451.『愛の告白』
魔法《リーディング・シフト》は別の次元に至った。
――物語を終えて、また場面は変わる。
正確には、場面を移すという次元魔法の効果が解けて、現実に帰ってくる。
もう仄暗い深海の中ではない。
いつの間にか、移動していた。
時間も想像以上に過ぎていた。
魔法を使えば使うほど、距離感覚と時間感覚が曖昧になっていく危険性について、もう僕は考えるのは諦める。
足元が柔らかい。浮遊感はなく、海水で服が重い。
そして、目の端から、光を感じた。
水平線がぼんやりと光り出した砂浜に、僕とセルドラは打ち上げられていた。
どちらも、精根尽き果てている。
セルドラは完全に『竜化』を解いて、黒髪黒目の普通の日本人のような姿だった。
僕も魔力を
ただ、一本だけ、指から『紫の糸』が伸びている。
「はぁ……、はぁ……」
その最後の一本を、僕は息を切らしながら、切り離した。
これでセルドラは、誰にも人生を盗み視られることなく、自由に生きていけるだろう。
ただ、その『代償』は、思いのほか大きい。
確信したが、「星一つ」よりも「人一人の魂」のほうが広い。
いまの僕でも、精根尽き果てているのはそういうことだ。
そして、これから目指す『最深部』という場所では、レベル99がスタートラインだと理解する。
ただ、色々あったが、様々な苦労の甲斐あって――
セルドラの人生の根本である『
セルドラの人生の支えである『
――二つは、いま、『改編』された。
「ガ、ハァッ……! ハァッ、ハァッ……」
セルドラは胃や肺の中に溜まった海水を吐き出して、代わりに空気を詰め込んでいく。
全力の振動魔法を長時間使用して、限界なのだろう。
痙攣する胴体を上下させているだけで、いまにも倒れ込みそうだった。
その疲れ切った身体で、セルドラは立とうと試みて――立てない。
故郷の少女に『声』を届ける為、一度屈した膝は動いてくれない様子だった。
仕方なくセルドラは、瞳だけをこちらに向けて、喋る。
もう通常の発声だ。
「ハァッ、ハァッ……。いまのは……、あいつ……でいいのか? 俺は、いま、あいつと話をしたのか?」
「…………」
魔法《リーディング・シフト》の力の真偽を聞かれ、こくりと僕は頷く。
言葉ではなく、感じたことをそのまま信じて欲しかった。
「ほ、本当にか? ずっと俺が『セルドラ』だったのは、あの日にあいつが祈ったから……? だから、今日このときが来た? それとも、あいつの今際の際の『幻覚』が、たまたま……」
これもセルドラの『生まれながらの違い』なのだろう。
理屈屋の彼に、僕はファンタジーを叩きつけていく。
「セルドラ、信じて欲しい。……少なくとも僕と彼女は、魔法の力を信じた。この〝誰もが幸せになれる魔法〟で、君の人生は変わったと。『呪い』の意味は変わり、『
「『
「次元魔法だと、『過去』と『未来』は同一の『
「……くっ」
説明の途中、遮られる。
第三者でなく、大自然の介入だった。
――水平線から、朝日が昇っていく。
夜から朝へ。
昨日から明日へ。
過去から未来へ。
その象徴である陽光が射して、僕とセルドラは目を奪われる。
百聞よりもわかりやすい
「ま、眩しい……、だって……?」
もう郷愁でしか眩まなかったはずのセルドラの目が、単純な光に反応していた。
その新たな感覚に彼は戸惑い、僕との会話は投げ捨てて、その『異世界』の朝に集中し始める。
「なんだ、これは……? 全然……、違う? 昨日、来たときと、全く……」
新鮮過ぎて、『混乱』もしている。
生まれながらに耐性の強かった彼にとって、それは初めての『状態異常』かもしれない。
セルドラは訳もわからず、近くの輝く海に手を伸ばそうとして、届かず――仕方なく、近くの砂を手で取り、口に含んだ。
ジャリジャリと噛み締めて、砂の味に目を見開く。
「あ、味は一緒だ……。空気も『魔の毒』も、何もかも、俺たちの世界と一緒だ。でも、全く違う……!?」
目を輝かせて、驚いていた。
地平線の彼方まで一杯のご馳走を見た子供のように。
「美味しい……で、いいのかこれは? 舌触りから、大地の歴史を感じる。俺たちのいた世界との地質の差が、はっきりと味わえる……。それを楽しめる。なんだこれは……? なんなんだ、これは……!? 味だっ! 味を感じる! 『異世界』の食べ物ってのは、こんなに美味しいものなのか!?」
「あとで、もっと美味しいところに連れてってあげるよ。一緒に食べよう」
僕は『改編』の説明を諦めて、食事の約束をした。
まだまだ薄味だろうが、それでもセルドラには十分だったようだ。
「は、ははっ、はははは! こんなことありえるのか……? 変わったというよりも、これじゃあ人生への追記。いや、もう魂の――」
魂の改竄じゃないか? という疑問が、セルドラの瞳には宿っていた。
しかし、すぐに僕は何もしていないと、首を振る。
今回、運命を変えたのは、二人の
「セルドラ。きっと普通に楽しいことが、君の中で少しずつ増えていく……。『理を盗むもの』の君は、もっと報われるべきだから……。治るのは、これからだ」
「変わるじゃなくて、治る……? は、ははっ。これが、さらに治っていくのか?」
「幸い、ここには薬がたくさんある。この『異世界』で、少しずつ治していこう。僕の妹と同じように、君も不治の病じゃない」
そう励まして、僕は膝を屈したセルドラに向かって、手を差し伸べる。
そして、さらに誘う。
「楽しいことは、これからたくさん見つかる。だから、意味ある自殺なんて
僕の手を見て、セルドラは迷っていた。
本当は拒否して、戦いたいのだろう。
しかし、先ほどの『彼女』を思い出せば、セルドラは戦うどころか――立つことすらできず、口を動かすしかなかった。
次第に、観念していく。
「あ、あぁ……、俺は……。本当は、普通の『幸せ』が欲しかった……。興味あったんだ。『後悔』もしてた。殺した
人生を整理し終えて、噛み砕き、飲み下し、認めた。
ただ、自分の本当の『未練』に気づいたからこそ、言いたいことがあるようだった。
「だが……、カナミ! どうして、あそこで俺を『魔石』に換えなかった!? さっきの場所で、俺の魂も一緒に連れて行けただろう!? おまえなら、できたはずだ!!」
「あそこで綺麗に本を閉じることは、確かにできた。……けど、あそこで一緒に消えるよりも、もっと『セルドラ』が報われる結末を、僕は書きたい。もっともっと『幸せ』になれる物語を、もう一冊。その一冊の為に、セルドラに新しい『未練』が残るように、誘導した」
「は、半端なことを! 『理を盗むもの』というのは弱く、脆く、不安定で! またいつ俺は飽きが来て、追い詰められて、『最悪』なことをしでかすかわからないぞ! 絶対に後悔を――」
「そのときは殺すよ。僕が必ず魂ごと消すから、安心して欲しい」
「こ、後悔を……。あ、あぁ……」
セルドラは膝を屈したまま、呻く。
かつての従姉への圧倒的な敗北感で。
僕の魔法への圧倒的な信頼感で。
何もかも終わったことを痛感していく。
「あ、ぁあ……、こんなこと、駄目だ……。俺が死ぬときは、誰よりも『不幸』じゃないと駄目だ……。『英雄役』が死んで、『悪役』が救われては、いつまでも儀式は終わらない……」
「死んでも、『贖罪』はできないよ。君が世界で一番『不幸』に死んでも、彼らが『幸せ』になるわけじゃない。……生き返りもしない」
否定しつつ、セルドラがラスティアラと通じ合えた理由がわかる。
あの演劇好きの騎士ハインさんのように、彼も純粋に御約束を大事にする男だったようだ。だが、その願いは打ち砕いていく。
「大丈夫、ちゃんと殺された魂たちは救われる。君が僕を救ってくれたおかげで、これから全ての魂が救われていく。これから、僕が『世界の主』になって、世界を救う。……だから、本当にありがとう、『セルドラ』」
死者に『贖罪』はできないが、僕だけは別だ。
そして、自分の『役割』というものもわかってきた気がする。
ディプラクラさんの言っていた『世界の主』の真の意味も。
――さらに、それを利用すれば、永遠に果たせそうになかった
「カナミ! 皮肉はやめろ! これは俺の求めていた勝負と違う! 俺は救いじゃなくて、ただただ罰が欲しくて――」
「救いじゃなくて、『契約』だよ。これから先、君は誰よりも報われる。けれど、代わりに、僕と一緒に世界を救わないといけない。僕は『世界の主』になって、セルドラは『本当の英雄』になって……、たくさんのたくさんの魂を救っていく。そういう『僕との取引』なんだよ、これは」
持ち掛ける。
同時に、僕の手首から伸びた『紫の糸』による六本目の指が、開かれた本の上をなぞっては文字を紡いでいた。
ずっと頭の隅にあった『契約』と『計画』が、『並列思考』によって、自動的に書き込まれていく。
その光景を視て、セルドラは口元に歪な笑みを浮かべる。
「も、もうそこに書かれてあるのか? すでに俺は『英雄役』として死ぬと、未来は決まってしまったのか? ……この『最悪』な俺が、『英雄役』に? それは、なんて……、なんて……! なんてことだよ! 『
セルドラは嗤っていた。
ただ、笑ってもいた。
愉しいけれど楽しいという新鮮な感覚に襲われて、『混乱』は極まっていく。
「は、ははははっ、好きだったんだ! おまえが夢や理想を語るときの顔は、いつも綺麗で! その笑顔が俺の心の端に、いつも引っかかっていて! ついに、こんな! ははっ、こんな『契約』までしてしまうぞ! おまえだ!! 何もかも、おまえのせいだぁああぁああああああっははっ、ははははハハハハハッッ――!!」
セルドラは本音を吐き出し尽くす。
そして、最後の最後に出てくるのは、小さな小さな「ありがとう……」という家族たちへの感謝の声だった。
その相応しくない弱々しい声と共に、セルドラは屈したまま、僕の差し伸べた手を取った。
「頼む、カナミ。『
「『契約』は絶対に守る。……代わりに、一緒に行こう。『未練』を果たした上で、さらに人生は報われていく。それが、僕たち『理を盗むもの』たちにとって、最上のハッピーエンドだったんだ」
「ああ……。治るなら、それで良かった。それが、良かったんだ……」
いま。
セルドラは完全に折れた。
愉しいことに怯えて逃げることも、楽しいことを探して迷うことも、もうない。
絶望的に飽き飽きする日々に蝕まれて、退屈で泣きそうになる夜も、もう来ない。
そのセルドラの手を引っ張り、立ち上がらせる。
そして、すぐに次へ――
「ただ、セルドラ……。次は、僕の番だ。そこで見守って欲しい。僕も、ここで治す」
視線をセルドラから逸らして、隣に。
僕たち二人がよく見えるであろう隣を見つめて、覚悟を決めていく。
「セルドラは本音で話してくれた。それに僕は本音で答えた。そして、それを――『
目を凝らす。
凝らすのは眼球でもなければ魔法でもない。
『呪い』を凝らして、ずっと僕の隣にいる『ラスティアラ』を視る。
(…………)
ずっとラスティアラは黙って、僕たち二人を見守っていた。
目を逸らすことなく、信じ続けていた。
ここまでの『試練』を見て、ラスティアラは全てを悟っただろう。
セルドラに言ったことは、僕に通じることばかりだ。
ずっと
楽しいなんて嘘で、張りぼての〝幸せ〟でしかなかった。
こんなビターエンドじゃなくて、最上のハッピーエンドが欲しい。
もっと報われたいと、
ラスティアラが察したのを、セルドラも理解したようだった。
顔を伏せて、右手で顔を隠しつつ、謝っていく。
「ラスティアラ……? いるのか? す、すまない……。信じてもらえないだろうが、俺が見たかった結末はこれじゃあなかった。カナミを追い詰めて、どん底だって認めさせて、そこから二人で這い上がるつもりだった……。だが、あぁ……、本当に……。本当にすまない……」
そして、そのセルドラが話しかけるという行為が、一つの契機となる。
もうラスティアラが黙って見ている理由はなくなり、ゆっくりと口を開いていく。
ただ、その表情は穏やかな微笑で、決してセルドラが恐れているような侮蔑や怒りは含まれていない。
(わかってる、セルドラ。まだ私は、セルドラもカナミも信じてるよ。そもそも、『理を盗むもの』はいつも負けてる人たちってイメージだから、そこまでガチで謝られると困るって言うか……って声すら、もう届かないのが、ほんと困りものだよね)
その声がセルドラに届くことはない。
もう僕は代弁しないとわかったラスティアラは、少しだけ残念そうに――けれど、瞳から輝きを失わせることなく、信じ続ける。
(セルドラは、みんなに任せようか。たぶん、スノウとグレンあたりかな?)
仲間たちを信じ続ける。
そのラスティアラに僕は反論する。
「いや、いまのセルドラを『幸せ』にできるのは、千年前の犠牲者たちだけだと僕は思ってるよ。クウネルとかファフナーあたりだ」
(んー、そうかなー?)
どちらが正しいかはわからない。
だからと言って、いままで通りに「なら間を取って、両方ともに会わせようか」なんて軽口を叩ける空気ではない。
「…………」
(…………)
いま。
『元の世界』の砂浜は、非常に小ざっぱりとしていた。
余分なものは一切ない。
終わってしまったセルドラには悪いが、僕の視界にはもう『ラスティアラ』だけ。
薄暗い砂浜で二人きり。
ただ、そのラスティアラの表情は、余り芳しくなかった。
最後には、こうなるという予感があったのだろう。
いま思い返せば、僕も予感していた気がする。
――あの『告白』から、ずっと感じていたものが、いまはっきりと表に現れた。
元々『作りもの』の二人は、欠け合っている。
完璧に歯車が噛み合うように、意図的にずらされている。
「ラスティアラ……」
(カナミ……)
だから、話の始めに何気なく名前を呼び合うだけでも、互いの心臓は強く跳ねる。
両者とも頬を紅潮させて、『たった一人の運命の人』と話す。
「終わったよ。……で、ちょっと余裕ができたから聞くけど、初めて『異世界』に来た感想は、どう? そこが気になってるんだ」
(んー、綺麗! こんな形でやって来たからこそ、より綺麗に感じる)
さっぱりと答えた。
状況は最悪だが、それでも彼女は笑顔を失わない。
その姿に見惚れて、口を動かす。
「ああ、綺麗な海だ……。ラスティアラと一緒に、この景色をずっと見たかったんだ。前から言いたかったけど、初デートが迷宮なんておかしいよ。本音を言うと、こういうところでデートがしたかった。普通、追いかけっこするなら、こういう砂浜だ」
(いまからでも、する?)
「したい。でも、いましても一人だから、遠慮しとく」
笑って否定する。
そして、周囲の静かな漣の音に合わせて、意味のない雑談は打ち切る。
「……『異世界』で『冒険』して、やっと帰ってきた。その実感が、いま、少しだけしてる」
(うん、よかった……。ちゃんとカナミが故郷に帰れて)
「僕は全ての物語を終えて、『元の世界』に帰ってきた……。
視線を少しだけ逸らして、沖で浮かぶ黒い船たちを遠目に見つつ、自嘲する。
「でも、それを報告する相手が、どこにもいない」
(カナミには、家族が待ってると思うよ……)
「妹の陽滝は死んだ。それを父さんと母さんに、なんて言えばいい? 幼馴染の湖凪ちゃんにも合わせる顔もない」
嗤って否定する。
思い出すのは、とても懐かしい記憶。
いつも雨が降っていたような気がする。
昔住んでいた高層ビルの一室で、家族四人で過ごした思い出。
何度か見たことのある湖凪ちゃんの実家も、陽滝と二人暮らししたアパートも、もう知っている人は誰もいないだろう。特別、帰らないといけないような場所は一つもない。
「僕の知っている『元の世界』は、どこにもなかった。もう僕にとって、ここも『異世界』なんだ。『帰還』できても、僕は『異邦人』のまま、何も変わっていない」
(カナミ……。でも――)
「
荒々しく、ラスティアラの言葉を遮ってしまう。
でなければ、彼女は上手く僕を慰める。僕がセルドラに軽々しく「辛いね」と言ったときのように、誰よりも僕の心を理解してくれる――からこそ、その『声』を僕は跳ね除ける。
僕は本音を吐く。
「わかってるんだ。誰も褒めてくれないんじゃない。
あの最後の戦いを乗り越えて、僕は陽滝とラスティアラを失った。
それは喪失感だけじゃなくて、達成感や充実感も混じっていて、本当に複雑な気分だった。
人生とはそういうものだと痛感した。
何もかもが上手くいく物語なんて、そうそうない。
誰もが、何かを失っては、何かを手に入れて。
苦しくも、楽しくも、必死に人生を生きていく。
前へ前へ前へと、進むしかない。
だから――
これでいい。
これでいい。
これでいい。
と、そうずっと繰り返してきた。
…………。
けど、『反転』した音も、鳴り響く。
祝言と合わせて、呪詛も。
――
ずっと『矛盾』し続けていた。
「ああっ、当たり前だ……。僕は本当に、『最悪』だった。勝手に両親を避けて、勝手に引き篭もって。妹の苦しみに気づけず、魔法を諦めて。両親を牢に追いやった上で、幼馴染を殺してしまった……! 『異世界』でもだ!!」
本音が、止まらない。
誰かのせいで、もう僕の中には、
「『異世界』で最初に会った女の子もたった一人の妹も、恋人も娘も、みんな……。みんなだ! みんな、もうどこにもいない! 僕のせいで!! それでも……? それでも、まだ笑顔でいろって……? ははっ、あはははは……、あはは。できるわけないだろっ!!」
話せば話すほど、乾いた笑い声が漏れる。
いくらでも『
「もう何も無い、のに! 『夢』は続く! 『後悔』は続く! 『未練』は膨らむ! 生きていれば生きているほど、思う!! 毎日、思う! 目が覚める度に……、最初に思う……!」
喪失感に続いて、絶望感が。
背徳感が、空走感が、無力感が、敗北感が、罪悪感が、溢れ出す。
だから、ラスティアラに向かって、懺悔するように祈る。
「もし……、もっと僕が上手くやっていれば、誰も消えることなかったんじゃないかって……。『理を盗むもの』たちも、もっともっと報われていたんじゃないかって、思うんだ……。もしかしたら、いまここに……! 僕の隣に! この『元の世界』に、みんなも一緒に来られたんじゃないかって! いまも、ラスティアラは生きていたんじゃないかって!! そう……、ずっと思ってる……」
いつの間にか、僕は膝を突いていた。
柔らかな砂浜で、
「その
いつの間にか、涙が溢れて、砂浜に零れ落ちていた。
空いた左手で拭おうとしたら、たっぷりと掬えた。
驚くほどの涙が流れて、止まらない。
理由はわかっている。
最初から、限界だったんだ。
「セルドラが教えてくれた……。ずっと僕は、倒れたまま。『試練』とか『未練』とか言われても、もうやる気がしない。どうでもいい。だって、どれだけ頑張っても、『ラスティアラの世界』が明るくなるだけで……、『僕の世界』は暗いままなんだから……」
鼻を啜り、泣きじゃくりながら。
僕も弱音を吐き出し尽くす。
「こうして、泣いているときだけは少し気分が紛れる……。でも、泣いている姿は『ラスティアラ・フーズヤーズの手記』に書き残すわけにはいかないから……。唯一、寝ているときだけが休める時間だった……。そして、こんな暗い『僕の世界』が、ずっと続いていくと思うと……。これから、本当に永い時間、このままだって思うと……、
その跡に残っているのは、もう一つだけ。
(カナミ……)
「だって、『
空っぽの底にへばりついている
それは粘度があって、熱が篭っていて赤く、ドロドロと這い出てくる
顔を上げた。
『ラスティアラ』がいる。
『呪い』とわかっていても、救いの光が
神々しさで、涙が止まらない。笑顔が深くなる。愛しさで、這いずり進める。
無数の『紫の糸』が腕から伸びて、『ラスティアラ』を捕まえようとして――でも、触れられないから、勝手に飢えて『詠唱』が成立していく。体内の『魔石』から力を引き出して、星属性の魔力特性で、質量のない『ラスティアラ』の魂を引っ張ろうとする――それでも、『ラスティアラ』は遠いままだから、魔法の引力を強めようと口にし続ける。
「『愛してる』。『ラスティアラ』を、この世の誰よりも、『愛してる』」
それしか、ない。
『ラスティアラ』以外、もう僕は何も考えない。
けど、口は勝手に動く。
それっぽく、動く。
僕はそういうやつだ。
「『ラスティアラ』。おまえを『幸せ』にしたい。けど、それは僕が『幸せ』じゃないといけない……。そうわかってるから、『ずっと幸せに暮らし続ける』って物語を僕なりに考えて、続きを書いた……。けど、この
(……カナミは、才能ある! 私が見てきた誰よりも、私は好きで! 最高にかっこよくて、面白くて、楽しくて――)
そして、ラスティアラはこういうやつだ。
こんな僕でも、そう笑顔で言ってくれるから、好きになる。
僕も、ラスティアラが好きだ。
誰よりも好きだ。
この好きって気持ちは誰にも負けない。
ラスティアラが僕を好きと思うよりも、絶対に。
「『ラスティアラ』、『愛してる』」
(…………っ!)
四度目の『愛してる』を聞いて、ラスティアラは絶句した。
ここまで来ると、もう僕の内情は気づいているのだろう。
『狭窄』の果てに、頭の中には『ラスティアラ』だけしかない。
瞳も《ディメンション》も『紫の糸』も、何もかもが『ラスティアラ』だけしか映してなくて求めてなくて、会話も身体も思考も物語も、ほとんどが『並列思考』による全自動で、もはや『相川渦波』は『ラスティアラ』を求めるだけの現象でしかなく――
(わ、私もだよ。私も、カナミを愛して――)
「おまえのいない世界は、生きていても意味がない。死にたい」
笑って、伝えていく。
僕にとっての『たった一人の運命の人』とは、どういうことだったかを。
『愛』とは。
『愛してる』の本当の意味は。
二人の言葉の
「いまこそ、僕の『幸せ』を聞いて欲しい。ラスティアラは英雄譚のような続きを求めていたのかもしれないけど、僕は片田舎で稲を刈るような続きでも十分に良かった。いや、それが一番良かった。……普通だ。普通が、いい。特別なことは何も必要ない。ただ、普通に、おまえと一緒に――」
いま、ずれを合わせて。
言ってはいけないことを言う。
言えば、何もかも終わりの台詞を――
「ずっとラスティアラと一緒がよかった」
(それは、私も――)
「
その台詞を読んだから、終わり。もう全てが、終わりだ。
ただ、こうやって人生の『頂上』から逆さまになって墜ちるのは、ちょっと清々しかった。……あの
「わかってる。それだと、僕たち二人の愛が本物だって『証明』が消えてしまう。けど、それでも、僕は生き返って欲しい。……だって、『ラスティアラを愛してる』。『たった一人の運命の人』に生きていて欲しい。って、そう願うのは、別に……、普通だって、僕は思う……」
(……カナミ)
「無理を言ってるのも、わかってる。たとえ生き返っても、一生一緒なんて『夢』みたいな話だ。僕は『次元の理を盗むもの』で、ラスティアラは『
本に書き続けては、何度も消しゴムをかけてきた想いが、心の底にたくさんへばりついている。
引き剥がすように、読み続けていく。
たとえ、それが『詠唱』と化していても。
『狭窄』のせいで『狭窄』して、さらに『狭窄』し続けているとしても。
「――『ラスティアラ』、聞いて欲しい――」
これは、書き足した張りぼての〝幸せ〟じゃないから。
これこそ、全てが本気の『
「――『
『
『
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『
『
僕は『
星の魔力を増幅していく――
「『
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『
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『
詠めば読むほど、少しずつ周囲の色は歪んでいった。
ずずずと。
砂と空気が、僕に引き寄せられていく――
「『
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『
『
『
『
『
『
『
星の魔力は増幅し続ける。
ついには膝を屈しているだけで、砂浜どころか海の波さえも引き寄せ始めた。
しかし、どれだけ引き寄せようとしても、目の前の『ラスティアラ』は全く近づいてくれない。
「『
『
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『
『
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『
『
『
『
僕の身体は星の魔力で、海と夜空と星々を。
全てを、吸い込んでいく。
それでも、僕は『ラスティアラ』に近づけない。永遠に。
――ならば、もう僕が『ラスティアラ』を書くしかない。
本に、砂浜に、星に、次元に、世界に、僕は至るところに文字を書き始める。
『ラスティアラ』で頭がおかしくなる前に、『ラスティアラ』で心が捻じ切れる前に。『ラスティアラ』『ラスティアラ』『ラスティアラ』と書いて、書き吐き出していく。
「『
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『
『
『
『
『
『
『
泣いているまま、そう僕は書き終えて。
しっかりと笑顔も作って。
『次元の理を盗むもの』カナミとして、ささやかな願いを零す。
「――そんな、普通の『
それはラスティアラと同じようで、ずれていた。
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