190.千年前を繰り返す
昨日の夕方から次の日の朝まで、僕は延々と次元魔法を開発し続けた。
無茶な魔法の試行錯誤を繰り返したせいか、全身を倦怠感が支配し、定期的に脳へ痛みが走る。だが、全力の魔法と短時間の睡眠を繰り返したことで、間違いなく新たな次元魔法の形は見えてきた。
MPは空になったが、新たな文字がスキルの『表示』に浮かぶ。
【魔法】
次元魔法:ディメンション1.69 コネクション1.03 フォーム1.07
『表示』が認める完成度に至った魔法は《ディフォルト》だけだった。
《ディフォルト》の効果は次元に断層を作ることだ。
そして、それに近い魔法を僕はもう使っている。規模は違うとはいえ《フォーム》も、次元に断層を作って泡の形を成している。
かつてローウェンと戦ったとき、《フォーム》を強めて距離感を崩したことがある。あの即興魔法の完成度を上げるだけで《ディフォルト》は習得できたというわけだ。
もちろん、魔力消費は《フォーム》と比べ物にはならない。
いまの僕が《ディフォルト》を使えるのは数回だけだろう。
『始祖カナミ』のように戦闘で多用するのは、まだ無理だ。
そして、習得できなかった他二つの魔法は《ディフォルト》以上に魔力消費が激しい。試行錯誤するだけでも、魔力と体力を大幅に削られる。一晩の猛開発によって雛形の魔法を扱えるようになったものの、実践レベルには程遠い。
《トルシオン》は次元の花は作れど殺傷力が低く、《ディスタンスミュート》は無機物の中に人差し指を入れるのにも難儀する。
とはいえ、それでも前進はしている。
普通ならばありえない速度では魔法を習得しているのは間違いない。そもそも、地上での一般常識では、新たに魔法を編み出すのは不可能となっているのだから。
ただ、よくよく考えれば、これは昔使っていた魔法を思い出しているだけとも言える。魔術式が血に刻まれているから、こうも魔法開発がスムーズなのかもしれない。
その仕組みを考えれば、陽滝の身体を使ってる以上、僕も氷結魔法を使えるはずだった。
しかし、『水の理を盗むもの』の魔石がないため、才能は完全に抜け落ちている状態だ。
いくらか氷結魔法も試したが、結局一度も成功しなかった。魔法構築の難度は次元魔法のほうが難しいにもかかわらずだ。
おそらく、僕の身から出る魔力属性のせいだろう。いまは本当に次元属性一色の魔力だ。
どうにか、次元属性の魔力で氷結魔法を使う方法を見つけらればいいのだが、それは次元魔法を極めてからになるだろう。
「できれば《
汎用性に置いて、あの冬の魔法を越えるものはないだろう。
それほどまでに僕は《
思えば、あの魔法ばかり使っていた傾向があった気がする。無意識レベルで、
「ないものをねだっても仕方ないか。いまある手札で戦わないと……」
後ろ向きになるのは避けて、顔をあげる。
今日から街で仕事をしなければならないのに、沈んでなんていられない。
すぐに同じ部屋で寝ているライナーを起こす。
ライナーは眠い目をこすりながら、ベッドから起き上がる。昨日、ロードを僕から遠ざけるために奔走したためか、疲労が溜まっているように見える。
ロードは街の外でも騒がしく、ことあるごとに城にこもる僕の様子を見に行こうとしたため、遠ざけるのに難儀したらしい。
だが一言も愚痴をこぼすことなく、黙々とライナーは仕事の支度を終える。どんな体調であろうと仕事を休むまいという気概が見て取れる。彼の性分もあるだろうが、それ以上にお金を貯めなければならないという強迫観念もある。
いま、僕たちの所持金は僅かだ。
貧乏暇なし。暢気に眠り続ける余裕はない。
早くお金を貯めて、迷宮で食べる保存食を揃えないといけない。
おそらく、六十六層から地上までの道のりは、日を跨ぐ長旅になる。
基本的に一層攻略するだけで数時間―道がわかっていても丸一時間かかる。単純計算でも六十六時間――約三日ほどかかる。
そして、その間も水と食料は消費され続ける。
安全を期すならば、一週間分の食料を『持ち物』に入れて、帰還には挑戦したい。
生活費だけでなく保存食を揃えるためのお金も稼がなければ、いつまで経ってもここから出られないわけだ。
仕事は基本的に日当の出来高制と言われたので、仕事をするときは僅かな隙も見せられない。難癖をつけられて、収入が減るのだけは避けたい。
僕とライナーは気合を入れ直して、城の大庭に出る。
そこには僕たちを待っているロードが佇んでいた。
丁度、解けた長い髪を結い上げようとしているところだった。
その光景を前に、一瞬だけ僕とライナーは言葉を失う。
生い茂る深緑の木々の下で、ロードの髪が木漏れ日を反射して翠に輝いていた。それは、絶対に元の世界では見られない光景だ。その
そう、幻想的――幻のように美しいという言葉が頭に浮かぶ。
髪を下ろしていた彼女の姿は、ポニーテールのときとはまるで印象が異なる。
快活な女の子ではなく、深窓も深窓――王族の令嬢と見紛うほどの淑やかな色気があった。いつもより目元は涼しげで、結い上げる仕草から気品を感じる。
何より驚いたのが、こちらのロードのほうが板についているということ。
自然体のロードは、まるで大国の王女のようだった。
しかし、すぐにその印象は霧散する。
僕たちの接近に気づき、ロードはだらしなく口元を緩ませてこちらを見た。そして、結い上げた髪を尻尾のように振って、お淑やかさの欠片もない動きで駆け寄ってくる。
「あっ、起きたみたいだねー! おっはよ! かなみん、ライナー!」
その急変に僕たちは困惑しながらも、なんとか「おはよう」と挨拶を返す。
「それじゃあ、仕事に行こうか。えっと、かなみんはレイナンドのじーさんのところだね。昨日の内に
ロードは陽気な街娘のように小首をかしげる。完全にいつものロードだ。そこに王妃のような存在感は微塵もない。
気を持ち直したライナーは計画通りの返答をする。
「あ、ああ、大丈夫だ。キリストにろくな攻撃魔法がない以上、一刻も早く僕が強くならないといけないからな。正直、つきっきりで魔法を教えて欲しいくらいだ」
ライナーは注意を引くため、自分が迷宮クリアの本命であるアピールをする。
「うんうん、いい心構えだね。魔の王とまで呼ばれちゃった
「いや、僕はいいよ……。魔石が抜けたせいか、少し身体の調子が悪いんだ。お金のために仕事はするけど、それ以外は城でゆっくりするつもりだよ」
「え? 調子悪いの? 風邪でも引いた?」
不安げにロードは、僕の額に手を当てる。
そこには悪意も打算もなかった。純粋に僕を心配している。
だが、僕は心を鬼にして、スキル『詐術』を続ける。
アルティのときのようにモンスター扱いして避けまではしないが、少なくとも地上を出るまでは、彼女の狂気を刺激してはいけない。
「いや、風邪じゃないとは思う。少しだるい程度だから、気にしなくていいよ」
「そう? でも、何かあったらすぐ言ってよ。流石に病気のときは意地悪しないから」
「……意地悪してる自覚はあるんだな、ロード」
「あっ、いまのなし。なしなし。
失言に気づいたロードは子供のように言い張る。
それに苦笑しながら、僕たちは城から街へと出て行く。
路中、すれ違う街の人たちが手を振ってくれる。どうやら、昨日の内にロードが話を広めたようだ。新たな隣人である僕たちを歓迎し、何か困ったことがあれば力になると暖かい声をたくさん頂いた。
ただ、僕とライナーはすぐにでも去るつもりなので、少しばかり居た堪れなくなった。それでも、僕たちは最後まで笑顔を保つ。街の人たちとの交流も、迷宮攻略には大切だ。
こうして、街の暖かさに見守られながら、まず僕がレイナンドさんの家へと辿りつく。
また猫耳の少女が庭で遊んでいるのを見つける。彼女も僕たちを見つけ、尻尾を振りながら近寄ってくる。
「あっ、本当に来た! みなさん、おはようございます! ロード様、お爺ちゃんなら、また中だよ!」
「おはよう、ベス。けど、すぐに
「え、うちで働いてくれるのって、騎士団長様なの?」
「そうだよ。いわば、君の家の使用人――いや、執事だ! ばしばしこき使っていいよ!」
「わぁ!」
適当なことをロードが吹き込むせいか、ベスちゃんの僕を見る目が大変なことになっていく。
勘違いを正すためにも、僕は一歩前へ出て自己紹介する。
「えっと、よろしくね、ベスちゃん。ここで鍛冶仕事を手伝うことになった相川渦波だよ」
「あ、は、はい……! よろしくです、騎士団長様……」
ベスちゃんは顔を赤くして俯いた。ロードに見せる快活さは失われ、恥ずかしそうにもじもじと縮こまる。
「様づけなんていらないよ。もっと楽に呼んでくれたらいい。でも、『かなみん』という愛称はお勧めしないかな。あれはそこの馬鹿が勝手に言っているだけだからね。できれば、呼び捨てにして欲しいかな」
「いえ……、呼び捨てなんてできません。だって騎士団長様は騎士団長様ですから!」
なぜか、頑なになってベスちゃんは首を振った。
この年くらい女の子ならば、呼び捨てのほうが楽だと思ったが、それは僕の計算違いだったのだろうか……。
「でもその呼び方、面倒じゃない?」
「少しも面倒じゃありませんから大丈夫です! ……それに何て言えばわかりませんけど、騎士団長様を見てると騎士団長様しかないなーって思うんです。胸のところがきゅーとなって、それ以外の呼び方はいけないなって気がするんです」
ベスちゃんは自分の胸に両手を当てて、理解しにくいことを言う。
その気恥ずかしそうな態度から、年上の男性への憧れでもあるのかと思った。しかし、そうでないと確信できる違和感が、確かにそこにはあった。
まるで、自分の中に自分でないものが混ざっているような……。
その正体を見つけるため、さらに追求しようとしたところで、ロードが間に入る。
「むふふ……。相変わらず、かなみんってば罪な男だね! こんないたいけな少女の心を惑わすとは!」
「待て、変な言い方はよせ。これから僕はこの子のお爺さんと仕事をするんだぞ……!」
「けど、それ以外に考えられない様子じゃん! ほら、もっとかっこいい台詞言ってあげなよ! 昔みたいにさ!」
「え、昔みたいにって、どんな風にだよ……?」
「え? うーん……。思春期と反抗期をこじらせすぎたシスコン復讐者っぽく?」
「それなりに考え込んで、それでもそんな感じの答えが出るのか。本当に何やってんだ、昔の僕は……」
その『始祖カナミ』の滑稽すぎる評価は、意外にショックだった。
「え、ええっと、では騎士団長様! お爺ちゃんのところへ案内しますね!」
気落ちしている僕を見かねたベスちゃんが、手を引いて家の中へと促してくれる。
無駄話は切り上げ、ロードとライナーは手を振って僕を見送る。
「それじゃあ、ごゆっくり!
「行ってくる、キリスト。あとは任せろ」
ライナーは真剣だった。
自分の仕事を全うせんとする気迫がそこにある。ロードのことはライナーに任せれば大丈夫そうだと感じ、一安心する。
そして、僕はベスちゃんに手を引かれ、家の中へと入っていく。
前を歩くベスちゃんの横顔は赤くなっているままだ。しかし、特に彼女に対して何かをした記憶はない。こうも照れられる理由が全くわからなかった。
ロードのいない内にそれを聞こうとしたが、すぐ工房へと辿りついてしまい、タイミングを逸する。
「それじゃあ、騎士団長様! お仕事、頑張ってくださいね!」
逃げるようにベスちゃんは去っていた。
結果的に工房の中で待っていたレイナンドさんと二人きりになる。静寂の工房での中、仏頂面のレイナンドさんが僕を睨んでいる。
「坊主、うちの孫娘に何かしたのか……?」
僕とベスちゃんの関係を怪しまれていた。当然だろう。僕だって妹がいまみたいに知らない男を連れてきたら、同じように詰問する。
「いえ、何もしてません。ほ、本当です。いや、本当の本当に」
そう答えるしかなかった。
たとえ、顔を真っ赤にされながら熱視線を送られ続け、果てには全力疾走で逃げられても、そう答えるしかない。本当に自己紹介くらいしかしていない。
「ふん。そう怯えるな。別に責めてはおらん。……そうか、
「は、はあ……?」
このまま尋問が何時間も続くかと覚悟していた。僕がレイナンドさんの立場なら絶対にそうする。だが、特に言い詰められることもなく、工房の奥へと招き入れられた。
そこで僕は工房の様子が昨日と違うことに気がつく。
まず部屋の温度がまるで違う。壁に設置された炉には火が入っており、その近くに一杯になっている水桶がいくつも置かれている。『エピックシーカー』で見た鍛冶場に少し近づいていたのがわかった。
そして、今日の仕事が楽に終わらないこともわかる。
「しかし、物好きなやつだ。まさか、ここで働きたいとはな。昨日、ロードから聞いたときは耳を疑ったぞ。鍛冶仕事は坊主が思っているよりきついぞ?」
「知ってます。けど、それでもここがよかったんです」
お金を貰いながら、迷宮探索に直結するスキルが手に入るからだ。スキル『鍛冶』が成長すればするほど、自分で迷宮に必要なものを自作できるようになる。単純に身体能力を伸ばすための力仕事と考えても理想的だ。
とはいえ、レイナンドさんの人柄を見て、直感的に決めた部分も大きい。なぜだか、このお爺さんは赤の他人だと思えないのだ。
「ふん……」
迷いなく言った僕を見て、レイナンドさんは鼻を鳴らした。
そして、すぐに工房の壁に立てかけられていた道具へと手を伸ばす。老体では間違いなく持てそうにない巨大な金槌を軽く持つ。
その光景にぎょっとする。
ステータスのおかげとはわかっていても驚いてしまう。
レイナンドさんは金槌を肩に抱えながら聞いてくる。
「それじゃあ、仕事を始めるか。坊主、鍛冶仕事をしたことはあるのか?」
「えっと、少しだけなら……」
「少しでもあるのならいい。どうせ、簡単な修理しかせん。そっちの部屋を見てみろ」
工房の中には別室へ続く扉がある。言われたとおりに扉を開けてみると、薄暗い部屋の中に鍋や鋏といった家庭で使う金物がたくさん放置されていた。どうやら、隣は倉庫として使われているようだ。
「それらは街の者たちに修理を頼まれたものじゃ。いまから、曲がった取っ手や空いている穴などを直す。いくつか持って来い」
「はい」
もう仕事は始まっている。駆け足で倉庫へ入り、言われた物を適当に取ってくる。
物を受け取ったレイナンドさんは、それを炉のほうへと持っていく。
「いまみたいな雑用が坊主の仕事じゃ。それじゃあ、始めるか――」
本格的に
以前、アリバーズさんの手助けをしたときを思い出しつつ、僕は動く。次元魔法の補助はないが、以前よりも目端が利くようになっているつもりだ。レイナンドさんの思考を読み、鍛冶場全体の流れを感じ、必要なものを工房から探す。
まず、途中で交換するであろう
それを見たレイナンドさんは、また鼻を鳴らす。
その癖は喜んでいるのか呆れているのかよくわからないので、少し怖い。
「ふん。少しはわかっているようだな」
褒めてもらった……と思う。
「僕にできるのは手助けする分くらいですが……」
「そこまでわかっているなら容赦はせん。――やるぞ」
レイナンドさんは老体に見合わない力強い動きで、鍛冶を開始する。
いまの僕はMP回復とお金貯めをするのが一番の目的だが、手を抜くつもりはさらさらない。先に考えたとおり、ここで少しでもスキルを磨いていくつもりだ。
ゆえに、レイナンドさんの技を一切見落とすまいと、その動きを目で追い続ける。
鍛冶の技術がアリバーズさんとはまるで違った。国と時代が違うのだから当然だが、それ以上に錬度も違った。
アリバーズさんには悪いが、やはり年の功というものがある。レイナンドさんはアリバーズさんよりも数段ほど高みに存在するということを、数秒ほどで実感する。
まず驚いたのが、鍛冶をしているというのに魔力が消費されているところだった。
レイナンドさんが金槌を振るたびに、魔力が奔っているのを肉眼でも見て取れる。よく観察すれば、金槌に魔術式が書き込まれていることがわかる。魔法道具と呼ぶに相応しい金槌だった。
鉄と金槌が打ち合わせられる瞬間、魔力が鉄へと染み込む。そして、鉄を補強するかのように魔力は網状となって張り付いていき、鉄が冷えると同時に定着する。
特殊にも程がある鍛冶技術だった。いや、これはもう鍛冶とは別の技術だろう。
僕にはスキル『鍛冶』がある。本当は手伝いどころか、一緒に金槌を振るえるつもりでここへ来た。それは不可能だとわかる。余りに技術に差がありすぎる。千年前の失われた技術の異様さに、僕は驚くしかなかった。
そして、なにより仕事が速すぎる。余裕なんて、全くない。
「――くっ!!」
「次を早く持って来い、坊主!」
熟練されたレイナンドさんの動きについていけない。無駄がないのはもちろんのことだが、基礎ステータスが高すぎるのも原因だ。その二つが合わさり、恐ろしい速度となっている。
僕は数分もしない内に、大汗にまみれていた。
レイナンドさんの望むものを用意し切ることができず、何度もレイナンドさんの怒号が飛んだ。懐かしい感覚だった。こうも叱責され続けるのは、ヴァルトの酒場で働き出したとき以来だ。
そして、自然と働きながら口元が緩む。
単純に仕事が好きというのもあるが、それ以上に予期していなかった幸運のせいで自然と笑ってしまう。
隣人の技術が高ければ高いほど、僕は強くなれる。ローウェンのお墨付きの『模倣することに特化した魔法使い』だからだ。
迷宮を攻略する上で、こんなにも嬉しいことはない。
競争心と物欲が、ふつふつと沸いてくる。レイナンドさんの技術に憧れ、胸が高鳴り、心から欲しいと思った。
それはかつて、セラさんやローウェンの剣術を見たときに思った感情と同じだ。
高次元すぎる技術は一種の芸術だ。それをいまの僕は理解することができて、追いかけることもできる。
笑みがこぼれないわけがない。
だから僕は、必死になってレイナンドさんの鍛冶を手伝う。
スキル『並列思考』は妹に持っていかれたため、思考の余裕はない。ただただ、夢中に追いかける。とはいえ、以前よりも僕の動きが劣っているかというと、そうでもない。レベルアップにより『賢さ』が上がっているおかげか、判断力は冴え渡っていた。仕事をするのに問題はない。
やはり、スキル『並列思考』は余分な力であったことを再確認する。むしろ、過剰な思考の空きができてしまい、余計なことを考えすぎて裏目に出ることのほうが多かった。
スキル『並列思考』の喪失に関してだけは、弱体化でなく強化と考えたほうがいいのかもしれない。
レイナンドさんとの仕事は、鍛冶だけでなく、僕自身の力を見直すための良い機会になってくれていた。
火炉の中からオレンジの光が漏れる。その熱を切らさないように、僕は乾いた木材を常にくべ続ける。ふいごを使って風を送り、どこまでも温度を上げていく。
細かな温度調節は任せて貰えないが、その間も集中力は切らさない。度重なる熱戦を超えてきたいまの僕ならば万を超える温度も、小数点以下で把握できるからだ。おそらく、レイナンドさんもそのレベルに至っている。至っているからこそ、スキル『鍛冶』3.12だ。専門家の上限を超えた人間国宝レベルの感覚が、炉と鉄と部屋の熱全てを把握しているとわかる。
レイナンドさんが槌を打ち、焼入れの水に鉄を浸ける。その繰り返し。
倉庫の中の金物がどんどん修理されていく。
同時に、すぐ工房の中が大量の滓と埃でまみれていくので、小まめに僕が箒で掃いていく。その間も、視線はレイナンドさんから外さない。
冷やす工程の中に、僅かだが魔法が使われていた。単純な温度調節のための火炎魔法と水魔法だけでなく、鉄の強度に作用する地魔法も構築されているように見える。多種多様な魔法が織り成され、ただの鍋やおたまが上位の存在へと昇華されていく。
ゲームならば『改』とか『+1』とでもつきそうな勢いだ。
もしかしたら、名前が『魔法の鍋』にでもなっているのではないかと思い、修理された鍋を『注視』する。
【レイナンドの鉄鍋】
丈夫な鉄鍋。
『神鉄鍛冶』の技術により、高位の存在に昇華している。
なんだか伝説の武器っぽい注釈が書かれていた。
そして、少しだけ『表示』の法則性が見えてくる。一定以上の技術が施されてしまえば、アイテムの頭に手を加えた人の名前がつくようだ。
流石にゲーム好きな僕とはいえ、『改』とか『+1』なんてつけるのを控える良識はあったようだ。
こうして、いくつかの金物にレイナンド印がついたのを確認したところで、小休止が入る。年のためか、丸一日槌を振り続けるほどの体力はないようだ。
汗をぬぐいながら水分補給しているところで、僕はレイナンドさんに聞く。
「あの、魔法道具とか武器とかは作らないんですか?」
その鍛冶技術は凄まじいが、日用品ばかりなので少しだけ不満があった。
「……注文がないからな。あったとしても生活用の魔法道具くらいだな」
「この街では武器の需要がないんですか?」
「需要はあった。だが、需要のある場所に、いまは誰もおらん」
誰もいないと聞いて、僕は自分が住んでいる城を思い出す。
「えっと、それは『魔王城』のことですか……?」
「ああ、『ヴィアイシア城』のことだ」
「あ、正式名称はヴィアイシアって言うんですね」
「どちらも正式名称になってしまった。気にせんでええ」
レイナンドさんからはロードとは少し違った情報が得られる。
続きを知ろうと話を進めるが、
「なぜあの城に誰もいないのか、その理由をレイナンドさんは知っているんですか?」
「…………。……坊主、休憩は終わりだ。それを教えるかどうかはこれから決める」
「あ、は、はい」
にべもなく打ち切られる。
レイナンドさんは立ち上がり、また鍛冶へと戻る。
仕事中なので、自分本位の無駄話を続けるわけにもいかず、僕も立ち上がる。
そして、また倉庫から壊れた金物を取り出し、僕たちは修理を繰り返す。
もし僕のレベルが低かったならば倒れていると確信できるハードな仕事量だった。ダンジョンのように高温の工房では、常人ならば立っていることすらままならないだろう。
しかし、レイナンドさんは容赦なく、僕をこき使い続けた。
技術を盗ませてもらいっているので、文句は言えない。
日が暮れる夕方まで、僕とレイナンドさんは鍛冶をし続けた。
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