177.光の差すほうへ


 僕は確認するかのように声をこぼす。


「ま、待って、パリンクロン……。何を言って……」

「言ったとおりだ。俺の力なら、相川陽滝を蘇生できる。それで少年の永い戦いは終わる」

「いや、でも……、そんなの……、ありえない……」

「できるさ。少年のためなら成功させてみせる。命よりも大切な『陽滝』ちゃんと共に元の世界へ戻り、『相川渦波』として余生を過ごす。それが少年にとっての最上の幸せだろう? 絶対に叶えてみせるさ」


 パリンクロンは往年の仲間のように、僕の力になろうとしていた。

 ついさっきまで殺し合いをしていたとは思えない会話だった。


「すぐに元の世界へは戻せないが、それもいつかは用意してやるぜ。だから、それまでは人のいない偏狭の地で静かに待っていてくれ。二人でな」


 僕を置いて、パリンクロンは勝手に話を進めていく。

 ただ、その話は僕にとって悪いものではない。だから、止めようとは思えない。

 それどころか藁へすがりつくかのように媚びた声を出してしまう。


「ほ、本当に……?」

「ああ、本当だぜ」

「嘘だ……。そんな簡単に蘇生なんてできるはずない。それこそ、迷宮の『最深部』ってやつに行かないと――」

「しかし、俺はハインの『再誕』に成功した。もう会っただろ?」


 喉の奥から欲しがっていた話というのに、急に降って湧いてきた話のせいで僕は受け入れられない。怪しむ僕に、パリンクロンは説明を続ける。


「でもあれは……、本人が違うって言ってた。ラスティアラたちも違うって言ってた」

「まあ、あいつらはそう言うだろうな。だが、あれと話して本当にそう思ったか? あの記憶、あの性格、あの喋り、あの生き方、あれを前にしてハインじゃないと言い切れたか? 少年、おまえはどう思った?」


 初めてハイリと出会ったとき、真っ先に思い浮かべたのはハインさんの顔だ。

 そして、ハインさんじゃないと言い張る言葉を嘘だとも感じた。最後に会ったときなんて、ハインさんの再来かと錯覚したほどだ。


 だから僕は、彼女の前であんなにも強がってしまった。

 尊敬する騎士の前だったから……。


「確かに不純物が混じっているのは確かだ。けれど、あれは間違いなくハイン・ヘルヴィルシャインだぜ。俺はハインの蘇生に成功した。今度はもっと完璧な蘇生をする自信もある」


 パリンクロンは言い切った。

 そこに不安な様子は一切なかった。

 ハイリはハインさんを『再誕』させたものであり、これから陽滝は『再誕』される。それは確定事項だと言わんばかりだ。


「あ、あぁ……、ああ……」


 僕は嗚咽のような声を漏らした。

 突然の希望に、言葉が言葉にならない。

 ハッピーエンドを前に身体が震えている。先ほどまでの気持ち悪い震えではない。


 だが、そう易々と鵜呑みにできる話ではないのも確かだった。僕は必死に言葉を作って、ハッピーエンドの条件を確認する。


「で、でも、『僕』は『相川渦波』じゃないし、『陽滝』は僕の妹でもない……」


 いざ幸せが近づけば及び腰になる僕だった。

 そんな僕を見て、パリンクロンは微笑む。


「さっき言ったじゃないか。それでも少年は陽滝を助けるんだろ? なあに、きっと相川陽滝はおまえを兄だと思うぜ。なにせ、そのまんまだ」


 僕は《ディメンション》で自分の姿を見る。

 確かに、記憶どおりならば『相川渦波』のままの姿だ。僕自身すら間違えたのだから、実の妹だとしても間違える可能性は高い。

 しかし、それは余りにも――……


「それは罪悪感があるか? ならば、相川兄妹をまとめて蘇生してやろう。少年は『救世主キリスト』とでも名乗って、不幸だった相川兄妹が幸せになるのを見届けるといい。この兄妹の幸福こそ、少年の使命だろ? きっと大いに感謝されるぜ? それを見届けても、少年のハッピーエンドと言える。要は終われさえすれば、それでいいんだろ?」


 すぐさま代替案を出した。

 僕の性格をよくわかっている代替案だ。否定しようがない。


「確かに、そうだけど……」

「もちろん、そのときは後ろの嬢ちゃんや主たちも誘えばいい。仲間たちと共に、少年も幸せになればいい。それで、今度こそ誰も彼も幸せな大団円だ」

「えっ? あ、う、うん……」


 僕は背後にマリアがいることを失念していた。

 仲間たちの存在を思い出して、少しだけ後ろめたさを感じた。

 そして、残っている問題への不安も膨らむ。


 その小さな不安の機微をパリンクロンは敏感に察して、すぐに言い足す。


「心配しなくとも、使徒シスは俺が倒してディアって子は助ける。もしこれから死人が出ても、俺が生き返らせてやる。だから、もう何も心配するな」


 ディアも何もかもパリンクロンが取り返すと言う。

 確かに、そうなれば僕の抱えていた全ての悩みは解消される。


「うん……」


 おずおずと僕は頷く。


「もう何も考えなくていい。考えれば考えるほど苦しむだけだ。少年は大陸も迷宮も関係ない遠くの地で、平穏で幸福な人生を終えるのが一番だ……」


 それは都合の良すぎる新たな『道』だった。

 そのパリンクロンの言葉を受け入れる他、僕に選択肢はなかった。


 ずっと欲しかった言葉に、ずっと欲しかった『別の道』だ。

 それをこれ以上ないタイミングで、最悪の形で聞いてしまった。ここには僕とパリンクロンの二人しかいない。だから、抗いようも強がりようもない。


 ただ、それは僕だけが得する話で、パリンクロンに全く利益がないように見えた。僅かに残っていた思考力が、質問の言葉を形作る。


「けど、おまえは僕と戦いたいんじゃ……?」

「もう十分戦ってもらったさ。これ以上は戦えないだろ? なら、無理は言わない。俺は次の敵を探すことにする」


 そう言って、パリンクロンは膝をついて泣いていた僕に手を差し伸ばした。


 筋道は通っている気がしてくる。もう何も考える気力もない僕は、それを額面どおりに受け取ることしかできなかった。


 ――パリンクロンは報酬をくれる。


 今日まで異世界で戦ってきた僕の努力を認め、その分の対価を与えると言っている。

 その誘惑に僕は釣られてしまう。生まれたばかりの赤子が、親を探して彷徨うように。


「ああ、パリンクロン……。僕は、僕はっ……!」


 両膝を突いたまま、震える手を伸ばそうとする。

 少しずつパリンクロンの手と、僕の手が近づいてく。


 その手と手が繋がったとき、僕の物語は終わるだろう。

 元の世界へ戻るための、迷宮の――いや、世界の真実を暴く物語が終わる。


 だが――


「――いけません・・・・・


 僕の心を写したかのような大雨の荒野に、凛とした声が通り過ぎた。

 パリンクロンと二人きりだった世界が壊れ、第三者が介入してくる。


 世界を覆っていたもやが晴れたかのような錯覚と共に、その声の主は姿を現した。


 柔らかい風が吹く。

 透明の風の衣を脱いで、銀の髪の少女が現れる。

 その後ろには金の髪を垂らす少年もいた。


 その二人の名前を僕は知っていた。

 ハイリとライナーだ。

 新たな『楔』が二人、強がらなくてはいけない相手が来てしまった。

 

 自然と、僕は差し伸ばす手を止めてしまう。


「その手を取れば、パリンクロンの勝ちですよ、少年。まだ戦いは終わってません。誘惑に負けてはいけません」


 現れたハイリは厳しい口調で僕を止める。

 ライナーを置いて、ハイリは銀の髪をなびかせながらこちらへ歩いてくる。


 僕とパリンクロンは唐突な第三者の介入に驚く。だから、すぐに答えることも動くこともできなかった。


 ハイリは呆然とするパリンクロンを放置して、僕の手を取って立ち上がらせる。そして、パリンクロンから離れるように促した。

 もつれる足をなんとか動かして、僕はよろけながら歩く。


 ハイリはパリンクロンへ話しかける。


「相変わらず、人を落とすのが上手いですね、パリンクロン。しかし、自分が優位のときだけ強気になるのは、卑怯ものの証です」

「……な、なんでここにおまえがいるんだ?」


 パリンクロンは震え声を漏らす。冷静沈着な彼には珍しい光景だ。


 ハイリの登場が全くの計算外であると、表情から見てとれる。

 それもそのはずだ。『魔石人間ジュエルクルス』である彼女は、ここにいてはいけない。いられるはずがないのだ。


 当然、いまこのときもハイリの身体は溶けている。風の魔法で『世界奉還陣』の影響を中和しているようだが、それでも完璧とは程遠い。緩やかにだが、じわりじわりと死に近づいている。このままここに居続ければ、少し前の兵たちと同じ運命を辿るだろう。


 しかし、ハイリは魔力の粒子を身体から放散させながらも、全く焦った様子はない。


「いますぐ戻れ! 身体が呑まれるぞ! なんで来た!?」


 パリンクロンは手を横に払って、ハイリを追い返そうとする。

 僕もパリンクロンと同じ気持ちだった。


「ハイリ……、か、身体がっ、溶けてる……! どうしてここに……!?」


 砦で別れる前に、僕はちゃんと逃げろと言った。


「すみません。最初から『中心ここ』には来るつもりでした。……ふふっ。しかし、マリアさんの炎には冷や汗をかかされましたよ。私たちが風の騎士でなければ危ないところでした」


 この場で死に掛けていることを、ハイリは笑いごとのように話す。

 逃げるつもりは最初からなかったらしい。確かに、砦の話を思い出せば、僕の逃げろという言葉に頷いてはいなかった。だが、まさかこのタイミングで現れるとは思わなかった。


「ハインの弟! いますぐその馬鹿を連れて離れろ! おまえたちの魔法なら、まだ間に合う! 今度こそ、おまえの兄の全てが失われるぞ!」


 微笑むだけで一向に逃げようとしないハイリを置いて、パリンクロンはライナーに呼びかける。


 ライナーの身体も溶け始めている。

 二人とも高レベルの騎士のため、すぐには溶け切りはしないだろう。だが、危険には変わりない。 

 それでもライナーは無言のまま、動こうとしない。


 代わりにハイリが答える。


「私はここを離れません。――少年が教えてくれました。最後まで諦めず、大切なもののために戦うことを。だから私も強がって、最後まで戦いますよ」


 強がることを止めてしまった僕の前で、ハイリは当てつけのように強がると言った。

 その言葉を聞き、僕は怯えるように一歩だけ後ずさった。


「大切なもののために、戦う……?」


 そんなこと、もう完全に諦めていた。

 僕は全てを捨てて、パリンクロンに任せようとしていた。

 けれど、それを許さないとばかりにハイリは詰め寄る。ハイリは一瞬だけ顔を歪め、けれどすぐに顔を引き締めて訴える。


「いいですか、少年。パリンクロンに蘇生なんて真似はできません」


 そして、パリンクロンにハッピーエンドは作れないと断言する。

 その無慈悲な宣言に僕は言葉を失った。

 パリンクロンも大口を開ける。


「な、何を言ってるんだ、おい……」


 心外な様子のパリンクロンは放置して、ハイリは僕に語りかけ続ける。


「この私を見てください。なにせ、彼は友一人蘇生できませんでしたからね。あれだけ新鮮な状態の死体があったというのに」


 僕は安易に答えることができなかった。それを認めるということは、先ほど提示された『別の道』が塞がるということと同じだったからだ。

 だから、それに答えるのはパリンクロンだった。


「いや、待て。待てよ、おい。蘇生は成功しただろ……。おまえはハイン・ヘルヴィルシャインだろうが……!」

「違います。私はハイリです」


 ぴしゃりとハイリは否定する。

 断言され、たじろぐパリンクロンを追い討つように言葉を続ける。


「――あなたはハインの蘇生に失敗した」

「失敗してねえよ……! 蘇生は成功した。おまえはハインだ。俺は『再誕』を成功させたっ!」

「……ならば、なぜ蘇生させた私を捨てたのですか? 逃げるように遠ざけたのですか?」

「は、はあ? いや、待て。本当に待て。それに特に理由はねえよ。あるとすれば、それは善意だ。寿命の短いおまえの好きにさせてやろうという善意だ」

「嘘ですね。あなたにそんな思いやりがあるはずありません」

「いや、まじで善意だぜ!? 相手が俺だからって、好き勝手言いすぎだろ、おい!」

「本当は見ていられなかったからでしょう? 友だったハインという男が二度と戻ってこない現実を前にして苦しかったんでしょう? だからその成れの果てである私を、なかったことにしようとした」

「は、ははっ、ははははっ。ハイン、何を言ってるんだ……? そんな情のあるやつに俺が見えるか……? いや、それ以前の話だ。俺は失敗していない。おまえのどこが別人だ。姿は変わろうと性別が変わろうと、その精神性はハインそのものだぜ……?」

「なら、初めて私の姿を見たとき、あんなにも悲しそうだったのですか……? せっかく、友と再会できたとき、顔を歪めていたのは……、失敗したからでしょう?」

「違う……。それは違う。逆だ。あのとき俺は、成功してしまったことを悲しんだだけだ……」

「あなたこそ何を言っているんです!? なぜ成功して、悲しむんですか!!」

「そ、それは――……」


 ハイリの怒涛の質問攻めに、とうとうパリンクロンが口ごもる。

 全く予想していなかった事態に混乱しているのがわかる。もちろん、それは僕もだ。


「あなたに蘇生なんてできません。ええ、できるはずありません。ゆえに少年っ、騙されてはいけません! この男はできもしないことを約束して、君を篭絡しようとしている!!」


 そして、僕の前に立ってパリンクロンから守ろうとする。

 その現実的な言葉を前に、僕の心は揺らぐ。都合のいいハッピーエンドの存在を信じきれなく――なってしまう。


「まて、少年っ! こればっかりは俺は嘘をついていない!」


 慌ててパリンクロンは叫んだ。途切れかけた僕とパリンクロンの繋がりを修復しようとする。


 もはや、目の前のパリンクロンに彼らしい冷静沈着さはなかった。

 それほどまでに、ハイリの登場は予想外だったのだろう。いや、この異様な狼狽は、もしかしたらそれ以外にも理由があるのかもしれない。


 強引な論理を振り回すハイリに合わせて、パリンクロンは乱暴に説得する。


「おまえが自分をハインだと認めないのは、少年のためだろう!? 同じ境遇に立っている俺たちを力づけるためなんだろう!? たとえ、どんな記憶をぶちこまれようとっ、どんな記憶を思い出そうとっ、『自分は自分』だと俺たちに示してやりたかったんだろう!? だが、その自己犠牲心っ、騎士道溢れる思いやりっ、その見当違いなお節介! どう見ても、おまえはハインだ!」

「そう思いたいのはわかります。ですが、それは勘違いですよ。私は私をハインだとは全く思いません」

「この野郎――!!」


 パリンクロンは舌打ちする。

 まともな口論は無駄と理解し、僕へと顔を向け、両手を広げ、ハイリを示して訴える。


「少年! 見ての通り、俺はハインを『再誕』させた! この調子で、兄さんの妹も『再誕』してやる!」


 それに負けじと、ハイリも同様に両手を広げる。

 自分の身体を示して宣言する。


「少年! 私はハインじゃない! ハイリです! パリンクロンに『再誕』なんてできません! 失敗したのです! 蘇生された私自身が言っていますっ! 私は私! 答えは最初に言ったときと同じですよ!」


 二つの主張は真逆だった。

 どちらかを信じれば、どちらかを切り捨てるしかない。

 それは幸か不幸。生か死の二択だった。


 その重すぎる選択肢に身体が震える。僕が迷っている間も二人は言い争い続ける。


 僕とパリンクロンの口喧嘩は、ハイリが受け継いだ。

 パリンクロンは僕の知っている限り、誰よりも舌戦に強い。けれど、そのパリンクロンとハイリは対等だった。まるで友人のように対等だった。


「いいや! おまえはハイン・ヘルヴィルシャインだ! 記憶だってあれば、性格もそのもの! 少年のせいで、ちょっと性別は変わったが、あの馬鹿の精神性はそこに残ってる! 『血』さえあれば『魂』は潰されると、俺は証明したんだ!!」

「いいえ! 私はハイリ・ワイスプローペです! 確かに私はハインを元に創られたかもしれない! 確かにハインという男の記憶が少々ありますが、別人は別人! 似ていると感じるのならば、それは『私』と『ハインという男』の趣味趣向がちょっと被って・・・・・・・いただけ・・・・! たまたまです! ハインという人間は蘇りませんでした! ここにいるのは蘇生失敗の出来損ないっ、ハイリ・ワイスプローペ! いま、やっと自信を持って、それを私は証明できる!!」


 いまのハイリの話し方は僕に似ている。少し前の僕を見ているかのようだった。

 自分が『魔石人間ジュエルクルス』だろうと、そんなこと関係ないと言い張っている。


 いつの間にか、僕とはハイリの立場は逆になっていた。

 絶望したハイリの前で僕が強がっているのではなく、絶望した僕の前でハイリが強がっている。


 そう。

 ハイリが強がっているのは傍目から見ても明らかだった。

 叫びながらも彼女の膝は震えていた。いまは凛々しい表情しか見せないが、自分を否定し始める前に僅かな苦悶の表情を見せたのは見間違いじゃない。自分の喪失に怯えているのだろう。自信も何もないからこそ、論理を蹴飛ばして叫んでいる。言い張り続けているだけ。


 僕の真似をしている。

 砦で別れる前に、ハイリは「僕を信じる」と言った。いま、それを実行しているとわかった。

 ハイリは強がっていた頃の僕を見せつけているのだ。そして、その責任をとれと僕に言っている。


 その姿に僕は心を動かされてしまう。

 

 ああ、あのときのハイリには、僕がこんな風に見えていたのか……。

 同じ立場の人間が、こうも力強く生きようとしているのは、余りに眩しい。


 正直、いまでも僕は彼女のことをハインさんの生まれ変わりだと思っている。なにせ、そう思うだけの証拠がありすぎるのだ。

 けれど、声高にハイリは叫ぶ。


 たとえ、それが世界の真実だとしても否定する。世界の『理』に背く。


「一度死んだ人間は、二度と戻りません! 蘇った私は、私をハイン・ヘルヴィルシャインだとは思わない! 私は私だ!!」

「それでも、ハインの友人である俺は、ここにいる『魔石人間ジュエルクルス』をハイン・ヘルヴィルシャインだと断じる!」


 水掛け論になっていた。何の論理もない言い張り合い。だというのに、その中の言葉の一つが僕の胸に突き刺さる。


 『私は私』。

 ハイリが僕に言うからこそ、説得力があった。


 ハイリの真っ直ぐな目が訴えかけている。

 僕にも『僕は僕』だと叫べと言っている。強がって自分を保てと言っている。 


 命を犠牲に、ハイリは最後の輝きを見せている。

 その気迫に押されたパリンクロンは、攻め手を変える。ハイリは何があっても揺るがないと判断したのだろう。


「おい、ハインの弟! おまえもそれでいいのか! ここにおまえの兄がいるというのに、このままだと――」

「ここにいるのは兄様じゃない。余命短い『魔石人間ジュエルクルス』、ハイリさんだ」


 だが、ライナーは最後まで聞くことなく、言い切る。

 説得する余地もない断言だった。無表情すぎて、その心中を察することはできない。


 その様子を見たハイリは勝ち誇った顔を見せる。


「どうです、パリンクロン。ライナーが証明してくれました。ここにいるのはハイン・ヘルヴィルシャインでなく、ハイリ・ワイスプローぺだと!」

「しょ、証明? こんなもので証明だと……?」

「生きるものに価値を与えるのは己ではありません。信じてくれる誰かが価値を与えてくれるのです。だから、どれだけ独りで人間というものをこねくりまわそうと解るはずありませんよ。自分を自分だと証明できるのは、誰かの手を借りて初めて成り立つのです。それを私は教えてもらいました。だから――!」


 ハイリも話す相手を変える。

 パリンクロンではなく僕へと、パリンクロン以上に真っ直ぐな目を向ける。


「――少年も同じですよ! 私はあなたを『始祖カナミ』だなんて思っていません! 別に『カナミ』だとも『キリスト』だとも思ってませんよ! 少年は少年だ! 私もライナーもっ、そしてここに倒れている少女も、そう信じています!」


 そして、大地に倒れるマリアを僕に見せつける。

 全てを出し尽くし、僕は僕だと最後まで言ってくれた少女を――


「マリアさんの叫び、私も聞きました! あそこまで言われて、あなたは自分なんて何者でもないと言うつもりですか? 価値はないと言うつもりですか? パリンクロンに負けるのですか? そんな格好悪い少年っ、『私』は見たくありません!!」


 銀の髪を振り乱して、ハイリは願望を口にする。


 その『私』は誰?

 そう聞きたいのをぐっとこらえる。

 どうせ、強がって別の答えを返されるのはわかっていた。


 けれど、がそう言うのなら、僕はその期待に応える義務があった。

 懐かしい『楔』だ。

 万を超える『楔』は崩れ落ち、仲間たちの『楔』も抜けてしまったが、とても古い楔が一つだけ心の中に残っていた。


 彼からは色々なものを任された。

 彼は最後まで僕の名前を呼ばなかった。

 カナミという異邦人でもなく始祖でもなく、そこにいる少年ぼくへ全て託したのを覚えている。


 そんな彼の前で情けないところなんて見せられない。

 穴だらけだった心に、まだ『楔』が残っているのを感じ取る。

 僕を繋ぎ止めていた『楔』全てをパリンクロンは抜いていたつもりだったのだろう。だが、たった一つだけ失念していた。死んだものの『楔』までは手を回しようがなかったのかもしれない。


「仲間を助けるのでしょう? パリンクロンを倒すのでしょう? 迷宮の最深部を目指すのでしょう?」


 確かに言ってしまった。

 それを嘘にしないため、もう少しだけ強がらないといけない。

 まだ『仲間』が見ている。それだけで、僕は諦める資格を失う。


「――最初は強がりだったのかもしれません。人の前だったから見栄を張っただけかもしれません。それは孤独になった途端、崩れ去る砂の城のような脆いものだったことでしょう。……けど、その強がりが、いつかきっと本物になります。私はその可能性を信じると決めました。あなたが信じさせたのです。……だから、少年。もう少しだけ、私のために強がってはくれませんか?」


 ハイリは優しく微笑んだ。

 初めて見る彼女の笑顔だった。


 ここにいるハイリは、あの強がっていただけの僕の言葉を信じている。それを信じて、やっと心の底から笑えたのだろう。あの地獄のような苦しみから逃れたのだろう。


 その苦しみを知っているからこそ、この笑顔を裏切るなんて真似、僕にできるはずがない……。


あの日・・・、見られなかった少年の格好いいところを、いま私は見たい。それが私の心残りであり、やっと手に入れた私の大切な想いなんです」


 それがハイリの見つけた命よりも大切なものらしい。

 それはまさしく、彼がいる証明で――強がっているだけだという証明で――パリンクロンが正しいという証明だけれど――それをハイリは、自らが生きている証明とした。


 ハイリの後ろで、パリンクロンは首を振る。

 歪みに歪んだ顔をしていた。


「少年……。惑わされるな。あんな馬鹿の勝手な期待、背負わなくていい。ここにハインはいる……。いるんだぞ……」


 きっと僕も同じくらい顔を歪ませているだろう。


 いまも涙は止まっていない。ぼろぼろと大粒の涙が零れ落ちているのがわかる。それでも僕は涙を流し続けながら、何度も首を振った。

 吐き気を抑え、息を呑み込み、痙攣する肺と胃を動かして、言葉を搾り出す。

 ハイリと同じように強がり、同じ嘘をつく。


「いいや……、ここにハインさんいない・・・……。いないんだ・・・・・……。やっぱり、おまえは嘘つきだ。パリンクロン……」

「――っ! いまのを聞いて、それを言うか、少年! 本当にそれでいいのか!? それを認めてしまえば、妹は戻らないんだぜ!?」


 パリンクロンが差し伸ばした救いの手を、僕は受け取らない。

 本当は、その手を掴んで終わりにしたい。けれど、身体に刺さった『楔』のせいで、その手を掴みには行けない。都合のいい夢の世界ではなく、現実へと引き戻される。


 現実の中、僕は強がってみせる。


「おまえなんていなくても陽滝は、僕が見つける……!! もし、死んでいたとしても、絶対におまえには頼らない……! おまえは僕の敵っ、敵なんだよ!!」


 視界は涙で一杯だ。

 それでも僕は息も絶え絶えに言い切った。


 意味も価値もなければ、報酬も何もない『道』を進むと言ってしまった。

 その理由は、たった一つ。

 僕に期待してくれている人たちがいるから。それだけのために。


「だから強がるなよ、少年……! 見ていてこっちが辛くなる……!」


 パリンクロンも同じように、呼吸もままならないような表情をしていた。


「ああ、生きるのは辛い……。けど、そういうものだ。そういうものなんだよ、パリンクロン……」


 涙を零し切り、薄く微笑みながら、僕はそう言った。

 死を押しのけ、生きるという言葉を口に出してみせた。

 不思議なことに、そんな僕にパリンクロンは感情移入していた。そして、その生の行く先を察し、泣きそうになっていた。

 こうして二人は吐くように言葉を出し合って――決別する。


 ふらつく身体を動かして、剣の切っ先をパリンクロンへと向ける。

 はっきりと再戦の意思を見せる。

 

「――《コネクション》」


 それを見たハイリは安堵と共に魔法を唱えた。

 魔法道具の指輪を砕いて、翠色の魔法の門を作る。

 その魔法《コネクション》は、『世界奉還陣』の上だと言うのに消えはしなかった。魔法道具を使ったからだろうか、魔力の波に呑まれながらも力強く建っている。


「ふふっ。信じてましたよ、少年。最高に格好いいです」


 ハイリは強がる僕を格好いいと言った。

 むしろ情けないところを見られただけだと僕は思ったが、ハイリは違ったようだ。

 僕を褒めたあと、気絶していたマリアを《コネクション》の中に入れ、扉を消した。


「マリアは……?」

「安心してください。安全なところへ送っただけです。これで遠慮なく戦えるでしょう?」

「ああ、これでもう一度パリンクロンと戦える……」


 歩みを進めて、パリンクロンへ近づこうとする。

 しかしそれはハイリによって止められる。


「待ってください、少年。パリンクロンとは私が先に戦います」

「え、え? なんで……?」

「いまの状態で少年が戦えば、またパリンクロンに心の隙を突かれますよ。とりあえず、ライナーに汚染された精神を整えてもらってください。その時間は、私が戦って稼ぎますから」

「汚染……?」


 僕は自分の『状態』を確認する。



【ステータス】

 状態:混乱7.87 精神汚染1.22 認識阻害0.23



 確かに正常と言えない状態だった。


「パリンクロンの得意技です。話をしながら心の隙を突くことで、他人の精神を操る。人の道を外れた『呪術』です」


 だが、むしろこのくらいですんでいることに驚く。この程度ならば、いつもと変わらないと思い、僕は共同戦線を提案する。


「けど、一人だなんて危険だ。やっぱり僕も一緒に……」

「止めないでください。私自身のためにも、一人で行かせてください。ここで彼と戦うことは、ハイリ・ワイスプローペの人生に絶対必要なことなんです」


 そう言い張るハイリを『注視』する。



 【ステータス】

 名前:ハイリ・ワイスプローペ HP73/176 MP82/265-100 クラス:

 レベル16

 筋力8.22 体力8.46 技量7.98 速さ9.45 賢さ9.12 魔力12.33 素質3.25



 一時期は30レベルまで至っていたレベルが半分近くまで落ちている。

 HPとMPの残量は心許ない。おそらく、体調も悪化し続けているはずだ。きっと、コルクの館で苦しんでいたとき以上に……。


 間違いなく、ハイリはパリンクロンに勝てない。

 けれど、ハイリは道を譲らない。

 微笑を保ったまま、はっきりと呟く。

 

「きっと私は死ぬでしょうね。今日、ここで。……けど、それは自暴自棄になって死ぬのではありません。命よりも大切な約束を果たすために行かないといけないのです。だから行かせてください。今度こそ、私の背中を見届けてください。――少年」


 それは以前と同じ自殺の宣言だったが、表情がまるで違った。


 以前と違い、他に方法がないから死ぬ、もうどうでもいいから死ぬ、まだましだから死ぬ、そういった投げやりな感情は全く感じられない。

 今日このときのために生まれたかのような、譲れない信念を感じた。


 苛立ちは全く感じない。僕の尊敬する守護者ガーディアンや騎士に似た面差しだったからだ。

 その強固な意思を前に、僕は何も言えない。代わりに、同行者であるもう一人に聞く。


「ライナー……。おまえも、それでいいのか……?」


 終始、無言だったライナーは頷く。


「好きにさせてやってくれ、キリスト」


 無駄なことは何も言わず、短く答え、すぐに僕へ神聖魔法をかけ始める。

 相変わらず表情は無い。けれど、覚悟だけは感じられる。


 ライナーはハイリの終わりを受け入れている。

 きっと僕の何倍も、ライナーはハイリに愛着があるはずだ。そのライナーが受け入れているというのに、僕だけ我がままを言うことはできなかった。


 僕はハイリの背中を見送るしかなかった。


 そして、光り輝く戦場の中を、銀の髪をなびかせる少女が、輝く魔力の粒子を散らしながら前へ進む。


「さあ、私が相手ですよ。パリンクロン」

「……またかよ・・・・。……この大馬鹿野郎が」


 パリンクロンは誰にも聞こえないほど、小さく小さく答える。

 誰に言った訳でもない。

 けれど、次元魔法を使う僕とハイリには聞こえた。


 そして、その呟きが戦いの合図となり、白い少女は駆けだす。


 白い少女を迎え撃つ黒い男の顔は歪んでいた。

 

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