396.冬
しかし、氷が私に届く前に、風が吹く。
いまヒタキちゃんが現れた階段から、一人の騎士ライナー・ヘルヴィルシャインが姿を現していた。
そして、私と向かい合ったヒタキちゃんの隙を突き、得意の風魔法《イクス・ワインド》と共に、背後から双剣で斬りかかる。
見事な奇襲だが、私に向かって伸びていた氷の刃が急速に曲がったことで、あっさりと防がれてしまう。
氷の刃は綺麗な円を描き切り、巨大な
二種の剣がせめぎ合い、氷粒が宙に散る。
そこでヒタキちゃんは、自分を襲った人物を初めて目にして、その名を零す。
「――ライナー・ヘルヴィルシャイン?」
奇襲に対しては一切動揺がなかった。
だが、奇襲者には驚いているようだった。
そのヒタキちゃんの驚きなどお構いなしに、ライナーは剣を続けて振りかぶる。
それに迎え撃つのは、巨大な
『水の理を盗むもの』の氷は変幻自在で、流動的だった。
最終的には、木の根のような複雑な形となって、あらゆる角度からの追撃を防いでいく。変形は速く、硬く、鋭く、易々と突破できそうにない。
次第にライナーは奇襲で得た優位を失っていき、攻勢でなくなっていく。
そして、とうとう変形し続ける氷の刃が攻撃に転じたところで、彼は大きく跳躍して距離を取る。
「くっ――、仕留め損ねた……!」
悪態をつきながら一呼吸置いて、慎重にヒタキちゃんの出方を窺う。
ただ、変幻自在の氷は、ライナーを追いかけない。
「これは……。いま、力が……?」
それよりも大事なことがあるのか、奇襲者の対応よりも先に、ヒタキちゃんは私に険しい目を向けた。いや、正確には、私の背後にある『切れ目』を睨んでいた。
後ろの『視線』に恐怖が混じったような気がしたので、私は少しだけ身体をずらして『切れ目』を守るような位置を取った。その私を見て、さらにヒタキちゃんは眉間に皺を寄せて話す。
「……そんなにティアラの作品が気に入りましたか?」
驚くことに、『切れ目』に向かって文句をつけた。
ヒタキちゃんは大きな溜息をついて、細めていた双眸を緩めていく。
「……はあ。いいでしょう。朝の光が届くまでの間ならば、その贔屓に少しだけ付き合いましょう。どちらにせよ、変わりません」
その間も、彼女の纏う魔力は荒々しく波打ち、この屋内の空間をどこまでも冷やし続けていた。
渦巻く歪みも濃くなっていき、まるで水中のように視界が不確かとなっていく。
船酔いしてしまうような光景の中、ライナーは双剣を強く握って呟く。
「ああ、この悪寒……。ティアラさんを信じてよかった。もう間違いない」
身体を震わせながらも、自らを奮い立たせるように、敵対の宣言をヒタキちゃんに叩きつけていく。
「敵は、ご先祖様じゃなかった……!! ラグネのやつでもない! ――こいつだ! このアイカワヒタキ! こいつが主にとっての『最悪』の敵! 全ての元凶だった!!」
合わせて、冷気も歪みも払う風が吹き荒れた。
奇襲に失敗しても、ライナーの殺意が薄らぐことは一切ない。
いまにも再襲撃をしようと、その凶暴な風は膨らんでいく。ただ、その殺意についていけない仲間が、私の隣にいた。
息巻くライナーを止めるように、スノウが声を出す。
「ま、待って……、ライナー! カナミの妹さんだよ! 何やってるの!?」
「馬鹿か!? 僕が来なかったら、ラスティアラは死んでたぞ!!」
「そ、それは何かの間違いで……。だって、カナミが今日まで頑張ってきたのは全部、妹さんを治すためだったんだよ!? なのに、こんな……!」
「あの魔力を見ても、まだわからないのか!? そうさせられていただけだ! 病気を理由にして兄と繋がりを作っていたかっただけだ! そういう厄介な敵なんだよ、あれは!!」
言い切るライナーに、スノウは口ごもって言い返せない。
千年前を生きたティアラ様と交流があるライナーは、このフーズヤーズ攻略戦でヒタキちゃんと戦う覚悟を固めていた。私も同じ経緯で、似たような決意をしている。
ただ、スノウは違う。
彼女が持っている千年前の情報は、余りに少ない。
ゆえにスノウは迷った末に、私に身を寄せた。
判断はつかずとも、私を守ることだけは間違いないと確信した横顔だった。残るセラちゃんもスノウと同じ判断をしたようで、私の隣に立つ。
そして、殺気に塗れたヒタキちゃんとライナーの会話を見守る。
「……はあ。ライナー君、やめませんか? あなたと私は目的が一緒でしょう?」
まずヒタキちゃんは両手を挙げて、戦いを拒んだ。
無防備だった。
ライナーの性格ならば、降参した相手にも斬りかかることはできるだろう。
「…………っ!!」
しかし、ライナーは踏み込むことができない。
おそらくだが、彼の所持しているスキル『悪感』が、勝算はゼロと警告している可能性が高い。双剣を強く握り締めたまま、ヒタキちゃんを睨み続ける。
「あなたは兄さんの騎士。兄さんの安全を最優先としているはずです。ならば、私と協力し合うのが一番ではありませんか? ティアラから聞いているのでしょう? 『呪い』については」
動けないライナーに向かって、説得を試みようとしている――ように見えて、視線は私に向いていた。
彼女にとってライナーの登場など、瑣末な問題なのだろう。
私と『切れ目』に向かって、先ほどの『答え合わせ』を続けていく。
「ラスティアラ、『呪い』とは支払い切れなかった『代償』を他人に押し付ける現象のことです。……過去の『理を盗むもの』たちは、それぞれが特別な『呪い』を背負っていました。当然、『次元の理を盗むもの』である兄さんも、例外ではありません」
ヒタキちゃんは先ほど私を殺そうとしながら、全く変わらない表情で、私が知りたいと思っていたことを丁寧に教えてくれる。
「いま兄さんに残っている『呪い』は、【最も愛する者が死ぬ】というもの。ただ、この負債を払うのが、とても大変で……まず、何をもって【最も愛する者が死ぬ】となるのか、本当に曖昧でした。まず、兄さんだけが一方的に愛しているだけでは駄目でした。もちろん、兄さんだけが愛されていても駄目。互いを愛し合っていることが最低条件と発覚して、一人目は失敗。そして、二人目は対象が逃避して――」
まるでカナミを使って、もう何度も実験したかのような口ぶりだ。
やはり、ヒタキちゃんこそが、ずっとカナミを調整していた存在で間違いないだろう。
残っていた最後の『疑惑』が消えていく中、その調整している本人が、私こそカナミの【最も愛するもの】だと告げてくれる。
「――ラスティアラ、あなたが三人目というわけですね」
本当は怒らないといけないのだと思う。
でも、ヒタキちゃんのおかげで、カナミと出会えて、『冒険』できて、『告白』し合って、一緒になれたと思うと……私は彼女が嫌いになれなかった。
「あなたの母親が用意した脚本は、本当に完璧でした。ゆえに、もう覆ることは絶対にありません。ずれることも、
「はっ。だから、ラスティアラ・フーズヤーズは、ここで死ねって? キリストのために?」
その私の好意とは裏腹に、ヒタキちゃんは冷たい声を出し続けて、ライナーが黙る私の代わりに怒気を絡めて受け答える。
「ええ。誰か一人、死なねばならないのです。兄さんと想い合い、告白し合い、結ばれた誰かが、一人……」
「ふざけるな……!! そんな話で、こっちが納得すると本気で思ってんのか……!?」
「なら、ライナー君。あなたは兄さんとラスティアラ、どちらも死ねと?」
「……ああ、そうだな。まだそっちのほうがいい。そんな最後のほうが、ずっとマシだ。最後まで抗って抗って抗って、それでも駄目なら、どちらも一緒に死んだほうが――僕は納得いく」
ライナーはたとえ死んでも、手の平の上に転がされることを拒んだ。
相変わらず、出会った頃と変わらない玉砕主義だ。
だが、少し腑に落ちない。
じっと目を凝らして、彼を見たところ、明らかに全ての『糸』を無視して、振り回しながら動いている。
対面しているヒタキちゃんも同じ感想だったようで、興味深そうに呟く。
「妙ですね。……それが、あなたの納得がいく『最後の頁』? どうして、ティアラはあなたを協力者に……」
しかし、すぐに溜息をついて、首を振った。
「……はあ。いえ、どちらにせよ、関係ありませんね。なにせ、未だに兄さんの物語の『最後の頁』は、一文字も変わっていない。ライナー・ヘルヴィルシャインがイレギュラーならば、纏めてなかったことにすればいいだけと、私にはわかる」
考えるまでもなく答えは出ていると呟き、最後にヒタキちゃんは私を見た。
また忌々しげに――けれど、愛おしそうに見つめたあと、重々しい声で、隣の協力者を呼びかける。
「セルドラ」
「……俺もやるのか? その必要があるか?」
「こうなった以上、人数が多いほうが確実です。それに、手元が狂う可能性を、万が一にも残したくありません。これからの『世界』の為にも」
「確かに……、渦波の仲間たちは『世界』の財産だ。そこは俺と一致している。……わかった、仕事として請けよう」
「私はラスティアラとライナー君に集中します。なので、あなたは他を――」
明らかに、これからの戦いの算段だった。
それに気づき、誰よりも先に動かしたのはセラちゃんだった。私の隣まで走り寄り、「乗ってください」と小さく吼える。だが、その対応をライナーが否定する。
「先輩だと、血と氷に足を取られます!! 上に逃がしたほうがいい!!」
叫び、彼は飛行能力を持つ仲間に目を向けた。
その意味を理解したスノウは、私を抱きかかえて頷く。
「……うん!」
背中の翼を広げて、
「スノウ・ウォーカー! あんたは『理を盗むもの』相手だと弱い! そのまま、ラスティアラを連れて飛んで、離れてろ!」
迅速で瞬間的で見事な誘拐だ。
ずっと私がヒタキちゃんと見つめ合っている間、仲間たちは冷静に私を逃がすタイミングを計っていたようだ。
その仲間たちの動きに対応できなかった私は、為されるがままに上階へ連れ去られていく。
だが、それで出し抜けるほど、相手は甘い存在ではない。
ヒタキちゃんは一切動揺なく、むしろ予定通りだというように、隣のセルドラに頼む。
「――となるのもあって、あなたが適任ということです。丁度いいので、ファフナーも混ぜてください。それで取りこぼしは、ゼロです」
「承知した。――古代魔法《フライ・ロスソフィア》」
短い意思疎通のあと、セルドラはスノウを追いかけて、跳躍する。
そして、赤い霧を鎖骨付近から噴出させつつ、空中で身体を変質させる。
彼は
『竜化』できるのはわかっていた。
ただ、いま目に映る光景は、全く予期しないものだった。
セルドラは左の背中から、片翼だけ広がった。
器用にも、部分的な変化が可能らしい。他に一切の変化はない。
ただ、その一つだけの翼が、常識を超えたサイズだった。
色はスノウと同じく、青。
ただ、両手を広げたほどのスノウの翼と違って、天井を埋め尽くすほどに巨大だった。
片翼だけでも、この広い
いまにも、翼が城を内部から破裂させる――その寸前に、彼の翼は身じろぎするかのように一度だけ、僅かに羽ばたいて、風を生んだ。
そして、次の瞬間には彼の翼が、霧のように消える。
「へっ、え――?」
スノウは驚き、戸惑い、混乱する。
驚いたのは、セルドラの翼の圧倒的な質量。
戸惑ったのは、その質量全てが一瞬で消えたこと。
「悪いが、年季が違う。……いや、おまえの鍛錬不足か。未熟を後悔しろ」
「な、なんで――!?」
混乱するのは、スノウの身体が浮力を失い、墜落を始めたこと。
基本的に、ドラゴンという種族は翼だけで飛行していない。
呼吸するかのように『竜の風』という魔法を常に使っていて、空を飛んでいる。そのスノウの『竜の風』が、セルドラの『竜の風』とぶつかり合い、相殺されていた。
その初めての経験に対応できないスノウは、中央の吹き抜けを落ちていく。
私は彼女の腕の中、状況を打開するための助言をしようかと思った。しかし、その前に、共に落ちるセルドラが話しかけてくる。
「一階に移動だ、ティアラの
セルドラは階下に目を向けた。
その意味を理解して、私はスノウに掴まったまま、着地の為の風の魔法を編む。
十五階から落ちていき、一階ごとに景色が変わっていく。
その十四回目の変化の瞬間、私とセルドラは同時に発動させる。
「――《ワインド》!」
「――《インパルス》!」
一階を通り過ぎて地下まで落ちる前に、私は風で落下する先を曲げた。
ついでに落下の衝撃も緩和させて、私とスノウは転がるように一階の血の浅瀬に着地する。
セルドラは無属性の振動魔法で、何もない空中を蹴った。原理はわからないが、落下の勢いを殺して、両方の手足をつく。
舞台が移る。
フーズヤーズ城一階は、『血の理を盗むもの』ファフナーの待ち受ける地獄の釜の底――のはずだったが、視界に飛び込んできたのは、一面の赤でなく白だった。
血の浅瀬を塗り潰すように、例の白い『糸』が大量に波打っていた。さらに、中央の吹き抜けに呑みこまれるかのような巨大な渦が、一階の床全体に発生している。
「うっ……」
現実感のない奇妙な光景に、立ち眩みに襲われた。
この一階は、見えてはいけないものの密度が濃すぎる。
私は足元で渦巻く『糸』から、できるだけ意識を逸らして、本来の世界を確認していく。
すでに一階の戦いは終着していた。
激戦の経過を理解させる瓦礫が、スノウのときと同じように多く散らばっている。
その残骸の中、ファフナーが血の浅瀬に仰向けで倒れて、すぐ傍でディアとマリアちゃんの二人が立っていた。リーパーはマリアちゃんに憑いているままだ。
見たところ、ディアが神聖魔法《シオン》で上から魔法の圧力をかけ続けて、ファフナーの自由を奪っているようだ。
さらに周囲をよく見ると、外の兵士たちによる魔法で、城の壁に複数の穴が空いている。
壁の向こう側では、兵士たちは色めき立っていた。なにせ、いま大聖都を脅かしていた血の侵食は完全に止まり、引き潮のようにファフナーの体内に戻っているのだ。フーズヤーズの勝利が目前という状況に、先んじて勝ち鬨を上げている者もいた。
だが、落ちてきた私たちを見て、兵士たちに僅かな動揺が走り始めている。
当然ながら、一階で戦っていたディアたちにも動揺が生まれる。上から落ちてきた乱入者たちを見て、マリアちゃんは警戒の炎を膨らませた。
「ラスティアラさんにスノウさん……? それと、さっきの
ファフナーを押さえつけていたディアも、新たな魔法の準備を始める。
「あいつか……! やっぱり邪魔する気か……?」
私とスノウという援軍がいても、二人の視線はセルドラに集まっていた。
一度、彼と出会っていることが窺える反応だ。
当のセルドラは、地面に突いた手を離して、ゆっくりと立ち上がる。
そして、彼の目が最初に向けられたのは、私たちでもファフナーでもなく、一階の隅にある暗がりだった。
「――ファフナー、また負けのようですね」
その奥から、冷たい声と共にヒタキちゃんが現れた。
おそらく、カナミの使う次元魔法のいずれかで移動したのだろう。それができるとわかる歪んだ魔力が、彼女からは漏れている。
隣に着地していたスノウは、すぐにヒタキちゃんから私を守るように立ち塞がった。
状況が把握できていないマリアちゃんとディアは、彼女の登場を不思議がり、驚く。
「妹さんが……、起きてる?」
「ノワールのやつが、郊外で守ってるんじゃなかったのか?」
しかし、この一階で誰よりも驚いていたのは――
「ひ、陽滝……? なぜ、いまおまえが意識を……いや、いつから上にいた? ――――ッ! ラグネ! ラグネをどうした!!」
ディアに押さえつけられていたファフナーだった。
動けずとも目線を横に向けて、ヒタキちゃんに向かって必死に叫ぶ。
「あの娘に手を出すつもりはありません。本当に厄介な子でしたが……勝手に自滅すると決めたようなので」
「自滅……? くそっ、いま、俺が助けに――」
ファフナーは完全に敗北を認めていた様子だったが、ラグネの危機に戦意を取り戻し、ディアの拘束を抜け出そうとする。
「……はあ。行ける状況じゃないでしょう。相変わらず、あなたは意図的に現実を見ようとしない」
「黙れ、陽滝……! ラグネは俺が助ける! 俺がラグネを救わないと、誰があいつを――!」
「絶対に、あなたには救えません。千年前、痛感したはずです。あなたは『世界』どころか、大切な人一人さえ救えないことを」
「だ、黙れ……! 黙れっ、黙れ黙れ黙れ……! それでも、俺は……、俺は――!」
ファフナーは否定の声を膨らませていくが、対照的に身体の力は抜けていっていた。彼の激怒にディアは少し慌てていたが、その様子を見て「ふう」と一息つく。
そのファフナーとディアの隙を、ヒタキちゃんは突く。
「――魔法《ディフォルト》」
位置を
魔法構築の速さ、タイミングの上手さ、使用された魔力の濃さ、どれを取っても完璧だった。
続いて、ヒタキちゃんは膝を突いて、奪ったファフナーの額に手を伸ばす。
途端に、尋常でない冷気が一階を満たし始めた。
「もう休んでください……。『冬の世界は、迷い人の全てを奪う』。――魔法《
聞き覚えのある『詠唱』と魔法名だった。
このとき、ディアは奪われたファフナーを取り返そうと、新たな魔法を使おうとしていた。
だが、一度『舞闘大会』決勝戦で見たことのある魔法に、その動きを止めてしまう。
かつてカナミが『地の理を盗むもの』の動きを封じたように、『水の理を盗むもの』が『血の理を盗むもの』の全てを封じようとしていると、ディアは判断したのだろう。
ただ、それは間違っていると、私と当事者たちだけはわかっていた。
確かに、魔法名は《
――『糸』だ。
冷気だけでなく、床を張っていた白い『糸』がファフナーに集まり、肉を壁を無視して内部に侵食していた。
そして、彼は仰向けのまま、何もない宙を見て、首を振り始める。
「――――ッ! ま、幻だ……! こんなもの、みんなの本当の声じゃない……!」
「ええ、幻聴ですね。しかし、あなたの聞こえる魂の声とやらも幻聴ですよ? ……ここで大事なのは、私の幻のほうが、ずっと整合性があるということ」
「あ、ぁああ……、あぁっ……、違う! 違う……! まだ俺は、許されてなんかいない……!!」
呻くファフナーに、陽滝ちゃんは語りかけ続ける。
「――ファフナー、あなたの人生には『盗んだ理』も『血の力』も、何一つ反則はなかった。あなたに『呪い』はなかったし、罪の意識を感じることもなければ、狂った振りも必要ない。だから、もう休みましょう。それが、あなたには許される」
何も考えずに、『糸』に身を委ねろと誘う。
それにファフナーは最後まで抗い、首を振り続けるが、次第に大人しくなっていく。
「あ、あぁ……。はっ、はははは……」
そして、何もない宙を見続けたまま、泣きながら笑った。
ヒタキちゃんはファフナーから手を離し、一歩引く。合わせて、ファフナーは俯いたまま、大量の涙を地面に落としつつ、ふらふらと立ち上がる。
「ああ、わかってはいたんだ……。もし、世界を救えるとしたら、それは陽滝。全ては陽滝次第だってことくらいは……。――第五章十一節『全ての魂を敬わなければ、自らの魂も安息できない』。そう経典には、最初から書いてあった……」
ぶつぶつと呟き、今度は何も持っていない両手で本を捲る仕草を見せる。
ただでさえ不確かだった正気が、いま完全に失われたと思った。
なにより、直前まであった彼の誓いが失われたとも、周囲の血の動きから見て取れる。
城を保護していた血が急速に引いていき、ファフナーの身体に収まっていく。
一階に穿たれた大穴の影響で、城に倒壊の音が鳴り始めた。
それは、騎士ファフナーが頂上にいる主ラグネを守るのをやめてしまったということに他ならない。
ファフナーから守るべき主を奪ったヒタキちゃんは、もう一度同じ魔法を呟く。
「もうあなたは戦わなくていいし、殺す必要だってない。そんなことをしなくても、私なら全てを救えるのだから……。――魔法《
ファフナーに集中していた冷気が、全方位に向かって広がっていく。
一階だけでなく、フーズヤーズ城全体を。
フーズヤーズ城だけでなく、さらに外の大聖都全体を。
魔法《
外の兵士たちの中には凍えて、膝をつく兵士もいた。
喜色のざわめきが徐々に反転していくのも聞こえた。
その様子を見て、マリアちゃんとディアの二人が、カナミの妹である『水の理を盗むもの』は味方ではないことを確信したようだった。
険しい顔で臨戦態勢に入った二人の隣に、スノウが駆けつける。
「マリア、ディア! 一緒にラスティアラを守って! 狙われてる!」
続いて、近くの階段からライナーの声が聞こえてくる。
「――ラスティアラ、あんたは下がってろ! 向こうの狙いはあんただ!!」
セラちゃんの背中に乗って、十五階から駆け降りてきていた。
そして、私の前に立ち塞がり、私をパーティーの最後方に押し込めた。
――フーズヤーズ城一階の勢力図が、いま綺麗に二つに分けられる。
まず『水の理を盗むもの』『無の理を盗むもの』『血の理を盗むもの』の三人。
それに対峙するのは『ディア』『マリアちゃん』『リーパー』『スノウ』『セラちゃん』『ライナー』の六人。
仲間たちは、これから私を死なせまいと全力で守ろうと戦うだろう。
この先の流れが、スキル『読書』で私は読める。
ただ、同時に、仲間たちの敗戦が必至であることも読めてしまう。
一番の敗因は、いま守られている私が、黙って守られ続ける気がないことだ。
――つまり、厳密に言えば、いま分かれたのは三つ。
その三つ巴の戦いに備えて、私は足元に意識を傾けていく。
フーズヤーズ城の白い渦の下にある血の浅瀬――そのさらに下にある床に刻み込まれた『
私の血が
簡単に言うと、いま、国一つと私が繋がった。
セルドラの言うとおり、ここには『全て』が集まっている。
揃ったのは『理を盗むもの』だけじゃない。
収束しているのは、ヒタキちゃんの『糸』だけじゃない。
千年前からティアラ様が準備してきた『全て』も、いま、ここに集まってきていると、足裏から伝わってくる。
ティアラ様の『予言』が、スキル『読書』を通して聞こえてくる。
〝――
仲間たちが私を守ろうとしてくれるのは、本当に嬉しい。
心から嬉しい。
けれど、これから『私たち』は、私を守ってくれる仲間たちを、強制的に逃がす。
〝――たった一人でも逃げ切ってくれたら、もし師匠が『冬の異世界』に迷い込んでも、必ず帰ってこれるから――〟
いつか仲間たちの力が必要になるときが来るから。
その『予言』を信じて、私は忠実に、
「
『理を盗むもの』たちの終着点を読み上げる。
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