421.異世界の戦いの決着


 電車の音が響く。


 あの記憶と同じく、ガタンゴトンと揺りかごのように規則正しく、軋む。

 都市部とは逆方向に、その電車は向かっていた。


 携帯電話スマートフォンで検索して見つけたショッピングモールは、郊外の沿岸部近くに展開されている。地方ならではの需要に対応する為か、土地の値段との兼ね合いか……、何にせよ、その立地は僕たちにとって都合が良かった。


 ファミリーレストランで食事をしたあと、駅まで歩いて移動して、丁度よくやってきた電車に僕たちは乗り込んだ。タクシーを使わず、あえて電車を利用したのは、陽滝との思い出をクウネルと共有したかったからだ。


 記憶の男児と同じように、外の綺麗な景色を見ようとクウネルは窓に張り付いて、感嘆の声を漏らす。


「ひょ、ひょええー……」


 高速で流れていく海沿いの街と青い空を、クウネルは子供のように眺めていた。


 ついさっき、冷たい『話し合い』があったけれど、結局どちらの地雷も踏まれることはなかったので、僕たちはいつも通りに戻っていた。

 むしろ、あの『話し合い』のおかげで、互いの本音を理解し合えて、『元の世界』での行動指針が綺麗に決まった。やはり、早めに全力でぶつかり合うことは大事だと、僕は一人で「うんうん」と再確認していく。


 ――まだクウネルの望んだ報酬『二人で買い物』は続いている。


 そして、この時間を使って、どうにか彼女を安心させてあげたいと意気込む僕だったが……正直、できることは少ない。


 クウネルは単純に頭が回るというだけでなく、『異世界』最高の実年齢による経験と勘がある。小細工や策を弄して、「僕は危険じゃない」と主張しても、それは逆効果になる可能性が高い。


 だから、いま大切なのは、一歩ずつ、焦ることなく――予定通りに・・・・・、タイムリミットまで――クウネルを『元の世界』で歓待することだけだろう。


「こ、これが電車……! 電気で車輪を、回すから電車……?」


 なにより、異世界文化に触れたクウネルの豊かな反応は、見ているだけでとても楽しくて、歓待し甲斐がある。


 ただ、この調子だとショッピングモールに辿りついたとき、その新鮮すぎる文化と喧騒に呑み込まれて、長時間硬直してしまうかもしれない。

 それは時間がもったいないと思った僕は、『連合国』と『日本』のカルチャーギャップ――だけでなく、二種の『世界』のワールドギャップを抑えるための説明を、先んじて行っておく。


「クウネル。やろうと思えば、そっちでも電車はできると思うよ。というか、少し前にアイドが、これの一歩手前くらいの車輪技術を広めてたでしょ。この線路を走る箱は、あれの次のバージョンだね」

「え? ……連合国のアレが、その内コレになるんですか? ほんまに?」

「『魔法の術式』も『機械の回路』も、そう変わらないからね。余り難しく考えなくても、僕たちは同じ人間で、とても似た文明だから……自然と、技術の向かう先は同じで、辿りつく場所も同じになるよ。結局のところ、『魔石が豊富な世界』と『鉄が豊富な世界』という環境の差が、材料と動力に違いを生んでいるだけだって、そう僕は思ってる」

「違いを生んでいるだけだーって言われても……。本当に土が違うだけで、こんなに変わります?」

「土だけが理由じゃないだろうけど、影響は大きいよ。その影響の結果、クウネルの世界は動力に『魔力』を選んじゃって、こっちは『電力』を選んだって感じだね」

「は、はあ……」


 その大雑把過ぎる説明に、クウネルは気の抜けた返事をするしかない様子だった。


 しかし、同じ轍を踏まないために、これ以上話をわかりやすくすることはできない。

 クウネルが理解を深め過ぎて、色々と応用をされてしまうと、セルドラの『試練』で戦ったときみたいになってしまう。あの日、魔法で再現・強化された科学兵器たちは、本当に凶悪だったから……。


「それよりも、着いたよ。……というか駅に着いたら、もうショッピングモールは、すぐそこなんだね。ほんと便利だなあ」


 目的地に辿りついたので、急いで僕たちは電車を降りていく。

 迷子にならないようにと手を掴まれているクウネルは、すぐ隣で呟く。


「便利って、会長は《コネクション》と《ディフォルト》が使えるくせに……。あの超反則の次元魔法を……!」

「誰でも利用できることが大事なんだよ。これからの連合国の発展にも、こういうのがあると助かるよね。僕は道を作るのが好きだったみたいだから、たぶん線路も黙々と作り続けれる気がする……。許されるなら、たぶん、いつまでも」


 この二ヶ月で発覚したことだが、僕の好きな物作りの中には、土木工事も含まれているらしい。

 街が道で繋がっていくのは、想像するだけでわくわくしてくる。


「あー、冗談でなく、いつまでも会長はやるでしょうね……。あてと一緒で会長は、灯りのない暗い部屋で延々と縫い針動かせるタイプです。しかも、にやけ顔で」

「……確かに、やってたかも。僕の場合は縫い針じゃなくて、本とかゲームコントローラーだったけど」

「ただ、正直なところー、あてとしてはー、線路を連合国に作るのは勘弁して欲しいですね。電車だと、物の輸送も情報の伝達速度も、急激に発達し過ぎです。まだまだ大陸の方向性も纏まってませんし、先にやるべきことが有るような無いような?」

「確かに……、そう急ぐこともないか。こちらの発想ばかり取り入れて、そっちの『魔石の豊富な世界』ならではの発明や発見を潰すのも嫌だしね」

「か、会長! あての玉虫色の返答から色々と察してくれながら、そう言ってくれるなんて……。そういう会長の優しいところが、あては好きっ!」


 ただ、クウネルが諸手をあげて大賛成していると、途端にその選択は間違っているような気もしてくる。

 なにせ、彼女の言う「大陸の方向性を纏める」というのは、要は情報伝達の未熟な大陸で思想誘導プロパガンダを行なって、クウネル・クロニクル・シュルス・レギア・イングリッドにとって都合のいい文化や空気を作るということだ。


 過去の『聖人ティアラ』と『元老院』がやっていたことを、『代わり』に彼女はやる気満々というわけだ。


 しかし、もしここで彼女を注意しても、その次はディプラクラさんやフェーデルトがやるだけなので、僕は心の中で「まあ、クウネルならいいか」と頷いて、またクウネルに「まあ、クウネルならいいかって顔!」と看破されておく。


 ――という茶番をやっている内に、大型ショッピングモールの目の前までやってくる。


 多種多様な店が連なっている集合建築物だ。

 ありとあらゆるニーズに応えることで、集客に特化している。

 郊外ならではの土地の安さを活かして、屋根付きの遊歩道が視界の端まで続いているのが見える。

 ここならば、きっと異世界旅行者のニーズにも完全に応えてくれることだろう。


 ただ、その巨大な建物を前にして、観光中のクウネルは唖然とする。

 ここまでの電車での会話で、二種の世界は大きく変わらないと彼女は教わった。

 電飾は魔石で代替できるし、エネルギー量も『魔の毒』の転用方法を見つければ逆転できると。建築物の『大きさ』だけに焦点を当てれば、フーズヤーズ本土の大聖都だって負けていない。

 それでも、この規模の材質不明の建築物は、クウネルにとって脅威だったようだ。


「会長は、あてのために田舎を選んでくれたんですよね? それで、これですか……? これ、あてらの都会レベルのものが、地方に点在してるってことやん……。環境の差で、ここまで違うん?」

「世界が誕生した日が違うってのもあるけど、そっちは『魔の毒』のせいで、色々と停滞しがちだからね……。こっちも最近、陽滝の氷のせいで千年停滞しちゃったけど」


 単純な人口と生産力で考えれば、流石に『元の世界』のほうが安定していて有利だ。

 ただ、代わりに『異世界』は個人の質がいいと思うのだが……。


 『世界間の戦争』を想定しているクウネルは、全く安心できないようだった。

 例えば、その個人の質の象徴である『理を盗むもの』の誰かが裏切って、『元の世界』側についてしまえば『異世界』は大変だ。


「入ろう。たぶん、クウネルの大好きなところは、すぐそこだよ」


 その『理を盗むもの』の一人である僕は、クウネルの危惧する未来は絶対に来ないことを証明する為、急いで彼女の歓待を続ける。


 建物に入るとファミリーレストランのときと同じく、軽快な店内BGMと暖かな空調が全身を包んだ。

 そして、出入り口から少し進んだところで、すぐに目的の場所は見つかる。

 視界に入った瞬間、迷宮探索中くらいに警戒していたクウネルが、目を輝かせて、だらしなく口を緩ませた。さらに降参するかのように両手を挙げて、駆け出していく。


「あ、あれは、もしや……! もしかしなくても! 服屋さんだぁああああ! お洒落な服屋さんが、いっぱい!! うっひゃー!!」


 とたとたと走り、クウネルはレディースファッション系の店に入り、従業員さんの「いらっしゃいませー」に合わせて「お邪魔しまーす」と答えた。

 一度ファミレスを経験しただけで、こちらの世界の空気を読めているのは流石だ。


 さらには俊敏な動きで陳列された服を、ものすごい勢いで物色していき、ぶつぶつと呟き始める。


「すごい、すごいすごいすごいっ。デザインはなくもないけど、材質がすんごいっ。手触りがびっくりもびっくり、というかなんじゃこりゃあ!? 返し縫いが綺麗……じゃなくて、例の『機械』か、これ。たぶん、型紙パターンも? 贅沢な裏地からして、そもそも織物業が――」


 想像以上に満足している――のを超えて、薬物中毒者のような虚ろな目が、ちょっと怖かった。

 ティーダの仮面の『闇の力』による誤魔化しがなければ、すぐにでも補導か逮捕をされそうな顔だ。


 ただ、その熱中具合こそ、本気である証だろう。

 服飾が生き甲斐と自称しているのは嘘でなかったとわかり、僕は一安心する。


 ここのショッピングモールには、服の販売店が多い。貸借テナントの数は二桁を軽く超えていて、全て回ろうとすれば一日が潰れるほどだ。


 僕は優しい目で、クウネルの少し後ろで保護者として立ち、見守る。

 近くで店員さんが少し不安げにクウネルを見ていたが(つまり、『闇の力』を突き抜けるくらいに不審だった)、僕の様子を見て『妹か姪っ子に、新しい服をプレゼントする兄か叔父』と判断してくれたようで、通報はしないでくれそうだ。


「あれ? しかし、会長のおすすめしていた和服が、見当たりませんね。本場の日本では、いま激流行げきはやりと聞いてたんですけど、お客さんにも中々いないような……」

「え?」

「え? いや、だから、あてが着ているような和服がありませんねーって話です。纏めて置いてるコーナーとか、どこにあるんですか?」

「激流行りだって、そう僕が言ってたの?」

「言ってましたよ? だから、あては最先端だーって喜んで、和服を自作しまくったんです。いまもこうして着ているのは……って、え? もしかして、か、会長――」


 クウネルが懐疑の目を向けてきたので、僕は目を逸らした。


 ――僕は和服が好きだ。

 一番の好みは、シンプルな色のフォーマルな基調の服だが、それだけが趣味というわけではない。和服も好みの範疇内である。

 前提として日本の歴史が好きだったり、伝統的な愛着を感じているというのもあるが、和の礼服という存在に特別感や非日常感を覚えるのが一番の要因だろう。

 結果、ゲームや漫画に頻出する和のテイストのキャラが、僕は非常に好みだ。

 なので、昔は子供ながらに「着流しの男性キャラってかっこいい」「和服の女性キャラは綺麗な上に可愛い」とか思っていた。そして、その延長上の思考で、千年前の余裕が有り余っていたときの始祖カナミは「あえて西洋風の吸血鬼少女に和服とか、すごくゲームチックでいいよね!」とか思っていた可能性が高い。非常に高い。というか、普通に思い出せる。

 服飾関連で商売しようとしたときに、自分の趣味趣向を異世界に反映させたいと僕は目論んでいた。リアルで和服を纏った獣人たちが行き交うファンタジーな光景を、自分の目で見て、肌で感じるという野望を抱いていた。その影響が、いまのクウネルの格好だ。


「…………」


 異世界に迷い込んだ日本男児なら、みんなやることなのでどうか許して欲しい。

 異世界でも、そこそこ流行って売れたみたいだし、色々と帳消しイーブンにならないだろうか。実際、クウネルも気に入ってくれて、こうして普段着にしてくれているのだから、結果オーライだろう。うん、もう時効だ、時効。


「会長、その顔! それ、「うん、もう時効だ、時効」って顔ぉ!!」

「いや、嘘をついていたわけじゃないんだ……。クウネル、どうか僕を信じて欲しい。ほ、ほらっ。この画面見て、画面っ」


 僕は携帯電話スマートフォンを使って、歴史的に日本で和服がどれだけ重要であるかを主張する。さらには各地のお祭りで見られる浴衣、創作で多出する和服のキャラクター、様々な写真を見せていって、決して僕の「激流行り」発言は嘘でなかったことを後付けしていく。


「ん、んーん? ……いやっ、そこに映ってても、生活の場に反映してなかったら、流行ってるとは言い難いんじゃないですかねえ!? 会長さぁん!?」


 しかし、その後付けはクウネルに通用しなかった。

 僕が「くっ」と唸っていると、クウネルは頬をぷくりと膨らませて、報酬の水増し要求をしていく。


「あー、これはもう追加のご褒美が必要ですね!! もう、あては会長のお財布の心配を、一切しませんから!! ここで一杯一杯、お土産の服を買ってもらいますから!!」

「……うん。それで許してくれるなら、いくらでも買っていいよ」


 お金はある。

 セルドラと前に来たとき、止むを得ず・・・・・、色々と反則をしてしまったからだ――という情報は、クウネルに悟られないように、顔に出さないでおく。たぶん、際限がなくなる。


「ただ、無闇に買うのだけは止めて……。あそこに試着コーナーがあるから、本当に気に入ったものを買ってね」

「むむっ!? 試着コーナー!? それはありがたいっ!!」


 どうやら、クウネルは僕と話しながらも服を物色し続け、すでに目ぼしいものはキープしていたようだ。その話を聞いた途端、数着ほど手に持って、駆け足で僕の指差した場所に向かっていく。


 シャッ――とカーテンを引いたあと、もぞもぞと中で脱衣の音が聞こえてくる。

 ただ、その途中、カーテンの合間から顔を出したクウネルが、少しだけ恥ずかしそうに聞いてくる。


「あのー、会長ー……。すみません。これ、どうやって着るんでしょーか?」

「いや、クウネルがわからないはずないでしょ」


 僕を篭絡するための可愛いアピールにも、付き合えるものと付き合えないものがある。

 クウネルが奮起しているのはわかるが、嘘は良くないと咎めると彼女は「ちいっ」と冗談交じりの舌打ちをしてから、試着室の中に引っ込んでいった。


 そして、今度は迷いない着替えの音が聞こえてきて、数分後に、またシャッとカーテンが開かれる。


 そこには現代の衣服の――パーカーにスカートの現代っ子クウネルが、決めポーズを取っていた。自分の容姿を理解して、少し低年齢用の装いだ。ポーズもグラビア撮影のような妖艶なものではなく、大変子供らしい。クウネルは両手でピースしつつ、下から上目遣いで聞いてくる。


「へっへっへ。かいちょー、どーですか?」

「うん、いいと思うよ」

「出た! この会長の「どうでもいい」って思っているときの最速の「いいと思うよ」! 本当に久しぶりで、ちょっぴり感激やでぇ……」


 しみじみとした様子で、クウネルは僕の評価を噛み締める。

 ちょっと心外だったので、もう一度クウネルの姿を、まじまじと見る。


「いや、本当にいいって思ってるよ。嘘じゃない嘘じゃない」


 現代の衣服を身に纏ったクウネルは、可愛らしい。

〝いつもの異世界風の特殊な和服を見慣れているからこそ、そのギャップが刺激的だ。なにより、あのファンタジー代表格な吸血鬼が、ショッピングモールでパーカーを着てピースをしているという事実。僕個人の趣味になるが、このパーカーがクウネルよりも似合う存在は、この世のどこにもいないだろう。それほどまでに、異邦人の初試着には価値がある。もちろん、その付加価値を除いても、クウネルは本当に可愛らしい。その容姿といい、その計算し尽くされた仕草といい、全てが洗練されている。流石は、不老のお姫様。総じて言うと、頭をわしゃわしゃと撫でたくなるくらいに可愛い――〟と、表情の読めるクウネルに伝わるように感想を『執筆』してから、褒め直した。


「そ、そーですか……。なーら、いいですけどー」

「というか、逆にクウネルはどう思ってるの? その『異世界』の服を」

「んー、なんというかエキゾチック? すごく新鮮で、いい感じですっ」


 狙ってか狙わずか、ラスティアラと同じ感想だった。

 そういえば、彼女はいま僕が着ている『異界の服』にも、同じことを言って奪い取ろうとしていた。

 その思い出に浸っていると、忙しなくクウネルは試着室の中に引っ込んでいく。


「なので、これは買いです! それじゃー、次の服にいきますねー」


 カーテンの向こうから、ごそごそと脱衣と着衣の音が聞こえてくる。


 クウネルは次々と自分で自分を着せ替え人形にして、このお店で可能なファッションに限界まで挑戦し始める。

 その一つ一つに彼女は感想を求めて、僕が「いい」と答えていく流れ作業だ。

 ただ、その途中、浴衣を着たときに、お祭りでお面を被った女の子のような様相のクウネルが唸った。


「――んー。やっぱり、邪魔」


 お洒落好きとして、ずっと頭の上をティーダの仮面に独占されているのが気に食わないようだ。

 確かに、いくらクウネルがファッションに気を遣っても、仮面一つでバランスが崩れてしまっているときがある。


「もう大丈夫かな……? カラーコンタクトでもあれば、安心して『闇の力』を外せるんだけど」


 幸い、クウネルの髪は黒いので、そこまで日本だと目立たない。

 その目鼻立ちはハーフかクォーターと見られるだけだろう。

 ただ、その吸血種特有の赤い瞳は目立つ。

 そこまで考えて、僕は考えを改めていく。


「いや、カラーコンタクトをつけてる女の子って見られるだけか? 神経質になりすぎて、ティーダに頼り過ぎるのもよくないかも」

「おっ、その顔は本当に外してよさそうな顔っ。なら、遠慮なく変身解除ーから、ぽぽーいっと! ありがとうございましたー、ティーダ・ランズさーん!」


 僕の独り言に反応して、クウネルはティーダの仮面を外して、僕に投げ渡した。

 瞬間、クウネルの纏う雰囲気が激変していく。『闇の力』が解除されて、本来の異世界の少女として――エキゾチックなお姫様としての空気オーラが溢れ出す。


 途端に周囲の目を惹いて、遠めで様子を見ていた女性店員さんが息を呑んだのが、僕の耳まで届いた。


 やっぱり不味いかと、僕は警戒する。

 しかし、店員さんからすると――


「あのー。何か、お困りのことはございませんか? おすすめもありますよー」


 面白い子を見つけたという認識程度のようだった。


 とても楽しげに、何の疑いも害意もなく、素材のいいクウネルの服選びに混ざろうとする。ハーフや外人さんの相手は慣れた様子で、仕事を楽しくこなそうとしているようにしか見えない。


「はいー! 困ってはないけど、おすすめが聞きたいですー!」


 クウネルは店員を歓迎して、こちらの流行を独自にリサーチし始めた。


 事前に施した翻訳魔法《ニュー・リーディング》のおかげで、店員さんとのコミュニケーションは問題なさそうだ。先ほどのファミレスの経験で、こちらの世界の店員の傾向も掴んでいるのもわかる。


 僕は拍子抜けすると共に、一歩下がった。

 クウネルが店員さんと共に嬉々として色々な服を物色していくのを、遠くから見守る。


 ――こうして、クウネルの異世界ショッピングの時間は過ぎていく。


 偶に意見や感想を聞かれながら、複数のブランドの店を回り続けること――数時間。

 ようやく、クウネルは異世界の服を堪能し切った様子で、一息ついてくれる。


「――っはあー! あー、異世界の服屋さん、楽しかったー! へっへっへー!」


 ショッピングモールの遊歩道を歩きながら、満面の笑みを僕に向ける。

 その隣には、大きな買い物袋を両手に三つずつ持った僕が付き添っている。


「ちゃんと報酬になってそうでよかった……。というか、ほんと一杯買ったね」


 最初から覚悟していたことだが、完全に荷物持ち状態だ。

 その僕の姿を見て、クウネルは申し訳なさそうに項垂れる。


「あ、いつの間にか、こんなにたくさん……。ちょ、ちょっと調子に乗り過ぎちゃいましたかね……。すみません」

「いや、僕が買った分もあるから、そこは気にしないでいいよ。ディアとかマリアとか、お世話になった人とかへのプレゼントも、ここに入ってるし」

「――っ!! た、楽しすぎて、忘れてました! 会長とデートしておいて、何のフォローもなしとか!! 刺されるのは、あての方でしたね……。でも、刺されるプロの会長のおかげで、なんとか刺されずに済みそうです」

「んー、お礼を言われてるんだろうけど、煽られているようにしか聞こえない……。ライナーだけじゃなくて、クウネルもみんなのことを誤解してるよ」

「いやあー、誤解じゃないと思いますよー?」


 目を逸らして、とても言い難そうにクウネルは反論する。

 この問答は平行線になると瞬時に判断したようで、彼女は話題を変えていく。


「しかし、あの会長が荷物で困ってるというのは、ちょっと不思議な光景ですね。大丈夫ですか? あても半分持ちましょうか?」

「ああ、これは重い振りだから、大丈夫。流石に、もう筋力で困ることはないよ」

「とはいえ、手が塞がってるのは間違いありませんし……。物陰まで移動してから、ゆっくりと『持ち物』に入れていくという手もありますけど」

「『持ち物』は駄目。あれも魔法の一種だからね」


 僕は頑として、『元の世界』での魔法の使用を許さない。

 不自然に慎重過ぎるかと思ったが、クウネルは「そうですね。万全を期しましょう」と納得した様子で頷いてくれた。


 こうして、僕たちは『荷物持ちとして扱われる男性』と『一杯買ってもらって満足げな女性』というデートらしいペアで、遊歩道を並んで歩いていく。

 衣類を専門とするエリアを抜けて、その次に目に入ってきた店は――


「――って、あれ? 図書館?」


 目の前に広がる色鮮やかで多様な本の数々を、クウネルは見過せずに立ち止まった。


「いや、これは本屋。図書館じゃなくて、本を売ってるんだ」

「な、なるほどー。『異世界』の本屋さんってことですねー。……それで、本屋の向こうは『機械』を売っているんでしょうか? あての世界のお店とは、見た目からして随分と違います」


 クウネルは僕の教えた奥義「『異世界』のを頭につける」で、本屋であることを受け入れた。さらに、その隣にある機械類の販売店を見ても、「異世界のお店、異世界のお店ー」と繰り返して平静を保つ。


 本屋の隣には、家電売り場があった。

 続いて、携帯ショップにパソコンショップ。

 クウネルが異世界を楽しみ、学ぶのには選り取り見取りだろう。だが、あえて僕は、その来店を後回しにする。


「いや、クウネル。そこのお店を見るのは、ちょっと早いかな? いきなり高度な物を見るのは、効率的じゃない。『機械』が気になるなら、こっちのほうがいいよ。来て来て、こっちこっち」

「え……? あ、はい」


 率先して歩き、僕はクウネルを誘導していく。


 本屋を過ぎて、家電売り場を過ぎて、携帯ショップといった異世界ならではのお店たちも色々とたくさん通り過ぎて行って、その果てに僕は辿りつく。

 念願の家庭用ゲームショップに――


「へっへっへ……」

「それ、あての笑い方! パクられた!?」


 千年振りのゲーム屋さんが嬉しすぎて、つい下賎な笑いが零れてしまった。

 僕は顔を引き締め直して、歓待の言葉を吐き出す。


「ずっと、ここにクウネルを案内したかったんだ……。ずっと……」

「これは『機械』の遊具? あての世界だと、魔法道具を娯楽に当てている様なものでしょうか……。ひぇえぇ、贅沢な店やでぇ……」

「そうそう、そんな感じそんな感じ。ほらほら、こっち来て」


 異世界のお店に慣れてきたクウネルは、直感的に用途を言い当てた。

 ただ、そんなことはどうでもいい僕は、すぐにゲームの体験コーナーまで移動して、より一層と激しくなった店内BGMの中、一旦荷物を床に置いて、てきぱきとクウネルにプレイ準備をさせていく。


 休日祝日というわけではないので、他にお客さんの姿は少ない。

 ほぼ独占状態で、最新ゲームを遊ぶことができそうだった。


 まず低年齢を対象とするアクションゲームを、クウネルには体感させたい。

 据え置き型のハードのコントローラーを手に取らせて、プレイを促す。


「――え、あ? はい? ああ、これが起動用の魔石みたいなものですか?」

「その通り。これは、子供向けの『機械』だね。『機械』の仕組みを直感的に理解できるようになる素晴らしいアイテムだよ」

「なんか嘘っぽいような、詐欺師っぽいような……。まあ、いいです。これで遊べばいいんですね?」

「ああ、遊んで欲しい……!」


 クウネルは少し呆れた様子だったが、僕のお勧めを受け入れてくれた。


 握ったコントローラーのボタンというボタンを、適当に押しては試していく。そして、コントローラーのボタンとディスプレイのキャラクターが、どう連動しているかを的確に見抜き、徐々に対応する。

 大手企業のアクションゲームが異邦人でも直感的に理解できるほど優秀だったおかげか、最初は渋く歪んでいたクウネルの表情が徐々に明るくなっていく。


 完全に笑みが浮かんだ頃には「ほうほう」と何度も頷き始め、ゲームの難関部分では「ぬ、ぬぉおおお!!」と叫んで、ぶんぶんとコントローラーを振り回し始めていた。

 数分ほどのプレイのあと、画面にゲームオーバーが『表示』される。


「はぁ、はぁ、はぁ……。なるほど……、会長の目的はわかりました。それと、この『機械』の目的も、まだ詳細な仕組みまではわかりませんが、把握できました……」

「これの仕組みを把握できてる人は、こっちでも中々いないよ。そっちの人たちが魔法道具の詳細な仕組みをわからずに使ってるのと同じだね。……よし。それじゃあ、次だ!」

「え、もう次ですか!? いつもの世界の差の考察とかは!?」


 クウネルの熱が冷めて、我に返ってしまう前に、次のお勧めをぶつける。


 『頭部装着型の画面ヘッドマウントディスプレイ』を被らせて、次は視覚と聴覚を支配する『拡張現実オーグメンテッド・リアリティ』『仮想現実バーチャル・リアリティ』系ゲームだ。


 僕は無駄のない動きで装着と設定セットアップを終わらせて、専用コントローラーを彼女に握らせて、またプレイさせていく。

 その異邦人による初VRゲームの反応は――


「ほほーん……」


 期待していたものより、静かめだった。

 というか、僕が小さい頃に初めてやっときよりも冷静だ。

 その理由は、僕が問いかける前にクウネルの口から零れる。


「さっきのやつのほうがいいですね。この兜で見える景色は、あてたちの世界に近いし……。視界の端にあるものも、神聖魔法で見れる『表示』に似てます」

「そ、そうだね……。似てるかもだね……」


 どこかの誰かのせいで、新鮮味が薄れているようだった。


 しかし、それでも興味が失せることはなく、色々とコントローラーを動かしては様々な機能を試していく。ものの数分で熱中し始めて、ダンス系のソフトで目の前で「はいっ、はいっ」と可愛らしく動き出していた。


 ――やはり、早い。


 クウネルはセルドラと同じだ。異様に『適応』が早い。

 そして、反応もいい。クウネルも向いているようだ。


 事前に魔法《ニュー・リーディング》で語句を選別し、運命を誘導しているというのもあるが……。

 間違いなく、彼女は屋内で延々とゲームするタイプだ。

 僕と同じで、引き篭もりゲーマーの才能があると踏んで、僕の一番好きなRPGを紹介したいと考える。


「よし、クウネル。次は――」

「ちょ、ちょっと待ってください、会長!! もうこちらの世界の遊戯ゲームは大体掴めました! はあっ、はぁっ……!」


 とうとう我に返られてしまったようで、クウネルは頭からゲームセットを外した。

 僕としては、このままタイムリミットまでゲームをし続けてもらいたかったが、そう上手くはいかないようだ。


 身体を動かす系のゲームをしていたクウネルは、完全に肩で息をしている。

 クウネルは僕と違って、ステータスの体力の恩恵がほとんどない。

 さらに言えば、異郷の地で初めての体験ばかりをし続けている。その緊張感が、体力だけでなく気力も奪っているのだろう。


「……ごめん。休憩しようか」


 趣味に走りすぎたことを反省する。


 遊歩道から見える大きな窓に目を向けると、いつの間にか夕暮れ時も過ぎ去って、すっかり空が暗くなってしまっていた。


 閉店時間が近づいて、少しだけショッピングモールの空気が変わった気がする。

 お客さんたちの流れが逆方向に変わって、店員さんたちが一日の終わりの準備を始めていた。

 ゲームの布教に熱中しすぎて、タイムリミットが近い。


 僕はじんわりと汗を浮かべたクウネルを連れて、飲食店エリアフードコートまで移動した。

 そして、その一席に腰を降ろして、飲み物で喉を潤しつつ休憩していく。


「――っふうー。いやー、楽しかったですけど、ちょっと疲れましたねー」

「いや、本当にごめん。最後のほうのは、完全に僕の趣味だった」

「大丈夫ですよ。あてと会長は趣味が似てますからね。あてにとっての服が、あのゲームだったんでしょう? ……むしろ、ちょっと安心しました」


 クウネルは全く気にしていないようだった。

 それどころか、僕にも夢中になるものがあると知って、安心してくれていた。


 僕は久しぶりのコーヒーを口に含んで、笑う。

 やっと少しだけ目的が達成できたと喜ぶ。


 ただ、苦い……。

 とても苦くて、ほろ甘くて……、それが〝美味しい〟……。

 脳まで染み渡るコーヒーの味は、今日一日の締めくくりに相応しいと思った。


「っふうー」


 僕はクウネルと同じく、大きな吐息をついた。

 そして、今日一日を反芻する。


 楽しかった。

 『元の世界』の買い物が報酬だったのは、クウネルだけではない。

 彼女の気遣いのおかげで、間違いなく、僕にとってもご褒美となっていた。

 ただ、残念ながら、その楽しい時間は――


「いやー、本当に遊びましたねー。会長、次はどんなところに行くんですか?」

「楽しんでくれてよかった。……ただ、もうそろそろだね」

「もうそろそろ? あ、もしかして、もう会長は帰る気ですかー? それは駄目やでー、駄目駄目やでー。あては夜ならではのお店とかも、色々回ってみたいんです。朝になるまで、『契約』の報酬は続くと思って――」


 フードコートで一息ついたクウネルは元気を取り戻し、まだまだ時間切れでないと主張していく。

 さらに、次の買い物先を提案しようとして――その言葉の途中だった。

 ズシリと、広々とした建物が一瞬で潰れるかのような視線の重圧が、空間に満ちた。


「――へ?」


 その視線・・を、クウネルと僕は浴びる。


 明らかに『元の世界』にそぐわない威圧感だった。

 その発生源に向かって、僕は目を向ける。

 天井には『異世界』にしか存在しないはずのものが刻まれていた。


「――へ、え? こ、これ……。か、会長っ!!」


 フードコートの何もない宙に、例の『切れ目』が入っていた。

 その視線にクウネルも気づいたようで、腰を浮かしながら魔法構築を始めようとする。


「クウネル、落ち着いて。これは、ただのお知らせみたいなものだから」

「お、落ち着くも何も、もうこっちにはないはずじゃ……!? なのに、こんなに、はっきり――」

「視られているのは僕だけだから、大丈夫。よく視てみて」


 そう答えて、僕は天井の『切れ目』と目を合わせた。


 肌を震わせるような魔法的な揺れ・・は、僕だけが感じている。

 それは世界による『身じろぎ』だ。

 同時に、この世界の脈動でもある。

 陽滝の『静止』によって一時期は消失していた意志が、『元の世界』の雪解けを経て、覚醒し切っていた。


 僕と同じように、クウネルも天井を見上げて、『切れ目』を見つめた。

 ただ、クウネルと視線が合うことは、決してない。


「目が合うのは、会長だけ……? ということは、いまのあては巻き添え?」

「うん、巻き添え。クウネルは千年間、やましいこと一切してこなかったから、セーフみたいだね。おめでとう」

「うん!? うんって会長っ、巻き添えとか! そういうのやめましょうやぁ……。ほんとやめましょうやぁ……」


 クウネルは顔を赤くして、僕の軽率な行動と発言を怒った。

 だが、内心では安堵しているのは伝わってくる。

 いまの『切れ目』の様子から、自分の人生が『世界』に見咎められていないと証明されたからだ。


「クウネル。楽しい異世界ツアーは、もう終了だ。……ただ、向こうへ帰る前に、君には知って欲しいことが一つある。この『切れ目』の奥にあるものについて」

「あ、あのー、それって、知っちゃうと不味い系では……?」

「不味くないよ。ただ、知って安心できるだけだから、大丈夫」


 嘘ではない。

 もう危険なことは一切ない。

 ただ、僕が「大丈夫」と言うたびに、クウネルの表情に不安が募っていく様子だった。


 わかっていたことだが、まだまだ僕は信じられていない。

 けれど、めげずに「大丈夫だから、安心していい」と繰り返す。

 クウネルが信じてくれるまで、何度でも言うつもりだ。


「いやなら、拒否してくれてもいい。けど、あの『聖人ティアラ』を継いで、『異世界』の代表者であり防衛者となった『クウネル・クロニクル・シュルス・レギア・イングリッド』には、知る権利がある。先に全てを知って、安心する権利があるんだ――」

「先に知って……、安心を……――?」


 『元の世界』に滞在できるタイムリミットの間際。


 僕はクウネルと話していく。

 それは楽しいツアーの締めくくりに相応しい甘い『真実』。


 そして、その話を最後に、僕の二度目の『元の世界』への帰還は終わりを迎える。

 同時に、クウネルの初めての『異世界』の観光も終わりだ。


 ――予定通り、僕は里帰りを失敗した。


 だが、クウネルに報酬を渡すことは出来た。

 また一つ、千年前の負債が確かに返された。


 この日、クウネルは千年の戦いに相応しい『本当の報酬』を、新たな・・・契約・・と一緒に・・・・、受け取った。


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