117.死神グリム・リム・リーパー


 船と船の間を飛び越え、『ヴアルフウラ』の端にある小舟に乗り込む。

 じれったい待ち時間に耐えて、ラウラヴィアの『エピックシーカー』へ僕たちが辿りついたとき、爆発音を耳にする。


 『エピックシーカー』本拠の最上階、マリアの部屋がある場所から火の手が上がっていた。


 さらに、闇を纏ったリーパーが、炎を纏ったマリアを抱きかかえて、屋根の上を飛んでいるのを見つける。そして、その後ろをラスティアラが追いかけている。

 もう戦闘は始まっていた。


 マリアをさらおうとしたリーパーを、ラスティアラが迎撃したのだろう。

 理想的な展開ではないが、最悪の展開ではないことに安心する。


 三人が『エピックシーカー』の訓練場の方角に移動しているのを確認し、僕とスノウも急いで向かう。途中、囲い込むように僕とスノウは二手に別れた。そして、リーパーとマリアを訓練場内へ追い詰めることに成功する。


トライアングルの形で囲い込んだところで、まずラスティアラがリーパーに叫んだ。

 

「――マリアちゃんを返しなさい!」


 リーパーの隣でマリアは蹲っていた。

 すぐに僕は『注視』する。



【ステータス】

 名前:マリア HP107/159  MP832/855 クラス:

 レベル10

 筋力7.69 体力7.23 技量5.99 速さ4.45 賢さ7.96 魔力41.13 素質4.13

 状態:精神汚染1.65 記憶改竄1.04 記憶障害1.02 認識阻害1.34 暗闇1.33

 先天スキル: 

 後天スキル:狩り0.68 料理1.08 火炎魔法3.53



 準決勝の僕と同じ状態のように見える。『腕輪』の魔力によって正気を奪われ、リーパーの闇によって周囲からの情報を制限されている。

 もしかしたら、いまのマリアは近寄る全てが敵に見えているかもしれない。


 ラスティアラの叫びを、リーパーは涼しげにいなす。


「返す? ひひっ。でも、マリアお姉ちゃんは嫌がってるよ? 無理やり『腕輪』を外そうだなんてひどいよ、ラスティアラお姉ちゃん」

「くっ――、時間かけて『腕輪』を外してる場合じゃなかった! でもマリアちゃんだしなぁ! カナミみたいにボコるわけにもいかないし!」


 ラスティアラは短くなった髪を掻き毟りながら、心底悔しがっている。

 どうやら、『腕輪』の解除中にリーパーの襲撃があったようだ。


「ラスティアラ! まずは取り押さえよう!」


 僕はラスティアラに指示を出す。

 しかし、返ってきたのは不満の声だった。


「カナミ! マリアちゃんがこんなに強くなってるなんて聞いてない!!」

「アルティの力を少し使える可能性があるって言っただろ!」

「少し使えるどころじゃなかった! 冗談じゃない炎だった!」

「いや、僕もそこまでは知らなかったんだって!」


 聖誕祭の日の最後、マリアがアルティのように炎で周囲の情報を得ていたのは知っていたが、それ以外のことは全く知らない。

 けれど、ラスティアラの様子とマリアのステータスから見ると、かなりの火炎魔法を使ってきそうだ。


「ラ、ラスティアラ様、本日はお日柄も良く……、えーっと、先日は大変失礼を――」


 そこで唐突にスノウが自己主張を始める。


「――で、スノウは敵!? 味方!? どっち!!」

「み、味方ですとも、ラスティアラ様! このわたくし、あなた様のおかげで改心しました! 喜んで手助けさせて頂きます! ――その代わりといっては何ですが、あとでお願いしたいことが……」

「わかった、聞いてあげる! だから、いまは協力して!!」

「かしこまりました! 頑張ります!」


 スノウは大剣を手に持って、やる気を見せた。

 リーパーは僕たちに囲まれた状況を見て、目を細める。


「お兄ちゃん、私の動きを読んでたんだね……。アタシに対応できるラスティアラお姉ちゃんだけを待ち伏せさせてた……。使徒さんが居たら、人質にとったりして、まだ色々とできたのにな……」

「いや、ディアは不可抗力でいないだけなんだがな……」


 とてもくだらない理由でディアは気絶中だ。

 ただ、起きていても戦闘には参加させていなかっただろう。瞬間移動で容易に背後を取ってくるリーパーを相手に、遠距離攻撃しかできないディアは相性が悪い。たとえ、セラさんが足になっていたとしても参加させたくない。


「とにかく、ここにはおまえの無茶苦茶な瞬間移動攻撃に耐えられる剣士が三人いる。マリアを連れていくのは諦めろ、リーパー」

「そうみたいだね。けど、ここまでは読めてたかな? アタシはパリンクロンの『腕輪』に干渉できるんだよ? なんでかなー?」


 リーパーが手をかざすと、マリアの『腕輪』の闇が濃くなる。

 その仕組みに僕は心当たりがあった。


「大体わかってる。おまえは『闇の理を盗むもの』パリンクロン・レガシィと『繋がり』があるからだろ? そこから得られる魔力で『腕輪』を操れる」


 リーパーは口を開けて驚いた。

 しかし、すぐに口を閉じて、こちらを睨む。


「……わかってるなら、これ以上近づかないでよ。いますぐマリアお姉ちゃんを――、『火の理を盗むもの』をけしかけることもできるんだよ?」

「構わない。だが、そう簡単にいくと思うなよ? マリアは『自分の願いを間違えない』。それだけで随分と違う。だからこそ、この状況を僕は選んだ」

「へえ……。自分の願いを間違えなければ、どうだって言うのかな……?」

「誰の思い通りにもならないってことさ」


 最後まで貫く意志。

 それが何よりも重要だ。

 それがなければ、どんなに強い力を持っていようと人は弱くなる。


 現に、地力では拮抗していたはずの僕とスノウは、願いがあやふやだったためラスティアラに惨敗している。


「それなら、アタシだって誰の思い通りにもならないってことだね。アタシも『自分の願いを間違えない』。絶対に」

「……わかってる。リーパーをそうしたのは僕のせいだ。あの日、軽い気持ちでリーパーとの『繋がり』を放置した僕の責任だ。その願いが間違っているとは言わない。それをリーパーが心の底から望んでいるって、僕にもわかる。けど、ローウェンが苦しむとわかっていながら、リーパーがその願いに固執するなら……もう戦うしかない」

「そんなに私の願いが気に入らないんだ……」

「その願いはローウェンもリーパーも苦しむことになる。二人の友達として見過ごせない」

「友達なら見過ごしてよ、お兄ちゃん」

「友達だから見過ごせないんだよ、リーパー」


 リーパーは懇願を続けるが、僕に退く気はない。

 その強固な意思を感じ取ったリーパーは会話を諦め、笑う。


「ひひっ。なんだかんだ言って、結局は邪魔するんだね……。お兄ちゃん……」


 闇が濃くなる。

 リーパー愛用の大鎌が現れ、訓練場全てが闇に満たされていく。


 訓練場がリーパーの力を最大限発揮できるフィールドと化す。


「ひひっ、あははは! そのくだらない『英雄』の力で何でも思い通りにできると思ったら、大間違いだよ!!」


 その闇の中心。

 リーパーはふわりと浮かんで陽気に、そして無慈悲に笑う。


 何千年も生きた魔女のような風格が、そこにはあった。

 まだ生まれて一年にも満たない魔法『影慕う死神グリム・リム・リーパー』。

 けれど、彼女には千年をも超える経験が注ぎ込まれてしまった。


 超常なる存在、人を超える存在。

 ――『死神』。

 それが、いまのリーパーだ。


「アタシは『影慕う死神グリム・リム・リーパー』! かつて、人間を殺すためだけに作られた魔法っ、ただそれだけの存在! 全ての生物はアタシの餌だ! ――《次元の繋累ディナイ・エンティア》ァ!!」


 突如、僕とリーパーの『繋がり』が太くなる。


 僕は咄嗟に僅かに回復している魔力を使って、その『繋がり』を閉じる。

 しかし、リーパーの得ている『繋がり』は僕だけじゃない。


 見るからにリーパーは、その身の魔力を増大させていく。

 僅かに発動している次元魔法によって、その出所を感じることが出来る。おそらく、リーパーはラウラヴィアに住む人々全員から、魔力を吸い上げているのだろう。

 もちろん、その中には僕の仲間も含まれていた。


「なっ、魔力が――!?」


 ラスティアラは力が抜けていくのを感じて、焦る。

 スノウも同様だろう。しかし、これをスノウは予期していたようで、ラスティアラと比べると動揺は少ない。


 この様子だとマリアやディアといった高魔力保持者からも、魔力を奪っていることだろう。

 いま、このラウラヴィアの全魔力は、リーパーの餌となったということだ。


「このときのために、アタシは色んなところへ足を運んでいたんだよ! アタシの魔力供給源は無限! これこそが死神の!! 『呪い』の真骨頂!!」


 強まる力を身体で感じ、リーパーは感情を高ぶらせる。

 そして、高揚したまま、饒舌に語る。


 リーパーは、もう自分の勝利を確信しているようだった。


「こっちの魔力は無尽蔵! けど、お兄ちゃんの魔力はどうかな? 足りないどころか、生命活動に支障を来たしているんじゃないのかな? それだけじゃない――!!」


 リーパーは片手をぎゅっと握り締める。

 それだけで空を覆い隠すように黒い魔力が広がっていく。


 世界は一切の光のない完全なる闇に変貌する。

 僕の《次元の冬ディ・ウィンター》が世界を冬に変える魔法だとするなら――


「――《次元の夜ディ・ナイト》!」


 この魔法は世界を夜に変える魔法だ。


「お兄ちゃんの『繋がり』を取って置いたのは、監視のためだけじゃないよ。お兄ちゃんは唯一、私に魔法を教えられる次元魔法の専門家スペシャリストだったからねっ。けどもう十分っ! お兄ちゃんの全ての魔法は、もうアタシのもの!!」


 《次元の冬ディ・ウィンター》は構成の難しい魔法だ。

 並の魔法使いでは理解すらできないだろう。

 けれど、リーパーはこの数日でその全てを理解し、習得した。


 それは赤子の成長速度のようだった。

 目に映る全てが新鮮だからこそ、吸収が早い。


 リーパーの幼きセンスと老練の経験。

 その二つが合わさることで、リーパーは短期間で熟練の魔法使いに至っていた。


「この闇の中でならっ、全ての認識はアタシの思うが侭! 誰にも負けない! 今日っ、アタシが倒してやる! ローウェン以外の『舞闘大会』出場者は、みんなアタシが!!」


 ローウェン以外は自分が倒す。

 そう最初からリーパーは覚悟していたのだろう。


 最強の魔法使いとして成長したことで、それを為せる自負があった。だから、あんなにも余裕があったのだ。


 その叫びを最後に、リーパーは闇の中に紛れ、消える。

 一瞬の静寂のあと、僕は背中から殺気を感じ取り、『クレセントペクトラズリの直剣』を振るう。


 甲高い音が鳴り響く。

 闇の中から、大鎌だけが生えてきていた。しかし、闇が濃すぎて、リーパーの姿は認識できない。


「ちぇっ。まだ次元魔法を薄らと身に纏っているね、お兄ちゃん。――なら、その魔力が切れるまで、お兄ちゃんは後回しだね!」


 姿は見えないが、闇の中からリーパーの声が聞こえてくる。


「ラスティアラ、スノウ! 来るぞ!」

「――鮮血魔法《ウィル・リンカー》、神聖魔法《ライト》!」

「――振動魔法《ヴィブレーション》!」


 言われるまでもなかったようだ。

 それぞれがそれぞれの信頼する魔法の詠唱を終えていた。


 ただ、それをリーパーは、せせら笑う。


「ひひひっ、二人ともすごい魔法だね! 剣も強くて魔法も強いなんて、反則的だね! けど、無意味っ! 魔法そのものであるアタシは、お兄ちゃんよりもこの魔法を上手く扱えるよ! ――《深淵次元の真夜ディ・リヴェリントナイト》!!」


 リーパーが《次元の冬ディ・ウィンター》の亜種である《次元の夜ディ・ナイト》を使った以上、この魔法が使えるのも当然だ。

 僕の《過密次元の真冬ディ・オーバーウィンター》を真似たであろう魔法を、僕の何倍も広範囲にリーパーは展開する。


「お兄ちゃんなら制限時間のあるこの魔法も、アタシならずっと長く使える!!」


 数秒しか維持できない僕とは違い、リーパーは余裕を持って展開していた。


 そして、十分な時間を使って、二人の魔法に干渉していく。

 闇の魔力が二人の魔法構築を崩し、失敗へ追いやる。


 鮮血魔法《ウィル・リンカー》、神聖魔法《ライト》、振動魔法《ヴィブレーション》。

 全ての魔法が霧散した。


「げっ、私の鮮血魔法と神聖魔法が!」

「悪いけど、そういう反則技はなしで戦ってもらうよ! ローウェンのように剣だけで! この闇の中でっ!!」


 ラスティアラは血と光の魔法を失敗し、悲鳴をあげる。


 その悲鳴にリーパーは答えた。しかし、攻撃したのはラスティアラではなかった。

 先ほど、僕の剣とリーパーの鎌がぶつかったときと似た音が鳴る。


「むうっ! 硬いねぇ、スノウお姉ちゃん! 私の鎌でも、その竜の鱗には弾かれる! けど、こっちには世界をも燃やす力があるんだよっ! マリアお姉ちゃん!!」


 狙われたのはスノウだった。

 そして、闇の中、たった一つの光源が燃え盛る。


「『おこれ閃炎』。――《熾天の繊炎アグニ・ブレイズ》」


 火柱が立ち登り、闇の中を白い線が走る。

 聞き覚えのある魔法だ。

 マリアがアルティと同じ火炎魔法を放ったのだろう。


 空間を切るかのような鋭い炎、ディアの《フレイムアロー》に似ている。

 その白線は、どこまでも伸びていった。


「くっ、速い!」


 スノウは呻く。

 そのことから、スノウに直撃していないのはわかった。闇の中の炎は視認しやすかったのかもしれない。


「ラスティアラ! おまえの魔法のどれかで、打破できないか!?」

「色々と試してるけど、すぐには無理っぽい!」


 ラスティアラから快い回答は返ってこない。

 代わりに、調子に乗ったリーパーの声が返ってくる。


「ひひっ。私の魔法を防げるのは高位の次元魔法使いだけだろうね! でも、お兄ちゃんは魔力ないでしょ!? だから、明日にすればって言ったじゃん!!」

「明日になったら、おまえはスノウもマリアもさらっていただろうが! どうせ!」

「そりゃそうだよ! そうだなぁー、「返して欲しくば、『舞闘大会』決勝の時間に、ドラヴドラゴンの居た廃城まで来い」なんて手紙出してたかな!?」

「だろうな!」


 僕とリーパーは今日までの『繋がり』のおかげで、無意味な以心伝心ができていた。

 感情のままに戦ういま、お互いの企みが腹立たしいまでによくわかる。


 リーパーは話しながら、今度は僕に斬りかかる。

 僕はぎりぎりのところで、大鎌を剣で受け止めた。

 そして、リーパーと斬り結びながら、叫び合う。


「ゆっくりと寝てなよ、お兄ちゃん! もう何日も寝てないんでしょ? アタシが『舞闘大会』が終わるまで眠らせてあげる!!」

「せっかくだけど遠慮しておく! おまえに任せると永眠しそうだ!」

「けど、いまにも魔力は枯渇するよ? 次元魔法もなしにどうやって、私の攻撃を防ぐの? お兄ちゃんにはラスティアラお姉ちゃんのようなセンスも、スノウお姉ちゃんのような硬さもないのに、どうやって!?」

「それは――!」

「ほら、とうとう魔力が空っぽになる!」


 斬り合えば斬り合うほど、魔力は失われていく。

 ラスティアラ戦後、僅かに回復していた魔力も失い、本当の意味で枯渇する。


「――っ!!」


 僅かながらに展開していた次元魔法が、とうとう解除された。

 けれど、構わない。


 たとえ、魔力なんてなくともリーパーと戦えることは実証済みだ。

 それを僕は、誰よりも近くで見てきた。

 懇切丁寧に教えて貰いもした。

 もう十分な情報量だ。


 ――ローウェンは言った。


 僕の「心と身体がバラバラ」だと。

 心身の不一致が奥義習得の邪魔をしていたと。

 いま、記憶が戻ったことで、その意味がよくわかる。


 スキル『感応』。

 その本当の仕組み。


「それは!! ローウェンが教えてくれた!!」


 言葉通りの意味。

 ローウェンの言うとおり、僕には全てが足りていた。それだけの観察能力と模倣能力があった。足りなかったのは心と身体の一致だけ。


 外界との間に僅かな壁をも作らないことで、そのスキルは発動する。


 習得の切っ掛けは、パリンクロンの『腕輪』が作ってくれた。

 あの暴走の間、僕は確かにスキル『感応』を使っていたのだ。『腕輪』がよく知らないフランリューレの技を再現したのと同じだ。次元魔法に頼らず、自分自身の力を出し切ろうとした結果、『呪い』がスキル『感応』を使ってくれた。


 その感触を僕は覚えている。

 一度でも身体が使ってしまえば、あとは簡単だ。

 再現するだけでいい。


 要は、身体の五感ではなく、心の感覚で世界を認識すること。

 意識を超えた無意識の技。


 その現象が異世界特有のものか、僕の世界でも通用するものかはわからない。いや、おそらく、魔力という存在がある異世界特有のものだろう。

 

 これは僕の世界にはない法則。

 つまり、この異世界の『理』を感じ取る力。そんな気がする。


 深い闇の中、僕は目を閉じる。

 一切の魔法を解く。

 頼るのは心。

 スキル『感応』だけで十分。


 僕はスキル『感応』を発動させ、魔法ではなく肌で世界を感じ取る。


 この異世界の存在する特殊な存在――『魔力』。

 その流れを把握することで、それに作用している生物の動きも理解する。


 ゆえに、背後から襲い掛かる凶悪な鎌の斬撃。

 それを皮一枚のところでかわすことに僕は成功する。


 さらに、続く連撃。

 その全ても僕はかわしてかわして、かわし続ける。


「え、え!?」


 リーパーは僕の次元魔法の消失を感じ取っていただろう。

 しかし、闇の中で怯え惑うどころか、さらに動きが良くなった僕を見て驚愕する。


 驚愕して、迷って、考えて、リーパーは答えに辿りつく。


「こ、これじゃ、まるで――!」


 誰よりもローウェンを知っているリーパーだからこそ、すぐに気づく。

 それに対して、僕は薄く笑って応える。


「ローウェンを相手にしてるのと同じ!! お兄ちゃん、まさか――!」


 ローウェンと同じ境地まで辿りついたことを、僕はリーパーに自慢してみせる。

 それを見たリーパーは怒る。


「くっ! なら、マリアお姉ちゃん! その煉獄の炎でお兄ちゃんの動きを封じて!!」


 控えていたマリアに指示を出す。


 もうリーパーの攻撃は脅威でないだろう。しかし、まだマリアの脅威は残っている。


 次はマリアを対処しなければならないが……僕には彼女を説得できる自信があった。


 あの日、決意を新たにした『僕』。

 あの日、親友を前に宣誓した『マリア』。

 二人が揃えば、パリンクロンの『腕輪』をも乗り越えられるはずだ。


「マリア! 僕の声が聞こえるか!?」


 あの日を、やり直す。

 しかし、今度は何も犠牲にはしない。

 する必要はない。


 闇の底を彷徨っているであろうマリアの身体が、ぴくんと反応する。

 何も見えないが、僕の声は届いているようだ。


 僕は再度叫ぶ。


「マリアっ!!」

「に、『兄さん』……?」

「違う! 僕はおまえの『兄さん』じゃない! ちゃんと僕の名前を思い出してくれ! そして、その名前で呼んでくれ! マリアは僕の名前を知ってるだろう!?」

「……『兄さん』の、名前?」


 訴えかけるのは、あの日の記憶。

 完全に思い出してくれなくとも、あの日の感情さえ戻ってくれればいい。


「に、『兄さん』じゃない、なら、何……? 名前……、『キリスト』? 違う、私は知ってる……。『兄さん』の本当の名前を。届きそうで届かない名前……。けど、それを認めるってことは……!」


 マリアは震える。

 僕のときと同じだ。

 偽りの世界から抜け出すということは、目の前の幸福を否定するということになる。


 それを否定しきるのは生半可なことでは為し得ない。

 だが、マリアならできると僕は確信している。

 それだけの確固たる願いが彼女にはある。


「痛い……、頭が痛い……!! 嘘、そんなの嘘です……!!」


 記憶を疑い始めたマリアだが、まだ一歩届かない。

 ゆえに、僕は叫び続ける。


「マリア! マリアには僕の全てを話した! マリアはそんな僕を信じるって言ってくれた! だから、僕もマリアを信じてる! ここで諦めたらっ、あのときのアルティへの言葉さえも偽物になるんだぞ! こんなところで立ち止まっていて、それでいいのか!? マリア!!」

「ア、アルティ……、私の、『親友』……?」


 かつての宿敵にも訴える。


「アルティ! 言ったよな、「ずっと見てる」って! 最後にマリアと「同じ」になったんだろう!? なら、この状況をどう思うんだ!? マリアの気持ちが誰よりもわかるおまえが、偽物の記憶に惑わされているマリアを放っておくのか!? マリアが本当にこれを望んでいると思うのか!?」

「う、うぅ、うぁああっ、ぁああああああああああ――!!」


 マリアは慟哭する。

 さらなる業火を生み、火柱を肥大化させる。

 その炎の中、薄らと涙を流しているのが見えた。


 闇の中、たった一つ光輝く炎。

 さらに、その中でマリアは痛む頭を抑えながらリーパーを睨んだ。

 記憶はなくとも、かつてのマリアに近い意思が蘇っているのがわかる。


「私はもう間違えない……! もう誰にも惑わされない……! リーパー、あなたは私を騙しているんですか……!?」


 それを聞いたリーパーは、僕との戦闘を止めて、マリアに近づこうとする。

 しかし、燃え盛る炎のせいで、すぐ傍まで近寄れない。


あつっ! なんで!? 『火の理を盗むもの』は『闇の理』を拒むの!? そ、そんなこと聞いてない!」


 リーパーは焦燥と共に、闇の魔力をマリアへ送り込もうとする。しかし、その全てが炎に焼き払われていた。


 仕方なく、リーパーは言葉をもって説得し始める。


「マリアお姉ちゃん、騙されないで! そこのお兄ちゃんは、マリアお姉ちゃんの『兄さん』で合ってる! ちゃんと『兄さん』との記憶があるでしょ!?」 


 マリアは記憶を意識させられる。

 感情は戻っても、記憶は改ざんされたままだ。


「記憶……? あります……、子どもの頃の記憶……。『兄さん』に遊んでもらった記憶、父と母との記憶、家族との記憶がある……! たくさんある!」

「そうそれ! それが偽物だっていうの!? そこに記憶があるのに、それを疑うって言うの?」

「幸せな記憶です。確かにあるのがわかります。けど、この記憶が……――」


 しかし、それは逆効果だった。


「――家族の記憶が・・・・・・あるのはおかしい・・・・・・・・んです・・・


 マリアは煉獄の炎の中、とても凄惨な笑みを浮かべた。

 それを切り捨てるのは死ぬよりも辛い。

 しかし、それでも切り捨てると覚悟を決めた表情。


 老練のリーパーでも一歩退くほどの微笑だった。


「……え、え? あるのが、おかしい?」


 リーパーはマリアの言っている意味がわかっていない。


「いざというときのため、火炎魔法の経験を消しておかなかったのは失策でしたね。私の火炎魔法は過去を燃やして発動する魔法です。それのせいで、私は家族の記憶を失いました。火炎魔法の経験として、それを私はしっかりと覚えています。だから、家族の記憶があるのはおかしいってわかるんです……」

「だ、だから、そんなの聞いてないよ……!」

「確かに、私の記憶はなくなりましたっ。けど、だからって、偽の記憶を植えつけていい理由にはなりません……! 嘘では誰も救われないってことを私は知ってます! それだけは間違えない!!」


 マリアは記憶を失えども、自分の信じるべき道、『自分の本当の願い』だけは身体に染み付いていた。

 どれだけ感情と記憶を弄ぼうと、人の心の奥底に燃える炎だけは消せない。

 その身をもって、マリアは証明していた。


 リーパーはこのままではいけないと悟り、さらなる魔力を送り込もうとする。


「なら! 『腕輪』でもっと意思を曲げて――」

「どうぞ、ご自由に。その感覚、もう慣れました」


 しかし、その記憶改竄と感情変化を、マリアは慣れているという一言だけで切って捨てる。そして、詠唱する。


「――『夢幻蹌踉とセンマニマに』――!」


 さらなる強大な火炎魔法を構築していく。


 その代償は大きい。

 僕も真似た経験があるからわかる。

 あれは過去を燃やして発動する代物だ。


「この偽りの記憶を全て燃やしてしまえばっ、あなたに惑わされることはなくなる! 私に残るのはたった一つだけ、『キリスト』でも『ご主人様』でもなく、『カナミさん』を信じると誓ったことだけ! それさえあれば、私は生きていける!!」


 自分の意思を捻じ曲げられていたことを、マリアは怒る。

 その感情のままに詠唱を完成させる。

 過去を燃焼する詠唱だが、いまだけはその詠唱は害にならない。


「――『私を・・飲み込め』!! ――《ミドガルズ・ブレイズ》!!」


 マリアの左肩口から凶悪な熱量を有した炎蛇が這い出る。


「『兄さん』なんて、そんな都合のいい人なんていない! いないんです!!」


 マリアは左手をリーパーに向けて、振った。

 彼女の左腕が燃え盛る。肩口から先の服が焼け、目を覆ってた包帯も解ける。


 肌を焼き、腕を焦がし、とうとう炎は『腕輪』を溶かした。

 そして、そのまま炎蛇は勢いを衰えることなく、闇の中を突き進む。


 訓練場の至る所に炎を撒き散らしながら、リーパーに襲い掛かる。


 リーパーは闇の中に逃げこみ、それをかわそうとした。

 が、炎の輝きが、闇を切り裂く。


 その灼熱にも似た力と意思を見て、僕はリーパーに勝利宣言する。


「ほら、リーパー。マリアは間違えなかっただろう?」


 闇の中からリーパーは這い出てくる。

 かろうじて炎をかわしたものの、その余波だけで右腕が燃えていた。


「くっ、うぅっ!」


 マリアの火炎魔法は絶大だった。

 魔法であるリーパーの身体を、存在ごと燃やしている。いまリーパーは僕に視認されたことで実体を失っているはずなのに、炎が消えない。


 僕は炎の明かりを頼りに、マリアへ近づく。


「マリア!」

カナミさん・・・・・!」


 マリアもこちらへ走り寄ってきていた。

 ようやく、僕とマリアは本当の意味で合流する。

 聖誕祭の日から二週間ほどの別離だったが、何年もの時間を離れていたような気がする。


「全部……。全部、夢だったんですね……」

「ああ、夢だ……」

「私の兄は……いえ、家族はみんな死にました……。もう思い出すことすらもできません。でもっ、だからって大切な家族を間違えたくはありません。嘘の記憶なんて絶対に嫌です! 今度こそ前に進むって、親友アルティと約束しましたから、この両目に誓って――!!」


 マリアはアルティとの約束を言葉にして、かつてのアルティのように炎を身体から噴出させる。

 その炎は無数の蝶となって、訓練場のあらゆる場所に灯っていく。 


 リーパーの構築した闇が明かりによって少しずつ照らされる。

 ラスティアラとスノウの位置も薄らと視認できるようになった。


「――《ファイアフライ・陽炎ヘイズ》。……これでよく見えます」


 マリアの目は閉ざされたままだ。

 しかし、視力のない素振りはない。

 やはり、その炎で周囲の情報を収集しているようだ。


「けど、いまは再会を喜ぶよりもリーパーですね。安心してください。――たとえ、どこに彼女が隠れようとも、私たち・・・の炎が全てを焼き払います」


 マリアは集中して、さらなる火炎魔法を構築する。


 その無防備な背中に闇が集まり、鎌が伸びてくる。

 それを僕は剣で弾く。


「ああもう! お兄ちゃんっ、邪魔ぁ!!」

「マリアは僕を信頼して魔法を編んでいる! 指一本触れさせない!!」


 闇の中のリーパーと悪態をつき合いながら斬り結ぶ。

 しかし、このままだと、いつマリアに危険が及ぶかわからない。僕は安全策としてラスティアラに指示を出す。


「ラスティアラ、こっちに来てくれ! 最初のときみたいにマリアを守って戦ってくれ!」

「最初!?」

「迷宮のときのあれ!」

「あぁ! あれね! 今度はお姫様抱っこしていい!?」

「それはマリアに聞け!!」


 炎の光を頼りにラスティアラは、マリアの元へ駆け寄る。


「――《日落の天炎フレイ・ブレイズ》! お願いします、ラスティアラさん。あとで、またお話をたくさんしましょう。謝りたいことがたくさんあります」


 マリアは空に炎の球体を放ち、両手をラスティアラに伸ばした。


「お、おぉ! マリアちゃんが私にデレてる!」


 ラスティアラは嬉々としてマリアを抱えて、走り出す。


 それに闇の塊も追従するが、追いつけない。

 ラスティアラは速い。マリアの生んだ光によって、弱まっている闇では速度が足りていなかった。


 そして、その弱まった闇の塊に、遅れて飛び込んできたスノウが全力の一撃を叩き込む。


「――《インパルス・ブレイク》!!」


 闇の中で金属音が鳴る。

 スノウの大剣とリーパーの大鎌がぶつかりあった音だ。


 全体重の乗ったスノウの攻撃を真上から受け、闇が振動と衝撃によって吹き飛ばされる。そして、闇の中に隠れていたリーパーの姿が露になる。

 視認されたことでリーパーは実体を失い、スノウの大剣は地面に落ちる。


「――くぅ!! せっかく集めた魔力が!」


 リーパーはスノウから距離を取り、すぐに闇を集め直す。

 そして、自分のフィールドを害する炎を、闇で包み込んで消そうとする。しかし、逆に闇は消えていくばかりだった。


「『火の理を盗むもの』の魔法には干渉できない……!? 魔法のレベルが違いすぎるから!?」


 リーパーは絶望する。

 自分が最強の魔法使いだという自負が失われていき、それに比例して闇も弱まっていく。


 ラスティアラに守られ、マリアは延々と炎を生成していく。

 それを守るように、前衛の僕とスノウがリーパーを挟みこむ。


 こちらの陣形は磐石だった。


「さあ、リーパー。二対二のつもりでここにきたのかもしれないが、これで四対一だ。視界の優位も失われた。もう諦めろ……!」


 僕は剣を突きつけ、リーパーに降伏を促す。

 しかし、それを聞いた彼女は激昂する。


「諦めろ? そう言われて、お兄ちゃんは諦めた? アタシの想いはお兄ちゃんと一緒! 最後まで諦めるわけがない!!」

「なら、これで終わりだ。――ローウェンの技があるかぎり、リーパーは僕に勝てない」

「まだだよ! お兄ちゃんさえ倒せば、まだなんとかなる! お兄ちゃんが一番弱ってるくせにパーティーの中心なんだから、勝ち目はある!!」

「そう思うなら来い! リーパー!!」

「お兄ちゃん!!」


 リーパーは訓練場に残った全ての闇を集める。

 最後の闇を身に纏い、リーパーは駆ける。


 それを僕は剣一つで迎え撃つ。

 それだけで十分。

 ローウェンだって、いつも剣一つだった。


 闇が先陣を切って僕を包む。

 視界が閉ざされ、リーパーの姿を見失う。

 そして、当然のように、背後からリーパーは斬りかかってくる。


 それを僕はローウェンと同じように、身を屈めてかわし、彼の剣技で反撃する。


 リーパーも慣れたものだった。

 大鎌の柄で剣を防ぎ、また闇の中へ消えていく。


 独特なリーパーの鎌による奇襲。

 それに対応する神懸かったローウェンの技。

 闇の中、剣と鎌が何度も交差する。


 金属と金属がかち合い、白い火花が数十ほど散ったところで、決着はつく。


 とても簡単な答えだった。


 ――それは、リーパーはローウェンに決して勝てないという答え。


 ただそれだけのことが、現実となる。


 リーパーがローウェンの技と拮抗するためには、簡単に攻撃をしかけてはいけなかった。ローウェンの技は、反撃の際にしかリーパーへ決定打を与えられないからだ。なのに、リーパーは激昂して、何度も僕に襲い掛かってしまった。

 彼女が勝てる要素は一つもなかった。


 僕の剣がリーパーの右足を切断する。

 その感触だけが手に伝わってくる。

 足を失ったリーパーは苦悶の表情を浮かべて、よろめく。

 そして、倒れこむリーパーの左足を僕は剣で貫き、地面に縫い付ける。


「――魔法《アイス》」


 とどめに剣から氷結魔法を伝達させる。

 この程度の基本魔法ならば、この戦闘中に自然回復した魔力で使用可能だ。


 ティーダ戦の要領で、実体をもたないリーパーを固形化させる。

 そして、僕はリーパーを目で視認する。


 そこには満身創痍のリーパーが地面に倒れていた。

 もはや、動ける状態ではない。


「ちくしょう……。卑怯だよ、お兄ちゃん……」

 

 リーパーは涙目になって、僕を睨んだ。

 それは彼女が敗北を認めた瞬間でもあった。



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