394.ヘルミナ・ネイシャの悲願


 臨死によって、私を縛っていたものが全て消える。

 ただ同時に、見えてはいけない真実ものが見えるようになっていた。


 目に映る世界が、完全に塗り変わった。


 幻覚のように不確かだった『運命の赤い糸』――いや、魔法の『赤い糸』の輪郭が、くっきりと見て取れる。

 さらに小指一つだけでなく、私の脚や肘あたりでも複数の赤い線が揺らめいている。


 続いて、空間を歪ませる『流れ』のような何かに目を向けた。

 一見すると、空気の流れが可視化されているのか思ったが、数え切れない『白い糸』の束が漂っているのだとすぐわかる。

 『赤い糸』と同じく質量を持たない魔力の線が、ゆっくりと渦巻き続けている。


 最後に、後方で私を見守る『切れ目』。

 ただ、カナミが死んでしまったことで、例の視線・・の重圧は完全に消えていた。


 視界の激変に気分が悪くなってくる。


 ――本当なら、いま、ここで私は死んでいた。


 その事実も加わり、否応なく本能が吐き気を催した。


 ただ、その死の『予言』は、ずれた・・・

 臨死の際に拾った記憶の断片が確かならば、ここで私は『代わり』となるはずだった。だが、ラグネちゃんが介入したことで犠牲となる命がカナミに移ってしまった。


 私は吐き気を抑えて、冷静に変わり果てた世界を見回す。

 すぐ近くで、私以上に『糸』で雁字搦めとなっているノスフィーが、涙目で震えていた。


 私と違って、二種絡まっている。

 おそらく、ティアラ様と――カナミの妹の『糸』。

 その光景は、そのまま複数の思惑が絡まっていることを、私に理解させてくれる。


 ただ、千年前のティアラ様は〝協力して誘導する〟と言っていたはずだが、そのようには余り見えない。

 先ほどのラグネちゃんの急襲も含めて、色々と腑に落ちないことが多かった。


 その理由を私は知りたい。

 何をするにしても、まずは知らなければいけないと思った。


「――なら、行こう。ノスフィー」


 だからこそ、ノスフィーには酷かもしれないが、それでも前を歩いて欲しいとお願いした。


 そして、私たちは『糸』に引っ張られるかのように、カナミは生き返るという希望を抱き、ラグネちゃんを追いかけて――フーズヤーズ城一階にて、彼女と再会する。


 しかし、ラグネちゃんに「どうして?」と問いかける以前の問題として、すでに彼女は自分を見失っていた。

 『理を盗むもの』の一人となり、失った『代償』の多さを自分で哂っていく。


「……あ、あぁ。ああ、私か。――ぁあ、ぁあああっ、はははっ、ああああ、もう!!」


 同類である『光の理を盗むもの』ノスフィーと『血の理を盗むもの』ファフナーも、そのラグネちゃんの急変には驚いていた。


 間違いなく、ラグネちゃんは『理を盗むもの』となったのだろう。私の『目』でも、はっきりと『月の理を盗むもの』と記されているのを確認できた。


 ただ、いままでの『理を盗むもの』たちと比べると、様子がおかしい。

 まず、自分が至った仕組みや『未練』には気づいている様子だ。

 その上、つい先ほど私が命懸けで気づけた『世界』の真実にも、彼女は手をかけていた。


「――そろそろ気づいてるっすよね? いまの私とあなたの身体に垂れ下がった無数の『魔法の糸』に! 本当に恐ろしいのは、姿どころか影すら見せない存在に裏から操られること! カナミのお兄さんに『不老不死』をやるくらいなら、私のほうが百倍マシっすよ! 世界を一泡吹かせられる!」


 そう叫ぶラグネちゃんの身体には、私と同じほどの数の『赤い糸』が揺らめいている。

 その上で、視線を周囲の『白い糸』にも目を向けて、忌々しげに『魔法の糸』と呼ぶ。


 明らかに、ラグネちゃんも――知っている。


 しかし、その理由を問い詰められるような状況ではなく、私たちはフーズヤーズ城からの撤退を余儀なくされた。


 そして、仮の拠点となっている地下街の本拠地まで逃げ込む。

 幸い、負傷者の回復は心配ない。

 カナミの代わりという形で仲間となったノスフィーの回復魔法があったからだ。ただ、それでもカナミの妹だけは目を覚ますことはなかった。


 理由はわかっている。

 きっとヒタキちゃんからすると、まだ早いのだろう。

 その理由をよく知っているからこそ、まず私は幼馴染のラグネちゃんを優先して、館内にいる『天上の七騎士セレスティアル・ナイツ』から情報を集めていく。


 しかし、新しく得られたラグネちゃんの情報は、辺境の地にあるシドア村の才媛であること程度。

 あとは自分の持っている情報であるラグネちゃんの身体に付着していた『赤い糸』と彼女自身の言葉の数々だけ。


 ――そして、それらの情報をどう繋ぎ合わせても、ラグネちゃんからは『矛盾』しか出てこない。


 まず『月の理を盗むもの』なのに、『星の理』を声高に使っている。

 『一番』になりたいと言いながら、『一番』から目を背けようとしている。


 なによりもおかしいのは、明らかにティアラ様の誘導を受けているのに、『予言』を断ち切ろうとしていること。


 ラグネちゃんの様子と言動から「決まりきった『予言』通りの世界が気に入らないから、それを台無しにしたい」という気持ちは、痛いほど伝わってきた。


 ただ、その道にラグネちゃんを誘導しているのは、ティアラ様だ。

 何もかも『予言』で縛りながらも、ティアラ様は「決まりきった演目通りに進むのは望んでいない」ことになる。


 これもまた『矛盾』……。

 ティアラ様の思惑がわからない……。


 ラグネちゃんも同様に、目的がはっきりとしない。

 これからの作戦を私が決めかねていたとき――


「――『いま、私は旗を捨てる』『もう世界あなたの祝福は要らない』――」


 騎士たちと長話をしている間に、姉ノスフィーが館のリビングルームに訪れていた。

 そして、『魔法』の『詠唱』を紡いで、仲間たちのカナミへの想いを集めて、「カナミを蘇生させるための『魔法』を完成させる」と説明した。


 ――そのノスフィーの『詠唱』と姿から、ティアラ様とラグネちゃんの思惑が、少しずつ見えてくる。


 いまノスフィーはラグネちゃんのおかげで、長年の迷いを断ち切り、自らの『未練』を見据えて、誰よりも力強く速く、前へ突き進んでいる。


 結果、絡み合った二種の『糸』が張り詰めている。

 逆に『糸』が、ノスフィーに引っ張られている。

 それを見た私の心は――


「…………っ!!」


 熱い・・

 私の心に新しい何かが灯る。


 ――同じ光景を、どこかで一度だけ見たことあるような気がした。


 ただ、それを思い出す前に、二度目のフーズヤーズ攻略戦は決行される。

 大した時間もかけず、『未来視』もなく決まった作戦内容は「フーズヤーズ軍を利用して四方から城に入って、とりあえず全員でファフナーを襲って、どうにかノスフィーを屋上まで連れていく」「そのあとは、その場で一人一人が考えて動く」という本当に大雑把なものだった。


 だが、決して一度目と比べて、見劣りはしない。


 『血の理を盗むもの』ファフナーの暴走によって凄惨な戦場と化していた大聖都に、『聖女』の声が響き渡っていく。国が醜悪な血に沈んでいき、敗北を覚悟した騎士たちの胸に、ノスフィーの光が灯っていく。


「――いま、フーズヤーズには! この光り輝く『旗』が立っています! 掲げられ、皆を見守っています! 傷は全て! 魔力も全て! 恐怖も全て! この旗が払ってくれることでしょう!!」


 そこには精神的な光だけでなく、視覚的な光と魔法的な光も伴っていた。


 ノスフィーが戦場で『御旗』を振ったことで、万を超える騎士たちの負傷が回復し、戦闘能力の強化がされていく。

 さらに、そこに『使徒』『南連盟総司令代理』といった大陸の英雄たちが増援として現れる。続いて、『現人神』である私も加わるように、ノスフィーは頼み込む。

 その別れ際に、私は聞いてしまう。


「――ノスフィー……、いまの……」

「ラスティアラ……。わたくしは千年前の伝説の『御旗』。このとき、こういう状況でこそ、私は誰よりも輝けます。だから、どうか今日はお姉ちゃんに任せてくれませんか……?」


 ティアラ様の記憶を拾ったからこそ、いまノスフィーが行っている魔法の仕組みがわかってしまう。


 万を超える騎士たちの心身の回復と強化を、同時に行う際の『代償』なんて想像すらできない。


 しかし、ノスフィーが覚悟を決めていることは、作戦前からわかっている。

 たとえ、誰かの『糸』に導かれた結果でも、これこそが自分の人生だと胸を張って――生き抜くと・・・・・、その前だけを見る顔が伝わってきた。


 これからノスフィーは自らの本当の・・・魔法・・』を使って、『未練』を果たすだろう。

 そして、消える。

 その未来が、私には見えるよめる


〝――ノスフィーは『頂上』に辿りつき、カナミは蘇る。

 果てに、『頂上』で向かい合うのはラグネちゃんとカナミの二人。

 そこに、もう『光の理を盗むもの』ノスフィーの姿はなかったが、確かに二人を見守っていた。彼女の遺した光が、中身のない二人を救う為の『試練』を与える――〟


 これがノスフィー・フーズヤーズという少女の『最期の頁』。


 そこには『未練』は一切消え、自分の人生を生き抜いた証明だけが残っていた。

 その幸せな最期を、私は止めることができない。


 もし私が止めるべきものがあるとすれば、それは次だろう。


〝――『光の理を盗むもの』の『試練』が終わった。

 フーズヤーズ城の『頂上』でラグネ・カイクヲラは倒れ、大聖都は二度目の朝を迎えていく。

 ただ、その煌く朝の光を浴びるのは、カナミとヒタキの二人・・・・・・・・・・

 『異邦人』の兄妹二人だけが、異世界の『頂上』に揃い、他には誰もいない――〟


「……うん、任せる。お姉ちゃんはお姉ちゃんのやることを、私は私のやることをやる」


 そう答えて、私は『天上の七騎士セレスティアル・ナイツ』二人を連れて、左方に向かっていく。

 作戦通り、『血の人形』相手に苦戦する兵士たちを纏め上げて、じりじりとフーズヤーズ城に近づく。


 途中、どうしても私は大聖都中央を突き進むノスフィーに、目を向けてしまう。


 明らかに魔法の『代償』で、苦しそうだった。

 痛そうだった。

 辛そうだった。

 暗そうだった。

 怖そうだった。

 この戦場のありとあらゆる負債を、『代わり』に背負っているのだろう。

 それが心配で、私はノスフィーを見守り続けるが――


 彼女から光を見る。

 魔法の名は《ライト・ブリューナク》。

 フーズヤーズ城の正門を打ち破る光だ。

 だが、それ以上に、その閃光にはノスフィーの想いが乗っていた。


〝苦しいけれど、苦しくない。

 痛いけれど、痛くない。

 辛いけれど、辛くない。

 暗いけれど、暗くない。

 怖いけれど、怖くない。

 これから私は死ぬけれど、私は死なない〟


 と、私は『読書』で、光から見たよんだ


「ノ、ノスフィーお姉ちゃん……」


 心配は要らないと、姉に諭された気分だった。


 姉の後姿は、いまも身体に二種の『糸』が絡まっていた。

 だが、関係ない。

 糸の導きよりも速く、追い切れないほどに、前へ前へ前へと進んでいた。

 誰かの舞台ではなく、自分の人生を生き抜いている。だから――


〝――いなくなるけれど、いなくならない――〟


 そんな気がした。

 そして、いま、はっきりとわかる。


「あ、ああ……、これ……」


 一年前の『舞闘大会』決勝戦でも、同じ感想を抱いていたことを思い出す。


 これは『地の理を盗むもの』ローウェン・アレイスの最期と同じだ。

 あの日、ローウェンは全く同じ表情で、劇場船の闘技場中央で戦っていた。

 自ら「瞬きは厳禁だ」と、舞台であることを強調して、より格好つけて、最期の一瞬まで本来の演目以上のものを観客に見せ付けようとしていた男。


 あれが原因で、私やディアたちは「カナミを手助けする為に、闘技場内に割り込む」という選択肢を最後まで取れなかった。


 あのときの私たちと同じように、この戦場の誰もがノスフィーに目を奪われ、見守ってしまっている。


 ――その誰もには、私の後方にいる『切れ目』の視線さえも、含んでいた。


 続いて、いまと全く同じ状況を、すでに聞いていたのを私は思い出す。

 それは聖人ティアラ様の言葉ではなく、誰よりも信用できなかった男の「――パリンクロン・レガシィは友の人生を応援している。決して、誰にも操らせず、生き抜かせたいと、心から願っている」という言葉。


 ラグネちゃんと同じく、何かに気づいていた様子だった男は、そう私に教えていた。

 その意味を、いま理解していく。


「お母様は、これをみんなに……? なら、あれは――」


 自らの意志で、スキル『読書』を発動させる。

 そして、新暦が始まったばかりの当初・・のティアラ様・・・・・・の計画・・・を読み取る。


〝――いま『光の理を盗むもの』の役目がわかった。

 それは『不死』という極まった特性を、師匠に継がせること。

 それを可能とする現象を、つい先ほど魔石で確認したところだ。

 魔石を抜き取って一つにするだけでいい。

 たったそれだけで、その器を広げつつ、力を継げる――〟


 おそらく、ティアラ様も妹ちゃんも、それどころか『使徒』たちも『世界』も、全員が最初は同じ予定だったはずだ。


 『理を盗むもの』の『未練』など関係なく、魔石をカナミに集めようとしていた。

 それでも十分にカナミは成長して、力を得ると考えていた。



 ――しかし、しかしだ。この千年後の世界で、ただ魔石を抜き取って一つにするだけなんて行為は、一度もなかった・・・・・・・



 『理を盗むもの』たちの力の継承が、「『世界奉還陣』で無防備な魔石となった千年前」でなかった理由もわかっていく。


 おそらく、ティアラ様は「足りない」と思ったのだろう。

 人の心の闇が足りない。

 その先の光も足りない。

 何よりも大事な――例えば、あのファニア編の『行間』で、理不尽な病死を目前にして「大丈夫」と、両親に笑いかけた『少女』――あの『魔法』のような奇跡が、勝利のために足りないから、ティアラ様は――


「――お嬢様、血の壁が空きました! 行きましょう!!」


 理解したとき、私は左方の激戦を潜り抜け終えていた。


 セラちゃんの率いる騎士たちが、フーズヤーズ城の堅牢な城壁を破壊する。

 すぐに私は、この場を元『天上の七騎士セレスティアル・ナイツ』総長のペルシオナさんに任せて、『獣化』したセラちゃんの銀の毛並みが波打つ背中に乗り、城内に突入する。


 丁度フーズヤーズ城一階に仲間たち全員が同じタイミングで突入して、番人である『血の理を盗むもの』ファフナーに襲い掛かっているところだった。

 マリアちゃんとディアの共鳴魔法に、スノウの『竜の風』が加わり、一瞬だけだがファフナーの動きが止まる。


 その一瞬の隙を突いて、私は限界まで手を伸ばして叫ぶ。


「――ノスフィー!!」

「――はい!!」


 姉の柔らかくて細い身体を引き寄せ、抱きしめて、守るように抱えて、セラちゃんと共に上階へ向かって駆け上がる。

 その階段の隣にある吹き抜けでは『竜化』したスノウが追随してくれて、立ち塞がる『血の人形』たちを打ち払ってくれていた。


 ただ、それだけで終わりになるほど、このファフナーの支配する城は甘くはない。

 隣で守ってくれるスノウは十四階で、血に染まり『魔人返り』したグレンに。

 いま姉を抱えている私は三十三階で、血に染まり『魔人返り』したエルミラードに。

 それぞれ立ち塞がられてしまう。


 だが、ファフナーも余裕というわけではない様子だった。


(――頼むぜ……。フーズヤーズで最も高貴な血統、エルミラード・シッダルク。正直、そっち以上に、下がやばい・・・・・。もうおまえが俺の――最後、の――)


 という言葉を残した。


 その三十三階で、私とノスフィーは長く足止めされてしまう。

 エルミラードと私の能力が近しいせいで、無駄に戦況が膠着していた。

 その状況を嫌ったノスフィーが、独断で先行を選ぶのは仕方のないことだった。

 セラちゃんの背中から降りて、一人で階段に向かっていく。


 その背中を私は妹として、引き止めかける。

 けれど、ノスフィーは――


「――あとで『みんな一緒』に合流しましょう!」


 そう答えて、走り去って行った。

 その『みんな一緒』という意味が、薄らと私にはわかっていた。


 そこにいるのは生身のノスフィーではないだろう。受け継いだという意味で『みんな一緒』と姉は言っている。それはわかっていたけれど、私は頷くしかなかった。


「……っ! うん、あとで『みんな一緒』にだよ! 約束だからね! ……セラちゃん、二人でエルミラードを抑えるよ! というか、速攻で倒す!!」


 姉の背中から視界を移して、自分のやるべきことに集中する。


「――、――――――――――ッッ!!」


 正気を失い獅子と化したエルミラードは吼えて、階段を上がろうとするノスフィーに向かって走り出していた。

 すぐに私は踵でセラちゃんの横腹を叩くことで体当たりを頼み、突風の魔法を編んでいく。


「――《ゼーアワインド》!!」


 真横からの風と狼の突進によって、黄金の獅子の脚が浮いた。

 しかし、そのまま吹き飛んでいくかと思いきや、何もない空中で獅子は――踏ん張った。


 おそらくだが、固めた魔力か風を足元に展開している。

 それを掻き消すために、私は追加の《ゼーアワインド》を編んでいくが、目の前の獅子も全く同じ魔法を編み始めていた。


 二つの無詠唱の《ゼーアワインド》がぶつかり合い、三十三階に嵐が破裂するかのような風が吹き荒れた。


 堪らず、セラちゃんは獅子から距離を取ってしまう。

 だが、そのときにはもうノスフィーは、三十四階まで一人で駆け上がることに成功していた。

 姉が一人、『頂上』に向かってカナミを助けに向かったのを、私は見送る。



 ◆◆◆◆◆



 ここから先のノスフィーの物語は、カナミの『未来視』のように薄らと見える気がした。


 あのローウェン・アレイスと同じく、本来の演目を超えて、自らの人生をカナミとラグネの二人に継がせる頁が――スキル『読書』で読み取れた。


 まだ安心するのには早すぎるはずなのに、これでカナミとラグネちゃんの二人は安心だと私は「ふう」と一息つきかける。


 その直前に、黄金の獅子は再疾走していた。

 主であるファフナーの命を果たそうと、ノスフィーの登った階段に向かって、予備動作なく最高速で向かっていく。


「――《フレイムアロー》!」


 私は即興で魔法を構築して、その進行方向先に火の矢を複数置いた。

 対して、獅子は冷静に火の矢の起動を見て取って、速度を保ったまま迂回しようとする。


「セラちゃん!!」


 止めることはできなかったが、僅かな時間を稼ぐことは出来た。

 その時間を使って、狼の俊足が獅子に追い縋る。

 合わせて、私は背中に乗った状態で、腰の天剣ノアを抜いて敵の脚を狙った。場合によっては、骨ごと絶つつもりの一閃だったが、悠々と避けられてしまう。


 そして、次の瞬間には、また獅子は遠くへ。

 すかさず私は妨害の攻撃魔法を置いて、またセラちゃんに追撃を頼むが――何度繰り返しても、私の剣が獅子を捉えることはなかった。


「くっ――」


 目で追い切れないほどに速い。さらに力強い。

 そして、明らかに正気でないくせに、動きが賢い。


 理性と野生の長所だけを抜き取ったかのような戦いぶりに、私は顔を顰めた。

 さらに厄介なのは、この獅子は迷宮のボスモンスターのごとく、その体力と集中力が延々と続くことだ。


 同じ『魔人返り』の経験があるセラちゃんから聞いたので、間違いない情報だ。大きな『代償』を支払ったことで、エルミラードはモンスターの特性も兼ね揃えている。


 これが『魔人返り』した騎士の真価。

 ただの人間では、到底届かない『化け物』の領域だが――


「速攻で倒すって、私は言った!!」


 叫び、剣も魔法も諦めて、全く別の手段に手を出していく。

 当たり前だが、ラスティアラ・フーズヤーズはエルミラード・シッダルクと違う。

 その真価は速さでも力でも、賢さでもない。


 強みは『魔石人間ジュエルクルス』であり、ティアラ様の器として力を継承したこと。

 スキル『血術』にこそ、真価があるとわかっていた。

 さらに都合よく、この戦場は『血の理を盗むもの』ファフナーの手によって、大量の血が溜まっている。

 私は戦いながら、その取り扱いの説明を読み、ティアラ様から継いだ新たな力に手を出していく。


〝――『血術』とは、『血の力』の別称。

 千年前、ヘルミナ・ネイシャが『血の理を盗むもの』となる前に構築された技術の一つ。

 その特性は、特別でない人間でも扱えて、「死して尚盛んに動く」こと。

 それを活かして、過去にヘルミナ・ネイシャは『五段千ヵ年計画』を打ち立てた。

 一段階目で宗教を興し、二段階目で魔石を量産し、三段階目で線を引いて、四段階目で人工の人間を作り、五段階目で『魔法』のような奇跡に至らせる。

 その計画は全て、千年後に生まれるたった一人に集約される。

 そして、その一人こそ、かつてロミス・ネイシャが目指した『現人神』と、呼称されることになる――〟


 読み終えたとき、私は本能的にセラちゃんの背中から飛び降りて、ファフナーの作った血の池に手を突いていた。


 私の『血術』は、『血の理を盗むもの』ヘルミナさんの力と同じもの。

 私は血の浅瀬に溜まった「死して尚盛んに動く者」の支配を、『血の理を盗むもの』ファフナーから取り上げるべく魔法を唱える。


「――魔法《ブラッド》!」


 血を読み取り、地の底に沈んだ魂に働きかける。

 死した魂たちは、常に恨みを晴らす相手を探していた。


 それを理解すれば、あとは相応しい『術式』を構築するだけ。

 幸い、その魂たちを誘導する術は、すでに私の血の中に存在していた。


「――魔法《フーズヤーズ・ブラッド》」


 そして、『血の理を盗むもの』を真似るように『血の人形』を数体、すぐ近くに生み出すことに成功する。


 その『血の人形』たちに自由意志はなく、私の指示に全力で従うだろう。だが、すぐに私は人型を崩して、血の池に返す。


 彼らの魂は眠らせたまま、その血に刻まれた『術式』だけを借りる。

 次は『光の理を盗むもの』を真似るように、代わりに魔力を流して、魔法を構築する。そして、複数発生する同じ魔法を、私は体内で束ね合わせたあと、撃ち出す。


「――共鳴魔法《フレイムアロー》!」


 私は魔法を発動させた。

 対して、獅子も癖のように、同じ魔法である《フレイムアロー》を発動させる。


 優秀な魔法使いのエルミラードは「考えられる限りの最高の火の矢」を放った。

 しかし、私の《フレイムアロー》は、複数の優秀な魔法使いたちの「考えられる限りの最高の火の矢」を束ねた代物・・・・・

 相殺されることはなく、私の《フレイムアロー》だけが獅子に襲い掛かり、その肩を貫いた。


 だが、それでも獅子は怯むことなく、手負いの獣らしく一層と凶暴さを増して唸る。


「――共鳴魔法《ウォーターアロー》、《ワインドアロー》、《ライトアロー》!」


 私は油断なく、次々と共鳴魔法を放っていく。

 私とエルミラードは、同程度の力を持つ万能の魔法使いだったからこそ、相殺による均衡が発生していた。だからこそ、傾いて崩れるのは一瞬だった。


 獅子側の放った魔法の矢は全て、私の魔法の矢に呑み込まれる。

 さらに、その頑丈な巨体を次々と貫いていき、大量の血を複数個所から噴出させた。


 人ならば即死だ。

 しかし、私は『魔人返り』の生命力を侮ることなく駆け出し、とどめの《ブラッド》を至近距離で叩き込む。


 『魔人返り』を抑える為の血の操作だけでなく、エルミラード以外の血を全て抜き出していく。

 次第に彼の姿は少しずつ萎み、獅子の特徴を失っていく。

 いつもの美丈夫の姿まで戻ったところで、今度こそ私は一息つく。


「ふう」


 反則ばかりだった気がするけれど、短時間でエルミラードを制した。

 昏倒させるついでに《キュアフール》で軽く表面上の傷は塞いだが、今日中に彼が目を覚ますことはない……とまでは、正直確約できない。だが、時間を惜しんで、このまま放置することを決める。


 もう私の思考は別のところにあった。

 先ほど私が使った共鳴魔法だ。


 その威力は凄まじく、他の『理を盗むもの』に匹敵していた。

 ただ、あれはどちらかといえば『血の理を盗むもの』の真価で、『現人神』特有の力ではないだろう。


 『現人神』に大事なのは、いま使った共鳴魔法よりも、その仕組みそのもの。

 全ての『魔法』の『術式』には、必ずどこかに連結部分が、事前に――千年前から用意されている。それをよく理解して、次は自分の中にある血を使って、単独での共鳴魔法を行いたい。


「……私の血に余白がなかったのは、そういうことか」


 そう独り言を呟くと、戦闘が終わってからずっと隣で控えていたセラちゃんが狼の状態のまま、心配そうに「ぐるる」と可愛らしく鳴いた。

 私は一言「心配ないよ」と口にして、彼女の負傷箇所に《キュアフール》の魔法を浸透させていく。


 そして、冷静に城の状況を整理する。

 いま、私はフーズヤーズ城三十三階という大体真ん中あたりにいる。


 上にはラグネちゃんとカナミとノスフィーの三人。

 下には『血の理を盗むもの』ファフナーと戦う仲間たち。


 ――たぶん、ここだ・・・


 全て、ここから始まる。

 この階を境にして、上と下とでは全く別の物語が紡がれる予感が私にはあった。


 ここから上で、ノスフィーの本当の戦いが始まる。

 ここから下で、私の本当の戦いが始まる。


 いま、私は分岐点に立っている。


「……私が行くべきは、上じゃない。ノスフィーお姉ちゃんなら絶対にカナミを助けられるし、カナミなら絶対にラグネちゃんを助けられる。そう信じてる。……だから、セラちゃん。余計な人が上がって行かないように、私たちは下に行こう」


 そう説明しながら、セラちゃんの治療を終えた私は、彼女の背中に乗った。


 ただ、その私の判断に、忠実な騎士でありスキル『直感』を持つセラちゃんは、少し戸惑っていた。

 自分の脚の速さに絶対の自信があるからこそ、いますぐにでも上に向かって、一人で進むノスフィーの手助けをすべきではないかと具申している様子だ。


 その有難い忠言に対して、私は神妙に首を振る。


「さっきファフナーのやつが、やばい・・・って言ってたでしょ? たぶん、下からラグネちゃん以上に危険な敵が来てるんだよ。……それを私は止めたい。ノスフィーお姉ちゃんが安心できるように」


 下から感じたことのない巨大な無属性の魔力が、勢いよく吹き上がってきている。

 たとえ、マリアちゃんとディアでも対抗するのが難しい濃い魔力だ。


 なにより、さっきからずっと寒気がする。

 このフーズヤーズ城の温度が急激に下がっていっていた。


 ――つまり、この『運命の日』に合わせて、彼女が来ている・・・・・・・


 だから、私はティアラ様の娘として――『代わり』として、千年前の『答え合わせ』をしに行かないといけない。


 その私の固い意志をセラちゃんは感じ取ってくれたようで、軽くこうべを垂らしたあと、主である私を信じて、何も聞かずに駆け出してくれた。


 全力疾走ながらも、器用に『血の人形』を避けつつ、下へ下へ。

 その騎士の忠義と愛情に――思わず私は、口から言葉を零す。


「セラちゃん……、ありがとね。……今日まで一緒にいてくれて、本当にありがとう。いつだってセラちゃんだけは、私の味方でいてくれた。……だから、大好きだよ」


 四年間分の気持ちを詰め込んで「大好き」と言ってしまったあと、いま口にしてはいけない言葉だったと気づき、慌てて私は次の言葉を続けていく。


 意味を察されないように、ちょっと惚気話も交えて。


「もちろん、私が一番好きなのはカナミだよ……! 残念ながら、セラちゃんは二番目くらい!」


 冗談めかす。

 しかし、まただった。

 また私の口から、余計な言葉が零れていく。


「……セラちゃん。昔話した『運命の赤い糸』ってやつ、覚えてる? ……ずっと不安だったけど、ちゃんと私のいつか・・・は来てくれたみたい。『たった一人の運命の人』のカナミが、ちゃんと来てくれた。……だから、それだけは死んでも、誰にも譲りたくないって思ってる」


 軽い言葉で終わらせたいのに、思い出が溢れて止まらない。

 だから、これ以上は駄目だと、私は強引に顔を俯けて、一言に纏めた。


「それを覚えててね」


 そう私の一番信頼する騎士に頼んだ。


 その唐突な話にセラちゃんは少し混乱していた。

 そもそも、戦場で『血の人形』を避けることに集中している彼女に、ちゃんと言葉が届いているか怪しいところだった。


「…………」


 ただ、それでもセラちゃんは血の浅瀬を駆け抜けながら、確かに頷いてくれた。


 それを見て、私は安心する。

 胸を撫で下ろしながら、彼女の背中に強くしがみつく。


 そして、三十階、二十八階、二十六階と降りていき――途中で、ふと強い視線・・を背後から感じた。どうやら、いまさっき『たった一人の運命の人』と零してしまったのは、余計ではなかったらしい。


「……ああ」


 私は驚くのではなく、再会を喜ぶ。

 いま視線が強まったということは、上のノスフィーの戦いは順調で、カナミの蘇生が近づいているということに他ならないからだ。


 急いで後ろに振り向き、目を合わせた。

 ただ、その視線に乗っている感情に、私は少し慌てる。


「むっ」


 いまのセラちゃんに向けた言葉を聞いて、『切れ目』は私を憐れんでた。


 おそらく、この状況は不本意なのだろう。

 私に向かって「これ以上『たった一人の運命の人』は口にしないほうがいい」「いますぐ遠くへ逃げたほうがいい」なんて言っているような気がする。


 それどころか、ここから先の物語は見たくないと、いまにも目を背けそうだ。


 ――しかし、それだけは駄目。


 むしろ、もっとよく見て欲しい。もっと深く読んで欲しい。

 ここから先は、決して憐れんだり悲しんだりするものではない。

 それを教えてあげる為にも、私は――


「――『私は世界あなたが愛おしい』――」


 人生の『詠唱』を一節だけ、呟く。


 これで優しい『世界あなた』は、この取引相手である私を無視することはできない。


 すぐに『切れ目』から、動揺が返ってきた。

 私が『世界の取引』の仕組みを知っていることに驚いた――だけではなく、真っ直ぐ「大好き」という好意を向けられることに慣れていないように感じた。


 何にせよ、これで『最後の頁』まで私を見守ってくれるのは間違いない。

 そして、『最後の頁』が終わったあとも、証明をし続けてくれる。


 その前準備を終えたところで、私とセラちゃんは辿りつく。

 まずはフーズヤーズ城の十五階。

 グレン・ウォーカーとスノウ・ウォーカーの戦場へ。



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