100.違う道を進む四人


 宴の夜を終え、翌日の朝、僕たちは《コネクション》を使って連合国に戻った。

 とうとう『舞闘大会』の前日だ。


 事後処理が色々とあったが、僕は大事な用があると言って、一人で『エピックシーカー』本拠を抜け出した。

 誰も居ない郊外の空き地へ移動して、僕は昨日決めたことを実行する。


「壊せるか……?」


 僕は『持ち物』から『クレセントペクトラズリの直剣』を取り出して、『腕輪』に刃を押し当てる。

 この剣は、あのクリスタルゴーレムさえも斬り裂いた代物だ。『腕輪』にどんな鉱物が使われていようと、断ち斬れるはずだ。


 僕は『腕輪』に当てた剣に力をこめて、一気に切り抜こうとする。


 ――しかし、剣が『腕輪』を傷つけることはなかった。


 『クレセントペクトラズリの直剣』の切れ味が『腕輪』の硬度に負けているわけではない。単純に、剣を扱う僕が『腕輪』を斬ろうとする直前に力を抜いていた。


 意思とは関係なく、身体が勝手に力を抜いているのだ。

 僕は舌打ちをしながら、再度力をこめ直す。


「――っ!!」


 『腕輪』は傷一つつかない。

 何度繰り返しても同じだ。呪われたように『腕輪』は無傷で、そこに在りつづける。


 それどころか、無理に壊そうとすることで体調が悪くなっていくのを感じる。

 抗おうとする力を奪うように、吐き気と倦怠感が襲ってくる。


 そう、まるで『呪い』のように。


「くっ、やっぱりか……」


 推測していたことだが、ショックは大きい。

 つい最近まで、『腕輪』なんて壊そうと思えばいつでも壊せると楽観していた。しかし、現実は逆だ。

 断固たる決意をもってしても、傷一つつけられない。


「……仕方ない。次だ」


 僕は気持ちを切り替えて、次の行動に移る。

 昨晩の熟考のおかげで、このケースの覚悟はできていた。


 早足でエピックシーカーまで戻り、誰にも気づかれずに執務室の《コネクション》から迷宮の中に入っていく。


 10層へ移動し、11層でモンスターを探す。

 それなりの攻撃力があれば、どいつでもいい。

 僕は焦燥に突き動かされて歩き回った。


 ゴリラの姿に似た扱いやすそうなモンスターを見つけて、僕は徒手空拳で近づいていく。

 獲物を見つけたモンスターは咆哮と共に、僕へ襲い掛かる。


「――魔法《ディメンション・決戦演算グラディエイト》」

 

 空間の動きを全て把握し、強い意志を持って、その場に留まる。

 そして、モンスターの豪腕に対し、『腕輪』で防御しようとして――


 ――次の瞬間、モンスターは真っ二つに斬り裂かれていた。


 光となって消えていくモンスターを見届けながら、僕は冷や汗を垂らす。


 僕の手には剣が握られていた。

 わかってる。

 《ディメンション》で把握できている。

 その過程を記憶できている。


 僕は『腕輪』で防御する直前、正体不明の感情に襲われて、『持ち物』から剣を抜くと同時に敵を斬った。それだけの話だ。


「モンスターに壊させることもできない?」


 直面した事実に僕は震える。

 そして、先ほど感じた正体不明の感情を分析する。


 あの瞬間、僕は恐怖を感じていた。

 とても大切なものを失う恐怖。そして、それを奪おうとする敵への怒り。恐怖と怒りが僕を突き動かして、『腕輪』を壊そうとする敵を無意識の内に屠った。


 それはわかる。

 わかるが、その感情が生まれる理由が不明すぎる。


 これでは、まるでこの『腕輪』を、僕は妹と同じように大事にしているみたいだ。

 しかし、僕は妹の横に並べられる存在はないと確信している。それだけは断言できる。


 つまり、これは自分の意思とは関係なく、感情を弄ばれているということで間違いない。


 僕は分析を終えると同時に、淀んだ感情が湧き起こる。

 先の『恐怖と怒り』とは、別種でありながら全く同じ感情。

 自分自身が別の誰かによって弄ばれていることに対する『恐怖と怒り』が溢れ出て、止まらない。


 リーパーの言葉の一つを思い出す。


 『運命を弄ぶな』。


 本当の意味で、いま、その言葉を理解できた。

 自分の意思を弄ばれることが、こんなにも恐ろしく、こんなにも腹が立つとは思わなかった。


 僕は怒りのままに握りこぶしを作り、手のひらから血を垂らす。

 そして、その握りこぶしで『腕輪』を殴ろうとして――逸れる。拳は腕の肘あたりに当たり、痛みを全身に伝える。


 二種の恐怖と怒りが混ざり合って、不快な和音を奏でながら、僕の意思を何度も曲げる。何度も何度も、僕の拳を逸らす。


 左腕が痛みで麻痺してきたところで、僕は握りこぶしを崩した。

 そして、吐き気と共に僕は歩く。


「もう一度だ……。今度はもっと……」


 僕は決意を固め直す。

 何があっても動かない。

 そう決めて、新たなモンスターを探す。


 そして、同じモンスターを数匹ほど見つけ、囲まれるように身をさらけだす。


「――来い!」


 僕は叫んで、モンスターを呼び寄せた。

 モンスターたちの攻撃が四方から襲い掛かる。その全てを生身で受けると心に決める。そして、僕はその攻撃の一つに『腕輪』を合わせようとも試みる。


 その場を動かない僕に、モンスターの豪腕は直撃していく。

 直撃して、直撃して、直撃して――しかし、最後の一つだけは直撃しない。


 『腕輪』への攻撃だけは、身体が勝手に避けてしまう。


「ぐっ、うぅっ――!!」

 

 どれだけ身体を痛めつけても、身体が勝手に『腕輪』だけは守ろうとする。

 まるで、命よりも大事なものを守るように、身体が勝手に動く。


 頭部を殴られ、視界がちらつく。腹部を切り裂かれ、意識が遠のく。手足が衝撃で上手く動かない。それでも、『腕輪』は無傷だ。


 このままでは死んでしまうと思い、仕方なく囲んでいたモンスターを斬り倒す。

 散り舞う光の中で、僕は傷口から流れる血を拭う。『持ち物』から回復アイテムを取り出し、最低限の止血を行う。


「これも駄目か……、なら……」


 僕はボロボロになった身体を引きずって、10層から『エピックシーカー』に戻る。


 すぐに《ディメンション・多重展開マルチプル》で、僕の無意識の防御を破れそうな実力者を探す。


 まず、スノウが自室に居るのを見つけた。しかし、できれば彼女に頼るのは最後にしたいと思った。ずっと彼女に抱いている不安が、自然と後回しに繋がった。


 次に見つけたのはリーパーだ。

 リーパーは町の図書館に居た。

 酷く真剣な表情で書物を漁っている。よく見れば、複数の書物を広げて読んでいる。どうやら、僕の次元魔法を応用した読書方法を真似ているようだ。


 調べる書物は魔法関係のものばかりだ。

 リーパーは自分の身体を従える方法を見つけ出そうとしているのかもしれない。


 リーパーの戦闘力は高い。しかし、僕が相手では勝利はゼロと言ってもいい。現在術者となっている僕を攻撃できないような術式が組まれている可能性は高い。そもそも、単純に30層で戦ったときのように無効化されるというのもある。『腕輪』破壊には適さない。


 さらに魔法を広げて、次にローウェンを見つける。


 ローウェンは街を散策していた。すぐに街中を歩く彼と接触し、最初の空き地まで連れ出した。


「――ローウェン、この『腕輪』を壊してくれないか」


 そして、僕は率直に頼んだ。

 ローウェンは僕の言葉を聞き、次に僕の姿を見て、全てを理解したようだ。


 理解した彼は顔を歪ませていく。


「『腕輪』を……? なぜだ……。なぜ、いまこのタイミングで……?」

「なぜ? ……偽りを許しちゃいけないって、やっと気づけたんだ。リーパーが教えてくれた」

「リ、リーパーが?」


 ローウェンは思いもしない名前を聞いて驚く。


「だから、鎖を断ち切ろうと思う。何もかも、遅すぎたくらいだ……」


 僕は友達として飾ることのない意思をローウェンに伝える。

 しかし、それを聞いた彼の顔は暗い。


 とても暗かった。


「悪いが……できない。それは、できない」


 ローウェンは目を逸らして、僕の頼みを断わる。


「で、できない……?」


 その理由を僕は目で問いかけていく。


「カナミの心身の不一致を感じ取ったあと、私はレイル・センクスから事情を聞きに行った……。おそらく、カナミ以上に詳しい話を聞いている……」


 その事実に驚く。

 ただ、その事実をローウェンが友達として嘘なく吐き出していることも感じ取る。

 僕が言葉を飾らなかったように、彼も言葉を飾っていない。


「聞いた上で私は判断した。カナミの『腕輪』は外さない方がいいと」


 そして、はっきりとローウェンは自分の意思を僕に伝える。


「私もレイル・センクスと同じ考えだ。カナミは記憶を戻さない方がいいと思っている。そのほうがずっと幸せだ。――誰もが幸せだ・・・・・・


 僕はローウェンの答えを聞き、顔をしかめる。

 しかし、それでも本心で語るローウェンを信じ、本心で説得を試みる。


「もし幸せだとしても、許されないことはあるよ。僕は嘘にまみれた幸せなんて嫌だ。記憶はなくても、過去の僕が怒っているのがわかる。だから、僕は記憶を戻す。――戻すべきだ」


 しかし、説得は通じない。


「だ、駄目だ。その『腕輪』を外せば、カナミは私の願いを叶えようとしなくなる可能性が高い。きっと、私どころではなくなる。だから、外すことに協力しない。――したくないんだ」


 ローウェンには珍しく、弱々しい声だった。

 自分の都合で首を振っていることを、恥じているようにも見える。


「そんなことはない! 僕はローウェンの『未練』を果たすことに協力する! 記憶が戻っても、絶対に!!」

「そんなこと、記憶を戻していないカナミにはわからないことだ。記憶が戻ればどうなるかわからない。それなら、私はいまのままのカナミを選ぶ……!」

「僕の心と体がバラバラだって言ったのはローウェンだ! ローウェンは、そんなバラバラの僕のほうがいいと本気で思ってるのか!?」

「そ、それは――」


 ローウェンは口ごもる。


 その様子から、本気でいまのままでいいとは思っていないことがわかる。しかし、それでも譲れない何かがあることもわかる。


 僕はさらに問い詰めようと身を乗り出す。しかし、それはローウェンに遮られた。


「――すまない、カナミ。『舞闘大会』が終わるまで待ってくれ」

「な……!?」


 ローウェンは自分が筋の通っていないことを言っていると自覚している。

 それでもなお、自分自身の望みを通そうとしている。ゆえに、謝罪と共に、簡潔な言葉で纏めた。


「あらゆる意味で『舞闘大会』は都合が良すぎる。あそこへ行けば、確かめることができる。カナミを超えることで『英雄』に至れる予感がある。――そして、『腕輪』をつけたままなら、全てを知るためにカナミは私と戦ってくれるという確証がある。だから、私は『腕輪』を壊せない……」


 そして、ローウェンは自身の望みと計画を吐き出しつくした。

 そこに何の偽りもないことを僕は理解してしまう。


「ローウェン、そこまでして『英雄』になりたいのか……?」

「ああ、それが私の夢だ。ずっと、子供の頃から、それだけを願ってきた。ああ、千年も前からずっと、ずっとだ……!!」


 ローウェンは何かに追われるように言葉を紡ぐ。

 紡ぎ続け、果てには叫ぶ。


「それを諦めるってことは、自分の人生を裏切ることになる。アレイス家の悲願を果たさなければ、生まれた意味がわからなくなる!」


 叫ぶローウェンは苦しそうだった。

 僕やリーパーのように強がって笑うことも出来ず、顔を歪ませている。


 その差は何となくわかる。

 僕とリーパーは『願いを間違えている』ことを受け入れられるから、『本当の願い』に手を伸ばせる。


 しかし、それがローウェンにはできない。


 『願いを間違えている』ことを受け入れられないから、『本当の願い』にいつまで経っても届かない。

 その姿は少し前の僕に似ている。


「そんな辛そうな顔で、心残りが消えるわけないだろ……。きっと、『英雄』になってもローウェンは救われないよ……。ローウェンを救うのは、もっと別のものだよ。そのくらいは、いまの僕でもわかる……」

「ああ、そうかもしれないな……。しかし、そうしないわけにはいかない。思い出してしまった・・・・・・・・・んだ・・。それがアレイス家に生まれた嫡男の宿命で……、私は『英雄』になるため生まれてきたってことを……」


 しかし、伝わっても、届かない。

 ローウェンは静かに首を振った。


 それを最後に、僕とローウェンは遠ざかる。

 こんなにも近くに居るのに、届かない存在になってしまった。

 それを彼も理解し、淡々と話す。


「……もう『舞闘大会』の前日だ。『エピックシーカー』に案内が来ていた。出場者は今日中に移動巨大劇場『ヴアルフウラ』へ行かないといけないらしい」

「……そっか」


 僕は考える。

 いっそのこと、いまここで全てを決する選択肢を思い浮かべる。自分自身のことだけ考えるのならば、ここで30層の守護者ローウェン・アレイスを倒して、レイルさんに記憶を返してもらう道もある。


 しかし、パリンクロンとの取引という、『与えられた道』に乗るのは避けたかった。

 ローウェンの望みどおり、『舞闘大会』で全て決することを僕は選ぶ。


「私は先に『ヴアルフウラ』に向かう。大会で会おう、カナミ。……それで、全て解決する」

「わかった……。いってらっしゃい……」


 ローウェンは去っていく。

 その背中は、いつかと違って弱々しくはなかった。

 風前の灯のようだった彼は、いつの間にか濃い魔力を身に纏っていた。


 ローウェンは『舞闘大会』を目前にして、確かな『未練』を取り戻していた。

 その『未練』の正体は、おそらく彼の言う『栄光』なんてものではないだろう。


 きっと、『英雄』も『栄光』もローウェンを助けない。

 薄々と感じていたことだが、昨日の竜討伐で確信できた。


 それでも、ローウェンは望み続けるだろう。

 ローウェン・アレイスという男は優しすぎる。それゆえに、自分以外の誰かの願いにも手を伸ばす。


 アレイス家のためか、生前の知り合いのためか、何かの約束があったのか、それはわからない。しかし、ローウェンが『舞闘大会』の頂きを目指すのは、もう間違いない。


 誰かが教えなければ、ローウェンは間違え続ける。

 そして、それを教えられるのは僕だけだという予感があった。

 それが30層に至った者の義務のような気がした。


 けれど、正直――いまの僕にそこまでの余裕はない。

 まずは自分自身のことを解決しなければ、自信を持って話すことすらできないのだ。多くの記憶を失い、自身の大切なものにすら気づけなかった自分が、誰かを正しい道に導けるはずがない。


「早く……!」


 僕はローウェンのためにも、自分の『腕輪』破壊を急ぐ。

 《ディメンション》を広げて、後回しにしていた人物を捕捉する。


 不安だが、もう仕方がない。

 他に僕の『腕輪』を壊せそうな知人はいない。 

 僕はスノウに会いに、『エピックシーカー』の一室まで歩いていく。 



◆◆◆◆◆



「えへへ……」


 僕がスノウの部屋にお邪魔すると、スノウは嬉しそうに歓待してくれた。

 慣れない手つきでお茶を用意してくれて、僕の機嫌を窺っている。


 終始、スノウは笑顔を崩さない。

 しかし、舞踏会の夜の言葉が、それを滑稽に映す。スノウは「楽をしたいから」という理由で、僕に媚を売っている。それが理解できてしまうと、僕の心は冷めていく一方だった。


 スノウは話題を探して、以前に編んだマフラーを色々と見せてくれた。

 他にも編み物道具や裁縫道具を取り出し、趣味が共有できるようにと話しかけてくれる。


 しかし、いまはそんなことをしている場合じゃない。

 もっと大切なことを確かめないといけない。


 スノウの問題を解決してあげたいのは山々だ。言いたいことも沢山ある。けど、まずは妹のことをはっきりさせないといけない。


 スノウへ何かをしてあげるにしても、記憶が戻っていたほうがいいに決まっている。

 僕は意を決して、話を切り出す。


 ローウェンのときと同じく、『腕輪』の破壊の協力を率直に頼みこんだ。

 それを聞いたスノウは表情を固める。


「――え、え……?」

「限界まで自分の意思は抑える。スノウには全力で『腕輪』を破壊して欲しい」


 僕は同じ要望を繰り返す。


 『腕輪』と聞いた途端、スノウは表情を崩した。

 部屋は一瞬で静まり、僕とスノウは見つめ合う。


 僕は真剣な表情で見つめ続ける。

 対し、スノウは目をそらして呟いた。


「……い、嫌」


 震えた声で拒否した。

 出会った頃は壊すことを薦めてくれていたので、笑顔で協力してくれるかもしれないという淡い希望を持っていた。

 しかし、希望は砕け、スノウは首を振った。


「駄目。絶対に駄目……!!」


 目を地面に向けたまま、子供のように首を振る。

 感じていた不安は的中した。


「そんなっ……、ここまできたら無理だよ……。カナミのいない生活なんて考えられない。その『腕輪』を壊したら、きっとカナミは『エピックシーカー』をやめる! ラウラヴィアから去る! それは……、それだけは絶対に嫌!!」

「スノウ……」


 僕はスノウの本心を前にして気圧される。

 必死だった。


 あの物臭だったスノウが、ここまで必死になってしまっている。

 それだけで言葉を失ってしまう。


「ねえ、カナミ。いまのままじゃ駄目? 何の不足もないよ? 地位も名誉もお金も安全も、何もかも手に入るよ? これ以上、何をどうするの? お願いだから、やめてよ……」


 スノウは歪な笑顔を作って、僕に考え直すこと懇願する。


「……本当のことが不足してるんだ。もしかしたら、その真実は僕の命よりも大切なものかもしれない。だから、僕は『腕輪』を壊す」


 僕は前もって用意していた言葉を返す。

 即答されたスノウは「えへへ……」と無理に笑って、説得を続ける。


「わ、私っ、いいお嫁さんになるから! だからっ、このままでいて、カナミ! そのままのカナミがいい! 一緒に騙されようよ・・・・・・・・・、ずっと! ねっ、カナミ!! みんなが幸せになれる世界がそこにあるんだよ!?」

「ああ、幸せになれるだろうね……。そうなってる・・・・・・らしい。けど、駄目なんだよ、スノウ。スノウも、いま「騙されよう」って自分で言ったじゃないか……。騙されているとわかっていて、それを受け入れることなんて、僕にはできない。『自分の願いを間違える』わけにはいかない……!」


 僕は手のひらの痛みを感じながら、リーパーの言葉を借りる。

 

「私は騙されたい……。ずっと、ずっと騙されていたい。だから、カナミも一緒に騙されて……」

「それは、できない……」


 冷徹に首を振る。

 その冷たさを感じたスノウは、その決意の固さを知って表情を変える。


「な、なら! あと少し待って! 『舞闘大会』で優勝して、『英雄』になって私を助けて! それだけでも――」

「それも違うよ、スノウ。どれだけ叫んでも都合のいい『英雄』なんて助けに来ない。……来ないんだ」


 『英雄』という言葉を聞き、昨夜辿りついた答えをスノウに伝える。


「え、え? こ、来ない……?」

「僕は『英雄』にならない。その道は間違っているってわかったから……。だから、スノウの望む『英雄』は絶対に現れない……」


 僕は『英雄』という存在に不信感しかない。

 それは舞踏会にスノウと参加したときに確信していたことだ。


 これを伝えるのは記憶が戻ったあとのほうが良かったかもしれない。しかし、諭さずにはいられなかった。できれば、『舞闘大会』が始まる前に、スノウには自分の本当の願いに気づいて欲しい。

 例の結婚までの時間は短い。でないと、間に合わない。


「う、うぅ……、ぅ、ああ……――」


 とうとうスノウの目じりに涙が浮かんだ。

 心が痛んだ。けれど、僕は冷徹さを保つ。


 スノウは僕に頼り過ぎだ。できれば、そこを乗り越えて欲しい。そうしないと、彼女はいつまでたっても苦しいままだ。


「僕は本当の願いを見つけた。何一つ思い出せないけど、それが僕の願いなのは間違いない。僕は真実を取り戻す。そして、これ以上、誰の心も弄ばせないようにする。……だから、スノウも道を間違えないで欲しい。ウォーカー家の願いじゃなくて、スノウ自身の願いを叶えるんだ」


 僕はリーパーの受け売りをスノウに伝えた。


 スノウは膝を突いて、内股で座り込む。

 そして、両手で顔を覆っていく。


「あ、ぁぁ、カナミ……。私の・・カナミが……」

「……違う。僕はスノウのものじゃない」


 少しばかり事を焦ったかと僕は後悔する。

 もっと優しい言い方があったかもしれない。もっと良いタイミングがあったかもしれない。


 スノウは俯いたまま、乾いた笑いを零し始める。


「……はっ、ははっ、ははははは。……やっぱり、駄目なんだね。私は駄目なんだ」


 罪悪感が毒のように身体に回る。

 それでも、僕は大切なもののために『腕輪』の破壊を目指さないといけない。僕は冷徹さを保つ。


「そもそも、僕とスノウは混じり合うはずがなかったんだ……。スノウは『英雄のカナミ』が好きかもしれないけど、僕は『英雄の自分』なんて嫌いなんだ……」


 スノウが諦めてくれるように言葉を足していく。

 それを聞いた彼女は拗ねたように返す。


「……カナミは私が嫌いなんだ。……私にエルミラード・シッダルクと結婚しろって言うんだ」

「結婚はスノウが決めないといけないことだ。僕が決める話じゃない。自分のことは、自分で決めるんだ」


 誰かに強制されるものでもないし、嫌々するものでもない。ましてや、「楽だから」という理由なんて間違っているに決まっている。


「でもっ、カナミが決めてくれるって! パリンクロンはそう言ってたよ!? 私を導いてくれるのはカナミだけだって言ってた……。言ってた、のに……」


 何を言っても僕が考えを変えないと、スノウは僕の表情を見て気づいてしまったのだろう。途中から言葉の勢いがなくなっていく。


「違う。自分で考えて、自分で決めたことだけを信じるんだ、スノウ……!」


 前に進んで欲しかった。

 リーパーのように自分の願いを得て欲しくて、僕は「自分で決めろ」と言った。


「そ、そんなの、私にはできないよ……。難しいよ……」


 しかし、叶わない。


 その言葉を聞いたスノウは、絶望の表情を見せる。それは彼女にとって最も受け入れがたいことだったようだ。そして、弱々しく呟き続ける。


「カナミは私を捨てたよ、パリンクロン……。そして、相変わらず、誰も私を助けてくれない……! 誰も……!! ぅぁあ……、ううぅっ……」

「スノウには力がある。誰でもないスノウ・ウォーカー自身の力で、自分自身を助けられる。だから――!!」


 リーパーのように――


「――……できない」


 しかし、スノウは一考することもなく答えてしまう。


「もっと必死に、もっと本気で、スノウ・ウォーカーがスノウ・ウォーカーのために生きれば状況は変わる! きっと……!!」

「……やだ。……そんなの耐えられない」


 諦めるなと言う僕に、スノウは淡々と答え続ける。


「……だって、ちょっと必死になったら、これだもん。本気でカナミを欲しがったら、捨てられたことがこんなにも悲しい。死にたくなるほど、悲しいっ。ああ、やっぱり、本気になんてなるもんじゃない。本気になんてならなきゃよかった……! 本気になると本気で苦しい……!」


 虚ろな表情で愚痴を零し続ける。

 そこに自分を変えようとする意思は見えない。


 スノウは、また諦めた。


 その姿に僕は苛立つ。

 少し前の僕自身を見ているような気がして苛立ってしまう。


「それが人として普通のっ、本当の感情だ! そこから逃げちゃ駄目だ、スノウ……!!」


 僕はなんとか考え直してもらおうと、名前を呼びながら近づこうとする。


「なんとかして、カナミ……」


 しかし、弱音を吐き続けながら僕の名前を呼ぶスノウを見て、足を止める。


「もう私は何もしたくない……。決めたくもない……。カナミ……!!」


 スノウは手を伸ばして、僕にすがりつこうとしていた。


 見誤っていた。

 わかっていた気になっていただけだ。


 スノウは弱い。

 僕の想像を遥かに超えるほど、精神こころが弱い。

 すがりつく何かがなければ、スノウ・ウォーカーという少女は一人で歩くことすらできない。


 しかし、ここで僕が手を伸ばしたところで、スノウは何も変わらないだろう。

 同じことの繰り返しだ。


 僕はスノウから距離を取る。絶対に手の届かないところまで後退し、深呼吸をして落ち着く。そして、最後の言葉を告げる。


「……僕は自分の道を決めたよ。だから、スノウも自分の道を決めてくれたら、嬉しい」


 僕は背中を向ける。

 そして、振り返ることなく扉を開け、部屋を出た。


 後ろからは僕の名前を呼ぶ声がする。

 しかし、一瞥もくれてはいけない。

 スノウがここまで弱ったのは、僕にも責任がある。


 僕が甘やかしすぎたせいだ。少なくとも、それが一因になっているのは間違いない。僕のせいで、スノウは在りえぬ希望に期待してしまい、当然の結末に心が折れかけている。


 これ以上、スノウを甘やかせば、彼女が自分自身で物事を決めることができなくなる。

 スノウのためにも、ここで振り返ってはいけない。


 僕は部屋を出て、無言で『エピックシーカー』の中を歩く。

 これで仲間の内で僕の『腕輪』を壊してくれそうな人はもういない。


 『エピックシーカー』一番の実力者であるヴォルザークさんでも、僕に掠り傷すら負わせられないだろう。


 僕は仕方がなく、別の実力者を探すことにする。

 いまならば、探すのは容易い。都合良く、世界各地から腕に自信のある者が一箇所に集まってくれている。

 巨大移動劇場『ヴアルフウラ』に行けば、報酬次第で協力してくれる人がいるかもしれない。


 しかし、その前に僕は挨拶しなければいけない相手がいた。

 僕は気を取り直して『エピックシーカー』の最上階まで歩き、そして部屋の扉を開ける。


「――マリア・・・、おはよう」


 僕は精一杯の笑顔で、妹かどうかわからない少女に声をかける。


「あ、兄さん……」


 マリアはベッドの上に座ったまま、こちらへ顔を向けた。

 その姿は見ていて、痛々しい。


 そして、同時に愛おしい。

 愛おしいが……。


 マリアが自分の妹でない可能性は高い。

 いや、きっと妹ではないのだろう。その状況証拠が揃ってしまっている。


 よって、このマリアという少女に対する愛情は、この『腕輪』によるものだと判断する。記憶を操作されているのだから、そのくらいもお手の物だろう。


 僕はマリアへの感情を抑えつけて、しばしの別れを告げる。


「聞いてると思うけど、明日から『舞闘大会』ってイベントがある。それに僕はラウラヴィアの代表として出てくるよ……」

「……それじゃあ、私はここで待っていますね。目の見えない私では観戦もできませんし、邪魔にしかなりませんから」

「そう、だね。目が見えないんだよね……」


 この目の見えない少女の素性が僕は気になった。

 パリンクロンに協力する演技の上手い子かと思ったが、その腕についた『腕輪』が、それを否定する。この少女も僕と同じ状態なのだ。


 僕は少女の『腕輪』の破壊について悩む。

 破壊してしまえば、少女は本当の自分を思い出すだろう。そこから新しい情報が手に入る可能性は高い。


 しかし、それに僕は踏み出せない。

 記憶を弄ばれているのは許せない。絶対に許せない。しかし、目の前の少女も僕と同じ決意をしているわけではない。


 だから、恐ろしい不幸の記憶を、僕の判断で少女に思い出させることができない。

 これもリーパーたちの問題と同じだ。まずは僕の記憶を戻さないことには、何の判断もできない。


 僕は笑顔のまま、マリアに告げる。


「それじゃあ、数日ほど行ってくるね。マリア」

「え、もう行くんですか……?」

「うん、ちょっと急用があるんだ。ごめん」

「……それなら仕方ありません。いってらっしゃい、兄さん」


 僕は会話もそこそこに部屋を出る。

 マリアは僕が出て行くのを名残惜しそうにしていた。


 しかし、そのマリアの情も、本物かどうかわからない。

 そんな状態で楽しい会話なんてできるはずがなかった。


 僕は顔を歪ませながら、『エピックシーカー』を歩く。

 そして、ギルドマスターカナミに届いていた『舞闘大会』の資料を、ギルドメンバーから貰う。そこには『舞闘大会』の案内と宿泊先が書かれていた。


 宿泊先は、とある高級宿泊船の一等室だった。見晴らしのいい最上階の一室だ。

 僕は移動巨大劇場『ヴアルフウラ』の全容を資料で見て、その異様な構造に驚く。


 大きな船が一つあるだけかと思っていたが、それは間違いだった。『舞闘大会』の時期になると、世界中の巨大船が集まってくるらしい。

 護衛の戦闘船はもちろんのこと、サーカスや見世物を行う船やレストランを内包する船とも繋がるらしい。


 もう『舞闘大会』の前日なので、全ての船が鎖で繋がれ、歩きで移動できるようになってるだろう。


 宿泊船だけで十隻を越えて、さらに世界各地の貴族を乗せた船も来るわけだから、その合計数は凄まじいことになる。

 巨大劇場船『ヴアルフウラ』を中心に組まれた船団は、文句なしの世界最大規模の船団だ。そして、今日からその船団のことを人々は『ヴアルフウラ』と呼ぶ。


 そこを観光できることに、僕は僅かな興奮を覚える。

 しかし、すぐにその熱は冷える。


 もしも、隣に誰か一人でも思いを共有できる人がいれば、その興奮は消えなかっただろう。

 だが、誰もいない。


 僕は一人で、僕はラウラヴィアの北へ向かって歩いていく。


 寂しさは誤魔化し切れなかった。

 少し前までは、『舞闘大会』はスノウ、ローウェン、リーパーと一緒にお祭り感覚で参加すると思っていた。


 しかし、現実は逆だ。見事にバラバラだ。

 全員が誰とも想いを重ねることすらできず、一人一人となっていた。


 寂しいという感情と共に、自分が情けなかった。


 そして、ふと思う。


「『キリスト・ユーラシア』なら……、もっと上手くできたかな……?」


 相川渦波として、できることをやったつもりだ。

 しかし、これが最善だった自信はない。特にスノウに関しては、もっとやりようがあったのかもしれない。あそこに残してきたのが本当に正しかったのかもわからない。


 ここに来て、僕は過去の自分が気になった。

 『キリスト』なんて名前を名乗り、毅然と迷宮を挑戦してた彼ならば、もっと上手くできていたかもしれない。


 リーパー、ローウェン、スノウの悩みを解決し、四人で歩いていたかもしれない。


「ははっ……、考えても仕方ないことだな……」


 いま考えても仕方がないこと。

 それはわかっている。

 けど、僕は期待している。 

 記憶を取り戻した僕ならば、リーパーも、ローウェンも、スノウも助けられるような人間であることを。


 きっと、妹のことで心が削れているのは間違いない。

 それでも、苦しんでいるみんなを助けられるような人であって欲しい。


 そうなりたいと、僕は願った。


 そのためにも、僕は『ヴアルフウラ』へ向かう。

 僕の『腕輪』を壊すために。


 そこには居るはずだ。

 とうとう利害が一致してしまった少女たち。

 ラスティアラ・フーズヤーズ。ディアブロ・シス。

 あの二人が。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る