125.朋友は三十層まで来てくれた。ゆえに、剣は持ち主に貴方を選ぶのです。
観客席から悲鳴があがる。
「やっぱり……! やっぱり嫌だ! ローウェン、行かないで! アタシを独りにしないで!」
人々から『認識』されたことで、リーパーは実体を失う。
同時に黒い大鎌も実体を失い、ローウェンの心臓に大きな穴が空く。
リーパーは泣き叫びながら、ローウェンを引き止める。
「心細いよ! ローウェンがいなくなったら、千年前を知るのは私だけ! 私だけになる!!」
子どものように――いや、赤子のように駄々をこねる。
そこに昨日の老練の魔女にも似た威厳はない。
赤子が親との別離を悲しむ姿にしか見えなかった。
「か、はっ……。
ローウェンは血を吐きながら、痛みでよろめく。
しかし、その足取りは力強い。いまにも消えそうだった身体に力が溢れ出し、輪郭がはっきりとなった。心臓に穴が空いたというのに、空く前よりも生気で満ちている。
「よ、よかった……! ローウェン、これで……! あの人が言ってた『
「『
心臓から流れ出す血が、空気に触れると同時に水晶と変わっていく。
止まっていた『モンスター化』が再発し、奇妙な音と共にローウェンの身体が変質していく。
まるで、人間として死んでいくローウェンを許さないかのような世界の悪意を感じた。
「まだ間に合う! この決勝戦をなかったことにすればいい! モンスターになって逃げれば、『栄光』も何もかも失って、ローウェンの『未練』は残る!!」
「――
「け、けどっ、ローウェンの力が戻った! アタシが割り込んだことで、消えそうじゃなくなった!」
確かに、リーパーに心臓を刺されたことでローウェンは力を取り戻し、消えることができなくなった。
けれど、その理由はリーパーの考えているものと違う。
「そりゃそうだ。こんな馬鹿な真似をするおまえを見て、消えられるわけがない。認めるのは悔しいが、私には『未練』がまだ一つある……。一つ残っている……!」
「え……、『未練』がまだ一つ……?」
最初からわかっていたことだ。
『未練』が複数なければ、ローウェンは僕や子どもたちに剣を教えたところで消えてしまっていただろう。それでも、ギリギリのところで消えなかったのは、その最後の『未練』があったからだ。
きっとローウェンは最初からわかっていた。
わかっていたが、認めなかっただけ。
けど、もうローウェンは間違えない。
見失わない。
「――私の最後の『未練』はおまえだ、リーパー」
ローウェンはリーパーと向き合い、その頬を優しく撫でようとして――
苦しそうに顔を歪ませたローウェンは、手を握り締める。
「え、え……?」
リーパーは身体を硬直させる。
「おまえが私を守りたい以上に、私もおまえを守りたいんだ。私の最高の『親友』、リーパーを」
「し、『親友』……?」
「けど、それは私には叶えられない。叶えられないんだ……。私がいるだけでリーパーは『殺人衝動』という『呪い』で苦しむ。それに私自身……、いつ暴走して、みんなを傷つけるかわからない危険な存在だ」
ローウェンはリーパーの『殺人衝動』について知っていた。
ゆえに様々な感情を隠して、リーパーの前から消えようとしていたのだろう。
けれど、もう感情を隠すことは逆効果だと悟り、やっと自分の本心をリーパーに伝えようとしている。
それは初めてのことだった。
リーパーの前でローウェンは素直になれず、いつも憎まれ口ばかりを叩いていた。
リーパーを想う姿は、僕と二人きりのときだけしか見せていない。
「いまさら……、親友なんて呼ばないでよ、ローウェン……! そんなこと、ずっと言ってくれなかったくせに……!」
「だから、私は消えると決めた。死人は死人らしく、誰にも迷惑をかけず消えるべきなんだ……!」
「なんで? わからないよ……。なんでローウェンは消えなきゃいけないの……? なんでアタシは一人だけで残らないといけないの……? ねえっ、なんでなの!?」
「私は死んでいるが、おまえは生きている……。その差なんだ、リーパー。おまえは魔法の身体だが、ちゃんと生きている! そして、私が消えることで、やっとリーパーはその『呪い』から解放される! やっと、本当の意味で『グリム・リム・リーパー』は生きていけるんだ……!」
ローウェンの心の底。
そこにはリーパーへの愛情が満ち溢れていた。
その気持ちが僕にはよくわかった。ローウェンの感じている感情は、僕が妹を想う気持ちとよく似ている。
「だから……。頼むから、笑って私を見送ってくれ。親友からの頼みだ……」
そして、リーパーを親友と呼び、優しく頼みこむ。
その頼みを聞いたリーパーは震える。
「親友だなんて……! 卑怯だ……! 言い方が卑怯だよ……、ローウェンも、お兄ちゃんも、みんな……!!」
受け入れがたい頼みを前に、リーパーは涙をこぼす。
悲哀だけの涙ではない。
それはローウェンの本当の想いを受け止めたことで、感動している涙でもあった。
ずっとリーパーは友達を求めていた。
そして、ようやく一番大切な人から『親友』と呼ばれた。
けれど、その『親友』の頼みは、幼いリーパーにとって辛く厳しいものだった。
『親友』として応えたい。けれど、応えれば『親友』は消える。
そのジレンマの狭間で、リーパーは動けなくなる。
死をも覚悟してローウェンの心臓を刺し、それでも運命が変わらないことに嘆く。
そんなリーパーをローウェンは胸に抱いた。透ける寸前のところで腕を止め、胸に抱いているかのように見せかけて、彼女をあやす。
そして、その身体を水晶化させながら、こちらを向く。
「すまない、カナミ。聞いての通りだ。ここまでしてもらって申し訳ないが、まだ面倒をかけそうだ……」
「……大丈夫。僕はそのつもりでここまできてたよ。余力も十分ある」
僕は何も心配もないとローウェンに答える。
この決勝戦は、僕とローウェンだけの戦いではない。
昨日の夜、リーパーを説得できなかった時点で、この状況は覚悟していた。
幼いリーパーは、最後まで我がままを言う。
そして、僕とローウェンの二人は、それを『リーパーの親友』として聞いてあげることになる。
それを直感していた。
だから、『持ち物』を中心とした戦いで魔力を節約してきた。
ローウェンの《
「モンスターと化した私は理性を失い、その身が滅ぶまで全てを破壊しようとするだろう……。この馬鹿のせいで本当にすまない……」
「いや、これは避けられないことだったんだと思う……。おそらく、ローウェンとリーパーが出会ったときから、
どんな道を進もうと、ローウェン・アレイスはグリム・リム・リーパーの手によって一度死ぬ。
それだけの想いが、30層に現れたときから二人には詰まっていた。
「ああ、そうかもしれないな……」
ローウェンはリーパーの頭を、触れられないながらも、優しく撫でる。
そして、穏やかな表情を引き締め直し、その優しく包んだ両手を離す。
ゆっくりとリーパーから離れていく。
距離を取りながら、僕に懇願する。
「頼む、カナミ。これから我を失う私から――いや、この世の全ての悪意からリーパーを守ってくれ……。そうすれば、私は完全に『未練』を果たし、消えられるはずだ……」
リーパーはよろめきながら、ローウェンに震える手を伸ばした。
けれど、ローウェンは首を振り、距離を離していく。
僕はゆっくりと歩き、リーパーの隣に立ち、頷く。
「よかった……。私はリーパーが心配で心配で堪らない。こいつは私の最初の友達だ。親友どころか、娘か妹のようにさえ思っている。……ただ、その出自のせいで、多くの不幸と試練がこいつに待っているのは間違いない。なのに、こいつはこんなにも未熟で馬鹿で、騙されやすい。私が消えれば、リーパーを守るやつはいなくなる。それがすごく不安なんだ……」
「心配してなくていい、ローウェン。リーパーは僕が守る。誰にも渡さない」
「ふっ……。本当か? たとえ、国を敵に回しても守れるか? その強さがカナミにはあるのか?」
聞いたことのある問いだ。
だが、もう慣れたものだ。
僕は即答する。
「ああ、大丈夫。――というか、そういう回りくどい言い方はやめよう、ローウェン。リーパーが真に受ける」
静まりきった闘技場では、僕たちの言葉がよく響く。
ローウェンはこの瀬戸際において、まだ人目を気にしていた。
いまローウェンは、この巨大演劇船の頂上で、『敵』役を演じている。
それを看破されたローウェンは笑う。
「つれない親友だ。最後くらい、もう少し遊びがあってもいいじゃないか。こっちは遺言同然なんだぞ?」
「喋っている途中で、時間切れになっても知らないぞ? そのときは、もの凄く格好悪い遺言になる」
僕とローウェンは飄々と、笑いながら言葉を交わす。
試合前のルール決めのときと同じだ。
笑って別れようと、お互いに願っている。
「仕方がない。ならば、率直に言おう」
さらにローウェンは距離を空けながら、空に語りかけるかのように話す。
その間も心臓から血が流れ続け、白い地面を真っ赤に染める。しかし、すぐにその真っ赤な血は凝固し、色を変えて、水晶の柱と化す。
身体のあらゆるところからも水晶の柱が生えてきている。
もう残り時間は少ない。
その姿を見て、観客たちはざわつく。
「リーパーを託せるかどうか試させてもらう、カナミ。それが私からの『第三十の試練』だ。『剣聖』の称号を譲ってくれて悪いが……、いまから――」
アルティと同じように試練を宣言する。
ローウェンの『
そして、水晶の剣二つを僕に突きつけ、ローウェンは言う。
「――『
全てを超えて行けと、豪胆にねだった。
「ちょっと注文が多くない……?」
「ああ、あとリーパーだけでなく、会場にいる全員も私から守ってくれ。まあ、カナミならできるだろう。私は信じてる」
「全員ね。親友からの信頼が厚くて、びっくりだ」
「ああ、信頼してる。だから、笑って言える。――カナミ、その力を見せてくれ。見せつけてくれ。そうすれば安心してリーパーを任せられる。私の願いは、今度こそ跡形もなく完璧に叶う。守護者としての役割も果たせる。何もかも、憂いなく、終わる――!!」
僕を真っ直ぐに見つめ、ローウェンは僕への信頼を叫ぶ。
その迷いない信頼を見せつけられれば、僕も応えざるを得ない。
「……わかった。僕は『第三十の試練』を受けるよ」
「あり、がとう……、カナミ……」
ローウェンは口から血をこぼしながら、それでも話し続ける。
モンスター化は進み、ローウェンの魔力が増していく。
人間ローウェンとしての魔力ではなく、モンスター『地の理を盗むもの』の魔力だ。
その魔力の波動は、ローウェンの身体だけでなく、闘技場にも影響を与える。
処女雪のような白い地面の下から、水晶の芽が無数に生えて、様々な鉱石の花が咲く。
「――さあ、せっかくの遺言だ。もう少しだけ格好つけようか!!」
ローウェンの身体から生えた水晶の柱は全て腕の形へと変わり、八本の腕となった。
髪も赤から白に変色し、瞳が水晶のように透明化していく。
その変態に合わせ、闘技場内も様変わりする。
地面は七色の水晶花で溢れ、幻想的な花畑が広がっていく。
「悪いがみんなっ、『前座』は終わりだ!! いまから私とカナミ――30層の
ローウェンは観客全員に聞こえるように叫ぶ。
結界内の世界が、かつて見た30層に近づいていく。
僕の冬の世界に、ローウェンの水晶の世界が重なっていく。
結界が軋む。
ローウェンの魔力の奔流だけで、巨大劇場船『ヴアルフウラ』が震えていた。
その地震のような揺れのせいで、観客たちの悲鳴が大きくなる。
ローウェンの宣言にどよめき、尋常ではない変化を感じ、会場が荒れ始める。
もはや『舞闘大会』の枠を超えている。
しかし、これから始まる戦いを、ローウェンは決勝戦と呼んだ。
最後は試合の中、親友の手で倒れたいのだろう。
「
人としての形を失い、人としての言葉をも失っていくローウェン。
蜘蛛を思い浮かばせる姿に、妙にくぐもった低い声。
ローウェンは完全に『地の理を盗むもの』と変化した。
そして、その宣言と共に、ローウェンは歩き出す。
僕もリーパーを背中にして歩き出す。
距離が縮まる前に、ローウェンの人としての意思が残っているうちに、僕は叫び伝える。
「いま行く、
「アアァ、ワタシハココニイル!
ローウェンの顔全体は鉱石で覆われ、かつてのティーダのような能面と化していた。その水晶で出来た口を、石の砕ける音と共に動かし、ローウェンは僕に応えた。
ローウェンの水晶の八本腕が襲い掛かる。
僕は全力を以って、それを迎撃する。
こうして、僕は本当の意味で30層へと至り――
いま、『第三十の試練』が、始まる。
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