110.準決勝


 四回戦の試合の結果、僕とラスティアラチーム――そして、ローウェンは順当に勝ち上がった。

 次の準決勝では僕とラスティアラが当たり、ローウェンはヴァルト国の代表チームと当たることになる。


 そして、まず僕がラスティアラたちと合流し、最初に確認したのはスノウの安否だった。


 死にはしなかったと聞いたものの、スノウは重傷で病院送りにされていた。

 病院施設のある船の中で、ボロボロになった彼女がベッドに横たわっているのを《ディメンション》で一瞬だけ把握する。

 回復魔法でも、一朝一夕では完治しない怪我らしい。


 だが、明日までスノウが動けないのは、僕たちにとって好都合だ。とはいえ、油断はできないだろう。いまのスノウならば、重傷の体を引きずってでも何かしでかすかもしれない。


 僕は動けないスノウに対して、何かのアクションを起こしたほうがいいかと迷っていると、隣を歩くラスティアラが話しかけてくる。


「――んー……、守護者ガーディアンは自分の正体を明かしたみたい。何考えてるんだろ?」


 僕と合流する前に、道行く人から南エリアの話を聞いたようだ。


「ローウェンが……?」

「『剣聖』フェンリル・アレイスに勝ったあと、堂々と宣言したってさ」

「宣言? 死にかけてモンスター化したんじゃなくて?」

「うん。宣言」

「なんで、そんなことを……」


 ずっと隠し通せてきたことを、このタイミングで明かす理由が分からない。


「もちろん、そのあと大会管理者に捕縛されたみたいだよ。ただ、『舞闘大会』は何者も拒まないと謳っている以上、ローウェンの参加取り消しまではされないらしいけどね」

「捕縛された……。どうして……」


 僕はローウェンの思惑を予測しようとして、視界が暗転する。

 急な立ち眩みに襲われ、膝が折れ、倒れかける。


「カナミ、大丈夫か!?」


 すぐ隣を歩いていたディアが僕の身体を支える。


「……あ、ああ、大丈夫。……ちょっと、試合で疲れたみたいだ」


 僕はディアに支えられながら、搾り出すように声を出す。

 もはや、動くことも考えることもできない状態になっていた。


「と、とりあえず、部屋まで戻ろう! 急げ、ラスティアラ!」

「そうだね。まずは部屋に戻ろう。リーパーと合流すれば安泰になるし」


 ディアとラスティアラの声が、遠くから聞こえる。

 僕は支えられた状態のまま、力の入らない足を無理やり動かして進む。


 どこを歩いているのかもわからないが、僕は導かれるがままに歩き続けた。

 そして、どこかの部屋に入り、椅子に座らされる。

 すぐに背後から声が聞こえてくる。


「お疲れ、お兄ちゃん。何もかも上手くいっているようで、私も嬉しいよ」

「リーパー、か……? できれば、スノウかローウェンの監視を頼む……。もし、スノウがコンタクトを取ってくるようなら、僕が話す。負けて頭の冷えたスノウなら、わかってくれるかもしれ、ないから……」


 リーパーは労いの言葉と共に、冷えたタオルを僕の頭に乗せてきた。

 僕は試合前から考えていたことを彼女に伝えた。

 

「うーん、スノウお姉ちゃんと話すのはやめたほうがいいと思うよ? いまのお兄ちゃんじゃあ、ろくに話すこともできないからね。それにラスティアラお姉ちゃんの説得で、かなり大人しくなってるんだよ……? 放っておいたら自分で自分の悩みを解決しそうなほど、説得が効いてる。……だから、いまは記憶を取り戻すことに集中しよ。中途半端な手助けをするよりも、そのほうがスノウお姉ちゃんのためになるから」

「……そっか。ラスティアラは試合中に説得してくれたのか」


 僕はエルミラードと戦っていたため、ラスティアラたちの戦いの様子を全く知らない。

 口では厳しいことを言いながらも、彼女は自分なりの説得をスノウにしてくれたようだ。


「……なら、ローウェンは? ローウェンのほうも気になる――」

「ローウェンも放っておいて大丈夫。どうせ、動けないから」

「ああ、リーパーも知ってるのか」


 先ほどラスティアラから聞いた話が本当なら、ローウェンは大会管理者に拘束されている。


「ローウェンは『最強』に勝利し、『剣聖』をも超えた。知ってるでしょ?」

「あ、ああ……」


 トーナメント表のおかげでローウェンは、早々に『最強』と『剣聖』の二人と当たった。そして、見事二人共を打ち倒し、勝ち進んでいる。


「なら、ローウェンの望む『栄光』ってやつは、もう十分じゃないのかな? だから、全然ちょっかいかけてこないのかも」

「けど、ローウェンは正体を明かしたって聞いた。それは――」

「きっとローウェンにはローウェンの考えがあるんだよ。だから、お兄ちゃんがいなくてもローウェンは大丈夫。何も心配しないでいい。お兄ちゃんは明日の準決勝だけを考えて、――記憶を取り戻すことだけを考えて」


 リーパーはスノウとローウェンへの接触に否定的だった。


「そうだぞ、カナミ。とにかく、いまはスノウやローウェンってやつらよりも、明日に備えるほうが大事だ」


 ディアちゃんも同じ意見のようだ。

 どうやら、いまスノウたちと話をしたいのは僕だけらしい。


 頭が熱くなりすぎて、僕だけが正常な判断ができていないのかもしれない。

 ただ、こうなることは事前に分かっていた。僕はこうなったときの方針をあらかじめ決めてもいた。


「――ラスティアラ。僕は何もしないほうがいいのか……?」


 ラスティアラに聞く。

 いま居るメンバーの中で、最も冷静で状況を把握しているのは彼女だ。その判断に身を委ねるのが、一番堅実だろう。


「……そうだね。……何もしないようにしよう。まず記憶を取り戻すことが大切なのは確かだからね」


 ラスティアラは十分な間を置いて、ゆっくりと答えた。

 その目線は僕とリーパーに向けられている。


 僕とリーパーの二人に――


「わかった。ラスティアラが言うなら、そうするよ」


 少しばかり残念だが仕方がない。

 そもそも、反論する余裕もなければ、動く気力もない。


 ――もう限界だ。


 僕は背中を椅子に預けて、これ以上の思考を放棄する。

 しかし、ぼうっと意識が漂う中、眠ることだけは許さない。僅かに残った余力も削っていく。


 時間感覚すらも薄れていく中、ラスティアラの最後の指示を聞く。


「カナミ、あとはその体調を維持するだけでいいよ。試合前になったら呼ぶから、それまでそこに座ってて」


 そうしよう。

 座ってるだけなら、いまの僕でも何とかできそうだ。


 眠ったら、きっと誰かが起こしてくれるだろう……。

 僕はただ、そのときが来るのを待つだけでいい……。

 もう他に何も――、考えられない――


「そう。まずは記憶を取り戻して、お兄ちゃん。そうすれば――」


 リーパーの声が聞こえる。

 彼女は僕が動かなくなったのを確認し、安心していた・・・・・・


「――私の願いも叶う」


 念願が叶うらしい。

 その一言を僕は他人事のように感じた。


 もっとその言葉の意味を考えないといけないのに、考えられない。

 もっとその成就を自分のことのように喜ばないといけないのに、喜べない。


 ただ、リーパーの願いが叶うという情報だけが頭に残った。

 そして、深い深い闇の中へ落ちていく。


 意識は現実から切り離される。

 時の流れすら感じられない世界で、僕は時が過ぎ去っていくのを待ち続けた。

 ただ、延々と、暗闇の中で――



◆◆◆◆◆



 まるで何年も経ったかのような気がする。

 そんなあやふやな認識の中、僕は自分の状況が変化したのを感じ取る。


 もう翌日――のはずだ。

 誰かに手を引かれ、どこかの部屋まで連れて来られた――ような気がする。

 

 そして、ノイズのような声が聞こえてくる。


「――それじゃあ、この控え室で待っててね。係員の人が来たら、闘技場内まで歩いてきてくれたら、それで計画は成功だから……ってこれ、聞こえてるのかな? うーん、リーパーちゃん、あとはお願い」

「任せといて、お兄ちゃんは必ずアタシがそっちまで送り込むから」

「うん、任せた。それじゃあ、私たちは逆側から入場するから、じゃあね」

「いってらっしゃーい」


 誰かの話し声が消え、周囲の人が少なくなる。

 隣には小さな女の子が一人いるだけだ。


 女の子はふわふわと近くを飛び回り、落ち着きが全くない。

 僕は深い闇の中から、その女の子を目で追う。それは夕闇の中を飛ぶ蝶を追いかけるかのように、妙に心が落ち着いた。


 時が過ぎ、部屋の中に人が入ってくる。

 ただ、いま僅かな間に数秒過ぎたのか、数時間過ぎたのかはわからない。


 入室してきた人は名前を呼ぶ。


「――アイカワ・カナミ選手の入場時間です……。けど、大丈夫ですか? 本当に参加するんですね?」


 アイカワ・カナミ……?

 ああ、それは僕の名だ。


 どうやら、僕に問いかけているようだ。

 しかし、その質問の内容を上手く理解できない。


「カナミ選手!! 答えてください! 答えなければ強制的に棄権させますよ!?」


 棄権――?

 それはまずかった気がする。それだけは駄目なのだが、その理由を思い出せない。

 いや、思い出せるはずなのだが、すぐには――


「――ちょ、ちょっと待って、係員さん!」


 女の子が係員と僕の間に入って叫んだ。

 そして、僕に近づき、耳元で囁く。


「お兄ちゃん、もうあと少しだよ? だから、頑張って。最後に残った力を、全て出し切って。ここで試合に出ないと、記憶が戻らないよ? 元の世界に戻れないよ? いいの? ちゃんと戻らないと――」


 とても大事なことを言われている気がする。

 記憶。元の世界。戻る。

 それはとても大事な――


「――大事な大事な・・・・・・妹さんは・・・・どうなるの・・・・・?」


 ――大事なものを思い出す。


 僕の妹。

 名前は――、思い出せない。


 けれど、彼女は命よりも大事なものだ。

 それだけは、どんなときでも、どんな状態にあっても思い出せる。


 そして、ここで試合に出なければ、妹が危ないというのなら、僕が出ないはずない。


「――……す、すみません。……少し寝不足で。試合は問題ないです。出ます。戦います」


 僕は死ぬ思いで、口を動かした。

 立ち上がって、目を見開いた。

 

 周囲を見回し、情報を収集する。

 見覚えのある控え室だ。

 これから『舞闘大会』の準決勝が始まることを、ぎりぎりのところで理解する。


「なら、いいのですが……。アイカワ・カナミ選手、無理そうならいつでも棄権できることを忘れないでください……。では、こちらへ。準決勝です」


 僕に問いかけていたのは大会を運営している係員さんだったようだ。

 係員さんが案内する後ろを、僕は追いかける。


 隣では女の子――『死神・・』が手を振っていた。


「目が覚めたみたいだね、お兄ちゃん。それじゃあ、いってらっしゃい。誰のためでもない・・・・・・・・、妹さんのため。それを忘れないで」

「……ああ、行ってくる。死神リーパー


 僕は状況を理解し、歩みを進める。


 まだ闇の中を歩いているような感覚は拭えない。

 けれど、さっきまでとは違う。

 僕は揺ぎ無い意志を手に入れた。


 自分の願いを間違えないため――、全ての記憶を取り戻すため――、僕は戦わないといけない――


 いまにも闇の底に落ちそうだが、僕は歯を食いしばってそれに耐える。

 あと数分だけもってくれればいい。

 そのあとは気を失おうが構わない。


 長い回廊を歩き、闘技場内に入る。

 司会のアナウンスも、観客の大歓声も、全てを無視して、僕は中央まで急いで歩く。

 どうせ、もう耳鳴りのようにしか聞こえない。


 闘技場中央には、協力者であるラスティアラたちの姿があった。ここまで僕が歩いてきたのを見て、ひとまずは安心している様子だ。

 しかし、僕はいつ意識が飛んでもおかしくない。早々に勝負を始めないといけない。


「ル、ルールを……」


 搾り出すように声を出す。

 それに正面のラスティアラが急いで答える。


「司会さんっ。前置きはいいから、早く試合を始めようか。こっちで勝手にルール決めちゃっていい? いいよね? 駄目って言っても、もう決めちゃうからね」


 そして、僕の傍まで来て、小声で話しかけてくる。


「カナミ、打ち合わせどおり答えてよ?」

「……ああ、大丈夫だ」


 リーパーのおかげで、少しだけ思考力が戻ってきている。

 数日前に話し合って決めたルールを頭に思い浮かべる。


 ラスティアラは僕が頷いたのを見て、司会にも聞こえるような大きな声を出す。


「私たちラスティアラチームは『武器落とし』でも『胸花落とし』でもないルールを提案するよ。『武器落とし』だと向き不向きが出るし、『胸花落とし』だと火炎魔法を使える側が有利。それは余りに平等フェアじゃないからね」


 予定通りの提案だ。

 僕も事前に決めた台詞で返す。


「……なら、どんなルールを?」

「丁度、ここに『腕輪』したよ。カナミ選手も、似たような『腕輪』をつけてる。この『腕輪』の取り合い――もしくは、壊し合いならばそれなりに平等じゃないかな。これでどう?」


 空々しい口調でラスティアラは演じる。

 それを聞いた司会は少しの思案のあと、アナウンスする。


(――前例のあるルールです。そういう類のものは『象徴シンボル落とし』と言われます。大会運営側としては問題ありませんが、アイカワ・カナミチームも構いませんか?)

「……僕は構いません。『腕輪』の壊し合いにしましょう。それなら平等です」


 僕は頷く。

 これで八百長の準備は終わりだ。


(――両者の了承が得られました。決定です。ルールは『象徴シンボル落とし』、お互いの腕輪の破壊です!)


 耳を揺らす振動が大きくなる。

 観客たちの興奮は、ますます増していく。もはや、歓声を認識できないので煩わしいとも感じない。ただ、正面のラスティアラは片耳を抑えて、苦笑いをしている。


(さあ、ルールは決まりました! では、何を賭けて戦うのでしょうか! ずっとカナミ選手の司会を務めてきた私は、とても気になります!!)


 そして、戦いに賭けるものを問う。

 これこそが本題と言わんばかりだ。しかし――


「僕は何も賭けません」

「私たちも賭けるものはないかなー」


 僕たちはあっさりと首を振る。


(え、えええぇー! 何も、賭けないんですか!? 『舞闘大会』の準決勝で!? ここまで、あれだけ訳のわからない賭けをしといてっ!? ここで何も賭けないなんて! 正気ですか、カナミさぁぁん!?)

「……いや、正気です」


 相変わらず、僕に対してだけ妙に馴れ馴れしい……。


 苦言を呈したいが、僕はぐっと堪えて、進行を優先する。


(ラスティアラ様も! 前試合でカナミ選手を賭けて勝ち上がってきたのですから、ここは何かしらの報酬を要求しても構わないんですよ!? 報酬があるのは自然です。むしろないほうが不自然ですっ。いまならカナミさんも断れない空気なんですから、何でも言っていいんですよ! 何かお願いします! 全観客も待ち望んでいます、きっと!!)

「ううん、いらない。……カナミにやってほしいことがあるなら、別にこんなところでお願いしなくても、個人的にお願いすればいい話だし。ねーっ、ディア?」


 唐突に話を振られたディアちゃんは少し思案したあと、ラスティアラに同意する。


「これから俺たちはずっと一緒だからな……。もう焦る必要もない」


 ラスティアラはそれを聞いて笑顔で叫ぶ。


「ということで! 何も賭けないよ!」


 その叫びは観客席にも届いたようだ。

 不満の声が歓声の中に混じる。


(くっ……! 非常にっ、ひっじょーに残念ですが! 両者がここまで望まないのであれば無理強いはできません。多くの女性を袖にし、気のある素振りを見せてきたカナミ選手にはかなりの期待がかかっていたのですが……、仕方ありません。ラスティアラチームと妙に親しげなので、更なる失言をしてくれると思ったのですが……、くぅううっ――!)


 朦朧としている意識でも、はっきりわかる。

 この司会こいつは敵だ。


 その僕の怒りの表情に気づいた司会は、焦った様子で言葉を続ける。


(――し、しかし! これ以上は話し合いをしても無意味のようですね。それでは、始めましょう! 『一ノ月連合国総合騎士団種舞踏会』北エリア西エリア準決勝戦っ、開始ぃいい!!)


 開始が宣言される。


 僕は重い身体を引きずって、徒手空拳でラスティアラに近づく。

 対照的にラスティアラは、剣を握って軽い足取りで僕に近づく。


 まだ距離は遠い。

 あと少しで剣が届くというところで、ラスティアラは言う。


「――行くよ、カナミ! とりあえず、両手足の骨を折るからっ、動かないでよ!」

「ああ、来い! ラスティアラ!!」


 僕は何が起きても動かないと心に決める。

 そして、お互いに剣が届く距離まで入る。

 

 その刹那、ラスティアラの剣が僕の左腿に刺さりかけ――それは硬い金属に弾かれる。


 僕の身体が勝手に反応していた。いつの間にか、『持ち物』から『クレセントペクトラズリの直剣』を取り出し、ラスティアラの一閃を払っていた。


 僕はラスティアラが『腕輪』の破壊が目的であることを知っている。そのため、早い段階で『呪い』が反応したようだ。

 

 すぐに僕は剣を『持ち物』の中にしまいこみ、意思を固め直す。

 何が起きても動かないように全身へ力を入れる。


 しかし、それでもラスティアラの攻撃は僕に届かない。

 次の瞬間には、また僕の手に『クレセントペクトラズリの直剣』が握られていたからだ。


 迫りくるラスティアラの斬撃を弾き、打撃を受け止め、掴みを払う。何の補助魔法も使っていないというのに、見事な防御だった。


 僕は歯噛みしつつ、どうにか自分の身体の動きを止めようと躍起になる。

 だが、それに対して、ラスティアラは涼しげだった。


 この程度は予想の範疇内ということだろう。


「――《グロース》!」


 ラスティアラは身体強化を行い、少しだけペースを上げる。

 僕の防御が徐々に崩れていき、最終的にはラスティアラの強烈な一撃によって体勢を崩す。


 そこへラスティアラの回し蹴りが、胴体に叩き込まれる。


「――ぐ、う!」


 肺の中の空気が全て吐き出され、宙に浮く。

 完全に身動きが取れない状態だ。そこへ、ずっと待ち構えていたディアちゃんの魔法が放たれる。


「――《シュンポジオン・ノア》!」


 光の巨大な球体が上空から落ちてくる。

 その質量の全てが無防備な身体に直撃し、地面へ叩きつけられ、押し潰される。


 全身が打ち付けられ、視界に白い火花が散る。

 脳に鋭い痛みが走り、全身が硬直する。


 その硬直をラスティアラは狙っていた。

 僕の腕の一つを掴み取って、遠慮なく逆方向に曲げる。


「ぐぅ、うぅっ――!!」


 竹を割ったような音が頭に響き、今度は鈍い痛みが走る。

 

「よし、一本折った! 次!」


 肘が熱を持ち、耐え難い痛みを発し続ける。

 折れたのは肘の近くだろう。


 その痛みを僕はできるだけ噛み締めようとするが、身体が勝手に痛みを意識の外へ追いやっていく。


 さらに追撃しようとするラスティアラ――その彼女の手首を掴んで、僕は覚えのない技を使う。限界まで身体を沈ませ、ラスティアラの力を引き込んで体勢を崩した。


 三回戦でフランリューレに使われた合気道に似た技だ。

 『呪い』の完成度に驚く。たった一度見ただけの技を自分のものとして使っている。僕は何も意識していないのにだ。


 ラスティアラは無様に転がるが、すぐさま宙返りで体勢を整えた。

 そして、片腕を失った僕に追いすがる。


 しかし、僕の身体は、とても器用にラスティアラの攻撃を捌いていく。


「もうっ、しぶとい!! ――《グロース》!!」


 ラスティアラは魔力を消費し、さらにギアを一つ上げる。

 残像が残るような馬鹿げた速度でもぐりこまれ、圧倒的な膂力で僕を制圧しようとする。


 僕は手を掴まれる。

 すぐさま先ほどの技で、その力をいなそうとする。しかし、それをラスティアラは読んでいた。その膂力に物を言わせて、技を潰してくる。そして、容赦のない拳が、僕の腹に打ち込まれる。


 成す術がないと判断したであろう『呪い』は、最後の手段として魔法を選択する。

 腹の底から魔力を練り上げ、冷気へと変換。それを体外に放出し《次元の冬ディ・ウィンター》を構築しようとして――


 ――その全てが霧散する。


 体調不良によって回転の遅い頭が、《次元の冬ディ・ウィンター》の構成の処理に失敗したのだ。


 お世辞にも冷気とは呼べない、涼やかな風がラスティアラの頬を撫でただけだった。

 ラスティアラの前髪がふわりと浮かび、笑みの張り付いた顔があらわになる。


 僕の魔法失敗を見て、勝利の確信を得た笑みだ。


 もうラスティアラの攻撃を防ぐ手がない。

 僕も敗北を確信して笑う。


 ラスティアラの剣によって『クレンセントペクトラズリの直剣』が弾かれ、手から離れた。返しの刃が迫り、それをしゃがみこんでかわすが、目前にラスティアラの足先が迫る。


 蹴りの衝撃と共に、目に映る景色が上空へ弾け飛び、僕の足が地面から離れる。

 また空中で身動きが取れなくなり、目と鼻の先にラスティアラの拳が迫ってくる。


 ――チェックメイトだ。


 これが直撃すれば長時間行動不可能になる。

 そして、この拳を避けるすべが僕にはない。


 少しずつラスティアラの手が僕の顔に吸い込まれていく。スローモーションのように動いていく手を見つめながら、僕は試合が終了することに安堵する。

 この数日間の長い苦行から解放されると思い、かろうじて繋いでいた意識の手綱を緩めてしまう。


 その緩んだ意識は、加速的に心の闇の底へ落ちて行き、自分の意思で思考を選択できなくなる。

 最後の思考は、いま目の前にある事実を読み上げていく。

 これから僕は、この拳によって敗北する。

 敗北して、『腕輪』を失う。

 記憶を取り戻す。

 それで終わり。

 終わり。


 オワリ……?


 そのとき、ぞわりと・・・・、背中に得体の知れない魔力が這った。


 次元属性でも氷結属性でもない魔力だった。

 闇属性の魔力が『腕輪』から漏れ、僕の脊髄に浸透していく。


 ――本当に終わっていいのか……?


 僕は自問自答する。


 足場を失い、高所から落ちるかのような恐怖が襲う。

 このままだと、恐ろしい結果になると錯覚する。


 ――この『腕輪』が壊れて、本当にいいのか……?


 何も考えないようにしているのに、いくつも問いが浮かんでくる。

 それに僕は抗えない。


 ――この『腕輪』は、何よりも大切じゃなかったのか……?


 闇の中、『腕輪』が大切であることだけを思い出していく。

 他の全ては抜け落ちているのに、それだけをはっきりと思い出してしまう。


 そして、錠の落ちる音が聞こえた。

 同時に、意識が遠のく。


 『腕輪』の『呪い』が終着点に辿りつく。

 闇の底で、並列展開されていた思考が収束し、たった一つのことしか考えられなくなる。


 たった一つ。

 相川渦波にとって、最も譲れないことだけしか考えられなくなる。


 それは、『大切なものを守る』ということ。

 それだけに特化したシンプルな思考形態となる。


 守る。

 ああ、それは当然だ。

 昔、確かに守ると誓った――

 昔――? あれはいつだったか? 幼い頃?

 僕の手はとても小さくて、目線も低かった頃の話だ。

 鼻につく消毒液の匂い。ベッドに横たわる最愛の彼女の前で誓ったはずだ。

 

 守ることだけが、僕の存在意義だ。


 僕の大切な――?


 大切な『腕輪・・』を――!



【最終防衛術式、闇魔法《心異ヴァリアブル純心バーサク》が発動しました】

 全ての術式が『認識阻害』に費やされます



 闇の奥底。

 暗がりの果て。

 網膜に告知の文字が映った。 


 あの何をやっても壊れなかった『腕輪』に亀裂が入っていくのを感じる。

 過度な魔法術式の発動が、『腕輪』の耐久値を上回りかけているのだろう。


 いまにも砕けそうな『腕輪』は、魔法道具で魔法を発動したときとよく似ている。

 いや、似ているのではない。全く同じなのだろう。


 この『腕輪』も、いままで見てきた魔法道具と同じで、とある魔法を放つための代物だったというだけのこと。


 ゆえに、止められない。

 たとえ《次元の冬ディ・ウィンター》でも止められない。



【闇魔法《心異ヴァリアブル純心バーサク》発動完了】

 『認識阻害』に+10.00の補正がかかります



『――ああ、これで条件は整った。大好きな妹ちゃんたいせつなもののために、目の前の敵を倒そうぜ?』


 妙に楽しそうな声が聞こえる。

 イラつくが、少し懐かしい声。


 その声に僕も答える。


 ああ、当たり前だ。

 『腕輪たいせつなもの』は絶対に僕が守る。守ってみせる。


 僕は『たいせつなもの』を害そうとする敵を排除する。

 それだけわかれば、あとは何もわからなくても大丈夫だ。


 目を見開き、視界に映った敵を認識する。

 いま目の前には『腕輪』を壊そうとしている敵が三人。


 知っている。

 こいつらは僕を戦闘不能にして、『腕輪』を破壊しようと計画している。

 絶対に負けてはいけない相手――


『さあ、かつての再現ができるか!? 大切な一人のために、全てを犠牲にしようぜ! 必要とあらば世界すらも! そうすれば、カナミの兄さんは『かつてのカナミ』に近づける!!』


 楽しそうな声は闇に変わり、僕の心の中に満たされていく。

 当然、その闇によって敵の姿は覆われる。


 これでもう、敵が誰なのかもわからない。


 けれど、やらないといけないことはわかる。

 僕は『腕輪』が大切だ。

 そして、目の前の敵は『腕輪』を破壊しようとしている。

 それだけわかれば十分。


 ならば、僕は守る。

 敵から『腕輪たいせつなもの』を守りきってみせる。


 そのためには何だって犠牲にする。

 殺してみせる。

 それが本当の僕だ。


 闇の中、僕は魔法を唱える。

 いや、叫ぶ――


「――《過密次元の真冬ディ・オーバーウィンター》ァアア゛ァア゛ア゛!!!」



【ステータス】

 HP152/303 0/751

【ステータス】

 HP147/298 0/751

【ステータス】

 HP142/293 0/751――



 ――闇の底で、命を燃やす。

 


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