173.互いに求めていた人

 パリンクロンは軽やかに跳んだ。


 そして、初めて出会ったときに見せた流麗な剣捌きで、僕の首を刈らんと襲い掛かってくる。

 滑らかで隙のない剣閃。修練に裏打ちされた合理的な技。まさしく、騎士として理想の剣だった――が、まるで足りない。

 人として騎士として完璧な程度・・では、欠伸が出るほど遅いのだ。


 近づいてくるパリンクロンの剣の腹に、僕の剣を這わせる。

 剣と剣が触れ合うが、火花は散らない。拮抗なんてするはずもなく、僕の剣は滑っていく。『剣術』に天と地ほどの差があるから、できる芸当だ。


 刃が交差し、けれど何一つ抵抗なく二つの剣は振り抜かれた。

 結果は歴然だった。パリンクロンの剣は空振り、僕の剣だけが敵の肉を斬る。


 パリンクロンの指が三つほど宙に舞った。しかし、剣を握る指を落とされながらも、パリンクロンは剣を強く握り締め直した。そして、そのまま、返しの刃で僕の首を刈ろうとする。


 だが虚しいことに、その返しの刃も遅すぎる。

 致命的に速さと技術が全く足りていない。


 返しの刃が届く前に、僕の剣が煌く。

 次は胴体からパリンクロンの右腕が切り離された。


 片腕を斬り飛ばされ、パリンクロンは身体のバランスを失う。

 およそ常人では耐え切れない痛みと喪失だろう。だが、奴は体勢を崩しながら、飛んだ腕を掴む。斬り飛ばされた片腕には剣が握られたままだった。その剣を強引に使うため、もう片方の腕でそれを振るった。


 もちろん、そんなでたらめの一撃が届くはずもなく、逆にパリンクロンは僕の反撃を身に受ける。

 真横一直線に水晶の剣を奔らせ、両の目を斬り裂く。


 血飛沫が飛び、パリンクロンの両目が潰れる。

 そこでようやくパリンクロンは怯み、後退した。


 そして、足を止めて、肩を揺らし始める。

 重傷に重傷を重ね、それでもパリンクロンは笑っていた。


「は、ははっ、ははははっ! ははハはハハハはっ!!」


 戦闘時間は二秒と少しほど。その短い時間で、宣言通り両目と片腕は貰った。

 誰が見ても一方的な戦いだった。剣速に絶対的な差があった。


 ただ、その無慈悲な現実を、当事者のパリンクロンだけが笑う。


「ははっ! 嘘だろ? 十秒も持たないのかよ!」


 本人はもう少しやれると思っていたらしい。

 その幻想を壊すため、僕は再度降伏を勧める。


「諦めろ、パリンクロン。もう前の僕じゃないんだ……!」


 僕は守護者ガーディアン以上の『化け物』へとなりかけている。

 『表示』の見えている僕にとって、これは当然の結果だった。


「いいや、まだだ。まだ俺は諦めないぜ。次は『半死体ハーフモンスター』だ」


 パリンクロンは楽しそうに続行を宣言する。そして、ゆったりとした動きで剣を自らの喉に突き刺す。

 その自傷行為は、見ているだけで痛々しい。

 しかし、当の本人は笑っているままだ。


 紫色の魔力が、刺された喉から漏れ出す。

 その自傷に合わせ、魔力が増していき、より活力を漲らせているのがわかる。

 粘着力のある魔力が全身を包み、どろどろとした液体へと変わっていく。流れる血が赤から黒へと変わっていき、いつか見た守護者ガーディアンの姿に近づいていく。


 黒い液体が生き物のように蠢き、切り離された肘先と腕へ絡みついた。そして、切断面を合わせることで、奇術のように腕をくっつけてみせた。

 斬られた両の目も黒い液体によって修復されていく。だが、元通りではない。眼球全体が真っ黒に染まっており、人間味が薄れてきている。


 これが『闇の理を盗むもの』の『半死体ハーフモンスター』――

 

「さあ、二回戦だ」


 パリンクロンは口を半月のごとく歪ませる。

 ぞっとするような笑みに合わせて、こちらへと駆けてくる。

 常人ならば、そのおぞましい笑みと変貌に、身を凍らせることだろう。


 だが、僕は大して驚くことなく迎撃に移ることができた。そうくるのはわかっていたことだし、対策も十全に終えている。何より、これ・・と戦うのは二度目だ。


 パリンクロンは腕をふるって、黒い液体をこちらへと飛ばす。

 その小さき水弾は百をも超える。黒い水飛沫の散弾だ。


 しかし、その全てを僕は服にかすらせもしない。《ディメンション・決戦演算グラディエイト》で得た把握能力と、ステータスに物を言わせた身のこなしのおかげだ。

 

 最も弾幕の薄いところへと身をもぐりこませ、避けきれないものは剣の腹で優しく払っていく。

 ティーダと戦ったときの僕には不可能だったが、いまの僕ならば可能だった。かつてならば神業だと思った技が、いまとなっては当然のようにできてしまう。

 《ディメンション・決戦演算グラディエイト》も身体能力も、別次元へと成長して――いや、成長ではないのだろう。変質させられているのがわかる。


 パリンクロンは黒い液体を散らしながら、剣も振るってくる。

 手数は数百倍に増え、僕も出し惜しみができなくなった。


「――氷結魔法《ミドガルズフリーズ》!」


 あらかじめ考えていた通り、液体の攻撃には氷結魔法で対応する。

 避けることも払うこともできなさそうな液体は氷蛇が全て呑みこんだ。


 もちろん、防御だけで氷蛇の役目は終わらない。黒い液体を呑みこみながら、そのまま宙を泳いでパリンクロンへと襲いかかる。


 パリンクロンは氷の大魔法を見て、目を見開き、慌てて横へと跳ぶ。

 しかし、それで《ミドガルズフリーズ》の脅威から逃れられるわけもない。氷蛇は旋回し、パリンクロンの身体へ食らいつこうとする。

 逃げても無駄だと悟ったパリンクロンは、剣に黒い液体を厚く纏わせる。剣は肥大化し、その大きさは何倍にも膨れ上がった。

 その大剣をもって、パリンクロンは氷蛇を迎え撃つ。


 氷蛇のあぎとと黒い魔剣がぶつかり合い、特殊な形の鍔迫り合いが発生する。

 蛇対剣だが、実質は魔力と魔力の比べ合いだ。


 チリチリチリと、黒い液体が氷結化していく。

 それでもパリンクロンは退くことなく、全力をもって剣を振り抜いてみせた。

 氷蛇はガラスが割れたかのように砕け散った。


 もちろん、僕が魔力の勝負で競り負けたわけではない。

 次なる一手のため、あえてそうしただけだ。


 全力の一閃を繰り出したパリンクロンの隙を突いて、死角から僕は剣を振る。

 甲高い音と共に、パリンクロンの持つ名剣が弾き飛ばされた。


 パリンクロンは武器を失ったが、黒い液体を使って足掻こうとする。だが僕は冷静に更なる魔法を唱える。

 これでとどめだ。

 イメージは杭。

 罪人を刺し止める氷の槍――


「魔法《次元の冬ディ・ウィンター――……、終霜フロスト》」


 周囲に水気はないが、《ミドガルズフリーズ》が砕けたおかげで氷の破片が散らばっている。それを元に、槍にも似た氷柱は完成する。トラップのように、パリンクロンの足元から複数の氷の棘が伸びた。


 それはもはや《次元の冬ディ・ウィンター終霜フロスト》でなく別の魔法だろう。だが、その新魔法に僕は名前をつけなかった。普段ならばパッと思いつくものだが、今日に限っては楽しそうな単語もルビも思いつかなかった。


 特に魔法名を付け足すこともなく、無言で地面から昇り立つ氷槍の数を増やしていく。


 捌ききれず、パリンクロンは氷槍のいくつかを身に受ける。

 服どころか手足を貫かれ、黒い液体は魔力ごと凍らされていく。身体は固められ、無数の氷槍でパリンクロンは身動きできなくなる。


 その喉元へ、僕は剣先を突きつける。

 丁度十秒程度の攻防だった。それで戦いは終わった。


 再び敗北を喫したパリンクロンは笑う。


「お、おいおい……。こんなにも勝負にならねえのか? こっちも『魔石』あんのによ……」


 『半死体ハーフモンスター』での戦いには、それなりの自信があったらしい。

 しかし、僕は冷たく実力差を伝える。


「僕は強くなった。ずっと迷宮に潜り続けて、戦い続けた。あの日から何も変わってないおまえじゃ、僕には勝てない」


 そう。

 パリンクロンは変わっていない。しかし、僕は強くなってしまった。


 だから・・・こうなった・・・・・


 パリンクロンは身動きできない状態で、器用に肩をすくませる。


「あー、だな。さぼってた俺が悪いな。怖くて・・・、レベルを上げられなかったんだ。いや、本当にすげえよ、少年。まるで、神話の英雄みたいだぜ」


 手が動けば拍手さえしそうだった。

 けれど、僕が欲しいのは賞賛ではない。

 それを主張すべく、剣の切っ先をパリンクロンの喉へ近づけていく。このままだと、僕は貫くしかなくなる。


 だから、パリンクロン。

 その前に――


「――仕方ないな・・・・・。その修練の成果に免じて、少しだけ話そうか。いいぜ。好きなことを聞くといい」


 パリンクロンは何かを諦め、素直に話すと言った。


 僕は唖然とする。

 そうなって欲しかったものの、そうなるとは思ってなかったシチュエーションだ。


 この飄々とした男は、何かを引き換えにしないと真面目に話はしない。いまの戦いで、僕はそれ相応のものを提示できたのだろうか。まるでそんな気がしない。


「そう疑うなよ。もともと、30層の守護者を倒せば『記憶のこと』を教えるって約束だったんだ。なんだかんだで俺は約束を破らない男だぜ? ほら、『記憶のこと』なら何でも聞くといい」


 古い約束を持ち出してくる。

 その約束はレイルさんに果たしてもらったから、僕は全く期待していなかった。しかし、パリンクロンにとっては違ったらしい。


 喉元に突きつけられた水晶の剣を見つめて、約束が果たされたことを喜んでいる。

 30層の守護者を倒せるほどの実力とローウェンの魔石。それを前にして、仕方がなさそうに話そうとしている――ように見える。


 パリンクロンは意味深に『記憶のこと』と言った。

 間違いなく、それはパリンクロンに消された記憶のことだけでなく、千年前の記憶のことも言っているのだろう。


 望んでいたシチュエーションだ。ここで少しでも情報を引き出されば色々と助かる。だから聞けるだけ聞こうと思う。


 ただ、僕はパリンクロンの思惑には乗らない。正直、もう過去のことなんてどうでもいい・・・・・・。それよりも聞きたいことがある。

 指していたであろう記憶とは、全く別の記憶について聞く。


「なら『おまえたち』の記憶が知りたい。なあ、パリンクロン。この『世界奉還陣』が本当に使徒レガシィの――いや、おまえの望みなのか?」


 背中に熱と寒気を同時に感じた。


 目の前のパリンクロンのせいではない。後方で見守っていたマリアの圧力だ。

 いいから「とどめを刺せ」と言っているのがわかる。


 けれど僕は、どうしてもそれが聞きたかった。圧力に負けず、パリンクロンを見つめる。

 いまの僕にとっては、それは僕の記憶よりも大事なことだった。


「……おいおい。『自分の記憶』じゃなくて『俺の記憶』が知りたいのか? ははっ、ほんと狂ってるな。まあいい。いいぜ、教えてやる。もう隠すような話じゃない」


 僕のひねくれた要求に、パリンクロンは前言を翻さなかった。

 また世間話をするかのように、軽く話し始める。


「望みか。大まかに言えば……、そうだな。俺は俺の中にいる使徒レガシィってやつの未練を果たしてやりたいんだ」


 そして、使徒の名前を出す。

 その物言いは、まるで僕やディアと同じ境遇のような口ぶりだった。


「けど、あいつの未練は千年前にしか叶わないものだった。だから俺は千年前と同じ状況を作ってやるって決めた。そのために国々の平和を乱し、大陸に『世界奉還陣』を敷き、『英雄』と『化け物』を用意しようとした。……俺自身、あの神話の時代に憧れているってのもあるな」


 いつもと変わらぬ口調だが、冗談は一切交じっていない。ここにきて、ようやくパリンクロンの本心が少しだけ見えてきている。


「その使徒レガシィってやつの未練は、過去に戻ったら終わりなのか?」

「いや、戻って――『一緒に遊びたい』らしい。最後まで、様子見していたことをすげえ後悔してたなあ、あいつ。漁夫の利ほど空しいものはないらしいぜ?」


 『一緒に遊びたい』。その子供じみた未練に言葉を失う。


 しかし、思えばティーダやローウェンの未練も似たようなものだった。

 最期の最期に残る本当の未練というのは、得てして些細なものばかりなのかもしれない。


 僕は真剣な表情で、その未練と向き合う。


「……なら、その『一緒に遊びたい』に僕が協力すると言ったら、僕たちは争わなくてもいいのか?」

「カナミさんっ!!」


 予定と違う話をし始めた僕へ、マリアの叱責が飛ぶ。


 それだけは許さないと、マリアは後ろで炎を強めた。僕ごとパリンクロンを燃やしそうな勢いだ。いや、彼女の性格ならいまにも炎を飛ばしてくるかもしれない。

 そんな僕とマリアを見て、パリンクロンは苦笑する。


「いや、それはできないぜ。なにせ、もう協力してもらってるところだ。千年前の舞台は、血を血で洗う鮮血劇だった。『使徒』、『始祖』、『聖人』、『理を盗むもの』たちの殺し合いのお祭り……。それに交ざれれば、それだけで俺たちはいいんだ。つまり、いまの状況そのものだな。この争いこそが、『俺たちレガシィ』の望みだ」


 パリンクロンは周囲を見渡しながら、そう言った。


 炎に囲まれ、目と腕を奪われ、氷柱で全身を貫かれ、剣先を喉元に突きつけられている。この状況こそが求めていたものだと言う。


「だから、最後の最後まで、俺は少年の敵として戦うぜ。敵対する理由があるから敵になるんじゃないんだ。少年の敵であることそのものが望みだったんだ」


 パリンクロンと僕は決して相容れないということを、優しく告げた。


「そう……、なのか……」


 何も言えない。

 『並列思考』もない僕の鈍い頭脳では、それに対する答えを思いつくことができなかった。


「数ある千年前の登場人物の中で、敵に少年を選んだのは……、ただの好き嫌いだな。レガシィは特に『始祖カナミ』と遊びたがっていたから、少年を選んだんだ。俺も好みだったから、それに賛同した。すまねえな、ははっ」

「もういい。なんで、おまえが僕につきまとうのか、少しだけわかったから……」


 これ以上聞いても意味はない。


 おそらく、他にも色々と理由はあるのだろう。ただ、その理由を聞こうとは思わなかった。

 どんな理由があれ、パリンクロンは何があっても命乞いはしないとわかってしまった。もう僕個人の質問は終わりだ。


 仕方なく、僕は次に知りたいことを聞く。これだけは聞かないといけない。

 仲間のために――いや、これも自分のためにだろう。

 仲間のためであるかのような振りをして、僕は聞く。


「パリンクロン、質問を変える。ディアの身体から使徒シスを追い出す方法を知らないか? もしかして、使徒シスの未練を果たしたら、あいつって消えるのか?」

「……んー、どうだろうな? それを俺は知ってるかもしれないし、知らないかもしれない。まあ、知ってても、無料タダじゃ教えないぜ? 記憶のこと以外のことは別料金だな」


 にやりと、パリンクロンは笑った。

 その厭らしい笑みから、ようやく敵らしさを感じた。いままでは、世間話の延長のようで緊張感がまるでなかった。腕と目を奪っておきながら、まだ殺し合いをしている気がしなかった。


 だが、ここにきてパリンクロンは敵意を見せる。

 僕の知りたいことを餌に、本当の殺し合いを望む。


「いつも通りだ。俺の口を割らせたいなら、それ相応のものを用意するんだな」


 相応のもの。

 いま丁度、パリンクロンの欲しがっているものを聞いたばかりだ。


 つまりは、もっと一緒に遊べと言っているのだ。

 血で血を洗う殺し合いで、使徒レガシィとやらを満足させろと言っているのだ。


 僕は忌々しく吐き捨てる。


「なんだよそれ……。おまえが敵でありたいなんて理由のために戦うのなら、どうしようもないじゃないか。それに、これ以上は・・・・・、本当に殺し合いだ……。戦いでも何でもない。ただ、僕がおまえを殺すだけだ」

「ま、そういうことだな。けど、まだ俺は諦めてないぜ?」


 ただでさえ、いまパリンクロンは身体が穴だらけになっている。


 これ以上の攻撃をすれば、パリンクロンは死ぬだろう。そうなれば、話を聞くことはできない。それは教えないと言っているのと同義だ。


「おかしいだろ、そんなの。なあ、パリンクロン。もっと他に『道』が――」


 もう無理なのはわかっていた。

 けれど、僕は未練がましく話を続けようとした。


 僕がパリンクロンを追いかけてここまできた本当の目的を漏らしかけ――しかし、それはマリアによって遮られる。


「――カナミさん・・・・・


 後方にいた思っていたマリアが、いつの間にかすぐ隣まで出てきていた。

 そして、目を見開き、こちらを見ていた。


 何もないはずの目蓋の下。

 そこにはルビーにも似た綺麗な両目が燃え盛っていた。

 すぐに炎の凝縮された赤い球体が代わりに入っているのだと気づく。炎に視認能力があるのは知っている。けれど、それだけじゃないと直感した。

 これは、もっと違う『何かの力』だ。

 例えば、目を失ったことでマリアが失ったスキル『炯眼』――


 マリアはパリンクロンに背中を向けて、僕へと問いかける。


おかしいですよ・・・・・・・、カナミさん。もしかして……、パリンクロン・レガシィと分かり合おうとしてませんか?」


 言葉が胸に突き刺さる。

 急すぎて、すぐには言い返すことができなかった。


「できるものなら助けようと……いや、パリンクロン・レガシィに助けてもらおうと・・・・・・・・、そう思ってませんか?」


 赤い目が僕の心を見透かそうとしていた。

 強がりを装うことも許さない炎の目だ。


 その目を前にして、僕はたじろぐ。


「『世界奉還陣』を止めに来たのではなくて、むしろカナミさんは――」

「違う!! それだけは絶対に違う!!」


 まるで「相川渦波がパリンクロンの味方」かのような扱いを、即座に僕は否定する。


 そんな目でマリアに見られるのは耐えられなかった。見栄っ張りな自分が、まだ残っていたようだ。


 仲間が減り、僕を繋ぎ止めていた『楔』は、もう五つほど減った。

 残った『楔』はマリアの一つだけ。その強固な一つが、僕の完全崩壊を許してはくれない――


 何も感じないようにしていたはずなのに、無心になっていたはずなのに、僕の声は酷く荒れた。


「ならっ、いますぐ終わらせてください! 私はここに来られない他のみんなのために、ここにいます。誰がいたとしたも絶対に言うはずです。――戦ってくださいと!!」

「た、戦ってる! いつでも倒せる状態だろ!? 言った通り、数分もかかっていない!」

「ならなんで、すぐに終わらせないんですか!? 何を待ってるんですか!? いま言われたとおり、本当にこれと遊んであげてるんですか!?」

「違うっ!! 別に何も待ってなんかいない! 遊んでもいない!」

「そうは見えませんから言っているんです! 事前に決めた話と違い過ぎます!!」

「それはっ、パリンクロンが急に変なことを言うから――」


 言い争いは加速し、口喧嘩のようになる。


 聖誕祭の日も似たようなことをしていた気がする。

 ただ、立場は完全に入れ替わってしまっている。いまとなっては正気を失っているのは僕で、それを収めようとしているのがマリアだ。


「――ははっ」


 そこに笑い声が交じった。

 滅多刺しになっていたパリンクロンが、堪えきれずに笑いを零したようだ。

 その声によって、僕たち二人は我に返った。


「おっと」


 邪魔したことを謝るかのような仕草をするパリンクロン。


 そして、我に返った僕たちは気づく。

 パリンクロンの足元が鈍く発光し始めていることに。

 その光は、砦で感じたものと同じだ。魔法構築も以前に感じたものと酷似している。やはり・・・、先ほどの話は時間稼ぎだったようだ。僕たちが言い争っている間に、パリンクロンが起動させたのだ。


「こ、この――!!」


 それを起動させないために僕は来たことになっている。

 僕はパリンクロンの魔法を止めようと、剣と魔力を伸ばす。

 しかし、パリンクロンはそれをすれすれのところで避けた。凍った四肢を強引に砕き、氷柱で縫われた身体を捨てることで束縛から逃れたのだ。そして、新たな黒い液体で両足を作って、後退する。


 マリアも慌てて魔法を構築し始める。


「やっぱり、また――! とどめです、カナミさん! 本当に違うと言うのなら、例の魔法で証明してください!!」

 

 周囲の炎の壁から、いくらかの炎を抜き取って新しい魔法へと変えていく。


 それは昨日に話し合って考えた魔法の枠組みだ。パリンクロンが何をしてきても勝てるように、二人で考えたとどめの擬似共鳴魔法だ。


 いや、正確にはマリアが一人で考えた魔法か……。

 僕は彼女の殺意を現実にするため、術式構成の手助けをしただけだ。


「わ、わかってる! ――《次元の冬ディ・ウィンター》!」


 熱気が支配している炎のアリーナに、《次元の冬ディ・ウィンター》による冷気の支配が満たされていく。


 氷結と火炎。普通に考えれば、お互いがお互いを阻害する属性だ。

 聖誕祭の日、アルティと僕の魔力は相反し合い、領域の削り合いとなった。

 しかし、仲間である僕とマリアの魔力は、恐ろしく自然に溶け合った。


 赤とも青とも紫とも言えない色の魔力が、空へ昇っていく。

 炎の『決闘場アリーナ』というに、一本の幻想的な魔力の木が立つ。

 それは氷と炎の大樹――


 僕の身体から氷結の魔力が昇り立ち、薄青色の幹となる。空気を凍らせ、水晶色の刺々しい枝が宙に育っていく。そこへマリアの火炎の魔力が色を足す。炎によって薄青色の木に、真っ赤な花が咲いていく。その花弁の全てが、まるで生きているかのように揺らめいた。

 その実体のない魔力の木は、水よりも透明で、宝石よりも輝いていた。まさしく幻想のように。


 その幻想を前に、正面のパリンクロンが顔を強張らせる。

 だが、口の端が僅かに釣りあがっているのを僕は見逃さない。どこか嬉しそうだった。パリンクロンは氷と炎の魔法に対して、闇の魔法を全力で構築する。


 特殊な魔法ばかり使っていたパリンクロンが見せる、初めての攻撃魔法だった。


「おいおい、これはやばすぎだろ……! ――《ダークスフィア》!!」


 書物の知識で知っている魔法だ。確か、高位の闇属性攻撃魔法だったはずだ。

 パリンクロンの影から闇が溢れ、黒い球体が無数に出現しようとする。

 もちろん、僕はそれに干渉する。このとどめの魔法は、そういう魔法だ。


 僕は水晶の剣をパリンクロンへと向け、魔力でできた薄青色の幹を前方に倒す。

 その結果、《次元の冬ディ・ウィンター》の領域がパリンクロンを魔法ごと呑みこんだ。そして、いくつかの黒い球体を発動前に霧散させる。

 もちろん、薄青色の幹に釣られて、赤い花も動く。

 冷気によって弱った闇の魔法へ容赦なく炎が襲いかかっていく。炎の花弁たちによって全ての黒い球体は一瞬で食らい尽くされた。


 こうして、《ダークスフィア》は二人の合わせ技によって、強引に『魔法相殺カウンターマジック』された。

 パリンクロンは迎撃の魔法の全てを失い、火炎を防ぐ術がなくなる。結果、マリアの生み出した火炎の直撃を許してしまう。


 じゅわっと重い音が鳴り響き、身体を構成する黒い液体が蒸発していく。

 その間、炎の花弁が蛇のようにパリンクロンへ纏わりつき、防御も逃亡も許そうとしない。


 そんな地獄のような魔法の中、声が聞こえてくる。


「――あ、あァア、あ――、アア! ――『あえかにうしなった』『意よ義よ無為なる矜持よ歓びよ』――、『もう全てが還らない』――!!」


 聞いたことのある詠唱だった。

 『世界奉還陣』の起動のため、またパリンクロンは防御を捨てていた。


「カナミさん、早く!」


 マリアの急かす声に合わせて、僕は叫ぶ。


「――《次元の冬ディ・ウィンター》!」


 その適当な・・・魔法名宣言と共に、パリンクロンを中心に溜まっていた冷気と火炎の魔力が弾けて混ざる。

 そして、僕は脳内に用意されていた化学式を成立させる。とはいえ現実の物理法則ではなくイメージの式だ。それはイメージだがカチリと世界に嵌まってしまえば、魔法の法則と成りえることを僕は知っている。

 この世界は、そういう世界なのだ。

 つまり、これは物理法則と似て非なる魔法法則。


 ――そのイメージは水蒸気爆発。


 この魔法は、全ての魔力の方向性が破壊へと転換する魔法。


 カチリと世界に嵌まった感覚と共に、キュッと世界が縮まる。

 魔力がパリンクロンを中心に収束していく。

 《次元の冬ディ・ウィンター》と《フレイム・決戦炎域グラディエイト》の魔力が圧縮に圧縮を重ねて、小さく小さくなり、最後に小石程度の宝石のような魔力の結晶が一瞬だけ光った。


 その次の瞬間――魔力が解放され、爆発・・する。

 それは魔力的な爆発だけじゃなく、物理的な威力もともなった爆発だ。


 焔を撒き散らしながら、全てを塗りつぶす白い爆風が吹き荒れた。


 これが対象の魔法を霧散させつつ、炎で呑みこみ、最後に爆発させる魔法。

 相殺魔法カウンターマジック束縛魔法バインドマジック攻撃魔法アタックマジックを融合させた、防御不可能の爆発魔法だ。――が、この魔法もまだ名前は考えていない。名づける気がしない。


 その名前のない魔法の威力は絶大だった。

 隕石が落ちたかのような轟音と共に、白い霧の熱風は周辺の草木を溶かした。

 爆発の余波だけからでも、その力の片鱗を窺える。

 およそ、人一人に向けていい魔法ではないのは確かだった。


 人に向けていい魔法ではないが、明らかに対人用であり殺傷目的の魔法だ。そういう理論から生まれているのだから、当然だろう。


 そんな殺意の塊のような魔法を、とうとう僕は使用してしまった。

 それも、パリンクロン・レガシィに向けて……。



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