185.エピローグ


 ――パリンクロン・レガシィとの戦いの決着はついた。


 だが状況は悪い。

 このままだと、勝利者もなく全員が死んでしまう。

 そう思えるだけの凶兆を、『世界奉還陣』の暴走は孕んでいる。

 幾重にも地割れは重なり、もはやまともな平面の大地なんて残っていない。このまま、みなが倒れ続けていれば、大地の隙間に呑み込まれてしまうだろう。


 ――頼りになるのは僕しかいない。


 限界を超えたせいで、身体が裂けるように痛む。意識を手放さないので精一杯だ。それでも立ち上がろうと、身体に力をこめたところで――声が聞こえてきた。


「……ふふっ、こうも目論見通りに行くとは思いませんでしたね」


 その妙に礼儀正しく低い声には覚えがあった。

 人を安心させる大人の声だ。そして、誰か教え導く教師の声でもある。


「ああ、本当に素晴らしい。まさしく、いまの彼女こそ世界至高の宝石。我が『統べる王ロード』の代わりに相応しき存在……!」


 北に新たな国を作ろうとしている守護者ガーディアンアイド。

 間違いようはなかった。


「これで駒は揃ってきました! 千年前にも勝るとも劣らない布陣! これでやっと――」


 珍しく興奮した様子だった。

 だが、すぐに彼は感情を抑えつけ、静かになる。

 この末期の戦場では、もう僅かな時間もないことに気づいたのだろう。


「しかし、急がないといけませんね。このままだと、王の器が危険です。それに早く魔石のほうも回収しなければ。全ての魔石は王のためにあるのですから……。まずはカナミ様から魔石を抜いて……」


 聞き捨てならない言葉の羅列に耐え切れず、僕は歯を食いしばる。

 この男はキリストやハイン兄様の戦いを横から汚そうとしている。それだけは絶対に僕は許せない。僕は――、ライナー・ヘルヴィルシャインとして――!


「……ま、待ってください、アイド先生」

「……ライナー様?」


 『アレイス家の宝剣ローウェン』を杖にして、よろめきながら立ち上がった。

 視線の先には、妙な植物で見知らぬ女の子をくるもうとしているアイド先生がいた。

 アイド先生は目を見開いて驚く。まさか、僕が最後に残っているとは思っていなかったのだろう。


「騎士として、そんな真似は見過ごせません……」

「その表情、聞かれてしまいましたか……。少し興奮して油断してしまったようですね……」

「いま、キリストから魔石を抜くって言いましたね。この状況でそんなことすれば、間違いなくキリストは死にますよ?」

「構いません。自分にとって始祖である『カナミ』様は怨敵。殺意こそ湧けども、情けをかける相手ではありません」


 はっきりとアイド先生は言った。


 あのアイド先生にここまで言わせる『始祖カナミ』とやらのやったことが気になる。しかし、僕には関係ないことだ。重要なのは、いまの言葉で僕とアイド先生は相容れないとわかったことだ。


「なら、先生は僕の敵です……。いや、守護者ガーディアンアイド、あんたは僕の敵だ。キリストから『魔石』を抜きたければ、僕を倒してからにしろ……!!」


 煩わしい敬語を止めて、両の剣を広げてキリストの前に立つ。


「ライナー様は自分の敵になるのですか? 自分の記憶が間違っていなければ、貴方様は『パリンクロン・レガシィ』『キリスト・ユーラシア』『ラスティアラ・フーズヤーズ』を殺して仇を討つのが目的だったはずですが……」

「悪いが、もう変わったんだ。兄様に頼まれたんでね。いま言った三人の幸せを」

「君のお兄様は、もう死んでいると聞きましたよ」

「ああ、死んだ。けど、兄様はここにいる。わかるんだ。ここに兄様がいれば、命に代えてもキリストを守る。だから、僕も戦う。やっとわかったんだ……、僕の本当の役目が……」


 心を静かにすれば、すぐ傍に兄様の鼓動を感じる。


 それだけで、力が湧いてくる。もはや、この力は僕だけのものではない。ならば、この力を振るう方法は、僕の意思だけで決めてはいけない。


「ライナー様の中にハイン・ヘルヴィルシャインが? ……ああ、なるほど。……これだから人間は怖いですね。容易に世の理を無視する」


 アイドは目を凝らして僕を見て、すぐに得心がいったように頷いた。そして、忌々しげな表情を作る。まるで、何かしらの禁忌を破ろうとしている敵を見ているかのような目だった。だが、それはこちらも同じだ。


 次に僕は剣へと呼びかける。

 僕が二番目に尊敬している人へ、協力を頼む。


「ローウェンさん!!」


 輝く水晶の剣から、濃縮された『剣術』の心得が溢れ出す。


 僕は弱い。

 『パリンクロン・レガシィ』は『神童』だった。ハイリさんの話によれば『使徒』の加護もあったと聞く。

 『キリスト・ユーラシア』は『異邦人』だった。その素質は伝説の『始祖』の域に至っている。

 『ラスティアラ・フーズヤーズ』は『現人神』だった。その身体は『聖人』と同じく出鱈目だ。


 その三人と比べれば、僕なんてゴミだろう。ゴミ以下のクズだ。

 三人を守ろうと決意したものの、僕には何もない。まるで力が足りない。

 だが、それでも戦わない理由にはならない。

 守りたいと思うから守る。ただ、それだけ――それが僕だ。


 足りないものがあれば、他所から持ってくる。未熟ならば、死ぬまで鍛え続ける。素質がないのあらば、『代償』を足していく。

 優しいことに、この世界にはその手段がいくらでもある。


 だから、いまはローウェンさんを頼ろう。

 あの人とは約束をした。剣を教えてもらうという約束を――!


 右手に『ローウェンさん』を、左手に『ルフ・ブリンガー』を持って、僕は一歩前へと踏み出す。


「ローウェン……? まさか、あのローウェン・アレイス様ですか?」


 僕の様子が尋常でないと気づいたアイドは、その力の源を調べようとする。

 そして、後ずさりをして、服の袖から小枝を取り出す。


 守護者ガーディアンアイドは武器が使えない。

 ゆえに基本的には後衛を努める。だが、いまのように一対一を余儀なくされた場合は、小枝を使って戦う――話には聞いていたが、いざ見るとなると弱々しいにもほどがあった。


「――《グロース・エクステンデッド》! 《センスブレス》《ブランチウッドシェル》!!」


 すぐさまアイドは補助魔法を乱発して、自分の身体を強化する。

 戦闘には全く向いていない身体が、なんとか動けるレベルまで強制的に引きあげられる。


 アイドは速さに任せて走り、力に任せて腕を振って、握った小枝で僕の双剣を弾こうとする。

 ただの小枝が宝剣と火花を散らすという異様な光景が生まれる。


 アイドの技は拙いが、いまの僕相手にはそれでも十分だった。いかにローウェンさんの技を借りようと、気絶寸前の体調なのは変わりない。正直、立っているだけで限界だ。


 瞬時に不調を見抜いたアイドは、僕を放置して横を通り過ぎようとする。戦闘は避けて、目的のものだけを回収するつもりのようだ。

 そうはさせないと、僕はローウェンさんの魔法を唱える。


「――水晶魔法《クォーツ》!!」


 剣を黒い地面に突き刺し、水晶を生成する。

 その水晶はカビのように地面を這い、背後に倒れているキリストを覆った。


 アイドは服の袖から植物のつたを伸ばして、キリストに触れようとしていたが、水晶によって阻まれてしまう。


「これはローウェン様の水晶!? 誰も割れないやつじゃないですか!」


 その水晶をアイドは知っているようだ。

 水晶を砕こうと挑戦することなく、すぐに全てを諦めて飛び退く。


 アイドは距離を取りながら、大きく息を吐く。

 そして、思案していた。状況を見て、最善を模索しているのがわかる。

 僕はそれを追わない。後ろのキリストを守ることが第一であって、アイドを倒すことが目的ではない。


 思案を終えたアイドは、落ち着いた様子で首を振る。


「……ふう。ならば、仕方ないですね。ここは王の器だけで我慢しましょう。自分の計画にカナミ様は必須でありませんからね」


 そう言ってアイドは、遠くに寝転がる女の子へと寄る。

 新たな木属性の魔法を構築して、巨木を大地から生やす。その巨木の幹が裂け、女の子とアイドの身体にまとわりついた。


「では、また会いましょう、ライナー様。とはいえ、生きていればですがね」


 別れの言葉を告げ、二人は巨木に飲み込まれる。

 そのまま、巨木は時間を巻き戻したかのように、大地へと還っていった。


 戦場から二人の気配が消える。

 アイドは戦闘能力が低い。だからこそ、撤退の判断が迅速だった。


 僕はキリストを守りきれたことに安心し、大きなため息をつく。


「はあ……。なんとかなった。けど、このあとは……」


 周囲を見渡せば、もはや平らな荒野なんてものは存在していなかった。

 山と谷が無数に連なる黒い山脈だ。落ちたティーダの魔石なんて探しようもない。いまにもキリストの身体は谷の底へ転がり落ちようとしている。


 『世界奉還陣』が戦場に残った全てを呑みこもうとしている。

 そう感じた。


「仕方ない。僕にやれることは一つだけか――!」


 この嵐のような世界を歩いて、安全地帯まで逃げられる自信はない。

 だから、僕は魔力を搾り出す。


 じりじりと命が燃えているのがわかる。

 空になったMPで魔法を使った先に待っているのは命の燃焼だ。おそらく、これが今日最後の魔法になるだろう。


 しかし、僕にはそれしかなかった。

 僕は眠っているキリストの手を掴んで叫ぶ。


「もう二度と後悔はしない! この手は絶対に離さない! ――水晶魔法《クォーツ》!!」


 ローウェンさんの魔石が輝く。

 彼もまた、キリストを助けるために全力を尽くしてくれているのがわかる。


 いま、ローウェンさんと僕の想いは一つだ。

 パリンクロンやキリストの言っていた親和とやらが高まっていく。

 キリストを死なせない。それだけを考えて、魔法を構築する。


 そして、周囲の土が鉱石へと変換されていく。

 鉱石が生き物のように蠢いて、僕とキリストの身体を覆いだす。大量の水晶によって、僕たちは彫像のように固められていった。さらに厚い防御壁も構築され、水晶玉のように丸くなる。

 

「キリストは僕が死なせない! 絶対に、絶対に――!!」


 魔法の構築を終え、意識が遠ざかる直前、誓う。


 かつて、僕は自らの弱さゆえに、兄様を殺した。

 その苦しみを薄々と察していながら、妄信の末に見殺しにしてしまった。きっと、僕は手助けになるどころか、重しにしかなっていなかったことだろう。その後悔は、きっと僕が死ぬまで消えない。


 ああ、それはそれでいい。

 後悔は死ぬまでしてやるつもりだ。


 けど、重ねはしない。兄様が遺したものだけは守ってみせる。

 兄様の形見は、形ばっかりの貴族の家じゃない。フーズヤーズの騎士なんて立場でなければ、高価な剣や立派な制服でもない。


 きっと――この手に握った男だ。

 キリスト・ユーラシア。


 彼こそ僕の憧れた兄様が憧れた存在。兄様が命を賭けて託した存在。


 ならば、守らないといけない。

 このゴミクズの命に代えても――!


 口にして叫ぶのは恥ずかしい。

 だから、心の中でもう一度叫ぶ。



 あんたはこの僕が守る――と。



 そして、水晶に包まれた僕とキリストは、闇の大地へ呑まれる。

 大陸の底へ底へと、落ちていく。


 今度こそ、『世界奉還陣』での戦いは完全に終わった――

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