509.本当の『未練』
湖凪さんを前にして、息を呑む。
ただ、そんな僕と違って、彼女の表情は明るかった。
思い出の姿のまま、笑って話しかけてくれる。
(約束したでしょう? 私はカナミ君の前からいなくなったりしません。これからは『みんな一緒』と言いましたわ)
かつて聞いた声と、全く同じだった。
あの最初の約束が繰り返されて、僕の頭の中に様々な言葉が巡る。
後悔に謝罪、弱音に逃避――
その中から一つ、僕は選び取って、頷く。
「うん……、湖凪さん。君のおかげで、ずっと僕は独りじゃなかった。……ありがとう。もう絶対に君を『なかったこと』にしない」
これまでのことを感謝して、これからのことを約束した。
それは本当ならば、あの葬式の日に誓うべきだったこと。
ずっと彼女に言えなかった心の内を、やっと僕は口に出来ていく。
「生まれてこなければ良かったなんて、もう口にしない……。自棄にもならないし、二度と自殺だってしない。君のおかげで、ここまで僕は来られたんだから……、君の分まで、必ず生き抜く」
顔は涙で濡れているけれど、しっかりと湖凪さんに向かって笑い返してみせた。
彼女を死に追いやりながら「おかげで」「君の分まで」と言うのは、いまでも邪悪だと僕は思っている。ただ、それだけじゃないとも、今日の『終譚祭』で知ったからだ。
これまでの思い出も纏めて、全ての始まりだった湖凪さんに伝えていく。
その誓いの言葉を聞いた彼女は、わざとらしく「むむむ」と唸ってから、さらに明るい顔を見せてくれる。
(ふふっ! やっとカナミ君の前向きな言葉が聞けて、私も『安心』ですわ! ……一時は、私から逃げて、名前すら忘れて……、ほんとにもう! 本当にもうっ、カナミ君は! という感じでしたが、許してあげます! ただ、その代わり! これからは、かなちゃんって呼ばせて貰いますから!)
懐かしい愛称を使って、僕の間違いが許されていく。
当たり前だが、本当に『安心』できるのは僕のほうだった。
長年の心の穴が埋まっていく。
ただ、
都合のいいことだと思う。出来過ぎているし、『理想』過ぎる。
もう僕の『魔法』の影響は消えていても、この言葉が『作りもの』か『本物』かまでは――
と悪癖で、僕が複雑そうな笑顔で考えていると、彼女は「本当に面倒くさい! ですが、かなちゃんらしいですわね」と呆れて、視線を少しずらした。
(その『答え』は、もうかなちゃん自身が選び終えていますわ。その握った手が、『証明』なんでしょう?)
僕の右手を見て、にこりと笑いかけた。
その握った先にいるのは、僕が『異世界』を生き抜いて、ついに手にした大切な人。
――たとえ『作りもの』でも『本物』でも関係なく、大事な『たった一人の運命の人』。
だから、もう僕は悩むことはなかった。
右手を強く握って「うん……」と、子供の頃のように短く、彼女にお礼を伝え切る。
それを湖凪ちゃんは嬉しそうに受け止めた。
それから、視線を次へと向けていく。
(そういうことですわ! ということでっ、もうかなちゃんは心配要らなさそうなので……、次は陽滝さん! あとは全力で、私は陽滝さんを応援しますわー! この湖凪お姉様が、ここから見てますわよー! 頑張ってくださいー!)
僕が千年以上かかった悩みは、一分もかからずに終わってしまった。
なので、湖凪さんは激戦が繰り広げられている後方を見始める。
その先で戦っている妹へ向かって、彼女なりの精一杯の大声を張り上げた。あとなぜか勝手に「お姉様」と名乗ってもいた。
そして、その声援は、しっかりと陽滝まで届く。
全力の《フリーズ》で百以上の『魔獣の腕』を凍らせていた妹が振り向いて、ありえない奇跡に驚き、一旦戦いを中断してしまう。
咄嗟に相棒のティアラを抱えて、ノイから少し距離を取った。
その安全圏から、いま僕が見て聞いているものを、彼女も見て聞く。
(陽滝さん、どうでしたか? ちゃんとどこかにあなたと『対等』な――いえっ、あなたを超えるお友達はいたでしょう!?)
湖凪さんは自慢げに「だから、予想勝負は私の勝ち!」とふんぞり返っていた。
その姿を見て、陽滝は目尻に涙を浮かべる。
かつて何度も負けても、死ぬまで勝負を挑み続けてくれた彼女は、その記憶に深く刻み込まれているのだろう。
その心から慕っていた先輩が言った通りの未来のまま、陽滝は自分の隣で照れているティアラの手を、右手で強く掴んだ。そして、僕と同じく、負けて得られた大切なものを握りしめてから、「はいっ、湖凪
陽滝は涙を振り切って、ティアラと共に戦いへと戻っていく。
それを見届けた湖凪さんも、陽滝と同じように目尻の涙を拭って、清々しい顔で呟く。
(……はあ。これでもう、私にも『未練』はありませんわね。本当に良かったです。最後に、ちゃんと約束を果たせて安心しましたわ)
「約束を、果たした……?」
思い当たらず、僕は聞き返してしまう。
なにより、『未練』という言葉が、湖凪さんに似合わない言葉だと思った。
ただ、彼女は自分も僕たちと変わらないというように、交互に兄妹を見ながら説明してくれる。
(ええ、約束していたでしょう? いつか、あなたたち兄妹と三人一緒に……いや、『みんな一緒』に遊ぶと! ……話したのは、かなちゃんじゃなくて陽滝さんとでしたっけ? まあっ、とにかく、約束していたのですわ! こんな『みんな一緒』の時間を!!)
三人一緒に遊ぶというのは、陽滝と約束したのだと思う。
『みんな一緒』というのは、僕と夕方の教室で約束したこと。
その兄妹との約束を、彼女は気にしていたようだ。
そして、その約束が果たされたことで、100層の光景を観て、心から楽しんでいく。
(ずっと、こうやって……、三人で
釣られて、僕も視線を向けて、目を凝らしていく。
もう余り気にしていなかった100層の戦場だが、湖凪さんに言われて注意深く、観直した。
確かに、現代人の彼女に
。
戦いのフィールドは、迷宮100層の無限に続く昏き浅瀬と海。
だが、天上から射し込む白虹の陽でとても明るく、遠くでは規格外で派手な大魔法がたくさん飛び交う。
ただ、遠くと言っても、距離の概念は完全に歪んでいる。遠いはずなのに、すぐ目の前で全てが見えるのだ。それはまるで、ディスプレイに映った美麗なワンシーンに、目と心を奪われてしまったような感覚。
その遠く身近なフィールドで、不思議な黒紫の暗雲が広がっていて、ファンタジー世界でお約束な属性魔法たちが対抗している。
特に激しく目立つ三色は、深紅の火炎魔法、紺碧の氷結魔法、白翠の風魔法。
最上級魔法と呼べるほどに、神々しいエフェクトたっぷりで煌めいては、視界一杯に次々と瞬いていく。ときには弾けて、押し寄せてきて、衝撃が僕たちの背中まで通り抜けていく。
もちろん、攻撃魔法の他にも、光や神聖の回復魔法も残照のように柔らかく暖かく広がっていた。闇や木の補助魔法も、あちこちで蛍の光のようにたくさん灯っていく。
『理を盗むもの』の使う魔法は、どれも極みと言っていい。
それは単純な力の話だけでなく、美しさも。
その極限の魔法の数々に、馴染みのない湖凪さんは大層喜んでいた。もちろん、彼女の
それでも確かに、派手なファンタジー映画かゲームのようで楽しいという感想を抱けるのは間違いない。
なにせ、僕も同じだった。
目の前の戦いが、色んなゲームでよく戦ってきた
『矛盾』しているかもしれないが、いま確かに僕は100層を身近な現実として感じながら、ゲームとしても楽しめていた。
……ただ、思えば、ずっと
『元の世界』と比べたら、ずっと『
頑張ったら頑張った分強くなれる平等な魔法の世界でいてくれた。
いや、僕は贔屓されていたか。その優遇された全てを利用して、才能ある仲間たちと共に、僕は『最深部』まで挑戦し続けた。その『冒険』の日々は本当に、大好きだったゲームのようで……。やっと、僕を含む『理を盗むもの』たちの『試練』を全て乗り越えて、一つの真実を見つけられた気がした。
「あ、あぁ……。そうだね、湖凪さん……。ずっとそうだったんだ……」
だから、いま、本当の『未練』が解消されていく。
僕の身体に掛かった『不変』も途切れていく。
そう確信できるのは、目の前で広がる最後の戦いの光景――の『過去』と『現在』の違い。
いま、この最後の戦いを一番後ろから見ていると、『過去』に暗い部屋で見つめ続けた画面を思い出して仕方ない。
幼少の頃、僕は何度もラスボスとの戦いを繰り返しては、いつも負けていた気がする。僕が負け続けるから、隣で一緒に見ていた妹の陽滝はしょんぼりとして、いつも残念そうな顔ばかりだった。
しかし、今日は違う。
集まってくれた仲間たちの背中を見ていると、勝利の予感しかないのだ。
さらに『本物の糸』を通じて聞こえてくるみんなの声が、その自信に拍車をかける。
いま丁度、使徒ディプラクラが100層の浅瀬に、新たな大魔法陣を張り直したところだった。
それに呼応していくのは、仲間たちの
千年前の終わりのように、仲間であるはずの『理を盗むもの』がバラバラじゃない。
『過去』も『現在』も関係なく、みんなが協力して戦う為の声を掛け合い続ける。
その心地良い
それだけで、もう僕は――
「――いま儂とティーダで魔法陣を作ったぞ! だが、その前に気をつけよ!」
「ああっ! そっちに暗雲が大きく広がってる、そこのマリア二人!」
「世話焼きに言われずとも、分かってるさ! すぐに二人で燃やし尽くす!」
「炎の壁を作ります! ローウェンさんたちは一旦下がってください!」
僕は見る。
新たな魔法陣を守る為に、防御壁の魔法が綺麗に合わされていく。
前衛の位置取りも、その展開に合わせて、阿吽の呼吸で変わっていき――
「了解! だが、下がる前にもう一度、空を斬らせてくれ! そこの
「あ、ああっ! 見てるぞ、ローウェン・アレイスさん! 本当にすごい剣だ!!」
「……ローウェンって、アタシよりもディアお姉ちゃんみたいな娘が好みだよね。孤児院で剣を教えてたときから知ってたけどー」
「おや、これは……。ちゃんと乙女な子も、
位置取りは上手く変わらなかった。
しかし、それでも全員が楽しそうに、お互いの足りないところを補助し合っていく。
だから、いつでもみんなの立ち位置は十分過ぎて――
「くははっ! そうだああぁっ、シッダルクゥ! みんな繋がっていたんだ! たとえ、血は繋がっていなくても! だから、いいんだよなあ! ちゃんと仲間がいるってのは本当にいいなあぁああ! なああああ、みんなぁあああ――!!」
「いやー、引くぐらいノリノリな騎士っすね。あと私が近づくと、そこの『血の人形』さんが睨んでくるのはなんでっす?」
「くははっ。間違いなく、清掃員はおまえが大嫌いだからな。俺と同じ殺人鬼のくせに、ファフナーの心を一杯占めてるせいだ」
「むむむっ。いま、ラブな話をしたか!? そういうのには、童も混ぜよ混ぜよっ! 実はおぬしらとそういう話が、ずっとしたかったのじゃ!」
十分過ぎるから、世間話をする余裕があった。
僕がそうであるように、みんなも戦いより『本物の糸』のほうが大事なのだろう。
いま、この瞬間が嬉しくて仕方なくて、だから――
「あっ、わたくしも混ぜてくださいませ!
「やっぱり、フランとティティーお姉ちゃんって波長合うよね。実は、ずっとそう思ってた……けど、いまはそれどころじゃないー! ――《ドラグーン・アーダー》!!」
「ええ、それどころじゃありません。こんなときに、色恋沙汰など……まあ、構いませんか。姉様が嬉しそうならば、もう自分はオーケーです」
「い、意外に激甘なのですね……。しかし、やっと楽しそうな姿を見られて嬉しいというのは、騎士である私も同感です。……では、ノスフィー様。そろそろよろしいでしょうか?」
だから、戦いでは真面目と思われる面々までも、その呑気な仲間に少し引っ張られていく。
きっちりと仕事しながらも、苦笑を浮かべては、仲間との協力と掛け合いを心から楽しんでいき――
「構いませんよ、我が至高の騎士セラ。こちらの防御も準備も十分すぎますから、自由にやりたいお馬鹿さんたちは自由にやらせて構いません。ですよね、私の妹ノワール」
「はい! この聖女様の妹である聖人ノワールに! この本当の聖人ノワールにお任せてくだされば、もう準備は万端! 先生とディプラクラ様たちの魔法にも合わせるつもりです!」
「おー、後輩が頑張ってるねー。ひひひ、この私から解放されて、うっきうきなんだね。これは元聖人として、負けられないなー」
「そうねっ、ティアラ! 使徒としても、あの子にだけは負けられないわ! 世界を救うのは私たちみんなよ!!」
楽しいから、ノイと戦っているはずなのに、勝ち負けは身内に対してばかり話されていく。
中でも、先ほど湖凪さんに見送られた妹は、中心にいるライナーを特に意識していた。
「ティアラが聖人かどうかは疑問の残る話題ですが……、確かに負けられませんね。そこにいるライナー・ヘルヴィルシャインには、なぜか特にそう思います」
「な、なんで妹さんは僕を睨むんだ。心当たりは……、なくもないか。僕も『対等』と思ってくれるなら、それに見合う姿を見せないとな……! みんなの力を僕に集めてくれ! また必ず、僕が束ね切る!!」
その戦いの光景は、
だから、視界が霞む。
眩しくて、直視できない。
「あ、あぁ……」
戦いを、しっかりと僕は見届けるべきだ。
そう分かっていても、100層の戦いよりも、『本物の糸』を伝う
その傾くままに、僕は自らの『未練』を認めていく。
「うん……。ずっと、これが欲しかったんだ……。『冒険』で失ってばかりと思っていた……。けど、手に入れていたんだ。それは本当に楽しくて……、安心できて……、大切だったもの……」
だから、
その身体の輪郭が薄らいで、魔力による『想起』の奇跡が解け始める。
『未練』を解消して、消えていく『理を盗むもの』たちと全く同じ現象だった。
言い切れば、消えるのだろう。
分かった上で、迷いなく僕は言い切る。
「湖凪さん……。
「ふふっ。……救えて、よかったですわ。ただ、これでお別れではありません。いなくなったりはしません……――、私たちの心は、ずっと一緒に……――」
彼女の
同時に、彼女が
いま、とても長い祈りが終わったのを感じる。
一つの奇跡も消えてしまった。
けど、まだ祈りも奇跡も、いなくなったりしていない。
ずっと一緒に在ると信じて、身体を動かす。
「本当にありがとう、湖凪さん。これで、僕の『詠唱』も終わりだ……。けど、『魔法』を発動させる前に、それを使う相手を湖凪さんに紹介させて欲しい……」
もう僕の身体に力は入らない。魔力も一切ない。
それでも湖凪さんに伝えたくて、繋いだままの左手をみんなに向けて、かざした。
特に、その中心にいる僕の騎士を自慢していく。
「あそこに……。あの中心にいるのが、ライナー・ヘルヴィルシャイン……。次の物語の『主人公』になる少年だ」
それは一つの宣言でもあった。
ただ、その宣言に呼応するのは、誰よりも
その言葉は特別だったのだろう。例の『切れ目』の奥から、その発言に対して、「本当にいいの?」という
その最後の確認に、僕は即答する。
「ああ、いい。もう分かってるだろう? 僕よりも、ライナーのほうが向いてる」
この戦いの間、ずっと『
だが、そろそろ一人に固めよう。
あの遠くに行ってしまった少女ノイを救うには、一人の少年に纏めて束ねないと、到底届かない。
「ただ、僕から
おそらく、『世界の主』を受け継いだライナーを、僕は見守り続けることはできない。
だが、
――その『
そう託したとき、ドクンッと。
100層で急に脈打ち出したのは、『最深部』まで届く大きな鼓動。
興奮しているのだろう。
『読書』するだけでなく、『執筆』することを薦められた
「そう……。これからは『貴方』も一緒に、物語を紡いで行こう……! ここまで一緒に『試練』を乗り越えてきた『貴方』だから、僕は信頼できる。その上で、もっともっとよく見て欲しい。あれだ……! あれこそが、僕の自慢の騎士ライナーだっ!!」
もう最後だ。
だから、せっかくなので、彼の素晴らしさを全力で
100層の脈打つ鼓動にも負けられないくらいに、僕もドキドキしながら――!
「最高の後輩なんだ! 憧れの格好いい友だちでもある! 凡庸のようでいて、非凡な全てを乗り越えてきた! 何に選ばれずとも、自分で自分を選ぶ心の強さっ! ああっ、いま僕が一番尊敬している人は、彼で違いない! その彼がライナー・ヘルヴィルシャイン……いやっ、これから僕の全てを受け継ぐ少年は、その名を変えるだろう! とりあえずの呼び名は『キリストライナー・ユーラシアヘルヴィルシャイン』か!? ああっ、このくらいが丁度いい! ファフナーの末裔らしくて、いい名前だ! 我ながら、すごくいい名前だと思う! これから大陸どころか、世界の果てまで救ってくれそうな気がする! 僕と『貴方』で織りなした物語の次に相応しい『主人公』の名だっ!!」
興奮していたのは、僕もだったようだ。
そして、ずっと魔法の名付けを楽しめなかった
だが、許して欲しい。
記念なんだ。
いまから僕は、『未練』だった「『みんな一緒』にエンディングに辿り着いて、最後に最高のハッピーエンドを迎える」を果たす。
やっと僕は何の重荷もなく、純粋に誰かを応援できる。
それが楽し過ぎて、嬉し過ぎて、もう止まらない――
「ライナー!! 行けぇっ!! 『みんな一緒』に戦えば、絶対に負けない!! 負けるはずがない! 頑張れぇえええ! 頑張れっ、キリストライナァアアアアアア――!!」
その僕の応援に合わせて、
まるで僕と
先ほど、100層の光景をゲームのようだと認めたせいだろう。
長い『冒険』を終えて、やっとエンディングに辿り着いた『プレイヤー』の気分だった。
もちろん、自らの人生を駆け抜けた『人』の気分でもある。
いま僕はプレイヤーとして、自らの役割を、僕の大好きなライナーに投影している。自分の全てを頼み、託している。それは本当に気軽で、『安心』で、楽しくて――
本当に、子供の頃に戻った気分だ。
けど、もう部屋は少しも暗くない。独りでもない。
明るい部屋で、友人たちと無邪気に楽しむだけ。
――もちろん、そこには
その三人で一心不乱に『主人公』を応援して、没頭していると、いつの間にか100層の戦いは佳境に入っていた。
あれだけ多種多様な魔法が飛び交っていたというのに、いまや100層に存在する魔法は二つだけ。
決着をつけると言わんばかりに、とてもシンプルとなっていた
まずは、ノイ。その体中から生えた無数の『魔獣の腕』を束ねて、まるで世界樹のように巨大な腕を一つ作って、天に掲げていた。
そして、その先にある枝のような十指が握るのは、暗雲を凝縮して固めた黒紫の魔法の大剣。
しぶとい敵たち全てを『なかったこと』にする為に、僕の《ブラックシフト・オーバーライト》を完全に自分のものにした上で、限界まで研ぎ澄ませている。
ただ、まだ座ったままだ。
僕と同じく膝を突いて、奇妙な上段の構えを取っている形となっていた。
その独りで剣を掲げるノイと向かい合う相手は、僕のたくさんの仲間たち。
とはいえ、ここまでの戦いで『理を盗むもの』たちは消耗している様子だった。しかし、『現代』を生きる仲間たちは、まだまだ元気が溢れている。
そして、その中心に、僕の応援するライナー・ヘルヴィルシャイン。
彼には、先ほど『理を盗むもの』たちの力を繋げ集めて、僕に勝利した実績があった。なにより、みんなが本能的に理解していた。
――これに一番向いているのは、このライナーだ。
だから、ノイが全ての黒紫の暗雲を集めて剣を作ったのに対抗して、彼に全ての力を結集させていた。
ノイが『魔獣の腕』を束ねたのに対して、ライナーは『魂の腕』を束ねている。
多くの『魂の腕』が
その巨大な『魂の腕』には、白虹の魔力も集まって、同じ形状の剣が形作られていっている。
相打つ二種の剣。
ライナーはみんなの『魂の腕』を掲げながら、代表者としてノイと話す。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……。ノイ・エル・リーベルール、認めろ……。この『キリストライナー・ユーラシアヘルヴィルシャイン』が、新しき『世界の主』となることを!!」
どうやら、僕の声援は届いていたようだ。
流石、僕の騎士だ。
勢いで提案した名前を使ってくれたことが、応援者として本当に嬉しい。
ただ、対照的にノイは心底不快そうな顔だった。
その大言壮語な名前を批判していく。
「キ、
「ああ、足りない!! だから、こんな大所帯で来てるんだろっ!?」
ライナーとノイが、心をぶつけ合うような会話を広げていく。
――その問答を遠くから聞く僕は、暢気にも
本当に、とてもラストバトルらしい。
スキップできないイベントシーンを見ている気分だ。
だから、この戦いに緊張も不安も、もう一切ない。
「ノイ、あんたにも言おう! なぜ『世界の主』が一人だけなんだ!? なぜ何もかも一人でやろうとする!? できるわけがない!!」
「…………っ!」
「たった一人が頑張り続けて、たった数万年かそこらで救えたら……、この世界のみんなの人生は何だったんだ!? そんなに軽く薄いものだったか!? 違うはずだ! 『人』の力ってのは、もっともっと長い時間をかけて、みんなで繋げていくものだ! 少し他人より器用だからって、何でもできると思い上がり、子供みたいなことを言ってるのはどっちだ!? 『世界の主』に必要なのは、みんなで繋げた
「な、何がっ、ななな仲間との絆だ! 幼稚な言葉ばかり使うんじゃない! そんなものは存在しない! なかったと、ボクは何千年もかけて確認した! たった十数年しか生きていない弱い子供が、分かったようなことを言うなっ!!」
どちらも、本当に
どこかで聞いたことがあるような台詞ばかりだ。とても『安心』できる。
二人の言い合いを聞いていると、口元が緩んで仕方ない。
鼓動が速まるだけじゃなくて、笑顔から暖かな吐息が漏れ出す。
ここまで本当に、僕とノイは曲がりくねった道を歩いてきてしまった。
それは僕とノイが『次元の理を盗むもの』だったからだろう。
無意識に遠回りや後戻りを繰り返して、邪道も邪道な未来を進んだ。そして、どこにも辿り着けない道筋を作ってしまっていた。
ただ、ここに来て真っ直ぐな『正道』に戻されていくのを感じる。
もちろん、かなり強引だ。ノイの言う通り、幼稚でありきたりだろう。
だが、みんなが繋げて作ってくれた新たな道は、僕たちの道よりももっといい流れをしているのだ。
「ああ、僕は弱い! 若輩だ! だからこそ、強く立派な誰かが、僕を助けてくれる! 僕は強くなくてもいいんだ! 特別でもなければ、優しくも偉くもなくていい! それでも、これからおまえに勝つことができるのは、そういうことだ! 世界を救うのは、僕たちみんなっ! みんなの力だったんだ!!」
「…………っ!!」
言い返した言葉を、すぐにライナーは認めた。
だから、ノイは呻いた。言い合いに負けたからではないだろう。むしろ、『理を盗むもの』らしい口喧嘩勝負では勝っている。
ただ、ライナーの言葉のどれもが、ずっとノイの欲しかった『
ずっと誰かに言って欲しかった言葉が、先ほどまでの僕のように頼れる『神』からではなく、こんなに弱くて若い少年から出てきている。
その初めての経験に、彼女は困惑している。
そして、いま、この『本物の糸』が引っ張っていく流れを、彼女も強く感じているはずだ。
いま僕が「ラストらしい流れだ」と感じるように、彼女も「これ、まるで私が負ける流れだ」と思っているはず――
だから、ノイはライナーから逃げるように視線を逸らしていた。
僕の隣の
その揺れる瞳から伝わる疑問の数々を、僕だから、正確に読み取れる――
どうして、こんなにもボクの流れは悪いんだ……?
どうして、
ボクこそが『世界』のことを一番想って、救ってきた。なのに、どうして? 向こうばかり贔屓して……、何がそんなに違うと言うの?
あいつらとボクで違うもの、それは……――
ノイは目で問いかけながら、自分でも考えていた。
どうして、どうして、どうしてと、惑っては迷って、その身体に似合わない冷や汗を流して、この自分が劣勢かのような状況を打破する方法を、必死に探している。
ここから、自分が『安心』できる道を見つけようと、考えに考え抜いていた結果――
視線を彷徨わせて、ノイが見たのはライナー――の奥。
疲労困憊だけれど、満足げで楽しそうな『理を盗むもの』たちの表情だった。
そこから先は、本能だろう。
ずっと『安心』を求めていた少女ノイは、つい選んでしまう。
自分とみんなの違いを埋めるように。
あの他の『理を盗むもの』たちと同じ表情に、自分もなれるように。
その震える口から、絞り出していく声は――
「――こ、
宣言した。
『理を盗むものたち』たちと同じく、自らが守る階層を伝えて、90層のボスを名乗った。
最も
その行為そのものが大きな『代償』となって、多大な魔力を得られるとも。
宣言のあとに、奇跡的な力を発揮した『理を盗むもの』たちを何度も視てきた。
だから、ノイは口にした。
そして、喜ぶ。
贔屓や違いさえなければ、地力が上の
そう信じるノイの顔は明るくなり――
――同じくらいに、ライナーの顔も明るくなる。
みんなが、もう分かっている。
階層の宣言は、助けを呼ぶ声と同じ。絆を繋げる行為そのもの。
だから、その宣言を聞いたライナーは、すぐに答える。
「ああっ、受けて立つ!! そして、誓おう!! その『第九十の試練』を乗り越えっ、必ず『あんたの世界』を救うとっ!!」
そう力強く頷いて。
『理を盗むものたち』であるノイに、ライナーは約束した。
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