423.異世界の思い出
ディアとシス。
二人の里帰りを話す前に、一つ前置きが入る。
「前に、どうして俺が連合国まで出てきたかって話はしたよな? 俺は『使徒』だったせいで、両親から捨てられた。名前を付けられることすらなく、ただ『シス様』と崇め続けられて……どこにも『私』なんていないって絶望して、連合国まで逃げて来た」
ディアが『私』という一人称を使うのは弱っているとき――それを知っていた僕は、その話を止めかける。
しかし、すぐに彼女は心配ないと首を振って、静かに続けていく。
「帰ろうと思った一番のきっかけは……、正直なところカナミの妹の見せた夢だ。あれを許すわけじゃないが、あの夢のおかげで『ディアブロ・シス』に必要なものは揃ってるって俺は気づけた。それと、
とても正直な感想を、ディアは口にしていく。『使徒』という言葉は嫌っていても、シス個人には奇妙な友情を感じているように聞こえた。
「とにかく、俺は一度帰ろうって決めた。俺もカナミのように、家族たちと決着をつけるべきだって思ったからだ」
おそらく、その
一つだけ。
あの夢と違うところがあるとすれば、それは元凶である『使徒』シスと決別するのではなく、
「もちろん、『私』が帰っても、どうせ両親は娘として見てくれない。それはわかってた。――だから、『使徒』のシスと並んで、二人で家に帰ってやったんだ。こうすれば、どう足掻いても、両親は俺を『シス様』と呼べないからな! 自分の娘の『私』と話すしかない! ははっ、してやった!」
悪戯を成功させた男の子のように、ディアは笑う。
ただ、ご両親の心情を考えると、僕は軽々しく笑えない。
「それを親は信じたの? あのちょっと残念なシスが、本当に『使徒』だって」
「そこは同行してくれた神官たちが、丁寧に説明をしてくれた。……ただ、決め手はフランとアレイスの爺さんの二人だったな。いや、家柄による発言力って、ほんと卑怯だよな。ずっと神官たちの話を疑ってたのに、四大貴族が出てくると一発だった」
夢と同じく、友達のフランリューレと保護者になってくれているフェンリル・アレイスと共に帰ったらしい。アレイス家当主であり『剣聖』として名を馳せたフェンリルさんがいれば、話は本当に早かったことだろう。
「そのあと、父と母は「頑張ったわね」「よく勤めを果たした」って、俺を労ってくれたよ。けど、それは正直、俺の欲しい言葉じゃなかった……。そんなものが欲しくて、俺は生きていたんじゃないってことを、最後まで両親はわかってくれなかった。だから――」
ずっとディアは笑顔で、淡々と話を進めてきた。
しかし、ここだけは
「カナミには、正直に言う。場合によっては、両親を衝動的に殺してしまうかもしれないって俺は思ってた。そのぐらい、俺は家族を恨んでいた。故郷の何もかもが嫌いだった。……けど、できなかった。そんなこと、できるはずなかった」
元々、ディアは金持ちの権力者になって、色んな人を見返してやるために探索者をやっていた。
僕の前では純粋で真っ直ぐな彼女だが、決して悪意や殺意と無縁の少女ではない。
「里帰りして、色々あった。本当に色々あったから――、だから、最後はなんとなく、シスのやつの頭を叩いた。それで全部チャラってことで、終わらせた」
「え、ええぇ……?」
シスに対する急な制裁に、僕は困惑の声を漏らしてしまう。
ただ、その光景は簡単に想像できてしまう。
色々あって最後に叩かれたシスが「な、なんで!? なんで、私!?」と涙目になって抗議している姿が。
「当たり前だ。そもそも、『使徒』が無断で転生してくるのが、一番の原因だったんだからな。最後はシスが、両親に頭を下げた。というか、俺が下げさせた」
「う、うーん。まあ、そうか。そうだね、それが一番いい解決方法だと僕も思うよ」
いまのシスとディアが戦えば、圧倒的にディア有利である。なので、渋々ながら「ご、ごめんなさい……」と涙目で謝るシスも、簡単に想像できた。
同時に、叩くだけで許してしまったディアの優しさと甘さに、僕は苦笑する。
「そこからは、同行していたフランとアレイスの爺さんが出てきて、とんとん拍子で話が進んだなー。俺がアレイス家の養子になって、フーズヤーズの戸籍帳簿から移されるってことを、二人は話に来たらしい。難しいことはわからなかったけど、俺はアレイス家の子になったみたいだ」
ディアが両親と話している間、ずっとフランリューレとフェンリルさんの二人は後ろで見守ってくれていたのだろう。
もしディアが思いつめて、両親に手を出そうとしていたら、命を賭してでも止めてくれたはずだ。
「つまり、俺もカナミと一緒で、ほぼ家族とは絶縁状態になったってわけだな! ははっ! でも、たまに顔を出そうとは思ってるぞ! いつか、普通に話せるときが、来るかもしれないからな!」
そして、その全ての話をディアは、いい経験だったと笑い飛ばした。
いま僕にそれを聞かせてくれた理由が、はっきりとわかる。
いつか僕にも、両親と普通に話せるときが来ると、ディアは優しく励ましてくれているのだ。
その暖かな気遣いに、僕も笑みが零れる。
「ありがとう、ディア……。ちょっと気持ちが楽になったよ。いつか僕も笑って、両親と会える気がしてきた……」
感謝も口から零れる。
昨日とは全く違う。自分の利益のためにしか話さないクウネルと違って、ディアの言葉は心に響いて仕方なかった。
「いや、ありがとうはこっちの台詞だ、カナミ! 最初、レベル1で連合国に来たとき、カナミがいなかったら普通に俺は死んでた! たぶん、あっさりと迷宮で! でも、カナミに会えて、ここまで来れたんだ! カナミのおかげで、『私』は故郷に帰れた! やっと帰れたんだ!」
陽滝の『夢』だと、ディアは『
しかし、『現実』のディアは『
その差を示すディアの笑顔を見ていると、僕も希望が湧いてくる。
僕にも。
みんなにも。
より良い未来が先に待っていると、心の底から信じられる。
いや、必ずだ。
必ず、良い未来を引き寄せてみせる。
湧き出る勇気を感じながら、彼女のステータスを『表示』で見る。
そこには――
【ステータス】
名前:
――新しいディアの名があった。
残念ながら、まだスキル『過捕護』は消えていない。
しかし、その対象は、もう僕一人ではないだろう。図らずも、一度ラグネが僕を殺して、陽滝との過酷な戦いを強制されたことで――あの『???』が、『
僕がいない間、ずっとディアは仲間と協力し合って、友達を増やしていった。
いまのスキル『過捕護』の対象は、シスを含めて『
おそらくだが、この解決法を、最初からラスティアラは目指していたと思う。その目標達成の瞬間に立ち会えて、心から嬉しかった。
「カナミ、俺の『冒険』は終わったよ。カナミと出会って、色んな友達が出来て、使徒のやつと本気でぶつかり合って、完全に決着がついた。この連合国までやって来て、本当によかったって思ってる」
しみじみとディアは言葉を紡いでいく。
それは言うならば、ディアの物語のエンディングだろう。
そのワンシーンに相応しい笑顔を、僕も彼女に向ける。
「僕もだよ。ディアたちと出会って、妹の陽滝と本気で喧嘩して、完全に決着がついた。色々あったけど、僕も異世界にやって来て、本当によかった」
失ったものは多い。けれど、そこに後悔や『未練』はなく、いまは前だけを向いて生きていることを伝えようとして――その僕の顔を見たディアは、胸を撫で下ろす。
「ああ……。は、ははっ。よかった! 本当によかった!」
「……よかった?」
三度も、ディアは同じ言葉を繰り返した。二度目以降はディア自身に対する安堵ではない気がして、僕は疑問符をつける。
「ずっと心配してたんだ。ちょっと前、色々と見ていられなかった時期がカナミにはあっただろ? あの時期と比べると、今日は本当にいい顔してる。いつものカナミだ!」
そして、あの最後の戦い直後――二月前の僕について、ディアは話す。
「そ、そんなに酷かった? 僕としては、ずっと普通のつもりだったけど」
「そんなにだったぞ!! いっつも遠い場所を見てて、なんだかふらふらしてて、時間もわかっていない感じで……。無理して、元気な振りをしているカナミを見てると、胸が締め付けられるように痛かったんだ……!」
どうやら、仲間たちに心配させまいと奮起していたのが、逆に心配をかけていたらしい。
その評価を聞いて、僕は恥ずかしくなる。思えば、柄にもなくハイテンションだった気がしてきた。
僕は反省し、これからは大丈夫と証明する為にも、とある名前を口に出す。
「ディア……、もうわかったんだ。いつまでもくよくよしてたら、『ラスティアラ』に怒られるだけだって。俯いてても何も解決しないんだから、もう前を向くしかない。僕たちは僕たちの物語の続きを、前に進むしかないんだ」
「ああ、そうだな。その通りだ。ははっ……、本当に、カナミはラスティアラが大好きなんだな……」
安堵したディアは、笑う。
そして、僕の口から出た名前を、僕以上に愛おしそうに繰り返した。
その名前は、僕たちにとって本当に特別で、複雑に絡み合った感情が込められる。
ディアは笑っているような悲しんでいるような表情で、ラスティアラについて話していく。
「俺もラスティアラのことが、すごく好きだった。暴走してばっかりの俺の隣に、いつも笑って居てくれるラスティアラが、本当に大好きだった……。だから、カナミに一つだけ頼みがあるんだ」
そのディアの感情は知っている。
千年前の『元の世界』で、僕も同じような気持ちを味わっている。
「――これからも、カナミの傍にいさせて欲しい。俺はラスティアラが大好きだったし、同じくらいにカナミも大好きだ。その『二人』から離れたくないって、いま、心から思ってる」
それは別離と失恋が絡み合った感情。
さらにディアは、ラスティアラのいない世界で、僕の隣に立つことに罪悪感を抱いてしまっているようにも見える。
その姿を見て、つい僕は口にしてしまう。
あの新しい『契約』を、ディアとも――
「そんなこと、僕に確認する必要なんてない。もうディアは、誰とも離れなくていい。いや、これからはずっと『
「――っ!? カ、カナミ……? 俺の傍にいるって……、え……?」
ここまで大げさな言葉が返ってくるとは思っていなかったのだろう。
ディアは赤面しつつ、困惑し始める。
どこかから「誑し野郎! もっかい死ねっす!」という幻聴が聞こえた気がした。
しかし、ラスティアラを『たった一人の運命の人』とした上での発言なので、別に口説いているわけではない。人としてギリギリセーフ――だと、個人的には思いたい。
思いたいが、その僕の言い訳を否定するように、ディアは感情を処理し切れず、街道を一人で走り出そうとする。
「え、あ、あぁっ――!!」
「――ディ、《ディフォルト》!!」
いま目立つのは避けたかった。
できるだけ使わないと決めていた魔法で、遠ざかっていくディアとの距離を歪ませた。
「なっ!?」
引き寄せたディアの手首を掴んで、捕まえた。
彼女は腕を掴まれて逃げられないとわかると、次第に落ち着きを取り戻していく。
そして、赤面したまま、何度も深呼吸をして、僕の発言と行為を咎める。
「はぁっ、はぁっ……! わ、悪い、カナミ。ちょっと取り乱した……けど、いまのはカナミが悪い! いまのは絶対、カナミが悪いと俺は思うぞ!!」
「うん、僕が悪かった! いまのは格好つけた! ディアの前だからって、すごく格好つけました! ごめんなさい!!」
「や、やっぱりそうか!! そういうところがあるからカナミは駄目だって、ラスティアラやマリアの言ったとおりだった!! あー、もう! カナミは、もう!」
言い訳しようがないので、ひたすらに僕は謝罪した。
ディアは深呼吸の次に、「はあー……」と大きな溜息をついて、赤面の上に涙目で、きっと僕を睨む。
最近わかってきたことだが、ディアの中で仲間評価は大きく変わってしまった。
冒険の始まりでは、僕を絶対的に信頼していて、マリアを目の敵にしていたのだが、いまや逆だ。
とうとう僕を「格好つけの胡散臭いやつ」と認識できてしまっている。
こうして、僕たちは手を繋いだまま、呼吸を整えて、少しずつ落ち着いていく。
冷静にはなれた。だが、騒いだ代償として、周囲から好奇の視線が向けられ始める。
「僕のせいで、ちょっと目立っちゃったね。ばれると不味いな」
この二ヶ月で、元『始祖』元『使徒』の顔は多くの人々に知れ渡っている。
落ち着いて街を回れなくなってしまうと僕は危惧したが、ディアは違った。
「いや、大丈夫のはずだ。いまの俺は得意の男装で、周りから特徴の無い男だって思われてるからな」
「と、得意の男装? いや、そんなことは――」
絶対ない。
という答えは、僕の代わりに、道行く街の子供が証明してくれる。
「――あっ、使徒様だ」
それは周囲の好奇の視線の一つ。
ディアより背丈の小さな男の子が、じっと純粋無垢な目でディアを見て、ぽつりと呟いた。
「いや、俺は使徒じゃないぞ……? どこにでもいる剣士で――」
「えっ? でも、前に大聖堂で、俺の病気を治してくれたお姉ちゃん……」
「いやいやいや、違う! どう見ても、俺はお姉ちゃんじゃなくて、お兄ちゃんだろ!?」
全力で否定して、ディアは街中だというのに、腰から『クレセントペクトラズリの直剣』を抜いた。
さらに、どこかの戦隊モノかヒーローモノのように、びしっと決めポーズを取る。その見事なポーズに、ちびっ子は「おー」と喜んだが、それ以外の民衆は騙されることはない。むしろ、加速していく。
「……あれ。やっぱり、可愛らしいほうの使徒様だ」
「大聖堂にいらっしゃる可愛らしいほうの?」
「あの子、可愛らしいほうのディア様ね。ということは、隣の方は、もしかして……」
男装していても、市井で愛でられまくりのディアである。
遠巻きに様子を見ていた大人たちの目は、はっきりと名前を出していた。その反応に業を煮やしたディアは、地団駄を踏んで訂正する。
「違う、おまえら! 可愛らしい方じゃなくて、かっこいい方だ!」
もう名前を隠す気はない――というより、反射的に別のところを否定してしまうディアだった。
暗にディアであることを認めてしまったせいで、周囲のざわめきが増す。
一人が名前を出したとことで、情報の伝播は止まらなくなっていた。僕たち二人を囲むように、人だかりが出来始めて――
「――し、始祖様ですか?」
一人の少女が、ディアには目をくれず、僕の近くに寄ってきていた。
いま僕は探索者の装いに、きっちりとティーダの仮面をつけている。それでも、僕を始祖と認識できているということは、中々『素質』の高い子のようだ。
その少女は僕に向かって、どこか狂気的に祈る。
「始祖様……! ああ、どうか祈らせてください……! あなた様のおかげで、私たちは生き延びることができました。復興の際、連合国に広まったお告げは、我々奴隷身分の者を救い、
表情と言葉から元奴隷であると、すぐに僕はわかった。
わかったからこそ、僕は首を振る。
「ごめん。僕に祈るのは、もう終わりなんだ。ちゃんとした新しい始祖様がいるから、そっちにお祈りしてね」
「新しい始祖? ……ああっ、あの居丈高な女のことですね! 『アイカワカナミ・キリスト・ユーラシア・ヴァルトフーズヤーズ・フォン・ウォーカー』様の功績を、横からさらう使徒シス!」
「いや、あの人は、僕以上に立派な人だよ。自分のことばかりの僕と違って、ずっと世界を救うことだけを考えてくれている。この世界で彼女だけが、真の『正義の味方』って僕は思ってるくらいだ」
「そ、そうなのですか? いや、でも、あの人は……。性格だけじゃなくて、そもそも
「だから、彼女は頭じゃなくて心で、みんなを助けてくれる。これから先、君たちのような子たちをたくさんね」
「…………。やっぱり、納得いきません。これからも私はあなた様を敬い、祈ります。死ぬまで」
駄目だった。
おそらく、僕を狂信しているレヴァン教『改新派』の子だ。
そして、その彼女の対応に手間取っていると、いつの間にか周囲の人だかりが、完全に壁となっていた。
誰もが僕たちの名前の頭に『始祖』『使徒』をつけて呟いて、いまにも広場で突発的な
復興に乗じて、レヴァン教が再流行しているとは知っていたが、ここまでとは思わなかった。
もう得意の次元魔法と高速移動で、この場の全員の視線を切って逃げるしかない。そう判断し、ディアを担ごうとして――
「――そういうお祈りは駄目だ! 良くない!」
その前に、ディアの大きな声が通った。
それはざわめく市場の中でも、はっきりと聞こえた。
続く彼女の真剣な声は、凛と――まるで聖堂に響く福音のように、どこまでも広がっていく。
「祈りってのは一方的にしても、ただの『呪い』だ。少なくとも、俺は一方的な祈りを、ずっと重荷に感じてきた。……だから、わかってくれ。今日の俺たちは、そういう日じゃないんだ。祈るなら、しかるべき時にちゃんとした場所でしてくれ。ルールは大事だぞ。もし聖堂で祈ってくれたら、俺たちは応える。必ず、応えるから……、頼む」
僕は驚く。
なにより、その声以上に驚いたのは、周囲の人たちの反応だった。
「す、すみません……! 少し騒ぎ過ぎました……!」
「はいっ、すぐに離れます! どうかお二人だけで、楽しんでくださいね!」
「わかっています、ディア様! そういうことですよね!」
ディアの立派な姿に驚く僕とは対照的に、周囲の人々はとても穏やかで軽かった。
中には、ちょっと別の意味で捉えている人もいるくらいだ。
その声にディアは、笑って応えていく。
「わかってくれて、ありがとな! じゃあ、まただ! 行こう、カナミ!」
「あ、うん……」
どうやら、僕が大陸各地で働いている間、ディアは地元の連合国で交流を深めていたようだ。
いまや僕よりも、街の人たちのほうがディアの人柄を詳しく知っているように思えた。
こうして、ディアのおかげで、僕は窮地を脱していく。信者たちが見えなくなるまで歩いたところで、彼女は自分の衣服を見ながら呟く。
「――はあ。結局、ばれたな……。服が駄目なのか? これ、ずっと男装で使ってきたやつで、大聖堂で着てるやつとは、全く逆っぽいのに……」
その口ぶりから、ディアは変装に自信ありだったようだ。
だが、僕を含めた他人から見れば、ざるもいいところである。
「ごめん、ディア。それ、変装になってないと思う。前も言ったと思うけど、普通に性別が隠せてない」
「くっ、やっぱ駄目か……。格好よくてお気に入りだったけど、しばらく迷宮以外で着るのは止めとくか」
僕からも否定されて、ディアは服の裾を摘みながら悔しがる。
その様子を見て、僕は誘う。
「なら、お腹も膨れてきたし、次は服屋さんにでも行ってみる? 新しい服を買いに行こう」
昨日に引き続き、衣服の買い物を提案してみた。
ただ、こちらの異世界だと、真っ当な販売店ではなく、オーダーメイド製の仕立て屋さんになるだろう。『元の世界』と違い、人種によって個人の体型・身体的特徴に大きな差が出やすいからだ。
足先を服屋に向ける。
ディアにも、クウネルのように休日を全力で楽しんでもらおうと、今度は僕が彼女の手を引っ張ろうとする。だが、それは――
「いや、いい。それよりも、『持ち物』から、顔を隠せるものをくれないか?」
「…………」
拒否されてしまった。
表情から「買うほどじゃない」と、遠慮しているのが伝わってくる。
今日僕は、クウネルのときのように荷物持ち兼財布となるプランを立てていた。
だが、ディアの清貧さが僕の予想を上回り、その完璧なプランが崩れて、前倒しになっていくのを感じる。
仕方なく僕は、少し前に編み出した新術式で、ディアの服と自分の『持ち物』に干渉していく。
「――魔法《ディフォルト・
そう口にして、指を鳴らす。
ディアは魔法の発動に気づいていた。だが、僕を信じて、一切抵抗することなく《ディフォルト・
結果、魔法の着せ替えが完了する。
一瞬でディアの男装が、お土産の『異界の服』と入れ替わった。
ディアに似合うと思った
「お、おぉっ!?」
「昨日、こっちにも馴染みそうな服を、プレゼント用に買ってきたんだ。服屋に行かないなら、いま受け取って欲しい。……クウネルなんて、調子に乗って三十着くらい僕に買わせたんだから、ほんと気にすることないから」
「プレゼント?」
そう表現すれば、ディアと言えども遠慮することは出来ないだろう。
彼女は纏った服を、足先から袖の先まで眺めた。
僕からのプレゼントを素直に受け取って、胸を張っていく。
「ど、どうだ? カナミ、似合ってるか?」
「うん、すごく似合ってるし、可愛い。ディアに似合うと思って、買ったんだから当たり前だよ」
「へ、へへっ……。そっかー!」
服屋に行けなかったので、どこかで『持ち物』から大き目の鏡を出すつもりだった。しかし、その必要もないくらいにディアは目を輝かせて、喜ぶ。
いまにもスキップをしそうなほどの上機嫌で、自分の纏った服の色んなところを確かめながら、前に出た僕よりもさらに前に出て、街道を歩く。
嬉しいのだろう。
その事実が僕も嬉しい。
なにより、大事に着てもらえるのが、彼女の振る舞いと表情から伝わる。
――いま渡せて、本当によかった。
十分にディアがプレゼントを堪能したのを確認してから、本来の要求物である大きめのマフラーを『持ち物』から取り出す。
「はい。ついでに、顔を隠す物も」
首に巻いて、鼻まで埋めれば、かなり人相を隠すことが出来るだろう。
「あ、そっか。顔を隠さないとな」
「こっちはお土産じゃなくて手編みだけど、これもプレゼント。スノウに教わってから、偶に作ってるから、お裾分け」
「こっちは手編みか……。ほんとありがとうな、カナミ!! よしっ、今度、俺もスノウに教わろう! お返ししないと!」
ディアもマフラーを編んで、僕にプレゼントしようと意気込んでいた。
ただ、定期的にスノウやマリアから、こういった編み物が届くので、できれば別のものに挑戦して欲しいと思う僕である。
すぐにディアは受け取ったマフラーを、ぐるぐると首元に巻きつけた。
今度は踊るようなステップで街道を駆けていく。
「へへへっ……」
柔らかな笑みを浮かべたディアが、くるりと回る。
その尻尾のような後ろ髪が、マフラーと共に回っては、跳ねる。
もう性別を隠すのは不可能だろう。けれど、いつもとは大きく異なる雰囲気から、彼女をディアと見抜ける可能性は、先ほどの男装よりかは減ったはずだ。
一応の目的を達成した僕は聞く。
「ディア、服屋に行かないなら……、次はどこに行く?」
「んー、俺は思いつかないな! もう全く!!」
「全くって……、今日は僕と行きたい場所があったんじゃ……」
「あったけど!! なんというか、いまは胸が一杯だ!!」
僕と同じく、ディアも当初のプランが吹き飛んでいるようだった。
彼女は僕から貰ったプレゼントの服で身を包み、街道を歩いているだけで楽しくて仕方ない様子だ。
本当に欲が浅い子だ……。
欲望塗れのクウネルは、僕が財布になるとわかった瞬間、限界まで買い物し尽くして――その上で、まだまだ満足とは程遠かった。なのに、ディアは何の計算もなく、こうなのだ。
ディア自身が使徒じゃないと主張しても、未だに巷で「天から遣わされた真なる天使様は、ディア様に違いない」と囁かれるのも仕方のないことだろう。
「じゃあ、欲しい服じゃなくて、欲しい剣とかでもいいよ。剣を買いたいじゃなくて、作りたいでも大丈夫。ギルド『エピックシーカー』の工房を借りれば、色々とできると思うから」
その純真なディアから、どうにか欲望を引き出そうと僕は頑張る。
彼女の趣味に合いそうな提案をしていくが――
「エピックシーカー? なら、もうスノウのところに行くか。確か、今日は俺がカナミと一緒だから、ギルドで丸一日修行するとか言ってたからな。……カナミ、プレゼントはみんなの分もあるんだよな?」
もう自分は大満足だから、次は仲間たちの番だと。
ディアは自然に考えることができる。
「……もちろん、あるよ。じゃあ、そうしようか。――魔法《コネクション》」
もう粘っても無駄だと判断して、僕は近くの路地裏まで移動してから、移動用の魔法の扉を生成した。
その扉を、僕とディアは二人で
ヴァルト国の街道の喧騒は消え失せて、ラウラヴィア国の一等地ならではの静けさが僕たちを包む。
その部屋には、他に誰もいなかった。懐かしい執務用と来客用の机が二つあるだけだ。すぐに僕は《ディメンション》を広げて、スノウの居場所を探ろうとするが――それは、全身を打つ魔力の波動によって遮られる。
「――っ!」
同じく移動してきたディアが、眉を
視線の先は執務室の壁だが、その向こうにいる二人の魔力を完璧に把握できていた。
「魔力が特徴的過ぎて、わかりやすいな……。
「この二人が戦うと目立つね。肌がすごく震える」
「無属性ってのは、ぶるぶる震える性質が多いらしい。フランが言ってた」
おそらく、ラウラヴィア国の魔法使いたちは、この二人が戦うたびに戦々恐々としていることだろう。
それほどまでに、僕たちの肌を震わせる魔力の波動は凄まじい。
その揺れを目印にして、僕たちは移動していく。
執務室から出て、拠点の廊下と階段を通って、屋外にある施設に入る。
そこは、かつて記憶を失った僕がギルドマスターになるための試験を受けた場所。
劇場船ヴアルフウラあたりと比べると小さめだが、一ギルドが所有するには十分過ぎる訓練場。
いま、そこでは別の試験が行なわれているところだった。
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