99.相川渦波が手に入れた決意



 夜を迎え、宴が始まる。


 村の高台にドラヴドラゴンの首が掲げられ、その周囲では様々な楽器を持った人たちが陽気な音楽を演奏し始める。

 その音楽に合わせて人々は歌い、踊る。外に並んだテーブルには、大量の料理が置かれてある。どうやら、それをビュッフェ形式で自由に食べていいようだ。みんな、酒や肉を食らっては陽気に笑っていた。


 少ない時間で準備された宴だが、想像以上に本格的だ。

 元々こういった宴を定期的に催す習慣が村にあったのかもしれない。


 その宴の一席で僕は、多くの人に囲まれて愛想笑いを浮かべていた。

 村の一人が、目を輝かせて話かけてくる。


「――カ、カナミ様、どのように竜を倒したのか教えてください!」


 それに合わせて、他の人たちも口々に僕の武勇伝を聞こうとする。むずかゆいことこの上なかった。下手をすれば、舞踏会のときよりも胃が痛い。


 遠くで吟遊詩人のように竜討伐を誇張して演説しているスノウが憎くてたまらない。あれを真に受けた人が、流れるようにこっちへやってくるのだ。手の込んだ嫌がらせだ。


「いえ、僕は皆が弱らせたところを、剣でトドメを刺しただけですので……」


 僕は全くの脚色なく、正直に答えていく。


「ご謙遜を、カナミ様。一対一で空を舞う竜の首を斬ったと聞きましたよ」


 しかし、スノウの息のかかった人たちは、それを信じてくれない。本気で厄介だ。

 僕は愛想笑いを浮かべながら、仕方がなく何度も説明を繰り返す。


 ただ、四人全員の勝利であることを主張すればするほど、謙虚で誠実な『英雄』として見られてしまうだけだった。そういう風にスノウが誘導しているのは明らかだ。いっそのこと、いまからでも傍若無人なキャラクターを装って、全てを台無しにしたい衝動にかられる。


 しかし、できない。

 それをしては目の前の女性の期待を裏切ってしまう。周囲には子供だっている。子供たちは僕を『英雄』だと思い、目を輝かせているのだ。

 その目を曇らせることは、僕の良心が許さなかった。


 僕は《ディメンション》で自分の表情を客観的に見る。

 疲れた顔をしていた。


 舞踏会のときと同じ顔。そして、あの日のグレンさんと同じ疲れた顔をしている。

 もしかしたら、グレンさんも似たようなことを考えているのかもしれない。


 そんな疲れを悟られぬように僕は話を続ける。

 そうしている最中、少し遠くにローウェンを見つける。僕と同じように、村の人たちに囲まれている。


 ただ、僕と比べると随分と顔色はいい。

 人々に『竜殺し』と思われてはおらず――なにより、ローウェンは努力で強くなった人だ。確かな自負があれば、過度な賞賛も受け入れられるのかもしれない。


 なので、申し訳ないと思いながらも、僕はローウェンの話を持ち出す。


「――あそこにいるローウェンは僕の剣の師匠なんですよ。僕がモンスターと戦えるのは彼の教えがあってこそ。剣の話ならば、彼に聞いた方が面白いですよ?」


 僕は今日一番の笑顔でローウェンの存在を推す。

 周囲の人々の興味がローウェンに向けられる。


 その隙をついて、僕は嘘をつく。


「あ、すみません。僕は少しの間、失礼しますね。村長さんのほうに挨拶しないといけないので」


 周囲の人が不自然さに気づく前に、急いで村人の包囲網から抜け出す。


 しかし、どこを歩けど人々の目は絶えず、僕に向けられている。このままでは、また囲まれてしまうのは火を見るよりも明らかだ。


「――魔法《ディメンション・決戦演算グラディエイト》」


 よって、僕は全力の魔法で、この場の全ての視線を切りにいく。


 人々の目の動きを捉え、常に逆へ歩き続ける。そして、周囲の全ての視線の裏をかいた瞬間、僕は音もなく跳躍した。


 誰にも気づかれず、僕は館の屋根上への移動に成功する。

 下の人からすれば、いつの間にか僕が消えたようにしか見えないだろう。しかし、僕も少しくらいは休憩が欲しい。


 そして、《ディメンション》を切ろうとして――同じように屋根上にいるリーパーを見つけた。

 僕はリーパーのことが気になって、屋根上を飛び移って近づく。


「……どうした、リーパー? まだ痛むのか?」


 リーパーは、ぼうっと星空を見つめていた。

 余りにも大人しかったので、具合が悪いのかと心配する。


「……ううん、違うよ。ちょっと考え込んでただけ」


 唐突に現れた僕に対し、リーパーは動じることなく答えた。彼女も《ディメンション》で僕を捉えていたのかもしれない。


「せっかくのお祭りだ。下で遊んでくればいいのに」


 いつものリーパーならば、うるさいくらい騒いでいるだろう。静かに空を見つめる彼女はらしくないと思った。


「大丈夫、見てるだけで楽しいよ。それで、なに、お兄ちゃん?」


 リーパーは微笑む。

 その様子から、本当に見ているだけで楽しいと思っているとわかる。


 しかし、困った。

 なんとなく心配になって話しかけただけで用はない。リーパーの体調が心配だっただけだ。


 僕は話題を探し、ぐるりと頭の中をひっくり返す。

 そして、出てきた言葉は――


「リーパーは『英雄』ってどう思う?」


 あやふやで遠まわしだが……しかし、現状の核心をついた問いだと思う。


「……え、『英雄』? いきなりだね。うーん、そうだな。アタシはそんなにいいものとは思ってないかなー」


 リーパーの答えを聞き、僕は顔を明るくする。


「そうだよな。『英雄』なんて、決していいものじゃない。よかった、リーパーがそう言ってくれて。ちょっとスノウとローウェンについていけなくて不安だったんだ……」


 スノウとローウェンは『英雄』を盲信している。正しく、良いものであると主張し続けている。

 その『英雄』を必死に得ようとする二人に、僕は全く共感できていなかったのだ。


「そうだね。スノウお姉ちゃんとローウェンはちょっと変だね」

「だろう?」


 僕は共感できる相手を見つけ、心が休まるのを感じる。

 名声を追いかけ続ける二人に付き合っていると疲れる。しかし、リーパーはそういったものに盲信していない。


 価値観が僕と似通っている。

 そう思い、さらに話を続けようとして――リーパーの冷静な一声に遮られる。


「でもアタシから見ると、お兄ちゃんも同じだよ?」

「同じ……?」


 リーパーは僕をスノウとローウェン側であると言った。

 理解し合えると思っていた僕の熱が冷める。


 僕は疑問の声をそのままに、理由をリーパーに促す。

 リーパーは少しだけ思案して、ゆっくりと言葉を紡いでいく。


「……ローウェンは『アレイス家に与えられた使命』に囚われてて、スノウお姉ちゃんは『ウォーカー家に与えられた使命』に囚われてる。そして、お兄ちゃんも『誰かに与えられた使命』に囚われてる。ただ、お兄ちゃんは『英雄』が必須じゃない。それだけの差かな。……やっていることはみんな同じだと思う」


 僕はリーパーの言葉を、すぐに理解できなかった。

 言葉の意味を反芻することで、それが本質を見抜いた思慮深い言葉であることを理解する。


 そして、その慧眼に僕は驚く。

 最近、リーパーは一歩下がって一人で考え込んでいることが多かった。しかし、後ろで僕たちを見ながら、そんなことを考えていたとは思いもしなかった。


 リーパーは誰よりも正確に状況を理解しているのかもしれない。


「『与えられた使命』……?」


 リーパーは繰り返し『与えられた使命』という言葉を使った。その深い意味を知りたくて、僕は言葉を繰り返す。

 しかし、リーパーは僕の意を汲んでくれなかった・・・・・・・・・


アタシは・・・・『誰かに与えられた使命』に抗うからね、お兄ちゃん」


 リーパーは誰も見ていなかった。

 ただ、空を見つめて、自分のことを話す。


 どこか苦しそうに、自分のことだけを話し続ける。


「絶対に『自分の願いは間違えない』から――」


 そこに余裕はなかった。

 その様子から、リーパーは自身のことだけで一杯一杯であることがわかる。先の核心をついた言葉は、自分自身の答えを探し続けた副産物でしかないようだ。


 リーパーは自身の問題と向き合っていた。どこかの誰かと違って……。


「リーパー……」


 僕はリーパーに頼ろうとしていた自分を情けなく感じた。

 リーパーは一人で悩みと戦っていたというのに、僕は自身の悩みの答えを彼女に求めていた。


 リーパーは『魔法』である自分に苦しんでいる。

 自分の生きる意味を自分で決めて、それを守り続けようとしている。

 

 僕は考え直し、リーパーの助けになろうと一歩近づく。


「リーパー、その『殺人衝動』が苦しいなら――」

「いいよ、お兄ちゃん。これはアタシがなんとかするから」


 言い終わる前に、リーパーは断わる。


 その表情は、複雑に織り交ざった感情を孕んでいた。

 助けは欲しいけど、それを欲するわけにはいかない。答えは欲しいけど、その答えを聞いてはいけない。そんな多くの相反するものを含んだ表情だ。


 リーパーから見れば、僕は『自分の願いを間違えている』ように見えているのだろう。僕自身も、それを薄々と認めてしまっている。

 つまり、他人よりもまず自分のことをなんとかしろということだろう。それに、『間違えている僕』を信用できないというのもあるかもしれない。


「……わかった」


 僕は歯噛みしながら頷く。


 そして、視線を少しだけずらして、『腕輪』に目を向ける。

 ずっと逃げ続けてきた問題だ。


 僕が間違えている原因は、これであると確信していながら考えないようにしてきた。限界まで後回しにしてきた。


 目の前の幼い少女は自分自身の問題と向き合っているというのに、僕は向き合おうとしていなかった。


 そして、僕はリーパーの言葉を思い出す。

 『運命を弄ぶな』『嘘を許すな』『自分の願いを間違えるな』。


 それはまるで自分の言葉のように、僕の心の中に染み込んでいく。

 いまの僕自身のどの言葉よりも、僕らしい言葉だと思った。


 それは、ある推測を裏付ける。


 頭の隅で考え続けていた推測が現実味を帯び始め、その原因と根本を考えないといけなくなる。いつの間にか、僕はリーパーの隣に座って熟考していた。


 視線は、自然と下の宴へ向けられる。

 並列思考の隙間で、視界の端でローウェンを捉える。その状況を見て、僕は言葉を零す。


「あそこ……、ここに着いたとき、ローウェンが剣を教えてた子供たち……」


 ローウェンは多くの人に囲まれていた。

 そのさらに遠巻きに、子供たちが困った様子でいた。


「うん、いるね」


 リーパーは上の空な様子で答えた。

 彼女も僕と同様に、何かを考え込んでいるようだ。

 僕は言葉を零し続けた。


「ローウェンが色んな人に囲まれて、辿りつけなくなってる……」

「そうだね」


 大人たちに囲まれているため、子供たちはローウェンと話したくても話せない状況になっている。


「ローウェンからは子供たちが見えないのかな……」

「立ち位置が悪いのかもね」


 その光景が全ての答えのような気がした。


 そして、気づく。

 いや、気づいたんじゃない。リーパーが僕に教えてくれた。いや、それすらも違うのかもしれない。推測が正しいのならば、教えてくれたのは僕自身だ。


 隣のリーパーの表情を盗み見る。

 苦しそうだ。


 しかし、それは僕の表情でもある。

 リーパーは僕の本当の感情を、僕に伝えてくれている。


 だから、僕はリーパーをならう。


「リーパー……。僕も『自分の願いは間違えない』ようにするよ……」


 それを聞いたリーパーはゆっくりと頷いた。

 少しだけ嬉しそうに見えた。


 僕は僕の問題を直視する。

 もう後回しにはできない。してはいけなかった。そして、その問題の解決法も、取るべき行動も、自分の答えも、すでにわかっていた。おそらく、最初からわかっていた。


 あの日の朝、『エピックシーカー』本拠で目を覚ましたときから、ずっと身体中の全細胞が叫んでいた。

 けれど、僕はそれを無視していた。気づかない振りをしていた。


 ――そこは居心地が良かったから。とても幸せだったから。


 『マリアという名の妹』がそこにいるという状況が、僕を繋ぎ止めていた。

 その非の打ち所のない時間が、疑うことを放棄させていた。


 ――それが一番楽・・・だったから。その先に『栄光』まで約束されていたから。


 しかし、それはまやかしだ。

 スノウを見て、ローウェンを見て、それが大事なものではないと気づいた。

 そして、リーパーを見て、本当に大事なものにも気づいた。


 全てが僕の自由を奪う鎖だった。そういう状況ならば、僕は妥協すると、そう見透かされて用意された鎖。


 そして、それを用意したのはパリンクロン・レガシィだろう……。

 確信はないが、きっとあいつこそが僕の敵。


 ――壊れるのが怖かった。


 おそらく、妹の名前が違うどころじゃないのだろう。

 レイルさんの話によると、僕の過去の記憶は『不幸』らしい。マリアが身体の一部を失ったことに匹敵するほどの不幸が僕にあるらしい。


 いや、らしいじゃない。

 聞いたときから、その『不幸』の正体はわかっていたんだ。


 ――それを認めると終わってしまう。


 ただ、それを信じたくなかっただけ。

 僕の優先順位は自分の命よりも『妹』の方が上だ。それを含めて考えてみれば、『不幸』の答えは一つしかない。

 たった一つ。


 ――僕の妹は、異世界ここにいない。


 それが答え。それ以外にない。

 マリアという名の女の子は僕の妹じゃない。


 僕は目を背けていた答えと向き合い、酷い吐き気に襲われる。

 胃が裏返り、心臓が喉から這い出そうになる。


 もし、それが真実ならば、僕はこんなことをしている場合じゃない。

 いますぐにでも妹を助けに行かないといけない。

 叶っていたと思っていた願いが、本当は叶っていないのならば、僕は命に代えても叶えないといけない。

 命を使ってでも・・・・・・・、妹を幸せにしないといけない。

 

 幸い、記憶が欠如しているため、焦燥と危機感は薄い。冷静に手段を選ぶ余裕はある。

 ただ、真実を取り戻さないといけないという決意は確かなものとなった。


 僕は『腕輪』を壊し、真偽を確かめないといけない。絶対に。


 上と下が入れ代わるような眩暈と共に、激しい悪寒がする。

 命よりも大切なものが手の届かないところにあるということが苦しい。


 ――ただただ苦しい。


 けれど、その苦しみから逃げるわけにはいかない。

 隣に座るリーパーだって同じなのだ。彼女も命よりも大切なものを勝手に決められ、自分が決めた大切なものに手を伸ばそうとして苦しんでいる。


 僕よりも幼いリーパーが逃げていないのに、僕が逃げるわけにはいかない。


 隣のリーパーが僕の異変に気づいて、目を向けてくる。

 けど、僕は痩せ我慢をして笑う。リーパーと同じように笑ってみせた。


 これでやっと対等。申し訳ないが、もうリーパーのことを考えている余裕はない。他の事にかまけている余裕はない。

 僕は僕の問題を解決する方法だけを、必死で考える。


 それはリーパーも同じだろう。

 だから、彼女は先ほど、僕の意を汲めなかった。汲めるほどの余裕があるはずもなかった。


 僕は自分の浅はかさを悔いながら、熱で脳が溶けるほど必死に思考する。

 リーパーのためにも、早く解決しないといけない。そうすれば、僕はリーパーを助けてあげることができる。そして、スノウも、ローウェンも、本当の意味で助けてあげられるかもしれない。

 

 僕はリーパーと一緒に、宴と夜空を眺め続ける。


 主賓が消えたことで下の宴が慌しくなっていたが、全てを放置して僕は屋根上で考え続けた。 

 自分が本当にやらないといけないことを、リーパーと共に考え続けた。


 ――宴の終わりに、スノウとローウェンが文句を言ってきたが、僕の頭には入ってこなかった。



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