97.最後の仕事



 国への手続きや細かな準備はスノウが全て終わらせていた。

 いや、正確には、ウォーカー家の人たちが分担して行ったようだ。瞬く間に話は纏まり、朝の内に僕たちはラウラヴィアから出て、西部の村へ向かうことになった。


 思えば、連合国を出るのはこれが初めてだ。

 僕は馬車の窓から、それとなく外の景色を眺める。


 若緑色の平原を下地に、遠くに白い山が見える。連合国の外は開拓地と聞いていたが、本当に何もない。簡易の道路はあれど、人の手が入っていない自然がほとんどだ。


 僕は馬車に揺られながら、一緒に景色を見ているリーパーに小声で話しかける。

 無理を頼んでリーパーと僕は同じ馬車にしてもらったのだ。スノウは少し不審がっていたが、必要なことだった。


「――リーパー。さっきのあれはなんだったんだ……?」

「ん、さっきって?」

「苦しそうにしてただろ……」

「んー、あれね。あれは、そのー……」


 リーパーは追及され、声の大きさを絞る。

 御者をしているウォーカー家の侍従には聞かれたくないようだ。


「なんて言うのかな……。ローウェンへの『殺人衝動』が、その……」

「さ、『殺人衝動』……?」


 その物騒な言葉を聞き、僕も声の大きさを抑える。


「うん。『殺人衝動』を抑えると、ああなるんだ……」

「抑えると辛いのか……?」

「身体が捻じ切れそうなくらい苦しい。自分の存在意義を否定してるせいかな……」

「…………」


 リーパーは魔法だ。

 それもローウェン・アレイスという存在を殺すためだけに創られた可能性は高い。その身の術式に抗うということは、『影慕う死神グリム・リム・リーパー』という存在全てを否定することになる。

 

 その苦痛は魔法でない自分にはわからない。

 しかし、自分自身を否定する苦しみが軽いものとは思えなかった。


「大丈夫、負けないから……」


 リーパーは笑って気丈に振舞う。


「リーパー?」

「――アタシは『ローウェンを殺す』なんて与えられた・・・・・使命なんかに負けない。誰にもアタシの運命を弄ばせない。偽りの感情には抗い続ける。アタシはアタシだからっ」


 そして、小さい声ではあるが、力強い言葉で宣誓する。

 その姿は齢一歳に満たない子供には見えなかった。自分の存在意義に真っ向から反抗し、自分自身の道を選ぼうとしている。その意志の強さに僕は敬意を持った。


「す、すごいな……、リーパーは」


 自然と言葉が零れた。

 リーパーの宣誓は、どうしてか、僕の心の深くまで響いた。


「……んー、いや、別に凄くないよ。これ、受け売りだからね」

「受け売り? 誰の?」

「たぶん、お兄ちゃん」

「え……?」


 思いがけない名前に僕は戸惑う。

 受け売りと言われても、僕はリーパーにそんなことを説いた記憶はない。


「はっきりとした言葉じゃないけど、流れ込んでくるんだ。『運命を弄ぶな』『嘘を許すな』『自分の願いを間違えるな』って掠れた叫び声が。その声は、誰よりも必死で、悲痛で、真剣で――だから、アタシはその声を信じてる」

「流れ込む……?」


 僕は咄嗟に首の紋様に手を当てる。

 流れる何かがあるとしたら、『呪い』の繋がりからだ。魔力だけでなく、感情も流れ込んでいるのだとしたら、いまのリーパーの言葉の意味はわかる。


 ただ、いつ僕がそんな感情を持っていたかの問題を別にすればだが……。


「だから、アタシの言っていることは、お兄ちゃんの言葉でもあるんだよ……」

「僕の言葉……」


 それを最後に、リーパーは目線を外の風景に向け直した。

 先ほどまでの悟ったようなリーパーは消え、それは年相応の表情に戻る。


 彼女の言うことを、少しだけだが信じられると僕は思った。

 先ほどの言葉はリーパーだけのものとは思えない。いまの言葉が過去の僕の言葉だと思うと、色々としっくりくる。


 過去の僕は激怒しているのかもしれない。


 僕は僕の感情を見つめ直す。

 はっきり言って、いまの僕に先ほどのリーパーのような強い信念はない。確かに嘘や無秩序は嫌いだ。けれど、あそこまでの意思は持っていない。


 ならば、僕はどうやってそこまでの意思を得て、どういう理由があってそんな言葉を吐いたのだろうか。


 『運命を弄ぶな』。『嘘を許すな』。

 そして、『自分の願いを間違えるな』。


 西の村に着くまで、それを考え続けた。

 考えないわけにはいかなかった。


 そうしているうちに時間は過ぎていき、馬車は平原を進み続ける。



◆◆◆◆◆



 半日ほどかけて西の村に辿りつく。

 想像してたよりも随分としっかりとした村だ。辺境の田舎っぽさは感じるが、広さだけならラウラヴィアの街と同じくらいはある。


 僕たちは村で暮らす人たちに挨拶しながら、中心部にある館へ向かう。

 依頼者である村長と顔合わせだ。


 ここでもウォーカー家の侍従たちが大活躍していった。交渉から契約まで、全ての作業を行ってもらったため、遠くの地で依頼クエストをやっている実感が湧かないほどだ。

 一応、パーティーリーダーとして立会いはしていたものの、口を挟めるような不備は一つもなかったので、本当に立っていただけだ。


 すぐに討伐へ出発することが決まり、村長の館から出ていく。


 館の近くでは、またローウェンが子供たちを相手に遊んでいた。村の人たちの交渉の間、暇だったのだろう。剣技を見せては、「おぉー」という感嘆の声をもらっている。ローウェンは気分よく、次々と技を繰り返していた。


 そんなローウェンを置いて、貰った地図を地面に広げる。

 近くで遊んでいたリーパーを引っ張ってきて、一緒に立地の確認を行うことにする。


「――魔法《ディメンション・多重展開マルチプル》!」

「――アタシも魔法《ディメンション》!」


 次元魔法を扱うものに斥候は必要ない。

 そして、迷子とも無縁だ。


 僕は魔力を村全体、近くの山全体、目的の廃城にまで浸透させて、その地形情報を収得していく。並列作業で、右手で地面の地図の古いところを書き直していく。僕は一度見ただけで覚えるが、念のためにスノウとローウェン用に正確な地図にしていく。


 隣のリーパーは「むむむぅ」と唸りながら、僕の真似をしている。しかし、彼女の魔力では僕ほど遠くまで探れないようだ。山の麓までといったところだろう。


 それを微笑んで見守りながら、さらに《ディメンション・多重展開マルチプル》を広げる。

 構造を把握し、城に住み着いた竜を探す。思ったよりも城は大きい。ラウラヴィアの城にも負けない大きさだ。


 枯れた巨大な庭が特徴的な城だった。

 以前にお邪魔したラウラヴィアの城の三倍の大きさの庭だ。この城の持ち主は緑が好きだったのかもしれない。


 そんなことを考えながら、さらに奥深くまで魔法を飛ばす。

 すぐに竜は見つかった。堂々と玉座で眠り込んでいたのだ。


 人間用の玉座を座り潰し、上座で丸まっている。周辺には村から略奪したであろう作物が大量に転がっている。それ以外には何もない。

 

 見栄えの悪い光景だ。おとぎ話ならば、色鮮やかな竜が金銀財宝を守っていることが多いが、こいつは光り物を一切持っていない。


 黄土色の鱗に汚れきった身体。いまにも崩れそうな廃城を根城にして、財宝は皆無。周囲の根野菜たちが、その質素さに拍車をかけている。



【モンスター】ドラヴドラゴン:ランク26



 どうやら、迷宮外のモンスターにも『注視』はできるようだ。

 ランク26という情報に安心する。数値的に見れば、迷宮30層まで潜っている僕の敵ではない。


くすんだ竜ドラヴドラゴン……、発見……」


 それと同時にドラヴドラゴンは目を開けた。次元魔法の魔力を感じ取ったのかもしれない。


 しかし、すぐにドラヴドラゴンは目を閉じる。

 慣れた様子だった。もしかすると、こういった探索魔法をかけられるのはよくあることなのかもしれない。


「え、え、お兄ちゃん……。どこ、どこ?」


 リーパーは僕の発見報告を聞いて、あたりをきょろきょろしながら聞いてくる。

 仕方がなく、リーパーの《ディメンション》を僕の魔力で手助けする。普通の魔法使い同士ならばできない芸当だが、僕とリーパーならば可能だった。

 僕とリーパーは『呪い』で繋がっている上に、魔力の属性と質が似ている。《ディメンション》の共有くらいは可能だ。


「リーパー、そっちじゃない。北北西のほうに広げて、……そうそう」

「お、こっちか。おぉー、なんかすごい城がある! でかいトカゲも発見!」


 リーパーの《ディメンション》をいざない、何とか彼女にも竜を確認させる。

 僕とリーパーが確認したのを見て、スノウは意気揚々と出発を宣言する。


「ん、よし。あっちの方か。それじゃあ行こう。――ローウェン・アレイス!!」


 ローウェンはスノウに呼ばれて、子供たちとの交流を止める。

 そして、満足そうな顔で別れを告げると、「頑張れ、ししょー」と見送られていた。どうやら、ローウェンはここの子供にも『師匠』と呼ばせているようだ。 


 こうして、僕たちは山の中に入っていく。

 本来ならば大掛かりな準備が必要とされる竜討伐だが、僕たちは軽装も軽装だ。遠征に必要な道具は全て『持ち物』に入っているので、僕たちはそれぞれ武器を一つ持っているだけだ。

 手荷物がないので、さくさくと進行できる。


 山道を歩きながら、僕は討伐対象の情報を見直すため、スノウに話しかける。


「このペースだと、本当に一日で終わりそうだな……。ドラヴドラゴン討伐……」

「ん、そういうのを選んだからね」

「しかし、こんな近場の竜が今日まで倒されていなかったのは不思議だな」

「不思議でもなんでもない。今日まで『くすんだ竜ドラヴドラゴン』が討伐されなかったのは、むしろ当然」

「当然……?」


 スノウは歩みを止めずに話し続ける。


「割に合わない竜だから。強いくせに懸賞金がとにかく低い。だからずっと余ってた」

「へえ、そうなのか」

「他の典型的な強欲な竜と違って、とにかく欲がない。必要最低限の作物を奪う以外の悪行をしない。その作物の量も本当に最低限。そのせいで、倒しても雀の涙ほどの報酬しか得られない。それでいて竜自体の強さは変わらないのだから、誰も倒そうとしない」


 どうやら、残っているのにはそれなりの理由があるらしい。

 国としては排除したいと思っているものの、その被害の少なさのせいで優先順位がとても低いようだ。


 それはつまり――


「賢い竜だな」

「違う。小賢しいんだよ」


 僕の竜への感心は、スノウの忌々しげな声に否定された。


「小賢しい……?」

「他の竜が死んじゃったから、誇りを捨てて引きこもってる。小賢しいやつ」

「えっと、昔は他に竜がいたのか……?」

「うん。連合国開拓地には、他に三匹の竜がいた。まあ、どれもグレン兄さんが殺したんだけど……」


 最後に、グレンさんの名前を出すとき、スノウは少しだけ目を泳がせた。

 僕は臨戦態勢に入っていたため、《ディメンション》が研ぎ澄まされていた。そのせいで、スノウが嘘をついたことがわかってしまう。


 だからといって聞き直しはしない。

 僕の感覚が百パーセント正しいという訳でもないし、特に知りたい情報でもない。


「その三匹は危険度が高かったんだね」

「典型的な欲深い竜たち。村を焼き、街を襲い、人を食らい、財宝を奪う。すぐに目をつけられて、高額の賞金がついた。たくさんの賞金稼ぎや騎士を返り討ちにしたけど、それでも最後は無様に死んだ」

「人間対竜か。おとぎ話みたいだ……。どんなに強い竜でも、いつかは負けるんだな」

「うん。そうだね」


 スノウは少しだけ悲しそうに頷き、静かになる。

 スノウは竜人ドラゴニュートだ。その身に流れる竜の血が、同情を誘っているのだろうか。


 僕は暗くなりそうな話題を避け、目の前の問題を煮詰める。


「それで、このドラヴドラゴンとはどう戦う? 資料を見る限りだと、かなり強そうだけど……」

「真っ向勝負する。たぶん、一方的に終わる」

「いや、そうかもしれないけど……。もっと、こう作戦とか……」

「このパーティー全員が前衛だから、そうするのがベスト」


 スノウも真っ向勝負をしたくてしているわけじゃないようだ。

 僕はパーティーのアンバランスさに頭を痛める。


「そっか。できれば魔法に特化した人が欲しいところかな――」

「それは必要ない」


 しかし、その悩みはスノウにばっさりと切られる。

 僕は驚いてスノウに目を向ける。


「え、どうして……?」

「え、えっと、それは――」


 スノウは困った様子で次の言葉を探している。勢いで遮ったものの、理由までは用意していなかったようだ。

 

 その反応に僕も困り果てる。

 スノウは僕を婿に迎えようと画策しているのはわかっている。愛どころか好意があるのかも疑わしいが、僕を利用して「楽をしたい」と思っているのは確かだ。


 しかし、だからといって戦闘の効率まで邪魔されても困る。なので、僕は自分の意見をはっきりと主張することにする。


「スノウ、自分の都合を仕事に持ち込まないでくれ」

「ち、違うよ? ごめん、そんなつもりじゃなかったんだ。……お、怒ってる? 怒ってないよね?」


 僕が少し厳しくすると、スノウは態度を豹変させる。

 その卑屈な姿は、グレンさんとよく似ている。血は繋がっていないが、兄妹であることがわかる。


「いや、怒ってない。怒ってないから」

「よかった……。さ、さっきの必要ないっていうのは『エピックシーカー』には優秀な魔法使いが十分いるからって意味だからね。そうだっ! 次はテイリを呼ぼう?」

「そうだね。テイリさんがいれば戦いの幅が広がる……」

「ん、そうしよう!」


 必死に言い繕うスノウに同意する。

 それを聞いてスノウは嬉しそうに頷いた。僕と意見が合ったことが嬉しいようだ。


 僕は苦笑いが止まらない。

 時々見るこの媚びた態度が、スノウなりのアプローチであることはわかる。けれど、その態度こそ、僕の最も苦手としているものだ。

 それをはっきりと彼女に伝えた方がいいのかを迷う。


 しかし、強く言えば、また舞踏会の夜のように変なことを言い出すかもしれない。

 

 スノウに関しては、問題を元から絶たないと解決しないだろう。

 貴族との婚約。ウォーカー家の責務。スノウの弱さ。いや、それ以前にあるであろう根本――


「はぁ……」


 僕は溜息をつく。

 ただでさえ、僕の問題も綺麗に片付いていない。

 そこに色々な問題が上乗せされ、僕の心労は増すばかりだ。


「カナミ……、大丈夫? どうかした?」


 スノウは心配そうに僕の方へ寄り添ってくる。

 その初めて出会ったときと真逆の姿は、本当に可憐で女の子らしい。しかし、その姿には強い違和感を覚える。


 簡単に言ってしまえば、可愛らしいスノウはスノウらしくない。

 僕にとってのスノウは、もっと気だるげで生意気で奔放なやつなのだ。


 何より、あの頃のスノウのほうが幸せそうだった。

 いまのスノウは無理をしている。笑顔が卑屈すぎて見ていられない。それがいまのスノウを受け入れらない一番の理由なのかもしれない。


「大丈夫。それよりも、もう少しドラヴドラゴン戦の作戦を詰めよう」

「ん、わかった。じゃあ――」


 僕はスノウと作戦を煮詰めながら、並列作業で違うことを考える。

 どうすれば、スノウを元に戻せるか。


 婚約問題さえ片付ければ、スノウの余裕は戻るだろう。


 しかし、この世界の貴族の仕組みに疎い僕には難しい問題だ。思いつくのは僕が婚約者の振りをして時間を稼ぐくらいだ。

 ただ、それが有効かどうかの判断ができない。そのまま、なし崩し的にスノウと結婚させられてしまう可能性だってある。


 婚約者の振りは最終手段だ。

 僕はスノウと話しながら、もっと別の方法を考える。


 しかし、新しい良い案を思いつくことなく、僕たちはドラヴドラゴンが待つ廃城へと辿り付いてしまう。


 険しい山道だったが、僕たちに疲れはない。

 僕たち四人の体力は普通ではないし、もっと厳しい迷宮に慣れているからだろう。リーパーに至っては、休むどころか興奮して周囲を飛び回っている。

 

 雰囲気のある廃城を前に、辛抱できないようだ。


 僕はリーパーを視界から外し、首根っこを掴み押さえて、城の敷地内に入っていく。

 少し歩くと、例の巨大庭園まで辿りつく。


 色鮮やかな花々は一つもない。端から端まで緑色だ。ただ、色あせた深緑から明るい黄緑までの様々な緑が織り交ざった庭園には、独特の美しさがあった。

 寂れているものの、不思議な統一感がある。


 どこか心の底をくすぐり――、郷愁の感情を呼び起こす。


「あれ、ここ……?」


 リーパーは庭園を見回して呟いた。


「リーパー、どうかしたのか?」

「う、ううん。何でもない。ただ……、ちょっとだけ懐かしい感じがして……」

「懐かしい……」


 どうやら、リーパーも僕と同じ感情を抱いていたようだ

 この緑の庭園は懐古の情を抱かせやすいのかもしれない。


 しかし、ローウェンは僕と違う考えに至ったようだ。


「リーパーが懐かしい……? ――スノウ君、ここは何て名前の城なんだ?」

「名前……? 名前はない。いわば『名もなき廃城』。ついていたとしても地方名が頭につくだけ」

「なら、この城がどういった理由でここに建っているかはわかるか?」

「わからない。これは開拓地にあった遥か過去の遺産。失われた時代に建てられたものだと思う」

「そうか……。過去の遺産か……」


 ローウェンは難しい顔のまま考えこむ。

 しかし、すぐに表情を崩して、前を歩き始める。


「――いや、どうでもいいことだな。それよりも、いまは竜だ、竜。カナミ、このまま真っ直ぐでいいのか?」

「真っ直ぐでいいよ。あの竜、堂々と玉座で寝てるから」

「わかった。それじゃあ、先に進もう。私たちは竜を倒しに来たのだからな」


 先んじるローウェンの後ろを、僕たちはついていく。


 生い茂る緑の世界を抜け、僕たちは城の入り口に着く。城の巨大な門は破壊されており、ドラヴドラゴンでも出入りできるようになっている。


 攻撃魔法に特化した魔法使いがいれば《ディメンション》を使ってここから攻撃できるのだが、いないので普通に入るしかない。


 最後に、僕たちは陣形の確認を行い、『持ち物』から対竜用の道具を取り出す。対竜用の道具と言っても、ただの丸太だ。スノウが二本、僕が一本持つ。


 準備を整えた僕たちは、警戒しつつ城内に侵入する。

 カビと苔だらけの玄関を越えて、大階段を上がり、玉座の間に入っていく。


 そして、ドラヴドラゴンと邂逅する。


 僕たちが玉座の間に入ると同時に、ドラヴドラゴンは翼を広げた。


 ドラヴドラゴンは僕たちが城内に侵入した時点で起きていた。そのことから、鋭敏な感覚を持っていることがわかる。ドラヴドラゴンはここで僕たちを迎え撃つ気のようだ。


 その巨大な体躯に威圧される。

 いままで様々なモンスターと戦ってきた僕だが、ここまで大きなモンスターは初めてだ。姿は西洋のおとぎ話に出てくる竜そのもので、翼の生えた巨大なトカゲだ。体長は十五メートルほどだが、その巨大な翼を広げることで数字以上の存在感がある。硬そうな黄土色の鱗に覆われ、身体のあちこちに古傷がある。数々の死線を乗り越えてきたことが、その外見から見て取れた。


 そして、ドラヴドラゴンはゆっくりと、その首をこちらに向ける。

 巨大な頭だ。頭だけでも僕たち四人を丸呑みできそうなほど大きい。


 爬虫類に似たドラヴドラゴンの目が、僕の目と合う。

 そして、少し視線がずれて、隣のリーパーに向けられる。


 僕とリーパー。

 この二つの存在に強い興味を示していた。


 ドラヴドラゴンは喉の奥を鳴らす。打楽器ティンパニーを連打したかのような音を鳴らしながら、僕とリーパーだけを見続ける。


「え……?」


 敵意は感じなかった。

 それどころか、竜の双眸から確かな知性が感じ取れる。

 この竜は、僕とリーパーに――


「――カナミっ!」


 ぼうっと突っ立っていた僕に、スノウの叱責が飛ぶ。

 一番前にいたローウェンは、すでに腰の剣を抜いていた。慌てて僕は手に持った丸太を放り捨て、『持ち物』から『クレセントペクトラズリの直剣』を取り出す。


 計画通りならば、僕とローウェンが最初に突貫することになっていた。スノウとリーパーはその後ろから、不意打ちを狙う形だ。


 ドラヴドラゴンは凶器を取り出した僕たちを見て、表情を変える。理知的な双眸を冷酷で獰猛な双眸に変えて、巨大な口を開ける。

 そして、万の体鳴楽器シンバルを鳴らしたかのような咆哮をあげた。


 咆哮に合わせて、僕は左前方に駆け出す。ローウェンは右前方だ。

 ドラヴドラゴンは駆け出した僕たちに対し、その翼を大きく羽ばたかせることで風を起こした。

 その風は、ただの風ではない。最上位のモンスター『竜』が起こした風、『竜の風』だ。膨大な魔力が篭められた突風が全身に叩きつけられる。


 この風が、ただの力学的エネルギーだけで構成されているのならば、僕にはどうしようもなかっただろう。しかし、そこに魔力が加わっているのなら――対応できる。


「――《次元の冬ディ・ウィンター》!」


 僕は突風に含まれた魔力をずらす・・・

 ドラヴドラゴンの魔力運用は雑に見えて、その実、緻密だ。ただ羽ばたいただけでも、緻密な風魔法が編みこまれている。流石は竜の神秘だが、僕に対しては逆効果でしかない。


 緻密であれば緻密であるほど、ずらされた・・・・・ときの対価は大きい。

 『竜の風』は『ただの風』になり、僕は身体の筋力だけで突風に耐えきる。


 反対側のローウェンは対応できず、吹き飛ばされていた。やはり、魔法で攻撃されるとどうしようもないようだ。


 しかし、それでもローウェンは『史上最強の剣士』だ。玉座の間の石柱や壁を蹴り、超人的な身体能力で後方に押し戻されるの拒否している。


 ドラヴドラゴンは風を乗り切った僕たちに爪を振るう。

 殺人的な膂力の乗った爪を、僕とローウェンは身体ごとかわす。


 間髪入れずに、ドラヴドラゴンの尻尾が石柱を倒しながら振り払われた。狙いはローウェンだ。ただ、彼は高速で近づいてくる尻尾の上に一瞬だけ手を置き、フェンスを乗り越えるかのように跳び越える。

 

 初手――1ターン目が終了する。

 そして、僕たちの陣形は完成する。ドラヴドラゴンから見て前方にスノウ、右側面に僕、左側面にローウェン、後方に――


「――背後、取ったぁ!!」


 リーパーの大鎌が竜の背中を裂く。

 しかし、浅い。


 ドラヴドラゴンの巨体に対して、武器が小さすぎるのだ。

 それでもダメージはダメージだった。ドラヴドラゴンは怒りで喉を鳴らしながら、後ろに振り向く。


「ひひっ、振り向いたね・・・・・・! なら、おまえは『影慕う死神グリム・リム・リーパー』の獲物だ! ――魔法《ディメンション・黒泡沫ナイトメア》、魔法《フォーム・深淵ディプス》!!」


 リーパーは見たことのない次元魔法を使って、大鎌に黒い魔力をまとわりつかせた。いつの間にか、リーパーも成長しているようだ。解析したい欲求にとらわれるが、いまはボス戦中なので我慢する。


 ドラヴドラゴンは爪と尾を使って背後のリーパーを攻撃するが、瞬間移動を繰り返す彼女を捕らえきれない。そもそも、僕が《ディメンション》で確認している限り、リーパーは実体がない。直撃してもノーダメージだ。しかし、ドラヴドラゴンがリーパーの特性を知るはずもなく、攻撃を繰り返す。


「――魔法《インパルスブレイク》」


 そして、ドラヴドラゴンの前後が完全に入れ代わったのを見て、スノウが渾身の魔法を打ち出す。

 とはいえ、振動魔法を纏わせた丸太をぶん投げるだけだ。

 

 ドラヴドラゴンの緻密な魔法と比べると、かなり原始的だ。

 しかし、原始的であるからこそ、確固とした力強さがある。スノウの馬鹿力で放たれた丸太はドラヴドラゴンの巨体を揺るがすほどの威力があった。


 体勢を崩した隙を突いて、僕とローウェンが切りかかる。


「――魔法《魔力氷結化》」

「――スキル『魔力物質化』」


 巨体のドラヴドラゴンに有効打を与える為、剣の刃渡りを伸ばす。そして、その長剣で敵の腕や脚に斬りつける。


 ドラヴドラゴンは四方からの連携攻撃に対し、なす術がなかった。


 そして、トドメと言わんばかりにリーパーがどす黒い魔力を纏わせた大鎌を振るう。その瞬間だけ、僕は《ディメンション》でリーパーを追うのをやめる。


 ドラヴドラゴンの背中が裂かれる。傷は左の翼まで達しており、もう少しで翼が千切れ落ちそうなほどの深手だ。


「――ガァアアアアア!」


 ドラヴドラゴンは絶叫と共に倒れこんだ。

 そして、うずくまったまま、浅い呼吸を繰り返すだけになる。


 致命傷を与えたと判断した僕たちは攻撃の手を緩める。


 もちろん、臨戦態勢は解いていない。ただ、相手の動きに合わせて、その背後の者が隙をついていく陣形だったので、手を出すタイミングがなくなったのだ。


 玉座の間に静寂が満たされていく。


 ドラヴドラゴンは浅い呼吸のまま、首を少しだけ動かす。

 そして、その双眸を僕に向ける。


 じっと僕だけを見つめ、喉の奥で微かに何かを吼えている。


 この竜は僕に何かを伝えようとしている。そんな気がした。

 しかし、何もわからない。

 優れた技量と観察能力があろうと、いまこの場で竜の言葉を理解することはできない。


 それでも僕は、竜の意思を汲み取ろうと剣先を下ろして、一歩だけ近づく。

 近づいてみる。


 もしも。

 もしも、だ。

 この竜を殺さなくても、依頼クエストを達成する道があるのならば、それは――


「違う。誇りなき雑種竜に差し伸べる手はない」


 スノウの冷たい声が玉座の間に響いた。


 ――その声はドラヴドラゴンに話しかけたように聞こえた。


 巨大な斧を振り上げて、いまにもドラヴドラゴンへトドメを刺そうとしている。

 その宣告を聞き、ドラヴドラゴンは殺気を増す。


「あ、まてっ、竜の首は私が頂く! 『竜殺し』は私が――!」


 ローウェンは竜のトドメ役を貰おうと、剣を持って前に出る。


 そして、リーパーは――、リーパーだけは違った。

 僕と同じように武器を下ろして、神妙な顔でドラヴドラゴンを見つめていた。


 この差は何だろう?


 それを知るために、もう少しだけ竜とコミュニケーションを取りたかった。

 しかし、全ては遅い。


 スノウとローウェンの攻撃がドラヴドラゴンへ届く。

 頭部に大斧が打ち込まれ、頭蓋が砕ける。首に剣が食い込み、大量の血が噴出する。


 これによって、ドラヴドラゴンは絶命――はしなかった。

 恐ろしい生命力で、まだ生きている。


 ドラヴドラゴンは大斧が打ち込まれたまま、頭部を振り回してスノウを突き飛ばす。


「――ぐぅっ!」


 さらに、首が千切れそうになりながらも、翼を動かしてローウェンを吹き飛ばす。


「――なっ!」


 スノウとローウェンはドラヴドラゴンの攻撃が直撃してしまい、容赦なく壁と床に打ち付けられた。



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