323.死を知ること

 落ちていく中、天上の円い光が遠ざかり、徐々に小さくなっていく。そして、その光球が消えてなくなってしまう前に、私を抱えたラスティアラは落下の角度を少し変えて、吹き抜けの縁にある柵に掴まった。


 地上の一階ではなく、中間地点である二十階に私たちは到着する。


 そこはフーズヤーズ城の中でも特別な場所で、仕切りとなる壁がなく開放的な場所となっている。普段は会合やパーティーが行われる大広間だが、用意されていた椅子や机は全て砕け散り、見る影もない光景だ。よく観察すると、上下への階段が氷付けになっており、完全に通行止めとなっている。それのおかげで警備の騎士たちはここまで入って来られないようだ。


 その激戦の跡の中、部屋の隅にて見知った顔が並んでいた。

 まずディアさん、そして眠る『水の理を盗むもの』陽滝様を腕に抱えるスノウさん。どちらも以前、敵である私を相手に仲良くしてくれた優しい人だ。

 さらに、その近くでは私が操っていた『魔人』の騎士たちも五人全員揃っている。全員倒されたのか、気絶の上に錠を使って束縛され、床に並べて転がされている。


 荒れた大広間の中を私とラスティアラは歩き、彼女たちに近づいていく。それを周囲を警戒していたディアさんが見つけ、声をあげる。


「ラスティアラ!? それに……『光の理を盗むもの』!!」


 当然だが、私に対しては警戒心が強い。いまにも魔法を放ちそうな姿勢で私を迎えるが、その間にラスティアラが入ってくれる。


「ディア、もう大丈夫。説得は終わったよ。説得は成功したから……」

「……成功したのか? それならいい。……それで、なんで二人だけなんだ? カナミは?」


 私たち二人の傍にお父様がいないのを確認して、ディアさんは周囲をきょろきょろと見回す。その姿を見て、ラスティアラは思案する。


「会ってないの……? いや、そういうのがラグネちゃんは得意か……」


 下へ降りていく途中で、この二十階の面子と出会っていてもおかしくはないと思ったが、そうではなかったようだ。ラグネは余計な相手は避けて、真っ直ぐ最下層まで落ちていった可能性が高い。つまり、ここにいる人たちには、まだお父様の死は伝わっていない。


 それをラスティアラも理解したのだろう。その末に、彼女たちを慮った発言をしようとして、


「カナミは、あとで合流するよ。うん、あとで必ず合流を……――」


 途中で言いよどみ、最後まで言い切ることはなかった。

 彼女は首を小さく振り、小さく謝り――そして、今回の戦いの結末を口にしていく。


「ごめん、嘘言いそうになった。カナミは死んだよ。殺された。四十五階で私たちがノスフィーと戦い終わったあと、ラグネ・カイクヲラに後ろから刺されて……死んだ。生き残ったのは私とノスフィーだけ」


 その告白を私は途中で止めそうになった。

 お父様を慕っていたディアさんとスノウさんにそれを伝えるということは、誰が考えても危険だ。ついさっきの私みたいに冷静でなくなるのは目に見えている。


 しかし、それをラスティアラは理解した上で、嘘を避けたのだろう。何かの誇りにかけて、ここで真実を隠すことだけはしたくないという意志がある。


 ディアさんとスノウさんは口を開けて、呆然とする。私のときと全く同じだ。

 いまのラスティアラの言葉を、その全く予期していなかった現実を――理解できないのだ。


「え……?」

「カナミが死んだ……?」


 確認する言葉が暗く、重い。

 傍で聞いている私が真っ先に膝を突きそうになる。その全てが、この状況を引き寄せた私に向けられた叱責に聞こえて……。


「カナミが、ラグネのやつに……? え、それは……? いや、確かにラグネは途中でここからいなくなったんだ……。ヒタキの様子がおかしくなって、ちょっと慌てて、目を離した隙に……。でもあいつのことだから、またみんなの役に立つことをこっそりするのかと、思って……それで、俺は……――」

「嘘っ! 嘘ついてる……!!」


 徐々に理解が深まり、二人の声が荒くなっていく。

 それをラスティアラは真正面から受け止めて、言い聞かせる。


「本当のことだよ。ごめん、私がいたのに……」


 そこで私は気づく。

 賢いラスティアラにしては、余りに下手な伝え方だ。そのことから、彼女が二人の感情の捌け口になろうとしているとわかる。


「え、え……。ラスティアラ、本当にカナミが……?」

「嘘に決まってる……。だって、カナミは死なないって、前に約束してくれた……。あのとき、私に約束してくれた……」


 二人はラスティアラを心から信頼しているのだろう。

 その言葉が嘘でないとわかり、暗く重かった二人の声が更に不吉を孕み始め、氷のような冷たさを伴っていく。


 声を耳にするだけで背筋が凍りつきそうだ。

 その二人の身から膨らむ魔力を目にするだけで血液も凍りそうだ。


 お父様の死――それを信じるくらいなら世界を壊してやる。そんな恐ろしさが二人にはあった。ラスティアラにはない愛情の重さが、彼女たちの声と魔力に含まれている。


 その気持ちが私にはよくわかる。

 ラスティアラのときと違って、これは痛いほどわかる。


 そうだ。

 違うのだ。

 本当ではない。

 これは嘘に決まっている。

 必ず嘘にしなければいけない。

 他でもない、この私が――!!


「――しかし、ディアさん、スノウさん! カナミ様は帰ってきます! 信じてください! 必ずわたくしが生き返らせます! わたくしは六十層の守護者ガーディアンであり、使徒によって作られた真の『理を盗むもの』であり、千年前の希望『光の御旗』! 全ては伝承通り、カナミ様にわたくしが『不老不死』を与えるための手順でしかありません! カナミ様は帰ってきますから、どうか落ち着いてください!!」


 ラスティアラより前に出て、二人の傍に近寄り、両者の手を取る。


「な、何を言って――!?」

「ぅう、ぅうううっ……!」


 どちらも強い殺気を放ちつつも、涙を目尻に浮かべかけていた。

 いまにも、かつての私のように泣き、叫び、わけもわからずに走り出しそうだ。狭くなりすぎた視野のまま、二度と届かないものを追い続ける『化け物』になりそうだ。


 ――駄目だ。


 そんな結末、私は許したくない。

 その苦しさを誰よりも知っているからこそ、彼女たちの悲しみも嘘にしたいと心の底から思う。


 だから、それを口にしていく。

 あのとても懐かしく、とても継ぎ接ぎの『詠唱』を――


「――『朽ちる闇も朽ちる光も』『等しく不白の白になる』――」


 先ほどの身体の状態を『代わり』を負うのと違い、こちらの精神の状態を『代わり』に負うのは経験があった。成功の自信があった。なにせ、私は精神干渉の専門だ。


 もちろん、全ての感情を奪うつもりはない。

 単純に背負いきるのが危険というのもあるが、奪い過ぎるのは彼女たちへの攻撃だ。


 弄ぶのではなく癒やす為に。

 自分の為でなく誰かの為に。

 騎士たちに光魔法をかけたとき同じく、その人の一番大切なものを守る為に――負う。


 かつての歴史を繰り返させないために、世界が彼女たちに与える過剰な辛さは削ぐ。それが『光の理を盗むもの』である私の役目であると思った。


 こうして、また私は、喉がちぎれ、胸が張り裂け、四肢全てが崩れるほどに叫びたい衝動に襲われるが……二度目のおかげか、なんとか自力で押さえつけることに成功する。


 すでに同種の感情を抱えていたおかげかもしれない。

 慣れはしないが、事前の覚悟があった。


 だから、平気だ……。

 まだまだ平気だ。

 身体の痛みも心の痛みも、千年前と比べたら温い。こういうのは経験者の私一人に集めたほうがいい。効率がいい。それが最善だ。


 ――そう自分に言い聞かせ続けて、耐える。


 そして、ぎりぎりのところで暴走を踏み止まったディアさんとスノウさんが、手を握る私に問いかけてくる。


「い、生き返らせる……? 『光の理を盗むもの』なら、そんなことができるのか……?」

「ノスフィー、本当に……?」


 心の器から零れる分は私が負ったものの、未だ二人の言葉は重い。ずしりと胸の奥にのしかかってくるが、私は笑顔で彼女たちを安心させるように返答する。


「はい、できます。大丈夫、希望はあります。いつだって、世界に光は残っています。だから、どうか……諦めないでください。決して諦めてはいけません。――『夢の闇も夢の光も』『等しく不黒の黒になる』――」


 その慰める言葉が『詠唱』と共に、するすると口から紡がれていった。


 自分でも驚くほど自然だった。

 この短い時間で例の『光の理』を二度使ったせいか、少しずつ『不老不死』とやらの魔法に近づいている実感があった。使い方のコツを得ているのが自分でもわかる。


 そして、その成長の意味を、この場で一人だけが正しく理解していた。


「そ、それ……。ノスフィー……!」


 後ろで一部始終を見ていたラスティアラが、流石に『詠唱』の効果を薄らと察したようだ。どこか文句を言いたそうな顔をしている。だが、それを口にされる前に、私はディアさんとスノウさんの手を引く。


「さあ、立ってください。どうか顔を俯けず、前に進んでください……」


 二人とも私に釣られて、よろけながらもなんとか立ち上がる。

 精神的ショックで身体に不調を来たしているようだ。足に力が入らず、何度も腰を落としそうになっている。その中、ディアさんは私を睨む。


「ノスフィー……、それは……わかってる。もしカナミがいたら、おまえと同じことを言うって、わかってはいるんだ……。でも、まだ俺はおまえを許せそうにない……。そもそも、おまえさえいなければって思うんだ。それは違うってわかってても、くそっ、どうしても……!!」

「優しいですね……。ディアさん、ありがとうございます。あなたはあの人とは本当に……」


 手を握ったまま、私は「使徒シスとは本当に違う」と思った。

 ディアさんの顔は使徒シスとよく似ているせいか、まるで千年前のように彼女と話しているかのような錯覚がある。しかし、あの思い込みの激しかった使徒シスと違い、ディアさんはとても理性的で、大人だ。


「ぁあっ、あぁぁあっ、やっぱり嘘じゃないんだ……。全部、嘘じゃ……」

「スノウさん、嘘じゃありませんが、すぐにわたくしが嘘にします。そう簡単にわたくしを信じられないのはよくわかります。けれど、いまだけは千年前の伝説の力を、ほんの少しだけでいいから信じてください。お願いします……」


 スノウさんはディアさんと違い、大粒の涙を零し始める。

 彼女の竜人ドラゴニュートとしての特徴は千年前のセルドラを私に思い出させる。けれど、彼とは違い、悲しむことを投げ出そうとはしていない。私に言われたとおり、まだ人生を諦めてはいない。


 なにより、二人とも『理を盗むもの』たちのように悲しみの限界を超えて、笑ったり、楽しんだり、急に強くなったりする気配はなかった。

 とても正常に悲しんでいる。


 なんとか世界に復讐する『化け物』となるのは防げたことに私は安心する。

 だが、お父様の死を嘘にするまでは、二人ともまともに動けないかもしれない。依然として、いまにも倒れそうな状態だ。


 すぐに私は新たな協力者を探す。これからラスティアラがラグネと相対するのならば、もっと戦力があったほうがいい。


「それと、こちらも……。――《ライト》《キュアフール》《リムーブ》」


 私は魔法を使い、寝転がっていた『魔人』の騎士たちを起こす。

 操る為に浸透させた光の魔法も『魅了』も全て解除し、その身を癒やした。


 まず堅物騎士のペルシオナが起き上がり、その身の自由を確認していく。


「くっ、やっと解放されたみたいだな……」


 続いて、私と同じ『魔石人間ジュエルクルス』のノワールも起き上がり、唸り始め、


「――ふわっ!? え、あれ……? もしかして、もう強化時間は終わりですか……? う、ぅうううっ、また勝てませんでした……。私、聖人なのに……! これではシス様に合わせる顔が……って、シス様!? どうしてここにいらっしゃるので!?」


 近くにいたディアさんを見つけ、顔を明るくして近づいていく。そして、最後に最も忠義に厚い騎士セラが目を覚まし次第、私に詰め寄ってくる。


「――っ! き、貴様、よくも! ノスフィー・フーズヤーズ! 貴様だけは絶対に――!!」


 すぐに私は謝ろうと頭を下げようとするが、その前にラスティアラが割って入って止める。


「セラちゃん、駄目! もうノスフィーは仲間! 私のお姉ちゃんだから!」

「ぐっ、ぅうっ、ラスティアラ様……。申し訳ありません。私は、情けなくも敵方に惑わされ……」

「ううん、敵じゃないよ。いままで私のお姉ちゃんの力になってくれてありがとう」


 ラスティアラの言葉によって、セラの中にある怒りの炎は沈下していく。ここは下手に私が話すよりも任せたほうがよさそうだ。それよりも私がすべきことは、残りの『魔人』の騎士たちを確認することだ。


 グレン・ウォーカーとエルミラード・シッダルクの二人。

 予想していたことだが、この二人は他の三人と魔法の解除の感触が違う。


「やはり、この二人は……」


 光の魔力だけではなく、血の魔力とも繋がっている。おそらく、二人は私の光ではなく、ファフナーの目指す夢に『魅了』されている。

 その二人が回復魔法によって目覚め、周囲を見ながら自分の状況を理解していく。


「……ノスフィー様? ……ということは、こちらの負けなのですね」


 グレンは冷静に呟いたが、エルミラードのほうは非常に慌ただしい。


「――あ、ぁあ……。あぁっ、ぁあああっ! ぼ、僕はっ! 僕はとんでもないことを……! あれが僕の本心……? あれが僕の本当の……? つまり、ずっと僕は口だけだったのか? なら、今日までの戦いの意味は……どうなる!?」


 操られていたときの自分の言動を思い出し、ショックを受けているのだろう。この上、お父様の死を告げたら彼は一体どうなるのか予測がつかない。


 だが、いまは仲間の選り好みしている場合ではない。冷静すぎて怪しいグレンも取り乱すエルミラードもお父様の友人だったのは間違いない。一時的にでも仲間になってもらおうと交渉に入っていく。


「お二人とも、どうかラスティアラに協力をお願いします……! 詳しく説明をしている時間はありませんが、いまは――」

駄目だ・・・。その二人は俺の同士だ。返してもらうぜ」


 その声が二十階に響き、交渉を妨害した。


 同時に、大広間の床全てが赤色に染まっていく。

 そして、鼻を突く鉄の匂いに、靴を湿らす水気。部屋が血で被覆コーティングされていっていると理解したとき、グレンとエルミラードの足元から赤く巨大な腕が二つ伸び出てきた。


「――なっ!?」


 それにグレンとエルミラードは身体を覆うように掴まれ――引きずり込まれる。

 二人が悲鳴をあげる暇もなく、先ほどまでは硬かった床の中へ、ぽちゃんと池に石が落ちたように消えた。


「い、いまのはファフナーの腕!? みなさん、気をつけて!!」


 二人が連れ去られたのを見て、私は更なる犠牲者が出ないように叫んだ。

 それにラスティアラ、セラ、ペルシオナの三人が反応し、それぞれが近くの人間を守るように身構えた。


 しかし、次の腕は床から生えてこない。

 その代わりに床全体を染めていた血の被覆コーティングが壁に広がっていく。


 カビが広がるように赤色が、あらゆるものを塗り替えていく。床の絨毯、壁に並んだ家財や窓枠、天井のシャンデリア、上下に伸びた階段、吹き抜けの柵――例外なく、全てが血に覆われていった。


「これは、まさか……!」


 二十階全て赤一色となったとき、ドクンッと城が胎動する。そして、所々に腫瘍のような血の塊が膨らみ始め、生きているかのように蠢き出す。さらには床と壁と天井を血が伝い、血管を通る血液のように流動し始める。


 構造や間取りは城だが、まるで人の体内にいるかのような光景だ。


 この生理的嫌悪を促す地獄には見覚えがあった。

 最後に視たのは千年前。ファフナーが私の騎士だったとき、とある城を落とすのにこの魔法を使ったのだ。皆殺しを行った城の中、彼が「見たくないものを見て、我を失った」と言って一人泣いていたのは忘れたくも忘れられない。


 結局、一つの城を落とすのに、ファフナーは一つの国を駄目にした。

 国民を鏖殺しただけでなく、広大な国の領地を血で呪い尽くし、その浄化作業には年単位の時間を失った。年に一度反省するかどうかも怪しいファフナーが心から謝り、二度と使わないと誓った――あれが発動している。


「ラグネ……! まさか、ファフナーを全力で使う気ですか……!?」


 おそらく、私から『経典』を奪ったラグネの指示だろう。


 また罪の意識が加速する。

 けれど、それを悔やむ前に、次の声が響く。


「おまえら全員、下に来いよ……。早く来ねえと、チビっ子たちが死んじまうぜ?」


 二十階が震えることで人の喉の代わりとなり、その声は青ざめる全員に届いた。

 その言葉に誰よりも先に反応したのはラスティアラだった。

 悪趣味でグロテスクな大広間を駆けて、中央の吹き抜けまで移動する。そして、その生肉にも似た柵から身を乗り出し、下の様子を確認する。


「マ、マリアちゃん!? ノスフィーと話してる暇はないか……! みんなっ、先に行くから!!」

「いいえ、ラスティアラ! これは罠です! 間違いなく!!」


 背中を追いかけ、制止する。

 しかし、それを聞き終える前に、ラスティアラは吹き抜けから飛び降りた。先ほどと同じように、また落ちていく。


 すぐさま私も吹き抜けの柵まで駆け寄り、下の様子を見る。

 屋上と違い、二十階まで来ると、なんとか一階の様子が確認できる。そこにはファフナーらしき男に襲われる黒髪の少女がいた。そこへラスティアラが一人で向かってしまった。


 考えている暇はないけれど、私は悩む。

 正直、いまの私の状態は過去最悪だ。いかに『未練』によって守護者ガーディアンの力が増したとはいえ、この肉体と心の痛みは無視できない。なにより、ファフナーと戦うということは、その主となったであろうラグネと戦うということでもある。


 あれと本当に私は戦えるのか……?

 あの敵と向かい合って、私は動くことができるのか……?


 彼女を思い出すと、同時にお父様の死の瞬間も脳裏に浮かぶ。それだけで身体が震えて震えて震えて、手足の痙攣が止まらない。


「戦えなくても……! それでも、わたくしは……! わたくしは!!」


 たとえ棒立ちになるだけだとしても、ラスティアラを置いて行くことはできない。

 そう答えを出して、続くように吹き抜けの柵に手をかけて飛び降りる。


 そのまま落ちていくのではなく、ときおり吹き抜けを囲う柵を足場にして、下へ向かって飛ぶ。蹴って蹴って蹴って、ラスティアラへ追いつくように、私は一階に向かって落ちていく。


 そして、着地するのは、城の正門前にある大玄関。

 もちろん、その全てが真っ赤に染まり、魔界と化している。おそらく、もうこの

フーズヤーズ城全てが悪趣味な血と臓器の世界になっているのだろう。


 その大玄関で待っていたのはラスティアラとマリアさん、その敵として向かい合うファフナー。


 ファフナーは血の管を蓑のように纏い、それを手足の延長のように操っていた。隣には、先ほど巨大な血の腕に攫われたグレンとエルミラードが蹲っている。


「来たか、ノスフィー……。しかし、もはやフーズヤーズ城は俺の腹の中。誰が来ようとも無駄だぜ」


 現れた元主の私に対し、ファフナーは敵意を見せる。

 相変わらずの裏切りっぷりに苛立ちながら、私は周囲を見回す。


 遠巻きに城の騎士たちがいるが、この異常事態に大混乱の様子だ。城で最も危険な男としてファフナーの情報は知れ渡っているため、この大玄関に近づこうとはしていない。はっきり言って助かる。いま城の人たちに意識を割く余裕はない。


 私が助けられるのは、身内であるラスティアラたちだけだ。

 そのラスティアラはファフナーの前に立ち塞がり、後方のマリアさんに声をかけていく。


「マリアちゃん! 平気!?」

「ごめんっ、マリアお姉ちゃんはやられた! アタシが動かしてる!」


 しかし、返ってくるのは別の声色。どうやら、例の死神がマリアさんの身体を動かしているようだ。


「そういうことか……! ナイス、リーパー! それでラグネちゃんは――」

「下でライナーお兄ちゃんが抑えてくれてる! あれが一番やばい! とにかくなんかやばい! マリアお姉ちゃんが一撃でやられた!」


 ああ、やっぱり……。

 私に勝利したマリアさんをラグネは一撃で倒したのだ。

 もうあれには誰も勝てない。そう確信できる材料が、また増えてしまった。


「い、一撃で!? いや、カナミに勝った以上、もうそのくらいで考えないと駄目か……」

「ああ、もう! 開かない! 扉が!!」


 その情報にラスティアラは驚き、リーパーは城の入り口の閉まった大扉を叩き続ける。

 わかっていたことだが、この血のコーティングは結界の一種で、扉や窓を塞ぐ効果があるようだ。

 この血で捕らえた獲物たちを、ゆっくりと内部で殺し、新たな血に変えていく。これこそ、『血の理を盗むもの』の真骨頂。殺せば殺すほど強くなる殺す為の魔法だ。 


 そして、捕まった獲物たちの中でも最も絶望的な状況にある騎士二人、グレンとエルミラードがファフナーに話しかける。


「ファフナー様、もう終わりじゃないのですか……?」

「カナミが死んだ……。世界を救ってくれるはずの……カナミが、もう……。もう終わりだ……」


 血に覆われ、膝を突き、搾り出すような声だった。

 それにファフナーも同じような掠れた声で答えていく。


「ああ、俺たちの希望は死んだな……。だが、それで終われるほど世界は甘くない。――〝救われない世界は終われない。救われるまで終わらない〟。『血の理を盗むもの』の候補者たちよ、それを学べ。世界に希望なんてなければ、光なんてない。だが、それでも俺たち信者は願い続けないといけない……。その上で『大いなる救世主マグナ・メサイア』を探し続けないといけない……。それを知れ」


 答えていく中、徐々にファフナーは涙を浮かべていく。狂気的と表現するしかない不安定な表情を見せる。そして、その表情に釣られるかのように、グレンとエルミラードも顔色を変えていく。


「こ、これは……!? ――っ!?」

「え、え……あ、ぁあ、ぁあああっ――!!」


 二人とも急に顔を左右に動かし始め、何もないところに向かって悲鳴をあげた。


「おまえら二人は、『親和』の理由が『渦波に希望を抱いている同士だから』と思っていたようだが……それは正確なところじゃねえ。本当の理由は殺し過ぎたからだ。何の理由もなく、何の罪もない人間を殺し過ぎた。その罪の意識の大きさ、『救済の欲求』が真の『親和』の理由だ。……おまえらも死者の恨みの声が聞こえるんだろ? 時々、夜中に響いて眠れないんだろ? もう時々なんて寂しいことは言ってやるな。ずっと聞いてやれ」


 自分のことを多く語らないファフナーが、千年後の『魔人』の騎士たちには心を開いていた。かつて主だった私が一度も見たことない真剣な表情と声に、酷く驚く。


 ただ、その私以上に驚いているのは、運悪く『血の理を盗むもの』に可能性を見込まれた騎士たち二人だ。


「父さん、母さん、みんな……? これは、かつて殺した人々が責めに来るのか……?」

「ぁ、あぁあ、違う……! 違う!! 僕は、僕は……!!」


 グレンは吐き気を抑えるかのような仕草を見せたが、まだ冷静だ。しかし、エルミラードは誰もいない空間を見ては、恐怖に顔を染めて乱暴に首を振る。


「エル君! それ以上聞くな!」


 エルミラードを落ち着かせようとグレンは叫ぶ。しかし、その声は届くことなく、エルミラードは蹲り、全身に魔力を漲らせて叫ぶ。


「ぅう、ぁああああっ、ああぁあああああァアアアアア――! ァアアアァア゛アアア゛ア゛アア゛ア゛アア――!!」


 一瞬、目を疑うほどの魔力が爆発した。

 同時に人型だったエルミラードの身体が獅子に近づき、さらに『その先』へ変化していく。強制的で急速な『魔人返り』だ。

 だが、それを私は最後まで見ることはできなかった。その途中で、またエルミラードは巨大な血の腕に掴まれ、ぽちゃんと血の池の中に消えてしまったのだ。

 血の池を揺るがす悲鳴が、剣で斬ったかのように途絶えた。


 そして、当然ながら次はグレンだった。

 エルミラードと同じく、血の池に引きずり込まれ始める。それを止めようと、正面のラスティアラが駆け出そうとする。


「グレン!」 

「ラスティアラちゃん、来るな! こっちは自業自得……いや、個人の乗り越えるべき『試練』だから気にしてなくていい! それよりも、ラスティアラちゃんはラスティアラちゃんがやるべきことをやれ! 一旦逃げて、態勢を立て直、して、もう――一度――」


 しかし、その助けをグレン本人が拒否し、激励の言葉を残して血の池に消えていった。

 ぞっとする光景を前にラスティアラは歯噛みし、ファフナーは零れる涙を拭う。


「エルミラードは俺の時と同じ反応だったな……。だが、グレン。おまえは流石だ。あの地獄から生まれて、世界『最強』まで登りつめただけのことはある。……ああ、俺は二人とも信じてるぜ。こんな手始めの『試練』程度、あっさり乗り越えてくれるってな」


 前向きな言葉とは裏腹に、顔色は死んでいるかのように活力がない。


 いつものことだ。

 私は千年前の彼の勝手な自作・・『試練』を何度も見てきた。

 きっと彼は死ぬまで終わらない『試練』を他人に与え続けるだろう。果てに死んでしまった強者を見て、心から絶望する。その繰り返しであると彼自身理解しているから、その「信じてる」という言葉の中身が空っぽなのだ。――お父様という例外を除いて。


 相変わらず、ファフナーは狂っている。狂い過ぎていて話にならない騎士だ。すぐに私は頭の中にあった対話の試みという選択肢を捨てる。


「ラスティアラ! わたくしはグレンの意見に賛成です! ファフナーはまともに戦っていい敵ではありません! お父様がいないときの彼は、本当に頭がおかしい!!」


 その助言を聞いたラスティアラは、苦渋の表情と共に私へ指示を出す。


「……ノスフィーはリーパーと協力して、壁に穴を空けて! とりあえず、退路は確保しておきたいから!!」

「はい!」


 すぐに私は入り口の扉を叩くリーパーの加勢へ向かう。

 しかし、その背中から、ぞっとするほど冷たく短い声が響く。


「――《ブラッドアロー》」


 属性からしてファフナーの攻撃魔法。それに対応するのはラスティアラ。


「――《アイスバトリングラム》!!」


 爆発音が響き、後方から血と氷粒が飛び散ってくる。

 振り向くと、ファフナーは片手を前に伸ばし、ラスティアラは両手を前に掲げていた。

 軽い基礎魔法を放った者と全力の大魔法を放った者。

 決して対等ではない二人は対話する。


「やらせると思うか? おまえらを呼んだのは、まとめて始末するためだぜ?」

「随分怖いこと言うね。ファフナーは私たちの味方と思っていたけど……」

「……カナミがいなくなって状況が変わったんだ」


 そして、またファフナーは涙を両目から滲ませる。


「世界を救えるカナミがいなくなったのなら……もう、めるしかない。少しでも増えるのを止めるしかない。ああ、最初からわかってたことだ。ラグネに言われなくても、ちゃんとわかってるさ。生まれるから増えるというのなら、もう生まれないようにするしかない。……それしかないんだ」


 その会話に違和感を覚えた。

 いまのファフナーは、とても彼らしい。その独特な会話の具合から、ラグネは『経典』と『ヘルミナの心臓』で彼を律せず、自由にさせている可能性を感じた。


 つまり、この狂気に落ちた男とラグネは意思疎通を成功させたのだろうか……?


 またしても私の中のラグネの脅威が膨らむ中、ファフナーの独白は続く。


「ただ、勘違いするのだけは止めてくれ。いまでも俺は人間に『試練』を乗り越えて欲しいと思ってる。誰か一人……どうにかして、一人生き残ってくれたら嬉しい。もう俺は選り好みしている立場じゃないからな……。たとえ、それがカナミでなくラグネだとしても、もう誰でもいい。この贄の血を糧にして、このクソ最悪な世界を止めてくれたら! もうそれでいい!!」


 ファフナーは思いの丈を叫び、その血属性の魔力を玄関全体に伝播させた。


「――っ!? ――《インビラブル・フィールド》!」


 それを無詠唱の攻撃魔法と判断したラスティアラは、咄嗟に防御の魔法を発動させる。もちろん、それも全力の魔力をこめての魔法だ。当然、その呼吸は荒くなっていく。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ――!!」

「長話は俺の悪い癖だな……。そろそろ再開するか。気合入れろよ……」

「はぁっ、は、ははは……。いまのは攻撃でも何でもないんだね……」


 敵の魔力との差にラスティアラは苦笑いを浮かべ、冷や汗を流す。ただ、それでもなお彼女は一歩も退かない。


 その背中を見て、私はラスティアラに酷く気遣われていることに気づく。

 いま彼女は私に退路の確保を願い、自分が足止めを買って出た。けど、本当は逆だ。冷静に考えれば『理を盗むもの』の相手は同じ『理を盗むもの』である自分で、そのフォローをラスティアラがすべきなのだ。


 四十五階での出来事を引き摺っている私に無理はさせまいと、ラスティアラは命を懸けて気を遣っている。


 そう。

 未だに私は、命を懸けて手を伸ばされている。

 生きてと願われている。それに気づき、私は――

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