398.『私たち』


 星魔法《レヴァン》。


 まず最初に思い出したのは、『光の理を盗むもの』ノスフィーの《代わり生る光リリーライフ・ノースフィールド》だった。


 当たり前だが、私たちは同じ『魔石人間ジュエルクルス』の姉妹なのだから、その性質もよく似ている。

 ただ、間違いなく《代わり生る光リリーライフ・ノースフィールド》と《レヴァン》は別物だ。


 前者は『代わり』に背負うが、後者は『強制的』に掠め盗る。

 発想は同じでも、より悪質なのが星魔法《レヴァン》だろう。


 ――ただ、その悪質な分だけ、私の魔力は反則的な量だ。


 しかし、その《レヴァン》の魔力を前にしても、ヒタキちゃんは酷くつまらなそうに「……はあ」と溜息をついていた。

 膨れ上がり続ける私の魔力を意に介さず、とても悠長に話す。


「ここに至って、絆の力。……本当に、あなたは兄さん向けですね。ラスティアラ、そんな都合のいいもの、この世のどこにもありません。あなたはありもしないものがあると、思い込まされているだけ」


 逃げ出したリーパーたちを追いかけないのは、利害が一致しているからだろう。

 私の話を「子供騙しだ」と否定して、一階の吹き抜けから降り注ぐ光を見つめる。


「そして、いま、兄さんが生き返った。受け継がれたのは『不死』という二文字。結局、ノスフィー・フーズヤーズの『最後の頁』は、一文字も変わりませんでした。もちろん、これからのあなたの最期も変わらない。【最も愛する者が死ぬ】という『代償』の対象は、あなた一人。その集めた魔力も、すぐ無駄になる」


 私だけに語っているのではない様子だ。

 おそらく、いま私の後ろにいる『切れ目』も含めて、ヒタキちゃんは話しかけている。


 そして、彼女に否定できない真実を突きつけられた『切れ目』は、ルール通りに視線を私に向けるしかなくなる。


 ――ずっと滞っていた『呪い』の清算が始まった。


 その『代償』は、『死去』。

 ヒタキちゃんの言葉通り、対象は私一人だから――


「くっ……」


 立ち眩みで膝が揺れて、不自然な体調不良に襲われる。

 それは理不尽過ぎる命の取り立てだったが、二度目の私に動揺は少ない。


 ――この不調は、私とカナミが『本物』という証だ。


 取り立ての意味を知ったいまならば、不調を私は喜んで受け入れられる。


「『呪い』が証明……。だから、逃げないと?」


 その私の状態と内情を、正確に把握しているヒタキちゃんが問いかける。

 話が早くて楽だと思いつつ、私は腰から『天剣ノア』を抜き、通行止めを伝えていく。


「うん……。みんなが逃げ切るまで、時間を稼ぐよ」


 その私の姿を見て、ヒタキちゃんは顔を俯けて、呟く。

 同時に、腕から伸びた氷の刃が動き出した。


「先延ばしにしても、何も変わりません。もう、何も……――」


 戦闘が再開され、ライナー相手に使っていた氷の刃が、次は私を襲う。

 その形状は様々で、ときには先端が枝分かれして、上下左右から生き物のように食らいついてくる。


 私は剣で弾き、なんとか身を守る。ただ、次の瞬間には、氷の刃が鞭のようにしなり、再度襲いかかってきている。それをまた剣で弾いて、弾いて、弾いて――弾きつつ、私はぬるいと感じた。


 間違いなく、ヒタキちゃんは本気で戦っていない。

 やる気が全く感じられない。

 というか、俯いて、私を見てすらいない。


 本気を出すまでもないということだろう。

 現に、氷の刃の動きは速過ぎて、私の目は追いついていない。つい先ほどライナーが互角で戦っていたのが信じられないほどに、動きの一つ一つが鋭い。


 不調の私を殺すには十分過ぎる攻撃だ。

 ファフナーとセルドラの援護なんて必要なく、あと数十秒待つだけで私は殺されて、『理を盗むもの』たちは私の仲間を追いかける時間を得られる。


 このままだと、そうなるのは間違いなかった。

 だから、すぐに私は《レヴァン》の次の段階・・に移っていく。


「――鮮血魔法《ヘルミナ・ネイシャ》」


 本当は趣味と時間稼ぎを兼ねて、一つずつ格好つけて、大仰に使いたかった。

 だが、そう上手くことは進まないとわかり、私は『六段・・千ヵ年計画』の進行を急ぐ。


 ドクンッと心臓を一跳ねさせて、繋がった『魔石線ライン』から『人』の記憶を掘り起こして、身体に降ろした。

 かつて『舞闘大会』でスノウやカナミ相手に使った『魔石人間ジュエルクルス』だけの技だ。


 身体の小さな傷から血の霧が発生して、千年前のヘルミナ・ネイシャさんが私の中で再構成される。

 そして、氷の刃と剣を合わせながら、私は千年前の名前を次々と口にしていく。


「――《ロミス・ネイシャ》、《スヴェン・フーズヤーズ》、《エルセヴニ・ランズ》、《アルト・ティアナ》、《オルムガル・トゥールケ》、《レイナンド・ヴォルス》、《ルロン・フーズヤーズ》――」


 研究職の偉人だけでなく、戦闘職の英雄たちも言い並べた。


 その彼らの戦いの経験が、私の頭の中で重なっていき、本の頁のように束となり――たらりと、鼻血が垂れる。


 多重で『人』を降ろした経験はあるが、ここまでの大人数は初めてだった。

 血流が加速し過ぎて、負担のかかった血管が細いものから次々と破裂していっているのだろう。さらに『擬神の目』で見たところ、



【ステータス】

 HP1158/1221 MP5324/562

【ステータス】

 HP1158/1189 MP9745/562

【ステータス】

 HP1145/1145 MP18762/562



 際限なく膨れ上がる魔力に反比例して、命が削れていっていた。

 その私の姿を見て、静かに様子を見ていたファフナーが声を荒らげる。


「ヘ、ヘルミナさん……? みんなも……? あ、あぁ、ぁあぁあっ……!!」


 『血の理を盗むもの』であるファフナーも、ヘルミナ・ネイシャと同じく血の専門家だ。

 いまの私の様子を見て、違う『誰か』たちがいることに気づいたようだ。

 さらに、その仕組みと意味にも気づいたのか、急に呻き、嘆き始めた。


 何らかのトラウマを刺激してしまったのはわかったが、こちらも余裕はないので無視して進めていく。


 いま、新暦開始あたりの偉人たちを全員呼び出したが、まだ到底足りない。

 私は一度も身体に降ろしたことのない名も口にして、重ね続けていく。


「――《シェイク・リンカー》、《エリザベス・ヴォルス》、《アナ・シッダルク》、《クァラトゥ・カイクヲラ》、《カリオストロ・センクス》――」


 その大量の経験の流入は、いかに『作りもの』の私といえども許容量を超えていた。頭も血も一杯一杯で、鼻血どころか血涙が垂れそうになる。


 わかっていたことだ。元々、私の血は限界まで『術式』が書き込まれていて、余白がない。一年前、『火の理を盗むもの』アルティに忠告されたことがある。


 けれど、数日前に『親和』した《ティアラ・フーズヤーズ》の経験が――いや、今日までの戦いの経験が、書き込む場所は別にあると私に教えてくれる。


 ――書くとすれば、血よりも魂のほうが向いている・・・・・


 その経験に従い、口で呼び切れないほどの英雄たちを、私の魂に書き込んでいく。

 いつか『魔石』となる私の魂に、書いて書いて書いて書き続けて――軽く百を超えた。


 多くの戦いの経験を得た私は、目で追い切れなかった氷の刃に少しずつ対応できるようになっていた。


 ただ、氷の刃が身体に触れなくても、血は流れていく。

 ティアラ様の知識によると、血の酷使によって粘膜の薄い部分の毛細血管が破れているらしい。確かに、耳を澄ますと、胸の鼓動が尋常ではなく速い。


 ただ、鼻血なんて気にしていられない。破損箇所はわかっているので、無詠唱の《キュアフール》を使って随時修復してから、鼻の下を拭う。


 私は損傷と回復を繰り返しつつ、延々と血の霧を濃くし続ける。

 その様子を、じっとヒタキちゃんは見ていた。


「……逃げないのなら、止める理由はないです。続けてください」


 無表情のヒタキちゃんは強者の余裕を崩さない。

 私の全力を真正面から受け止めて、その上で圧倒的に打ち倒し、戦意を削ぐつもりなのだろう。


 その余裕に甘えて、私は戦いながら新暦0001年から新暦1000年までの英雄たちの名を唱え続ける。唱え続けて、唱え続けて、唱え続けて――その果てに、よく知っている名前まで辿りつく。


「――《フェンリル・アレイス》、《ウィル・リンカー》、《グレン・ウォーカー》、《ルカ・ヘルヴィルシャイン》、《エルミラード・シッダルク》、《フランリューレ・ヘルヴィルシャイン》――」


 末代の剣聖まで至ったところで、もう氷の刃の対応は完璧なものとなっていた。

 上下左右から襲ってくる不規則な刃を全て打ち払いつつ、私は贔屓で大好きな仲間たちの名前を混ぜる余裕すらあった。


「――《ディアブロ・シス》、《マリア・ディストラス》、《スノウ・ウォーカー》、《ライナー・ヘルヴィルシャイン》――」


 これでもう心残りはない。

 私は『六段千ヵ年計画』の四段階目を終わらせるために、フーズヤーズの最後の騎士たちの名を七つ並べて――


「――《ペルシオナ・クエイガー》《ハイン・ヘルヴィルシャイン》《モネ・ヴィンチ》《セラ・レイディアント》《ラグネ・カイクヲラ》《ホープス・ジョークル》《パリンクロン・レガシィ》――」


 最後に、一人の少年の名で締め括る。


「――《レガシィ》」


 そのとき、《レヴァン》の魔力を前にしても、微動だにしなかったヒタキちゃんが、ぴくりと反応した。

 右腕を後方に振り、自動で動いていた様子の氷の刃を停止させて、私に問いかける。


「レガシィ……? ここで、『使徒』レガシィ?」


 その驚きは私も同じだった。

 《レガシィ》と口にしたとき、汲み上げた血の中に、ヒタキちゃんへの伝言が混じっていたのだ。つまり、彼は千年前の時点で、こうなることを読んでいたことになる。


 そして、そのレガシィの伝言を読んだとき、私は酷く――共感した。


「〝――おまえたちに利用され、捨て駒にされることはわかっていた〟」


 代弁するのは、ティアラ様が『使徒』レガシィと別れ際に話した『答え』。

 その続きだった。


「〝それでも構わないと俺が言ったのは、戦うのを諦めたからじゃない。俺の「遊びたい」という欲望も含めて……この『世界』を生きる『人』の願いが、唯一おまえに匹敵すると思ったからだ〟」


 千年前、ティアラ様と『使徒』レガシィの二人は共犯者だった。


 途中で道は別れてしまったけれど、二人はよく似ていた。

 ただ趣味趣向が似ているだけではなく、その信念が近しかった。

 個人的な感想だが、二人は互いの目指す道に敬意を持っていたと思う。


「〝必ず『使徒』の俺たちは負ける。だが、人生は勝ち負けだけが重要じゃない。負けて叶うものもある・・・・・・・・・・。『人』の強さとは、生き抜くことで、次に受け継がれていくこと。それを、俺は・・――〟」


 その一度は別れた二人の道が、いま私という器を点にして交わる。


「〝――私は・・知った・・・〟。――星魔法《ライン・・・》」


 そして、魔法名を宣言した。


 同時に、周囲の濃い血の霧が私の体内に収束して、魔法の『人化』が果たされる。


 『魔石人間ジュエルクルス』から『人』になるのも、『魔人返り』の一種だろう。

 ただ、他の『魔人返り』たちと違って、モンスターの強みは一切得られない。

 けれど、代わりに『人』の強みを、私は手に入れたはずだ。


 この星魔法《ライン》の効果は単純。

 英霊たちの経験を全て、繋げて、重ね合わせること。


 ――そして、この状態こそが『魔石人間ジュエルクルス』の終着点。


 ただ、ヒタキちゃんは冷めた表情で、私の《レヴァン》と《ライン》の力を見つめ続ける。

 そのどこか遠くの観客席で決まりきった演劇を見ているような目を変えたくて、私は魔法を構築する。


「――共鳴魔法《フレイム》」


 暴走するエルミラード相手に使った共鳴魔法を、今度は私一人だけで行う。


 それを可能とする量の『術式』が、いまの私の魂には《ライン》で刻まれていた。

 魔力量も《レヴァン》のおかげで十分過ぎるほどにある。


 まず天剣ノアに炎を纏わせて、天井まで届く巨大な火柱を作る。

 続けて、マリアちゃんの《フレイムフランベルジュ》を真似るように、その炎剣を私は横に一振りする。


 氷の刃ごと、ヒタキちゃんは巨大な火炎に呑み込まれ、爆発するかのような蒸気が一階の空間に満ちた。


 マリアちゃんと比べても遜色のない高温によって、『水の理を盗むもの』の氷の刃が溶けた上、蒸発していく。

 その《フレイム》の威力に、後方で様子を見ていたファフナーが声をこぼす。


「ひ、一振り……!? これが、ヘルミナさんの力……?」


 ヒタキちゃんの実力を知っているからこそ、こうもあっさりと氷の刃が掻き消えたのが信じられないようだった。

 そして、そこに彼はヘルミナ・ネイシャの存在を結びつけて、全身を震わせた。


 そのファフナーの疑問に、蒸気の中にいるヒタキちゃんが答える。


「ええ、ファフナー。これがネイシャ家の研究の行き着く先……はずだったもの。ただ、ヘルミナさんとロミスから始まった『血の力』は、完全にティアラに奪われてしまったようですが」

「あのあとも研究は続いてて……、でも奪われて……このまで繋がっていた? そういえば、あのときも、隣に……」


 蒸気が晴れると、そこには当然のように無傷のヒタキちゃんの姿があった。

 彼女は淡々と、仲間に説明を続けていく。


「『血の力』による全魔力、全属性、全経験の収束ですね。それによって、擬似的な『星の力』を……いや、もうこれこそが、正式な『星の魔法』でいいでしょう。私でも、あの女でもなく、いまの彼女こそが――」


 ただ、その説明が終わる前に、その力の仕組みを理解した男が、後方から声をかける。


「――ティアラの複製レプリカ、それは無茶だ。続ければ、必ず器は壊れる」


 広がった蒸気に紛れて、いつの間にかセルドラが近くに迫っていた。


 そして、その太い腕を伸ばして、掴みかかろうとしている。その彼の忠告に、私は得意の身体強化の魔法で応える。


「知ってる。だから、いま、使うんだ。――共鳴魔法《グロース・エクステンデッド》」


 先ほどと同じ手順で発動した魔法を、全身に浸透させる。


 ただでさえ限界を超えた力を引き出す《グロース・エクステンデッド》が重ねられ――鼻腔の次は喉奥の気管で、血が溢れる。

 私は《キュアフール》を無詠唱で使って、気管の損傷を回復しつつ、口に溢れた血液を全て飲みくだす。さらに歯を食いしばり、空いた手を握りこむ。


 そして、人生最高の身体強化による全力の拳を、セルドラの手の平に向かって打ち込んだ。


 接触と同時に、フーズヤーズ城が大きく揺れる。

 振動の波紋が空気を伝播して、足元の床に亀裂が入る。


 セルドラの両目が驚愕で見開かれた。

 竜人ドラゴニュートの特性として、その膂力には自信があったのだろう。しかし、素手同士の押し合いに競り勝ったのは、私だった。


 セルドラの巨体が打ち上げられ、魔法を使うのに丁度いい距離が空く。

 その好機を、私は逃さない。


「――《フレイムアロー》、《ウォーターアロー》、《ワインドアロー》、《アースアロー》、《ウッドアロー》、《ライトアロー》、《ダークアロー》――」


 同じ魔法を重ね合わせるのではなく、完全に別の魔法を掻き混ぜていく。


「――っ!? 共鳴魔法じゃないな。もうこれは……!」


 その大魔法の準備にセルドラは気づき、向こうも着地しつつ魔法構築を始める。


「そうだね。もうこれは共鳴魔法じゃない」

「おまえの身の丈に合わない魔法という話だ! 『欲深き血から生まれ』『欲くらき種は滅ぶ』――!」


 もう私を格下と見ていない証拠として、さらにセルドラは『詠唱』で魔力を足す。


 やはり、彼は誠実で実直な男だ。

 その言葉に、嘘や間違いは一切ないのだろう。このまま戦い続ければ、私という器は壊れ、身体は朽ちて、魂だけとなってしまうのも間違いない。


 なにせ、《レヴァン》も《ライン》も、『呪い』で死ぬラスティアラ・フーズヤーズの為に用意されたものだ。

 その身体の安全を考えるような生温い代物なわけがない。

 そのセルドラの忠告の正しさは、いまも『擬神の目』で確認し続けている。



【ステータス】

 HP713/713 MP170981/562

【ステータス】

 HP689/689 MP358721/562

【ステータス】

 HP653/653 MP729812/562



 ここまで来ると、削れる命よりも増える魔力のほうが恐怖だ。

 おそらくだが、この数値は、『世界』の人口に千年分が乗算されるまで止まらない。


「『飢えるまで貪れ』! ――《ドラグーン・アーダー》!!」

「――星魔法《マジックアロー》」


 セルドラはスノウを相手にしたとき以上の『竜の風』の塊を生成した。

 その小さな球体に詰まった風は、街一つどころか国一つを覆うほどの大嵐だと一目でわかる。


 その彼の渾身の一撃に対して、私は何の捻りもない『魔法の矢』という名の魔法を放った。


 形状は言葉通りに矢。

 大きさも本物の矢と、そう変わらない。ただ、セルドラの《ドラグーン・アーダー》に負けないほどに、その矢にも詰まっていた。


 風だけでなく、火、水、土、木といった基本の属性の魔力が《マジックアロー》の中で絡み合い、凝縮されている。そして、相反することなく、調和していた。ゆえに、その色はラグネちゃんのように、光を吸い込むような暗いものとはならない。


 夜空の星のように輝いていた。

 流星のような軌跡を描いて、《ドラグーン・アーダー》と接触する。

 そして、先ほど手の平と拳を合わせたときと同じように、また一瞬だけ拮抗する。


「お、重い……?」

「色々と混ぜ合わせてるからね……!」


 魔法の術者である私たちには、その手応えがわかる。


 《マジックアロー》には、異常な重さが乗っていた。

 それは星属性の魔力の扱いに失敗したわけでなく、制御に成功したからだ。

 私は星魔法を完璧に制御して、セルドラの《ドラグーン・アーダー》を強引に押し返し――競り勝つ。


 小さな魔法の矢が、巨大な風の球体を完全に掻き消した。

 それどころか、霧散するはずの無属性の魔力を全て吸い込み、さらなる力を得て、セルドラに向かっていく。


 《ドラグーン・アーダー》に集中していたセルドラは、それを避けられない。

 魔法の矢が彼の硬い皮膚に触れて――突き刺さりはしないが、衝撃で身体を遠くまで吹き飛ばした。できれば、このままセルドラを戦闘不能にしたいと思い、私は追撃の一歩を踏み出そうとするが、それは彼の仲間の魔法に遮られる。


「――《ブラッドアロー》!」


 進もうとした先に、血で構築された矢の雨が降った。

 即興の魔法のようだったが、決して無視して通り過ぎれるものではなかった。私は二の足を踏み、その間にファフナーがセルドラに合流する。


「セ、セルドラさん! 大丈夫ですか!?」

「大丈夫だ。……ただ、少し考え方を変える必要がある」


 よろけるセルドラに、ファフナーが肩を貸そうとする。

 意外だが、二人は親友のように互いを案じていた。そして、セルドラと話すときだけ、ファフナーの言葉遣いは丁寧となり、正気に戻る……というより、まるで別人だ。


 私は軽く赤い『糸』を辿って、二人の関係性をスキル『読書』で読む。

 そこには二人の意外な出会いと戦いがあった。

 けれど、その物語を読み切る前に、濃い殺気が突き刺さる。


 セルドラはカナミの『持ち物』のように、何もない空間に手を入れた。

 ただ身体が丈夫なだけでなく、魔法も器用に色々と使うようだ。そして、その『持ち物』から、彼は大きなハルバードを取り出した。


 いま軽くセルドラの人生を読んだだけでも、彼が武器を頼るシーンが少ないのはわかった。

 いまみたいに、闘争心で犬歯を見せている表情も非常に珍しい。


 つまり、いま『無の理を盗むもの』は本気となったのだ。

 隣に立つ『血の理を盗むもの』も同様に、私相手に本気を出そうとしているのが表情から伝わる。


「ふ、ふふっ……」


 嬉しくて、思わず笑みがこぼれた。

 少し前までは『理を盗むもの』の相手にならなかった私が、この二人相手に本気を出させている。

 その事実に、ちょっとした達成感と解放感があった。


「いまなら、何だってできる気がするな……」


 もちろん、彼ら二人に本気を出させている魔力も技術も、全てが借りものだ。

 それらを収める私だって『作りもの』で、この戦いそのものが――正直なところ、茶番と言っていい。


 それをわかった上で、私は『天剣ノア』を手にして全力で駆け出していく。


 まず待ち構えるセルドラのハルバードと刃を合わせる。

 隣のファフナーは血の人形を生成して、数の有利を作ろうとしていた。その奥では、ヒタキちゃんが新たな氷の刃を生成しているのも見える。

 そうはさせまいと、私はセルドラを置いて、後衛を担当しようとする二人の近くに跳び込んだ。

 自然と三人に囲まれる形になったけれど、私は強気に戦い続ける。


 ――そして、その戦いの間、ずっと私は笑みを浮かべていた。


 この戦いは所詮、茶番劇。

 本に書かれた脚本に沿って、全員が動いているだけ。

 わかっている。


 ――しかし、だからと言って、全く自由がないとは思わない。


 《レヴァン》と《ライン》の性質上、いま私は世界を背負って戦っているに等しい。

 さらに、戦う相手は、たった一人で世界を揺るがせる『理を盗むもの』たちが三人。

 その状況は、子供の頃に憧れた――と言っても、齢四歳の私にとっては、つい数年前のことだが――とにかく、子供の頃に憧れた英雄譚そのものだ。


 それを全力で演じ抜く自由が、私にはある。


「ふ、ふふ、あはっ――」


 戦闘中だというのに、あの大聖堂での思い出が頭によぎる。

 あの青空の下の教室。

 馬鹿みたいに熱心なハインさんが冒険活劇を読み上げて、たまにセラちゃんやラグネちゃんが遊びに来て、一緒に色んな本を楽しんでいた日々。


 その中で最も思い出深いのは、やはりティアラ様の伝承だ。

 千年前の戦いは、どれも御伽噺のようにふざけているしか思えないものばかりで――しかし、だからこそ、子供の頃の私は心を躍らせて、必死に読んでいた記憶がある。


 ――閉塞感ばかりの籠の中、その物語を読んでいる間だけは本当に、自由だった。


 例えば、指先一つで天にも届く大きなツリーフォークを倒す伝承。

 それと全く同じ戦いを、いま、私が繰り広げている。


 『血の理を盗むもの』ファフナーが、通常の血の人形ではすぐに潰されると考えて、特製の巨大人形を作成した。このフーズヤーズ一階の限界まで膨らんだ血の人形に向かって、私は指先を向けて、『魔力物質化』の魔剣を伸ばして、勢いよく振り下ろす。


 血の人形が破裂する中、『無の理を盗むもの』セルドラが、さらなる魔力を込めて《ドラグーンアーダー》を構築する。ここまでくると、もう大陸を砕くような魔法と言っていい威力だ。それに対して私は、同じく大陸を砕くような《マジックアロー》で迎え撃つ。


 ふざけた魔力と魔力のぶつかり合いによって、視界が地震のように揺れた。


 その光景は、ティアラ様の伝承と全く一緒だった。

 そして、その自由な戦いの中、彼女と目が合う。


「――ヒタキちゃん!!」

「――《アイスフランベルジュ》」


 しかし、私の剣は届かない。

 振り切る前に、いくつもの氷の刃が間に挟まり、防がれてしまっていた。


 届くのは私の視線だけ。


 ヒタキちゃんは酷くつまらなそうな顔をしていた。

 その表情が、いまヒタキちゃんだけは本気じゃないという証明だろう。他の二人と比べて、まだまだ彼女には余裕がある。

 わかっていたことだが、ここまで来ても、まだ私は足りていない。


 だから、これから私は負ける。

 そして、死ぬ。

 そう千年前から決まっている。

 私の役目は、私という魂に、この戦いの記録を残すことのみ。


 だが、もうそんなことはどうでもよかった。

 手順もルールも、全てが思考の外だ。

 いま大事なのは、この『世界』を生き抜く私の物語。

 その一瞬一瞬が、ただ単純に――


「――楽しいのですか? ラスティアラ、こんなものが?」

楽しい・・・。いま、すごく気持ちいい……」


 視線が合ったとき、またヒタキちゃんは私の心を読んだ。

 それに私は全力で笑って頷き返す。


 途端にヒタキちゃんの顔は歪み、険しくなる。

 戦い自体は辛くなくても、私を見るのが辛そうだった。


「ふ、ふふっ、ははは――!」


 私は笑い続けて、嘘ではないと彼女に伝えようとする。


「は、ははっ! はぁっ、はぁっ、はぁっ――!」


 ただ、無理に笑ったせいで、息切れしてしまう。


 喉奥から鉄の匂いが滲んで、景色が目まぐるしく回転する。

 千年前の書かれた文字に沿って、いま私は『死去』に向かっている。けれど――


「やっと、やっと、やっと……! やっと・・・!!」


 戦いながら、また思い出が頭によぎった。

 子供の頃に閉じ込められた大聖堂にあった本――だけじゃない。

 子供の頃に閉じ込められた塔でも、『私』はたくさん本を読んできた。


 本が好きだった。

 本の『世界』に憧れた。

 ずっと夢見続けていた。

 その私の前に、訪れてくれたのは『異邦人』。


 ――死ぬ前に、やっと・・・私は本の中に入れた。


「――《フレイム》《アイス》《ワインド》《アース》《ウッド》《ライト》《ダーク》《ウォーター》――」


 その私の人生が『代償』となり、今日初めて至った星の魔力が、急速に身体に馴染んでいく。

 戦いの中、火、水、風、地、木、光、闇といった多様な属性の魔力が一体化していき、『ラスティアラ・フーズヤーズの魔力』となっていく。


 太陽を縁取る白虹はっこうの円のような色をしていた。

 その魔力を、『天剣ノア』に纏わせる。


 そのとき、本を捲る手とは逆。

 支える手の指先が、頁の束を薄いと感じた。


 スキル『読書』が教えてくれる。

 残り頁が少ない。

 終わりが近い。


 けれど、私は信じて、続きを読んでいく。


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