450.〝めでたしめでたし〟
「〝――その『
その取引の名は、『古代魔法』。
それは至る経緯が違えども、後に『異邦人』が創り出す『呪術』と同じ仕組みだった。
ありとあらゆるものを『代償』として、不相応の力を得る。
幼少からの儀式を始めとして、全てだ。
古代の『竜人種』たちは、歴史から学んでいた。
こうすれば、魂に『呪い』が降りかかるということを。
儀式という手順を踏めば、科学的に『呪い』を選べることも。
この儀式で少年に与えられるはずだった『呪い』は、『適応』。
それが憎き『邪神』を屠るために、最も合理的な『呪い』であると、古代の里の賢者たちは判断したのだ。永遠に『適応』し続けることで、いつしか
一族の叡智を集結させた『悪竜の儀式』。
それは論理的で、意図的で、実証的だった。
だが、その『呪い』を選ぶという行為が――
後世でも、同様の発想で『理を盗むもの』たちは生まれいった。
使徒たちは考える限り、最善だった『忘却』『自失』を選んだ。
研究者たちは考える限り、最良だった『魅了』『死去』を選んだ。
ただ、その目論見通りに『呪い』が活用されたことは一度もない。
――賽を振らずに、人為的に選べば、必ず裏目に出た。
それは、この黒髪の少年も同じだった。
あらゆる儀式を終えて、誰もが納得する『
「里の洗脳に、俺は慣れた。だから、『適応』し切る前に、逃げようと思った」
だから、目の前で『智竜の里』は燃えていた。
セルドラが理由を説明すると同時に、また場面は飛んで、里の滅亡の瞬間と僕たちは対面する。
焔が立ち昇っていた。
赤い筆が空を乱暴に染め上げて、暗雲すらも覆う黒煙が充満していく。
黒い石の家屋は全て崩落して、瓦礫の山となっていた。高熱で溶かされて、溶岩の川となっているところもある。
壊し方に悪意があった。
もう二度と、この場所が蘇ることはないようにと、念入りな破壊がなされている。
終わりの音色が聞こえてくる。
ゆっくりと溶岩が流れては泡立つ音。
乾いた立木が燃えて倒れ、内部で水分が爆ぜる破裂音。
混じり合い、独特な旋律が奏でられていて、生命の音だけは聞こえてこない。
滅び終わった里。
その中央の広場で、僕とセルドラだけが立っている。
朗読する僕に向かって、かつて少年だった男が遮るように話す。
「神殺しとか、俺には知ったことじゃなかった。ムカついた。だって、そうだろ? 一族の為に、
話しつつ、当時の自分を振り返る。
とても冷静に分析して、里の出入り口らしき場所を遠目に見つめていた。
「邪魔するやつらを全員食い殺して、俺は自由な外の世界に飛び出た」
そこから去ったのだと、セルドラは指差した。
だから、この惨劇をもたらした者は、もうここにはいない。
僕は耳を澄ますのを諦めて、目を凝らした。
黒こげとなった大人の
中には、獣に食い荒らされたかのような死体もある。
セルドラは絶滅させた里から目を背けて、さらに遠くを思い出深そうに見つめ続ける。
「山奥だったから、中々人里まで辿りつけなかったな……。というか、そもそも例の暗雲で、どこもかしこも滅びかけだった。北の地を彷徨って、数年くらいか。ガキの癖に賊のカシラになったり、なんとなくでそいつらを全員食い殺したり……、とにかく、その日の気分で好き勝手やった。ただ、手当たり次第楽しんでいく内に、すぐに異常に気づいた。本当に、すぐだった。あの『智竜の里』の儀式の『呪い』が、歪んだ形で俺に降りかかってるってな……」
魔法《リーディング・シフト》で読むよりも先に、セルドラは自分から人生を明かしていく。
それもまた朗読のようで、先んじて用意していたかのような台詞だった。
「さっきも言ったが、俺は飽きるのが異常に早かった。周りには、ちょっとした『病気』だと、笑って誤魔化したが……。あれは、間違いなく滅んだ故郷の『呪い』だった。里のやつらの絶対に俺を逃がさないって呪詛の声が、地の底から聞こえるような気がしたぜ。俺は『呪い』を解く方法を探して、イラつきながら、当たり散らしながら……、旅をした。人生の旅をし続けるしかなかった」
間違いなく、セルドラは『過去視』対策として、自分の記憶を限界まで整理して戦いに臨んでいる。
僕と対峙する以上、それは当然の対策だろう。
ただ、その抵抗は、僕が軽く
「その果てに、例の孤児院に辿りつくんだね。名前のない『魔人』の一人として、『風の理を盗むもの』ティティーと出会う」
「ああ……、『
言いよどんでしまった。
容赦なく僕は、その隙間に朗読を入れる。
「〝――気づけば、黒髪の少年は北の国々の『総大将』を任されていた。
新鮮で楽しいものを求めていくうちに、
だが、長くは続かない。
故郷の『呪い』によって、すぐに飽きがやって来るのだ。
あんなにも楽しかった『英雄』が、恐ろしい速度で色褪せていく。
価値がなくなっていく。
そして、愉しいのは、弱者を甚振るときだけとなった。
周囲から『英雄』として褒め称えられる一方で、敵という敵を残忍に殺して、嗤う。少年は他人の不幸を嗤う自分が嫌いだったが、虐殺している間は気分が紛れた。
だから、誰よりも前線に出た。
『魔人』たちの代表として、普通の『人』を殺して殺して殺して回った。
しかし、その北と南の戦争は、たった数年で停滞し始めてしまう。
『
だから、また黒髪の少年は逃げ出す。――『
ただ、少しだけ大人になって賢くなっていたおかげで、故郷のときとは少し違う逃げ方だった。
北の『総大将』でありながら、尤もらしい理由をつけて姿を消す。
でなければ、守るべき北の地で、自分の『最悪』な趣味が爆発してしまいそうだった。
少年は『
南の辺境の地、ファニア領にまで――〟」
「俺が……、『
セルドラは僕の朗読に、少しだけ違和感を覚えたようだ。
それが今回の魔法《リーディング・シフト》の核心であると悟られる前に、僕は共通の友人の名前を出す。
「それが『血の理を盗むもの』の代行者、ファフナー・ヘルヴィルシャイン……。もう僕と陽滝がやってきた時代だね。あのファニアの賢い少年が、僕のせいで『魔人化』実験に遭った頃だ」
「ああ、あの事件の生き残りだな。……あいつは、本当にすげえやつだった。あんなに悲惨な目に遭いながらも、本気で全ての『魔人』を救おうとしていた。こんな俺にさえも「信じていれば、いつかは救われる」って言ってくれんだぜ? いいやつだった。『本当の英雄』ってのは、ああいうのを言うんだって思ったよ。教えれば教えるだけ、何でも吸収していく天才少年で……、『
セルドラは自らの『最悪』な趣味を語る。
包み隠せば、もっと鋭く魔法《リーディング・シフト》で朗読されるとわかっているのだろう。
その受け入れがたい部分を、自分自身で認めていくしかなかった。
「何もかも、限界だったんだ。……このときの俺は、俺の愉しみの為なら、世界を滅ぼしてもいいとさえ思っていた。『総大将』なんてものを続けて、あっちこっちから『英雄』の目で見られていく内に、もう何が正しくて、何がタノシイことかも、わからなくて……! 急いで、『最深部』に向かった! もう遊びでも、気晴らしでもなかった! 伝承通りに世界樹を辿り、邪魔する使徒をぶっ飛ばして、ノイ・エル・リーベルールってやつに会いに行った! あの故郷に伝わる『邪神』なら! 大陸に伝わる『碑白教』の神様なら! きっと俺を殺してくれるか救ってくれるだろうって、友の言葉を信じて、向かったんだ――」
「けど、そうはならなかった」
「ああ……。ノイのやつ、俺を見た瞬間に、降参しやがったんだ。それで、ずっと歪んでた儀式が、ここに来て完遂される。ノイは俺に完全な『適応』を渡して……、力がありすぎて困ってる俺に、どんな力でも与えるって言いやがった……。与えることしか出来ないから御免なさいとも……、言いやがった……」
セルドラは思い出して、口元を歪ませていた。
肩を揺らして、とてもつまらなそうに、くつくつと喉奥から声を漏らす。
人生で最も限界だったのは、このときだろう。
あらゆる許容量を超えてしまって、名実共に『理を盗むもの』の仲間入りを果たしたはずだ。
「それから、世界樹から戻ってきて、すぐに俺はファニアのゴースト混じりに『
嗤い続ける。
『最悪』なのは気分でなく、自分自身のことだろう。
僕が鏡の前で何度も見たことがある顔をしていた。誰よりも自分が嫌いで、変わりたくても変われなくて、生きていることが苦しい表情だ。
「あれから、俺は何も変わっていない。いや、より酷くなった。かつての『最悪』にさえも慣れて、飽き始めている。もっと恐ろしい『最悪』を、俺は愉しみたがっている。念願の『異世界』に来ても、魔法と科学の融合くらいじゃあ愉しめなかったのは、そういうことだ。そんなことよりも、『異世界』と『元の世界』を地獄に変えるほうが、ずっとずっと愉しいんじゃあないかって……、そう本気で、考えてしまったから……、だから俺は……」
セルドラは両の拳を握り締めて、自らの胸を恨むように叩いてから、僕を睨みつけた。
『智竜の里』の物語の終わりに待っている少年の姿を見せ付けて、訴えかける。
「いますぐ、魔法を止めろ、カナミ……! こんな
死ねる。
本音の果てにセルドラは、そう吐き叫んだ。
まるで、僕を救ったあとは、一人で自殺するような物言いだった。
事実、目的を果たせば、すぐ死ぬ気なのだろう。
その気持ちが、僕には痛いほどわかる。
セルドラが『未練』を叶えることなく、力尽くに消滅されることを望んでいるのは、その強い罪悪感が理由だ。
ここまで読まれた物語の中で、セルドラは悪行を積み重ねてきた。だが常に、そのあとに人助けを繰り返している。
そんなことをしても、理不尽に殺された魂たちに『贖罪』なんてできるはずない。
そう理解していても、何度だって『贖罪』を繰り返し続ける。
卑怯にも、その心を
正確に言えば、『
永遠に逃れられないものから逃げ続けるセルドラを前に、僕は頷けるわけがなかった。『理を盗むもの』たちに自分を重ねているからだけじゃない。あの妹の兄として、放っておけはしなかった。
「魔法は、止めない。僕は『
「カナミ! 俺は他の『
「――違う。僕が言ってるのは、その『未練』のことじゃない」
ぴしゃりと、否定した。
その理由を、『無の理を盗むもの』となったときに見失ったセルドラの為に、僕は説明していく。
「ずっと『セルドラ』の祈りが、僕の耳に届いている……。この『智竜の里』を読み始めてから、ずっとだ」
「……は? 『セルドラ』の、祈り?」
僕はもう、『無の理を盗むもの』セルドラ・クイーンフィリオンの『未練』を叶えることに拘っていない。
本人が望んでいないのに叶えようとしても、より拗れるのは経験でわかっている。
――もし望んでいない人に救いを押し付けることができるのなら、いま僕は、こんな
救えるのは救って欲しいと願った相手だけだと、誰よりも痛感しているからこそ、この『智竜の里』から聞こえる『声』は無視できない。
「この『智竜の里』には、異常な数値の『素質』を持つ子供がもう一人いた。……それは生まれながらに『
「な……、何を? 一体何を言って……」
「何を言っているのかは、これから読むよ」
もう『
セルドラが自分から語ったことで、その『行間』は読み飛ばされてしまった。
だが、この魔法《リーディング・シフト》は、大切な『行間』を逃さない為の魔法だ。
ただ、『過去視』するだけじゃない。
取りこぼした想いを集め直して、全ての『理を盗むもの』を終わらせる為の魔法だ。
捲られた頁に、僕は視線を落とす。
それは千年前の終わりでもなければ、千年後のいまでもなく、ちょっとした日常の物語。
「〝――『智竜の里』の日常。
それは子供たちが新しい名前を授かってから、少しの歳月は流れた頃。
里は活気付いていた。
そして、その里の中央にある広場では、立派に成長した二人の
――『
子供ながらに大人たちの力を超えてしまった二人は、もはや鍛錬する相手が互いしかいなかった。ゆえに、こうして模擬戦という形で、その力を比べ合う。
ただ、その戦績は酷く偏ったものだった。
広場に倒れ伏した女の子に向かって、黒い髪の少年は嘲り嗤う。
「――くっ、くははははっ! 今日も、俺の勝ちだなぁ! いつになったら、この雑魚は俺に勝てるんだ? なあ、聞いてるのかぁ? 『
「……くっ!」
蒼い髪の少女は、悔しげに唸る。
幼名の『
しかし、言い返せない。今回の模擬戦は、格下である彼女自ら願い出たものだった。時間を割いて貰っている立場である以上、その嘲笑は代金として払うしかない。……のだが、いつも少女は我慢しきれずに、口から短い悪態が零れる。
「……君が卑怯な手さえ使わなければ、結果は違った。次は、必ず私が勝つ」
「くははっ! 敵が卑怯な手さえ使わなければ、かあ! それは嗤える! おまえが勝てば、何でも願いを聞いてやるって約束だったが、この調子じゃあ一生無理そうだな。いまんところ、俺の全勝零敗だ。数えやすくて、助かるぜ」
隙あらば、少年は全力で相手を貶していく。それは『
「『
「ハァ……? 何言ってんだ? まず、このクソみたいに辛気臭い空を見ろよ? もうそういう時代なんだ。なにより、大人たちは他の里を滅ぼすのを推奨してるぜ? この俺の圧倒的な暴力を世界に知らしめることで、助かる『魔人』たちもちゃーんといるんだ。最近、弱小の混じり共は、『人』に虐げられまくってるらしいからなぁ」
「それは建前で、ただ君は殺しがしたいだけでしょ」
「ああ。もちろん、そうだ。殺すのは、すげえ愉しい。ただ、こればっかりは俺が『
少年は成長して、よく口が回る男となっていた。伊達に『
暴力だけでなく、相手の心を言葉で陵辱する方法もよく理解していた。
理詰めで追い詰め続けて、相手が口ごもるのを、特に好んでいた。
「……普通に、楽しく、生きていこうって思わないの?」
「だから、愉しいって言ってんだろ。俺は誰よりも愉しく、生きてる。こうして、おまえをボコボコにするのも含めて、いまこのときが、最っ高ーに『幸せ』な時間だ」
「私の言う『楽しく』っていうのは、誰かと幸せを共感すること。君の言う『愉しく』っていうのは、誰かの不幸を食いものにすること。……全く違う」
少女も一方的に言い負かされるばかりではない。
同じ『
「そのくらいは、わかってるとも。でも、仕方ないだろ? 他人の不幸の味は、甘いもんだ。いまさら、悪いことは止めましょうってか? 流石、『
「そうじゃない。私たちは生まれながら、『古代の儀式』の実験に利用されて、歪まされて……。『
彼女は儀式に思うところがあった。
ただ、それを少年は一刀両断で切り捨てていく。
「だから、無理だっての。そもそも、俺は最初から『最後の一人』になっても怖くないように出来ていた。だから、選ばれた。おまえも同じで、生まれたときから『
日常の中、よく二人は話し合っていた。
この頃、『
「ううん。この『生まれ持った違い』ってやつは、必ず変わるよ……。でなければ、いつか薬を使ってでも、治せばいい。ここじゃない遠くどこかでなら、きっと……」
「治す? 病気みたいな言い方をしたな。いや、そこは重要じゃないか。『生まれ持った違い』を変えるなんて、とにかく無理だ。不可能だ。『世界の理』は不変だって話を、ジジイ共から聞いたろ?」
「あの話を信じるなら、『世界』は一つじゃない。口伝の中だけでも最低一つ、『異世界』があった。こんなに狭い里じゃなくて、もっともっと遠くの『異世界』まで飛び出せば……。自由に、どこまでも、飛んでいって、彼方の『異世界』まで、逃げきれば、そこには……!」
きっと、可能性はある。
世界が無限に広がっている限り、不可能と言い切れはしないと、少女は信じていた。
ただ、それは少年にとって、頷ける話ではない。自らの悪辣さは誇りだ。治すなんて、考えられない。この里は、まるで天国だ。『異世界』なんて飛び出す必要はない。
馬鹿なことを言う少女を、正論で叩き伏せてやってもよかった。
しかし、彼女の提案の中に、唯一つだけ惹かれた言葉があった。
「
いつも上から目線で相手を説き伏せることしかしない少年が、一歩譲った。
生まれながらずっと一緒だった少女にとっても、それは初めての経験だった。
少しだけ希望を抱いて、彼女は聞く。
「……逃げたなら、その先で何する?」
「何って、そこはいつも通りだ。俺は誰よりも強いから、誰よりも勝手に愉しむ」
「逃げたら、時間は一杯ある。偶には、『悪役』じゃなくて、『英雄役』もきっと楽しいと思う」
「『英雄役』って、俺がか? それはおまえだろ? ここで、おまえがなればいい。それが種を統べる王の役目だ」
「…………」
ただ、続く会話は上手くいかなかった。
思いは通じなかった。
このとき、本当に逃げたがっていたのは『
里で唯一頼りになる少年が、世界で一番思い通りにならないことを恨みながら、少女は最後に提案していく。
「……なら、こういうのは? 『
こうして、少女から
徐々にだが、儀式の歪みが大きくなっていく。
「『英雄』を騙る……? へえ、それは悪くないな。……まっ、いつか殺しに飽きたらな。考えといてはやるよ」
「本当に、今日は譲ってくれるね。でも、考えてくれてありがとう、『
そんな会話があった。
大人たちの目の届かないところで、二人だけに交わされる提案や約束があった。
――だから、あの里の滅びの日が、やって来る。
『智竜の里』の儀式に飽きた『
里に『適応』するのではなく、『逃避』を選んでしまう。
当然ながら、その『逃避』を里の大人たちは許さない。
代々続く血の悲願ゆえに、許せるわけがなかった。
ただ、それは『
生まれながらに誰よりも欲深かったからこそ、受け入れられるわけがなかった。
『智竜の里』は全ての
血族の希望である少年を絶対に逃がさず、捕らえようとした。
大人も子供も問わず、全員だ。
全員が敵だと、少年に認識させた。
そうなれば、あとはいつも通り。
少年は『
そう生まれて、そう生きてきたから、そうすることが人生であり、そういう『代償』となっていた。
昨日まで一緒に暮らしていた家族や友人たちを殺した。
そっ首を刎ねては、噴出す血を啜って。
心臓を素手で抜き出しては、丸ごと食らって。
魂を砕いては、新鮮な『魔の毒』を体内に取り込んでいく。
代々受け継がれてきた『魔力変換の儀式』だった。
その儀式が、立ち塞がる敵への礼儀だと、彼は学んでいた。
だから、最後に最も親しかった『
「ああっ、かははっ! 待ってたぜ。やっぱり、最後はおまえだよなぁ」
「私も待ってた。たぶん、この日が来るのを、生まれたときから――」
それが最後の会話で、最後の力比べが始まった。
『
そして、その負ければ食われるという殺し合いの中、少女は『
「――いつしか、おまえたちは
『
真の役目を知らされた日を、少女は懐かしむ。
古代から続く口伝によれば、この空に満ちていく暗雲は止まらない。そして、その過酷な環境に、
ゆえに、里の存続が不可能となる前に、最も強き血を選び出して、全てを継承させる。
――その全てとは、全て。
この『智竜の里』そのもの。
いままで続いてきた血脈を、一滴残らず。
歴代続く『
滅亡を『代償』として、歴史全てを無駄なく、一人の男に託して、繋げる。
――それが、『悪竜の儀式』の全容。
敗北した『竜人種』が『翼人種』を恨み続けて、最終手段として後世に遺していた真の教え。
『
それを思い出したとき、少年と戦う少女の手は緩んだ。
――させない。そんなことは、絶対にさせない。歪ませる。
『智竜の里』が滅亡した日。
『
ようやく、役目を終えた少女は最後に、一言だけ残す。
大事な家族であり、憧れでもあった少年に向かって、「……
読み終えた。
千年前、滅びた『智竜の里』の裏側を伝えて、落としていた視線を上げる。
まだ僕を睨み返しているセルドラは、つまらなさそうに首を振る。
「……別に、新鮮な話じゃない。薄々とはわかっていた。あのビビリ女が、俺に『逃避』を促したんだ。なのに、あいつは一度も勝てなかった俺を相手に、どうしてか死ぬまで立ち塞がった。裏に何かあるんだろうとはわかってた。だが、それも、いまさらだ。
ありがちだと溜息をつく。
それどころか、より戦意をセルドラは漲らせていく。だが――
「この程度では、何も変わらない。いまさら、俺は変われない。変われないから、終わることもできない。いつしか俺は、この魔法《リーディング・シフト》にさえ『適応』していくだろう。神をも殺す毒の刃とやらの俺だけが、『次元の理を盗むもの』の『第零の試練』を――」
「
宣言して、僕は視線をセルドラから少し遠くの地面にずらした。
その先に、この魔法《リーディング・シフト》を発動させてから、ずっと探していた姿を見つけた。
――この時間に合わせて、ここに場面を移して、長々とセルドラと雑談をしていたのは『彼女』を待っていたからだ。
僕とセルドラの黒い瞳の中に、地面を這いずりながら進む
先ほど読んだ馴れ初めの物語通りの姿だった。
少女とはいえ、その身体は僕の背の高さと、そう変わらない。
顔立ちはスノウに似ていて、目元は涼やか。その蒼い髪は大海の漣のように美しく、けれどいまは血に染まっている。
背中には大きな穴が空いていた。
ぽっかりと胸と背中まで突き抜けて、本来そこにあるはずの臓器がない。
「あり、えない……」
少年に敗北して心臓を食われた少女を前に、セルドラは先ほどよりも大きく首を振った。
「……心臓を食ったんだ、俺が! だから、生きてるわけがない! 生き残れるわけがない!」
「うん、じきに死ぬ……。けれど、選ばれし
少女は心臓を奪われて、地面に倒れ伏しながらも、じりじりとこちらに向かっている。
死ぬのならば、最も思い出の深い広場がいいと、少しずつ這い進んでいるのだ。
ただ、その道の半ばで、口から溢れる血を吐き出してしまう。
「ァア、ガ、ッッ――!」
僕たちが立っている場所まで、あと少しというところで止まって、少女は身体を捻らせた。
最後の力を振り絞って、仰向けとなり、黒煙が暗雲に吸い込まれていく空を見上げる。
「はぁ、はぁ、はぁっ――」
胸を動かして、呼吸を繰り返して、肺に酸素と『魔の毒』を取り込む。
しかし、その胸には最も大事な臓器が、もうない。
血や魔力といった生命力が、新たに生成されることは、二度とない。
「はぁっ、はぁっ……、え? あ、れ……――」
その状態でも、彼女は余裕を持って喋ることができた。
凄まじい生命力だ。
なにより、凄まじい『素質』だった。
「だ、誰か……? いる……?」
この『呪術』すらも浸透していない時代に、古代の知識だけで「未来で『過去視』の魔法を使っている存在」を感知していた。
なにせ彼女は、セルドラという特殊な実験体がいなければ、真の『最強』の生物。
この世界で最も強き種の、さらに選ばれし『
その『
「あぁ……、もし……。もし、本当に
里にとっては『邪神』であるはずのノイ・エル・リーベルールを、少女は最後の時間を使って敬っていく。
消え行く命の灯でありながら、はっきりと言葉を紡いでいく。
「いまも、見ていらっしゃるのでしょうか……? 宿敵の血筋の……、この憐れな最期を……」
次第に、血が足りなくなり、身体は冷え切るだろう。
僕のときと同じならば、目が見えなくなり、耳は聞こえなくなり、走馬灯の果てに、魂は『向こう側』へと行き着く。
その前に、彼女は喋る。
遺言を残すかのように、
「ああ、神様……」
祈る。
そういう文化も風習もない場所でありながら、大陸の各地に住む信者たちと同じ文句を口にしていく。
「神様、あなたを私は信じています……。だから、あなたを害する儀式を、出来うる限り歪ませました……」
竜人種にとっては邪教である『碑白教』の信者だったと告白する。
さらに、その邪教徒は、
「私は……、一族なんて、どうでもいい……。『最強』の種族かどうかも、関係ない……。みんないなくなって、せいせいした……。もう、あなたを害する儀式は、二度と行なわれない……から、どうか……、お願いです……――」
祈り続ける少女。
それを聞いているのは、千年後の僕とセルドラの二人。
「せめて、私の
それは僕に向かって呼びかける声ではない。
『碑白教』に伝わるノイ・エル・リーベルールを呼ぶ声だ。
「神様……。もし……、本当に……。本当に、そこに、いらっしゃるのならば――」
なにより、呼びかけは「神様」。
それに本気で応えられるような存在がいるとすれば、それはもう――
(――
だから
安心させるために、持てる『魔法』を限界まで強めた。
その僅かな
どの次元のどの場所でも。
どの時間軸のどの思い出でも。
手の届く『次元の理を盗むもの』となったから、僕は返答が可能だった。
「――え?」
それは祈っていた本人すらも呆然とするほどの『奇跡』だった。
滅びた里の誰も生き残っていないはずの広場で、答えが返ってきて、少女は硬直する。
(君のおかげで、これから彼は『逃避』し続ける。一人の『魔人』として死ぬ為に、『
最後の頁だけを読んで伝えるのは、僕の流儀に反する。
だが、躊躇している時間はなかった。
(いま、君の人生を、二つの『世界』が読んだことで、儀式の取引が変わった。……この先ずっと、
「ド、
少女は聞こえた声に驚き、喉から溜まっていた血液を全て吐き出し切った。
僕の魔法で声は届く。
しかし、長くは持たない。
彼女の命の灯もだが、それ以上に僕の魔法も――
次元属性の『詠唱』を重ねて、『紫の糸』で『元の世界』の魔力も吸い尽くしているというのに、
――急ぎ、隣で彼女以上に驚いているセルドラに話しかける。
「セルドラ・クイーンフィリオン。君が望む限り、僕は『
世界の理に反する悪行を、セルドラに薦めた。
傲慢にも神を騙った以上、もう僕は迷わないし、躊躇しない。
その僕の意志は伝わったようで、セルドラは喉を震わせて、「お、俺は……」と腹の底から言葉を搾り出そうとする。
そして、仰向けになった彼女の前で、膝を屈した。
少しでも近くで、手は届くけれど触れられはしない距離で、ただ『声』だけを届けようとする。
セルドラの協力によって、いま、魔法《リーディング・シフト》は昇華する。
さらに上の次元の魔法に至り、その『声』が――
(――俺は、『
「…………っ! こ、この『声』……」
『声』が間違われることはなかった。
誰よりも神の『奇跡』を信じていた彼女だからこそ、届いた。
(おまえのせいで、愉しめなくなったんだ。だから、仕方なく、いま俺は『セルドラ』・クイーンフィリオンなんて名乗って、無駄に長生きしちまってる。――信じられるか? いま、俺は千年後の『異世界』にいるんだぜ? 『異世界』まで逃げ切って、愉しく……じゃなくて、ちゃんと楽しく生きてる。だから、もういい。おまえの勝ちだ)
「勝……、ち……?」
話す。
かつてと同じ場所で、同じ調子で、同じ約束をする。
(ああ……。たぶん、おまえは生まれたときから、俺に勝ってたんだ。だから、願いごとは叶う。『セルドラ』・クイーンフィリオンは、自由にどこまでも、好き勝手に生きる。おまえのせいでな……)
それを最期に聞いた少女は。
『
もう『未練』はないかのように……。
「『セルドラ』・クイーンフィリオンって……。ははっ、変な名前……」
最後の最期に、セルドラは侮辱を返された。
ただ、言い返せない。
(……ああ)
受け入れた。
そして、だからこそ、これでやっと『
(けど、嬉しい……。ちょっと、だけ――、嬉しい……、から――、あぁ、これ、で――
少女の声は途絶えた。
『未練』を果たしたからこそ、力を失った。
『
もう少女は空を見つめていなかった。
瞼は閉じられて、両手は傷を塞ぐように胸に置かれて、安らかに。
とても楽しそうに、笑っていた。
それを看取るセルドラは嗤わない。
家族を殺し、嗤っていなかった。
歪みに歪んだ果てに。
愉しいと思うこともなく、ただ神妙に、一族の死を悼んでいた。
「〝――そう。そして、それが『証明』となる。
二人が約束したからこそ、世界さえも認めた『悪竜の儀式』の歪みの形。
いま、ようやく黒髪の
ただ、『
どこまでも、楽しく、笑って、普通の『幸せ』を得てもいいと、やっと――〟」
と最後の頁の余白に、そう『執筆』で書き足した。
そして、本を閉じる。
――これで、
終わったのは、『無の理を盗むもの』セルドラ・クイーンフィリオンの『第八十の試練』。
新たな領域に至った魔法《リーディング・シフト》によって、いま、セルドラは生き抜いて、ずっと失っていたものを見つけた。
『過去』が変わり、千年後のセルドラの『呪い』は、さらに変質するだろう。
『
そして、もうセルドラは自殺することはできない。
少なくとも、呪ってくれた彼女の魂を『一緒』と感じている限りは、二度と「死ねる」と叫ぶことはできない。
――セルドラは『第零の試練』を、始めることすらできない。
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