が、戦場の場に塗り変わったのを感じ取った。


 僕は一歩後退し、ライナーは双剣を抜く。

 対して、ノスフィーは光の旗を演舞のように振り回した後、五十層の大地に突き刺して立てた。意外にも、光の旗を武器ではなく、本来の使い方として使用される。


 旗が立った瞬間、空間の魔力の色が変わる。翠色の風の魔力の中に、白色の光の魔力が混ざる。合わせて薄い緑色――ではなく、白色が全てを塗りつぶし、いたるところに・・・・・・・光が染み込んで・・・・・・・染み込んで・・・・・、五十層は光属性の魔力一色で満たされた。


 あの好戦的なライナーでさえ、様子見で足を止めざるを得ないほどの激変だった。属性の一変した空間の中、ノスフィーはけだるげに話しかけてくる。


「……はあ。それにしても渦波様、少し速すぎます。まだ、朝から五時間ほどしか経っていませんよ? お昼時です、お昼時。もしかして、今日中に地上へ出るつもりだったのですか? そんなに急いでいたのなら、そうと教えてくださいませ。こちらにも都合というのがあります」


 敵対が確定しているというのに、和やかに談笑を続ける。まるで、先ほどの発言なんてなかったような友好的な笑顔だ。

 僕とライナーの困惑は加速するばかりだ。そして、返答に困る僕を見て、ノスフィーは提案する。


「ですので――ロードのほうの準備がすむまで、少しここで『話し合い』をしませんか?」


 これこそ自分の本領と言わんばかりに、ノスフィーは『話し合い』を薦める。

 現状を戦闘と判断した脳が高速で回転する。鈍い音を立てて脳内物質が脈動し、神経という神経を叩き起こす。


 いま、判断を鈍らせると――負ける・・・

 そう思ったのだ。

 ステータスの『賢さ』が僕の思考速度を底上げし、その果てに、まず情報収集を選択する。後方に控えたライナーに対し、後ろに回した右手で「待て」とジェスチャーする。


「……なら、聞かせてくれ。ロードが何の準備をしてるって言うんだ?」

「端的に申せば、『試練』の準備をしています」


 ドクンッと。

 脳の次は、心臓が脈動する。

 

 ――『試練』。


 正直、痛い思い出しかない。

 通算五度目の『試練』が間近に迫っているとわかり、思考速度はさらに跳ね上がる。


「なんで、いまさら『試練』なんて……」

「いまさらではありません。渦波様が五十層に辿りついたいまこそ、そのときなのです。……さあ、わたくしは答えました。次は渦波様が答えてくださいませ。そうですね、渦波様は『過去』か『未来』――どちらのほうが大切ですか? わたくし、それがとても気になります」


 一問一答の応酬をノスフィーは要求してくる。

 まだ聞きたいことはある。それに様子を見たいという理由もある。例の我がままの一環として、その質問に答える。


「わかった。……そのどちらかで言えば、『未来』かな。正確には『いま』を一番に大切にしてる」


 正直に答える。

 いまは嘘をついてでもノスフィーを刺激してはいけない場面だとわかっている。しかし、それでも嘘をつけなかった。

 ノスフィーの背後で輝く旗の光が、まるで取調室にあるベタなスタンドライトに見えた。嘘は一切許さないという圧力があったのだ。


「なるほど。つまり、渦波様は『過去』なんてどうでもいいのですか? 大切なのは『過去』よりも『いま』? 『いま』だけが全てなのですか?」

「全てとまでは言わない。けど、『過去』ばかり見ていても前には進めない。以前、おまえも言っていたことだ……」

「それはつまり、もし『過去』に罪があったとしても、記憶にないから知らないふりをするつもりですか? 千年前のことだから時効ゆるされるとお思いで? それはとても前向きな話ですね。まあ、確かに、わたくしも・・・・・そう思いますが」


 多分に嫌味を含んだ返答だった。

 そして、ノスフィーはそれに笑顔で同意し続ける。


「ええ、過去を悔やんでも仕方のないことです。前を向いて、やるべきことをやるべきです。それが『正しい』と、そうすべきだと、わたくしも思います」


 昨日、ノスフィーがロードに諭した言葉と同じだった。だが、どこか他人事のように見える。

 その心境の変化の細部を逃さぬように、僕は質問を続ける。


「次は僕が聞く番だ……。なんで、いまになってロードは『試練』なんてやろうとしてるんだ?」

「それがいまのロードの望み――いや、我がままだからですからね。それをわたくしは『友』として協力しています。その結果、いまのわたくしは『風の理を盗むもの(ロード)』の代行をやっています。ふふっ、びっくりしましたか? わたくし、渦波様のいまのお気持ちが知りたいです」

「ああ、びっくりした。もし居たとしてもロードだって思っていたからな。で、おまえは五十層の守護者ガーディアンの代行を自称するってことは、つまり……」

「ええ、層を守る守護者ガーディアンのやることは一つ、資格あるもの以外は通さないこと。ゆえに、渦波様たちは通しません。だって、お二人ともまだロードの『試練』を乗り越えていませんから」


 先ほどの話は聞き間違いではなく、さらにノスフィーはそれを正気で行ってることが確定する。

 もはや、一問一答の『話し合い』などという遊びに付き合っている場合ではない。緊張が高まる中、最後の確認を一方的に取っていく。


「……ここはロードの階層で間違いないんだな?」

「ええ、そうです。わたくしは六十層の守護者ガーディアンです」

「あのあと、ロードとは仲直りできたのか?」

「すぐに仲直りできましたとも。ロードは笑顔で許してくれました。だから、わたくしは『召還』の対象を『話し合い』で譲ってもらい、いま『ここ』にいるのです。ええ、渦波様のおかげで、わたくしとロードは『友』になれました。ただ――」


 僕の立て続けの質問にノスフィーは怒ることなく答える。

 目の前の少女は冷静だ。ちょっとやそっとのことで激昂するようには見えない。

 いままでの守護者ガーディアンたちとはそこが違う。


 妙だ。

 守護者ガーディアンは未練の塊のはずなのに、ノスフィーには余裕がある。

 その僕の猜疑の目を一身に受けながら、ノスフィーは両手を広げて五十層の有様を強調する。


「見ての通りです。いまもロードは泣いています。笑顔だけれども、泣いています」


 どこまでも続く草原。

 周囲は晴れやかだけれども、その中心は大嵐。

 これがロードであると言う。


 アルティの言葉を思い出す。

 彼女は十層を指して、「私そのもの」であると言っていた。

 それは他の守護者ガーディアンも同様なのだろう。


「だから、わたくしは『友』として、泣いている彼女の我がままを聞いてあげたいのです。この涙の雨を止めてあげたいのです」

「やっぱり、ロードは泣いているのか……?」

「ええ、一人のときは泣いています。ゆえに、まだわたくしの我がままは継続していることになりますね」


 くつくつと笑い続けながら、昨日の望みを繰り返す。


「さあ、またロードに会いに行ってあげてください。そして、また元気付けてあげてください。叶うまで、わたくしはそれを願い続けますよ。だって、それがわたくしの未練なのですから、仕方ありませんよね?」


 それが終わるまでは通さないと、そう言外に伝えられる。


「……ロードを元気付けるにはアイドを連れてくるしかない。すぐに行って戻ってくる。それまで待ってくれないか」

「待てません。なぜなら、先ほどからアイドアイドと仰っていますが、別にその必要はないからです」

「必要はあるだろ。あいつには家族が必要だ。それだけは間違いない」

「そうですね。ロードは家族を求めています。わたくしもそう思います」

「なら――!!」


 同意はするものの、一向に話が進まない。その堂々巡りに苛立ち、僕は声を荒げた。

 しかし、その勢いは予期せぬ言葉に削がれる。


「でもロードの家族なら、もういるじゃないですか」


 前提から覆す発言――その意味を理解できない。

 いや、厳密には推測はできているが、その推測を受け入れられない。


「ロードの家族が……? どこに……?」

「そこに」


 ノスフィーは指差す。

 僕の後方で殺気を放つ少年。

 ライナーを。


喜んでください・・・・・・・ヘルヴィルシャイン・・・・・・・・・

 あなたが新しい・・・・・・・ロードの弟ですよ・・・・・・・・


 推測が現実に変わる。

 そのとき、この通行止めの真の目的がわかった。


「ロードに王らしさを求めない弟。気兼ねなく本音で話せて、傍にいるだけで楽しくなれる弟。同じ風属性で、教え甲斐があって、とてもとても可愛らしい弟。くふふっ、完璧ですね。あなたライナーがいれば、アイドなど必要ない。それがロードの答え――」

「――《魔力風刃化ワインドフランベルジュ》!!」

「おっと」


 その続く言葉を言い切る前に、ライナーはノスフィーに斬りかかった。

 風の魔力を纏った全力の一撃だ。それをノスフィーは軽やかにかわす。


 戦いに出遅れたのは僕だけだった。

 その不甲斐ない姿を見て、ライナーは剣を振り抜きながら叫ぶ。


「キリストっ、まだこいつが敵じゃないって信じるのか!? この態度を見ろっ、間違いないっ! こいつは何があっても僕たちを通す気がない!! もう諦めろ!!」


 ノスフィーの我侭は出来る限り聞いてあげたい。

 敵でないと最後まで信じたい。

 ――そんな儚い望みが砕け散っていく音が聞こえる。


「違いますよ、ライナー。通したくないのではありません。ちょっと振り出しに戻って欲しいだけです。さあ、渦波様、ちょっと六十六層まで戻りましょう? だって、ロードが笑顔になるまで、ここは通行止めなのです。だから仕方ありません。ふふっ、ふふふっ」


 だから、そのロードを笑顔にするにはアイドが必要なのだ。そして、そのアイドを連れてくるには地上に行かないといけない。なのに、その地上に行くにはロードを笑顔にしろという。――もはや、僕に我がままを叶えさせる気がないとしか思えない。


「別に倒す必要はない! 横を抜ければいい! それなら、キリストも戦えるだろう!?」


 ライナーとノスフィーの言葉が飛び交う中、僕は覚悟を決める。

 

「やるしか……、ないのか……!」


 ここで守護者ガーディアン――『光の理を盗むもの』ノスフィーと戦う覚悟を。


「やりますか? しかし、未熟な騎士と未完成の渦波様では、わたくしの相手には色々と不足していますね」


 『クレセントペクトラズリの直剣』を抜いた僕を、優しい表情でノスフィーは迎え撃とうとする。突き刺さっていた光の旗を抜いて、槍のように構え、先端を僕たちに突きつける。


「文字通り、レベルの違いを教えてあげましょう……」


 その言葉と共に、ノスフィーの光の魔力が爆発的に膨らむ。


 同時に僕とライナーは駆け出した。

 互いに合図などしていない。けれど、完璧に同じ呼吸で左右に別れて通り抜けようとする。

 それに対してノスフィーは光の旗の長さを調節して、大きく横に薙ごうとする。その攻撃範囲は広く、このままでは僕にもライナーにも届く。


「そのまま走れ、ライナー! 距離をずらして・・・・、外させる! ――魔法《ディフォルト》!!」


 そうはさせまいと次元魔法を構築する。

 空間を圧縮するのではなく引き伸ばす。それによって生まれた隙間分だけ、ノスフィーのなぎ払いはずれて・・・外れる――はずだった。


「――なっ!?」


 ぐにゃりと引き伸ばされた空間が、同時にまたぐにゃりと圧縮される。

 生まれた隙間分が、すぐに埋まり、ずれ・・が修復されたのだ。


 当然の話だが、なぎ払いにずれ・・は全く起きない。

 僕もライナーも旗の先端に当たってしまい、遠心力によって増した衝撃によって吹き飛ばされる。咄嗟に腕で防御したものの、折れていてもおかしくない攻撃だった。現に僕の魔法を信じきっていたライナーは防御した腕が脱臼してしまっているのを《ディメンション》で把握する。


「くっ! キリスト、何が起こった!?」


 吹き飛ばされたライナーは、すぐさま起き上がりながら原因を僕に聞く。


「同じ魔法を使われた……? いや、違う。同じ魔法を僕が・・使った……?」


 先の一連の流れを思い出し、原因を探る。

 そして、気づくのはありえない事実。《ディメンション・決戦演算グラディエイト》は確かに空間の魔法全てを把握していた。その把握能力が示すのは、先ほど発生した魔法は《ディフォルト》が二回ということ。さらに言えば、その二回の《ディフォルト》は間違いなく僕が放ったということ。

 一度目は僕が意識的に放った。しかし、二度目は僕の意思じゃない。

 無意識だ。


「ふふっ、呑気に話している場合ですか?」


 情報を整理している間に、ノスフィーは駆け出す。

 その向かう先はライナー。まずは負傷している相手から制圧する気だ。

 そうはさせまいと移動するための魔法を使う。


「――《ディフォルト》!!」


 距離を縮めるために、空間を圧縮させようとする。

 だが――


「ま、また!?」


 先と同じだった。

 圧縮した空間が、次の瞬間には引き伸ばされる。

 同じ魔法が正反対の方向で同時発動して、何の効果を得られない。


 もう間違いない。

 ノスフィーを相手にしているときは、魔法が二重で発動してしまう。

 それも正反対に、『相殺』するように――!


 その失敗の間に、ノスフィーとライナーは接触する。

 ライナーは接近戦になる前に、突風の魔法を使おうとした。


「――《ゼーア・ワインド》!! ……なっ!?」


 僕と同じだ。

 確かに魔法《ゼーアワインド》は発動した。しかし、同時に発動したもう一つの魔法《ゼーア・ワインド》によって相殺されてしまった。


 そこへ、にこりと笑ったノスフィーが襲い掛かる。

 ライナーは残った片腕を動かして、旗と剣を打ち付けあい、なんとか防御してみせる。だがもちろん、不利なのはライナーだ。残った腕までも脱臼しそうなほどの衝撃により、また遠くへ吹き飛ばされてしまう。


「ライナー! 魔法が二重で発動して、効果が相殺されている! 僕の援護は期待するな! できるだけ魔法も使うな!!」


 仕方なく魔法ではなく足を使って救援に向かう。

 その途中、この不可解な症状の分析も行う。


 この空間で最も怪しいもの・・――ノスフィーの手にある光の旗に、全神経を集中させる。そして、そこを中心に廻る光の魔力の動きを、細部の細部まで追いかける。

 

 その結果、《光の御旗ノスフィーフラグ》の真の能力を理解する。

 あの旗は武器でなく、精神感応の魔法の発動媒体であることを理解する。


 旗から発生している光が、常に例の『話し合い』の魔法を発生させているのだ。

 対象が僕たちでないので気づかなかった。

 光の魔力が流れ込んでいる対象は――


「僕たちの『血』に光の魔力が染み込んでるのか!?」


 対象は生物にではなく、『』。

 いや、正確には『血』の中に刻まれている『術式』が対象だろう。魔法の『術式』そのものに直接『話し合い』を仕掛けているのだ。そして、意識のない『術式』が相手ゆえに、無条件で『話し合い』が解決してしまっている。

 言葉の喋れない赤子を騙すかのように、光の魔力に『術式』が乗っ取られている。


「ライナー! この光がっ、僕たちの『血』の中にある魔法の『術式』を乗っ取ってる! ノスフィーの魔法は相手が生き物じゃなくても成立するみたいだ! これが強制力のない『話し合い』の魔法なんて嘘だ! どうにか光の魔力を洗い流せ!!」


 不可解な現象の正体は理解した。

 しかし、対応は難しい。


 まず魔法の媒体となっている光そのものを、物理的に避けることができない。空間全体に満たされているため、中和もできない。

 そして、二重発動している魔法は僕たちの魔力でなく、染み込んだノスフィーの魔力を使っているため、何の違和感も負担もなく『術式』が起動してしまう。ここが肝だ。――僕たちの魔力は減っていないのだ。使われているのはノスフィーの魔力だけ。闇魔法のように強引ではなく、とても融和的――だから、事前に気づくことができず、防ぐのが難しい。


「洗い流せって言ったって、そんな暇は――!」


 防戦一方で手一杯のライナーには不可能だろう。

 だからこそ、僕は全力で駆けつけようとしている。

 そして、ようやくライナーの援護をできる距離に辿りついたとき、ノスフィーがこちらに顔半分を向けた。その横顔の口元が歪み、魔法名を呟く。

 そこでノスフィーは僕が駆け寄るのを待っていたことに気づく。


「――次元魔法《コネクション・・・・・・》」


 光魔法ではなく次元魔法。

 魔法名を口にしたのはノスフィーだが、発動させるのは僕。

 また勝手に他人の魔法を使って――!


「くっ――!」


 僕の左腕から、勝手に魔法が迸る。


 気づいたときにはもう魔法構築は終わっていた。

 すぐに近くに超大型の《コネクション》が地面に張り付くかのように完成する。出現したのは見たことのない巨大門。色は紫ではなく白、その密度は濃く、ちょっとやそっとでは壊れないと見ただけでわかる。間違いなく僕には作れない代物が、落とし穴のように五十層の地面で大口を開けた。


「事前に染み込ませた魔力全てを使った『巨大門ラージ・コネクション』です。さあ、ぱくりといきましょうか」


 そのノスフィーの言葉に合わせて、彼女の動きが速くなる。いままで意図的に抑えていたことがわかる加速だった。


 負傷していたライナーはその速度に対応できない。

 光の旗の先端で腹を打たれ、呼吸困難でうずくまる。そこに柔らかい手のひらのような光の旗の布部分がライナーを包み、そして――


「――ではっ、シューット!」


 可愛らしい掛け声と共に、ラクロスのようにライナーを扱って、巨大な《コネクション》の中に叩き込んだ。


「こ、このぉおおっ――……!!」


 叫び声と共にライナーは次元の扉に飲みこまれた。

 別の場所へ飛ばされたのだ。

 おそらくはロードの『試練』の用意された場所。


「ライナー!!」

「まずはヘルヴィルシャイン一人……」


 ゆらりと笑顔のノスフィーがこちらを向く。


 まずい……。

 おそらく、次は僕を《コネクション》に叩きこむつもりだろう。

 一瞬、あえて叩き込まれるという選択肢が頭に浮かぶ。しかし、それをライナーは望んでいないだろう。寝食を共にした同性の友人だ。そのくらいはわかる。

 なにより、自分がライナーに言ったことだ。

 自己犠牲は楽な道だけどやめよう――と、そう言った。


 ライナーを助けに行きたくて堪らないが、ここで自分を犠牲にして彼を助けにいくのは最善でないと理性でわかっている。ただ、僕の心が楽になるだけの道だ。

 いまは二手に別れてでも、早急にアイドを連れてくることこそ最善。地上に行けば、増援はいくらでも期待できる。だから――!


「くそっ!!」


 歯を食いしばって駆け出す。ノスフィーでも《コネクション》でもなく、四十九層に続く階段目掛けて走る。


「ふふっ。らしくなってきましたね、渦波様。大目標のためなら、足手まといは切り捨てる。とても『正しい』選択です。わたくしでも、そうします」


 その全力疾走に、ノスフィーは一足飛びで追いつき、横に並ぶ。そして、その異常な膂力で旗を横に振る。


「違うっ、ライナーを信頼してるだけだ! あいつなら一人でも道を切り拓く!」


 剣で旗を弾きながら言い返し、身体を向き直して構える。


 ノスフィーの身体能力は高い。走って置いていくことは不可能だとわかった僕は、仕方なく剣を使ってノスフィーを撃退しにかかる。

 彼女の光の魔法のからくりはわかっているため、スキル『感応』と剣を中心に戦うしかなかった。


「む、むむっ――?」


 剣と旗を打ち付け合っていると、ノスフィーは眉をひそめる。

 もっと楽に僕を制圧できると思っていたのだろう。ずっと後衛をしていた僕のスキル『剣術』のレベルの高さに驚いている。

 ローウェンの剣術には絶望的な身体能力の差を補えるほどの力があった。


 スキル『剣術』だけはノスフィーにまさっている――とはいえ、一気に斬り伏せられるほどの優位までは作れない。

 何とかここから逃げ出す隙を探しながら、言葉と武器をぶつけ合う。


「面倒な魔法を隠してたな、ノスフィー!!」

「別に隠していません。他者への献身は光魔法の基礎ですよ? わたくしは渦波様に魔力をおすそわけしているだけです」

「その魔力が勝手に僕の魔法を使ってる!」

「魔法の発動は『血』との『話し合い』の末にきちんと許可をもらってます。罵られる謂れはありませんね」

「いやっ、僕の魔法を使うなら僕の許可を取れ! 『血』とじゃなくて僕と『話し合い』しろよ!?」

「え……、それだと術式の間借りを断られてしまいますし……」

「当たり前だ! それが普通だ! なんだよ、『血』と『話し合い』って!!」

「すみません。相手の弱みと『話し合い』するのが和平交渉の基本ですので」

「くっ――!」


 しかし、のらりくらりとかわされる。

 会話もだが、特に戦闘の手応えが薄い。


 早々に僕の『剣術』との真っ向勝負を諦めたノスフィーは、旗の形状を千変させて対応し始めたのだ。

 基本は棒術だが、途中で槍、斧、長刀、長剣、双剣、短剣と武器を変える。そして、その全てを手足のように扱う。スキル『武器戦闘』の数値が高いだけでなく、個別のスキルも完備しているのは間違いなかった。


 単純に能力スペック差が大きい上に、千変する武器。

 もう五分近くは戦ったが、このまま一時間戦っても崩せる気がしない。

 現に千を超える技の応酬が過ぎても、崩すことができずにいる。何より、ノスフィーが攻撃ではなく防御に集中してるのが厳しい。

 

 体力を削られ、息が切れ始める。

 大粒の汗が額を伝い、いまにも目の中に入りそうだ。

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ――!!」


 呼吸を整えるため、戦闘を一時中断して一度大きく後退する。

 それをノスフィーは追いかけることなく、四十九層に続く階段を背負って笑う。


「……ふう。わたくし、こういう持久戦は得意ですよ。ええ、我慢はとても得意です」


 軽く息を吐いて、涼しい顔を見せるノスフィー。

 全くの疲労なしというわけではないが、僕と比べれば天と地の差はある。


 汗を拭いながら、状況の悪さを再確認する。

 状況を打開するための魔法を封じられているというのに、まだ向こうは切り札を隠してるからだ。

 正直なところ、六十層の守護者ガーディアンがこの程度のわけがないのだ。まだノスフィーは、あの『話し合い』の魔法を全力で使っておらず、わざわざ僕の『剣術』と真っ向勝負してくれている。つまり、いまノスフィーは自分の土俵で戦っていないにもかかわらず、この強さなのだ。


 この状況を打開するには、相応の無茶が必要だろう。

 そして、無茶と言えば、蘇るのは地上の記憶。一番の無茶をしたのは、パリンクロンとの戦い。

 あの戦いの終わり際……、あの反則的な魔法で僕は……――


 ――あの魔法・・・・を使うべきか?


 あれは、いま僕が使える次元魔法で最も高位の魔法だ。

 しかし、あれを防がれたら、もう僕には後がなくなる。なにより、あれは戦闘向けではないし、さらに言えば『代償』も激しい。できれば、この身体・・・・では使いたくない。それに、使ったのはパリンクロン相手に一度だけ……、次も上手く発動するかわからない。


 本気で勝ちにいくのならば、いま使える手札に魔力を全て注ぎ込んだほうがいいだろう。

 そちらの戦法のほうが正しい……が、それも一度使ってしまえば後に続かない戦法だ。

 ここは五十層。迷宮の中腹も中腹。ど真ん中なのだ。

 勝てたとしても、ガス欠になってしまえば、結局はヴィアイシアに戻らなくては死んでしまう。


 くそっ。

 相手が強いとわかっているのに全力を出せないのが、こんなにももどかしいなんて……!


「ふふっ。わたくしは無理せずとも、ここで渦波様を消耗させれば、それだけでわたくしの勝利になるのですから楽ですね。さあ、渦波様。ライナーもいないのに、その疲労で地上まで行けますか? 魔力のほうは十分に残っていますか? そろそろ、空腹の問題も生まれる頃では?」


 ノスフィーはしっかりと自分の勝利条件を理解している。迷う僕の不安を煽りながら、悠然と僕の出方を窺い続ける。


「……渦波様、無茶はお止めになって、一度ヴィアイシアに帰りましょう。そして、ロードの『試練』をお受けください。その義務が、あなたにはあります。ええ、これは守護者ガーディアンの層を通る者に課される義務です」


 少し遠くに残っている《コネクション》を指差して、ノスフィーは僕に無茶をするなと優しく諭す。


 もう仕方ない……!


 それを聞いて、僕の意思は固まる。

 まだ僕は無茶などしていない。この程度は無茶の範疇内になんてない。

 ここで本当の無茶をして、ノスフィーの予測を上回れることができれば、まだ勝機はある。


「さらに言えば、これは責任でもあります。あなたは『過去』の責任を取らなければならない。ゆえに、共に帰りましょう。千年前のヴィアイシアへ――!」


 無茶は、まだ、ここからだ――!

 全力でノスフィーを倒してっ、地上には根性で行ってやればいい――!!


「――魔法《ディフォルト》《ディフォルト》《ディフォルト》《ディフォルト》!!」


 魔法を叫び、駆け出す――!

 再度の全力疾走と共に、全力の次元魔法を連発する。


 魔法を相殺されるのはわかっている。

 ならば、まずは数で勝負だ。


 空間の歪みを無数に発生させて、ノスフィーの横を通り抜けるルートを大量生産しようとする。もしかしたら、複数の魔法には対応できないという可能性がある。


「そう来ましたか。……予測範囲内ですね」


 しかし、ノスフィーが手をかざすと、全ての空間の歪みが一瞬で修復されていった。この特攻を予期していたかとしか思えない迅速な対応だった。

 けれど、こうなるのは予想通り。守護者ガーディアンならば、この程度のことはする。


 《ディフォルト》の恩恵を得ることの出来なかった僕は、ノスフィーに向かって真っ直ぐ走っている状態だ。

 そこへ、すぐに用意していた本命の魔法を放つ。


「――魔法《ディスタンスミュート》!!」


 カリカリと脳の削れる音を聞きながらも、《ディスタンスミュート》を全身に纏わせる。


 数が駄目ならば質で勝負する。

 一つの魔法にこめられるだけの限界の魔力を使って、最高最大の魔法を構築した。もう僕には、この最高の魔法をもう一つ用意する余裕なんてない。

 同じ魔法を用意することで『相殺』を行うノスフィーには、最も厄介な選択のはずだ。


 このまま、ノスフィーの身体の中を駆け抜けて、四十九層の階段まで辿りついてみせる。


「……その濃さを再現するのは骨が折れますね。しかし、その魔法は一度見ました。すり抜けるのでしょう?」


 僕の特攻に対し、ノスフィーは冷静だった。魔法の相殺を早々に諦める。

 だが、全身の《ディスタンスミュート》に手が出ないわけではなかった。向こうからすれば、相殺は一つの手段。それにこだわる必要なんてない。


「ゆえに、それも予測範囲内です。――《ディスタンスミュート》。わたくしの右手だけ、そのずれた次元の位相に合わせます。ギリギリですけどね」


 僕を利用し、ノスフィーは弱めの《ディスタンスミュート》を使ってくる。そして、その光り輝く右手で、真っ直ぐ向かってくる僕の腕を取って、万力のように握り締めた。


「は、離せ――!!」


 手を振り解こうとするが、上手く力をいなされる。『剣術』では圧倒していても、『体術』では逆だ。なにより、ノスフィーは戦い慣れている。そう確信できる巧みさで、落ち着いていて跳躍する。

 僕を掴んだまま、迷宮の天井に届くほど高く高く飛ぶ。

 その着地の先にあるのは大口を開いた《コネクション》。


「これで詰みです。地上は行かせません。ええ、絶対に――行かせません」

「くっ、この――!」


 ノスフィーは笑い――僕の腕を握ったまま、落ちる。

 共に迷宮の深き底へ。

 次元を超えて十六層分、落下していく。


 十六層分とはいえ、《コネクション》の移動の時間は一瞬だ。

 刹那の暗闇を通り過ぎ、すぐに世界は切り替わる。

 嵐の吹き荒ぶ迷宮から、誰もいない静かな城に。


 こうして僕は、ロードの待つ玉座の間に――振り出しに戻される。


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