348.真冬の夢


 妹の陽滝とは、とても仲がいいと評判だった僕だけれど……。

 一切諍いのない仲良し兄妹だったわけではない。


 幼少の頃は、何度も僕は陽滝に挑戦した。

 そして、何度も勝負しては、何度も挫折した。


 その連敗記録を陽滝は知らないだろう。なにせ、僕が勝手に一人で挑んで、一人で負け続けただけという情けない話だ。……知られようがないはずだ。


 確か、初めて勝負を意識したのは、役者の基本である「涙を自由に出す特訓」だったと思う。

 あのとき、陽滝は僕の半分ほどの年齢でありながら、兄より先んじた。

 練習時間だけを見れば、僕の十分の一以下の時間だったと思う。

 このときから、薄らと僕は妹は普通ではないと気付いていた。けど、あえて気付かないように頑張って、いつかはどうにか勝ってやろうと思っていた。……子供特有の淡い夢を見ていた。


 何度も勝負した。

 役者の鍛錬から始まり、習い事での評価、将来を先取りした一般勉学、定期的に行われる運動能力の検査。さらには、日常の中にある些細な全て。生活の中、どれだけ両親に気遣われるかどうか。最終的には、朝どちらが先に母から声をかけられるかなんて勝負を、僕は一人でやっていた。……少し病的だったと自分でも思う。


 それでも、幼かった僕は、たとえ妹を押しのけてでも両親の愛情を一心に受けたかった。

 父や母の『一番』になりたかった。


 けれど、結局僕は一度も勝てなかった。


 年齢的に圧倒的有利なはずの運動能力でさえも負けた。

 息を切らす僕の横で、いつも陽滝は涼しい顔で褒められている。

 専属の先生から、歴史的逸材を前にしているかのような大称賛を受けていた。事実、彼女は歴史的に逸材で、生物的にも逸材だったわけで……。


 とにかく、僕は何度も挑戦して、負けて負けて負けて、負け続けた。


 そして、丹念に心を折られ、引きこもって、自殺寸前のところまで追い詰められた。そのときは、幼馴染の湖凪ちゃんのおかげで立ち直ったのだけれど……もし、あの出会いがなければ、いま僕はこの世にいなかったと思う。


 その後、僕は陽滝と和解し、もう二度と勝負は挑まないと誓うことになる。


 切っ掛けは、両親の消失。

 二人だけ残された兄妹。

 選択肢は一つだけだった。


 僕は絶対に陽滝には勝てないと思い知っていたから、彼女の前でなく、隣に立つことにした。

 勝負さえ挑まなければ、もう僕は負けることはない。

 なにより、その間は家族である陽滝に必要とされる。

 僕に家族が生まれる。

 やっと家族に愛されるし、家族を愛せる。

 念願の大切なものを手に入れられる。

 だから、これでいい。これで、もう、いい……。


 ――と、認めた。


 それが完全に自分の敗北を認めた瞬間。

 同時に、妹の『理想の兄』として生きることを決めた瞬間でもあった。


 そう珍しくない話だと思う。

 大なり小なり、子供には全能感を否定され、現実を向き合う瞬間がある。僕の場合、それに反則的な妹が大きく関わっていただけのこと。みんなと同じだ。


 ――この話から、僕が僕にわかって欲しいことは単純な『理』。


 【相川渦波は相川陽滝に勝てないこと】。


 というより、大前提として相川陽滝という存在には誰も勝てないこと。

 今回、『勇気』を出して陽滝に勝負を挑めたことだけで、奇跡だったこと。


 だから、あの勝負の結末は当然だったのだろう。

 口では『話し合い』や『家族会議』と言っていても、実際の内容は『兄弟喧嘩』。


 当然のように、結果は――


 僕の負け。

 本土の大聖都は氷付けとなってしまった。


 フーズヤーズ城は凍って砕けて、粉々になって空に消えた。

 『光の理を盗むもの』ノスフィーが救おうとした国民たちは全員凍結され、永遠の眠りについた。


 『血の理を盗むもの』ファフナーと『月の理を盗むもの』ラグネの侵略からは身を守ったフーズヤーズだったが、数時間後には『水の理を盗むもの』陽滝の手によって、きっちりと滅び直してしまった。


 ――という『記憶』が僕にはあるのだが。


 これを確認できるのは夢の中だけだ。

 目を覚ませば、僕は全てを忘れる。

 いつものあれだ。

 もうわかっているし、慣れている。


 次の瞬間には、全てがなかったことになる。

 魔法の冷気で冷やされて、記憶が停止する。

 停止して、停止して、停止して。

 この『いま』という時間は、もう二度と動かなくなる。


 いわゆる、思い出すための再生ができない状態だ。


 そして、魔法で凍った僕は強制的に戻される。身体が少しずつ氷菓シャーベットになっていくような感覚と共に、震えで目を覚ますことになる。


 大雪原となった本土の大聖都跡地でなく、連合国の迷宮八十一層まで。

 夢から現実へ――でなく、現実から夢へ。

 何度でも。僕が諦めるまで。


 ――戻される。



◆◆◆◆◆



「――危ないっ、カナミ! ――《フレイムアロー》!!」


 白い光線が、すぐ左横を通り過ぎる。

 左目は眩み、左腕は焼け焦げ、左鼓膜が破けかける。


 続いて全身を打ち付ける衝撃波。

 脳みそを直接握って振り回されるような感覚に襲われ、僕の白昼夢は完全に終わってしまった。

 直前の記憶は幻のように消えてなくなって、何一つ思い出せない。


 その記憶の喪失を冷静に分析しながら、僕は周囲を見回す。


 僕は砂の入り混じった石畳の上に立っていた。

 見回せば、歴史を感じさせる石の建造物が並び、朽ち果てている。高い天井では、法螺貝を吹くかのような大音量と共に、風が吹き荒んでいる。何かしらの文明の跡を感じさせる遺跡が、この迷宮八十一層の特徴だった。


「カナミ! 気持ちは分かるけど、最近ぼうっとし過ぎだぞ!」 


 そして、いま僕は、《フレイムアロー》で遺跡の一部を削り取ったディアに注意を受けているところ。

 近くでは、僕に攻撃を届けかけたことで、ディアの逆鱗に触れた巨大四足動物型のモンスター、ヘルク・ベヒーモスさん(ランク79)が、上半身を消滅させられ、光となって消えていっている。


「私たちが強くなったって言っても、無敵ってわけじゃないんだ! 昔みたいな緊張感をちゃんと持たないと……!!」


 恐ろしい魔法で恐ろしい惨状を作った少女が、年と性別相応に可愛らしく怒っている。


「ごめん、助けられたよ。流石、ディアの《フレイムアロー》だね……」

「まあ、後ろからの援護が私の役目だからな……。もう仕方ないなぁ、カナミは……」


 ディアは僕が謝ると、やれやれと肩をすくめてから、とてもあっさりと許してくれる。

 はっきり言って、迷宮で白昼夢を見るなんて小一時間は説教されるべきことだ。だが、彼女は深く追求してこなかった。


 その様子から、ディアは僕を守れる立場にあるのが嬉しいのだとわかった。こうして、迷宮探索で活躍するのが彼女の『夢』の一つだったのだ。少し浮かれるのも、無理もないことかもしれない。


 ただ、その浮かれたディアの代わりに、妹の陽滝が言いにくいことを口にする。


「兄さん、とても情けないですよ。もう完全にディア頼りですね」


 僕の体たらくを咎めようとするが、そこにディアが割って入ってくれる。


「いやいやっ、ヒタキ! ずっとカナミは一人で前衛してくれてるんだ! 時々、ちょっとくらいは気も抜けるって! もう今日は二十層も進んだしな! 集中力が落ち始める時間だ!」

「……はあ。この何があってもディアが庇ってくれる布陣。兄さんの堕落を招くばかりですね」

「何があっても庇うってことはないぞ……? ただ、今日は私が無理やりカナミを迷宮に誘った以上、このくらいは……な?」


 フォローは嬉しい。

 だが、懐かしのヒモ男化が近づいているような気がして、僕は気合を入れ直す。


「いや、ディア。いまのは僕が悪いよ。戦ってるっていうのに別のことを考えて、完全に気を抜いてた……。次からは気をつける。本当にごめん」

「そっか……。カナミがそう言うなら……」


 陽滝が言っても折れないディアだが、僕が言うとあっさりである。


 そんな甘々な光景を前にした陽滝の目は、冷たくなるばかりだった。

 その冷たい視線から逃げるように、僕は提案する。


「でも、ディアの言うとおり、集中力が落ち始めてるのは確かかな……? もう二十層も進んだから、そろそろ地上に戻ろっか。今日はここまでにして、あとは休もう」

「そうだな、カナミ! 魔力も減ってきたし、目標も達成したし……よっし、今日はここまで! 地上に戻って、あとはゆっくり休んでくれ!」


 すぐさまディアは賛同してくれたが、陽滝の目は冷たいままである。


「……はあ。いかにして、兄さんが今日までの迷宮探索をこなしてきたか……ほんっと、よくわかる光景ですねえ。ええ、兄さんが純真な少女を騙し、誑かし、利用してきたことが、よぉーくわかります」

「ひ、人聞き悪過ぎる……。って言いたいけど、最初の頃の僕を思い出すと、ちょっと否定できないのが辛い……」

「最初の頃ですか。そこは聞いてますから、許してあげますよ。あの頃は記憶がほとんどなくて、右も左もわからなかったらしいですからね」

「ああ。最初は何も分からなくて、レベルも低くて、本当に大変だったんだ……」


 レベル1で迷宮内に召喚されたことを思い出して、僕はしみじみと今日まで生き残れた幸運を噛み締める。それはディアも同じのようで「懐かしいな。あの頃は私もレベル1だったっけ……」と呟く。


 僕は記憶を掘り返して、かつての自分が迷宮の一層で死に掛けたときのステータスを思い出す。



【ステータス】

 名前:相川渦波 HP4/51 MP72/72 クラス:

 レベル1

 筋力1.01 体力1.03 技量1.01 速さ2.02 賢さ4.00 魔力2.00 素質7.00


【ステータス】

 名前:ディアブロ・シス HP39/52 MP431/431 クラス:剣士

 レベル1

 筋力0.59 体力1.12 技量0.92 速さ0.88 賢さ1.34 魔力23.25 素質5.00 



 確か、このくらいだったはずだ。

 僕とディアはレベル1からスタートし、少しずつ経験値を集めて、レベルアップしていき、いまや、僕たちのレベルとステータスは――



【ステータス】

 名前:相川渦波 HP――/―― MP2834/2982 クラス:

 レベル52

 筋力30.54 体力35.22 技量43.19 速さ58.72 賢さ50.83 魔力176.26 素質10.21


【ステータス】

 名前:ディアブロ・シス HP741/741 MP3412/3412 クラス:探索者

 レベル59

 筋力15.13 体力13.55 技量9.49 速さ10.89 賢さ39.91 魔力177.24 素質5.00 



 比べ物にならない。

 あの頃の苦戦が嘘みたいだ。かつて一層で死に掛けていた僕たちは、とうとう八十一層まで到達した。


「じゃあ、帰りましょうか。魔力が残っている私が出口を作りますね。――魔法《コネクション》」


 陽滝の手によって魔法の扉が回廊に作られ、僕たち三人はくぐっていく。


 その先は地上。

 ただ、見慣れた迷宮前でなく、見慣れない緑に囲まれた場所に出る。

 真っ白な雪にも埋もれない大自然の中、僕は周囲を見回しながら呟く。


「あれ、ここは……?」

「――始祖様・・・。ここはアレイス家の大庭園です」


 すると、近くの木々の合間から老齢の剣士が現れて、質問に答えてくれた。

 髪は白く、髭は長く、皺も多いが、眼光の鋭い方だ。装いは貴族のように固く、腰には一振りの剣を佩いている。直接話したことはないが、名前は知っている人だった。


 だが、その名前を口にする前に、ディアが叫ぶ。


「アレイスの爺さん! 待っててくれたのか!?」


 それに老齢の騎士は、ニカッと笑って対応する。


「ははっ。偶々だ、偶々。近くを通ってたら、凄まじい魔力を感じたから寄っただけだ」


 喋り方を変えた途端、十台の若々しさを老齢の彼から感じた。

 その鋭い眼光と年齢を超越する活力。間違いなく、アレイス家の現当主であるフェンリル・アレイスさんだ。


 彼との挨拶を軽く済ませたところで、陽滝が説明する。


「ディアはアレイス家に住んでいますから。ここに直通したほうが、色々と手間が省けます」


 陽滝は連合国に多くの《コネクション》を維持しているようで、その中から最も適当な場所を選んだようだ。ただ、それならば扉をくぐる前に一言欲しいと思う僕だった。


 ディアの保護者であろうお爺さんを前に、いま僕は心の準備が不十分だ。ゆえに、深く頭を下げたあと、とても拙い挨拶を投げてしまう。


「え、ええっと……。その、いつもディアがお世話になってます。フェンリル・アレイスさん……」


 ただ、その低姿勢な僕に対して、フェンリルさんは更に深く頭を下げて応える。


「始祖様……! そう畏まれましても、こちらが困ります。あなたは我々の崇拝するレヴァン教の始祖であり、アレイス家の模範とすべき剣聖でもあります。どうか、頭をおあげください」

「いえ……! 僕は反則というか、別世界の人間というか……。とにかく、この時代で始祖や剣聖と呼ばれる人間ではないのは確かなので、呼び捨てにしてください! 口調もどうか……!」

「そう始祖様が困惑するのが、老い先短い自分の数少ない愉しみなのです。なので、やめられません。こればっかりは」

「え、えぇええ……?」


 最初から最後までからかわれていたとわかり、僕は困り顔で呻き声をあげた。

 と、僕が『理想』の英雄の演技を試みていたところで、ディアが叱ってくれる。


「カナミ、相手が年上だからって敬いすぎだぞ! アレイスの爺さんは、そういうの要らないって言ってるんだから、もっと軽く付き合ってやれ!」

「うむ、その通り。下手クソな礼儀作法など、俺は要らんぞ。おべっかは、別の場所で聞き飽きてるからな」


 フェンリルさんがそういう人なのは、最初からわかっている。

 先祖のローウェン・アレイスと同じく鍛錬中毒者で、貴族の慣習には疎い――というか、色々と飽き飽きしているのだろう。その身と漏れる魔力を軽く『過去視』すれば、そのくらいはわかる。


 そして、僕と同じくよくわかっている陽滝は、とてもいい笑顔でフェンリルさんを強請り始める。


「では、お爺様。久しぶりに顔を出してあげたんですから、私にお小遣いをくださいな。孫代わりの可愛い友人ですよ?」

「ははっ。いやあ、ヒタキちゃんは、よくわかってるねー。じゃあ今日は、この俺の持つ名剣をやろうかねー」

「……はあ。剣ですか。まあまあですね。あとで換金しておきます」

「ほんとすげえな、おまえ……。大貴族の当主から贈り物を貰って、目の前で溜め息とか……」

「よく言われます」


 フェンリルさんが腰に佩いている剣を受け取った陽滝は、彼の望む受け答えをしていく。

 そんな和やかな談笑の中、遠くから叫び声が近づいてくる。


「カ、ナ、ミ、様ぁあああああああああアアアアアアアア――――!!!!


 ドレスにも似た輝かんばかりの衣装で身を包んだ金髪ツインテールの女の子が、その装いに見合わない全力疾走で庭を駆け抜けていた。途中、頭の上のハットとヴェールを脱ぎ捨てる。その整った顔を露にして、僕の前まで辿りつく。


「カナミ様、いらしてたのですね! このフランリューレ、この日を毎夜夢見てお待ちしておりました! ――アレイス卿! カナミ様がいらしてたのなら、わたくしにも教えてください! そういうのは卑怯ですよ! 紳士的ではありません!!」

「ははっ、おまえもか。最近は俺に物怖じしないやつばっかで、本当に気持ちが若返るぜ」


 フランリューレ・ヘルヴィルシャインの登場を前に、フェンリルさんは心の底から楽しそうだった。

 対して、フランリューレは文句を言うだけ言ったあと、僕だけに早口で話しかけてくる。


「いやっ、いまはそこの薄情者は置いておいて! ――カナミ様! 丁度いいところにいらっしゃいました! わたくし、このアレイス家で剣術を学んでいるところなのですが……どうか、現『剣聖』のカナミ様にご教授をお願いしたいです! いますぐ! 今日、ここで! どうかっ! どうかっ、どうかっ!!」


 きっちりと貴族の正装をしていたフランリューレだが、腰には剣を佩いていた。いましがた陽滝が受け取った名剣に劣らない一品だ。


 アレイス家で鍛錬しているのは嘘ではないだろう。ただ、それは彼女一人だけではないようで、少し悲しげな様子のディアが間に入ってくる。


「え、フラン……。今日は私と一緒に秘密特訓するんじゃあ……」


 ディアという先約があったようだ。

 だが、フランリューレはそれどころじゃないと、また早口で詰め寄っていく。前々から思っていたことだが、本当に自分を中心に世界が回っているだ。


「というよりも、ディア! あなた、カナミ様と迷宮に行ってきたでしょう! この親友に何の連絡もなしに! あんまりです! わたくしとディアの友情は、その程度のものだったのですか!?」

「いや、行ってたけど……。おまえ、迷宮の奥までついてこれないんだから、言っても意味ないだろ。まだ二十層辺りが限界って、ライナーのやつから聞いてるぞ」

「それでも、言ってください! こっそりついていく準備はできていたのです!」

「だろうな……。そんな気がしてたから、言わなかったんだっての……」


 二人は僕の知らぬところで仲を深めていたとわかる会話だった。

 しかも、その仲は、親友という言葉が軽く出てくるほどの深さだ。


 まるで、時間が飛んで自分だけが置いていかれたかのような感覚がある――だが、それよりも、もっと気になることがあった。

 その見過ごせない部分だけは放置できず、僕は二人の談笑に割り込む。 


「フランリューレ、その――」

「――っ! なんでしょう!? カナミ様!!」


 その声にフランリューレは誰よりも早く反応し、僕の手を両手で握ってきた。


「いや、大したことじゃないんだけど……。君の口調が、前と少し違うような気がして……」

「ああ、あれですか! わたくしは変えたくなかったのですが、どうしても変えろと周囲から言われまして……。そろそろわたくしも落ち着く頃かと思い、きっぱりと変えました!」

「そう……。そっか。いつまでも、あのままってわけにはいかないよね……」


 妙な名残惜しさを感じた。

 フランリューレの「ですわ!」というお嬢様口調は、最後まで慣れなかったし苦手だったが……嫌いじゃなかった。決して、嫌いじゃなかったのだ。


 その小さな喪失感の中、フランリューレは握り締める手に力を入れて、再度誘い直してくる。


「それよりも、カナミ様! 剣術指南の件についてなのですが――」

「だから、駄目だって。フラン、私で我慢しろ。カナミは迷宮八十一層まで、ずっと一人で前衛をこなしてたんだ。今日は休むって、さっき決まったところだ」


 何気ないディアの一言だったが、それを聞いたアレイス家在住のフランリューレとフェンリルさんは酷く驚く。


「は、八十一層ですか……!? いや、ディアは嘘をつかないとわかっておりますが……!」

「八十……!? 確か、グレンの坊主が三十あたりだったよな……!?」


 この連合国の認識では、十層から先は化け物の世界。

 二十層を過ぎれば、英雄の領域だったはずだ。

 その三倍以上先にいるという話を聞き、フランリューレは絶句し、借りてきた猫のように大人しくなっていく。


「……カナミ様、申し訳ありません。わたくし、少々浮かれていました」


 彼女は一歩身を引いた。同時に心の距離も少しだけ空いた気がしたので、僕は空いた分だけ身を乗り出して、返答をする。


「いや、剣を少し教えるくらいなら僕は別に……」

「いえ! いつも通り、このアレイス卿で我慢します! よくよく考えれば、まだカナミ様に教えてもらえるだけの基礎すら、わたくしはできておりません! どうかカナミ様はカナミ様の目的のため、ご自愛ください!」


 フランリューレはフェンリルさんの隣に立ち、歯を食いしばって悔しがる。

 ただ、その隣に居る大貴族の当主様は苦笑いだ。


「いや、このアレイス卿って……俺に教えてもらえるって、本当はすげえ光栄なことなんだぞ? おまえがヘルヴィルシャイン家の秘蔵っ子じゃなかったら、本来は会うこともできないんだからな?」


 貴族アレイス家は連合国の四大貴族に数えられる。

 この世界では王族の影響力が低いので、四大貴族当主である彼は権力者として上から数えると片手に収まる。


 そのフェンリルさんに物怖じしない彼女だからこそ、こうやってディアとも仲良くなれたのかもしれない。大体の人間は、ディアに使徒シスの面影を感じてしまい、まともな会話ができないのだから。


 …………。

 そういえば、シスさん・・・・は……。

 もう、いないのだっけ……。


「フラン! とにかく私たちは行くぞ! 強くなる為に一秒も無駄にできないんだ!」

「やる気ですね、ディア……。それでは、行きましょうか。あ、アレイス卿もついでに」

「フレンドリーでいいって言ったのは俺だけどよ。もうちょっと指南役を敬えよなあ、おまえらあ……」


 そして、三人は庭の隅にある整地に目を向ける。おそらく、あそこがアレイス家の剣術訓練場となっているのだろう。三人は別れ際、各々に「じゃあな、カナミにヒタキ!」「またお会いできる機会をお待ちしてます」「それでは失礼。始祖様、妹君様」と挨拶を投げてから、並んで歩いていった。


 移動の最中、ディアはフランリューレと笑顔で談笑していた。

 それをフェンリルさんが親のように見守っている。血の繋がりはなくとも、とても暖かな関係を結んでいるのがよくわかる背中だった。


 その三人を見届けたあと、陽滝は僕の手を引いて庭の出口に向かう。


「では、私たちは帰りましょうか。私たちの帰る場所に」

「うん、そうだね……」


 こちらは二人並んで、歩き出す。

 ただ、四大貴族当主の滞在する屋敷は広く、そう簡単には抜け出せない。その優雅な庭園をゆったりと歩く途中、遠くから軽やかな旋律が聞こえてきた。

 今度は鈴ではない。もっと細く高く長い音だった。


「……? これはハープでしょうか。って、妙な楽器も混じってますね」


 陽滝が楽器名を当てると同時に、広い庭園の中で演奏をしている一団を見つける。一曲を続けているわけでなく、特定の音色を繰り返している。その錬度から、アレイス家お抱えの楽団であると推測できる。何らかの行事で披露するものを、この庭園で練習しているのだろう。


 その様子を遠目に見ながら、僕たちは歩く。


「いい音色だ。僕たちの世界にも劣らないね。ハープはともかく、なんか三味線っぽいのもあるね。千年前のぼくら……いや、連合国の基礎を築いたティアラのせいかな?」

「原因は私たちでも、広めたのはティアラでしょう。しかし、こうもティアラが日本文化を取り入れてくれていると、もう元の世界に戻っているかのような錯覚がしますね。このアレイス家の屋敷は、まるでヨーロッパ観光名所みたいです。あの三味線めいた何かは別として」

「言われて見れば、確かに……」


 アレイス家の大庭園は、西洋文化の特色が強い。そして、目を遠くに向けると、アンティークな屋敷が建っている。世界遺産を紹介するテレビ番組で、似たような光景を見たことがある気がする。


「あの子は、私たちの教えた全てを世界に残していきましたね……。千年前は本当に長い旅でしたが、無駄ではなかったと思えます」

「千年前の長い旅……。ねえ、陽滝。ティアラは僕たちから、異世界のことをよく聞いてた?」

「ええ、興味津々でしたからね。旅の合間、兄さんもよく聞かれたはずです」


 だが、いまの僕にはそれがわからない。

 僕はティアラに何を聞かれ、何を教えてきたのか……。

 帰り道のすがら、僕は質問を投げ続ける。


「……陽滝。ティアラって、どんなやつだった?」

「ずっと病床に伏していた反動でしょうが、とても元気な――というより、ほっんとうるさい娘でしたよ。ただ、おかげでいつも楽しかったのも確かです」

「それで……ティアラと僕たちは、どんな仲だった?」

「兄さんは師匠と呼ばれていましたね。魔法を教え合う仲でした。私とは大親友です」

「異世界の話の他に、どんな話をティアラとしてたか覚えてる?」

「……どんな話と言われても、私は普通の女の子同士の話です」

「なら、ティアラはどうして千年前の僕たちについてきて――」


 矢継ぎ早に聞き続ける僕に対して、少しずつ陽滝の顔が変わってくる。

 そして、僕たちがアレイス家の屋敷を抜け、利用している宿に辿りつくところで、もう答えたくないと首を振られてしまう。


「……はあ、兄さん。私に聞くよりも、もっといい方法があるでしょう? いまの兄さんなら、『過去視』で全て見られるのでは? この大地から、ティアラの人生全てを」


 代わりに、よりよい解決法を提示される。

 それは『過去視』。

 次元魔法《次元決戦演算ディメンション・グラディエイト前日譚リコール』》のことだった。


「え……。見ても、いいのかな……?」


 少しだけ抵抗があった。

 あれは人の理に反し、多くの人々のプライベートを侵害する。


「千年前のことです。それも、もう死んだ人のこと。悼む気持ちで、その人となりを思い出そうとすることを、誰が文句を言いましょうか」


 ただ、追悼の意をこめれば構わないと、陽滝に軽く言われてしまう。


「なにより、いまならば・・・・・ここならば・・・・・――はっきりとティアラのことがわかります。逆にいましかありませんよ、兄さん」


 重ねて、太鼓判を押される。

 そこには推奨すら混じっていた。


「でも……」


 だが、まだ僕は心配をしていた。

 いまや多くの不安を振り払った僕だけれど、それだけは二の足を踏んでいた。本当に、いま、ここで、ティアラのことを思い出していいものか……。


 その僕の心配を察した陽滝は、少し冗談を交える。


「その表情……。ティアラのえっちな姿とか盗み見るつもりですか? もしかして、それで迷っているのですか?」

「す、するわけないだろ……。そういうのはやったほうの心が痛むんだ」

「でしょうね。兄さんは紳士ですから。……チキンとも言いますが」

「……もういい。おまえにティアラのことは聞かない。僕一人で思い出しておく」


 これ以上は茶化されるだけだとわかり、僕は陽滝に背中を見せて自室に向かっていく。


「ええ、それがいいでしょう。私が説明するより、実際に見てもらったほうが誤解がありません」

「人伝の話だと、どうしても偏見とか混じるからね」


 後ろから聞こえてきた声に僕は賛同する。


「それでは、兄さん。夕食になればまた呼びますね」

「ああ、また」


 別れ際、挨拶を投げあい、それぞれの自室に入る。


 こうして、僕は帰ってきた。

 朝、目覚めた――綺麗でもなければ汚くもない部屋に。


 すぐさま僕は部屋の中央に移動する。


 そして、大魔法に取り掛かるべく、術式を編み始める。部屋の中央で次元属性の魔力を展開し、宙に魔法陣を刻む。その魔法陣は生き物のように動き、拡がり、増殖し、宿の下にある地面まで浸透していく。


 その魔法の目的は一つ。

 この大陸で生きたであろう『ティアラ・フーズヤーズ』――ではない。


 陽滝と話していたものとは別のものに、僕は『過去視』をかける。


 場所も丁度いい。

 ここは連合国。おそらく、千年前の『世界奉還陣』の中心。

 つまり、千年前の国々があった場所。


 その国々から、僕はフーズヤーズに意識を集中させる。

 魔法の目的は『相川渦波』。それと『相川陽滝』。

 二人の『異邦人』だ。


 千年前、いかに二人が召喚され、フーズヤーズ国でティアラと出会い――そこから僕と陽滝は何をしていたのか――それを僕は視たい。


 陽滝の言葉に惑わされず、そうすべきだと思った。


「確かめよう。一つずつ……。――次元魔法《次元決戦演算ディメンション・グラディエイト前日譚リコール』》」


 魔法陣の増殖によって部屋いっぱいが文字に埋まり、その魔力光によって世界がぼやけていく。


 ――問題なく、魔法の『過去視』は成功した。


 いまという次元から、過去という次元へ。

 僕の意識は引っ張られていく。 


 そして、僕は視る。


 山岳に囲まれた小国フーズヤーズ。

 そこに生きる千年前の重要な登場人物たち。


 『相川渦波』。

 『相川陽滝』。

 『使徒シス』。

 『使徒ディプラクラ』。

 『使徒レガシィ』。

 『ティアラ・フーズヤーズ』。


 その六人の出会い。

 物語の最初の最初。

 そこから、僕は視直していく。


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