395.代理

 グレン・ウォーカーの『魔人化』は酷く禍々しい。

 彼だけは、他の『魔人返り』たちと比べて異質だ。


 『天上の七騎士セレスティアル・ナイツ』やエルミラードといった騎士たちは、いかに姿を変化させようとも狂気までは感じない。

 人型から外れても、常識からは外れていないからだ。


 しかし、巨大な蜂と化したグレンの形状は歪で、モンスターに寄り過ぎている。

 羽が四枚なのは、まだいい。

 しかし、前足が鎌となっており、それが六本。

 関節が複数あるので、鎖のように動く。

 さらに言えば、蜂特有の針も二つあるのが――


「ちょっと変だよね?」


 戦場から少し離れた場所で、私は感想を口にした。


 一応、『切れ目』に向かって同意を求めたつもりだったが、恥ずかしがり屋のあなたからは返答がなかった。


 仲間のセラちゃんが反応することもない。スノウの荒々しい戦い方によって、十五階は足場が悪くなっていたので、その速さを活かせない彼女には上階で待機して貰った。


 私は隠れやすい瓦礫の影に潜み、笑みを浮かべる。

 グレンは生理的嫌悪を抱く虫の大型モンスターと変化したが、千年前の知識を得た私にとって敵ではない。あの状態ならば、攻略法がわかっている雑魚モンスターと変わらない。


 私はフロアの中央にある吹き抜けで、高速飛行するウォーカー兄妹二人を見つめる。

 スノウは背中の青い竜の翼を使い『竜の風』を巻き起こし、常に喉から『竜の咆哮』を発し続けていた。対するグレンは接近戦を嫌い、その四枚の羽を動かし続けて、器用に直撃を避け続ける。


「――あぁああァアッ、アアアアアア!!」

「――――ッ!!」


 いい拮抗だ。

 私は不意打ちのために、溢れる魔力を右腕に集めていく。


 エルミラードのときと同じく、狙うは『魔人化』の解除。

 ファフナーが足したであろう余計な血も、同時に除去する。


 それが私にはできる。

 明らかに、いまのラスティアラ・フーズヤーズは、『血の理を盗むもの』と『魔人返り』の天敵だ。


「……けど、私が自慢することじゃないか」


 こうも私が簡単に『魔人化』を解除できるのは、千年前の研究者ヘルミナ・ネイシャが死ぬまで続けた研究のおかげだろう。

 その成果が、ティアラ様を通して、この千年後に実を結んでいる。


 ――だから、これからグレンは『幸運』にも、その手で自らの妹を殺める前に、無傷で正気に戻れる。


 私は千年前の研究者さんたちに感謝しつつ、無言で駆け出す。

 瓦礫の影を通って、グレンの死角を保ち続ける。

 そして、スノウが渾身の一撃を兄に叩き込もうと、魔法名を叫ぶのに合わせて、跳ぶ。


「――《ドラグーン・アーダー》ァアアア!!」


 十五階の空を飛行するスノウは、咆哮と共に『竜の風』を固めた球体を放った。

 その魔法の軌道を完全に読み切っているグレンは、空中で横に逸れる。ただ、その避け先を、私も完全に読み切っていた。


 絶妙のタイミングで跳躍した私は、彼の背後を取る。

 続いて、溜めに溜めた魔力による『血術』を、右腕から解放する。


「――《ブラッド》」


 その私の奇襲に、グレンは反応が――できていた。

 しかし、顔を軽く後方に向けて、私の顔を確認した瞬間、「これを待っていたんだ」と言うように、全身に力をこめて自らの動きを封じ込んだ。


 硬直して無防備となったグレンの身体に、私の魔法が直撃する。

 エルミラードのときと同じく、彼の『魔人化』は抑えつけられ、暴走を誘発していた魔法も全て除去されていく。


 グレンは『理を盗むもの』に匹敵する膨大な魔力を霧散させて、光の粒子を散らしながら、徐々に身体のモンスターの特徴を失っていく。


 あの奇妙な四枚羽が消えたことで、グレンは飛行できなくなった。

 すぐに私は彼の身体を脇に抱えて、十五階の床に叩きつけられないように、風魔法で衝撃を殺して着地する。


「ふうっ……」


 二人目の『魔人返り』を攻略した私は、二度目の一息をついて、近くの瓦礫にグレンの身体を持たれかからせた。

 その私の対応に、彼は項垂れながらお礼を言う。


「ラスティアラちゃん、ありがとう……。けど、どうやって……、ファフナー様の血を……?」


 グレンはエルミラードと違って、負傷が少なかった。

 しかし、吐息は荒く、いまにも気絶しそうなほどに体力を消耗している。


 おそらく、負担の大きな『魔人化』を強いられていたのだろう。

 限界を超えたことで、彼の身体が早急な休息を求めている。


 グレンと話せる時間は短い。だからこそ、私は彼の疑問に答えずに、別れの言葉を紡ぐことを決めた。


「ありがとうは、こっちの台詞だよ。……私こそ、とても感謝しています。探索者グレン」

「え……?」


 急に畏まって礼をした私を見て、グレンは口をぽかんと開けた。

 その彼の困惑を無視して、私は言い残す。


「一年前、あなたが私に語ってくれた冒険の数々は……閉ざされた大聖堂の中で、とても輝いていました。あなたと出会えたから、いまの私があると言ってもいい」


 昔、教育係のハインさんに連れられて、彼が大聖堂の庭までやってきたことが何度かあった。


 正直なところ、探索者グレンの話はどれも現実的で、物語として面白いものではなかった。

 政治と権力闘争の話ばかりで、「あいつは期待外れだ」と口を尖らせた記憶がある。


 しかし、いま思い返すと、あのグレンの話があったおかげで、私は自ら迷宮に向かって、カナミと出会うことができた。


「ラ、ラスティアラちゃん……? もしかして……」

「いままで、ありがと。じゃあね、グレン」


 心から感謝する私の姿を見て、グレンは何かを察していた。

 

相変わらずの勘の良さだが、もう時間はない。強引に別れの言葉を締めて、彼の意識が遠ざかっていくのを見届ける。


「ま、待って……、もう少し……、はな、しを――」


 グレンは震える腕を私に伸ばそうとしたが、途中で力尽きた。


 糸の切れた人形のように、ぱたりと全身から力が抜ける。

 鮮血魔法で医者の知識を引き出して、彼が小康状態であることを把握して、私は一安心する。


 そこで丁度、ずっと飛行していたスノウが、私の胸めがけて勢いよく飛び込んできた。


「ラ、ラララスティアラ様ぁあー!! 助かりましたぁ! あの兄さんが思いのほかに強くて! 面倒くさくてー!」

「ぐっ、ぬぬぅ!」


 まだスノウは『竜化』を解いていなかったので、翼と肥大化した手足の重量ウェイトが、その抱きつきには乗っていた。

 私は呻き声をあげながらも、意地でスノウを抱き止めてみせ、その頭を撫でる。


「よーしよし。スノウ、頑張ったね。上手くいって、よかったよかった」

「本当に助かりました。もっと楽に勝てると思っていたんですが……」


 グレンが強かったのは間違いない。

 『血の理を盗むもの』ファフナーによって、その力を限界まで引き出されていたのだから当然だ。


 ただ、エルミラードのように、真価が発揮されていたかというと疑問だ。

 いつもグレン・ウォーカーは『不運』にも、実力を出し切れない相手とばかり戦っている。

 トラウマのある『理を盗むもの』ローウェン。

 最愛の妹であるスノウ。

 『魔人返り』の天敵となった私。

 どれも戦いが始まる前から詰んでいる。


 ただ、その相性差で敗北できるのが、グレンの『幸運』なところでもあるのだろう。

 話に聞いていた彼本来の戦い方を見る前に、こうして無力化できた『幸運』に私は感謝する。


 そして、そのグレンの身体に向かって、スノウは歩いて近づき、近くの瓦礫を持ち上げた。


「兄さんは、こうしてっと……」


 容赦なく倒れた兄の身体の上に乗せる。

 起きても簡単に動けないように、両手足を丁寧に封印しているつもりなのだろう。頭部は避けているので呼吸はできるだろうが、いまにも四肢が潰れそうだ。

 『魔人返り』の生命力を前提にしているとはいえ、かなり酷い扱いである。


 ここまでしなくても〝もうグレンは今日誰とも戦うことはない〟とスキル『読書』が予期していたのだが、面白いので見守った。


 こうして、スノウの手によってグレンが行動不能になったのを確認したあと、私は階下に向かおうとする。


「――スノウ、マリアちゃんとディアを助けに、一階に戻ろう。明らかに、下の様子がおかしい」

「し、下ですか? ラスティアラ様、上は……」


 ただ、スノウは遅れて合流したセラちゃんの背中を撫でながら、視線を階上に向けていた。それに私は、先ほどセラちゃんに投げた言葉を繰り返す。


「上なら、ノスフィーが勝つよ。カナミなら大丈夫」


 それを聞いたスノウは階上に向けた目を凝らして、数秒ほど考え込んだ。


「……うん、信じる。ノスフィーも私たちの仲間だから」


 気の抜けた敬語はやめて、力強く頷き、視線を下に移した。

 フーズヤーズ城突入前に、スノウもノスフィーの『詠唱』を聞いている。

 だからこそ、ノスフィーを信頼して、自分の想いを託して、カナミの蘇生を任せ切ったのだ。


 いまの自分スノウに役目が残っているとすれば、それは「階上を進むノスフィーの援護のためにも、血の城を掌握している『血の理を盗むもの』ファフナーを早急に制圧すること」と、きちんと理解してくれていた。


「急ごっか。余り時間がないから」


 私は言葉少なに動き出そうとする。


 そのとき、向かう先の階下から、冷気が吹き上がるのを肌が感じ取った。

 戦いの熱気に似つかわしくない冷たさに、背筋が凍る。

 全身を悪寒が包み、すぐ後ろで見守っている『切れ目』の視線も強まる。


 ――それは隠しようのない『死去』の予感だった。


 しかし、止まるつもりはない。

 いまも『赤い糸』が、私を階下にいざなっている。


 私もノスフィーに負けていられない。

 この『糸』は、私の進むべき道を示す道標。

 きっと信頼という繋がりそのもの。

 私も姉のように全力で、この『糸』よりも先へ向かって――


「――信頼なわけあるものか。その『糸』を辿っても、おまえに待っているのは、使い捨てられる未来だけだ」


 私の決意を揺るがす言葉が、セラちゃんの背中に乗る前に、十五階全体の空気を震わせた。

 振動魔法のように大きくて重い声だったので、最初は無属性魔法の得意なスノウかと思った。


 しかし、違った。

 出所は、十五階に散乱した大きな瓦礫の一つ。

 その裏側から、声の主が姿を現す。


 青い短髪に傷だらけの顔の男だった。

 厚手の鎧を身に着けているが、その巨体と体幹の良さで、まるで絹の服を着ているかのように軽い足取りで歩く。ずっしりとした安定感と厳かさを持つ大人だと思った。そして、なによりも、最大の特徴は大きな角と太い尻尾――


「わ、私と同じ竜人ドラゴニュート……?」


 すぐ隣でスノウが、私よりも先に答えを口にした。


 さらに言えば、現れた男はスノウとよく似ていた。

 立ち振る舞いや性格という話ではなく、その涼やかな目元と髪の色に血筋を感じる。


 ――スノウの実父ちちおや


 という言葉が思い浮かぶほどに、二人の姿は似通っていた。

 スノウとの関係性を男に聞きたかったが、彼は私だけを見て話し続ける。


「どのような綺麗ごとを重ねようと、おまえは産みの親に殺される。なのに、なぜ逃げない? ティアラの複製レプリカ


 問いかけられたが、まず私は仲間たちの反応を見た。

 私の聞きたいことは目で伝わったようで、スノウもセラちゃんも首を振って「知らない」と短く答えてくれた。その情報を元に、私は代表リーダーとして男に聞く。


「あなた、誰……?」


 それを聞いた男は、軽く後頭部を掻いた。

 そして、一呼吸を置いてから、とても落ち着いた自己紹介を行なってくれる。


「おまえはよく知ってるだろう。……名は、セルドラ・クイーンフィリオン。80層の守護者ガーディアンを務めている『無の理を盗むもの』。見ての通り、竜混じりの『魔人』だ」


 確かに、私はよく知っていた。

 カナミから聞いた千年前の北の総大将の話だけではない。


 ティアラ様の記憶の中に、かつて『魔王』と呼ばれたロード・ティティーと肩を並べた彼の姿があった。その魔力と貫禄は『風の理を盗むもの』に劣らず、混沌の時代で最強と呼ばれ、あの使徒たちすらも恐れさせていた。


 しかし、その『無の理を盗むもの』セルドラが、どうしてここに?

 という疑問には、すぐ答えが返ってくる。


「一仕事終えて、末裔スノウ・ウォーカーの実力を見ていた。千年前の『最も強き者』として、いまの『最強』とやらの力が少し気になってな」


 そこでやっと同族であるスノウに目が向けられた。


 ただ、その視線はすぐに切れて、別の人物をセルドラは見る。倒れたグレンに向けて・・・・・・・、彼は同族を見つけたかのような微笑を浮かべていた。


 そして、最後に視線は、私を捉え直す。


「しかし、いまはそれよりも、おまえだ。ティアラの複製レプリカ、おまえと俺は話がしたい」


 自分は質問に答えたのだから次は私が答える番だと、鋭い視線がセルドラから向けられた。

 出会い頭の問いかけが、もう一度繰り返されていく。


「なぜ逃げない? フーズヤーズの名を持つおまえとノスフィーは、その『糸』に従えば死ぬ。使い捨てられる。そういう運命だ」


 セルドラは「運命」と口にしたとき、『赤い糸』と『切れ目』を目で追いかけていた。彼は知っているだけでなく、見えている。間違いなく、ラグネちゃんと同じく、セルドラは知っている側だ。


 安易な言い逃れはできないだろう。

 何より、ここまでセルドラは誠実だ。

 スノウとセラちゃんが居ても、こちらも誠実に答えるべきだと思った。


「……私が逃げないのは、ティアラ様を信じてるから」

「信じてるだって? あいつの何を信じてるって言うんだ。信じられるようなところは一つもない。最初から最後まで、嘘だらけの女だった」

「そんなことない。信じられるところは一杯あったよ。ティアラ様なら、きっと私の納得のいく『最後の頁』を書いてくれる」

「おまえの母親は、そう言い張るおまえを、あの性悪女に見せたいだけだ。そこに愛情なんて欠片もない」

「確かに周りから見たら、そうかもね。でも、それは私が決めるよ。それが愛情かどうかは、これからの私次第だって思ってる」


 そこでセルドラは一旦口を閉じた。


 何を語っても、私は揺るがないと理解したのだろう。

 しかし、セルドラの表情を見る限り、まだ納得していないように見える。私は少し困りながら、補足していく。


「それに……、私は助けたいんだ」


 それを聞いたセルドラは眉をひそめて、意味を確認しようとする。


「カナミならば、おまえがいなくても助かる。ノスフィー・フーズヤーズの『魔法』がある限り、絶対だ」

「違うよ、セルドラ。助けたいのは、カナミだけじゃない。私はみんなを助けたい」

「それは……、俺たち『理を盗むもの』もってことか?」

「うん、あなたたち『理を盗むもの』も。『水の理を盗むもの』も含めて、みんな助からないと、本当のハッピーエンドって感じがしなくない?」

「……本気で、『水の理を盗むもの』も助けたいと言ってるのか? あの性悪女は『水の理を盗むもの』を自称しているが、実際は全く別の存在だ。もっと恐ろしい何か……。どちらかと言うと、そこのそれに近い」


 そう言って、セルドラは私の後ろで見守ってくれている『切れ目』を指差した。


 もう見えているのは、間違いないようだ。そして、その『世界』一つと人一人を並び立てて、アイカワヒタキを紹介していく。


「会えば、容赦なく魂を取り立ててくる。アイカワヒタキは、そのためにやってきた世界の敵だ。気安く助けるなんて口にしていい存在ではない」

「かもしれないね……。でも、もしその妹ちゃんが苦しんでいるのなら、しっかりと『話し合い』をして、手を伸ばしてあげたいって思うんだ。……カナミと同じように、死んでも」


 そこで一層とセルドラの表情は歪む。


 私の「信じてる」「納得がいく」「死んでも助けたい」という言葉が全く理解できないという様子で、出会い頭の疑問を重ねていく。


「そこまでわかっていて、なぜ陽滝に会いに行く? あれは死どころか、おまえの人生全てを奪うつもりだぞ……」

「たぶん……、そういう『約束』? 『約束』を、最初にしたからかな?」


 セルドラは心から私の未来を心配してくれていると伝わった。


 そして、その彼の疑問に本気で答えていくうちに、思ってもいなかった言葉が口から出てくる。


 先ほどの『詠唱』の一小節のおかげだろう。

 一度人生を見直したことで、自分の願いが綺麗に整理整頓されている。


 私の人生で大切だったのは、フーズヤーズ十一番十字路でカナミと結ばれた日だけじゃない。

 一度目の『再誕』の儀式で、カナミが大聖堂まで攫いに来てくれた日も――いや、厳密に言えば、初めてカナミと仲間になった日の夜、ヴァルトの酒場の裏で交わした言葉も、大切な私の小節ことばとなっている。


「……カナミと『約束』したんだ。カナミが私の『夢』を叶える代わりに、私はカナミが帰るのを手伝うって」


 あれこそが、私が私として動き出した瞬間だったと思う。

 仲間を得て、『夢』のような時間が始まった瞬間でもある。


 そして、その『夢』から覚めることに、ずっと私は怯えていた。

 とても不安だった。

 けど、いまは、もう違う。

 いま私の胸の中にあるのは――


「カナミは私に楽しい『夢』を見せてくれた。ちゃんと叶えてもくれた。……けど、まだ私は何も返せてない。だから、逃げるなんてできない」

「帰るのを手伝う……。その程度の『契約』ならば、何も問題はない。次元魔法で移動可能だ。カナミなら必ず、元の世界に帰れる。おまえが手伝うまでもない」

「ううん……。カナミが帰りたいって言ったのは、場所のことじゃないよ・・・・・・・・・・。あのとき、カナミが思い浮かべていたのは――」


 ただ、それを最後までセルドラに説明することはできなかった。


「――セルドラ」


 吹き抜けから舞い上がる冷たい風が強まり、階段から一人の少女が登って来たからだ。

 その呼びかけ一つで、空気だけでなく時間まで凍った気がした。


 強制的に会話を中断された私とセルドラは、同時に目を向ける。

 兄とお揃いの黒髪を腰まで伸ばした少女が、こちらに向かって歩いていた。


 瞳も全く同じ色で、見ているだけで吸い込まれそうな黒。顔の造りが兄妹で似ているので、性別が違っても見惚れそうになる。

 本当に綺麗だ。不健康な白い肌と清純な白い服が重なって、さらに足元から昇る氷結属性の魔力の白が彩っている。

 何よりも兄と似ているのは、彼女の周囲が次元属性の魔力で歪んでいるところだ。かつての魔法《次元の冬ディ・ウィンター》を思い出させるかのように、二種の属性の魔力が絡み合い、渦巻いている。


 これがカナミの妹。

 『水の理を盗むもの』ヒタキの登場に、セルドラは舌打ちする。


「ちっ……」

「……何をしてるんですか、あなたは」


 ヒタキちゃんは不機嫌そうに、セルドラに問い質していく。


「ティアラの複製レプリカが上でなく、下に向かおうとしていた」

「なら、そのまま下に向かわせましょう。引き止める必要はありません」


 二人が話している間も、周囲の気温が際限なく低下していっていた。

 『水の理を盗むもの』の最大の特徴は、冷気だ。

 吐息は白く染まり、足元の血の浅瀬が凍りつき、微小だが氷の結晶が宙で舞い始める。


「上に向かわせないというのが、俺の仕事だった。他は知らない――と、俺が答えるのをおまえは知ってるくせに、よく言う」

「はい、知ってます。しかし、このやり取りをするのが大切なのです。義理堅いあなたを使う上では」


 魔力を抑えている状態でも、これだけの影響力がある。


 隣のスノウは息を呑み、微動だにできず、全身を硬直させていた。

 セラちゃんも同様だ。

 どちらも、ヒタキちゃんの本来の力と姿に慄き、言葉を失っている。


 かろうじて私が冷静でいられるのは、ティアラ様の記憶で事前に知っていたからだろう。


「……もう俺は黙ろう。あとは勝手にすればいい」

「そうですね。ここであなたと長々と話すよりも、彼女のほうが大切です」


 ヒタキちゃんはセルドラと協力者ではあるが、仲間ではない様子だった。


 ならば、私たちに対しては、どうなのだろう?

 これでも、数日だけだが私たちは船で一緒に旅をしてきた。彼女は眠り続けていたが、決して全く知らない仲ではない。


 そして、とうとうセルドラとの会話が終わり、ヒタキちゃんの視線が私に向けられる。


「お待たせしました。初めまして、『最後のティアララスティアラ』。相川渦波の妹、相川陽滝です」

「うん、初めまして。ヒタキちゃん」


 形式的な挨拶が、まず投げられた。


 凍えて動けないスノウとセラちゃんを置いて、私にだけ――ただ、セルドラを相手しているときと違って、とても友好的で朗らかな空気だった。


「ふふふ。しかし、初めましてという気が、余りしませんね。眠っている状態でも、一緒に旅をしていたからでしょうか?」

「そうだね、私もそんな感じ。私にとっては、ヒタキちゃんも大切な仲間の一人だよ」


 私と話している間も、フーズヤーズ城十五階が急速に変質していく。

 血の浅瀬に氷粒が混じり、流動する血の壁の動きが静止した次は、色がつく。


 色は白。

 白に呑まれていく中、私の身体に付着していた『赤い糸』が消えた。

 逃げるように足元の床に引っ込んだのだ。


 残ったのは『切れ目』と、ずっと空気中を渦巻いていた何かだけ――いや、ヒタキちゃんの髪先から伸びる大量の『白い糸』だけ。


 彼女の『魔法の糸』だけが支配し、徐々に十五階が変貌していく。

 千年前のフーズヤーズの白い庭と酷似していく。


 だから、私たちはカナミと旅をした成果を、千年前と同じように報告する。


「仲間ですか。ふふっ、だから、ああも遠慮がなかったのですね」

「……もしかして、船旅のときに、何度か抱き枕にしたの覚えてる?」

「はい、覚えてます。寝ている程度で、私の意識が途切れることはありませんから。……ラスティアラ。年が一桁とはいえ、誰かを抱き枕にする癖は早く治したほうがいいですよ?」

「んー、それは難しい相談だね。ヒタキちゃんが駄目なら、次はディアを抱き枕にするよ。それが駄目なら、マリアちゃんかスノウ。このために、私はみんなと旅をしてると言っても過言じゃないねっ」

「……はあ。あなたは本当に寂しがり屋ですね。年相応と言ってしまえば、それまでですが……。そういうところが可愛らしいと、個人的に思ってますよ」


 確認するかのように、私たちは言葉を交わしていく。

 それは、なあなあの関係の他愛もない雑談――のように見えて、その実は全く別。


「うん、一人は嫌いかな……。やっぱり、『冒険』をするならみんな一緒じゃないとね。私の我が侭だけど、私は誰にも仲間から抜けて欲しくない。ずっとみんな一緒にいて欲しいって思ってる」

「……やはり、あなたは兄さんの『恋人』ですね。そういうところが、本当によく似ています。とてもお似合いですよ」

「そうだね、私とカナミは気が合う。――だから、私はアイカワ・・・・・・カナミが好き・・・・・・


 ただ、私は戦うつもりが全くなかった。


 こうして、千年前から続いてきた『決闘』が終わりを迎える。

 私という敗者によって、とてもあっさりと決着がついた。


「……ラスティアラ・フーズヤーズはアイカワカナミと『告白』し合って、『恋人』になった。それを連合国のみんなが見てたし、『世界』も認めてる。だから、どこの誰が見ても、この私がカナミの『たった一人の運命の人』だね!」


 『切れ目』が見守る中、『呪い』の条件が満たされていくのを、ヒタキちゃんは無表情のまま、ずっと聞き続けていた。


 そして、十分な間を置いてから、下唇を浅く噛んで、少しだけ顔を俯きながら私に聞く。

 そこにだけは、彼女の生の感情が乗っている気がした。


「……ラスティアラ・フーズヤーズ、兄さんと一緒の『冒険』は楽しめましたか?」

「うん、楽しかった……。『冒険』って、本で読むのと実際にするのじゃ全然違うね。迷宮でモンスターと戦って、その稼いだお金で美味しいものを食べて、同じ宿で仲間たちとお泊りのおしゃべり……。本当に楽しかった」

「そう、ですか。なら、いいのです。それならば、何も問題は……」


 ヒタキちゃんは言い淀む。


 雑談の必要がなくなり、会話が止まってしまった。

 なにせ、いまヒタキちゃんは『決闘』に勝利して、自らの目的が達成されると約束された。もう私相手に言うべきことが何もないのだろう。


「ああ、ティアラ……。あなたは、本当に……――」


 だから、ヒタキちゃんが呟いたのは私の名前ではなく、母の名前だった。

 もう彼女は私を見ていながら、私を見ていなかった。

 忌々しげに――けれど、愛おしそうに、千年前と全く同じ答えを口にしていく。


「正解です。あなたは本当に……よくできている」


 私を見て、そう賞賛した。

 その言葉は、余りに重く苦しく狂おしくて――



「――だからこそ私は、もう見ていられない」



 迷いなく、ヒタキちゃんは手を動かした。


 無詠唱で氷が生成されていた。

 その形状は刃。

 氷の剣先が伸びて、私に近づいていく。

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