276.嘘か真か


 戦いの終わりの直前。

 突然の乱入者の登場に、戦場は騒然となる。


 確信していた勝利を覆された僕と窮地を脱したラスティアラが驚くのは当然だが、それ以上に周囲のざわめきが倍増した。


 遠巻きに戦いを見ていた観客たちがキリストの姿を見て、喜色の声をあげ始めている。指を差し、口に手を当て、その名前を呼ぶ。それはこの一年で伝説となってしまった英雄の名前だ。


 『大英雄』『竜殺し』『剣聖』『舞闘大会優勝者』という称号と共に『カナミ』『キリスト』という単語が戦場に反響する。一人口にすれば、全体に伝播するまで一瞬だった。


 かの現人神ラスティアラのピンチを救ったのが英雄アイカワカナミだとわかり、人々はその瞳と声に明るい希望を灯す。


 理不尽に絶対的な安心感があった。


 現れた男――キリストに、否応なく誰もが圧倒的な力を感じる。

 誰もが伝聞で英雄であることは知っている。かの『舞闘大会』で優勝したことも聞き及んでいる。当然強いのだろうと推測している――だが、その事前の情報すら霞むほどの存在感が、その男にはあった。


 その存在感に全員が酔いしれる。

 同時に、まるで観劇にでも来たかのような安心感に包まれる。


 ここから先は英雄『アイカワカナミ・キリスト・ユーラシア・ヴァルトフーズヤーズ・フォン・ウォーカー』の力で、勧善懲悪が約束されたと理屈を飛ばして思わされるのだ。


 それは向かい合う僕も同じだ。

 全く勝てる気がしない。


 周囲の観客たちが、僕を指差して「終わった」と笑っていても、「ああ、その通り」としか答えようがなく、一抹の怒りすら湧かない。


 戦場の空気が塗り変わった。


 不安から安心。

 戦場から劇場。

 未知から既知。

 不確定から確定。


 真剣勝負から――大衆娯楽。


 そう。

 もはや娯楽だ――


「――ごほっごほっ!」


 茶番に成り下がったかと思われた舞台に、余裕のない大きな咳が交じった。


 その音を聞いて、僕は我に返る。

 そして、顔をしかめて咳き込むティアラさんを見て、自分が敵の強大さに呑まれかけていたことに気づく。


 どれだけ空気が変わろうと、ティアラさんの状態は変わらない。

 削れに削れた寿命は、持って数分。


 未だに、ここは命のかかった戦場であると自分に言い聞かせて、僕は声を張る。


「キリスト! いいから、どいてくれ!! 説明の時間がないんだ! 僕を信じて、まずはラスティアラをこっちによこしてくれ!!」


 戦って強引に奪い返すという選択肢はなかった。

 主ならば対話に応じてくれるという確信があった。

 予想通り、キリストは困った顔ながらも真剣に応対してくれる。


「い、いや、流石に説明もなしってのは……。ライナーのことは信じてるけど、せめてラスティアラを拘束していた理由だけでも教えて欲しいんだけど……」


 ただ、話は長引くという確信もあった。

 予想通り、優柔不断で理屈屋の主は即断してくれない。


「それでも頼む! 本当に時間がないんだ! いますぐ、やらないといけないことがあるんだ!!」


 僕は歩いて距離を詰めながら、全力で訴えかける。

 キリストのほうも無造作に僕のほうへ近づいてくる。先ほどは魔法で咄嗟に距離を空けたものの、まだ僕を本格的な敵とは認識していないのだろう。


 しかし、そのキリストの隣にいるラスティアラは違う。

 歩く僕たちを置いて、一人駆け出し、叫ぶ。


「――隙っ、あり!!」


 そして、ふらふらの身体の力を振り絞って、全力で僕に殴りつけてくる。


「おまえ――!!」


 対話するつもりで無防備に歩いていた僕は、それを避けられない。なんとか両腕を交差させて防御するものの、その衝撃で足が浮き、さながら砲弾のように後方へ吹き飛ばされてしまう。


「あの女っ、自分はキリストに絶対攻撃されないからって……!!」


 右手を地面に突いて勢いを殺し、観客との衝突を防ぎ、僕は呪うように咎める。

 それに合わせて、キリストも咎めてくれるが――


「お、おい、ラスティアラ! おまえもやめろ! 相手がライナーだからって、本気で殴りすぎだ!」


 甘すぎる! 

 そこはもう少し強く止めろよ……!

 いまのを常人が食らったら骨折どころか、腕が砕け散るレベルだぞ!


「謝る! ごめん! でも、カナミ聞いて!! 先に私の話を聞いて!!」


 すぐにラスティアラは頭を下げて、自分も時間がないことを主張する。

 僕の説得に負けじと声を張って、キリストを味方につけようとする。


「あそこにいるのはティアラ様! 間違いなく、本物の聖人ティアラ様だよ!! 話してあげてっ! 千年前にできなかった話を全部してあげて! 時間がないから、早く!! ティアラ様の気持ちがわかれば、きっとカナミも私の考えがわかるから!!」


 そして、少し遠くで蹲るティアラさんを指差す。

 その言葉を聞いて、キリストは目を見開いて驚く。


 信じられないといった様子で、その指の先にいるティアラさんを見る。


「ティ、ティアラだって……? あの子が? いや、昔と雰囲気が違うような……」


 雰囲気が違うのは当たり前だろう。

 その身体は借り物の上、『ティアラ・フーズヤーズ』ではなく『魔法ティアラさん』であると本人は言っていた。千年前の伝説と比べれば見劣りするのは間違いない。


 けれど、その差異はすぐに埋められる。

 蹲って苦しんでいたティアラさんは立ち上がり、かの伝説こそ自分である証明するように取り繕う。


「……久しぶり、師匠。私がティアラってのはマジだよー。いやあ、本当は師匠がいないうちに、ひっそりと消滅したかったんだけどねー」


 息を荒げ、大量の汗を垂らし、顔面蒼白ながらもティアラさんはにへらと笑った。


 その姿をキリストは見つめる。

 目を見開き――そして、油断なく注視して、得た情報の吟味を行っていた。


 一瞬の間が空く。

 僕たちにとっては一瞬だ。

 だが、キリストの思考速度ならば違うのだろう。


 まるで一晩熟考したかのような落ち着きで、この場に相応しい言葉を紡いでいく。


「その……まずはありがとう、ティアラ。千年前、こんな僕を助けてくれて……。ほとんど覚えてないんだけど、それでも君が何度も助けれくれたのだけは覚えてる……」


 感謝の言葉が何よりも先だった。

 それにティアラさんは照れくさそうに頭を掻いてから首を振る。


「ううん、助けてくれたの師匠が先。この力も自由も何もかも、師匠がくれたものだから……私が師匠にお返しするのは当然の話なんだよ」


 ティアラさんとキリスト。

 考えようによっては、二人は今日ここで初めて出会ったと言えるだろう。

 しかし、二人は自己紹介も挨拶もなく、他の誰もが口を挟めないものを共有していた。


「そっか……。そうなのか……」


 返された言葉を噛み締め、二度頷くキリスト。

 その様子を見て、ティアラさんは乾いた笑いを見せる。


「ははっ。師匠、無理に千年前の『始祖渦波』として言葉を選ばなくていいよ。師匠は私の知ってる師匠じゃないんだからさ……。ここにいる私だって、本当の『聖人ティアラ』じゃないってわかってるよね?」

「ああ、わかる。随分と無茶してる。見てて……辛いくらいだ」


 キリストは僕と似た表情を見せる。

 その慧眼をもって、ティアラさんの状況を悟ったのだろう。もしかしたら、僕たち以上に詳しく、残り時間がわかっているかもしれない。


「うん。魂をコピーして劣化させた上に、バラバラになっちゃって、ボロボロと欠落しまくってる。これを本人って言うのは、ちょっと無理があるよねー。見てて吐き気するっしょ?」


 キリストは歯を食いしばり、眉をひそめた。

 ティアラさんの言葉通りに吐き気があると見てわかった。しかし、ティアラさんの状態に詳しい僕でも、そこまで忌避感はない。


 もしかしたら、千年前の伝説である二人にしかわからない『ぞっとする部分』があるのかもしれない。


 僕は二人の対話に口を挟まないようにする。

 言いたいことはたくさんあるが、それは共犯者であるティアラさんが代わりに言ってくれると信じる。

 決して、ラスティアラの思惑通りにはいかないと信じる。


「……そんなことない。それを言ったら、僕だって似たようなものだ」

「それは違うよ。師匠は『成功』して、確かに師匠だよ。……比べて、ここにいる私は千年前の聖人ティアラの記憶がちょっとある『魔法ティアラさんメッセンジャー』でしかない。師匠は千年後の移動に『成功』したけれど、聖人ティアラは『失敗』した。とっくの昔に『死人』。そういうことなんだと思うよ」

「それは……一年前の儀式を僕が邪魔をしたから……?」

「そうだね。あの一年前のかっこいい救出劇がなかったら、ここにいたのは『始祖渦波』本人と『聖人ティアラ』本人だったかもね。――でも、邪魔しなかったら、ラスティアラちゃんが死んでた。間違いなく、ここに我が娘はいないよ。だからさ、これでいいって思ってるんだ。この結末こそがベストなハッピーエンドだって思ってる」


 消滅を匂わす言葉にキリストの顔は、より一層と曇る。

 しかし、言葉を遮ることはなく、ティアラさんの言葉を聞き続ける。


「私が消えても、私の血を受け継いだ娘たちがたくさんいる。私の娘たちが生きて、師匠を助けてくれる。それだけで、私は生きた甲斐があったって心から思う。師匠が連れ出してくれたおかげで、あの狭い部屋の中で人生を終えるんじゃなくて、世界中を駆け抜けることができた。ちょー楽しかったって、心から満足してる」

「そうか……。なら、それでいいな……。受け継いでくれる人がいるなら……」

「そういうこと。もう古い物語は終わったの。師匠は新しい物語を生きて、新しい終わり方を見つけてねー」

「……わかった。そうさせてもらう」


 あっさりと話が進む。

 キリストはティアラさんの言葉に納得していた。あのお人よしで面倒くさいキリストがだ。

 そのことから、本土でのティティーとの別れによって、新たな成長をとげたことが窺える。


「……ありゃ、素直。変わったね、師匠。もっとごねると思ったけど」


 ティアラさんも僕と似た感想を抱いていたようだ。


「アイドも言ってたな。そんなに変わったか?」

「うん。千年前なんて、毎朝「全部殺すー!」って叫んで回ってたからねー。あのときと比べたら、そりゃあもう……いい感じだよ。千年前もこうならよかったのに。……ちょっと遅いよ」


 千年前との差異を受け止め、二人は苦笑いを浮かべる。

 素直に成長を喜ぶのではなく……どちらも、神妙な顔で笑みを作っていた。


 その二人の内心を僕は測ることができない。

 できないが、ティアラさんが情に流されることなく、当初の予定通りに話を進めてくれたことはわかった。


 話が終わったところで、ティアラさんは僕のほうに向き直る。


「じゃっ、私の力はそこのライナーに譲る予定だから、これでさよなら。今度は、師匠の騎士として見守り続けるよー」


 笑顔で別れようとしていた。

 僕の知っている迷宮の守護者ガーディアンたちと同じように消えようとしていた。その別れ方にキリストは慣れた様子で応える。


「じゃあな、ティアラ」

「じゃあね、師匠」


 こうして、千年前の始祖と聖人は因縁を終わらせた。

 正直、予想外の話の早さだ。もちろん、キリストもティアラさんも時間の少なさを理解していたから、できるだけ言葉を短くしたのはわかっている。


 それにしても、話が早すぎる。

 正直なところ、ティアラさんには裏があると疑っていた部分があったので、少し拍子抜けだ。


 そう思ったのは僕だけじゃないようで、二人の仲を煽っていたラスティアラも唖然としていた。


「カナミ、それだけ……? ティアラ様も……? も、もっと……あるよね? 色々さ……?」


 二人の目を見比べて、もっと話せと促す。

 しかし、変わらない。

 第三者から見ても明らかだ。二人は一切の迷いなく、永遠の別れを享受しようとしていた。たった、数分の挨拶で終わらせようとしていた。


 ゆえに、


「――駄目・・絶対駄目・・・・


 ラスティアラは動く。

 視線を地面に這わせ、目的のものを見つけ、真っ直ぐに向かって拾った。


 拾ったのは武器。対話の真逆の象徴。

 先ほど蹴散らした騎士たちの持っていた剣を――手に取った。


「動かないで、ティアラ様! ライナーに持っていかれるぐらいなら、その足を斬り落とします!」


 そして、その切っ先をティアラさんに向けた。

 自分の思い通りに行かない現実を認めず、子供のように駄々をこね始めた。


「私はそんな終わり方、許しません! ティアラ様、なんで嘘をつくんですか!? ティアラ様には資格がある! 誰よりも先に思いを伝える資格が! だからここで告白してください! みんなの見ている前で! はっきりと! あの伝説の聖人ティアラ様は誰よりもっ、カナミのことが好きだって! じゃないと、あなたの物語が終わらない! いつまでたっても終わらない!!」


 その醜態と横槍を見ていられず、僕も黙って見守るのをやめて叫び返す。


「余計なお節介だ、ラスティアラ! ティアラさんは、あんたほどキリストのことを好きじゃないんだよ! そもそも、そこにいるのはティアラさんはティアラさんとは違う!」

「ライナー! なんで、そんなわけのわからない話で誤魔化されてるの!? 何かがおかしいってわからないの!? ほんと今日おかしいよ、みんな!!」


 僕たちの言い争いに続いて、ティアラさんとキリストも続く。


「らすちーちゃん、ライナーの言ってることは本当だよ。私は言うほど師匠を――」

「ラスティアラ、落ち着け! これ以上無理すると――」


 四人が各々に発言をして混ざり合い、誰が何を言っているのかわかり難くなる。

 このままでは埒が明かないと判断としたのか、ラスティアラは最も近いキリストを除外させようとする。


「カナミ、ちょっと席外してて! 先にティアラ様と話すから!!」

「え――!?」


 その選択肢は本当に予想外だったのだろう。

 あっさりとキリストは腕を取られ、そのまま背負うように空へ放り投げられる。流麗な動作による全力の投げ技だ。凄まじい勢いで観客の頭上を越えて、近くの家の窓に突っ込んでいく。


 木の格子が砕け、綺麗に家の中に入っていった。中からキリストの声――「す、すみません! 怪我はありませんか? ありませんね! 壊れた家具のほうは、あとで弁償します! ほんとすみません!!」というのが聞こえてくるので大事には至っていないであろうが、余りに目に余る行為だ。


「このヒス女! キリストに何してるんだ!!」


 僕は激昂して本気で戦意を飛ばす。

 主であるキリストを傷つけられるのは、ラスティアラとはいえ許せるものではない。

 こっちも手足の一つくらい斬るしかないと一歩踏み出す。


「おい、ライナー! こっちは大丈夫だ! ラスティアラに剣を向けるな! それだけは僕が許さない!」


 しかし、それは主直々に止められる。

 次元魔法によって空間を捻じ曲げ、家の玄関から僕のすぐ近くまで移動して、その剣先を向ける。


 こうして、ティアラさんに迫るラスティアラ、そのラスティアラに剣の切っ先を向ける僕、その僕にキリストが剣の切っ先を向けるという奇妙な四角形が形成される。


 その中、ティアラさんは困り顔でラスティアラから一歩引き下がっていく。

 このままだと、キリストの贔屓のせいでラスティアラの我が侭が通ってしまう可能性がある。口喧嘩に言い負けたというだけで、思い通りにされるのだけは見過ごせない。


 そうはさせまいと僕は乱暴に口論をしかける。

 動けば拘束されるので、叫んで問い詰める。


「いいか、この脳みそ花畑女! ティアラさんは始祖カナミってやつの弟子だった! 家族のように可愛がられていただけだ! ティアラさんにとって師匠は助けたい家族であって、愛している異性なんかじゃない!! 決してな!!」

「そんなはずない! ライナーは勘違いしてる! 二人は異性として意識し合っていた!」

「勘違いしてるのはあんただ! おまえは自分の感情を、ティアラさんの抱いていた感情だって勘違いしてる! 意識してたのはおまえだ! ラスティアラ、あんた一人だけだ!!」

「わ、私一人だけ……!? そんな馬鹿なこと、あるもんか……!!」


 ラスティアラは震えながら否定する。

 僕の話は信じられないけれど、微かに心当たりがあるようだ。


 示された可能性を吟味して、混乱しかけている。

 しかし、その迷いを見守る時間はない。僕は今日最大の魔法で事態を解決しようとする。


「もう時間がない! こうなったら風の繭を張って、強引に――」

「魔法はめろ! ――魔法《ディメンション・千算相殺カウンティング》!!」


 しかし、その魔法はキリストのよくわからない次元魔法で構築途中で霧散させられる。

 僕はキッとキリストを睨んで文句を言う。


「ああ、ほんと面倒臭い! なんで止める!?」

「いや、止めるに決まってるだろ! おまえ、MPがないから命が削れてるぞ!? もっと自分の身体を大事にしろ!!」


 それどころじゃないのに、細かいことをぐだぐだと……!


 僕は怒りを露わにしていると、その間にラスティアラも動く。

 わなわなと震えて、僕と同じ行動に出る。


「あれが全部、私の……? ティアラ様は家族として見てた……? そ、そんな……そんな適当なことっ、言うなぁああああ! ライナー!!」

「待て! ラスティアラもMPないだろ!? 無理して魔法で張り合おうとするな!! ――魔法《ディメンション・千算相殺カウンティング》!!」


 ラスティアラが怒りのままに放とうとした魔法も、キリストは膨大な魔力で干渉して霧散させる。


 その見事な魔法に僕もラスティアラも舌打ちする。

 だが、当のキリストは冷や汗を垂らして、僕たち二人に文句を言う。僕達との温度差に困り切っていた。


「二人とも、自分の体調を考えろ! 本当にボロボロだぞ!? というか発動前の『魔法相殺カウンターマジック』って簡単じゃないんだぞ!? そもそも、周りの被害を考えろ! 一般の人たちがこんなにいる!!」


 そして、両手を広げて周囲の観客たちの存在を強調する。

 

 いつの間にか、張り詰めて冷えていたはずの空気が、軽く汗を滴らせる程度の暖かいものに変わっている。

 簡単に言ってしまえば、市民たちは恐る恐ると事件現場を見守っているのではなく、嬉々として痴話喧嘩を見守っている空気だった。


 その観客たちにキリストは手を振って、後退を促そうとする。

 徐々に僕達を取り囲む円が狭まっているのを危惧しているようだ。


「み、みなさん、すみません! 危ないのでもう少しだけ離れてください! 探索者の方々は、できればそこらへんに転がってる人を安全なところまで! 万が一がありますから!!」


 しかし、その努力はむなしく、観客たちの反応は軽いものだった。


 離れるどころか、手を振ったキリストに対して黄色い歓声があがる。何割かの女性がきゃーきゃーと色めき立ちながら手を振り返した。


「え、ええ……?」


 その反応にキリストは言葉が詰まり、青い顔になる。


 おそらく、噂でキリストのことを知っていた女性貴族だろう。一年前の『舞闘大会』を観劇していたものがいてもおかしくはない。


 はっきり言って暇をもてあましている噂好きな貴族にとって、キリストという英雄は最大の餌と言っていい。

 いまや『アイカワカナミ・キリスト・ユーラシア・ヴァルトフーズヤーズ・フォン・ウォーカー』は国一つどころか、世界に名を轟かせる偶像的大英雄様だ。この中にもファンは沢山いるだろう。


 そのキリストがフーズヤーズで最高の知名度を誇る『現人神ラスティアラ』と言い争っているのだ。ラスティアラにだってファンは多い。老若男女問わずに魅了するフーズヤーズの代表者様なのだから当然だ。


 そのキリストとラスティアラの諍い。


 一年前の誘拐劇や『舞闘大会』を知らぬ者でも、興味を惹かれることだろう。さらに言えば、連合の主教となるレヴァン教の『聖人ティアラ』と思わしき人物までも会話に交ざっているのだから、もう手に負えない。


 有名な劇場の名俳優を見ているかのように観客たちは反応する。

 遠ざかるどころか、じりじりと囲む観客の輪が狭まっている。


 最初は荒事かと思っていたのが、予想外に面白い恋愛劇になってきたので興奮しているのだろう。下世話な好奇心が止まらなくなっているのが丸わかりだ。


 何より、場所が悪い。

 ここは『十一番十字路』。

 危機感の薄い温室育ちの貴族たちがカップルになって集まる場所だ。

 ぶっちゃけ、デートプランが埋まらず暇になったやつらが集まっている。ここで一週間昼食を摂っていたから間違いない。


 ここの暇人たちは騎士団と英雄の登場で安全が確保されていると思っているのだ。

 その上、他人の――それも有名人の痴話喧嘩が繰り広げられているとなれば、そう易々と解散してくれるはずがない。


 そんな簡単なこともわからずに、キリストは必死に訴えかけ続けている。


「できるだけ離れて頂けると、その……助かるんですが……。もっと、遠くに……な、なんで離れてくれないんだ……!?」


 この場所に集まる人間たちが特殊な層だとわかっていないのだろう。

 無駄な抵抗を繰り返していく。


 当然だが、僕もラスティアラも、そんなどうでもいいことに構っている時間はない。

 頭に血が上ったまま、無様な避難誘導をする主に僕は言い返す。全く同じことを言い争っている相手であるラスティアラも叫ぶ。


「カナミ、それどころじゃない!」

「キリスト、それどころじゃないだろ!!」


 第一にティアラさんのことを考えない暢気さを怒った。二人から同時に叱られてしまったキリストは困惑する。


「ご、ごめん……?」


 その様を見て、観劇をしていた周囲の人たちから小さいながらも笑い声が巻き起こる。

 続いて、劇の中心に立つ少女が、高らかに笑う。


「ふ、ははっ、あはははっ――!!」


 ティアラさんは数時間前の緊張感を全て解いて、楽しそうにしていた。


 まだラスティアラの説得は成功しておらず、作戦は悪い方向へ流れているままだ。このままだと時間切れで、無駄に消滅してしまう可能性のほうが高い。はっきり言って、死ぬ間際だ。


 けれど、ティアラさんは暢気に心から笑った。笑ってはいけないとわかるけれど、笑うのが堪えられないといった風に……。

 その周囲の観客と同じような態度に、当然だがラスティアラと僕は怒る。


「ティアラ様からも言ってやってください!!」

「ティアラさんからも言ってやれ!!」


 結局のところ、全てを変えられる発言力を持っているのは彼女だけだ。

 彼女さえ、ぶれずに言葉を発し続ければ、キリストだけでなくラスティアラも黙らせることができる。


 これもまた当然だが、そうラスティアラも考えている。

 だから、また同時に叫んでいく。


「千年を超える至高の愛がここに存在するってことを、カナミに証明してください!!」

「あんたは自らの師が大して好きじゃなかったってことを、キリストに証明するんだ!!」

「いまこそ告白を!!」

「いまこそ告白しろ!!」


 一番言いたかったことを叩きつけ終えて、僕とラスティアラは一旦止まる。

 その間に挟まれているキリストは助けを求めるかのような青い顔をしているが関係ない。この告白だけは絶対に聞いてもらう。


 そう僕とラスティアラは決意して、おかしそうに笑うティアラさんを見守る。


 そして、当然だが周囲の温度は再上昇する。

 これを誰もが期待していたのだ。痴話喧嘩を見守る理由なんて唯一つ。


 観客たちは口々に「愛の告白!?」「やっと告白きた!」と無責任に安全圏から囃し立てる。本当に愉しそうだ。


 僕達が命を賭けて必死になっているからこそ、より一層と愉しそうだ。


 いつの間にか、『十一番十字路』に残っていたフェーデルトの騎士たちが腕を広げて警備員のような仕事をしていた。もはや、こちらも観劇ムードである。この劇が崩れないように協力までしてやがる。


 良くも悪くもキリストのせいだ。

 今日の戦闘全てを飲みこむ絶対的な力を持った英雄様が、ずっと子供みたいな困った顔をしているから、こうも空気が軽い。


 そして、この茶番を終わらせるためにティアラさんは請け負う。


「ふ、ふふっ。いいよいいよ、オッケー。なら、私の言いたかったこと――全て言わせて貰おうかな……? せっかくだからね! そういう感じでいこうか!!」


 笑いながら、ふらつきながら、死にながらも――堂々と宣言する。

 彼女だけは剣の切っ先でなく、指の切っ先をキリストに突きつける。


「――師匠っ」


 告白が始まる。

 それは受け入れるにしても拒むにしても愛の告白となるだろう。


 当のキリストは予期せぬ展開に困惑しているが、ティアラさんから主張したいことがあるのは察して、聞きの態勢に入る。


 そのキリストに向かって、ゆっくりとティアラさんは告白していく。

 千年前の自分の気持ちを全て。


「楽しかったよ……。あの日、師匠と出会わなかったら、私は部屋の外に出たいって思うこともなかった。あの日、師匠が助けてくれなかったら、私は世界を恨みながら死んでた。あの日、師匠が城から連れ出してくれなかったら、どこにでもいるお姫様として人生が終わってた。そう思う」


 まず千年前の出会いから口にしていく。

 僕にはあずかり知らぬことだがラスティアラはよく知っているようで、その言葉に合わせて叫ぶ。


「そうです! ティアラ様は誰よりも先にカナミと出会った! この異世界に呼ばれたカナミが一番最初に出会ったのはティアラ様!! この物語の始まりはティアラ様とカナミだった!!」


 ラスティアラの主張が補強されていくことに、若干の焦りを感じる。

 しかし、僕は忍耐強く耐えて、口をつぐむ。


 ティアラさんを信じて、話を聞き続ける。


「うん、私たちは最初に出会った。で、二人で色んなところに行って、色んな人たちと出会って、本当に色んなことを経験したんだ。師匠と出会えたおかげで、世界の色んなものを見られた。世界の広さを、この足で確かめることができた。それは本じゃなくて、手で触れられる世界――」


 とても懐かしそうにティアラさんは呟く。

 その表情と言葉から、彼女の感謝の気持ちが伝わってくる。


「本当に楽しくて騒がしい旅だったなあ。世界を救うために各地で厄介な魔人を倒したり、世界を救うために一杯勉強して、世界を救うために国を基盤から作り直して――とってもやりがいのある毎日だった。途中から陽滝姉を救う旅に変わって、色々と喧嘩しちゃこともあったけど、最後は二人で仲良く迷宮を作ったよね。全部終わったら一緒に暮らそうって話したこともあったっけ」

「カナミっ、ちゃんと聞いてる!? いまの聞いた!? ちゃんと聞いた!? カナミは千年前からティアラ様と約束してたんだよ! また一緒になろうって!!」


 ここぞとばかりにラスティアラは同調していく。

 いかにキリストとティアラさんの間に濃い縁があるかを、髪を振り乱して主張する。


 だが、その必死な主張を、当のティアラさんが笑う。


「は、はははっ」

「ティ、ティアラ様……?」


 ラスティアラは不思議がる。

 男女の人生を賭けた約束のどこに笑うところがあったのかと不満すら浮かんでいる。


 ここに認識の差がある。

 僕やティアラさんならばはっきりとわかるけれど、キリストに心底惚れている人間ならば気づけない罠がある。


 それをティアラさんは優しく教える。

 経験豊かな親が、子に教訓を与えるかのように優しく――


「本当に純粋なんだね、らすちーちゃん。駄目だよ、師匠の口約束を信じちゃあ」


 キリストは信用ならないと伝える。


「え、え? でも、二人で一緒に暮らそうって約束したんですよね!? それはもうっ、婚約みたいなものですよ!! そのまま、死ぬまで一緒って感じです!!」

「言っとくけど、私は欠片も信頼なんかしてないよ。前例があるしね。あの師匠が約束を守るわけないじゃん」

「え、えぇっ?」


 千年前、きっとキリストは本気で言っていたのだろう。

 その性格上、嘘をつくつもりはなかったことだろう。

 それはわかる。


 だからこそ、感受性豊かなラスティアラはキリストの言葉を信じている。


 しかし、第三者から見れば、ありえない話だ。

 あのキリストが誰かと一緒に安穏と暮らす光景なんて想像すらできない。

 けれど、ラスティアラは心底不思議そうな顔をしている。もしかしたら、ラスティアラは元妻だったノスフィーあたりの話を全く知らないのかもしれない。


 仕方なくティアラさんは容赦なく追撃で、千年前の真実をラスティアラに叩き込もうとする。


「そこにいる男は本当にろくでもないんだよ! とんだ嘘つきだよ! 信じられるわけないよ! 千年前、何人女の子をその気にさせて捨てたか! どれだけの女の子を泣かせたか!! いまから、我が娘に教えてあげる! ついでに薄情にも忘れてる師匠も再確認するように!!」


 ラスティアラとキリストの二人が「え?」と同時に口を開ける。


 対して、僕は満面の笑みだ。

 ようやく本気でティアラさんが証明しようとしているのが嬉しい。ついでに調子に乗っていた主たち二人が叩きのめされそうで、とても嬉しい。


 周囲の観客たちも楽しそうで何よりだ。


「じゃあっ、一人ずつ数えていくからね!!」


 そして、千年前のキリストの女性遍歴が、いま大公開される。

 口を開けた二人が止める間もなく早口で、次々と息継ぎなしでティアラさんは名前を連ね始める。


「――えーと、まず最初に私のお姉ちゃんが落とされたでしょ。私を合わせてフーズヤーズのお姫様が二人だね。あとフーズヤーズだと、代表的なところで騎士団長ちゃんと宮廷魔術師のお姉ちゃんを二人同時に落として喧嘩させてたね。使徒のシス姉も惚れてたかな? 正直フーズヤーズあたりは、ちょっと数え切れないね。自覚なしでどんどん落としていくから厄介なんだよ。次に大陸の各地の有名なところで、確かレギア地方でクウネルちゃんを落としてー、ファニア地方の魔人研究院でアルティちゃんを落としてー、エルトラリュー地方でアリューちゃんを落としてたよね。魔人事件を解決する度に増えてくから、本当に酷いもんだったよ。一緒に旅してた私が何度刺されかけたか……。異性として幻滅するのに時間はかからなかったね。新しい国に行くと、必ずその国のお姫様か女王様と懇意になってるんだから、もう一種のスキルだよ。なんだっけあれ、スキル『話術』だっけ? スキル『人誑し』? いや、『女誑し』の命名間違いじゃない? だって、女の子限定だったもん。ははっ、流石師匠っ、世界一最低だよね! 陽滝姉が一緒にいても関係ないんだから、その度胸には驚くばかりだよ。最終的には、あの『理を盗む者』で南北戦争の首魁二人――ロードちゃんにノスフィーちゃんも騙して利用してたんだから、もはや世界一の女誑しって言ってもいいよね! やさぐれてからは自分から積極的に女の子を口説くこともあったから、被害者は増えるばかりだったよねー! もう名前を挙げていくとキリがないよ。でもキリがないけど、今日は挙げてくよ。我が娘が騙されないように真実を伝えないといけないからね。あ、私が知ってる範囲だから、もっともっと多いって思ってね。えー、まずアンナちゃんでしょ、エルリイナさんとシエナさんにー、エルヴィーさんもいてー、あとは――」

「――タイムだ!!」


 堪らず、キリストが叫ぶ。


 当然だろう。

 意中のラスティアラの前で言いたい放題されているのだから、その胸中を察すれば笑みがこぼれるばかりだ。


 キリストは広域に魔力を浸して、大魔法を使ってでも止めようとティアラさんに詰め寄っていた。その本気具合に、流石のティアラさんも止まらずを得なかった。


「ま、待ってくれ、ティアラ。いや、ティアラさん。それは本当なのか? 本当の本当に?」


 できれば、冗談でしたと言って貰いたいのだろう。

 下手に出まくりである。


「本当だよ! 本当だからっ、私は最後に師匠を信じられなくてっ、レガシィ君についたんだよ!!」

「え、ええ……!? そんな理由で!?」


 だが、それをティアラさんは真っ向から否定していく。

 たじろぐキリストに向けて、容赦なく――


「そんな理由!? それだけの理由だよ!! この女誑し! ひもっ! かっこつけ! シスコン! 変態! 人間のクズ! 女の敵! というか人類の敵! 優柔不断! 期待させるだけさせて放置するから、酷いことになるんだよ! 口だけ男! ヘタレ! 正直、生きてるだけで迷惑! 周りがっ、というか私が後始末にどんだけ苦労したか! 甲斐性なし! 負けるたびに女の子のところに逃げるな! 根性なし! 大事なところでばっかり負けてぇえ! この負け犬――!!」


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