356.異世界の居場所


 ――凍える。


 どこまでも冬は深まっていく。今日もどこか遠くから、重なったベルの音がたくさん聞こえてくる。その音と共に、冷気が耳を通り抜けて、頭蓋の中にまで入り込み、薄い氷の膜が脳に張り付いていく。


 ――思考が軋む。


 ただ、どれだけ僕の頭が凍りつこうとも、視える世界は膨らむ一方だ。陽滝のレベリングにより、日に日に僕の《ディメンション》は研ぎ澄まされていっているからだ。


 視覚を塗り潰すかのように、その魔法の知覚は肥大化していく。それは何度も揺れては、ぶれて。絵画に落ちた水滴のように滲んでは、拡がり続ける。無限に、どこまでも。


 重なって視える世界たちは、本当に多種多様だった。


 『本土』のフーズヤーズ城の最上階で、自分と瓜二つの少女を殺した光景。

 『千年前』のフーズヤーズ城の庭で、使徒たちと談笑している光景。

 『千年後』のフーズヤーズ国の穏やかな街並みで、妹と手を繋いで歩いている光景。

 『開拓地』の連合国が氷河期に呑まれる中、そこで仲間のディアと戦っている光景。


 ちなみに、いま最も近くて視えている世界は、迷宮の八十五層でモンスター相手に戦っている光景だった。


 正直、頭の中をカキ氷機にかけられているかのような感覚だ。

 『過去』と『現在』と『未来』が入り乱れ、いま僕はどの時間のどの場所に居て、何をしているのか――全くわからなくて、気持ちが悪い。


 これが次元魔法使いの届く最後の領域だとしたら、まだ僕には早いと思った。

 しかし、知覚の拡大は決して止まらない。


 すぐに僕は本当の自分の時と居場所を確認しようと、頭を必死に回そうとする――が、芯まで凍りついた脳みそでは、上手くいくはずもない。


 失敗だ。

 しかし、それを僕は「ああ、また邪魔されてるな」と慣れた感覚で受け入れていく。

 そして、いま最も身近な迷宮の中を駆け抜ける自分を、いまの自分の時間と場所として認める。


 時間は、少し前にディアを見送った数日後。

 場所は、迷宮の八十五層。


 その幻の世界では、当然のように陽滝が隣にいた。

 僕たち兄妹は、以前に辿りついた八十層から攻略を進めて、八十一層八十二層へと潜り続け、レベルも一つずつ増えていくという順調な――とても順調な探索をしていた。


 迷宮八十五層の回廊は、八十一層の遺跡跡を巨大化スケールアップさせたかのような様相で、無数の朽ちた建築物によって石のジャングルと化していた。


 その回廊には、複数の赤く巨大な蛇が蠢き回っている。

 蛇の体長は軽く百メートルを超えていた。鱗は実体がなく、揺らめき、熱を持ち、周囲の石を溶かしている。巨大炎蛇と呼ぶしかないモンスターだった。


 ――ただ、そいつは敵ではない。


 一見すると、人間の敵にしか見えない姿かたちだが、間違いなく味方だった。

 巨大炎蛇たちの体内でモンスターが燃え続けているのが、その証明だ。


 遺跡にはゴーレム種・ガーゴイル種・エレメンタル種といった――多様なモンスターたちが徘徊していた、その全てが巨大炎蛇に食われ、耐久力を無視されて胃袋の中で消化中だった。


 そして、役目を終えた巨大炎蛇たちは、ゆっくりと遺跡を壊しながら這い動き、飼い主の下に戻っていく。

 いまや世界で最強の火炎魔法使いとなったマリアが、巨大炎蛇たちに話しかける。


「ご苦労様です。――《ミドガルズブレイズ》」


 魔法名と共に、労った。

 しかし、まだ巨大炎蛇たちは消えず、主人を守る騎士のようにマリアの周囲で待機する。八十五層のモンスターを食いつくしても、未だ魔法の火力は衰える様子がなかった。


 その魔法の完成度に僕は息を呑む。


「すごい……。これが、いまのマリアの本気……」


 すると、警戒中のマリアの顔が少し緩み、頬に赤みを帯びた。そして、どこか自慢げに、周囲の炎蛇たちに手を伸ばし、その喉をくすぐって回る。


 飼い主に触れられ、巨大炎蛇たちは生きているかのように身じろぎする。

 僕が何よりも感心しているのは、その動きだ。


 マリアの進化に進化を重ねた火炎魔法《ミドガルズブレイズ》は、自立した意識を持っているように見える。八十五層の探索の際に放たれた巨大炎蛇たちは、術者であるマリアの下を離れて、全自動で周囲の回廊を探索してはモンスターたちを食べていったのだ。


 本当に自立行動しているかどうか、僕は気になって仕方ない。ただ、術者であるマリアに聞いたところ、「蛇なので、それに沿った動きをするのは当然では?」と返されてしまった。とても感覚的だ。


 正直、マリアは無意識に巨大炎蛇たちに蛇の振り・・をさせているだけの可能性は高い。


 しかし、もしかしたら……。

 本当にマリアは魔法生命を生むまで至っているかもしれない。

 かつての始祖カナミぼくのように。


 僕はマリアに頭を撫でられて喜んでいる(ように視える)巨大炎蛇を見つめながら、迷宮を歩いていく。

 その隣では、妹の陽滝がマリアと仲良く話をしていた。


「……しかし、丁度マリアが探索に参加してくれて、幸運でしたね。私たち兄妹は、物量作戦への対応策が少ないですから。正直、八十五層のモンスターの数は捌き切れません」

「ヒタキさんもカナミさんと似て、一対一に特化してますからね。フーズヤーズでの用事が私にあってよかったです」

「ええ、本当に奇跡的な幸運だったと思います。流石は、ヴァレンシズ大陸の『聖焔の掲げ手』様。魔法だけでなく、奇跡もお手の物ですね」

「うっ、ヒタキさん……。それ、やめてください……。すごく恥ずかしいので」

「ふっふっふ。やめません。もし逆の立場で、マリアはやめますか? 例えば、兄さんをからかう機会があったとしてです」


 ただ、その仲の良さは僕にとって本当に脅威である。

 陽滝から出された例をマリアは聞き、深く頷き、口元を緩めて同意し始める。


「ああ、それは……はい。やめない自信がありますね」

「そういうことです。ですので、今回は諦めて、私にからかわれるのを受け入れましょうか。『聖焔の掲げ手』様」

「うー、あー、もー……。はあ、仕方ありません。今回は受け入れましょう。これから先、カナミさんをからかう為にも、今回だけは」

「賢い判断です。称号や二つ名といったのは、たぶん兄さんが一番多くなりますからね。将来の楽しみの為にも、ここは我慢ですよ。マリア」


 いつも二人は仲良く談笑し――なぜか、その会話の着地点は僕が多い。


 そして、今回は将来二人で僕の二つ名を弄るという約束に至っていた。

 その理不尽な流れを前にした僕は呻く。


「えぇえ……」


 二人とも、やると言ったからにはやる子だ。

 例の『アイカワカナミ・キリスト・ユーラシア・ヴァルトフーズヤーズ・フォン・ウォーカー』というふざけた名前に新たな二つ名が足されたとき、二人が活き活きとし始めるのが目に浮かぶ。


「「ふふふ」」


 陽滝とマリアは見つめあい、笑い声を重ねた。


 向かい合わせに話す二人は、見れば見るほど似ている。

 声質が似ているせいか、一瞬だけ一人だけの笑い声のような気さえした。そのお揃いの黒髪は、まるで姉妹のようだ。


 マリアを引き取った経緯を考えれば当然だが、本当に二人は息がぴったりだった。

 この迷宮探索の間、僕を放置して延々と二人だけで話し続けている。


「――へえっ。それで、すぐに兄さんは迷宮へ? しかも、マリアをおんぶして?」

「はい。おんぶですよ、おんぶ。信じられません」


 今日はマリアが僕と出会ったときのことを話しているようだ。

 初めて二人パーティーで迷宮に挑戦したとき、低レベルのマリアの安全を考えた策『マリアを背負って迷宮を全力疾走』が、妹にばれてしまった。


 僕はテストの採点を受けるような気持ちで陽滝の顔を見る。

 そこには「それはないです」と主張する妹の呆れ顔があった。嫌味を言われる前に、すぐに僕は目を逸らして、過去を懐かしむマリアを見る。


「あの頃、私は連合国に一人で……。何もわからなくて、心細くて……。なのに、カナミさんは私を迷宮に一人放置したりしました。あれは本当に怖かったです」


 さらに陽滝の顔が渋くなりそうな発言が出たので、僕は自己弁護していく。


「な、なあ、マリア。いまならわかるだろ……? あれは《ディメンション》あっての自信だったんだって」

「はい。でも、もう少し説明のしようはありましたよね? あのとき、カナミさんはろくな説明もなく、戦えない私を『魔石線ライン』に置き去りにしました」

「……あのときは、すみませんでした」


 僕は瞬時に謝るという選択肢を選んだ。

 それをマリアは苦笑し、少しだけ目を遠くに向ける。


「懐かしいですね……。本当に……」

「……そうだね。あの頃は、いまと違って迷宮探索はギリギリで。いまみたいな談笑の余裕なんてなかった」


 かつて《ミドガルズブレイズ》数発で倒れていたマリアだが、いまや無意識に巨大炎蛇たちを従えて、汗一つ掻いていない。


 僕とマリアが共通の過去を想っていると、少し拗ねた様子の陽滝が話題をずらしてくる。


「ええ。聞く限り、本当に兄さんのメンタルはギリギリだったようですね……。まさか、新しい生活になって一週間も経たぬ内に、自分用の奴隷の女の子を買うとは……。兄さん、いまマリアから話を聞いて、妹としてドン引きでしたよ?」

「じ、自分用の女の子って……! いや、やましい気持ちでマリアを買い取ったわけじゃないから! 本当の本当に!」

「本当でしょうか? 例えば……私がいないことを幸いに、色々と手を出したり出さなかったり?」

「してない! なあ、マリア!!」


 陽滝は話をずらす方向に容赦がなかった。

 すぐに僕は自らの尊厳を守る為、マリア本人に助けを求める。だが、そこには陽滝以上に深い溜め息をつくマリアがいた。


「そういう人なら、色々と楽だったんですけどね……。そうでないから、こんなに苦労してきたわけで……」

「ふふっ、ですよね。知ってました。その気持ち、わかりますよ。マリア」


 僕をからかうだけからかった陽滝は、すぐにマリアに同調していく。


「ありがとうございます、ヒタキさん。お礼に、あのときのカナミさんの台詞を、できる限り思い出してヒタキさんに教えてあげますね。本当、あの頃のカナミさんは酷かったんですよ。偽名は『キリスト・ユーラシア』なんて名乗って、嘘ばっかりで……」

「ふっ――、ふふふっ。何度聞いても、その偽名は面白いですね。兄さんらしくて、とてもユニークです。『キリスト』で『ユーラシア』……。らし過ぎて、笑いが止まりません」


 陽滝という理解者が現れたことで、珍しくマリアは愚痴を零し続ける。

 だが、その愚痴は僕にとっては黒歴史過ぎる。陽滝に知られれば知られるほど、からかわれる材料が増えていくだけだ。僕は全力で会話を中断させにいく。


「あのときの話はやめようか!? そういうのってよくないと思う! あのときの僕って、凄い特殊な状態だったし!! マリアだって、色々と普通じゃなかったろ!!」

「んー、まあ、そうですね。確かに、私たちは普通じゃありませんでした。あのときの私は、アルティさんと一緒に居ることが多くて、教わった『詠唱』で色々と燃やしちゃったりして……」


 その理由の一つに、『火の理を盗むもの』アルティの名前があがった。

 僕からすると、最初に浮かぶ原因は二代目『闇の理を盗むもの』パリンクロンなのだが、マリアにとっては違うらしい。


 あのとき、何よりも影響を受けたのはアルティで――だからこそ、彼女を一番の『親友』として想っているのが、その表情から伝わってくる。


 それを陽滝も感じ取ったのか、はやし立てることなく真剣に名前を繰り返す。


「アルティ……。かの『火の理を盗むもの』のことですね」


 一時的に談笑が止まった。

 その少し重くなった空気に合わせて、僕も思考を真剣に回す。


 いまマリアはアルティから『詠唱』を教わったと言った。

 つまり、千年前のアルティは、『詠唱』の発案者である僕と出会っていた可能性が高い。


 この間の『過去視』では、丁度僕は『火の理を盗むもの』たちに会いに行く直前で止まっている。あのあと、僕はアルティに出会って、『詠唱』を教えるのだろうか……? もし千年前に会っていたのならば、なぜアルティは僕を『キリスト』と呼び続けたのだろうか……。


 僕はアルティという少女について気になり始める。


「なあ、マリア。いまもアルティは、そこにいるのか・・・・・・・?」


 別れ際、アルティは「ずっと見ている」と言っていた。

 その意味を詳しく知りたかった。


「……いるかどうかで聞かれると、わからないという答えになります」


 ゆっくりとマリアは首を振った。

 それに僕は少しだけ落胆の色を顔に映し、それを見た彼女は慌てて言葉を続ける。


「すみません。でも、本当にいるともいないとも言えない感じなんです……。この胸の中に、暖かいものがあって、ずっとふわふわとしてて、私を守ってくれているような……そんな感じなんです」

「……そっか。なら、いいんだ」


 とても抽象的な話だったが、するりと喉奥に呑みこめた。


 いないけど、いる。ずっと守ってくれている。魂と一緒に。

 それに近いものを、僕も感じているからだろう。


「ふふふ、アルティですか。正直、私にとっても少し懐かしい名前ですね」


 僕とマリアが胸中に想いを馳せていると、意外なことに陽滝から話が続く。


「彼女は本当に不幸な人生を歩んだ子でした……。少しだけですが、私も話したことがあります」

「……っ!! ヒタキさん、アルティさんを知ってるんですか!?」

「私が話したのは、本当に少しだけですけどね。千年前、『火の理を盗むもの』説得を担当していたのは、私でなく兄さんでしたから」


 陽滝は意味深に僕に目を向けた。釣られて、マリアの目も僕に向けられる。

 しかし、そのマリアの要望に僕は応えられない。


「……ごめん。まだそこまでは思い出せてない」

「ふーむ……。では、兄さん。次に機会があれば、アルティに対して『過去視』するのがいいかもしれませんね。幸い、マリアがいれば、縁の品は十分過ぎるようです」


 確かにアルティの魔石を保持しているマリアさえいえば、過去を辿るのに苦労はないだろう。僕は陽滝の案に同意し、マリアに約束する。


「……そうするよ。マリア、それまでアルティの話は待ってくれ」


 それを聞いたマリアは笑顔で「ありがとうございます、カナミさん」と答えたあと、陽滝と向き合う。


「あの、陽滝さん……。その少しだけで構いません。いま、アルティさんについて、教えてくれませんか? 『親友』のことを少しでも多く、少しでも早く、知りたいんです」

「ええ、もちろん。私の知る少しだけでよければ。……それでは、まず初めてフーズヤーズ城で出会った時のことを話しましょうか――」


 迷宮の中だというのに、また二人は語り合いに集中し始める。


 それを僕は、すぐ近くで見守る。

 聞き耳をたてながら、彼女の顔を思い出す。


「アルティ、か……」


 最期、アルティは炎の身体を保てなくなって消えた。

 あのとき、彼女は『未練』を果たし、その力を失ったのだろう。

 ディプラクラさんの言葉を借りるならば、その魂の器の亀裂を修復し、『魔の毒に適応できる器』としての役割を終えた――というところだろうか。


 確か、アルティの最後の台詞は「私、がんばったよ」だった。


 彼女は何を目指し、頑張ったのか……。


 アルティは自分の『未練』を、『悲恋を叶えること』と申告していた。しかし、それは正確でなかったと、僕は感じている。かといって、はっきりと『未練』の詳細を予測できているわけではない。彼女の『未練』の確かなところを知るには、千年前を視るしかないだろう。


 それには陽滝の言うとおり、マリアを利用した『過去視』が最善だ。

 連合国の書物で考証するのは少し信用ならない。この世界に残っている歴史や文書は偽りだらけだと、当時の王の一人である『風の理を盗むもの』ティティーも言っていた。


 ――と、アルティについて思いを馳せている内に、僕たちの迷宮探索は一区切りを終える。


 僕は新しい階段の前で、一息つきながらパーティーたちに確認を取る。


「――よし、これで予定通り八十五層はクリアだ。マッピングも綺麗にできたし、そろそろ戻ろうか」


 特別に先を急いでいるわけでもないので、僕はMPに余力がある状態で撤退を提案する。それに誰も反対することなく、階段近くにて陽滝は魔法を構築していく。


「そうですね。では、《コネクション》は私が用意します。行き先はラウラヴィア、『エピックシーカー』の本拠で構いませんか? 確か、今日マリアはあそこに用事があると言っていましたよね?」


 繋ぐのはフーズヤーズでもヴァルトでもなく、連合国南西に位置するラウラヴィア。

 陽滝は気を遣い、マリアの移動時間を短縮しようとしていた。ただ、マリアの顔は芳しくない。


「はい。『エピックシーカー』まで連れて行ってもらえるのは、とても助かります。けど……」


 その理由がわからず、僕は問う。


「マリア、何か問題でもあるの?」

「いえ、今日はギルドにセリちゃんとアニエスさんがいましたので……、その……」

「あ、ああ。あの二人か……」


 少し思い出すのに時間がかかった。

 ただでさえ濃い『エピックシーカー』の面々の中、特に騒がしい女の子二人だ。

 かつてギルドに入ったときの初試合で戦った戦士のセリちゃんに、『舞闘大会』の二回戦で戦った元学院生のアニエスちゃん。どちらも、僕に負けてから、異様に僕を慕ってくれている。


「なるほど。兄さんの被害者さんたちですね」

「被害者……。はい、陽滝さん。そのとおりです」

「はあ。また兄さんは私の居ないところで女性を口説いて……」

「とても困ったものです」


 なぜか、僕が女の子二人を口説いたことになっていた。事情を知っているはずのマリアは否定せず、やれやれと陽滝の溜め息に同調している。

 

「くっ……。…………」


 とても心外だったが、僕は何も口答えしない。仮に言い合いになっても、この二人に勝てる気が全くしないからだ。

 そして、僕の反論がないのをいいことに、とても好き勝手に二人は話を続ける。


「前々から思っていましたが、『エピックシーカー』は兄さんのファンクラブ的な側面もありますよね」

「あります。というか、最近はファンクラブさえも超えて、宗教的な何かに発展しかけてます」

「うわぁ……。兄さんの宗教ですか。千年前を考えると、あながち間違っていないのが恐ろしいところです。……元の世界の宗教の数々を思い出しますね。兄さんが偽名なんか使って名前を複数作るから、本当にそれっぽいです」

「へえ。お二人の世界でも、宗教は盛んだったんですね。ちょっと面白そうです」

「こことほとんど変わりのない世界ですからね。科学や魔法など言っても、結局やっていることは全て同じです。ええ、全く同じなんです。面白いことに」


 談笑の内に陽滝の《コネクション》は完成する。

 そこで静かに見守っていた僕はくぐる前に提案をする。余り長く話して欲しくない話題だったので、ちょっと強引に打ち切るように。


「はいっ、もう《コネクション》できてるよ。……それじゃあ、僕たちはマリアを送ったあと、誰かに見つかる前に急いで宿に帰ろっか」

「そうしましょう。『舞闘大会』優勝者の兄さんは、ラウラヴィアだと目立ち過ぎますから――」


 僕たち三人は肯き合い――そして、とても軽い気持ちで《コネクション》をくぐっていく。


 その魔法の扉の先に広がっていたのは、ここ一年で増築を重ねて拡大した『エピックシーカー』本拠の客室の一つ。

 しっかりとした造りの実用的なテーブルとチェアが一つずつ置かれ、壁には家具と調度品が並んでいる。基本的に『エピックシーカー』は見栄えにお金をかけない。

 その質素な部屋の角にある《コネクション》から、僕たちは出て――


(――っ!? いまの、カナミの声!?)


 その瞬間、客室に並ぶ調度品から女性の声が響いた。

 一番後ろにいたマリアが声の主の名前を口にする。


「これはスノウさん? ……の振動魔法ですかね? スノウさんも戻ってきていたんですね。もう『開拓任務』は終わったのでしょうか」


 何気なくマリアは言うが、僕は口が開いたままだ。

 なにせ、話しながら《コネクション》をくぐって、まだ一秒程度だ。

 たったそれだけでスノウは遠くの別の部屋に居ながら、僕の来訪に気づいたのだ。


「いや、スノウの反応早過ぎない……? 流石におかしいような……」

「最近、スノウさんは常に振動魔法で周囲を警戒していますからね。立場が偉くなってから、色々と困ったお客さんが多いようで」

「ああ、そうなんだ……。いや、それでも早すぎというか……。色んな声を聞いてる中、なんで僕の声だけ正確に拾えるんだ? もしかして、特殊な術式を足してる?」

「そこはスノウさんですから。術式とかじゃなくて、気合でどうにかしたのでは?」

「……そ、そう。――魔法《ディメンション》」


 僕は深く考えないようにしてから、得意の次元魔法を広げた。


 いまの声は、魔力をこめた魔石を媒介として遠距離通話するスノウの魔法だった。この建物内のどこかに彼女はいるとあたりをつけて、僕は魔法の発信元を探す。


 そして、すぐにスノウの姿を見つける。

 『エピックシーカー』本拠頂上にある執務室にいた。

 そこには見知った顔が他にも並んでいた。


「げっ、ウォーカー家当主さんも同じ場所にいる……」


 ウォーカー家当主。つまり、四大貴族の代表で、連合国で五本指に入るお偉いさんで、スノウのお義母さんだ。


 その当主さんとスノウが向かい合って、話をしていた。

 人と場所から、大事な会合をしていたと推測できる。しかし、スノウは興奮し、目を輝かせて、席から立ち上がり、子供のように騒ぎ出していた。


(お義母様! いまマリアちゃんが帰ってきました! それと、カナミも!!)

(スノウさん、落ち着きましょう。とても真面目な話を、いまはして――)

(しかし、カナミですよ!? カナミです、カナミ!!)

(……はあ。ああ、もういいです。しかし、マリアさんはいいとして、あの子も来たのですか? このエピックシーカーに?)


 当主さんはスノウが収まらないと諦め、呆れながら僕のことを聞いていた。


(はい、来てます! ここのギルドマスターであり、連合国の英雄のカナミが!)

(はあ……。スノウさん、私と彼の関係は、正直なところ――)

(ちょっと連れて来ます!!)


 スノウは当主さんの話を最後まで聞くことはなかった。

 その一部始終を次元魔法で見ていた僕たち兄妹は、顔を見合わせる。


「あー、これは……。いま去ったら、ウォーカー家当主を避けたと思われちゃいますね……。最低でも、挨拶くらいはしておかないと……」

「そうだよね。でも、あの人苦手なんだよなあ……」


 なにせ、最後に当主さんと会ったのは、義娘であるスノウを強引に攫っていたときだ。

 あのとき、僕は珍しく喧嘩腰で、当主さん相手に真っ向から宣戦布告したのを覚えている。


(聞こえてますよ、嫌味な子。いいから、こちらに早くいらっしゃい)


 調度品から当主さんの声が響いた。

 どうやら、スノウの通信用魔法は維持されたままのようだった。


「……はい。いま行きます」


 僕は調度品に向かって答えて、当主さんを待たせないように急いで移動を始める。

 客室を出て、執務室に向かって真っ直ぐ歩き、その途中でスノウと合流する。


「カナミ!!」


 廊下を走っていたスノウは、勢いを止めることなく僕に向かってきて、抱きついてくる。


 その常人ならば骨が砕けるだろうタックルを、僕は両手を広げて受け止め、力を上手く後方に受け流そうとする。ただ、そのまま後ろに放り投げるのは酷いと思ったので、しっかりと彼女の両脇に腕を入れたまま、その場で数回ほど回転することで、その突進の力をいなした。


 回転によってタックルの勢いは失われていき、スノウは浮いていた足を床につける。

 いまにも唇が触れそうな距離で、彼女は話す。


「カナミ、会いに来てくれて嬉しい……」


 ふわりとスノウの前髪が、風で揺れた。

 同時に、僕の顔を収めた彼女の瞳も二つ、潤みながら震える。


 どれだけスノウが僕を待ち望んでいたのか、その頬の熱から伝わってきた。思っていた以上の熱を前に、僕の心も揺れる。きっと現実の彼女も、こうして僕を待ち望んでいるのだろう。


「うん……。僕も久しぶりに会えて、嬉しいよ」

「ああ、嬉しい……。すっごく嬉しいよ……」


 外の雪景色の美しさを軽く凌駕する顔立ちのスノウが、僕の胸に顔を埋めた。

 そのとき、はっと気づき、後ろを《ディメンション》で把握する。


「はあ」

「これですね」


 ヒタキとマリアが並んで、じと目で僕を見ていた。


 僕は自分の悪癖を、自分で責める。

 本当はすぐ帰る予定だったくせに、彼女の言葉に合わせて、まるでスノウの為にやってきたかのような『理想』の返答をしてしまった。


 しかし、それを訂正することなど、もうできない。スノウは十分に僕の胸に顔を埋めたあと、外の雪景色全てを溶かし消すかのような満面の笑みを見せる。


「えへへ……」


 その笑みを消すことなんてできるわけがない。

 僕は発言の撤回をすることなく、スノウに移動を促していく。


「い、行こう、スノウ。当主さんが待ってるから」

「うん……!」


 後ろの二対の視線が痛いけれど、僕はスノウと並んで執務室に向かっていった。


 途中、横からスノウが抱きついてきて、僕の腕を引っ張る。

 連れて行かれるがまま、僕は執務室に入った。


 客室と方向性は同じだけれども、少しだけ豪華な部屋だ。そこには見知った顔が二人並び、入室した僕を睨みつけていた。


「来ましたね……。せっかくスノウさんが成長して帰ってきたというのに、あなたが現れると台無しですね……。本当に疎ましい……」

「くっ……! あの変態男のせいで、凛々しいスノウ様が一瞬で……!!」


 当主さんと若い女性が立っていた。その口ぶりから、クロエ・シッダルクであることを確信する。以前の軍服と違って、軽装だったので気づくのに少し遅れてしまった。


 どうやら、かつて総司令代理のスノウを補佐していた経験から、いまも行動を共にする機会が多いようだ。

 クロエさんはスノウに酷く心酔しているので、僕が現れるといつも不快な顔を見せる。当主さんの言っている通り、スノウは僕がいると気を抜いて、英雄然とした態度をやめるからだ。


「嫌味な子は置いておいて……。マリアさん、陽滝さん。よくいらっしゃいました」


 当主さんは僕を後回しにして、続いて現れた二人に挨拶をする。

 陽滝は軽く「お久しぶりです」とだけ礼を返し、マリアは僕よりも前に出て深く頭を下げる。


「はい、お義母様。ご無沙汰しておりました。スノウお義姉様も」


 そして、マリアは当主さんを母と呼んだ。


「…………」


 義母?


 驚き、僕は記憶を掘り返す。

 すると、あっさり目の前の光景を裏付ける記憶は出てきた。


 『本土』での全ての戦いが終わって、この連合国に戻ったとき――マリアは大聖都フーズヤーズを救った英雄として迎え入れられた。

 その際にマリアが天涯孤独の身であることがわかり、かつての僕と同じように貴族間での権力闘争に巻き込まれたのだ。そこで、スノウの強い要望も合って、ウォーカー家の庇護下に入ることになった。


 そんな記憶がある。


 …………。


 ……意外だ。

 これがマリアにとっての『理想』の未来なのか。

 陽滝の思考能力スキルによる『未来予測』に間違いはないとわかってはいるが、ディアのときと違って、少しだけ疑いをもってマリアを見守る。


「本当にマリアさんは可愛いですね……。少し懐かしいです。かつてのスノウさんも、このくらいの大きさでした……」


 当主さんは挨拶をするマリアに近づき、優しい笑みを浮かべて手を伸ばした。

 それをマリアは避けることなく、黒髪を撫でられるのを受け入れる。


「ふふふっ……。ただ、大きさは同じでも、マリアさんの力は、かつてのスノウさん以上……。この小さい身体で、連合国を更地に出来るほどの力……。そのマリアさんが、私の義娘……。ふふふっ、ふふふふ……」


 本人の目の前で、とても危うい発言をこぼす当主さんだった。


「忌々しい本土の『元老院』は消え……。マリアさんが加わり、スノウさんも戻り、いまやウォーカー家は四大貴族で最強……。間違いなく、最強……! ふふ、ふふふふふ――」

「そこまでです、お義母様。そういう暴走をさせないために、私はここにいるんです」


 それに対してマリアは、より危うい炎をまとって、当主さんに対抗していく。

 もし自分たちを使って良からぬことを企んでいたら、義母だろうと容赦はしないという決意がそこにはあった。


 ただ、その迸る炎を見て、一層と当主さんの笑みは深まる。蕩けたような顔で、マリアを愛で続け、褒め称える。


「その上、少し頭のアレなスノウさんと違って、マリアさんは賢い」

「いや、私の話を聞いてますか……!? あと撫で過ぎです。熱いでしょうに……!」

「この程度のことで、私が手を引くとでも? 可愛い可愛いマリアさんから? ありえませんよ」

「……なら、手を引くまで火力を強めます」


 容赦なくマリアは炎を強めていくが、当主さんは焼かれながらも手を伸ばし続けた。

 その奇妙な様子を、隣のスノウは控えめな声で応援する。


「がんばれー。我が義妹いもうと、マリアちゃーん。私よりもお義母様に好かれてー。お義母様の愛情全部、引き取ってー」


 いまの三人の関係が窺える光景だ。

 それを見て、僕は――


 確かに、悪くないバランスだ。

 と思った。


 正直なところ、半守護者ガーディアンとなったマリアは、いまは英雄扱いされていても、いつかは劇物扱いされて迫害されていくことだろう。しかし、この毒の強いウォーカー家当主ならば、マリアを有効活用しながらも、守り切ってくれる予感がある。それと、ついでだがスノウも色々と助かる様子だ。


 こんな未来も悪くはないと思いつつ、僕はマリアたちを見守りながら……一つだけ疑問が浮かんだ。

 この夢の世界が、『理想』の未来の一つだとして――


 何か足りない。

 とも思った。


 先ほどから違和感が激しい。

 とても綺麗な光景だが、ピースが足りていないのに完成しているジグソーパズルを見ている気分だ。


 ここにいていいはずの人がいない。

 その理由を考えていると、家族の交流を終えた当主さんが僕に声をかける。


「――そして、嫌味な子」

「あ、はい。お久しぶりです、ウォーカー家ご当主様」


 当主さんは右手を大火傷していたが、そんな傷はないかのように歩み寄り、優雅な動きで手を伸ばしてくる。


 それ、痛くないのだろうか……。

 僕は心配しつつ身体を強張らせると、当主さんは声色を優しいものに変える。


「嫌味な子、そう畏まる必要はありません。以前も言いましたが、私は英雄然としているあなたが嫌いではありませんよ……。ここにきて、あなたをどうこうするつもりは毛頭ありません。四大貴族アレイス家、ヘルヴィルシャイン家、シッダルク家と懇意にしているあなたに手を出せば、流石の私といえど、少し面倒ですからね」


 確執はあれど、それに囚われてはいないと大人な対応をされ、僕の緊張が少し解けていく。身体の強張りを緩めた僕を見て、当主さんは優しく手招きする。

 

「こちらへ」


 僕は言われるがままに近づくと、当主さんは火傷した手で僕の手を掴み、身体を引き寄せた。強引に振り解くと彼女の手が痛むと思い、僕は抵抗できない。


 そして、僕はマリアと同じ扱いで頭を撫でられてしまう。


「あの、何を……?」

「近い内に我が義息子となるあなたには、色々と慣れておく必要があります」

「は? いや、僕はマリアと違って、後ろ盾が欲しいとかはありませんので……。そういうことはないかと……」


 マリアと違って、次元魔法使いは逃げ隠れに特化している。拠点に困ることもなければ、煩わしい追っ手を振り切るのも容易だ。

 全ての戦いを終えて、いまの僕は自由なのだ。

 残っている目的があるとすれば、後ろにいる妹の陽滝くらいだろう。


 僕は強い否定の色を顔に出したが、それは違うと当主さんは否定する。


「そうでしょうか? あなたはそうでも、連合国の誰もが思っていますよ。あなたとスノウさんは、いつ例の結婚の約束を果たすのだろうかと……。そういう空気の流れ・・というのは強い力を持つものです。たとえあなたでも――いえ、あなたのような強き力を持つ者ほど、民の流れには敵わないものです」


 『舞闘大会』で喧伝していたスノウとの婚約を持ち出される。

 あれはまだ効力が続いているという話だが、それは少しおかしい。


 もう噂は消えて、別のものに変容しているはずだ。

 だって、僕はフーズヤーズの十一番十字路で、誰もが見ているところで『彼女』と――


 『彼女』と?

 …………。


 これみよがしに、また記憶が欠落していた。


 先ほどのピースが足りない感覚に、また襲われる。

 今度は、より強い。これが青空の風景画のジグソーパズルならば、ごっそりと太陽分のピースがなくなっている感覚だ。


 だが、その喪失を取り戻すことは、そう易々とはできない。

 仕方なく僕は、いま自分にある情報だけで否定を続ける。


「あ、ああ。あの婚約の話ですか……。しかし、あの話は偽りであると、『舞闘大会』を通じて多くの人に伝わっているはずですが……」

「あの程度では無駄です。婚約が真実であるように、色々と手を回しました。この私が、あの『舞闘大会』のあと、すぐに。それはもう全力で」

「えぇ……」


 僕の知らぬところで当主さんが暗躍していることがわかり、僕は呻く。


 以前と変わらず、本当に他人の意思を無視する人だ。

 僕は助けを求めて、すぐ近くのマリアに目を向ける。けれど、それを見た当主さんに、とても見当違いな気遣いをされてしまう。


「妾くらいは、何人でも。こちらからも、見目麗しい子をいくらでも用意しましょう。ただ、優秀な子が生まれた場合は、ウォーカー姓を名乗ってもらいますが」


 そういう問題じゃないと声を大にして、じっくりと説明したい。が、決して伝わらないとわかっていた。


 当主さんは『貴族として』だが、心からの誠意をもって僕と話をしていると、その表情と仕草からわかっているからだ。そして、その『貴族として』は絶対に僕まで届かない。


 僕は分かり合えないことを残念に思いつつ、穏便に話を続けていく。


「とにかく、ご当主様。僕にそういう予定はありません。民意と言われても、従うつもりはありません」

「……そうでしょうね。まあ、そうあなたが答えるのは、わかっていました」


 僕の否定を、当主さんは柔らかく受け止めた。

 向こうも、その観察眼で僕たちの価値観の差をよく理解しているようだ。ただ、それでも当主さんは食らいつき続ける。


「しかし、私は諦めが悪く、粘着質な性格で有名です。いつか、必ずあなたを義息子としますよ。……ねえ、スノウさん?」


 ここで当主さんはスノウに話を振った。

 スノウに目線が集まり、彼女は僕と義母を何度も見比べ、おどおどと話す。


「え? あ、はい。いやっ、でもカナミに嫌われたくないし……。強引に結婚はまだ早いというか……。いまのままでも十分な気がしますから……」

「……相変わらず、仕事以外が温い。そんなことだから、あなたはいつも失敗して後悔して、泣くことになるのですよ?」

「うっ……。は、はい、すみません……」


 しゅんとスノウは項垂れ、それを当主さんは厳しい目で見る。


 そこに初めて出会ったときのような酷い険悪さは感じない。強引な束縛でなく、暖かな家族らしいコミュニケーションが、僅かにだがあった。

 

 あの『舞闘大会』から時間が過ぎ、さらにマリアが間に入ったことで和解に成功しているようだ。それを見た僕は、ウォーカー家から一歩退いた。


 ずっと静かだった陽滝の隣まで戻り、自分の立ち位置を見直していく。


 ――僕が居るべき場所。


 それを考え始めたとき、執務室に新たな来訪者が現れる。


「マスタァアアアーーーー!!!!」


 ソプラノの声と共に扉が開かれ、迷宮で危惧していた少女二人が雪崩れこむように入ってきた。


 ギルド『エピックシーカー』最年少剣士のセリちゃんに元学院生の新人アニエスだ。

 二人は興奮した様子で僕に近づいてきて、その手を握る。


「マスター、やっと帰ってきてくれたんですね! あのときみたいに、また勝負してください! あれから私、滅茶苦茶強くなったのでマスターに見て欲しいんです!」

「カナミ様! 私のこと、覚えていらっしゃいますか!? 『舞闘大会』で試合をしたアニエスです! アニエス・クルーナーです! ギルド、入りました!!」


 そして、その少女二人の後方、部屋の外で巨漢の戦士が手を伸ばしていた。


「ああ、くそっ! おまえら、もう少しくらい我慢できねえのか!!」


 『エピックシーカー』にいる三人サブマスターの内の一人、ヴォルザークさんだ。

 彼の後ろには、まだギルドメンバーたちが控えていた。懐かしい面々が集まってきている中、僕の傍にいる二人は騒ぎ続ける。


「あ、握手をお願いします……!」

「えっ、握手……?」


 少し戸惑ったが、差し出された手を握り返す。

 先ほどの当主さんの手と比べれば、何倍も握りやすかった。


「……っ!! や、やややっ、やった……! あっ、できればこれにサインを頂ければ……!!」


 アニエスは握手をしながら、器用に懐から厚めの本と羽ペンを取り出した。

 まず有名人のサインという文化があるのかと驚き、以前の『過去視』の記憶からあってもおかしくないと納得し、本のタイトルを目にして再度驚く。

 

 皮の厚表紙には大きく『ヴアルフウラ演劇台本:英雄アイカワカナミ・キリスト・ユーラシア・ヴァルトフーズヤーズ・フォン・ウォーカー、剣聖の道』という文字の刺繍が入っていた。


 僕は顔が引き攣りかけたが、なんとか動揺を隠し通して、アニエスが用意したインクで一頁目の空いたところに名前を書く。

 ちゃんと連合国の文字を使ってのサインだ。このくらいならば、もう《ディメンション》を使うまでもない。


 僕がサインを書き終わると、少女二人は楽しそうに騒ぐ。


「あ、いいなっ! アニエスさん! 私も欲しい!」

「いいでしょ、セリ。普段から、サインして貰う準備してないからそうなるんだよ。ふっふっふ、一生自慢できる……! 学院で見せびらしてやろっと……!!」


 これで満足して帰ってくれないかなと僕が思っていると、奥で困った顔をしていたヴォルザークさんが執務室に入ってきた。

 落ち着いた大人である彼は、執務室にいる先客に深く頭を下げる。


「その、申し訳ありません……。この二人の処罰は、いかようにも……」


 それに当主さんは微笑をもって答えていく。

 心なしか機嫌がよさそうに見える。


「いいえ、構いませんよ。ここで必要な手続きは、もう全て終わっています。あとはお茶会やパーティーの誘いを彼にするくらいでしたが……嫌味な子は絶対に頷かないとわかっています。正直、この嫌味な子との会話を、どう切り上げようかと困っていたところでした」

「そう言って頂けると助かります……」


 明らかに『エピックシーカー』に気を遣った言葉だった。当主さんがギルドとの関係を良好に保ちたいという意思が伝わってくる。


「そろそろ、私はウォーカー家に戻ります。私がいると、嫌味な子が落ち着いて『エピックシーカー』を回れないでしょうから」


 ゆったりとした動作で、当主さんは退室していく。

 その後ろにクロエ・シッダルクさんが付き従う。


「それでは、また。カナミさん」


 僕は慌てて、深々と礼をして見送った。

 その近くで、スノウとマリアは手を振り、二人で話す。


「あれ? スノウさんはついていかないので?」

「うん、マリアちゃん。もうお仕事終わったから」

「流石、スノウさん。予定の半分ほどで、あの任務を終わらせたんですね」

「モンスターふっ飛ばして回るだけだから、楽だったよ」


 ここに来る前、マリアはスノウが『開拓任務』についていると言っていた。

 話の内容から、連合国周辺のモンスターを追い払い、生活圏を広げる仕事をしていたと推測できる。かつては戦争の総司令代理だったスノウだが、平時では地味な仕事を任されているようだ。いや、彼女の性格から自分ならば楽であろう仕事を選び取った可能性が高いか。


 僕は頭を下げたまま、当主さんが遠ざかるのを待った。

 十分な時間が過ぎたあと、発言を控えていた陽滝が声を出す。


「思った以上にスムーズに挨拶が終わりましたね、兄さん。個人的に、私はウォーカー家当主は嫌いじゃありません」

「だろうね……。明らかに、あの人と陽滝は気が合う」

「それで、これからどうするんですか?」

「それは――」


 その答えは僕の言葉よりも先に、さらなる入室者たちによって決定される。

 裾の長い魔法使い服を着た女性と傷だらけの厳格そうな男性。

 残りの『エピックシーカー』サブマスターの二人、テイリさんとレイルさんだ。


「カナミ君、来てくれたのね!」

「少年、久しぶりだ」


 さらに続いて、ギルドメンバーたちもやってくる。

 僕の来訪を聞き集まってくれたのだろう。それが当主さんという貴賓の退出で、堰の切れた洪水のように押し寄せてくる。


「マスターじゃねえか! いっつも、すぐ帰ってるって聞くぜ! 今日こそは逃がさねえぞ!」

「ふふふ、マスターとは『舞闘大会』で再戦の約束してるからね。今度は、掠り傷くらいは負わせてみせるわ」

「『舞闘大会』か、懐かしいな! ははっ、あのときのマスターの姿は、まさしく俺たちの悲願だった! もう一回くらい見せてくれよ! 年に一回くらいで頼む!」


 見知った顔が僕を囲み、懐かしい話を投げる。

 もちろん、中には見慣れない顔もある。以前に僕をスパイ扱いしていたギルドの新人さんたちだ。彼らは、ここぞとばかりに頭を下げる。


「ギルドマスター! 以前は、すいませんでした!!」

「劇で見た姿と、随分違うもんで、気づけず……その、とにかく申し訳ありませんでした!!」

「以後気をつけます!!」


 すぐに僕は気にしていないと首を振るが、社長相手に縮こまる新入社員のような彼らの態度は直ってくれない。新人さんたちは、古参の頭がぶっ飛んだメンバーたちと違い、本当に真っ当で真面目だ。


 よくよく考えれば、入団の面接をしていたのがパリンクロンから常識人のサブマスターたちに変わったのだ。これは当然の変化なのかもしれない。

 

 僕が苦笑いを浮かべていると、少し遠くに『エピックシーカー』で特に親しい男性を見つけた。僕が迷宮探索を中心にしていたことで、最も顔を合わせる機会の多かった鍛冶師アリバーズさんだ。


 アリバーズさんは遠巻きながらも、軽く手を挙げて僕に挨拶をしてくれた。

 聞けば、いまの『エピックシーカー』で一番の出世頭は彼らしい。僕の『神鉄鍛冶』の一端を見てから、着々と腕をあげ、工房を拡大し、あと少しで連合国一の鍛冶師とのことだ。


 そのアリバーズさんは僕との交流を諦め(僕に辿りつくまでの壁が分厚かったので)、手近のマリアと話し始める。


「よう、マリア。マスターと会えてよかったな。……そういえば、お前用の新しい装備が完成したぞ。あとで持っていってやるよ」

「アリバーズさん、いつも助かります。新参の私に色々と世話を頂いて……」

「いや、新参っつってもな。おまえはマスターの仲間だし、ギルド一の実力者だ。俺も、おまえが危険地域から稀少な鉱物を手に入れてくれてるから助かってる。優遇しないほうがおかしいぜ」


 アリバーズさんはとても優しい目で、マリアと接する。

 それにアリバーズさんの鍛冶の弟子と思われるギルドメンバーたちも続く。


「そうだよ、マリアちゃん。他人行儀はやめてー」

「いつも俺たちはマリアちゃんの炎に助けられてるからな。あと、普通に全体を指揮するのが上手い。ぶっちゃけ、レイルさんたちよりもギルドマスター向けの性格してると思うぜ」

「今度迷宮に行くとき、ついてきてくれな」


 僕のいないところでマリアは『エピックシーカー』との交流を深めていたようだ。

 かつて僕と一緒に滞在していたときは『火災で視力を失った可哀想な女の子』だったが、いまはその実力を知られ、ギルドの一員として認められているのがわかる。


 こうして、執務室の中はギルドメンバーたちで一杯となった。

 久しぶりに帰ってきたスノウと僕の歓迎会をするなんて話が出てきて、僕たちは帰るタイミングを完全に逃してしまった。


 それを陽滝は楽しそうに、やれやれと溜め息をつく。


「もうお手上げですね。兄さん、諦めましょう」

「そうしよう……。別に、急ぐような用事もないからね……」

「ええ。もう私たちに急ぐことは何一つありません」


 本当は、ないということはない。

 けれど、僕は陽滝の提案に乗った。スノウに手を引かれ、マリアを含んだメンバーたちと笑い合い――これを陽滝が僕に・・・・・・・・見せる意図・・・・・を考えながら、『エピックシーカー』の歓待を受けていく。


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