94.そして、始まる


 そして、何事もなく数日が過ぎていく。

 『腕輪』に触れることさえもできず――時間は過ぎていってしまう。


 様々な思惑が絡み合っているが、正直やれることは少ない。

 いま僕にできるのは『舞闘大会』に集中することだけだろう。


 ラスティアラは決闘の約束をして以来、接触してこない。

 ディアブロ・シスは僕に対してかなりの執着心があったものの、目下の狙いはパリンクロンのようだ。パリンクロンが国外に逃亡したあとも、僕の前に姿は現さなかった。


 スノウは記憶に興味はなく、レイルさんは『取引』に徹底しているため、必然と記憶に関する新しい情報は入ってこない状態だった。


 ならば、いま僕に出来ることは、油断なくローウェンの『未練』解消を待つことだけだ。


 僕はローウェンと修練を行い続けた。

 レベルを上げておいて損はない。色んな対策に繋がるし、僕のMPが増えればリーパーの問題も解決する。要は、リーパーが吸収する魔力よりも、僕の自然回復量が上回ればいい話なのだ。

 

 そして、修練を重ねるにつれて、ローウェンの力が弱まっていった。

 口では「栄光が欲しい」と言っているものの、彼の本当の『未練』は違うのかもしれない。少なくとも、僕に自分の生きた証を残すことで、その身に影響を与えているのは間違いなかった。


 その影響は、下手をすれば『舞闘大会』前に消えてしまうのではないかと心配するほどだった。


 ローウェンとの修練は、基本的に手頃な31層のモンスター相手に行った。

 『剣術』を実戦で試しつつ経験値を溜めるのに、31層は最適な狩場だったからだ。

 

 29層と同じく砂地の地面だが、質は真逆。

 まるで運動場のような丁度いい固さで、普通の迷宮の回廊よりも戦いやすい。


 出てくるモンスターに人型が多いのも、『舞闘大会』に向けて丁度良かった。

 31層の素早く硬いゴーレムを相手に技を繰り出せるのならば、『舞闘大会』でも問題なく繰り出せるだろう。


 僕たちは時間を見つけては、30層付近で修練を繰り返した。

 もちろん、ギルド活動をサボっているわけではない。

 しっかりと国からの依頼をこなしつつ、ラウラヴィアに貢献できる仕事も行っていく。暇があれば、ローウェンとリーパーも手伝ってくれる。


 他にもギルド全体を効率化していくために、アリバーズさんに発注していた『砂時計』や『算盤』を大量に導入したりもした。だが、その試みは失敗に終わってしまっている。下地となる文化がなければ、上手く浸透しないようだ。さらには組織の連絡方法を固定化し、仕事の分業制度の導入なども行ってみた。

 

 僕は様々なことを試み、失敗と成功を繰り返した。

 その比率は五分五分くらいだったが……『エピックシーカー』の運営は少しずつ効率化されていった。導入している僕が素人とはいえ、全く違う文化の考え方を丸々と吸収できるのだから当然のことだろう。


 その甲斐もあってか、さらに『エピックシーカー』は躍進し、その名をラウラヴィアに轟かせるようになる。

 必然と僕の顔をも売れ出し、道を歩けば多くの人が挨拶してくれるようになった。


 走り回る子供たちが、市場の商人たちが、見回る衛兵たちが、ラウラヴィアに住む市民たちが、僕に笑顔を向けてくれる。

 最近、『エピックシーカー』は街の治安維持の仕事が多いため、市民からの受けがいい。元は、僕の魔法の相性から考えた仕事選択だったが、結果的に支持を得たようだ。


 行動を共にするローウェンは、その様子を見て、よく目を細める。

 それは眩しいものを見るかのような、憧憬の眼差しだった。この街に生きる人々の何気ない幸せが、ローウェンの追い求めていたもの一つであるような気がする。


 一方で、人々からの誉れを一身に受ける僕を、羨望の眼差しで見つめてもいた。

 ローウェンの言う『栄光』には、いまの僕の状態も含むようだ。


 その欲の浅さと節操のなさに僕は少し呆れる。

 数十人でローウェンを囲んで拍手でもすれば、消えてしまうのではないかと思うほど欲望が浅い。

 腕に見合わない欲望の浅さだと感じながら、それが彼のいい所であるとも思った。


 ただ、リーパーを誘って「私もギルド作ってみようか。リーパー、おまえ、サブマスターやってみないか?」と言い出したときは焦った。リーパーが「ローウェン、バカじゃないの?」と冷たく突き放していけなければ、彼はラウラヴィアに新しいギルドを作っていたかもしれない。


 その後、ローウェンはギルドを使った『栄光』獲得ではなく、僕の師匠であることを喧伝しての獲得に奔走し始める。


 しかし、どうも要領が悪く、僕とローウェンが師弟関係であることは知れ渡っていない。

 ただ時々、近所の子供を相手にローウェンが「ししょー」と呼ばれているのを見かける。それだけでローウェンの魔力が弱まっているのは気のせいだと信じたい……。


 子供を相手にしているときのローウェンが一番幸せそうに見える。

 そのことに彼は、自分自身で気付いているのだろうか……。


 そして、全てを解決してくれる『舞闘大会』の日が、刻一刻と近づいてくる。

  

『舞闘大会』まであと三日というところで、ラウラヴィア国からいつもと違った御達しが届いた。

 宛名は『エピックシーカー』ではなく、ギルドマスター個人に対してだった。


 内容はラウラヴィアの『舞踏会』への誘いだった。

 『一ノ月連合国総合騎士団種舞踏会』の『舞闘大会』とは違い、社交場としての純粋な『舞踏会』だ。


 聞けば『一ノ月連合国総合騎士団種舞踏会』が力を競い会う場に変わってしまったため、代わりに用意された『舞踏会』らしい。


 僕個人の判断で断れるはずもなく、否応なしに参加は決まった。



◆◆◆◆◆



 僕は慣れない高価な服で身を包み、『エピックシーカー』の執務室でいつものメンバーと『舞踏会』について話す。


 窮屈な衣装の裾を摘まんで、僕は溜息をつく。


「はあ、舞踏会か……」

「私としては羨ましい限りだ。そういう場に呼ばれてこそ、『栄光』の証明だからな」


 ローウェンは執務室の窓に腰をかけ、自分が参加できないことを悔しがる。


「憂鬱なだけだよ。どうも今回の参加は、ラウラヴィアの王族たちに興味をもたれたかららしいし……」

「王族の目に留まるとか、それこそ羨ましい話なんだが……。まあ、私はついていけないが、慣れているスノウ君がいる。何かあったら頼ればいい」

「そうするよ」


 スノウも随伴することになっているため、少しは気が楽だった。

 彼女は良家のお嬢様なので、こういった場にはよく呼ばれるらしい。


「それで、アタシはローウェンと二人きりかー。なんだか、殺意がうずうずと沸いちゃうねっ」


 執務室の天上近くに浮いているリーパーは、物騒なことを言って僕を不安にさせる。

 それに対し、ローウェンは顔をしかめる。

 

「またか、おまえは。おまえがどうしてもって言うから、組んでやってるんだぞ。変なことをしたら、パーティーから追い出すからな」

「……えっと、リーパーとローウェンは『舞闘大会』の最終予選だっけ?」


 僕は確認を取る。

 この数日の間で、ローウェンは『舞闘大会』の予選をこなしていった。当然、危なげもなく最終予選まで残留している。


 ただ、不安なのがローウェンのパーティーにリーパーが入っているという点だ。

 どうやら、リーパーはローウェンと一緒に『舞闘大会』へ出るらしい。ローウェンが何かの事故で死ぬと困るから近くにいたいと彼女は言っているが、その真意はわからない。


「ああ、軽くこなしてこよう。リーパーは私が面倒を見てるから、カナミは気にせず仕事をこなしてくれ」

「リーパーも最終予選に連れて行くつもりみたいだけど、大丈夫?」

「リーパーなら、そんじょそこらの猛者が相手でも問題ないだろう。怪我すらしないと思うぞ。それに、もしリーパーが怪我しそうになったら、私が間に入るつもりだ」

「いや、僕は他の参加者さんたちを心配してるわけで……」

「あ、ああ。そっちか……。そっちも心配してなくていい。リーパーがやりすぎそうになったら、そのときも私が間に入る」


 この数日で、ローウェンのリーパーへの甘やかしっぷりが加速している気がする。

 もはや、ローウェンはリーパーを『死神』とも『呪い』とも見ていないだろう。地上での平穏な生活が、良くも悪くも彼の認識を変えていっている。


「……そろそろ出発。行こう、カナミ」


 いつの間にか、執務室の扉の前にスノウが立っていた。


 シッダルク家へ呼ばれたときの格好と似ている。

 今回のベルラインのドレスはベージュ色だ。髪を結い上げた可憐な姿が、スノウが貴族の令嬢であることを再確認させる。うなじの下から覗く白い肌からは清廉さを、手につけた長い手袋からは気品を感じさせる。


「ああ、お待たせ。こっちは大丈夫」

「……大丈夫じゃない。ちゃんと襟元を閉めて」


 スノウは僕の首に手をかけて、襟を閉める。

 自分なりに強く閉めたつもりだったが、スノウから見ればまだまだだったらしい。


「ありがとう」

「……ん」


 僕のお礼に対し、スノウは軽く頷き、外へと連れ出す。

 合わせて、ローウェンとリーパーは最終予選会場に向かった。


 『エピックシーカー』の本拠の前には、大きな馬車――のようなものが待っていた。僕の世界の馬車とは少しばかり造りが違う。まず、車を引いてる動物が馬とは違う。車輪の造りも特殊で、この世界独特の技術が使われているようだ。


「スノウお嬢様、こちらへ……」


 中から年老いた侍従が出てきて、恭しく礼をする。

 おそらく、ウォーカー家の侍従だろう。舞踏会が行われるラウラヴィアの城まで、この馬車に乗って移動するみたいだ。


 僕たちは侍従に指示されるがまま、馬車に乗り、ラウラヴィアの都心へ向かう。


 内部の装飾は豪華で、一見して持ち主の家格を窺わせる。

 ウォーカー家がこの大陸で『四大貴族』と呼称される理由を、この煌びやかな馬車の装飾から見て取れる。

 

 僕は道中の間、馬車の造りと材質を解析することで時間を潰していった。

 ただ、その間、ウォーカー家の侍従たちが僕をじろじろと観察していたのが気になった。

 若いギルドマスターが珍しいのかもしれない。


 馬車の造りの全てを記憶する頃には、ラウラヴィアの城に辿りついていた。

 ラウラヴィアには名のある城が多く、ここはその中の一つだ。


 今日はここに王族までも出張ってくる。そのため、城の警備も物々しい。

 何度も身分を照会し、何重にも並んだ警備兵の横を過ぎる。そして、僕たちは城の庭に辿りつき、降ろされる。


「――では、いってらしゃいませ。スノウお嬢様、アイカワ様」


 侍従は恭しく礼をして、僕たちを送り出す。

 どうやら、付き添いはしてくれないようだ。


「……カナミ、行こう」


 スノウは侍従を労ったあと、城へ歩いていく。

 今日はスノウの言うとおりにしてやり過ごすと決めている。僕は頷いて、スノウの後ろを歩く。


 植物園にも似た巨大な庭を過ぎ、象も通れそうな巨大な扉をくぐり、舞踏会が催されている大広間へ向かう。


 大広間に入る直前、スノウが再確認する。


「……カナミにこの世界の礼節は期待していないから、大人しくしてて。大体のことは笑顔で誤魔化していたら大丈夫。名前だけ伝えたら、すぐに下がること」

「ああ、わかった」


 僕は神妙に頷く。

 それを見たスノウは頷き返し、大広間への扉を開いた。


 そして、広がる煌びやかな世界。


 天井は異様に高く作られていて、白銀に輝くシャンデリアが無数に吊るされている。奥に楽器を抱えた演奏者たちが控えていることから、一種のコンサートホールであることがわかる。だだっ広い空間の側面には、巨大な窓ガラスが一面に張り付いている。そのどれもが意匠の凝ったもので、この空間の価値を底上げしている。

 物語に出てくる舞踏会の会場のイメージと相違ない。まさしく、貴族のための空間そのものだ。


 イメージ通りであることに、少しだけ安堵する。

 僕が警戒しているのは、全く予測のできない事態だ。

 予測も対応もできない事態よりかは、対応できないものの予測できた事態のほうが安心できる。


 僕とスノウが大広間に入ることで、中でお喋りしながら待っていた人たちの目が少しだけこちらへ向いた。

 

 そして、その中の幾人かが、こちらに歩み寄ってくる。

 スノウは空間の隅に移動しながら、その人たちを作り笑顔で歓待する。


 彼女の作り笑顔は完璧だ。そこから、経験の深さが垣間見える。


 一人の男がスノウに話しかけている間、それ以外の人たちは後ろで待機していた。順番に話しかけるつもりなのかもしれない。


「久しぶりです、スノウ・ウォーカー様。最近は、こういった場にめっきりと顔を出さなくなったので、多くの方が心配されていましたよ?」

「お久しぶりです。エルトラリュー学院で勉学に勤しんでいたため、参加の機会を得られなかっただけです。ご心配をおかけしたのなら、すみません」


 男は恭しい礼のあと、親しげにスノウへ話しかけた。


 親しげだが、綿密に計算されているであろう礼節をきっちりと備えている。

 男の息遣いと心拍数から、それがわかる。


「いえ、スノウ・ウォーカー様の元気な姿を拝見できて、とても安心できました。勉学のためなら仕方ありません。しかし、かのウォーカー家のご息女様なら、学院では優秀だったことでしょう。学院の話を聞いても?」

「ええ、もちろんです」


 男は酷い緊張の中で、無理に親しげな空気を演出している。

 そのことから、ウォーカー家を畏れながらも、どうにか取り入りたいという思惑を察することができる。


 いつの間にか、そういった感情の機微が《ディメンション》でわかってしまうようになっていた。最近、ローウェンと稽古を繰り返しすぎて《ディメンション》が敏感になりすぎているようだ。


 平時はもう少し抑えないといけない。

 これでは常に嘘発見器をしかけているようなものだ。


 僕はスノウと男の会話を後ろから見守る。

 どうやら、男はラウラヴィアでも有力な商家の当主で、ウォーカー家との親睦を深めにきたようだ。他愛もない会話の中に、ウォーカー家との取引の話がさりげなく混ざっており、隙あらば有益な商談の言質を取ろうとしている。


 後学のために、その会話を記憶していく。

 そして、日常会話の話題が尽きたところで、男の目線がこちらに向いた。


「――して、そちらの方は? スノウ・ウォーカー様ほどの方が護衛を連れるのは珍しい」


 男は僕のことを護衛の騎士だと勘違いしていたようだ。

 それなりに外見には気を使ったが、一組織の長として見られるにはまだ足りなかったようだ。

 

 自信のない言葉遣いで、僕は短く自己紹介する。


「相川渦波です。ギルド『エピックシーカー』でラウラヴィア国のために働いております。ええっと、以後お見知りおきを」

「おお、なんと……!! これは失礼を。申し遅れました。わたくし、タルア家の当主、コーナー・タルアと申します。しかし、『エピックシーカー』ということは、例の――」

「ええ、彼はラウラヴィア直属ギルド『エピックシーカー』のギルドマスターです」


 スノウは横から口を挟み、僕がギルドマスターであることを強調する。


「おお、やはり! 噂の『英雄』殿でしたか!」

「え、『英雄』……?」


 男の言葉を聞き、少しばかり僕は笑顔を崩してしまう。

 いつの間にか、巷での僕の評価は恐ろしいことになっているようだ。


「噂は、かねがね聞き及んでおります。アイカワ・カナミ様は、レガシィ家の当主パリンクロン・レガシィ殿にその才を認められ、『エピックシーカー』のギルドマスターになられたと――」

「あ、はい……」


 急に勢いよく喋り始めた男に、僕は後ずさりする。

 しかし、隣のスノウが笑顔で「聞きなさい」と訴えている。僕は作り笑顔のまま、男の長話を聞く。


 長々とギルド『エピックシーカー』の近況を讃えられ、ことあるごとに僕の仕事を褒められる。明らかに僕をおだてて、何らかの商談ことばを引き出そうとしている様子だ。


 僕は曖昧な返事を心がけ、時にはスノウの顔色を窺って、慎重に相槌を打つ。

 そして、ギルドの話題が尽きたところで、男は僕の手を握った。


 手のひらから硬い金属の感触が伝わってくる。

 《ディメンション》で金貨を握らされたことを理解する。


「こちらは我ら商家からの『エピックシーカー』への真心です。ラウラヴィアを支える同士として、あなた方の活躍を祈っていますよ」

「え、そんな、受け取れ――」


 僕は咄嗟に断ろうとするが――


「受け取って、カナミ。でないと角が立つ」


 スノウの諫言が、それを遮る。

 ちなみに、声は左耳のイヤリングからだ。

 いつでもスノウの助言を得られるように、魔石付きのものをつけてきたのだ。これならば、小声でも彼女の言葉が僕に伝わる。


「う、受け取りましょう。タルア商家からの真心があればこそ、これからもギルド『エピックシーカー』はラウラヴィアで躍進できることでしょう。お心遣い、感謝します」


 僕は限界まで顔を緩ませて、男に感謝の念を示した。

 男は満足そうに頷き、その場を去っていった。


 これで、僕はあの男に義理が生まれてしまった。それも、たった一度の邂逅で、大して好んでもいない相手にだ。その恐ろしさに、僕は背筋を凍らせる。

 次の人がこちらに近づいてくる前に、急いで僕はスノウに問う。


「ス、スノウ……。これ、ずっと続くのか……?」

「……もちろん。『英雄』なら、こんなの日常茶飯事」

「できれば、ああいった類の人との義理は作りたくないんだけど……」

「……拒否すれば義理どころか恨みが生まれる。『英雄』に敬遠されたなんて噂が立てば、ひどいことになる。お勧めしない。……これも仕事だから我慢して」

「これが仕事?」

「……ここで一つ挨拶するだけで、千の金貨を超える利益を生む場合もある。一人顔見知りになるだけで、千の人脈が繋がる場合もある。一つの契約が纏まれば、とある戦場で千の命が助かる場合もある。これもラウラヴィアに貢献するための立派な仕事」


 僕は経済というものに詳しくはない。

 しかし、それでもスノウの言っていることを薄々とは理解できた。

 理解できたからこそ、沈黙するしかない。

 

 つまり、『英雄』という存在は国益になるのだろう。だから、僕のような新参者でも『英雄』として――いや、金のなる木に祀り上げようとしているのだ。


 僕は数分の会話で手に入れた利益を手に、スノウへ聞く。


「この金貨、見たことないけど高いの……?」

「……連合国に出回っている金貨よりも、一つグレードが上。大陸の貴族たちが扱う神聖金貨。ここの金貨数枚分の価値はある」

「へ、へえ……」


 神聖金貨三枚を手のひらで転がし、僕は顔を引き攣らせる。

 おそらく、当初の目標であったマリアの治療費くらいならば、これだけで達成してしまっただろう。僕個人に宛ててのお金でないことはわかっているが、それでも、この法外な収入に冷や汗が流れる。


 僕としてはマリアと幸せに暮らせるだけの収入だけあれば、他に何も要らない。だが、いつの間にか、取り返しのつかないところまで来てしまったのではないかと不安になってしまう。


 そして、張り付いたような笑顔でスノウと僕に近づく新たな客人。

 それに対し、スノウと僕は張り付いた笑顔を強制される。


 その奥に控える人の列を見て、張り付いた笑顔が強張る。


 これから、僕とスノウは、この全てを捌かないといけない。

 その時間をイメージするだけで、僕は憂鬱になる。


 しかし、それを顔に出してはいけない。顔に出せば、目の前の客人に対し、失礼になってしまう。


 この舞踏会が『エピックシーカー』の仕事の中で最も辛いものであることがわかり、僕は心の中で大きく溜息をついた。



◆◆◆◆◆



 気の遠くなるような時間、作り笑顔を保ち続けて挨拶を繰り返した。

 その甲斐あってか、ようやく僕たちに挨拶するための列は途切れた。


 僕とスノウは一つ息をついて、互いに顔を見合わせる。


「やっと、一息つける……」

「……いや、まだあるよ、カナミ」

「…………」


 あっさりとスノウは僕の希望を潰して、大広間の中心に向かって歩き出す。

 僕一人では不測の事態に対応できないため、仕方がなくスノウの後ろを歩く。


 すると、一人の女性が歩くスノウに話しかけた。


「スノウ様……、こちらへ……」

「わかっています」


 スノウは軽く頷いて、女性のあとについていく。

 その途中、小声で僕に伝える。


「……これから、実家の人と話す。カナミは何もしなくていい」


 僕は無言で頷く。

 スノウの実家ということは四大貴族にあたるウォーカー家ということだ。そこまで位の高い相手となると、僕は何もしたくない。


 大広間の中央に近づくと、一際大きな人だかりを見つける。

 おそらく、その中心にいる人が――


「お久しぶりです……、お義母様……」


 その女性をスノウは母と呼んだ。

 しかし、見た限り、スノウとは全く似ていない。艶やかな金の髪を垂らしており、目つきは鷹のように鋭く、佇まいも物々しい。着ているドレスこそ似通ってはいても、全くの正反対の人間である。


「スノウさんですね……。今年に入り、あなたの名をよく聞くようになりました。どうやら、私の言葉を忘れてはいなかったようですね……」


 スノウの義母は穏やかでいて、とても力強い言葉で話す。


「もちろんです。ウォーカー家のために、この身全てを捧げる所存です」

「よろしい。あなたはそのためにいるのです。それを間違えることなく……」


 そして、久しぶりであろう母娘の会話はすぐに終わる。スノウの義母は、これで挨拶は済んだと言わんばかりに顔を背けようとする。


 これで実家への挨拶は終わりなのだろうか。

 大事にならないほうが僕は助かるとはいえ、余りにそっけない。


 そんなことを考えていると、スノウは顔を背ける義母に追いすがる。


「も、もうしばらくだけお時間を、お義母様っ。婚約の話です。知ってのとおり、ギルド活動で私は名をあげていっています。これから、ギルド『エピックシーカー』で偉業を成す確信もあります。……それでも、婚儀を急ぐのですか?」

「……ええ。……いちギルドの『名誉』くらいでは、何も変わりはありません」


 スノウの必死な訴えは、義母の冷たい言葉に切り捨てられた。


「……はい。……わかりました」


 顔を俯けてスノウは答える。

 そして、ウォーカー家の母娘は離れていく。


 見たままの距離ではない。

 スノウにとって、義母は遥か遠くに居るように見えた。


 一人残されたスノウは、笑顔を作って周囲を見回す。


「……グレン兄さんは、もう少しかかるかな」


 遠くの人だかりを見て呟く。


 そして、僕の方へ歩み寄ってくる。

 力のない歩みを見て取り、僕はスノウを心配して小声で話しかける。


 先ほどの話を聞く限り、スノウの悩みは――


「……なあ、スノウは結婚したくないのか?」

「……どちらかといえば、たぶん」


 スノウは否定しなかった。

 否定はしないが――


「はっきりしないな……」

「……はっきりと口にすれば大事になる。下手をすれば、取り返しのつかないことになる可能性だってある。だから、何事も曖昧にするしかない」


 確か、以前もシッダルク家をないがしろにしないよう苦心していた。

 スノウにはそういったしがらみが多いようだ。


「それでも、もっとはっきりと自分の気持ちを伝えたほうがいい。と思うのは僕が世間知らずだからか?」

「……そうだね。カナミは世間知らず。けど、だからこそ、きっとそれが正しいと思う」

「なら――」

「……でも、そう上手くはできない。自分で選択するのは怖い。責任を負うのが怖い。間違えるのが怖い。だから、どうしようもない」


 スノウは「怖い」と繰り返し、震える。


 普段の飄々としたスノウとは違い、思いつめた表情で怯えている。その弱々しい姿は、いつかの迷宮探索を思い出させる。シッダルクさんと『魔石線ライン』の工事をしていたときのスノウだ。


 《ディメンション》がスノウの精神状態を伝えてくる。


 間違いない。

 余裕のないスノウは、こんなにも弱い。

 普段の彼女は、余裕という名のメッキがかかっているだけなのだろう。スノウという人間の精神力は、同年代の女の子の中でも際立って弱い。


 ゆえに弱い彼女は、自分の義母に意思を示すことすらできない。

 自分の選んだ選択の責任に怯え、何も選択できず、流されるがままになっている。


「……はは、仕方がない。……諦めよう」


 そして、スノウは暗く笑って全てを諦める。

 そうすることが一番楽だから、物臭な彼女は諦めてしまう。諦めて、受け入れてしまう。

 

 ようやく、僕はスノウという女の子の生き方を理解した。

 以前から薄々と感じていたものが確信に変わった。


 スノウ・ウォーカーは人生の全てを諦めている。

 ただただ、楽な方に流されることしか考えていない。異常なまでに弱い心が、全ての選択を他人に任せきりにしている。

 そして、嫌なことを嫌とも言えないほどに自分がない。

 特に、上流階級の人間たちと付き合うとき、それは顕著に出る。エルミラード・シッダルクと迷宮探索したとき、そして自分の義母と向かい合ったとき、メッキが剥がれて弱々しいスノウが出てくる。

 

 ウォーカー家という特殊な立場。

 それに見合わぬ脆い心。

 それが交じり合った結果、いまのスノウになったのだろう。


 取り繕うことばかりで何も選択しない。

 ただただ、楽な方に流されるだけの女の子……。


 いまも、スノウは諦めて安易で楽な道を選んだ。

 望みを保つのが苦しくて、望みを捨ててしまった。 


 スノウは暗い笑顔を張りつけて歩き出す。

 僕は手を伸ばして、スノウを呼び止めようとして――


「――ふん、こんなところで会うとは奇遇だな。我が好敵手、『エピックシーカー』のギルドマスター」


 背後からの声に遮られる。

 その厄介な人物の登場に、僕は僅かに眉をひそめる。


「……こ、こんにちは、シッダルクさん」


 よりにもよって、このタイミングで上流階級の代表であるエルミラード・シッダルクが現れた。


「はあ……、相変わらずだな君は……。もう少し憎まれ口を言い返してくれないと、こちらも張り合いがない」

「あなたに憎まれ口を言い返すことがどれだけのことか、それを理解して欲しいんですが……」

「理解しているから言っているんだ。それをどう捉えるかは君次第だ」


 シッダルクさんは呆れたように「理解している」と言った。


 それはつまり、僕を罠にかけようとしていることを白状したのだろうか。それとも、単純に僕と憎まれ口を叩き合いたいのだろうか。


 ……《ディメンション》を強めに展開する。

 思った以上に、シッダルクさんから敵意を感じない。興奮しておらず、平常での発言だ。ならば、言葉通りに受け取って、次からは、それなりに憎まれ口を返した方が受けがいいのかもしれない。


 僕が難しい顔で思案していると、シッダルクさんは薄く笑って肩をすくめたあと、スノウに近づく。


「挨拶が遅れてすまない、スノウ。母君との挨拶はどうだったかい?」

「……シッダルク卿、御機嫌よう。はい、挨拶は……滞りなく終わりました」

「それはよかった。何にせよ、滞りなく進むことはよい事だ」

「そう、ですね……」


 スノウは隙のない笑顔を作り直し、シッダルクさんに対応する。

 しかし、その直前の姿を見ている僕は不安でならない。


 スノウは取り繕うのが上手い。

 おそらく、あの作り笑顔の奥では、相当弱っているに違いない。

 ただ、四大貴族の間に割り込めるほどの権威が、まだ僕にはない。


「――ああ、こちら紹介しよう。海上貿易で有名なコーフェルト家のカイン殿だ」


 そして、その流れのまま、また商家との挨拶が始まる。

 これがこの場の仕事とはいえ、もう一度あの苦行を味わうことに僕は辟易する。


 スノウも同じようだ。

 僕の《ディメンション》が、ぴくりとスノウの眉が動いたのを見逃さない。


「お初にお目にかかります。わたくし、南のグリアードで香辛料を商わせてもらっている――」


 紹介された男は一歩前に出て、スノウに礼をする。


 僕は嫌な予感がして、その男の後ろに目をやる。そこには当然のように、こちらの様子を窺う列ができていた。下手をすれば、先ほどよりも多いかもしれない。

 

 僕とスノウは内心を隠しつつ、紹介される人たちと挨拶を交わしていく。

 商人だけでなく、他国の貴族たちとも顔を合わせる。大陸の新興貴族や、遠国の大貴族がウォーカー家・シッダルク家との接点を求めているようだ。


 ことのついでに僕も紹介されるので、堪ったものではない。

 堪ったものではないが――スノウの心労は、それ以上だろう。


 先ほどの義母とのやり取りで、かなりのショックを受けていたのは間違いない。本当ならば、どこか静かなところで休憩しつつ、元気付けてやりたいところだ。

 しかし、そこにこうも立て続けに人がやってきては、心が休まる暇もない。


 そして、多くの人たちとの挨拶が終わり、あと少しで解放されるところで新たな話題が投下される。


「――では、エルミラード・シッダルク卿とスノウ・ウォーカー様のご結婚が決まりつつあると?」


 《ディメンション》を使わなくてもわかる。

 スノウの表情が一瞬だけ固まった。


「ああ、そうだね。スノウはその才気から多くの婚約者候補を抱えていたが、いまは僕一人に絞られているのは間違いない。そうだろ、スノウ?」


 シッダルクさんは話題を止めることなく、スノウに振っていく。


「え、あ、はい。そうですね……」


 スノウは作り笑顔のまま答える。


「おお、それは大変めでたいことです。ならば、我が商家からはお祝いを用意しなければいけませんね」


 そこに一歩引いていた他の人も話に加わってくる。お祝い事であれば、複数で話を盛り上げるべきだと判断したのかもしれない。


 シッダルクさんはそれを咎めることなく迎え入れていく。


「はははっ。しかし、まだ正式に決まったことではありませんので、ご容赦を。ただ、時期を合わせて頂ければ歓迎しますよ。せめて、『舞闘大会』を過ぎてからでないと……。確か、その時期だったよね、スノウ」

「あ、はい」


 スノウは短く返事する。

 様々な目論見を持った商人たちに囲まれていき、スノウの表情は徐々に暗くなっていく。


「はは、なるほど。少し気が早かったようですな。では、正式に婚約が決まった際には、我が商家に一報を。結婚式に合わせて、わたくしたちも多種多様な商品をご用意しましょう。……スノウ様、いまのうちに必要なものがあれば仰ってください。わたくし共が全力をもって用意させていただきますので」

「そ、そうですね……。えっと……」


 見るからに辛そうだ。

 いや、正確には《ディメンション》で見るからに、だ。

 スノウの作り笑顔は見事だが、僕から見れば不調は明白だった。


 ――これ以上は見ていられない。 


「お待ちください」


 僕は静かだが、よく通る声で制止をかけた。

 その一言で、周囲の人たちは僕に注目する。


 商人たちも、貴族たちも、その全てが僕の言葉に動きを止めた。

 僕は胃を痛めつつ、やってしまったもの仕方がないと思いながら言葉を続ける。


「婚約者が絞られつつあるとはいえ、お二人のご結婚はまだ決まっていないことです。まだ決まってもいないことで、スノウ様の心労が増すような発言は控えて頂きたい」


 はっきりと、僕は「余計な真似をするな」と周囲に言った。


「……え?」


 スノウは驚き、


「なっ……」


 周囲は戸惑い、


「……へえ」


 シッダルクさんは感心した。


「どうやら、スノウ様はご気分が優れないようです。道を空けて頂けると助かります」


 僕は丁寧な物言いながらも、周囲を威圧しつつスノウの手を引く。

 スノウは口を開けたまま、なされるがままに歩く。


 話を遮られた男は、怒りの表情で僕を睨む。

 それを受け流しながら、僕は大広間の隅に移動する。そして、側面の扉からバルコニーへ移動する。《ディメンション》で誰もいないことは確認する。


 外は肌寒く、月が照らす夜空の下には僕とスノウだけだった。


 僕は『持ち物』から敷物を取り出し、石造りの長椅子に引いたあと、スノウを座らせる。

 そして、手に額をあてて心配する。


 『注視』すれば状態はわかるものの、精神の疲れまではわからない。原始的な手段でスノウの状態を測るしかなかった。


「大丈夫?」


 スノウは軽く頷く。


「……大丈夫。でもカナミ、いまのですごく印象が悪くなったよ」

「そうだね」


 僕も軽く頷き返す。


「……向こうからすれば、千の金貨を儲けるチャンスを潰されたようなもの。カナミも千の金貨を儲けるチャンスが潰れた。……誰も、何もいいことはない」

「あのな……。スノウは迷宮探索のパートナーだ。スノウを助けるのに、立場や金貨の計算なんてするわけないだろ……」


 冷静に損益を計算するスノウに苛立ち、僕は強い口調でスノウを咎める。

 それを彼女は、とても嬉しそうに受け入れた。


「……そう。……ありがと。カナミはすごいね。私にはできないことをやれる」


 スノウは出会ってから一番の笑顔を見せた。

 心底嬉しそうに笑い、そして僕を褒める。


 損益を無視して、恨みを買った僕を尊敬しているようだ。


「とにかく無理するな。辛いときは誰かを頼ればいい」


 僕は自然と答えを返した。

 スノウのように、一人で我慢しているやつを見るのは不快だった。「誰かを頼れ」と思ってしまう。


 その結果、こんな行動に出てしまった。

 反省はしているが、後悔はしていない。


 その言葉に対し、スノウは目から鱗が落ちたような顔を見せる。

 

「……そっか」


 それはまるで、人生で初めてのモノを見つけたかのような表情だった。


 そして、僕の言葉を噛みしめるように何度も頷く。

 スノウの頬は紅潮し、目元は潤んでいた。


 月明かりがスノウの綺麗な長髪を照らす。夜空の下でラウラヴィアの街の灯火が輝く。天然のショーライトを浴びるスノウは、この舞踏会に参加する誰よりも美しかった。

 この美しい少女を助けられてよかったと、僕は心の底から思う。


 スノウは星の輝く夜空を見上げ、ゆっくりともう一度呟く。

 

「そっか……」


 その呟きは夜に吸い込まれて消えた。



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